モリヤ恐慌 (もちろん小川くん側 その11)
ふきあれるジェラシーストーム
病気かもしれない。背筋がゾクゾクする。悪寒ってやつ? カゼもひかない人間なので、これが何の症状なのかも分からない。熱があるんだろうか?
などと くだらないことを考えている場合ではない。病気になったところで モリヤからは逃げられない。顔色が悪いよ、帰ったら?なんて、言ってくれるわけもない。
そしてポイントは、だってポイントは、そうだ、絶対200ですむわけがない。今朝の、俺がただモリヤと水本の会話に割って入って 水本の肩を押しただけで、いきなり200だ。モリヤはあの時、俺が水本を泊めたことを知らなかった。知らなかったにも関わらず、だ。
今、放課後。俺は否応なしに モリヤと2人きりだ。又もや例の公園のベンチで。
ベンチに座って俺は 膝と膝の間で組んだ手のひらをボンヤリと見ている。いや、これはボンヤリ、とは言わないのか…。はた目からは きっとボンヤリ。でも心臓は超ドキドキ 背中はゾクゾク。
モリヤは俺の隣に座っている。黙って。ボンヤリとはしていない様子。見てないけど。俺はモリヤの方を見てはいないけど。でも 隙なくキチンと座っている雰囲気を感じる。微動だにせずに…。
モリヤが誘ってきたんだ。放課後 顔かしてって。とてつもなく恐ろしい(俺にとっては)笑顔で‥‥‥。なんで黙ってんだよ。なんか言えよ。怖いよ…。
首筋に汗が伝うのを感じた。ここは日なたではないけれど、まだ日が落ちてはいない。梅雨明けの 暑い日である。汗が伝う。なのに背筋は相変わらずゾクゾク…。
不意にひやりとした。視線を感じて。モリヤがこっちを見ている─────。黙ったまま…。
何か、何か言ってくれ、たのむ‼ 俺は視線に気付きながら、でもモリヤの方は向けずに やっぱり自分の手を見続けていた。まさか、日が暮れるまで黙ってるつもりか?? ─────あり得る。あり得るぞ。だってモリヤは 俺の嫌がることを、熟知しているようなのだ。黙るほどに苦しい時間だということも、きっと分かっている。ああ… 夕暮れまで 黙ったまんまのこの地獄の時間を過ごしたなら、ポイントはどれくらい消化できるのだろう‥‥
「200は」
突然のモリヤの声に、俺は漫画みたいに全身がビクッとなってしまった。思わずついに モリヤを見てしまう。モリヤはきちんと姿勢良く座って、俺をじっと見ていた。笑っていない。
「なっ なんて??」
何言ったか、聞き取れもしていない。びっくりしすぎて。モリヤはまだ真顔でじっと俺を見ている。そして又しても沈黙。
「なに? 今、なんて言ったんだ??」
必死で俺は声を出す。もうこれ以上は耐えられない。地獄の沈黙をぶち破る。
「おびえているね。」
明らかに さっきと違うことをモリヤは言った。 おびえてるね??? 屈辱 恥ずかしさ…でも、本当に怖い。
「小川がそんなに びくついているのは、悪いことをしたという自覚があるからなのかな。」
「‥わっ‥‥ わるいことなんて してない。」
「じゃあ なぜ?」
心はびくつきながら 俺はモリヤを睨みつけた。誰だって怖い。こんな立場になったら!
モリヤはもちろん全く動じず、真顔のまんま じいっと俺の顔を見続けている。だからもう、沈黙は嫌なんだって‼
「そっ そんなことより用事はなんだよ⁉」
もう俺は必死なのだ!
「用事?」
「用があるから顔かせって言ったんだろ? なんだよ?」
「何と思って小川は来たの?」
「─────」
「200は 朝の段階のポイントだよ。」
俺の目には 恐怖が走っていたと思う。知ってるけど、そんなこと 先刻ご承知だけど!でも! 改めてモリヤに言われると、表情に出る恐怖を隠すことができない。
「すごいよ。」
と モリヤは言った。すごい? 何が? ポイントの数が?? モリヤは、夢みたいに指を1本立てて “1万” とは言わなかった。代わりにこう言った。
「もうポイント制は崩壊だね。」
ホッとするところ? それとも、さらなる恐怖を感じるところ? もうなんだか分からなくなってしまった。ドキドキしすぎて感情がおかしくなってしまっている。
モリヤは俺をじっと見たまま
「いいよ。」
と言った。何が?
「小川は、ぼくが“水本がかわいい話”をしたものだから、やり返したかったんだろう? やり返していいよ。聞いてやる。」
などと 真顔で言うのだ。
「みず‥‥」
「水本がぼくの前で どんなにかわいかったか、という話を ぼくは小川にさんざんした。」
モリヤはここで ゆっくりと─── 人の表情が スローモーションで変わっていくのを 俺は初めて認識した─── ゆっくりと 真顔から にっこりの顔に変わった。そして
「妬いたんだろう? だから やり返したいんだ。違う?」
違うし‼! 俺が返事する前にモリヤは重ねて言う。
「もちろん 嫌がらせにもなるしね。」
にーっこり。
「まあ、」
ふと思い付いたような表情を作ってモリヤが言った。
「ぼくに嫌がらせしても、あんまり小川に得は無さそうだけどね。」
俺はモリヤから顔を反らせた。分かってるよそんなこと。モリヤに嫌がらせなんかして、俺になんの得があるってんだ。倍返しできかない。とんでもない数値のお返しが やってくるに決まってんだ。嫌がらせ返し、しようと思った時も あるにはあったけど、そんなの もうとっくに諦めてる。モリヤにダメージを与える前に、こっちが再起不能になってしまう。
「そんなつもりはない。」
俺は モリヤを見ずにそう言った。
「そんなつもり? どんなつもり?」
モリヤは俺を見ている。じっと見ているのを感じる。
「‥やり返そうとか 嫌がらせとか、そんなこと考えてない。」
モリヤは一瞬黙って、やっぱり俺をじっと見る。それから
「そうなの?」
と言った。
「そうだ。今モリヤも言ったじゃないか。モリヤに嫌がらせなんかしたって、俺には何の得もない。だからするわけがない。」
きわめて正論と俺は思うのに、やっぱりモリヤは
「そうなの?」
と言った。だから と俺が反論しようとしてモリヤを振り向くと、モリヤの顔はにっこり笑っていた。そして、俺が反論するより早くに声を発した。
「嫌がらせって、損得でするものでもないよね。」
はあ? 俺は言葉につまった。損得じゃないって…
「得がないからって、絶対にしないとは限らないよ。」
モリヤはそう言って ハハハと笑った。
「ぼくだって小川に嫌がらせして、何か得があるわけでもない。」
俺は笑ってるモリヤを見て 何も言えなくて、なんか自分が情けない顔になってるんじゃないかと思った。
何の得があるわけでもないと分かっているのに 俺に嫌がらせをするモリヤ。ちょっとした嫌がらせじゃない。キョーレツなやつ。得もないのに なんで嫌がらせをするのか? って、そもそも論だよな。
俺は小さくため息をついた。
「はらいせだろ。」
「はらいせ?」
とモリヤは聞き返す。
「モリヤの嫌がらせは はらいせだろ? 得とか損とかじゃない。うさばらし。」
「はらいせ! うさばらしで小川に嫌がらせしてるのかァ。」
モリヤはおもしろそうに言って笑った。
「それは ひどいやつだね。」
ひどいやつだよ! 俺なんかモリヤの嫌がらせで、心も体もくったくただ。
「そんなぼくに、小川は はらいせで嫌がらせしたくないの?」
にっこりした声で モリヤは聞いてくる。
「したくない。」
したいけど。俺は怖いからな。上乗せの嫌がらせに 耐える自信がないからな。
「ふうーん?」
やっぱりモリヤはおもしろそうにそう言って、「なら」と言った。
「なら、嫌がらせでなく 話してくれよ。」
「話す? 何を?」
クッ とモリヤは笑った。
「決まってるだろ。水本のことだよ。」
ああ。愚問だった。しかし
「水本の‥‥何‥」
「泊まりの話。寝顔は見た?」
「‥‥見てない。」
「どうして⁉」
そんなに驚くか? ‥‥驚くか。
「俺がバカみたいに早く寝てしまったからだ。…前日、完徹だったろ。」
「ええ? だからって…」
そんなに驚くか? 重ねて。
「すごいね。」
ほんとに驚いてるみたいに モリヤは言った。いつもの わざと驚いて見せてる感じではない。けど、
「何が?」
「小川は時々 予想外にすごい。」
「だから何が。」
「ああしかし そうか。」
驚きの表情が ふと変わった。
「小川の寝顔を水本は見たわけだ。」
うん? そりゃ見たろうね。
「それが?」
モリヤは返事せず、薄く笑った顔で俺を見ている。
なんだ? 寝顔が何? 寝顔に何か重要性があるか?
「小川はベッドで寝るのか?」
「…普段はな。」
「水本が来た時は違ったと? 床に布団?」
「…いや…。だから俺は 寝るつもりのない時間に寝てしまったから。ベッドの横の床に座ってた時に。だから、床に転がってたよ。布団も無し。」
「水本は?」
「‥‥その辺で寝たって言ってた。」
じいっとモリヤは俺を見た。
ぼくの水本を 床なんかに寝させやがってって、怒ってんのかな。もっと大切に扱えよって?
はかりかねるモリヤの表情を、俺も少し じいっと見てしまった。
「早くに寝てしまった小川を、水本は起こさなかったのか。」
「水本は」
俺は小さいため息をついてしまった。
「とても優しい。」
モリヤは黙って聞いている。
「朝 俺が自然に起きるまで、声をかけもしなかった。客人をほっぽって ぐうぐう寝てしまった俺を、責めるどころか、俺が前日徹夜してたことを忘れててごめんだなんて、謝ってきた。」
「なんだ。」
なんだ?
「結局 嫌がらせするんじゃないか。」
はあ??
「何…? 俺がいつ…」
「今。まさに。強烈な自慢話をしたろう。」
「じ‥‥」
じまんばなし…⁉
「な‥ なにが‥ どこが‥‥?」
俺が寝てしまった話。それを水本が起こさなかったと言っただけ。なんだよ? どこが自慢になるんだよ??
分からなくて俺は モリヤの顔を見ていたけど、モリヤは目をつぶって 何か考えている風。答えない。しばらく黙って不意にパチンと目を開けて
「ここまでとは。」
と呟いた。
「な… なにが」
くるうりとモリヤは首を回して俺を振り向いた。
「なるほど これは 初体験。」
などと言う。だから何がって さっきから聞いてる。俺が三たび、何が と言おうと口を開けかけた時、モリヤが言った。
「なんと言うのかな こういうのは。」
俺を見たまま少し考えて
「ジェラシーストーム とでも?」
と言って 声なく笑った。
じえらしいすとーむ⁉ 直訳嫉妬の嵐⁉ 怖‥‥‥ 又 胸がドクドクと鳴ってきた。 ちょっと待て。何に? どこに⁉ 泊めたのは そう…嫉妬されるとは思ったよ。けどしかし ただ俺が寝てしまっていても だめなのか。まじ なんにも、なんにも、なーーんにも してなくても???
「これで嫌がらせする気はないだなんて。」
モリヤは今度は声を出して笑った。
「小川が嫌がらせをする気になったら、と考えると空恐ろしいね。」
空恐ろしいだって。俺は絶句。おまえが言う⁉
「どうぞ。」
モリヤがにっこり言う。
「なに…」
「続きをどうぞ。」
つづき??
「だ、だから俺は嫌がらせなんて…」
ハハハハとモリヤが笑う。
「嫌がらせであってもなくても構わないよ。話の続きをどうぞ、と言っている。」
話の続き‥‥ ああ…。くそ 心が乱れる。気持ちの整理が追いつかない。───泊まりの話、か。
「…話といっても…。本当に ごはん食べて俺がすぐ寝てしまって、それだけ。話すほどのことは何もないが。」
「二人きり?」
「いや。母がいたよ。」
「そう。風呂は入らず?」
「…シャワーを浴びた。」
「二人で?」
「! まさか! 別々にだよ。当たり前だろ。」
「当たり前かな。」
「当たり前だ!」
「なんで水本を泊めたの。」
不意に真顔になってモリヤが言った。
なんで?って‥‥
「初めてなんじゃないの? それとも、しょっちゅう泊まってた?」
「…いや。初めてだ。」
「なんで泊めたの?」
モリヤは繰り返す。
「‥‥‥‥は、はなしが、したかったからだ。」
「話なんて どこででも いつでも できるじゃないか。学校でも飲食店でも裏山でもね。」
「‥‥」
「なんで泊めたの?」
ドックンドックンドックンと 心臓の音がでかくなってくる。
「お、おちついて話したかった。一晩あったら、ゆっくりできると思ったんだ。」
「なんの話を?」
ドックンドックン く、苦し‥‥
─────“俺がしたかった話は何か”、を そして、“した、水本との約束”、を …さらに言えば “俺が水本を好きと言ったこと”、とか “水本も俺が好きと言ったこと”、とか …を、モリヤに全て言ったなら─────怒るだろうなあ〰〰〰〰〰
~~~~もう、ジェラシーストームなんてもんじゃない。じえらしい…何だろう? 嵐の上って何? 大爆発的なもの??
「何の話を、水本と、一晩かけてゆっくりと、したかったの?」
と モリヤはゆっくりと言った。
この暑いのに 俺は汗が冷たい気がする。これぞ冷や汗。
「モリヤと‥」
俺は やっとの思いで口を開く。
「ん?」
モリヤは余裕の促し。
「モ、モリヤと、この前話したようなことを」
「この前って?」
「泊まった時だよ。」
「うん?」
モリヤは ちょっと意表を突かれたような顔をした。
「あの日、一睡もしないで 夜じゅう話してた。俺は、人と差し向かいで あんなに長いこと話したのは初めてだった。」
モリヤは ちょっと黙って俺を見て
「…ぼくもだけどね。」
と言った。
「それで?」
「そ、それで、それであの日、俺は モリヤの知らなかった部分を いっぱい知った…気がした。それで 水本とも長く話したら、知ることがいっぱいあるんじゃないかと思って。」
「へえ?」
と言ってモリヤは 俺をじいっと見た。超真顔で。
「それで、泊めて、話して、水本の知らなかった部分をいっぱい知ったんだ?」
真顔のモリヤの口だけが動く。俺は首を横に振った。大きく。
「いいや だから、寝てしまったんだって。話す前にすぐに。だから一晩中どころか、ちっとも話していない。何も 知っていない。」
モリヤは俺をじっと見てる。基本的にモリヤは俺を信用してないからな。なんと言う気だろう。“そうなの?” かな “そうかな” かな それとも“ウソツキ” だろうか…。
俺は黙って モリヤの口が動くのを待っていた。
「小川の言うことを信用するならば」
口が 予想のどれとも違う動き方をした。
「今回は失敗したとして。小川は水本の全てを知りたい というわけだね。」
また‥‥‥ モリヤの頭の中って どうなってるんだろう。そしてこれは 本気で言ってるのか? それとも嫌がらせなのか? 真顔で言ってるってことは 本気か…?
真顔のまんま、モリヤは長く俺を見ていた。俺は俺で 動けもしない。
水本が言っていたみたいに、人の知らなかった小さなことを知っていくのは おもしろいとは言える。でもだからって俺は、何も水本の全てが知りたいなんて 思っているわけでもない。…ほんとモリヤって、言い方やらしいよな。
「それに」
長く黙った後、モリヤが不意に言った。ドンッと音を 心臓が立てた気がした。体に悪いったら…
「いくらすぐ寝てしまったっていっても 朝には起きるだろ。全く話をしなかったとは思えない。どんな話をした?」
真顔のモリヤにじっと見られると ほんとに怖い。そして頭もフル稼働。だって 何も考えずに普通に答えたら、モリヤが超激怒するだろう質問を、モリヤは投げかけてくる。俺はこれ以上 怖い思いをしたくないので、脳味噌フル稼働で 怒らせない解答を探すのだ。
「食パンは焼くのと焼かないのと、どっちが好きかとか。」
「は? 何それ?」
「朝ごはんの時の会話だよ。食パンと玉子しかなくてな。パンを焼く派か 生で食べる派かと水本が聞いてきた。」
「ふうん。水本はどっちが好きって?」
「どっちもだって。どっちも好きと そう言った。」
「ふうん。それから?」
ああまだダメか。まだかんべんしてくれないか。…するわけないか。パンについては どうでもいいことの王様ぐらい、どうでもいい会話だ。
「‥‥その‥ 実は‥‥」
「ん?」
「ホントのこと言うと、俺は水本にどうしても聞きたいことがあって。」
「うん。」
「それで 泊まりという形をとった。しかし何の話かを言うと、モリヤ怒ると思う。」
「なんだろう」
と言ってモリヤは笑った。怖いなァ。
「怒ると思うって言ってるのに、聞きたいのか?」
「当然だよね。ああ、そこまで聞かせといて内容を言わないっていう、嫌がらせなの?」
笑った顔でモリヤは言う。
「違うけど。言わずに終わらせてくれそうにないから。だから 怒るような話だよと、心の準備をしてもらっておいたら 少しは怒りが緩和されるかなぁと思ってさ。怒らせたいわけじゃないからな。」
「ふうん? 小川ってば 期待させるなぁ。」
だから怖いってば。しかし 俺だって作戦をたてるさ。ほんとのアリのママを言うわけにはいかない。そんな恐ろしいこと、できん。ここはひとつ、ホントのことも言うが、それはもちろん一番のメイン話ではない。うんとマシなやつ。でもそれを メインぽく、いかにもそれが本題だったんだぞと思わせる‼ これだ。たのむ。誤魔化されてくれ。真実を混ぜ込んでおけば、完全なウソよりも 誤魔化しやすいと思うのだ。
「さあそれでは、ぼくが怒るだろう 小川が水本にどうしても聞きたかったことを、話してくれよ。」
にっこりと極上の笑顔で モリヤは言った。嫌味な要素のカケラも無い ステキな笑顔だ。心は嫌がらせの気持ちで充満しているくせに。モリヤって ホントにすごい。感動すら誘う恐ろしさだ。
「ええと… 俺は、どうしても知りたくてな。」
モリヤは無言で頷いた。無言だけど「何を」と聞こえた。
「その… なんで水本が、モリヤの出した食べ物を喜ばなかったのか。」
モリヤが笑顔を止めた。俺は続けた。
「食べることの何が恥ずかしかったのか。」
もう一度、ゆっくりとモリヤは笑顔になった。
「へえ…。それが気になってたのか。」
「そう。メチャメチャ気になってた。モリヤがすげぇ気になるとこで寸止めするから。2人だけの秘密だなんて言ってさ。」
くすくすとモリヤは笑い出した。
「だって秘密だもの。しょうがないよね。」
言って ふとくすくす笑いを止める。
「それを聞いたんだ? 水本は答えてくれた?」
「超恥ずかしそうに答えたよ。水本には隠し事はできないからな。」
「ふうん…。そうだね。隠せない。ウソをつけない。へえ…。そうか。聞けば答えるよね。恥ずかしそうにか。ああ。だろうね…。」
想像、しているようだった。恥ずかしそうな水本。ドSのモリヤには たまらんのだろう。
「水本は、なんて言ってた?」
「…暗くて、見えないもんだから モリヤが食べ物を口に入れてくれたって。赤ちゃんみたいで めちゃくちゃ恥ずかしかったって。」
「…ああ…」
ため息のように モリヤは言った。そしてしばらく沈黙。どうだ? 納得したか?
しばらく黙った後、不意にモリヤが俺を見た。
「それって 恥ずかしいことなのか?」
と問う。
「は?」
「見えないんだから 口に入れてやる。当たり前の発想とぼくは思ったんだけど、水本だから、じゃないのか? じゃなくて、普通恥ずかしいの?」
「‥‥恥ずかしいだろ。」
「小川でも?」
「恥ずかしいね。」
「へえ‥‥」
モリヤは笑わずに俺をじっと見た。あれ? 恥ずかしがらせようとしたんじゃないのか? ほんとに 親切心で‥‥‥────イヤ‥‥。例え とっかかりはそうだったとしても、恥ずかしそうな水本はモリヤを とてつもなく喜ばせたには違いない。それに きっとモリヤは、食べさせるという その行為をしたかったのに違いない。もちろん水本に対して。
「そうか…。じゃあ逆に言うと水本は、誰に食べさせてもらっても ああいう反応をするのかァ…。」
ああいう… 今、モリヤの目の前には その時の水本の、“ああいう反応” が広がってるんだろうな。
───けども、実はそれはそうとも限らない。例えば俺が‥‥ 例えば、そう、水本が両目ともメバチコとかで眼帯してて見えなくて、しょうがないなァ食べさせてやるとかって俺が 水本の口に食いもんを運んでも、水本がそこまでうろたえるとは思えない。そこはやはり “モリヤだから”ってのは、あると思うが。思うが 言ってやらない。そんなこと教えて喜ばせてなんかやらないのだ。
モリヤは一人で何事か考えて、ふうんと納得してる様子だったが、不意ににっこりして俺を振り向くと 言った。
「でも そんな機会は他のやつには、そうそうあるとも思えないから いいや。」
俺は何も言えずにモリヤを見返した。
確かに‼
「小川は」
モリヤは俺をじっと見て言う。
「そのことを、水本を泊めてまで 聞きたかったのか?」
「聞きたかった! 水本がモリヤに料理を出してもらって喜ばないなんてこと、俺には信じられないからな。」
「…へえ…?」
モリヤはやっぱり俺をじっと見て
「そうなの?」
と言った。
「だとしても、信じられなかったからっていうのは5割かな。」
と続けて言う。
「5割? って?」
「聞きたかった理由。残りの5割は、秘密潰しだろ。」
「ひみつつぶし…って何…」
「ぼくが水本と2人きりの秘密を持ってるのに嫉妬して、その秘密を潰してやろうっていうね。ホント小川って、やることひどいよね。」
ひどい と言いながら、モリヤはキレイな笑顔を見せた。
ひみつつぶし… そんな言葉、聞いたことない。だが。だがしかしだ。‥‥アタリ。2人だけの秘密だなんて聞いた日には 潰しにいって当然ってもんだろう。
「ああいや、違うかな。」
俺が心の中で ひみつつぶしに納得してるっていうのに、モリヤの方が否定の言葉を発した。
「水本が喜ばないのが不思議だったので、が25。秘密潰しが25。そして後の50は」
ひたっ とモリヤは俺に目を合わす。口を閉じる。
「後の50は?」
俺は当然 聞く。それでもモリヤはしばらく口を閉じていたが、やがてその口が にやりと笑った。
「恥ずかしがる水本が見たかった。」
「⁉ はあ⁉」
「それが50だね。」
「?? なに? 何言ってんだ? 俺が? 恥ずかしがる水本を見たかったって??」
「図星。」
「違う‼」
ありえん‼
「隠してもだめだよ。ぼくは知っている。」
「はあ⁉ 何でだよ? 何を知ってんだよ?」
「水本が うんと恥ずかしそうに話すとこを見たかったんだろ?」
「だから 何でだよ? そんなの見たいわけない! ひみつつぶしは認めるよ。けど それは違う!」
俺が全否定してるっていうのに、モリヤは俺を見たまま ふふふと笑っている。
「そうでなきゃ、泊めるまでして聞こうとしないよね。」
「ち、ちがうって…」
言ってるのに─────
「だって小川は分かってただろ。」
「何が‥‥」
怯えてしまう。モリヤが何を言い出すのか、本当に予測できない。
「水本は 秘密にしたかったんだよ? 小川にも湧井さんにも、知られたくなかったんだ。ぼくと2人だけの秘密にした時点で それは当然だよね。そしてぼくは、水本が恥ずかしいから秘密にしたってことを 小川に言った。だから小川は知ってたんだよ。水本にその秘密を話させたら 絶対恥ずかしがるということを。」
俺は‥‥‥言葉が出ない。
「恥ずかしがらせたかったんだろ。知ってるよ。小川はこちら側の人だ。」
こちらがわ‥‥ たのむ やめてくれ…。
俺は口をきけず 黙りこんでしまった。そんな俺を見て、モリヤはウフフと笑う。笑って言う。
「反論しないの?」
「‥‥‥」
「認める?」
「‥‥認めない。」
ハハハッとモリヤは はじけるように笑った。
「うん。いいよ。ぼくに正直な気持ちを告白する必要はない。申し開きの必要もない。自分が知っていればいいことだ。」
自分が‥‥
知っておいた方がいいけどなァ とは、俺が思ったことだ。水本に対して。モリヤへの気持ちを、自分で理解しておいた方がいいと思ったし、水本にもそう言った。
まさか自分も自分の気持ちが分かっていなかったと? 水本を恥ずかしがらせたい?
ハッとした。黙ったままの俺を、モリヤが笑って見ている。違う違う違う‼ 惑わされちゃだめだ! これはモリヤのワナだ。俺はそんなこと思っちゃいない! これは‥‥ そう、これも モリヤの嫌がらせの一環だ。もう‥‥‥ 怖いから‥‥
ワナにはめないから、モリヤはウツボカズラではないと水本は否定していたが、やはりウツボカズラだ。ほら いつだってワナをはっている。油断すると ツルンと落ちていってしまう。
そういえば───
俺は ビクビクする気持ちではありながら、じろじろとモリヤを見ていた。今日はモリヤの匂い、しないなあ。どちらの匂いも‥‥。ああ俺も、ずいぶんと水本に感化されている。
「かわいかったろう。」
不意にモリヤが言った。
「え?」
「恥ずかしがる水本は、かわいかったろう?」
「‥‥別に。」
認めてたまるか。若干そちら側であることは認める。けど、俺は モリヤとは違う! ‥‥と 思いたい‥‥!
「嫉妬、っていうのも、初めての経験でね。」
にっこりとモリヤが言った。
「ぼくの内に こんなに様々な、そして強い感情があるだなんて 知らなかった。惑乱、という言葉があるだろう?」
わくらん?
「ぼくはこれまで、生きていく内に 惑乱することがあるなんて、思いもしなかった。するんだねぇ 惑乱。」
「い、今か? 今、惑乱しているのか?」
そうは見えない。穏やかに笑っている。表面上。
「目下惑乱中だ。」
もっかわくらんちゅう。何に? ‥‥嫉妬? どこに?
ドキドキしてきてしまった。次は何を言ってくるんだろう。どんな言葉を繰り出してくるんだろう‥‥。
ドキドキしながら 俺は横目でモリヤを見ていた。正面切って見つめる勇気はない。
モリヤは俺を見ずに、まっすぐ前を見てにっこりしていたが、ふと目をつぶって そして深く大きい息をついた。
「ああ、苦しい。」
ほんのり微笑んだ顔で、そんな言葉をこぼした。
「長い夜の間じゅう、水本が小川のそばに、いたんだね‥‥。」
静かな声。もっか わくらんちゅう… なのか…?? 俺への嫉妬で‥‥‥
それで、それで こんな所へ呼び出して、どうしようっていうんだろう‥‥‥
ドキドキはパワーを増していく。ドッキンドッキンと強くなっている。色気がおさまっている今で良かった! あの色気で あの匂いで この状態だったなら、もう多分俺の心はもたない。俺の方は 惑乱どころの騒ぎじゃない。崩壊だろう。
「よんでくれた?」
えっ と俺はモリヤに振り向いてしまった。でもモリヤは 正面を向いたまま、まだ瞳を閉じていた。
「な、なに?」
かろうじて俺が声を出すと、モリヤはまだ動かずに
「六条御息所、読んでくれた?」
六条の‥‥ 源氏物語か! 忘れてた。図書室で本を借りて、完全に忘れていた。
一週間だっけ 借りれるのは。なんだかもう 随分と経ってしまった気がする。この頃の一日の長さったらない。一日、というか、モリヤに関わる時間がだ。長く感じて仕方がない。
「小川?」
モリヤが目を開けて こっちを振り向いた。
「あ、う、まだ、読んでない…。」
忘れてたし、そんな余裕は 俺にはなかった。ずっと心が いっぱいいっぱいだった。
「ふうん? せっかく借りたのだから、読んで感想を聞かせてね。────ぼくは今、六条御息所の気持ちが分かるなァ…。」
モリヤはそう言って 微笑んだ。読んでない俺には、そう言われても意味が分からない。
────あんなエッチな話、とモリヤは言った。ずい分前に 源氏物語のことを話した時。
湧井に聞いた源氏物語の中の 若紫の話も、エッチ… というか 少し怖いものがあった。現代なら完全に性犯罪。こんなこと言ったら 古典文学を愛する人に総攻撃されるかもしれないが。
源氏物語… とにかくモリヤに言わせると、エッチな話なんだろう? その中の登場人物の気持ちが分かると…? 怖いじゃないか‼ 全然本当の意味は分からないのだが とにかく 予想するに 怖いじゃないか…‼
俺は心臓をドキドキいわせながら モリヤを見返していた。モリヤは相変わらず 微笑んでいる。微笑みながら、俺の顔をじっと見ている。不意に
「それだけ?」
と言った。
「な…にが?」
「ほんとに水本とした事は、それだけ?」
‥‥それ‥‥
俺が黙っていると、モリヤがもう一度言った。
「それだけ?」
「‥‥‥水本がモリヤの手料理を喜ばなかった訳。を聞いただけ。そうだよ。」
ドキドキしながら もちろん俺はウソをつく。
「ふうん」
と言って俺を見るモリヤの口の端は、やはり少し笑っているように見える。モリヤの ふうん は、納得ではない。その証拠に
「本当かなぁ」
と ため息のように言った。
「本当に小川は、シャワーを一人で浴びて 早くに一人で寝てしまって 朝ごはんに食パンと玉子を焼いて食べて ぼくに料理を食べさせてもらった話を水本が恥ずかしそうにするのを聞いただけ? 本当にそれだけ?そんなことないよね?」
‥‥ウソ前提?
「い、いや…」
俺が否定しようとするのに、モリヤはさせてくれない。かぶせるように
「そんなわけないよね。一晩もずっと一緒にいたら、細かなことが それは色々あるはずだ。そうだろう?」
「そ、そりゃ…」
「ね。」
「そ、それは、細かなことって、例えば、朝食の時に水本が パンにバターをぬってくれてたとか、冷たい牛乳を飲んだとか、そういうことか?」
そんなつまらないことじゃないと、確実にそう言うと俺は思ったのに
「ああ… そう…。」
とモリヤが、驚くほどうっとりとした目で俺を見た。いや もちろん、俺を通して水本を見ているのだが…
分からんなァ。なぜここで うっとり??
「いいね。」
あくまでうっとりと モリヤは言う。
「いい… て 何が…」
パンと牛乳の何にうっとりできるのか。
「驚くほど情景が浮かぶ。あの日曜の朝に水本が、パンにバターをぬる。そして冷たい牛乳を、ゴクゴクと飲む。いいね。とてもいい。」
‥‥分からん。そして なんともいえず 怖い‥‥。
シュワッと 霧を吹いたように モリヤのあの、水本が好きな方の匂いがした。俺はモリヤを凝視してしまう。もちろんモリヤは 手に何も持っていない。
「どうした?」
俺が無言でモリヤを凝視していると モリヤが聞いたので俺は
「匂いがする。」
と言った。
モリヤが、色っぽく笑った。俺は思わず 体を引いてしまう。今日は色気、なかったのに。いつものモリヤだったのに。俺は一瞬、鋭い恐怖を感じたが、しかしモリヤは、以前あったような 色気が溢れて止まらない、といった風ではなく、ほんのり色っぽさが出てしまっただけ、といった感じだった。
「それから」
とモリヤが言う。
「何でもいい。その日 水本がしたことや、言ったことを教えて。」
またもや俺はドキドキしてきてしまった。モリヤが怖い。
「そ、それは少し ストーカーぽいぞ…」
おそるおそる俺が言うと
「ストーカー? 何したか知りたいということが?」
モリヤは笑った。
「小川だって ぼくが水本と2人でピクニックに行った話を、根掘り葉掘り聞いてきたじゃないか。」
─────そうだった…。確かに聞いた。詳しく話せと…。
「それに、覗きに行ったらストーカーだけど、話を聞くぐらいはストーカーとは言わないんじゃないの?」
────確かに…。正論だ。
「そ、その後、冷たいコーヒー牛乳を俺が入れて、2人で飲んだ。他に話したことといえば‥‥───ああ、」
「何?」
嬉しそうにモリヤが聞く。
「水本が、あの大雨の日、雨がすごすぎたんで モリヤが怖がっていなかったかと聞いてたな。」
「怖がる? 何を?」
「大雨を。ものすごかったろ。」
「…まあそれは。で、すごい雨を怖がってたかって?」
「そう。」
「雨って 怖いの?」
「‥‥」
俺は 一瞬黙ってモリヤを見てしまった。
「ただの雨なら怖くはないよ。」
そう言う俺にモリヤは
「雨に ただと ただでないと あるのか?」
と聞く。笑ってない。冗談を言ってるのではなさそう。
「いや、だから、ものすごい雨だったろ、あの日? 普通じゃなかった。異常な雨は 怖いと思うよ。」
「小川も?」
「ああ。少しね。」
「へえ?」
モリヤは驚いた顔をした。わざとじゃない方。
「じゃあ水本も怖かったと?」
「怖いと思ったと言っていた。」
「へえ‼」
そこに驚くんだ。モリヤって 感覚が普通のやつと、だいぶん違う。
「自分が怖かったから、ぼくも怖がってたと思ったのかな?」
「ああ。水本は、あの日俺が泊まったことを 当日は知らなかっただろ。モリヤは家で一人でいると思ってたから、心配したようだ。」
モリヤは─────── 怖いほど真剣な目で 俺を見た。
「ぼくが────」
モリヤは真剣な目をしたまま
「ぼくが一人で家にいて 大雨を怖がっているのじゃないかと、水本が心配していたと?」
とても、とても真剣に聞くモリヤ。
「あ、ああ…。水本が そう言ったから、俺は モリヤは怖がっていなかったと、答えたよ。」
モリヤは まだ真剣な目で 俺をじいっと見ていた。
長く沈黙した後 ようやく
「そうか…。」
と言って ──────笑った。
「─────」
その笑顔を 俺は凝視してしまう。なに? なんと言うの? こう、かたむすびして握りしめていた 色鮮やかなスカーフが 手を開くと勝手にスルスルとほどけて ひらいていった みたいな、そんな‥‥‥‥
凝視していた目を、俺は見開いた。すごい、匂いが‥‥‥ 水本の大好きな 天国と例えてしまうような、あの‥‥
匂いにまぎれて モリヤのため息が聞こえた。続けて
「ふうん…。知らなかったなあ…。」
幸せそうに 言葉をこぼす。何を と声を出そうとするのに、俺は成功しなかった。“ナ” の形に口を開いたまま、なぜか声が出ない。
「小川はぼくを喜ばせてくれるんだ? ああ 驚いた。」
喜ばせる⁉ 俺がモリヤを??
俺は 思考停止しかかっている頭を必死に回転させる。何に? どれに? ああ、あれだ! 水本がモリヤを心配した。そこだな⁉ しまったか 俺?? これは、言ってはいけないやつだったか?
俺には分からない。モリヤの喜びポイントも、モリヤの嫉妬ポイントも。
無言で見つめる俺を見て、モリヤはアハハと笑った。
「小川は嫌がらせ発言しかしないと思ってた。まさか こんなに喜ばせてくれるなんて。山登りしてるみたい。苦しい。」
苦しい?? 山登り??
「‥‥な」
声が出た!
「なんだよ? どういう意味?」
「ジェラシーストームが谷の底なら、今さっきの話は山の頂上ってこと。こんなに感情の差が激しいと苦しくなる。これも初めての体験。知らなかった世界。」
苦しいと口で言いながら、モリヤはとても幸せそうに笑っている。とても強く、匂いがしている。俺は とても恐ろしい。
モリヤはきっと、本当のことを口にしている。きっと今まで こんなに激しく感情が揺れ動いたことはないのだろう。泣いたこともないなんて言っていた。子どもの頃は泣いていたのだろうとは思うが、泣くほどの悲しみの記憶がないということか…。とにかく 強くどちらかの方向にも振れる感情を、持ったことがないと。それが、水本と出会って、揺さぶられ始めてしまったんだ。苦しいほどに─────。
モリヤの大きなため息が聞こえた。そして再び匂いが舞い上がった、気がした。
「今日ここで」
モリヤの声で 俺はビクッとしてしまった。
「小川に話を聞いたら、どんな嫌がらせをしてしまうか分からないなぁと思っていたのだけど」
なに⁉
「思いがけず喜ばせてもらったので 嫌がらせはせずに済みそうだ。」
そうなのか⁉ ‥‥もう充分怖かったけどね。
そう聞いても俺は 身動きもできず、ただじっとしてモリヤの顔を見続けていた。
二人して 長く沈黙していたと思う。本意ではないが、見つめ合った形で。不意に沈黙を破ったのは モリヤ。
「間もなく。」
と言った。言って にっこり笑った。
間もなく…
「…なんだよ?」
俺も口を開く。
「間もなくだね。夏休み。」
!! そうだ! そうだよ!
いつもなら 待ちわびて、とっくにウキウキし出してるころだ。なのに今年は、言われるまで 思い出しもしない。
「飯盒炊爨、しに行くんだろう?」
!! そうだった!
このところ、ほんとに心の余裕がなかった。何もかもが、忘却の彼方だ。目の前のことしか、考えられてなかった。
「やめにした?」
不思議そうに モリヤが聞いてきた。
「いいや…。」
思わず 声がかすれてしまう。
「別にいいんだよ、やめても?」
「やめてない。」
断固言い切る。だって、俺がやめたらモリヤは 水本と2人きりで行くんだろ? 嬉々として決行するんだろう? 泊まりにしようなどと提案したりして。させてたまるか そんなこと!
「飯盒炊爨は決行する! 4人でな! 川へ行くと、そう言ったろう。」
モリヤはゆっくり にやりと笑った。
「そう、行くんだ、4人で? そう。」
「そうだよ 4人でな!」
言っておいて、俺は又しても怖くなる。4人でか、と思って。又 4人で…
「どこへ?」
「えっ」
モリヤはあくまで にっこりと
「どこへ行くの? 小川が決めるの?」
「え、あ、そ、そうだな‥‥ モリヤは、行きたい所とか、あるのか?」
「川で 人の少ないところがいいね。でも、行きたい所はない。遊ぶ場所というものを 知らないからな。」
「‥そ、そうか…。」
納得。知らないと思う。電車に乗ったことがないんだもんな。
「俺が決めとくよ。いいな?」
「いいよ。」
大急ぎで探さなければ。俺だって そういうことに詳しいわけでもない。…スマホもないしな。
けど 人の少ないところとなると、キャンプ場というわけにはいかないか。キャンプ場は夏休み中なんて、いつだって人で溢れている。飯盒炊爨するだけなら、がんばって道具を背負っていって、どこか川原でやるか…。川… か… どこの‥‥
思い巡らしていて ハッとした。モリヤが俺の顔を覗き込んでいた。俺は思わず体ごと引いて
「なんだよ?」
「何考えてるの?」
「あ? 行くとこだよ。どこにするかなぁと。」
モリヤは ふふふと笑う。
「ほんとに小川はおもしろいね。」
はあ? おもしろいって何? ごく当たり前の流れだろう? 飯盒炊爨に行く話をする。行く場所を考える。
俺が黙ってると、おもしろそうに俺を見ていたモリヤが言った。
「ぼくとなんて出かけたくないくせに。中止にすればいいのに。小川は小川で、水本を誘えばいいじゃない。」
それでは意味がない。そうなると モリヤはモリヤで、水本を誘ってしまうだろ? 2人きりで、キャンプ行ってしまうだろう??
「みんなで行きたいって、水本が言ったじゃないか。」
俺はキッパリと言い切る。又も モリヤは笑いをもらして
「言ってたね。」
と頷いた。
「楽しみだなあ。夏休みか。ほんとに間もなく。でもその前に雨、降らないかなあ。」
ギョッとする。────雨‥‥。モリヤの家。真っ暗の。俺はドキドキしながら必死で考える。大丈夫。大丈夫だ。水本は約束してくれた。モリヤの家に泊まらないと。
…夏休みまでにって、後2週間もないか? ん⁉ あ‼ げ‼ 期末だ。期末テストがあるじゃないか‼
「うん? なんだよ どうした?」
「ああ」
俺はため息をついた。
「夏休みの前にテストだ。期末のことまで忘れてたよ。明日、テスト一週間前じゃないか?」
がっくり。テストはキライ。大キライ。
「アハハ。小川はそんなにテストが嫌なのか?」
「テスト好きなやつなんて いないだろ。モリヤは嫌じゃないとでも?」
モリヤはにっこりとした顔で
「別に嫌じゃない。」
などと言った!
「うそだろ?」
思わず俺が言うと
「ぼくはウソをつかない。知ってるだろ。」
と笑って言った。
ええ〰〰?? ほんとに?? そんなやついるのか! 心底モリヤってかわっている。
俺はじろじろモリヤの顔を見てしまった。モリヤは気付いて
「そんなにおかしい? なんでテストが嫌なのかなあ。」
うん⁉ なんで???
「テスト勉強しなくちゃいけないだろ。そもそも勉強が嫌。」
「テスト勉強ねぇ…。」
「‥‥‥」
俺は驚きを隠せない。まさかだろ⁉ まさかだよな⁉
「‥‥テスト勉強‥するよな‥‥?」
なんだか おそるおそる聞いてしまった。
「家で?」
とモリヤは笑う。俺はハッとした。 ────────そうだ!
モリヤの家は暗い…! 日が落ちたら、読み書きなんてできないじゃないか──‼
俺は驚愕の視線を送ってしまった。モリヤはアハハハと笑った。
「そんなに驚くとは。ぼくは家でテスト勉強なんてしない。別に満点を狙ってるわけでもないしさ。」
満点なんて、俺だって狙っちゃいねーよ‼ 狙えねーよ‼ 必死の一夜漬けでようやく赤点免れてるぐらいだよ! ‥‥‥‥モリヤって‥‥成績、いいのか? そんなこと気にしたことなかった。超絶頭いいって感じじゃないけど。
「水本も、テスト勉強するのかなあ…。」
うっとりして言う内容じゃない! しますよ、そりゃ。あ‼!
「モリヤ!」
「うん?」
「テスト前は雨が降っても来なくていいと、水本に言ってやれ。」
「え? なんで?」
「水本はテスト勉強をするからだ。絶対にする。モリヤの家では できないだろ。」
「ええ? 水本、テスト勉強しなくちゃいけないの? ほんとう? 来させたくないもんだから、嫌がらせ言ってるんじゃないのか?」
「違うよ! テスト勉強しないのなんて、モリヤぐらいだ。それこそ水本が、テスト勉強しなかったがために欠点とったりしたら、夏休みが補習でつぶれて 飯盒炊爨も行けないぞ。」
「ええ‥‥?」
モリヤは納得しきれてない顔で俺を見ている。
「ほんとだぞ。水本に聞いたっていい。絶対、テスト前は テスト勉強するって言う。‥‥ケド モリヤが聞いたら、テスト勉強しなきゃいけないのに、無理してモリヤん家行くって言うかもな。」
「‥‥‥」
モリヤはじいっと俺を見た。それから大きなため息をついた。そして
「ひどい嫌がらせだ。」
珍しく 不機嫌に言った。
「嫌がらせじゃ…」
俺が言いかけるのに被せて
「嫌がらせだよ。夏休みまでは 雨が降っても水本を呼ぶななんて。」
よし‼ いいぞ モリヤ! 不機嫌になるってことは、呼べないってことだな! 嫌がらせと取ってくれてもいいや。
ふうっと、モリヤはもう一度 大きくため息をついた。
「まあいいや。夏休みにだって雨は降る。雨が降ったら水本は来てくれる。夏休みなら、朝から来てくれるかもしれない。」
そう言うと、モリヤはにっこり笑った。
「ね。」
立ち直り、早いなァ。そして確かにそうだ。夏休み前の2週間阻止できたとしても、夏休みは長い。絶対雨は降るだろう。
─────もう、しょうがない。しょうがないと分かっているのに。俺はどうしても、まあいいやとは思えない。
「そういえば」
もう不機嫌でないモリヤが にっこりと言った。
「楽しみは長く先送りに っていうのは、前にも言ったね。」
うん⁉
「覚えてない? あれは、小川と初めて私的な話をした時。藤棚の下で。」
藤棚の下で…。もう 随分昔の気がする。あの時は… なんで水本がモリヤん家で寝てしまうのかって話をしにいった時だ。
「ぼくは 水本の涙が見たいと言った。」
! そうだった‼ あの時モリヤと話した1回目から、モリヤはめちゃめちゃヤバくて怖かったんだ。
「そしたら小川が、長く付き合っていたら そんな機会もくるだろうから、ムリに泣かせようとしないでやってくれと、頭を下げたね。」
あった…! そんなこともあった‼ あの時、無理かもと思ったあの時、モリヤはなんとか納得してくれたんだ。
「ぼくは すぐにも涙が見たかったんだけど、あの時の小川の “長く付き合っていたら” という言葉が、素敵に印象的で 思いがけず了承してしまった。」
キレイな笑顔でそんなことを言う。
そうだった。モリヤの記憶力は凄まじい。きっと俺との会話も、一言一句覚えているに違いない。おそろしい…。
「けども結局、すぐに見られたんだけどね。」
‼ だよ! そうだよ…! うん、わざとじゃない。ほんとに、了承はしてくれてたんだ。だけど───── そう、結局モリヤは 水本を振り払って泣かせてしまった────。水本はそれで ものすごく傷ついて、トラウマになってしまっている。だからその後も、涙が出やすくなってしまっているみたいなんだ。それによって俺も… 泣かせてしまった。涙は見なかったけど…。
多分、モリヤも今、同じようなことを考えていたんだろう。俺が思ったのと同じことを口にした。
「この前 湧井サンは、水本の涙を見たんだね…」
モリヤは不意に右手をヒュッと頭上に上げて、直後落下させた。そしてチラリと俺を見て
「又 きたよ。」
‼ 何がと聞かなくても分かってしまった。谷だ。ジェラシーストームだ。涙を見た湧井に嫉妬‼
「あの時水本は、我慢して自分の教室に戻ったんだね。我慢なんて しなくていいのに。」
ね、とモリヤは俺に笑いかける。
「ぼくは、水本が 涙が出そうになっていることに、全く気付いていなかったんだ。どうしたら涙が出るのか、ぼくにはやはり 分からない。」
それからモリヤは 何事か考え込むように、シンとした。
そうか。分からないか。…俺も分からなかったけど。あの時、あの後 水本が泣いたなんて、あの時は全く思いもしていなかった。俺の行動が 水本の傷を触発していたなんて。トラウマを誘発させていたなんて。
けれども あんなことぐらいで涙が出てしまうのは、ホントに水本が どれだけ傷ついていたかってことだ。傷の深さを物語っているってもんだ。そしてそれは とりもなおさず────── モリヤをどれだけ好きかって‥‥ ことになる‥‥。
「モリヤ…」
「ん?」
「まだ、水本を泣かせたいと思っているのか…?」
モリヤは じっと俺を見返した。そして
「涙を見たい気持ちには変わりない。水本の涙は、とてもきれいだ。」
「‥‥‥‥」
「けれどもぼくは、自分の矛盾にも気付いてしまった。」
「矛盾? モリヤが?」
俺のこと、矛盾人間とか言った当人が?
「水本が‥‥ 一生懸命に流すまいとする涙が 流れて落ちるのを見た時、嬉しいのに… 美しい現象を見られたことが、とても嬉しいのに、そして 流すまいと我慢する必要なんてないと 強く思うのに、なのになぜか、泣かないでとも思ってしまう…。自分で 驚いてしまった。このすごい矛盾に…。」
驚いたと言いながら、モリヤは嬉しそうだ。ああ モリヤも… もう とてつもなく、水本が好き─────。
「つ、つまり、泣かそうとはしないってことだよな…?」
確認せずにはいられない俺。とても真面目に聞いたのに、モリヤは ふっと真顔になってから、破顔一笑。
「泣かそうも何も。だからぼくには、どうしたら涙がでるのか分かってないんだって。」
「そ、そうか…。」
なるほど。つまりは心配無用ってことか。
大好き同志の2人。俺の心配なんて、ほんと余計なお世話。そうなんだよ〰 分かっちゃいるんだよ〰〰。分かっちゃいるんだけどね‥‥‥。
どうにも苦悶状態に入ってしまっていると
「長く、付き合う。」
モリヤが 噛み締めるように言うのが聞こえた。振り向くと、モリヤは前を向いて真面目な顔をしていた。
「長く付き合う。」
もう一度、言った。そしてゆっくり、振り向いた。
「小川は、湧井サンと長く付き合う?」
は…?? なんだ その質問?
モリヤは、質問の答えを待っている。
「‥‥な‥‥ そ、そりゃ、長く付き合えるなら 付き合いたいよ。」
「付き合えないこともあるのか?」
! もちろんだよ‼
「当然だろう。‥‥“長い”、の基準にもよるけど 高校生カップルなんて、長く続く方がマレだと思うぞ。」
「へえ? そうなのか?」
そうだろうよ! ‥‥‥でも‥‥そんなこと、深く考えてはなかったな。もちろん 長く付き合いたいのは本当だけれど。“別れることがある” なんて、考えてはいなかった。自分で口にしといてショックを受けてしまった。長く続く方がマレだなんて────。
「そうなのか。」
俺の顔をマジマジと見ていたモリヤが、得心したように言った。
「では 今のこの毎日は、とても貴重なんだね。」
‼ ほんとだ‼ 貴重! すげぇ貴重‼
絶対いつまでもは 続かないんだから。卒業までもてば、長い方と言えるのかもしれない。───卒業か‥‥
「…モリヤは、水本と長く付き合うつもりなのか?」
「その前に小川に聞きたいんだが、長く付き合えない理由は何?」
「え?」
長く付き合えない理由…。恋人が別れてしまうわけ?
「‥‥‥心変わりとか。」
「───心変わり。好きが好きでなくなるということ?」
「んー‥‥ まあ、そう。もっと好きな人が別にできたり。」
「なるほど。」
そう言って モリヤはしばらく考えた。そして
「小川は長い時の間には、湧井サン以上に好きな人が できるだろうと思うんだね?」
「うん?? い、今はそんなこと考えられんが… でも 先のことは分からないし、第一、俺の方は気持ち変わらなくても、湧井の方はどうか分からない。」
「ああ、そうか。湧井サンが小川を好きでなくなる もしくは小川以上に好きな人ができてしまうだろうと。遠くない将来に。」
そうはっきり言われると 傷つくな。でも そうならないとは もちろん、もちろん言い切れない。
「もうひとつ聞きたい。」
「なんだよ?」
なんか暗くなってしまった。なんで今別れることなんか 考えないといけないんだよ。
「一番好きな人でないと、付き合うこと自体ができないのか? 相手が一番でなくなった時点で、付き合えなくなると?」
「え」
モリヤは真面目な顔をして 俺を見ている。
「そ、それは… こ、恋人の場合は …だ、だいたいそうだと…」
しどろもどろになってしまった。つきつめて考えたことないよ。けど、恋人になるということは 付き合うということは そうなんだと、俺は、思いたい‥‥
「恋人であることと、恋人ではなく付き合っていくのとでは、違うということ?」
は???
わお。そうか。“付き合う” の意味か。そこからか。ええ?? モリヤはどのつもりの付き合うだ??
「モ、モリヤ、待て。その前に、その前にだ。モ、モリヤは、水本を恋人だと思っているのか…?」
─────────沈黙。
モリヤは黙ったまま、じっと俺を見ている。喋らない。ただ見ている。‥‥怖いってば‼! “恋人質問”は、まさかのパンドラの箱だったのか??
モリヤは黙っている。俺も口をきけない。ああ 本日2回目の見つめ合い沈黙。
俺には分かっている。モリヤは水本を、恋愛対象として好きなのだと。そして、水本も絶対そう。ただ、水本は自覚していないようだけど。はた目に こんなに明らかなのに、水本一人がいつまでも認めない。完全否定を続ける。
そして こういう場合はどうなんだ? 2人は恋人の定義に入るのか? この付き合いは、恋人同志の付き合いと言うのか? そしてそして、モリヤはこの状態を、どう認識しているんだ?
モリヤは、まだ黙っている。真面目に俺を見つめたまま。俺も、まだ口をきけない。声を出して話をして、この怖い金縛りもどきから逃れたいのに、なぜか声を出すことができない。まるで 怖い夢を見ているみたいだ。
モリヤの瞳は動かない。こんなに人の顔をじっと見て、こんなに長いこと黙って、モリヤはこの間 いったい何を考えているんだろう…。
ガンバレ俺! なんとか声を出すんだ! でないと、暗くなるまで このキョーフの見つめ合い沈黙が続くぞ…‼
「小川は湧井サンと恋人。」
ほんとうに不意にモリヤが喋った。心臓とび出るかと思った。
俺のびっくりに当然気付いていると思うが 全く気にしてない様子でモリヤは続けた。
「“では今から恋人です” みたいな恋人宣言があるの? どうやったら、どの瞬間から、恋人という事実が発生するの? お互い好きと気付いたら、もう恋人なの?」
ええ?? 恋人の定義を考えていたのか??
「い、いや、えーと…」
ばくばくする心臓をおさえて 俺は必死で考えた。
「だ、だいたいは アレだ。ど、どっちかが告白するんだ。好きだって。お付き合いして下さいと。それで相手がOKを出せば恋人になる‥‥んだと思う。」
「そうか。やはり宣言が必要なのか。ではその定義でいくと、水本とぼくは恋人ではない。ぼくと小川も恋人ではない。でも今の状態は、水本とぼくであれ ぼくと小川であれ、付き合いのある状態と言えるよね。」
「う… あ、ああ、そうだな…。」
「小川は湧井サンに 告白したの?」
聞くなよ そんなこと…。
「‥‥したよ。」
「OKをもらったんだな。」
「‥‥ああ。」
「ふうん。で、恋人か。恋人ねえ…? ───で、恋人は一番好き同志でなくなると、付き合いは終了してしまうんだな。では恋人でない付き合いなら、終了はないのかな。だいたい こういう付き合いに、1番も2番も関係ないだろ。しかも ぼくにとって好きは水本一人だから、1番も2番もないしねぇ…」
「こ、恋人でなくて こういう、俺とモリヤに付き合いがあるみたいのには、それこそ絶交宣言でもない限り、終了なんてのはないよ。ああ 後は、全く会う機会がなくなって 連絡もとらないと、自然に終了てことはあるだろうけど。」
「なるほど。恋人には付き合い終了があるけども、恋人でなければ付き合い終了は起こりにくいというわけ。ふうん‥‥」
「‥‥‥」
モリヤは又しても黙って 何か考えている様子。
‥‥そうだよ。モリヤはこれまで 人付き合いというものがなかったんだ。人に、誰にも全く興味がない。人のいる所で眠りたくないからと、義務教育の学校の泊まり行事を休む。人が家に来ても、ドアも開けない。学校でも ほとんど私的には口をきかない。そんなやつにとっての初めての100の存在に、恋人だとか友人だとか、そんな区別は全く無用な気がする…。
「恋人と恋人じゃない人の違いは」
また急に ポッと口を開く。前触れがなくてドッキリしてしまう。
「なんだろうかなァ‥‥」
モリヤは俺を見ずに 一人言のようにそう言った。
恋人と恋人じゃない人の違いって…。
「好き同志 と、好き同志じゃない ではないんだろう?」
「…違うな。」
「そういうことが、ぼくには分からない。分からないし、ぼくにとって そういう、恋人とか じゃないとかの言葉は、ほんとにどうでもいいんだ。」
そう。モリヤには 好きの違いが分からない。100か0しかないんだから。だからモリヤの “好き” の中にはきっと、恋も友情も家族愛的なものも、みんな入っているに違いない。全ての好きが ひとくくり。
「どうでもいいんだけど ただ」
ふっと モリヤは息をついた。
「ただ 水本が、さっき小川の言ったような、恋人の定義を持っているとしたら ぼくだってその言葉についても、水本とこれから恋人になるのかどうかも、慎重に考えないといけないね。」
慎重に、なんて言いながら モリヤはサラッとそう言った。
えーと… つまり… 水本が “恋人” と “じゃない人” を分けて考えるやつだったなら(普通そうなんだが)、もしモリヤを恋人と認識したら 早い内に別れが来る。けど じゃない人での付き合いとの認識なら 別れが来る可能性が遠く薄くなる。が、“じゃない人” は、一番ではない。水本の一番ではない。‥‥ということを 考えてんのか‥‥?
で、モリヤは‥‥
「モリヤは、水本の一番になりたいのか?」
愚問である。なりたくないわけがないな。当然と思うのに、モリヤはちょっと首をかしげた。
「一番か‥。よく分からないな。ぼくは今の水本でいいんだけど。」
‥‥‥モリヤ‥‥。今、まさに水本の一番はモリヤなんだよ…。
「だいたい そんなの分かるものなのか? この人が1番 こっちは2番 あちらは3番なんて。小川は順番つけてるの?」
「‥‥‥」
そおいう… そおいう聞き方をされると… なんか
「…順番なんて つけちゃいないけど…」
「うん。ぼくには100は一人だけど、他の人には 好きがたくさんあるんだよね。その好きに順番をつけるなんて、とてつもなく大変な作業に思えるね。自分の頭の中でレースさせるわけだろ? 彼女と彼女 もしくは彼女と彼とか 1つずつレースをして決着をつけていく。一旦、順位が決まって 1位が恋人になったとしても、いつ2位の人が力をつけてくるかも分からない。それは3位や4位の人だって。番外の人ってのもあるよね。飛び入りみたいに。そしたら又、1位の人とレースが始まる。毎日息を詰めてレースを見守るんだね。そして1位が入れ代わったら、恋人解消宣言をしに行く。」
「‥‥‥」
「とても疲れそう…。」
全くそうだね。
「水本は そんなレース、開催してなさそうだけど。」
してないだろうな。いや、他のやつも そんなレース‥‥ モリヤの思考って‥‥。
「小川」
バチッと俺の目を見てモリヤが呼んだ。
「な、なんだ?」
たじろいでしまう。
「実際は違っていたことが分かったわけだけど、小川は ぼくと水本が恋人同志だと認識していたのか?」
「──────────‥‥」
「ぼくが水本に告白したと思っていた? それが定義だものね。」
「‥‥‥‥‥い、いや、思ってない。」
「ん──、そうか。恋人と思ってないから 恋人にさせないために嫌がらせして じゃましてたのかな? いっそ恋人になってしまったら、さすがに諦めて もうじゃましない?」
じゃま…って…。
「じゃまなんかしてない。」
モリヤは一瞬俺を見て、後、ハハハと笑った。
「ホントにウソつき。」
にっこり言って
「諦めなさそう。例えばぼくが水本と恋人宣言したとしても、じゃまするね きっと。」
「‥‥‥」
確かに。俺はそうとう諦めが悪いことに、俺自身気付いている。そして ウソつきなのも自覚有りだ。
「ならば全くどっちでもいいよね。どのみち小川はじゃましてくる。ま、それも別にかまわないが。‥‥つまりは‥‥水本が望む形でいいか。水本は───────何を望むだろう。ぼくに対して、何を希望してくれるだろう─────。」
幸せそうな モリヤの顔…。
何を希望。水本がモリヤに。恋人になってほしいと望むのか それとも、恋人でなく長く付き合いたいと望むのか─────。
ああ今度は、見つめ合わない沈黙‥‥。モリヤは幸せそうな思考中。そんな表情。俺は─────。
モリヤと話すと、今まで当たり前と思って深く考えもしなかったことを 掘り下げて考える機会に多く遭遇する。今日は恋人の定義。あと、長く付き合うということについて。
今日の話は 俺を少し落ち込ませた。思いの外モリヤがポジティブ思考であることにも気付く。同じ話で、俺の方は落ち込んでいるのに、モリヤは幸せになっている。さっきも言ってたもんな 今のこの毎日はとても貴重なんだねって。先の別れの想像より、今の幸せの再認識。俺なんか自分で、バカみたいに楽しいことしか考えない明るい男と思っていたが、案外ネクラかも。
「急速に陽が落ちたね。」
ふとモリヤが言う。
俺は ハッとモリヤを見た。ほんとだ。暗くなってきている。ああ又。暗くなるまで2人で過ごしてしまった。でも 前回までの異様な疲れ方に比べたら。雲泥の差だ。色気のないことが こんなにもありがたい。よかった。怖いことは いっぱいあったけど。比べものにならない。俺は大きく息をついた。
「雨の匂いがするね。」
とモリヤが言った。 なにっ⁉
「あっあめが、降るのか??!」
「降るね。」
モリヤは暗くなっていく中、落ち着き払ってそう言った。
雨の匂い… 俺は意識的に鼻で息を吸い込むが、よく分からない。
「お、大雨か?」
モリヤは俺の方を見て クスリと笑った。
「いいや。」
「え…」
「大雨ではない。夜の間に少し降るかな。」
そんなこと分かるのか?? ‥‥分かりそう‥‥ と思ってモリヤを見ていると
「残念ながら、とも言えないなァ。小川が水本を呼ぶななんて言うから。まさかこんな嫌がらせを受ける羽目になるとは。」
なんて言って モリヤは笑っているのだ。
「水本を呼べないんなら、大雨でなくとも残念と言えない。でも もちろん喜べもしない。なんだか中途半端。心が盛大に揺れるのを経験してしまったら、少しこの中途半端は 気持ちが悪い。物足りなくて。知るということは、若干の怖さを伴うんだね。後戻りできなくて。」
「‥‥‥‥」
「小川は大雨でなくて良かったね。」
「? なんで?」
モリヤは笑った。
「大雨なのに水本を呼べないぼくに、恨まれなくてすんだからだよ。」
恐怖‼ よくもそんな恐ろしいことを言うよ。笑いながら言うよ。
でも その笑顔も見えにくくなってきていた。暗くて。
「さて 帰るか。」
言って、モリヤは立ち上がった。当然俺も、立ち上がる。
少しでも早く帰りたいのに、どうしていつも暗くなるまで いてしまうのか。俺自身にもナゾ。しかし結局、
「結局モリヤは 俺を呼び出して、何がしたかったんだ?」
モリヤは立ち上がった姿勢で俺を見た。
水本を呼びたいだろうに、そちらを呼ばずに腹の立つ方の俺を呼ぶ。…やっぱり嫌がらせか? 盛大に嫌がらせしてやろうと…。
「嫌がらせと思ってるだろう。」
言ってモリヤは笑った。白い歯が光るように見えた。
「…違うのか?」
「違うよ。この前の小川と同じ。」
「は?」
「この前小川は、ぼくが水本と2人でピクニックに行った時の話を、根掘り葉掘り聞きたがったろう? あれと同じ。2人で何をしたか、何を話したか、とても聞きたかった。」
「‥‥なんで 水本じゃなく俺に?」
‼ ホントに! ギャアと叫びそうになってしまった。突然にモリヤが 俺の手を握ってきたから。そうして ぐいと俺の手を引っぱった。
「歩きながら話そう。」
もう、真っ暗になっていた。光を届けるつもりのないような 暗い外灯の下を通って、俺はモリヤに手を引かれて歩く。色っぽくなくても やっぱり怖い。
「水本に聞いたら、万一の時困るからね。」
歩きながら不意に口をきく。暗くて 足元が見えなくて ドキドキ進みながら、モリヤの声にさらにドッキリする。
「ま… 万一って?」
どんどん進みながら、モリヤはハハハと笑った。
「水本は 小川の家に泊まることに、微塵の後ろめたさもない。」
「う…? まあ、そうだろうな?」
「小川は あるだろ。」
「え?」
「だから、全てを教えてはくれないし、言ったとしても 言葉を選ぶだろう。」
木の根だか石だかにつまずいた。ヒヤッとしたところを、モリヤがぐいっと支えてくれる。
「お… 悪い。」
「悪くない。そのために 手を引いている。」
言ってモリヤは又歩き出す。
「水本はきっと、あるがままを全て教えてくれる。ぼくは、それはそれは嫉妬するだろう。そして何しろぼくには、そういう経験がないものだから 自分がどう出るかの予測がつかない。ただ、激しく嫉妬心が湧くことだけは 予想できる。」
「‥‥だ、だから?」
「小川が言葉を選んでした話でも、きっと嫉妬心は湧くけれど ぼくが何か怖い行動に出てしまったとしても、小川ならいいかと思って。」
はあ??? やめてくれ〰〰〰っ‼ なんだよ、怖い行動って?? もう充分怖いんだよ。モリヤが “怖い行動” と思ってない今日時点でスデに十二分に怖いんだよ‼
モリヤが思う怖い行動って、どういうのなんだろう。自分でも予測のつかない? 良かったよ〰〰 思いがけずモリヤが喜ぶことを言ってしまっていて…。ナイスだ俺! そして─────────
モリヤは ギリギリのところで合格。俺検定に合格。ギリギリ水本を守る行動を取っているから。俺は守ってくれないが。いいのだ。俺の方が、水本よりかは危険度が低い気がするしな。俺のことよりも 水本のことを考えてくれた方が、俺にとってはすごくありがたい。
明るい外灯の下にたどり着いた時、やっぱり俺は息が切れていた。
モリヤが 俺の手を離した後、自分の手のひらをじっと見ている。
「──どうした?」
俺を引っぱった時に 手首でも痛めたかと思って聞くと
「すごく手に汗をかくね。」
「えっ 俺?」
と言って 自分の手を見ると正に。
「手に汗握るって言うものね。怖いと、手に汗をかくのかな。怖かった?」
に───っこり笑ってモリヤが言う。
「ぜんぜん。」
ああ… バレバレ。クククとモリヤは笑って
「ウソツキ」
と言った。だよな。
「あ、あしたは 来るのか?」
明るい道を歩きながら俺が聞くと
「行く。」
とモリヤは答えた。つづけて
「水本に会いたい。」
と言う。俺は又してもドキドキしてきてしまう。
「…じえらしぃストームは、大丈夫なのか?」
「アハハハハ 大丈夫じゃないよ。」
「なに⁉」
「そんな簡単には収まらない。けど、もう小川でワンクッションおいたから。そんな酷いことにはならないだろう。」
「ほ、ほんとか?」
「ウソをつくのは小川。ぼくは本当のことを言うよ。」
うるせー。
「1日 休んでもいいかなとは思ったんだけど」
モリヤは立ち止まって 俺の顔を見た。そして
「毎日が貴重なんだと知ったから。会える時は会っておく。」
晴れやかに笑ってそう言った。
ふわりとモリヤの匂いがした。水本の好きな、モリヤの匂い。
別れ道で じゃあねと言ってモリヤは外灯の少ない道を帰って行った。
俺はその後ろ姿を 見るともなく見送って考えていた。
湧井は恋人。長く付き合えるのはマレ。だから毎日がとても貴重。
モリヤは正しい。俺も、会える時は会っておこう。
次の日、モリヤは宣言通り水本に会いに行きます。




