孤児院の闇
ゼス様の案内で、私とメルアはエルフエディル孤児院に向かった。
広い王都の北の外れにある孤児院である。
城を中心として外壁を作りながら街は広がっていったので、街の中央ほど地価が高くお金のある方々が住む。
そして北よりも南の方が、土地が高価になる傾向にある。
孤児院とは、街外れにある場合が多い。
広い敷地と働く人が多く必要な場所だけれど、潤沢な資金があるわけではないからだ。
「北地区は、あまり治安がよくない。リーシャ、来たことは?」
「ないです。危険な場所には近づかないようにしています。お兄様に、ご迷惑をかけたくありませんから」
私はメルアと手を繋いで歩いている。
中央街から北地区まではかなりの距離がある。
メルアは、ずいぶん迷ったのだろう。
「あなたのご両親、どんな方だったの?」
「お父さんは、ウェールス商会で働いていたの。魔物研究者。お母さんは、そのお手伝いをしていたみたい」
「魔物研究者……?」
「ウェールス商会は運送業をしているだろう。運送業は、魔物討伐と切っても切り離せない関係にある。年間で魔物に襲われて積み荷が駄目になる件数は、野盗に襲われる件数よりも多い」
「だから、研究を?」
「おそらくは。魔物の特徴や弱点や生息地や、活動時期など。この辺りが把握できていれば、被害が少なくなる」
道を歩きながら、ゼス様が説明してくれる。
北地区は中央街とは雰囲気がまるで違う。
なんて言えばいいのか。色が少ないのだ。
中央街は華やかで、綺麗な服を着ている人が多かった。
けれど北地区は、石を積んで作った家の前に汚れた服を来た人が座り込んでいたり、寝転んでいたりする。
「ゼス様はお詳しいですね……って、当たり前ですね、ごめんなさい」
「いや。冒険者ギルドには、ウェールス商会からの依頼も入ってくる。だから、事情を知っているというだけだ」
「メルアのご両親のこと、ご存知ですか?」
「そこまでの関わりはなかった。魔物研究者も数が多い。だから、全てを知っているわけではない」
どことなく、申し訳なさそうにゼス様は言った。
細い、舗装されていない道を進んだ先に孤児院はあった。
白い石壁と、赤茶色の日に焼けた屋根。
広い荒れた庭までの敷地を、ぐるりと柵で覆ってある。
庭で遊んでいた子供たちが私たちに気づいて、「メルアだ!」と、騒ぎ始める。
シスターたちが駆け寄ってきて、私たちに深々と頭を下げた。
「朝から、メルアの姿が見えなくて、みんなで探していたんです。一体どこにいたの、メルア」
ふくよかなシスターがそう言って、頭を下げる。
確かにメルアの言う通り、お金がないのだろう。
子供たちもシスターたちも、着古したような質素な服を着ている。
でも──本当にそうだろうか。
メルアが逃げたいと思うほどの、よくない環境にしているのがこのシスターたちという可能性もある。
人を疑うのはいけないことだけれど、胸に疑惑が差し込んでしまう。
「まぁ! あなたはもしや、黒騎士ゼス様!? その仮面と、ローブは……!」
「あら……素敵だわ」
「ゼス様、お茶でも飲んでいかれませんか?」
ふくよかなシスターの後に、細い、どことなく妖艶なシスター二人が声をあげる。
その後ろにいるシスターたちは顔を見合わせて、どこか居心地が悪そうに視線を彷徨わせている。
「いいや、遠慮する。メルアは、街で迷っていたところを保護した。シスター、少し質問があるのだが、いいか」
ゼス様は色めきだつ女性たちに見向きもせずに、淡々と尋ねた。
「はい、なんでしょうか? 私、この孤児院の院長をしているハルマと申します」
ふくよかな女性が、院長なのね。
確かに皆よりは年齢が高く、貫禄がある。
「メルアは食事が十分に与えられずに、辛くて逃げ出したようだ。王都の孤児院は王家の管轄。王家から、神官家に委託されて行われているものだ。毎年の決済書は当然、城の文官府で目を通し、王が承認を行う」
「は、はぁ……」
「資金が足りなければ運営費は追加になる。子供たちに食料も、まともな着るものもないとは、ありえないことだと思うのだが」
「ま、まさか! そんなことを言ったのですか、メルアは! このこは、両親を亡くしたばかりでよく孤児院から抜け出すんです。恥ずかしい話、虚言癖があるのですよ」
「そんな……嘘よ。メルアは、しっかりと自分の意見を言える、いい子だわ」
私は流石に、腹を立てた。
いえ、もうずっと腹は立っていたのだけれど。
感情を隠すことができずに、思わずハルマさんに反論してしまう。
「メルアを育てているのは私たちです。メルアのことは私たちが一番よく知っています。それに、ゼス様。あなたはただの冒険者でしょう? 孤児院の運営についてなんて、知らないはずです。誰から聞いた話か知りませんが……」
「ゼス様がおっしゃることは全て本当よ。どの領地も、孤児院の運営は領主の管轄。税収から行われるものだわ。ハルマさんは、国王陛下は孤児院にまともに資金もくれない酷い王だと言っているようなものよ」
「どこの誰かか知りませんが、ずいぶん大きな口を聞きますね」
「私は、リーシャ・アールグレイス。アールグレイス伯爵家の娘よ」
私は挑むように、ハルマさんを睨みつけた。
この女性は、やっぱり嘘をついている気がする。
私の言葉に勇気を貰ったように、メルアや他の子供たちが口々に
「シスターたちはご飯をくれない!」
「悪いことをするとぶつんだ!」
「うるさいって、大人しくしてろっていつも言うんだよ!」
「偉い人がくる時だけ、いい服を来て、大人しくしていたらご飯をくれる……」
と言い出した。
「なんてこと……」
愕然としながらも、私はシスターたちを叱責しようとした。
子供たちにひどいことをしているのだとしたら、とても見過ごせない。
「おかえりください!」
「メルアのことはありがとうございました、子供たち、私たちに嫌がらせをするのはやめなさい!」
「お二人とも、どうもありがとうございました。けれど孤児院で働いているのは私たちです。貴族様などではなく」
ハルマさんの指示で、シスターたちが子供たちを孤児院の中へと連れていく。
メルアも私たちの方をチラチラ見ながらも、シスターたちに従って、孤児院の中へと消えていった。
ハルマさんの取り巻きだと思われる、妖艶な女性たちが私たちを追い出そうとする。
ゼス様は私の背に触れて、帰りを促した。
「ゼス様!」
「ここは、引こう。……大丈夫だ。実を言えば、王家に知り合いがいる。このことは伝えておく。あとは、任せよう」
「ですが!」
「アールグレイス家が、孤児院の子供たちを全て引き取ることはできないだろう? 君の兄がそれを許すだろうか」
「……お兄様には、迷惑をかけられません」
私は、無力だわ。
私が男で、お金持ちで。自分の思うように、物事を動かすことができたら。
でも──それって、私の独りよがりかもしれない。
ここには多くの子どもたちがいて。
多くのシスターも働いていて。
私の一方的な思いだけで動くというのは、違うかもしれない。
「リーシャ。アリの巣穴を土で埋めても、朝には再び巣穴に戻る。……だが、君のおかげで子どもたちの証言が得られた。大丈夫だ、このままにはならない」
「ゼス様……はい。信じて、待ちます」
私はそれだけしか、言うことができなかった。
本当はこのまま子どもたちを連れて逃げてしまいたかったけれど。
そんなことはできない。
それに、孤児院の中に子どもたちを連れて行くシスターたちの中には、悲しそうな顔をしている人もいた。
子供たちも、そのシスターたちには懐いているようだった。
そこには確かに信頼と、ささやかな幸せもあるはずだ。
私が、善意をふりかざして、それを一方的に奪うことがいいことだとは思えなかった。




