バブルの頃
そして今、別の狭い部屋にいる。
雑誌『投資ジェネシス』の記者の岩田さんは、他の登壇者のプロフィールを紹介してくれているが、自分自身にがっかりしている身にはそんな話は少しも入ってこない。話題を変えてくれるまで聞き流そうかと思っていたら、岩田さんは「ちょっと電話してきます」と席を外してしまった。
口にしたコーヒーは冷めている。腕を組んで何も考えずに待つことにした。
「すいません、急な電話が入って、」
30秒も経たずに戻ってきた岩田さんは表情も変えずいつものよそよそしさでドアを開け、少しだけ頭を下げて歩いてくる。紺無地のスーツに細かい模様の入った茶系の地味なネクタイ。白無地ながら、ステッチとボタンがブルーのワイシャツ。腕にはスポーツウォッチ。両側にステッチのはいったデザインの革靴。自分の頭の中で印象付けられている服装のままの岩田さんがそのままの姿で目の前にいる。靴のことは気になってネットで調べたことがある、スワールトーと呼ぶらしい、電車の中で履いている人を見かけるが、銀行ではみたことがなかった。
「いえ、…もうこのあとは予定もないし気にしないでください」
「億トレーダーのしばじゅんさんってご存知ですか?」岩田さんが唐突に言う。
「しばじゅん? 名前だけは…、億トレーダーなんですか?」
「かなり有名な方ですよ、うちの雑誌でも何度か取り上げました。読んでないですね?」
「すいません」僕は正直に答える。
「大丈夫です、そういうの慣れてます。今日の4時からのセミナーは満員御礼ですよ」
「すごいなあ」
「しばじゅんさんから頼まれました、内野さんを引き留めておいてくださいって。突然現れて驚かすつもりだったようです…」
「僕を驚かすんですか? 初対面なのに?」
「あの人の自己アピールですよ、…でも今連絡がありました、15分か20分くらい遅れます、申し訳ありません、だそうです」
「かまいませんけど…」先ほどまでのどうでもいい話は時間稼ぎだったか、と納得がいく。「でも、ぼくになんの用だろう?」
「何でしょう…」岩田さんは理由を探す気など少しもないように相槌を打つ。「きっと元外資系銀行ディーラーのお話を直接伺いたいのでしょう」
「ふうん、…しばじゅんさんってすごいんですか?」
「カリスマトレーダーと呼ばれている一人ですね、ツイッターのフォロワー数5万人超えてます」
「5万人も!」思わずのけぞってしまった。
「ええ、その5万人のうち1パーセントは『FXパーフェクト・トレード』、略してFPTっていう商材の購入者って噂です」
「ちょっと待って、その1パーセントって数字は…すごいの?」
「FPTいくらするか知ってます?」
「3万とか5万とか?」
「30万円です」
「え!」またのけぞった。「じゃあ、その30万の商材を500人に売ったってこと?」
「ええ、FPTの売り上げだけで1億5000万」ぼくの驚きを無視するかのように岩田さんは淡々と答える。
「嘘でしょう! 30万もするものがそんなに売れるんですか?」
「手数料3パーセントの投資信託を1千万買えば30万持っていかれます、FPTならその金額で一生困らないスキルが手に入る、それがセールストークです」
「へえ…、でも、それを買ったら勝てるようになるわけ? 相場に必勝法なんてないですよ」
「そう思います?」
「だって、そうでしょう? そりゃあ中にはうまい人はいますよ、ぼくだって何人か見てきたし、…でもね、教わってできるものじゃない、センスって言えばいいのかなあ…」
「その辺りの秘密、直接聞いてみてくださいよ」
「それより、どうやったらそんなに商売上手になれるのか訊いてみたいなあ…、それこそセンスか才能か…」
「私も雑誌で取り上げて協力したつもりですけどね…」
「しばじゅんさんっていくつなの? 金融関係にいたわけじゃないでしょう?」
「今年で40、私と同じ年です。…経歴は私よりもっと酷いですよ、卒業した時に就職がなくて群馬か栃木の自動車工場で期間工をしばらくやっていたそうです」
「そうなんだ…」
「そうそう、内野さんの大学の後輩みたいですよ、公表はしてませんけど」
「親しいんですか?」
「いいえ、それほどでも…、人付き合いに親しさを求める人ではないでしょうね」岩田さんは突然目をそらし、何かを探るようにぼくの後ろを見てから、テーブルの上に置いたPCの入ったぼくのバッグに目を留めた。
「内野さん、出張の荷物それだけですか?」
「いえ、ホテルに置いてきました」
「どちらです、場所?」
「淀屋橋、新大阪からも地下鉄で一本だし」
「じゃあ、日銀のそばですね」
「ああ、確かに」
「日銀の為替介入ってどんな感じですか? 内野さんにその話してもらってないですね、ご経験ありますよね?」
「それは…、一応言えないです、守秘義務があるので、…日銀の介入行に指定されても公言できないし、銀行内でも一部の関係者しか知らないし…」
「介入の経験がなければその情報知りませんよね?」内野さんが表情を崩した。「守秘義務がって言った時点でばれちゃうじゃないですか?」
「まあ、確かに」
「元外銀ディーラーが語る日銀の為替介入の現場…、なんて文章は書けないわけですか、せっかくいいネタがあるのに使えないですね…、そういえば日銀大阪支店は桜の名所です」
「らしいですね」
「見たことありますか?」
「ないですよ、ぼくが大阪に来るのは毎年このイベントと、あとはせいぜいセミナーが年に1回か2回、桜の季節に当たったことはないなあ」
「まああれですね…」岩田さんが再び目をそらす。
「どうしました?」
「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず、なんて言いますけど、このまま地球温暖化が続いたらこれから先も毎年同じ花が咲くんでしょうか? 桜だって寒い時期がないと綺麗に咲かないって言いますよね?…」それを聞いたぼくはたぶんキョトンとしていたのだろう、岩田さんは少しバツが悪そうに言葉を継いだ。「どうでもいい話でした」
「いや、そうじゃなくて…」
「ああ、11月の半ばに桜はおかしいですね、紅葉の話をするべきでした。今日は11月16日…、105年前の今日アメリカの連邦準備銀行が営業を始めた日です。」
「なぜご存知なんですか?」
「今朝ウィキペディアで調べました、…前にいた会社でマーケット・コメントを書いていて、今日は何の日かを毎朝調べて載せいてました、…その習慣が今でも抜けないようです」
「なるほど、それを続けたら博識にもなりますよね、それに岩田さんが饒舌な人だとわかりました」
「もっとバカだと思ってました?」
「いやだなあ、まさか、…ただ、いつもはぼくの方が一方的に喋ってるのに今日は違いますね、実は話し好きなんですね?」
「聞くのが仕事ですから、今日はインタビューアーとして失格です、…たまの出張でバカが浮かれてると思って許してください」
「浮かれてるのはぼくも一緒ですよ」
「私、大阪好きなんですよ、心斎橋のあたりはいいですよね、ブランドの店が並んでますけど、ウィンドショッピングのための通りだと割り切って堂々と歩ける、銀座はここで買い物することが人間として価値がある、みたいな顔をした人が多くてときどき嫌になりますよ」
先程心斎橋を歩いたと言おうとしたら、内野さんは話すべきではなかったとばかりに唐突に話題を変えた。「内野さんってお子さんいらっしゃるんですか?」
「うん、娘が一人、今中学3年生」ぼくは余計なことを言わずにつきあう。
「じゃあ年が明けたら受験ですね? 今大変な時期じゃないですか?」
「いや、ウチは一貫校だから受験は大変じゃないけど、大学卒業まであと7年、その時僕は60だよ、いやだなあ」
「定年の年ですか?」
「こんなフリーランスに定年なんて関係ないでしょう? いつまでできるかなあ、この仕事? …もうホントに奥さんさまさまですよ」
「奥様何をされてるんですか?」
「薬剤師、バイトですけどね、でもおかげで安定収入があるし子供が大学卒業するまでは働ける、奥さんの安定収入のおかげで僕も今の仕事を続けれていますよ」
「そんな、…銀行時代にだいぶ稼がれたから悠々自適じゃないですか?」
「そうだったら今ここにはいないでしょう」
「内野さんって、バブル世代ですよね?」
「ど真ん中です、就職した年の大納会で日経平均は38900円の史上最高値をつけました」
「ああ、そうかあ、…最初から外資系でしたよね? 外資系の就職もバブルでしたか?」
「別の意味でバブルかなあ…、今はすごく優秀な人じゃないと新卒で外資系金融には入れないでしょう? 当然ぼくの出た大学なんて及びじゃない、でも、あの頃は女子はともかく男で最初から外資系なんてわけのわからないところに行こうなんて人間はまずいなかった」
「そうなんですか?」
「そうですよ。ぼくはガキの頃父親の仕事でアメリカに1年住んだことがあって、一応英語喋れます、みたいなこと言ったら簡単に入れてもらえましたよ」
「何を仰るんですか?」
「時代ですよ、…帰国子女も少なかったし、就職のために留学する人間も珍しかった。4年間大学で遊んで卒業したら自動的にサラリーマンになる、それが当たり前だと信じてました、海外で働きたかったら日本の会社に就職して駐在員になるのが一番楽ができるって…、しかも外資系は内定出すのが早かったから、本当に就職活動した覚えがないですよ」
「他の人たちが就活一生懸命していた頃にもう終わってたと?」
「そもそも就活なんて言葉もないし、…就職活動です、まあ、みんな一生懸命になる必要がなかった、友人たちは内定貰ったら他社の面接に行かないように昼間毎日拘束されてボーリングしたり、旅行に連れていかれたり…、外資系はそれがなかったから羨ましかったなあ、日系も受けようかとも思ったけどもう面倒くさくなっちゃってね」
「あの伝説の拘束旅行ですか、羨ましいですよ、私の頃は完全に就職氷河期です、商品先物会社くらいしか採ってくれる会社がない、…そして今に至ります」
「これを言ったら失礼かもしれないけど、…ぼくの頃なら岩田さんが先物会社に就職することなんてなかったでしょうね」
「お世辞でも嬉しいです…」
「そんな…」
「ホントに先物会社だけは採用がありましたから」
「ぼくの頃は証券会社でしたね、言われてましたよ、就職先が見つからなければ証券会社に行けばいい、大学4年の今頃の時期でも入れてくれって頼めば入れてもらえる、って」
「天国です」
「そうでもないですよ、四大証券の山一が数年後には倒産しましたから、でも、山一はまだ良かった、最初に潰れたからみんなそれなりに行くところがあった、本当に大変だったのはその後です、銀行や証券会社がバタバタ潰れた、あとになるほど経済が収縮して受け皿がなくなる」
「それが私たちの就職氷河期につながった」
「そういうことです、先物会社はいかがでした?」
「お客さんはみんな負けちゃうんですよ、それも数千万とか、でもそれだけなんです、あったお金が無くなってそれだけ、最初は心が痛みましたけど慣れましたよ、しょせんは他人のお金で自分には関係ないですし、相場に突っ込むお金なんてもとがあぶく銭ですからなくなるのが当たり前じゃないですか、…内野さんは外資系でしたから日本が悪い時期も安泰だったのではないですか?」
「外資系に安泰なんて言葉はないです、ぼくが新卒で入った銀行は今はもう合併して名前も残ってないけど…、最初一年くらいバックオフィスで事務をやりました、それからディーリングルームに異動して、インターバンクの一番下っ端からやっと一人前になったと思った頃に東京支店を閉めるって話が持ち上がり、当時のヘッドが怒って、…チームごと移籍するからお前も来いって言われて、わけもわからないまま別の外銀に移りました。27の時です、そこは5年かなあ? そこはそこで、いる間にどんどん人が少なくなって、ここも怪しいと思って転職先を探しめました、ちょうど次が決まるタイミングで自分はクビ…ラッキーでしたよ。パッケージ貰って長い休みはあって、次の仕事が決まっていて、あの時ばかりは自分は持っていると思いました」
「パッケージ?」
「いわゆる割増退職金です」
「なるほど」
「その転職先がXXX銀行、12年いましたし、自分が働いた中では日本で一番プレゼンスの高い銀行、だから元XXX銀行チーフディーラーを名乗って仕事してます、でもねえ、元のつく肩書をずっと名乗り続けるのも正直抵抗があるというか、恥ずかしいというか…」
「専業トレーダー名乗りますか? やめた方がいいと思います、専業トレーダーはアイドルと同じで自称できますけど元外資系銀行チーフディーラーは自称ができません、希少価値が違います」
「その希少価値で高く売れるわけでもないし…、食べ物だったら希少価値があれば値段は上がる…、でも希少価値のあるものがウマいとは限らないかあ…」
「相場も一緒ですか?」
「いやあ…、正直言うと、ぼくが銀行を辞めたとき、マーケットがこんなに動かなくなる日が来るなんて想像もしなかった、ディーラーを殺すのに刃物はいりません、相場が動かなればそれでおしまい。2014年にまったく動かない相場が続いたことありました、それまで普通に一日100ポイントくらい動いていたユーロでさえ値幅が30ポイントくらいしかない。世界中がお休みみたいなイースターの時でさえ30ポイントくらいは動きました、突然毎日が定休日になってしまったようなものです、…あの時はホントに生きた心地がしなかったなあ、初めてでしたからね、…本気で世界の終わりかと思いましたよ、…でも結局はその後の強烈な動きの前触れだった。ドル円は100円に乗せたらほぼ一直線に126円まで上昇。何も考えず買いから入れば儲かりました。126円台で調整に入った時はスリープッシュで天井付けたと思ったら、それも正解。あそこからはひたすらドル円は売りで入った。後はもう自然と下がる、2016年のブレグジットのあたりがクライマックス的な動きになって、下はもうないかなあと思っていたら11月の大統領選でトランプが当選したその日に105円台から101円台の行って来いを一日でこなした。あれで完全に下値が確認されて、あとは上がるしかないのは見え見えでしたよ。そこからはずっと買い。ただ上昇のペースが速すぎて、案外早いうちに天井付けるとは思ってました。そうしたら年末年始をはさんで118円のダブルトップ。あれで上げ相場が終わって、あとはひたすら売りから入ればいい。そこまではよかったです、本当にわかりやすい相場でしっかり儲かりました。でも問題はその後ですよ、2017年からどんどん相場が動かなくなる、下がらなければいけないドル円が全然下がらない、…そしてついには2014年のあの恐ろしい時代より動かなくなりました。このままいくと2019年のドル円の変動幅は史上最低になります、それも為替だけじゃない。株も債券もあらゆる金融商品の価格が動かない。インプライド・ボラも…、岩田さん、インプライド・ボラティリティってわかります?」
「インプライド…?」
「ボラティリティはわかりますよね?」
「それくらいは、市場の変動率」
「失礼しました、その通りです、…ボラティリティには、…長いからボラと呼ぶけど、二種類あって、一つはヒストリカル・ボラティリティで、実際の市場の変動率。これが現在2014年を下回って史上最低。現在の相場は1971年に変動相場制になってから最も動かない相場です。そしてもう一つはオプション価格から算出されるボラティリティ。オプションというのは相場が動くときの保険のようなものだから、相場の動きが激しいほどオプションの価格が高くなる。だから反対にオプションの価格を見れば市場が織り込んでいるボラの水準がわかる、これがインプライド・ボラティリティ。このインプライド・ボラが現在ヒストリカル・ボラを下回っている、前代未聞ですよ」
「そうなんですか?」
「だって、ただでさえ史上最も動かない相場ですよ、それなのに、オプションの価格は今よりももっと動かない相場を織り込んでいる、つまり史上最低がさらに更新され続けることを期待している、だからボラはどんどん下がり、オプションの価格がメチャクチャや安くなる、ここは目をつぶってオプションを買っておくべきと思うんだけど…、まあ、そういい始めてからまだボラが下がる…」
「個人投資家はあまりオプションやらないじゃないですか、やってもバイナリー・オプションでしょう?」
「だからぼくのセミナーにはあまり人が集まらない…」
「正直申し上げて内容が難しいと思います」
「そうかなあ、… ぼくだってオプションの方程式は理解できないけど簡単な理屈さえわかれば十分です、それでもとっつきにくいですかね…」
「銀行にいらしたときもオプションのコメントを書いてたんですか?」
「コメントなんて何も…、ぼくはディーラーでしたから相場を張ってお金を儲けるのが仕事。コメントを書くのは、自分ではポジションを持たないセールスやリサーチの人間の仕事です」
「じゃあどうして?」
「銀行を辞めて仕事探していた時に今の社長を紹介してもらって、文章書けるかと訊かれて、ハッタリで、はい、と答えたら仕事を回してもらえました。そして今に至ります。だから今回のセミナーとか、いろいろな会社に載せているマーケット・コメントとかは全部そこ経由。もちろんだいぶピンハネされますけど、営業しなくていいので、…ぼくは基本ディーラー以外の仕事したことがないです、為替のセールスでも経験しておけば違ったかもしれないけど、銀行にいる間にセールスをやっておけばつぶしがきくなんて誰も教えてくれませんでした」
「でもディーラーという仕事がお好きだったと伺いました」
「それはもう、他にできることもなかったし」
「幸せじゃないですか、お好きなことを仕事にして?」
「ちょっと違う気がしますね…、先ほど話したようにぼくは就職するときに何も考えなかった、さらに遡れば大学を決める時さえ何も考えなかった、ぼくたちの時代の大学生は勉強しなかった、いや、ちゃんと勉強した学生もいたけど、一割もいなかったんじゃない? だって勉強する必要がなかったんです、研究したいことがあったわけでもない、起業なんて言葉も知らない、大学の卒業資格さえあれば就職できた。受験戦争に疲れて、就職するまでの4年間サークル活動で遊ぶだけ、なんて言われたけど、そんな名前の戦争なんて存在しなかった、疲れたから勉強しなかったわけではなく、そもそも大学が勉強するところなんて誰も教えてくれなかった、勉強の面白さを知ることもなかった」
「就職に限れば、内野さんの時代は天国です、そしてぼくの時代は地獄、今の時代も天国ではないでしょう、内野さんの時代は調べる方法がなかったから調べなくてよかった、今の時代はツールが存在します。簡単に調べられる時代だから、調べていませんという言い訳は通用しない。企業側はツールを使って学生に様々な要求ができる。要求する側もされる側もお互いの負担がただただ増えていく、一方で、世の中の変化のスピードはどんどん速くなる。内野さんが社会に出たころは、日本がバブルだったこともあるけど、就職した会社が10年後になくなるなんて想像をする人はいなかったのではないですか? 今は10年後に自分の会社が存在していると自信を持って言える人がどれだけいるでしょう? 情報の量だけは恐ろしく増えているのに、10年後どうなっているのか見通すのは30年前よりも遥かに難しい、内野さんの時代はいい時代でしたよ、ただいつの時代にもいいことと悪いこと両方が必ずあります、少なくとも自分の生きた時代を良かったと思えたら幸せじゃないですか? 私はあまりそうは思えない…」
「人生は何があっても楽しいとぼくは思います、こうして話してる時間だって楽しいじゃないですか」
「バブル世代の方はポジティブですよね」内野さんは少しだけ笑った。呆れているようにも見える。
「それを言うなら若い世代の方がもっとポジティブじゃないですか、能力があればいくらでも稼げるし」
「二極化が激しくなる一方じゃないですか? 能力がなければ地獄ですよ、這い上がれるチャンスなんてないですから、…よく言いますよね、平均年収が1000万円の世界で自分の年収が800万であるより、平均年収が400万の世界で自分の年収も400万円の方が幸せでいられるって、日本は出る杭は打たれる社会だと言いますけど、私はそれでいいと思います」
「そうですか…」岩田さんの話はどこかおかしな方向へ向かっている気がする。ぼくは話題を変えることにした。「でも、まあこんな昔話をしたのは久々です、今日の岩田さんは良く喋るなんて思っていたら、結局自分が普段話さない話をしてしまった。なんか、うまく乗せられちゃったなあ、岩田さん、インタビューアーとして優秀だと思います。もうしばじゅんさんに話すことがなくなってしまった…」
「だったら、向こうの話を聞いてあげてください」岩田さんはスポーツウォッチに目をやった。「もう25分経ちますね。いい加減いらっしゃるかな…、ちょっと見てきましょう。私、別件がありますので、そのまま失礼しちゃいます、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ、すごく楽しかったです、またぜひよろしくお願いします」
「ありがとうございました」
岩田さんは立ち上がり、ドアの前で一礼をして出ていった。靴の踵は左右ともほとんどなくなるくらいまで擦り減っていた。