迷子のメルア
私はゼス様に「ゼス様、ごちそうさまでした! では、私はこれで!」と頭を下げて挨拶すると、泣きじゃくっている女の子の元へと駆け寄る。
通り過ぎる人たちは心配そうに視線を送っているけれど、どうしていいのかわからないのだろうか、誰も話しかけない。
それは多分、女の子の見た目が明らかにぼろぼろだからだろう。
くたびれた服に、ほつれた髪。痩せた体。
明らかに訳ありだとわかる見た目をしている。
「どうしたの? 迷子?」
女の子の前にしゃがみ込んで、私は尋ねた。
困っている人は、放っておけない。
それに昔、私も──あれはいつのことだったかしら。季節ごとにある王家主催のお祝いの舞踏会に、両親に連れて行ってもらった時、迷子になった経験がある。
お城で迷子になっている時に、親切な方に助けられたのよね。
どなたかかは忘れてしまったけれど、とても綺麗な女性だった気がする。お名前も、聞かなかったけれど。
だから、両親とはぐれて泣いてしまう気持ちがよくわかる。
迷子とは怖いものなのよね。
「うっ、うっ……ひっく……っ」
「大丈夫よ、私があなたのご両親を探してあげる。だから、何があったか教えてくれる?」
「うぅ……っ」
「迷子か?」
「うぁああああんっ」
私の隣にぬっと現れたゼス様の姿に、女の子はさらに泣き出してしまった。
「ゼス様、お帰りになられたのでは?」
「君がこの子を助けにいくのを見ていて、放ってはおけない」
「で、でも、ゼス様はお忙しいと思いますし、私一人で大丈夫です」
「特に予定もない。忙しくはない。だが、怖がらせてしまったな、すまない」
ゼス様は口元を手で押さえると、うつむいた。
多分落ち込んでいるのね。
「大丈夫よ、この方は黒騎士ゼス様。仮面を被ったヒーローなんです」
「ひーろー?」
「皆を助ける職業の方のこと。だから、安心をして」
「うん……」
私はハンカチを取り出して、女の子の涙に濡れた顔を拭いた。
ハンカチを女の子に持たせると「それは、あげるわね」と伝えた。
「もらえない……」
「いいのよ。ハンカチは我が家にたくさんあるのだから」
「で、でも、こんなに、綺麗なの、だめ」
「気にしないの。私のお兄様はよく言うわよ。貰えるものはなんでも貰えって。ありがとうって貰った方が相手は喜ぶし、貰った自分も嬉しい。だから、素直に貰った方がお得なんだって」
「よくわからない。……でも、ありがとう」
女の子はやっと少し泣き止んだ。
私が女の子を落ち着かせて、噴水のそばにあるベンチに座らせていると、ゼス様が露店でジェラートを買ってきてくれた。
三角形のコーンに、切り立った山みたいに葡萄とバニラのジェラートがこんもり盛られている。
「怖がらせてしまった詫びだ。食べられるか?」
「いいの?」
「あぁ」
「ありがとうございます」
女の子はゼス様からジェラートを受け取ると、恐る恐ると言った感じで、ペロリと舐める。
ジェラートにはスライスアーモンドとマカロンで作ったうさぎちゃんがのっている。
それに気づいたのか、女の子は嬉しそうににっこり笑った。
それから、パクリと食べ始める。
「美味しい……!」
「そう、よかった」
「あぁ。よかった」
私とゼス様は女の子がジェラートを食べ終わるまで、女の子を挟んでベンチに座って待った。
ゼス様に「君も食べるか?」と聞かれたけれど、先ほどパンケーキを食べたばかりなので流石に遠慮をした。
「ありがとうございます、おいしかったです」
「よかった。それで……何があったの? お母さんたちとはぐれてしまったの?」
「お母さんは、いないの」
「じゃあ、お父さん?」
「お父さんもいないの」
両親は、いない。
だとしたら──。
「あなたは……」
「お母さんとお父さん、馬車に轢かれて死んじゃった」
「……そうなのね」
女の子はこくんと頷いた。
「あなたの名前は?」
「わたしは、メルア」
「どうして泣いていたの?」
「……孤児院から、逃げて、家に帰ろうとしたの。でも、家の場所、わからなくて。孤児院、どこにあったかもわからなくて」
「つまり、迷子ね」
「うん」
メルアは、膝の上で私のあげたハンカチを握りしめている。
私のハンカチには、穴掘りフクロウの刺繍をしてある。
「動物がいる。これは、キングヒュドラ?」
「それは、穴掘りフクロウよ」
キングヒュドラって何。
私が訂正すると、メルアの横でゼス様が「ぶはっ」と吹き出して、それから口を押さえて咳払いをした。
「あなほりフクロウ?」
「そう。フクロウだけど、走るの」
「走るの?」
「結構早く走るのよ」
「そうなんだ……」
「メルア。それで、どうして孤児院から逃げてきたの?」
逃げるには、理由があるだろう。
メルアの姿は、孤児院でとても大切に扱われているとは思えないものだった。
「孤児院、お金がないのだって。……それで、ご飯もあまり、食べられなくて。お父さんとお母さんはいないけれど、家にはおじさんとおばさんがいるから、家に置いてもらえるかなって思って」
私はゼス様にそっと目配せした。
ゼス様は軽く頷く。
親戚がいるのに引き取られなかったということは、メルアの親戚にはメルアの面倒を見る気がないということだ。
そんな家に帰っても、傷つくだけだろう。
けれど、お金がない孤児院というのは──。
「……君の孤児院は、王都にあるエルフエディル孤児院か?」
「うん。ヒーローは、なんでも知っているのね」
「そうか……」
エルフエディルとは、神の祝福という意味。
そんな立派な名前がついているのに、子供たちに食事も与えないなんて。
メルアの手前、怒ることはできなかったけれど、私は内心でかなり立腹していた。
孤児院を運営するのは国である。
アールグレイス伯爵領にも孤児院があって、お父様は運営費を税収から払うように指示しているし、伯爵家のお金を寄付するので、孤児院で子供に食べさせる食事もない、ようなことは起こっていない。
だからもちろん、お金のない街の孤児院は、それだけ粗末になる。
けれど王都は国王陛下のお膝元。
お金がないなんてことは、ないだろうけれど。
「……孤児院まで、送ろう」
「でも、ゼス様」
「今は……それ以外にできることはない。今は、まだ」
ゼス様の言葉に、私は頷くしかなかった。
確かにその通りだ。可哀想だからと、私がメルアを引き取ることもできないのだから。




