ゼフィラス様との婚約
私が了承の返事をすると、ゼフィラス様は俄に目を見開いた。
「い、いいのか、リーシャ……!?」
「は、はい」
こくこく頷く私に、ゼフィラス様は再び花が咲いたように微笑んだ。
誇張ではない。
微笑むだけで確かにぶわわっと花が咲くのだ。
このゼフィラス様が、結構乱暴に扉を蹴り開けていたゼス様だなんて、いまいち二人が重ならないのだけれど、そうなのよね。
「では、リーシャ。今日から私は君の婚約者だ。ルーベルトにも私から手紙を送る。きちんと挨拶にいかなくては」
「お兄様にも伝えるのですか?」
「あぁ、もちろん。皆に公表するつもりだ」
「一年間、だけじゃ……」
そういう契約ではないのかしら。
一年間、婚約者のふりをするのだとばかり、思っていた。
「一年間というのは、あくまでも目安だよ、リーシャ。私は、今から全力で君に好きになってもらえるように努力する。君が私と結婚してもいいと思ったら、すぐに結婚しよう」
「ですが、私は」
「もしかしたら、数日後には私を好きになっているかもしれない。どちらにせよ、私は君をみすみす逃すつもりはない。一年後には私と君は結ばれているだろうから、公表しても問題はないだろう」
ゼフィラス様、もっと奥ゆかしい方だと思っていた。結構強引だ。
私、思えば男性から迫られたことってないわよね。
クリストファーとはもっと、落ち着いた関係、というか。
私から話しかけないと、会話もなかったもの。
最近、は。
もちろんそれは、浮気をされていたからなのだけれど。
「リーシャ、もう学園もあと数日で卒業だろう? 授業もなかったはずだ。明日にはデートに行こう。昼過ぎ、学園に迎えに行く」
「え、あ、あの」
「なにか不都合が?」
「ない、ですけど……」
「ルーベルトへの挨拶は、明日の夜に。彼も忙しい男だから、あいているといいが……」
「あの、ゼフィラス様もお忙しいのでは」
「君が婚約者になってくれたのだから、君を優先する。当然だ」
あぁ、私。
そんなことをクリストファーに言われたこと、なかったわよね。
忙しいとか、すまない、とか。
予定があるとばかり、言われていた。
一瞬、嬉しいと思ってしまった。
けれど私はその気持ちにすぐ蓋をした。
私はクリストファーに裏切られたばかりだもの。
ゼフィラス様がどんなにいい方だとしても、すぐに心を傾けるなんて間違ってる。
「リーシャ、では今日からよろしく。婚約者として」
「……よろしくお願いします」
「本当は君を引き留めておきたいが、あまり強引だと嫌われてしまうかもしれないな。明日、迎えに行く」
「はい、わかりました」
私は、夢でも見ているのかしら。
クリストファーの浮気を目撃したときも、夢じゃないかと思ったものだけれど。
あの時から私は、夢を見続けているのかもしれない。
なんて。
そんなわけ、ないか。
熱に浮かされたようにぼんやりしながら、アールグレイス家に帰り、今日のことをお兄様に報告した。
お兄様は笑いながら「そうじゃないかと思っていた。実を言えばゼフィラス様からは、以前婚約の打診があってね。といっても、正式なものではなくて、城に呼び出されて話をしただけだけど」と言った。
「そうなのですか?」
「うん。私はクリストファーとの関係を疑ってなかったから、それとなく断ったよ。どうやら殿下は、ゼスとして街にいるときに、リーシャを見初めたらしい」
「お兄様は、ゼス様がゼフィラス様だと?」
「ゼフィラス様から聞いていたから、知っていたよ。内緒だったけどね」
お兄様は嬉しそうに「殿下と婚約なんておめでたいじゃないか。今夜はお祝いだ」と、使用人たちに指示していた。
グエスも飛び上がるぐらいの勢いで喜んでいた。
クリストファーなど忘れて、新しい恋をするべきだという。
でも、それって。すごく軽薄ではないかしら。
だって、私は本当にクリストファーが好きだった。
好きな人がいたのに、駄目だったから、新しい男性に恋をするなんて。
ずっと独身でいる。仕事に生きる。
そう言い張っていた私、ただ拗ねていただけみたいで恥ずかしい。
「私……どうしたらいいのかしら」
「お嬢様、なにを悩む必要があるのです?」
「だって、グエス。私、ゼフィラス様のことよく知らなくて」
「ゼフィラス様は知らなくても、ゼス様は知っているでしょう」
「うん」
寝る前に、グエスに髪をとかしてもらいながら私は頷く。
「お嫌いでしたか?」
「とても、いい方よ。大人で、優しくて、素敵な人」
「それが、ゼフィラス様ですよ。まぁでも、すぐに好きになる必要はありません。男性に追いかけられる恋愛も、いいものですよ」
髪をとかしおえると、部屋にノックの音が響いた。
グエスが扉をあけると、そこには侍女たちが花束を持って待っていた。
「お嬢様、ゼフィラス様からですよ! 赤い薔薇とアイビーです。花言葉は永遠の愛! お嬢様! やりましたね、クリストファー様はこんなことしてくれませんでしたよ!」
きゃあきゃあ言いながら盛り上がる侍女たちを、グエスが呆れ顔で叱りつける。
両手でやっと抱えられるぐらいの花束とお手紙を受け取った私は、なんとも言えない気恥ずかしさを感じていた。




