ゼフィラス様の理由
どういうことだろう。どうしてゼフィラス様が?
ゼス様がゼフィラス様ということは、つまり、ええと、その……!
頭が真っ白になった私ができることは、小さく息を飲むことだけだった。
だって、ゼス様には私が酒場に駆け込んだことも、浮気されたこともぐすぐす泣いたことも見られている。
一緒にカフェに行って、孤児院にも行った。
ゼス様は私の恩人で、つまりそれは、ゼフィラス様……王太子殿下、ということ……!
「隠していてすまなかった、リーシャ。街にいる時、私はゼスとして生きている」
「あ、あ……」
「騙すつもりはなかった。だが、騙すような感じになってしまって」
「い、いえ……で、でも、どうして……?」
ゼフィラス様は仮面とローブをルートグリフさんに預けた。
それから「リーシャ、座ってくれ。君は甘いものが好きだろう。菓子を用意したが、口に合うだろうか」と、私に座るように促した。
ソファに座った私は、促されるまま紅茶をいただいた。
それから、フランボワーズソースのケーキも。
動揺はしてるのに、ケーキも紅茶もしっかり美味しい。
「美味しいです、ゼフィラス様」
「そうか。では、食べながら聞いてくれるか」
「それは、失礼なので」
「気にしなくていい。その方が私も気が楽だ」
私は紅茶をこくんと飲んだ。
ゼフィラス様の赤い瞳が真っ直ぐに私を見ている。仮面の下の瞳も、こんな風に私を見ていたのかしら。
恥ずかしいし、それに、もしなにか失礼なことを言ってしまっていたらどうしよう。
ゼス様と何を話したのか、全て覚えているわけじゃない。
そんなに変なことは、言っていないと──思いたい。
「……どこから、話したらいいのか。私が仮面とローブで顔と髪を隠している理由からにしようか」
「はい、よろしくお願いします」
「これはけして自慢ではない。自慢ではないのだが、今から自慢のようなことを言わなくてはいけない」
「わかりました、ゼフィラス様。自慢ではないのだと心してお聞きします」
「ありがとう、リーシャ」
このかたは、ゼフィラス様。でも、話し方はゼス様と同じ。
私と、俺、という違いはあるのだけれど。
同一人物だから、当然といえば当然よね。
「実は、私は……」
「はい……」
「どうやら、容姿がいいらしいのだ」
「は、はい!」
知っていますとも……!
ゼフィラス様の顔立ちのよさやスタイルのよさは、皆が知っている。
というか、見ればわかる。
顔立ちが整いすぎていて、自慢とも思わないぐらいだ。その通りですと、深く頷くのが正しい反応だろう。
「……自分で自分を褒めるほど、恥ずかしいことはないのだが」
「ゼフィラス様はとてもお美しくていらっしゃいます。これは事実ですので、恥ずかしいことではないですよ」
「リーシャは、この顔は嫌いではないか?」
「ゼフィラス様のお顔を嫌う人なんていないと思いますけれど」
「そうか……!」
ゼフィラス様は微笑んだ。
微笑むだけなのに、その背後に大輪の花がブワッと咲き乱れる幻が見える。眩しい。
「数年前のことだ。父上から王位を譲り受ける前に、私は街の人々のことが知りたいと思い、身分を隠して街に降りることにした。人々の暮らしを見たかったのだ」
「それは立派な志ですね。先生……私の担任の先生のことですが、ゼフィラス様は素晴らしい方だとおっしゃっていました」
「ありがたいことだな。……だが、一つ問題が起こった」
「問題ですか」
「あぁ。私は身分を隠しているつもりだったのだが、すぐにゼフィラスだと知られてしまってな」
「あ……あぁ……」
私はなんともいえない返事をした。
うん。そうよね。どんな変装をしたのかは知らないけれど、例えば髪の色を変えるぐらいじゃすぐにゼフィラス様だとわかってしまう気がする。だって、顔立ちが整いすぎている。
例えば私なら、少し服装を変えれば街に溶け込めるけれど。
それができない何かが、ゼフィラス様にはあるのだ。
「服装を地味にしてみたり、髪色を変えてみたりしたが駄目だった。目を隠しても髪が見えると、ゼフィラスだとは知られなくとも、これも、自慢ではない。だから気を悪くしないで欲しいのだが」
「はい、もちろんです」
「……やたらと女性に囲まれてしまって。これでは、街の人々の暮らしを知るどころではない」
「あー……」
「リーシャ……! 勘違いをしないで欲しいのだが、私は女性が苦手なんだ。ゼスの言っていたことは、私の言葉だと思って欲しい」
「い、いえ、今のは、分かります、という、あー……です。あーあ、という意味ではありませんから……!」
「そうか、それならよかった。ともかく、そういうわけで、私はローブを着てフードを被り髪を隠し、あやしげな仮面をつけることになったのだ」
「なるほど」
うんうんと、私は頷いた。
確かにあやしい。でも、黒騎士ゼス様は有名人で、ローブと仮面姿でも女性たちから人気があった。
やっぱり、持って生まれた高貴さとか、美しさは隠せないものなのかしらね。