リーシャ、酒場でくだをまく
一体いつからなの?
いつから、シルキーと浮気していたのだろう。
学園ではシルキーは友人だった。
何食わぬ顔で、いつも通りに会話をして笑い合っていた。
その裏で、クリストファーとあんなふうに、あんなふうにキスをしたり、触れ合ったりしていたというの?
伯爵家の馬車がお迎えに来ていたのだけれど、私は馬車に戻らずにそのまま街へ向かった。
シルキーと浮気をしていたクリストファーのことで頭がいっぱいで、家に帰るとか、馬車に乗るとか、冷静な判断ができなかったのだ。
劇場が開くのは夕方からで、劇が終わる頃にはもうすっかり日が落ちている。
一人で行動するのが得意な私でも、流石に夜は街をうろついたりはしない。
警備が手厚く、安全な王都であっても夜は危険だからだ。
空には星がまたたき、王都にぽつぽつと建てられた魔鉱石の街灯の灯りが心もとなく灯る中、王都の中心街である中央通りで賑わっているのは酒場ぐらい。
私は一瞬ためらったけれど、自暴自棄な気持ちのまま扉を開く。
「おいおい、どこのお嬢さんだ? 酒場に来るような格好じゃねぇだろう、それは」
「どこかの貴族のお嬢さんがパーティーから抜け出してきたのかな。まぁ、可愛い子は大歓迎だよ。こちらにどうぞ」
「いっぱい飲むかい? 奢るぜ」
カウンターの奥では店主と思しき腕に一角鮫のタトゥの入った男が、シェイカーを振ってカクテルを作っている。
カウンター席も、テーブル席もいっぱいで、強面の男性たちが勢揃いしていた。
こちらにこちらにと、あれよあれという間に奥に連れて行かれて、テーブル席の一つに座らせてもらう。
私の周りを男性たちが取り囲んで、目の前には飲み物が注文もしていないのにわんさか置かれた。
お酒もあるし、ナッツ類もある。
ここにいる男性たちは、いい人なのかもしれない。見た目が怖いというだけで。
わからない。でもなんでもいい。
今はともかく、最低な気分だ。
誰かと話したい。私のことも、クリストファーのこともシルキーのことも知らない誰かと。
「まぁ、飲みなよお嬢さん。酒がいい? オレンジジュースもあるよ」
「ありがとうございます」
私はお酒を飲んだことがないので、差し出されたオレンジジュースを一気に煽った。
喉がカラカラだったことに、はじめて気づいた。
甘酸っぱい柑橘の味が口の中に広がって、喉を落ちて胃にたどり着くのがはっきりとわかる。
ぷはっと息をついて、グラスをことりとテーブルに置いた。
「一体何があったんだ? 誰かから逃げてきたのか?」
「……私、幼馴染に浮気をされていたの!」
「それはかわいそうに」
「今月の末には結婚する予定だったのに。幼馴染は私のお友達と浮気をして、結婚は無しになってしまって……! 今日は幼馴染とデートのはずだったのに、断られて……私とのデートを断ったくせに、浮気相手と一緒にいたのよ。偶然、それを見てしまって」
「そりゃひでぇ話だ」
「お嬢さん、可愛いのになぁ」
「その男はクズだな」
「でも、じゃあどうして私をデートに誘ってくれたの? わからないわ……!」
「まぁ、それは、バレるまではそのままにしておこうと思ったんじゃないかな」
「お嬢さんと結婚して、浮気は陰で続けるつもりだったんじゃねぇか」
「信じられない……!」
「男なんてのはそんなものさ」
そう言って、私を囲む男性たちはゲラゲラ笑い出した。
「ほら、飲んで飲んで」
「少しぐらいなら酒もいいだろ?」
「……でも」
「浮気者の男なんざ忘れるといい。他にも男は山のようにいるんだからよ」
「そうだよ、お嬢さん。今日は俺たちが相手をしてあげるから、全て忘れるといい」
「そりゃあいいな。お嬢さんみたいな可愛い子と酒が飲めるなんて、今日は運がいい」
ふと、私は冷静になった。
感情のままに気持ちを言葉として吐き出したからかもしれない。
気づくと、肩に手が触れている。腰を引き寄せられている。
私の足に、男の手が置かれている。
「俺たちが慰めてやるよ、お嬢さん」
「大丈夫大丈夫。悪い幼馴染のことなんて、すぐに忘れられる」
「店主、二階が空いてるだろ? お嬢さんは酒に弱いみたいだ。気分が悪いらしいから、寝かせてやりたいんだが」
「私、帰りますので……!」
ろくでもない場所に駆け込んでしまったのだと、やっと気づいた。
酒場じゃなくて、神殿にでも駆け込んでいたらよかった。
そうしたら、神官様に私の話を聞いてもらえたかもしれないのに。
いつもの私なら、危険な場所になんて一人で行ったりしなかったのに。
今頃、馬車で待っていてくれた従者たちが私を探しているはずだ。
早く、ここから逃げなきゃ。
立ちあがろうとした私の腕や腰を、男たちが抱く。
もがくけれど、がしっと掴まれてしまって、逃げ出すことができない。
カウンターの奥にいる店主は、愉快そうににやにやしながら「二階なら空いてる」と言った。
私は助けを求めるように店主を見たけれど、その瞳は「世間知らずの貴族のお嬢さんは、一度痛い目を見たほうがいい」と、雄弁に語っていた。