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ウワサのモリヤ  作者: コトサワ
7/48

小川くん側

うわさのモリヤ5 までは、水本側…水本視点でしたが、今回は初の小川くん側です。水本には分からないモリヤ心情も、小川くん側からなら分かる。

やっと水本がOKを出したので、モリヤと話をすることになった。


去年の夏ごろ、水本がモリヤに興味を持った。水本はとても正直で あからさまな男なので、俺にも湧井にも すぐに分かった。

俺はモリヤとは中学から一緒だが、そう仲が良かったわけでもない。というか、モリヤには仲のいいやつなんて いなかったように思う。ほとんど誰とも口をきかない。ただ、中学の時からずっと、やたらといろんなウワサのあるやつだった。

水本は、自分の好意はホレタハレタではないと言い張っていたが、なにせあからさまな男だ。告白しないまでも、モリヤにやたら近づくものだから すぐに水本がモリヤにホレているとウワサになった。

俺と湧井は水本のことが好きなんで、応援することにした。そしてだんだん二人は仲良くなって それは良かったんだが、水本がモリヤの家に それも雨の日によばれるようになってから、雲行きが怪しくなってきた。水本が自分の意志と関係なく、モリヤの家で眠ってしまうというのだ。3度目には眠るでもなく 倒れたっていうんだから穏やかでない。

当然、俺と湧井は モリヤが何かしたと考えたが、水本は全否定。人がいいにもホドがある。…というか あれかな。恋は盲目。

水本は大雨が降るとモリヤの家に行く約束をしているという。雨なんて年に一体何度降ると思ってるんだ。しかも今は梅雨。目的や理由も分からず眠らされてしまうと分かっていて、モリヤの家に行かせるわけにはいかない。とにかく理由を知らなければ。

昼休みに俺はモリヤに約束をとりつけた。話があるから放課後つきあえ、と。モリヤはチラッと俺を見た。これが色っぽい。思わず、ちょっと引いてしまった。なんなんだ。女でもないのにこの色気。それも、つい最近までそんなことはなかったのに。

「話って水本のこと?」

色っぽく聞いてくるから

「そうだ。」

と答えた。モリヤは一言「分かった」とだけ言った。


そして放課後、帰り支度をしてモリヤの席に近付いた。モリヤも立ち上がった。

「人目のない所で話したいんだが。」

俺が言うと

「じゃあ」

と言ってモリヤは先にたった。教室内がざわっとするのが分かった。モリヤはウワサの人だ。たださえウワサの人なのが、今は史上最高と言っていい。ここ最近の強烈な色っぽさと 水本との色話で。モリヤが俺と、つまり水本以外の男と口をきいている。それだけで、明日のウワサの一面トップ記事だ。

どこへ連れて行くのかと思ったら 校舎の裏、焼却炉の近くに小さな藤棚がある。そこのベンチだった。なるほど 穴場だ。掃除時間以外は誰も焼却炉には近付かないし、こんな隅の藤棚なんかに誰も目もくれない。一番近くにいる人間は、中庭で個人練習中の吹奏楽部員だ。笛の音(クラリネットか?)が聞こえるだけ。姿は校舎の陰で見えない。

モリヤは

「ここで。いい?」

と言ってベンチに座った。俺も頷いて隣に腰かける。

藤棚のフジの花は 満開だった。知らなかった。今日来なければ もしかしたら俺は、ここの藤棚のフジが花をつけることすら知らずに 卒業していたかもしれない。

ほんの小さな藤棚だけど、それでも満開になっていると なかなかにゴージャスだ。重そうに花房が下がっている。思わず見上げて見とれていると、モリヤが

「へぇ…」

と言うのが聞こえた。

「何?」

と言ってモリヤを見る。薄く笑って俺を見ているモリヤは もう色気のかたまり。

色香に迷ったりしない、と俺は湧井に断言したが もしこの状態のモリヤにせまられたら 迷ってしまうかも。まあ、せまられたりはしないけど。だってモリヤは水本に惚れているのだ。

「小川は 花に見とれるんだ?」

とモリヤが言う。色気がしたたるよう。

「意外か?」

「…花や木に全く興味のないやつも多いから。特に男は。」

「そうか? 水本なんか、好きそうだぞ。」

「───水本は、変わってるから。」

「変わってるか?」

「変わってるよ、とても。」

「どこが?」

モリヤはチラリと俺を見た。これは流し目というやつか?

「ぼくに興味を持った点。」

「…モリヤはウワサの人だよ。」

「ん?」

いちいち色っぽいな。これ、水本、平気なのか? あんなに大好きなモリヤがこの状態で、家で二人きりになったりしてるんだろ? 平常心でいられるのか?

「ウワサの人ってことは、みんなが興味を持ってるってことだよ。」

と俺。

「みんなの興味は おもしろがってる興味だよ。」

にっこりしてモリヤは俺を見た。

迷わない迷わない。俺は色香に迷わない。

「水本の興味は好意だ。」

とモリヤは言い切った。少し驚いた。

「それを隠しもせずに近付いてくる。それで妙なウワサが立っても、むしろ嬉しいなんて言って笑ってる。変わってるよね。」

「…まあ、な。」

確かにそういう意味で言えば、変わっていると言えるのかも。…モリヤの匂いが大好きなんて、変わってるわな。

「水本はモリヤの匂いが大好きなんだと。」

「知ってる」

モリヤはにっこりしてる。とても色っぽく。とても嬉しそうに。

「でも今日は水本に会わずにすんで良かった。」

「どうして。水本は会いに行こうとしてたぞ。」

止めたのは俺らだけど。

「今日は、残念ながら水本の好きな匂いがしない。」

「どうして? ‥‥だいたい、その匂いの元はなんだ? というか、水本が言うほどの匂いを俺は感じないけど…。それは近寄ってないからなのか?」

モリヤは 俺を見てにっこり。答えは?

ザッと風がふいた。藤の花が揺れる。花の匂いが微かにただよう。これはいい匂いと、俺にも分かる。

「で、水本の話って何」

いきなりモリヤが本題に入った。

本当はいろいろと聞きたいことがあるんだ。どうして雨の日に水本を呼びつけるのか とか、なんで急にそんなに色っぽくなったのか とか。でも、今日はとりあえず これだ。

「単刀直入に聞くが、水本がモリヤの家で寝てしまうのはなぜだ。」

ふ、とモリヤが笑った。色香が…。すさまじい。

「モリヤには 理由が分かっているのか?」

努めて冷静に俺は聞く。

「なぜだろう」

まるで歌うようにモリヤが言った。

「分からないというのか。」

「ぼくはね、」

モリヤが正面から俺を見た。

「これまで全く人付き合いをしなかったので、正直よく分からないんだ。」

「どうして寝てしまうのかが? 人付き合いと関係あるのか?」

「うん。つまり 誰でもそうなのか それとも水本だからなのか。」

「‥‥思い当たることはあるんだな?」

「うーん…どうかなあ」

「どうなんだよ。」

「‥‥‥ぼくが水本に、何かしたと思ってる?」

「…えーと…」

盛っただろと、言わない約束だったよな。モリヤはクスリと笑った。

「何をしたと思ってるの?」

何を…。だから盛っただろとは言えないんだよ。

「何をすれば眠ってしまうというの?」

「え」

「ぼくに何ができる?」

たたみかけてくる。色気付きで。

「水本は何て言ってた?」

「え?」

「モリヤに何かされて眠ってしまったと、そう言った?」

「言ってない。」

ここはキッパリ否定しなければ。

「水本は自分が勝手に寝てしまったと思ってるよ。倒れたのは貧血だと。モリヤに何かされたなんて全く考えていない。───分かってるんだろ?」

「うん。水本は自分の失態みたいに何度も謝ってた。」

「───でも、何もないのに 突然眠ってしまったり倒れたりするのは 俺はおかしいと思っている。モリヤはそう思わないのか?」

「そうだね。」

うろたえないな。本当に何もしてないんだろうか。やましいことは何もないんだろうか。───盛っていないのか?

「例えば ぼくが何かしたんなら、水本が気付くはずじゃないの?」

モリヤは藤棚を見上げながら言った。

「それは…水本はモリヤにベタ惚れだから。」

ふうっと モリヤがため息をついた。俺はそろそろ帰りたいと思ってしまった。色気って怖い。かわいらしいとか、キレイとかなら、「あ、かわいい」とか、「ほんとにキレイ」と思うだけで笑って流せるのに。色気はどうも、グイと心をつかまれそうなキケンな感じがしてしまう。

「だとしても 気付くんじゃない? ───小川は、具体的に言うと ぼくが水本にクロロホルムを嗅がせたとか、睡眠薬を飲ませたとか、思ってるわけだろ。」

「う」

盛った と思ってることを指摘されてしまった。でもこっちから言ったわけじゃないからな。許せ水本。俺が、

「違うのか?」

と言うと、モリヤはハハハと笑った。

笑うんだ。声を出して笑うことがあるんだ? 初めて見た。けど、ハハハと笑っていてさえ 明るさより色気。かんべんしてくれ。

「本気で聞いてる? だからそんなことしたら気付くよ。いくら水本でも、クロロホルム嗅がされて気付かないわけがない。そうだろう?」

「‥‥それは 確かに…。」

恋は盲目にも限度ってもんはある。水本もバカではない。

「でも じゃあなんで‥‥」

「小川も、水本がだいぶん好きだね。」

俺はハッとしてモリヤを見た。ああ好きだ。本人にもハッキリ言ってある。でも モリヤに言われると、何やらあやしい感じがする。あやしさ皆無の好意なのに。俺は思わず黙ってしまった。するとモリヤが言った。

「ぼくは湧井サンが来ると思ったんだけど。なるほどね。」

何がなるほどなんだ? 湧井が来る?

「どういう意味だ?」

「湧井サンは水本が好きだろう。」

好きだけど! だから好きだけど‼ なんだこれ。いつも言ってることだ。湧井と水本と俺は 好き同志。仲良しなのだ。とてもいい関係。あやしい方向にもっていかないでくれ。

「惚れてるわけではない。」

俺は静かに言った。冷静に、冷静に。

「ふう~ん。」

信じてないのか? 嫌な感じ。超色っぽくて すげえ嫌な感じ。

「ぼくには分からないな。」

「何が?」

「惚れてなくて好きって何?」

「…友情だろ」

自分で言ってて ちょっと気恥ずかしくなってしまった。友情だって。この俺の口から出る言葉か。モリヤが俺をじっと見て もう一度

「ふう~~ん。」

と言った。そして 微笑んだ。俺はカッとなってしまった。顔も赤くなったと思う。頭にも顔にも血がのぼる。

「悪いね。」

と悪そうでもなくモリヤが言った。

「ぼくには よく分からない。」

「だから何が分からない」

「ぼくは 全く他人に興味がなかった。」

「‥‥‥」

言い切るんだな。──学校内の伝達事項でなく、モリヤと私的にこんなに長く口をきくのは初めてだ。ふうん…は、こっちだ。こんなやつだったんだ。初めて知った。

「初めて興味を持った人間が水本だ。」

初めてか。なかなかなことを聞いたぞ。高校生にもなって、人に興味を持つのが初めて? いや つまりそれは、

「それは、初恋ということなのか?」

そういうことなら 考えられる。恋という定義も曖昧だし、人にもよるし、幼児のスキを恋というやつもいれば、キスもしないスキは恋から除外というやつもいるだろう。高校デビューもおかしくはない。でもモリヤは首を横に振った。ゆっくりと。

「恋とかどうとかいうより、他人と関わりたいと思ったこと自体が初めてということ。まあ大きく言えば、つまりは初恋と言えなくもないけど。」

衝撃。そんなやつがいるのか? 高校まで誰も? 誰とも関わりたいと思ったことがないと? 俺は目を見開いてモリヤを見た。あ、俺今びっくりまなこかも。

モリヤはそんな俺を見て フッと笑った。

「だからね、ぼくには二択しかない。」

「ニタク?」

「そう。それは "恋"か"友情"か、じゃない。"好き"か"どうでもいい"か。そしてそれは、100か0。ぼくには唯一、水本だけが100。」

すごいことを… すごいことをモリヤはサラッと言い放った。これは…。こんなやつに たちうちできるだろうか。ただ、

「なら、水本を傷つけることは しないよな?」

モリヤは流し目をくれた。…気がした。

「傷つけたくはないよ、もちろん。」

微妙な物言いだ。色気が邪魔して誠実に聞こえない。

「ただねえ…」

というモリヤから 匂い立つような色気。ふわっと何か、香った。

「あ! これか? モリヤの匂い?」

思わず口に出していた。モリヤはチラリと俺を見て

「だから今日は違うよ。」

「違う とは?」

「これもぼくの匂いではあるけど、いつもの、水本の好きな匂いではない。」

「‥‥どういう意味?」

「そういう意味だよ。──小川は、この匂い好き?」

「えっ」

ちょっとドキドキしてしまった。たのむ俺、冷静に冷静に。

「一瞬香っただけだし よく分からん。」

「そう。」

モリヤは言って、ベストを脱いだ。俺はギョッとした。いや、ギョッとするようなことでもない。男がベストを脱いだぐらいで! モリヤはそうして俺を見て

「ちょっとこの辺に近付いてみて。」

と自分の鎖骨の辺りを手で指した。ギョッとしなくていい。ドキドキするんじゃない。冷静に冷静に。自分に言い聞かせながら、俺はちょっと顔を近付けた。ふわっと又、さっきより強く匂いが立った。なんだろうこの匂い。香水でもない 自然な物のようであって でも何か甘い香り。これは、いい匂いというんだろうな。やはり少し、あやしいような。

「‥‥嫌いではない。」

と俺は言った。好きだなんて言えない。このあやしい雰囲気の中で。

「ふうん。そう。」

見透かされている気がした。

「と、とにかくだ、」

ああやばい。なんかドキドキしてしまっている。まさかの事態。しっかりするんだ。俺は俺の役目を果たさなくては。

「水本を傷つけたりしないと約束してくれ。あと、水本が眠るのを止められるか?」

原因も分からないならムリか。‥‥本当に盛ってないのか?

「眠るのを放っておかずに 起こせばいいのかな。」

にっこりモリヤはそう言った。

「‥‥原因が分からないのなら。そうするしか。」

「では 眠ったらすぐ起こすよ。」

どうも問題が解決していないな。

「モリヤ、今一度聞くけど、本当に睡眠薬を盛ってない?」

「盛ってないよ。絶対だ。」

きっぱりとモリヤは断言した。

いいのか?これで。 寝たら起こすで解決なのか?

「モリヤ、正直に答えてほしい。盛る盛らないは別にして、モリヤは水本を眠らせたいと思うか?」

俺はとても、とても真剣に聞いた。モリヤも真面目な顔で俺をじっと見た。そして。

「いいや。」

と言った。俺はホッと息をついた。今のは信じられる気がして。

「ただね…」

とモリヤが言葉をこぼすように言った。

ただね… そういやさっきも、そう、たしか 傷つけたくはないよ、と言った後にそう言った。

「ただ?」

少しドキッとして俺は聞き返す。

「ただ‥‥」

そこでモリヤは言葉を切った。それから

「小川、今日の話は 全て水本と湧井サンに報告するの?」

「あ、ああ。そう約束してきたからな。」

「では ここから先は、言わないでくれる?」

又 ドキンとする。

「なぜ?」

「聞かれたくないから。もし全て報告すると言うのなら、話すのをやめておくよ。別に話さなくてもいいことだ。少し言ってみたくなっただけのことなので。」

ああドキドキする。ものすごく 聞きたい。

「分かった。ここから先の話は、二人には言わないでおく。」

「そう? では 話そう。」

言ってモリヤは笑った。嬉しそうに色っぽく。

「小川に1つ聞きたいんだけど」

モリヤはそんな切り出し方をした。 

「傷つけるのと 泣かせるのとは、別ものだよね?」

は?

俺は黙ってモリヤを見ていた。モリヤは返事を催促せず 再び口を開いた。

「小川は、水本の涙を見たことある?」

「…いいや、ないよ。」

この話、聞いて良かったんだろうか。俺はドキドキしている。ちょっと怖くなってきたぞ。大丈夫な話だろうな? 俺はハッとした。モリヤが嬉しそうに笑った。とても、とても嬉しそうに。そして言ったのだ。

「ぼくはあるよ。」

「えっ?」

と言ったなり 俺はしばし絶句してしまった。いや、絶句している場合ではない。

「そ、それは どういう状況だ? なんで水本が泣いた?」

こわいこわいこわい。

「それがねぇ」

モリヤはとても色っぽい目つきで、又 藤の花の方を見た。

「どうしてあそこで涙をこぼしたのか、ぼくには全く分からなくて。」

ドキドキが高まってしまう。

「あそこって何? ど、どういう状況か教えてくれ。」

聞いていいのか? まじで怖い。モリヤは藤の花を見たまま話した。

「学校帰りに二人で話しながら歩いていた時のことだ。その少し前に、ぼくは水本にお願いをしていてね、水本は約束してくれていたんだ。この次雨が強く降ったら、ぼくの家に来てくれると。」

「ああ…。」

「その日は大雨が降るという予報の前日だった。水本は、ぼくが水を飲みすぎることを とても心配してくれていた。」

「うん。」

俺が水本に言ったあの日だ。水の量が多いと。バカみたいに飲んでいると。

「ぼくはあの時、興奮状態にあった。」

「モリヤが⁉」

そんなことがあるのか。全く想像できない。モリヤが興奮⁉

「もっとも 水本は気付いていなかったと思うけど。」

「なぜ? 何に興奮していたんだ?」

モリヤを興奮させるもの? ‥‥水本? モリヤは俺を見た。

「決まってる」

と言って笑った。

「100の存在だよ。」

と。 やっぱり。そりゃそうだよな。‥‥‥本当に この先を聞くのが怖い。でもやめられない。ここでやめたら眠れなくなってしまう。

「水本が、ぼくを心配している。このぼくを。そして明日は、待ちに待った雨が降る。水本が、ぼくの家に来てくれる。歌をうたいに。今まで味わったことのない興奮を、ぼくは抑えるのに必死だった。」

モリヤは又、花を見ながら話していた。

「ぼくは少し、自分が怖くなった。」

ええ?? と驚きつつ、俺も怖い。

「それで、水本に 家に来るという約束は、反故にしても構わないと言った。」

モリヤは 花を見たまま、そう言ったきり黙った。

「…それで 水本が泣いたと?」

俺がそう聞くと モリヤは俺を振り向いた。

「それで泣いたとは思えない。泣いてる顔でもなかったし 本当にただ 涙が2ツブ落ちただけ。ぼくが驚いて どうして泣くのと聞いたら‥‥‥」

「聞いたら?」

「水本は 泣いてない、と言って笑った。雨と涙を見間違えたんだよ、と言って。」

「そ、それで?」

「約束は反故にはしないと 水本が言った。」

「…本当に涙だったのか?」

モリヤは俺を じいっと見つめた。目に色気。俺のドキドキも 一体何に対してなのか 分からなくなってしまう。

「本当に涙だった。ぼくは雨と涙を間違えたりしない。」

「‥‥‥泣くかな…そんなことで…」

「やっぱり?」

モリヤは 俺を見つめたまま、微笑んだ。

「小川にも分からない? ───ぼくはね、それ以来、もう一度 水本の涙が見たくて──。」

「え⁉」

もうドキドキも最高潮だ。

「見たくてたまらないんだけど、残念ながらぼくには、どうすれば水本が涙をこぼすのかが分からない。」

こ、わ‥‥‥。泣かそうとしてるのか‥‥?

「小川は 分かるかなと思ったんだけど」

「…い、いや、そ‥‥‥‥───モリヤ」

「うん?」

「それは絶対反対。水本を泣かせるなんて。おまえそれは 好きな人にしてはいけないことだ。」

くす とモリヤが笑った。

「泣かせてないよ。涙が見たいなァと思っているだけ。傷つけなくても涙は流すかもしれない。違う?」

ええ?? やっぱり聞かなきゃ良かったか? ああもう。混乱する。

「傷つけずに涙を流させるなんて至難の技だと思う。」

俺はここでちょっと考えて、そして言った。

「───ヒトツ、手っ取り早いのは 悲しい映画を見せることかな。」

「それは少し違う。」

「違うって?」

「ぼくとの関わりの中で、泣いてほしい。」

「無茶言うな。」

モリヤ だめだ。こいつ、だいぶやばい。日常生活の中で、高校生がそう泣くことなんてない。痛いのでなく 辛いのでなく 悲しいのでなく 傷ついてもいないのに 泣くなんて。それはもう、感動の涙か嬉し泣き。日常にそんなこと、そうそうあるもんか。

「モリヤ 諦めろ。たのむ 諦めてくれ。故意に水本に涙を流させようなんて ムリがあるにもほどがある。水本が傷つくリスクが高すぎる。」

「‥‥そうか。」

「そうだ‼ ───長く、長く付き合っていたら そんな機会もくるだろうさ。だからムリに泣かせようとは しないでやってくれ。たのむよ…。」

俺は一生懸命だった。必死の思いでそう言って頭を下げた。

モリヤはしばらく返事をせずに黙っていた。あまりに長い沈黙なので 俺は頭を上げてモリヤを見た。するとモリヤは俺のことをまだ見ていた。口元に微笑みを浮かべて。俺と目が合うとさらににっこりと微笑んだ。

「長く、付き合っていたら、ね。なるほどね。楽しみは 長く先送りにってこと。それも、いいかもね。」

良かった! 分かってくれたか。だめかと思った。俺の説得なんかじゃ。

「では涙は 先々のお楽しみに残しておくよ。涙以外にも楽しみはいっぱいあるしね。」

「そ、そうだろ? 初めての100の存在なんだもんな?」

もう俺は必死で言っていた。反してモリヤは、ちょっと楽しそうにクスクスと笑った。

「うん。そう。初めての存在。ほんとうに楽しい。本当に水本がかわいい。そのかわいさを独り占めにしているのも、とても興奮していいものなんだが、誰かに言いたいという気持ちもあって。こんな気持ちも生まれて初めてなんだけど。今日はそっちが勝ってしまった。」

かわいい‥‥って言い切ったか。モリヤって… 本当に、本当に予想外だ。まさか こんなやつだったとは思いもしなかった。全然、想像と違った。

水本… 大丈夫か?

ドキンドキンと心臓が鳴る。モリヤの家に夜まで一緒に 二人きりでいたと、水本は言っていた。水本を泣かせようとしているモリヤと。そして又 雨が降ったら行くんだ、モリヤの家へ。水本が本当にかわいいと、躊躇なく言い放つモリヤの家へ。

強烈に不安になって、俺はもう一度聞いてしまった。

「モリヤ、水本を眠らせたくないんだな? それは本当だよな?」

「眠らせたくないよ。」

キッパリとモリヤは言った。うん。そこは大丈夫かな。

「だって、」

と モリヤはあでやかに笑った。

「眠ってしまったら、表情が変わらないものね。」

「表情?」

「水本は感情がすぐ顔に出る。それがとてもかわいい。小川もそう思うだろう?」

「…まあ…。」

そりゃ俺も、水本はかわいいと思っているさ。けど‥‥ けどなんか モリヤのそれは…。

「水本って、こちらが驚かすつもりのない時に よくびっくりするんだよね…。」

モリヤは風で揺れる花房を見つめながら楽しそうに、とても楽しそうにそう言った。‥‥あれかな。びっくりまなこ。俺はそう考えながら ドキドキとモリヤの横顔を見ていた。ああ、好奇心に負けて とんでもないことを聞いてしまった気がする。水本を 今後、モリヤの家に行かせていいんだろうか。大丈夫なんだろうか。───でも‥‥水本を家から帰らせたのはモリヤだ。ダメだからって‥‥そう‥‥

「モリヤ?」

「ん?」

‥‥モリヤは、水本のことを考えてたんだろうな。もう ほんとに楽しそうに微笑んでいる。

「モリヤ昨日、体の調子悪かったんだって?」

「うん? いいや?」

あれ?

「水本がそう言ってたぞ。具合悪いのに気付かなかったって。」

「ああ」

と モリヤはまた華やかに笑う。もう、ドキドキが慢性化。よく分からない状態。

「あれは水本の勘違い。もうねぇ…」

モリヤはまるでうっとりするように花を見上げている。水本のことを見るように花房を見ている。

「もうほんとうに ぼくも限界でねぇ…」

限界───。限界を越えたらどうなるんだ。だから怖いことを言うなって…。

「ムリヤリに断ち切って帰ってもらった。"帰ってくれ" とぼくが言うと、具合が悪いんだって 水本が勝手に勘違いしたんだ。だから否定しなかった。その方がすんなり帰ってくれるだろう? ────もう、水本の、一挙手一投足が、言葉の一つ一つが、ぼくを驚かせ かつ喜ばせてくるものだから‥‥。あのまま 家にいられては‥‥。だから帰ってもらったんだよ。」

────ぼくの方が もうダメだったんで───

あれは 本当だったんだ。モリヤの正直な気持ち。ただ、やはりアピールでもあったんだろうとは思うけど。しかし… うーん… つまりモリヤは水本のことを考えて 帰らせたってことだよな? つまり、少しは信用できるってことだよな?? 

ドキドキしながら俺はモリヤを見ていた。いや、もう、にらんでいたかもしれない。楽しそうに藤の花を眺めていたモリヤが、ふとこちらを振り向いた。そして おや? という顔をした。微笑みながら。

「妬いてるの?」

はあ⁉ だ。はあ⁉?

「‥‥妬いてるわけがないだろう。」

冷静さをなくしたら もう負けだ。というか もう…負けてる気はしてるけど…。

モリヤは本当に楽しそう。めちゃめちゃ機嫌がいいじゃないか。───水本の話を、他の誰かにできるのが嬉しいのか。そうに違いない。

「小川」

極上の笑顔でモリヤが俺を呼んだ。

「なんだよ。」

「約束だからね。」

と 笑顔のモリヤが言う。

「え?」

「今の話は 水本にはしない。湧井サンにも。そういう約束。」

「あ⁉ ああ! もちろん。しない。約束だからな。」

できないだろう? モリヤが水本を泣かせようとしてるとか 水本のかわいさが、モリヤを喜ばせてもう限界とか… って、自分で考えて 又怖くなってしまった。

───湧井サンが来ると思ったんだけど──と、モリヤは言った。もし、湧井が来てたら どうなっていただろう。湧井はこの色気に、ドキドキしたろうか。

「‥‥モリヤは、もしも湧井が話しに来ていたら、今の話はしなかったのか?」

「するわけないよ。」

とモリヤは笑う。

「‥‥‥湧井が怒るからか?」

怒るに決まっている。でもモリヤは

「違うよ。」

と言った。

「湧井サンには多分、分からないからさ。」

「何が?」

「こういう心理。」

心理? こういう? どういう?? 

モリヤは ふふふと笑った。笑って、もう たまらん色っぽい目で俺を見た。

「でも 小川には分かるだろう?」

「え」

俺は又してもドギマギしながら

「な、何がだ? どの心理が?」

「好きな人が、笑ったり 驚いたり 困ったり 焦ったり する顔を見る時の、えもいわれぬ喜びとか、好きな人の涙を見たいと思う心理とか もう限界ギリギリの興奮と幸福と我慢と制御の葛藤とか。」

「! …な! そ、それが 俺に分かると?」

モリヤは笑っている。

「分かるだろう? 分かると思うから話したんだよ。」

何を言う! 俺は… 俺は涙が見たいなんて思わないし‥‥そんな…

「湧井サンの涙、見たいだろう?」

「‥‥‥」

────見たいかもしれない、と、思ってしまった。そんなことない! そんなことない。俺は湧井の笑顔が好きだ‼ 泣いてる顔なんて見たくない! 涙をこぼすところなんて‥‥‥──────と 打ち消しても 打ち消しても、もう キレイな涙を流す湧井の姿が浮かんできて たまらなくなってきた。なんてことだ…‼

俺は 言葉をなくしてモリヤを見ていた。口止めされるまでもない。こんなこと 言えるわけがない。モリヤは絶句した俺を しばらく色っぽい目で眺めていたが、やがて艶っぽく笑うと立ち上がり、

「もういいだろう? そろそろ帰ろう」

と言った。ふんわりと さっきと同じモリヤの匂いが、俺の方へ降ってきた。色っぽい匂い。完敗だ。

次回は水本側です。

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