水本in小川くんち (小川くん側 その10)
水本が小川くん家にお泊まり!
俺の部屋に水本がいる。なんか不思議な光景。部屋を見回してキョロキョロしてる。楽しそう。来るの、渋ってたみたいだったのに。
俺は下に落ちてる本や服を端に寄せた。水本を呼ぶなんて考えてなかったから、散らかしっぱなしだった。昨日は帰ってないし。しかし確かに、友人が家に来るなんて いつぶりだろう。人ん家に行くのだって、俺もそういや 高校入ってモリヤの家が初めてか? あ! 湧井ん家に行ったが、あれは、そう、あれは、友だちん家ではない。まあ、何も甘いできごともなかったんだけども、だ。
「まあ 座れよ。散らかってて悪いけど。」
「あ、ううん、うん。」
へんてこな返事をして、水本は窓際の壁にもたれて座った。
「着替えるか? 何か貸すぞ。」
と俺が言うと
「寝る時でいいよ。どうせその時着替えるだろ。」
と言う。
「…モリヤん家では どうしてたんだ?」
「ん? 何を?」
「着替え。」
「ああ、うん。いつも雨で濡れてしまうから 着替えを貸してくれる。あ! 小川くんも借りた?」
「お⁉ おお、すごい雨だったからな。」
2回も貸してもらった。家の中で ひどい汗をかいたから。
「へーえ。」
‥‥‥羨ましがるなよ。ほんとかわいいな、こいつ。普通 羨ましくても、そんな素直に出さんぞ。
「俺もTシャツぐらい貸してやる。ホラ。」
水本にTシャツを渡すと、水本も頷いて着替え始めた。
着替え終わると水本は ホッとしたように笑って
「ありがとう。」
と言った。
クーラーもきいてきて涼しくなった。俺もホッとして 水本の斜め向かいに座って ベッドにもたれた。真向かいに座ると、ちょっと近すぎる。なにせ部屋が狭い。考えると モリヤん家は広いな。あの家で一人暮らしなんだもんな。奥がどうなってるかは、結局見なかったけど。
不意に水本が へへへと笑った。
「なんだ? どうした?」
俺が聞くと
「小川くんはオレと、何の話がしたいのかなーと思って。へへへ。キャンプの相談? それとも 湧井さんのこと?」
「湧井?」
「うん。高校生男子の話だもんな。恋愛ごとかなと思って。でも 残念ながら オレにはアドバイスは無理だなァ。話を聞くだけとかなら いけるよ。」
なんか うきうきしてんな水本。誰が恋愛相談だよ。
「湧井の話じゃないよ。」
「えっ。なんだ 違うのか。聞くのに いくらでも。」
まだ嬉しそうな顔して言ってる。俺と そんな話がしたかったのか? ちょっと意外だ。
「…おまえ 恋バナ、興味あんの?」
「あるよ!」
ええ~~? 意外~~。
「‥‥モリヤと恋バナ、する?」
「えっ? モリヤと?? ‥‥いや? したことないな。」
そりゃそうだな。モリヤの恋バナは、水本にした時点で ただの告白だ。
「俺が恋バナしたら 水本もする?」
「オレ⁉ うーん… 残念ながら 恋バナと呼べるようなものは、オレにはナイ…。過去にもないしなァ…。」
あるじゃないか 水本‼ まさに現在進行形で‼ モリヤなんか、超恋バナ祭だったぞ‼
「そういえばオレ、小川くんと湧井さんの付き合うきっかけとか 聞いたことないや。どっちが告白したの?」
目がキラキラしてる。いやいや水本、今日はそんな話をしたいのではない。
「もう 1年ぐらいになる? 一周年記念とかするの?」
「しない。」
一周年記念〰? 俺はちょっと、じっと水本を見つめてしまった。発想が女子っぽいぞ。
「うん? なに? 湧井さんは しようって言わない?」
「…いや?」
「小川くんに言ってほしいんじゃないのかなァ。そういうの、女の子って嬉しいんじゃない?」
‥‥確かに、そうかもしれんなァ。そういう女子心理は、俺にはいまいち よく分からん。記念って何だよ。
「おまえだったら、する? 一周年記念。」
「ええ? オレが付き合ったら? うーん… 一周年記念かあ… 日にちまで覚えてるかなァ…。付き合い始めた日が、クリスマスとかバレンタインなら 覚えてるかもね。そういう日なら… でもすでにイベントかぶりか。」
なんて言って笑う。
うん‥ そうか。水本とモリヤは まだ "付き合ってる" の定義には入らないのか。お互い、告白はしてないんだもんな。お互い実にあからさまだとは思うけど。態度はどう見ても 好き同志だけど。こういう場合は 記念日の設定は難しいかもな。
‥‥‥けど、モリヤは覚えてるぞ…。いろいろ細かいとこまで、覚えてるぞぉ…? ‥‥まあ、ヤツは記念日パーティを求めちゃいないだろうが。
そういう意味で言うと、モリヤこそ毎日が記念日っぽいな。水本と喋った。水本が笑った。水本が誘いに来た。水本と一緒に帰った。水本が家に来た。水本が歌をうたった─────。モリヤにとっちゃ、いちいち一つ一つが記念すべき出来事だろう。
「あ、モリヤに湧井さんの話、した?」
「するわけないだろ。」
「なんで??」
なぜそんなに驚く? おまえの反応が なんで?だ。
「モリヤは湧井に興味がないよ。」
「興味? ───湧井さんに興味のない男子なんて いるかなあ?」
水本は真面目に言う。
「そりゃいるだろう。」
俺が言うと 水本はへへへと笑った。
「なんだよ?」
「そう思いたい気持ちは分かるけども。多分いないよ。湧井さんは 魅力的だよ。」
俺は、ぶっと吹き出してしまった。魅力的って…。
「なんで吹くんだよ。湧井さんはかわいいよ。とても もてるよ。」
「知ってるよ。おまえの言い回しがおかしかったんだ。」
「言い回し?」
「今どき 魅力的だなんて言わないよ。」
「えっ。魅力がある人のことを 魅力的って言うだろ?」
「言葉は合ってるよ。高校生はあんまり言わない。」
「そ、そうかな?」
「そうだよ。そして いくら魅力的であっても、モリヤは興味がないよ。間違いない。」
「‥‥そりゃ 好きではないと言ってたけど でもそれは、恋愛感情がないって意味だよ。恋人になりたいとまでは思わなくても 興味はあるよ、きっと。」
ないし。
「けど ふーん? まあ 水本が湧井を好きなのは知ってるけどね。それは 湧井が魅力的だからなのか?」
「そうだよ。湧井さんには とても魅力があるよ。小川くんにもあるよ。とても。ベストカップルだね。」
俺は又もや吹き出してしまった。ベストカップルときたか。
「笑うとこじゃないよ。」
水本が抗議するけど いやいや、明らかに笑うとこだ。
「おまえの言葉のチョイスは古くさすぎる。意味は分かるけどさ。誉めてくれてサンキュー。」
「ええ~? そうかな。古くさい? じゃあ なんて言うの? ステキカップル?」
「なんだよそれ。」
俺はゲラゲラ笑ってしまった。水本はほんとにおもしろい。水本を家に泊めて 一晩中一緒に過ごしたいという気持ち、分からんでもない。いや違う。そういう意味で 泊めたいんじゃないんだ、モリヤは。そう、そこ、それ。その話。
「水本、話というのはな」
俺が核心に触れようとした時、玄関がガチャガチャ鳴って ドアの開く音がした。
「あれ? 誰か帰って来た?」
「ハハだろう。」
「母?? 小川くん お母さんのこと、ハハって呼ぶの?」
「本人に母上とは呼ばないよ。」
ただいまと声がする。
「オレ、挨拶する。」
水本が立ち上がった。自ら出向くのか。礼儀正しいやつだな。
「じゃあ 晩メシたのむついでに。」
俺は水本を台所に連れて行った。
「おや。」
と母親が言う。
「いらっしゃい。昨日泊めてくれたお友だち?」
「あ! いいえ! えーと おじゃましてます。」
「今日こいつ泊まる。晩メシたのむ。」
「うん? なに? 泊まりっこが流行ってんの?」
なんだよ 泊まりっこって。
「たまたまだ。たのんだぞ。」
俺は水本を引っぱった。水本は慌てたように
「と 泊まらしてもらいます。水本です。」
変な自己紹介をした。母親も ハハハと笑って
「どうぞ泊まって下さい 小川ハハです。」
バカな挨拶をしている。
部屋に戻ると水本が
「お母さん、小川くんと似てるね。」
「そうかァ?」
自分では そう思わない。
「顔が というより雰囲気が。明るくて感じがいい。」
「そうかな? 暗くはないけどね。」
おっと話が途中だった。
「座れ水本。大事な話だ。」
「あ、うん。大事な話?」
「ああ。とても。とても大事な話。」
「な、なんだろう…。あっ!」
さすがに分かったのか?
「もしかして、キャンプのこと? モリヤ、やっぱり泊まりにしようって? だって小川くんも 泊めてOKだったんだもんな。」
違う~~。
「そんなことじゃないよ。水本。」
「はい。」
俺が真剣な顔をしたせいか、水本も真面目な返事をした。
「なんでモリヤの家のこと、俺たちに言わなかった?」
「うん? モリヤの家のこと?? って?」
「家の中が、真っ暗だってこと。」
「あっ‼ そっ… そっか… 小川くんも経験したんだな。」
経験… って、なんかやらしい言い方… いやいや考えすぎ。モリヤと長く喋ったせいで、モリヤ風に聞いてしまう。
「真の闇なんだろ?」
「え?」
「なんにも 見えないんだろ?」
「‥‥日が暮れたらね。あと大雨の時…。‥‥小川くんも見えなかっただろ?」
「見えた。」
「え⁉ みえた?? あれ?? 見えるの? すごい雨だったよね? 夜中過ごしたんだよね? ‥‥もしかして 俺の目が悪いのかな… 超鳥目??」
「違うよ。水本の目は悪くない。」
「え… だって‥‥ ‥‥じゃ、小川くんとモリヤの目がメチャメチャいいの?」
「モリヤの目はメチャメチャいいよ。」
「…小川くんも…」
「俺は普通。」
「だって見えたって…。」
「灯りがあった。小さいやつだけど。」
「ええっ⁉ あかり??? ほんとに???」
水本はほんとに びっくりしてる。
「俺には あの暗さは無理だって、モリヤが判断したんだろ。実際ムリだし。」
「え… でも… モリヤの家、電気きてる? きてないよね? 火の気も、ないし…」
「ああ。電気でも火でもなかった。──あれは… なんか自然の発光体じゃないのかな。ヒカリゴケとか ホタルイカとか そういった類いの。」
「ホタルイカ??」
「まあ ものの例えだよ。」
「ん‥‥ あ! ああ! うん! そういえば、トイレに灯りがあった! 俺も見たよ! …そうか。うん、そうだね、あれは… 電気でも火でもなかった。発光体… そうだね、そんな感じ。蓄光テープみたいなね。」
「蓄光… ああ、な。」
「…けど… そうか… 灯りが‥‥‥ ふうん…?」
なんか考え込んでる。
「で? なんで言わなかったんだ?」
「ん? ん‥‥ あ…あえて言わなかったんじゃないよ…。」
「あえて、だろ。一度も言わないのは おかしいぞ。」
「ほ、ほんとに、最初は全然隠すつもりもなくて…」
「最初は? じゃあ、今はよ?」
「‥‥‥」
「あえて、言わなかったろ。隠してたな?」
「…だって」
「だってなんだよ?」
「また心配するかもと思って‥。2人があんまり心配するから、なんか言えなかった…。」
「暗闇で何してんだよって? エッチなことされたんだろって?」
「‼ おっ 小川くんっ‼」
水本は首を横に振り回しながら 真っ赤になっていた。
「そりゃ 言われるよ。水本も分かってたんだ?」
水本は ブンブン首を振りながら
「違うっっ。何もないのに モリヤがそう言われるのが‥‥」
水本は首を振りすぎて、ここで言葉がつまってしまった。ハアハア息をして
「言われるのが 嫌だったから… ホントになんにもないんだから。」
そう思ってるのは水本だけ! モリヤは絶対いろんなこと考えてるんだから。
「水本な、」
水本は真っ赤になったまま、下を向いて大きく息をしている。
「そんな暗闇で じっとしてて、何が楽しいんだ?」
「えっ」
と言って水本は顔を上げた。真っ赤。
「…ん… うーん‥‥」
水本は考えて
「楽しい…というか… えーと… モリヤの家に行くと、時々発見があって…」
「発見?」
「うん。知らなかったことを知ったり…」
俺はギョッとした。ギョッとした自分自身に対して首を振った。違うって。もう、すぐ発想が危険な方へいってしまう。モリヤのせいだ、モリヤの!
「知らなかったことって何。」
「うんと… 例えば、あ、うん! ほら、モリヤの家は暗いとかさ。電気がないとか。なのに、なんでか暑い時期でも ひんやりしてるとか。とても歌が好きだとか。」
顔の赤いのが引いてきた。嬉しそう。
「モリヤの気配はとても薄いとか… あと、料理をしたりするんだとか。」
おっと 恋バナに突入してんのか?
「モリヤは… 家にいる時、とても、とても盛大に香りが立つことがあるとか…。」
水本は、にっこりした。
「モリヤの匂いが強く立つと オレはそれだけで、とても楽しい。」
‥‥なるほど。匂いね。したな、確かに。すごく強烈な匂いが…。なるほどな。水本はそれが楽しいんだ。匂いに見える見えないは 関係ないものな。けど‥‥。
「────怖くないのか?」
「? 怖い?? 何が?」
「真っ暗で。ずっと何も見えないんだろ?」
「‥‥うん。ずっと何も見えない。でも怖くは…。匂いがしたら、モリヤがいるの分かるし。あと喋ってても。…小川くんは、怖い?」
「暗いのが怖いわけではないが、暗闇でモリヤと2人きりは 俺は嫌だな。」
「なんで?」
「なんでもクソもない。」
「‥‥‥」
「───あのさ、」
「‥‥うん‥?」
「いろいろ聞きたいことはあるが」
「‥‥‥」
「料理のことな、」
「…りょうり…」
「ああ。水本、モリヤん家でメシ食ったろ。」
「‥‥‥‥」
明らかに 水本の顔色が変わった。目がおよいでいる。
「そのことなんだけどな」
俺がメシのことを聞こうとした時、母親の声がした。晩ごはんができたと 台所で言っている。じゃまが入るなァ。…ジャマなんて言ったら バチが当たるか。
「水本、先にメシ食おう。」
「…う、うん…。」
特に用意もしてなかったから いつもの食事だったが、母親は珍しい客で嬉しそうだった。水本も嬉しそうに、おいしいおいしい言って食べていた。もちろん、自分ん家に電話も入れていた。
さて、メシも食った。せっかく泊まりに誘ったんだ。ちゃんとゆっくり話をしたい。もうじゃまを入れずに。
「水本、先に風呂入っちまおう。シャワーでいいか?」
「う、うん。」
俺は風呂場に水本を連れて行った。石鹸類は好きに使えと伝える。
「着替えは持ってきて ここに置いといてやる。」
「うん。ありがとう。」
「‥‥一緒に入ってやろうか?」
水本の反応を見てみたくて 言ってみた。
水本は え?と俺を見て、ハハハハと爆笑した。
「シャワー一緒に入るって 聞いたことない。1個しかないのに どうするの? かわりばんこ? ハハハ。」
良かった。ごく普通の反応。俺はモリヤに言われた時…シャワーではなかったわけだが…普通の反応はとれなかった。───水本は、どうだろう。モリヤに同じこと言われた時、普通に返せるのか? 果たして、だ。
シャワーだけなので 水本はすぐに出てきた。入れ代わりに 俺も浴びに行く。
部屋に戻ると、水本は機嫌良く窓辺に座って 鼻歌を歌っていた。いろいろ水本のことを困らせているのに、さっきだって真っ赤になって とても困っていたのに、今、水本は機嫌が良い。
「…楽しい?」
思わず俺が聞くと
「うん。楽しいよ。小川くんの家に泊まりに来れるなんて、思いもしなかった。ありがとう。とても嬉しい。」
おっと。モリヤん家と どっちが?なんて言いそうになった自分に気付く。やきもち女子か。男友だちと私とどっちが大事?なんてね。
「まあ 俺ん家では、何の発見もなかろうがな。」
俺が小さくため息をついて言うと
「そんなことない。さっそくあったよ。お母さんが小川くんと似てるとか 小川くんはシャワー派とか。」
「シャワー派?」
「だろ? オレは湯舟に浸かる派。」
「ん? 浸かりたかった?」
「ううん。そういう意味じゃなくて。」
そう言って水本は へへへと笑った。
「親しくしてるのに、やっぱり大半のことは知らない。そんな、まだ知らない細かなことを知ってしまった時にオレは、楽しいなァと思う。」
「‥‥おまえは 変わってるな。」
「そうかな?」
水本は首をかしげた。
「湧井さんの小さなクセとか発見した時、嬉しくない?」
「ん?」
クセ? なんかあったかな?
「あ! ほら、クセじゃないけど 湧井さんは歌が上手ってオレに教えてくれた時、小川くん嬉しそうだったじゃないか!」
「うう?」
「ね? そういう発見は嬉しいよ。湧井さんは ホントに歌が上手。オレがそれを なんで知ってるか、教えてやろうか?」
「何? まさか2人でカラオケに行ったとか 言わないよな?」
水本はハハハと笑った。
「言わない。カラオケは行ってないよ。じゃなくて、学校で湧井さんが歌ってくれた。」
「歌を? どういう状況?」
「だいぶん前の昼休みに、五月雨の話をしてたんだ。」
「さみだれの話?」
「うん。とてもかしこそうな会話をしてたんだよ。さみだれは五月の雨だけど、春の雨って意味じゃなくて 梅雨のことだって。小川くん知ってた?」
「知らん。」
「へへへ。かしこそうだろ? それでその時に、湧井さんが五月雨って歌詞が出てくる歌の話をして。で、オレが歌ってと言ったら 歌ってくれた。」
「ふ───ん。」
なんか美しい2人だなァ。俺とモリヤの会話とは大違い。
「とても上手だった。」
「何の歌だ?」
「初恋。」
ハツコイ… ───ああ! 言ってた。モリヤが言ってた。水本に歌ってもらったって。水本は湧井に教えてもらったんだって。───あの時のモリヤは、超絶に色っぽかった。色香が溢れて、俺は溺れそうだったんだ。いかん、思い出してしまった。俺は必死であの時のモリヤを 頭の中から振り払った。思い出すだけでドキドキしてしまう。それほどに恐ろしい色気だった。
「どんな歌?」
モリヤを完全に振り払ってしまうために 俺はとにかく声を出した。
「キレイな歌だよ。」
「歌ってくれよ。」
「えー? 湧井さんに歌ってもらったらいいのに。オレよりずっと上手だよ。」
「今、聞きたいんだ。」
断固、俺は言う。
「今?」
「今。それとも何か。モリヤには何曲も歌ってやるのに 俺には1曲も歌うのはイヤだとでも?」
「そんなこと言ってないよ。湧井さんの方を聞きたいだろうと思っただけで…。」
俺は首を横に。
「水本の歌が聞きたい。」
言ってしまって、俺は少し恐怖を感じた。これ、ヤバくないか? 水本を家に泊めて(モリヤより先に)、水本に歌をうたってもらう(今までモリヤだけの特権だった)‥‥‥ これって‥‥ ポイント、100できかないんじゃないか…?
いきなり水本が歌い出した。
‥‥‥うん。超上手いってわけじゃないけど、なんかいい。気持ちのいい歌声っていうのか…
ほんとだ。きれいな歌‥‥。俺は目を閉じて 聞いていた。歌は2番に入った。
歌い終わって水本が
「きれいな歌だろ。」
と言った。俺は目をつぶったまま頷いて
「もう1回歌って。」
と言った。水本が いいよ。と言った。
淡い光が射している。光の色が、透き通った緑に見える。うんと高い所から、木もれ日が射しているような感じ。ああ ここは、モリヤの家だ。闇ではない、朝の森の家。
「小川は勇気があるね。」
声に振り返ると モリヤが立っていた。笑ってる。勇気?
「ウソつきで 勇気がある。詐欺師になれるよ。」
そんなものには ならん。
「あぁあ。」
とモリヤが大ゲサなため息をつく。
「ぼくは最近 水本に歌をうたってもらえてないのに。」
俺を見てにっこりする。
「ずるい。」
俺は怖い。
あ、歌が聞こえる。水本だ。
「ポイント────」
モリヤが少し首をかしげて考えている。…ポイント?? 俺がドキドキしてモリヤを見ていると 指を1本立てた。1、ってことは ないだろうな…。
「‥‥ひゃく?」
俺が聞く。いや、口を動かした。けど声は出なかった。なのにモリヤは 笑いながら首を横に振った。
「1万。」
ああ‥‥。 光が星になって降ってきた。パラパラ パラパラ、こんぺいとうみたいに降ってくる。それが目に当たって、痛いぐらいに眩しい。たまらなくなって 俺は目を開けた。
─────あれ?
目、つぶってたのか? うん?
─────明るい。日がさんさんと射している。暑い。俺は ハッとして上体を起こした。
────俺の部屋。床で寝てた… 寝ていた?
「おはよう。」
と声がするから振り向いたら それはもちろんモリヤではなく
「…水本…」
「よく寝てたね。9時だよ。」
9時‥‥ 9時⁉
「水本‼」
「うん?」
水本は 床に座っている。…俺も、床に座っている。足元に、タオルケットがのっかっていた。
「朝か…⁉」
水本は ハハハと笑った。もちろん、と笑った。
「俺、いつ寝た?」
必死で記憶をたどる。確か、確か… そう、歌を… 初恋を 水本が歌って‥‥
「オレが歌ってたら寝てた。すごい寝つき。」
水本は笑う。
「小川くんが寝てしまってから気付いた。小川くん、モリヤのとこで寝てなかったんだろ? そりゃ眠いよ。ごめん、オレすっかり忘れててさ。」
なんで水本が謝る⁉ 俺だ! 俺が悪い‼ ああ…‼ なんてことだ‼ なんのために水本を泊めたんだ‼
「小川くん? 大丈夫? しんどくなった?」
「違う。水本ごめん! 俺が悪かった‼ 呼びつけておいて あんなに早く寝てしまうなんて。寝るつもりなんか、全くなかったってのに!」
「あはは いいよ、そんなの。眠くなって当たり前だよ。オレ勝手に本棚の本とかマンガ、読ましてもらったよ。あ、あと 課題もできちゃった。」
嬉しそうに笑ってる。俺は笑うどころではない。何の話もしていない。何やってんだよ、俺‼ 俺は ハッとして水本を見た。
「…おまえ、どこで寝た? ベッド、使ってくれたか?」
「いいや。小川くんも床で寝てたから。夏だし平気。」
オ~ノ~‼だ!
「‥‥俺、何時ごろに寝たんだろう…」
「8時ごろかなあ。」
オ~~ノ~~~っっ!!
「とっ とにかくっ! 朝メシ食おう。腹へったろ?」
俺は立ち上がった。悪い悪い。ホントに悪い。さぞ所在なかったことだろう。初めての人の家で 1人ぼっちにされて‥‥
水本を連れて、俺は台所に行った。無人。あれ? 気配がないな、と思って テーブルのメモに気付いた。姉んとこへ行くと書いてある。呼び出しだ。
「お母さん、お出かけ?」
「ああ。姉の家。」
「お姉さん?? 小川くん、お姉さんいるの?」
「いる。結婚して家出てるけどな。こないだ、あかんぼ産まれたんで ちょくちょく母が呼び出される。今日もソレだ。」
「結婚してんの? あかちゃんいるの?? すごい! 小川くん、おじさんなのか!」
「そう おじさん。」
「お姉さん、何才?」
「24。いや、5になったのかな。」
「へ───────え。」
楽しそうだなあ水本。そんなに興味深い話だろうか? 俺には メシを自分で作らなければならないということの方が重要。
メモの隣に食パンが置いてある。その四角い袋の隣には、カップスープの素の箱。…ああ…。休みの朝なら こんなもんだが、水本にメシでもって詫びたい俺には ショボすぎる…!
俺が テーブルの上を見つめて立ち尽くしていると
「どうかした?」
と水本が聞いた。
「起きぬけで ごはん食べられない?」
「いいや。」
俺がそんな繊細なもんか。問題は食べられるかどうかではなく。
「小川くんは食パンは焼く派? 生で食べる派?」
ハ? なんのハだよ。おもしろいな水本は。
「焼くよ。生で食うほど高級食パンじゃない。」
「オレ、高級じゃなくても生で食べる時あるよ。でもオレは、焼くのも生も どっちも好き。」
「今日はどうする? 焼く?」
「小川くんが焼くんだったら オレも焼く。」
嬉しそうに答える。かわい…。どうしても、せめて1品 おかずを付けてやりたい。俺は冷蔵庫を開けた。ハムとかないのか? ハムとかツナ缶とか! ────ない。パンには‥‥玉子か! 玉子ならある!
「‥‥‥」
「小川くん?」
「うん?」
「なんか困ってる?」
「いいや! 困ってない。パ、パンを トースターに入れてくれ。俺は玉子を焼く!」
「えっ‼ 小川くん料理するの⁉」
「料理ってほどのもんじゃない。焼くだけ!」
俺がそう言ってるのに、水本は オ~~ッ と感動したような声をあげる。期待するなよ~? 俺に料理の腕はない。
フライパンに… 油を引く。火を、点ける。ああ動きが ぎこちない。パンをトースターに入れた水本が、近くに来ておもしろそうに見ている。…気がする。近くにいるのは確か。でも水本の顔を見る余裕は、俺にはない。
玉子を割って、フライパンに落とす。見事だ! 見事に黄身が割れてしまう。ヘタクソの見本みたいだ。もう1つ割る。なんとか黄身が無事。よし。いい。1つ無事なら水本用だ。
パチパチ油が鳴るフライパンをじっと見つめる。今時、玉子も焼けない高校生男子は ダメである。料理だってなんだって、できる男が今はモテるのだ。
なかなか半熟に固まってる感じにならない。フチが焦げてきた。仕方ない。フライ返しで皿に取る。あああ、だ。もう1つの黄身も潰れてしまった。焦げてる上に、ぐっちゃり。
がっくりして皿をテーブルにのせる。水本は冷蔵庫からマーガリンを出して、パンにぬっていた。声をかけてきてたかもしれないが、俺には聞こえてなかった。玉子1つ焼くのに 必死すぎ。情けない。
モリヤが かっこよく思えてしまった。サラダはきっと、玉子を焼くより簡単。でも、自信を持って出す。ヤツにはブレがない。そして美味しい。なんか カッコいい。ガックリ。
「…飲み物、牛乳でいいか?」
水本は嬉しそうに、ウンと頷く。
コップに冷たい牛乳を入れて キチャナイ見た目の朝ごはんだ。水本は両手を合わせて、いただきますと言った。
俺は玉子に手を伸ばす。心配だからだ。焦げてるところの苦味しかない。塩をふるのを忘れた。俺は慌てて塩をふった。
水本は──── 食パンに ぐちゃぐちゃの玉子をのせて、かぶりついている。そして
「あ! 美味しい! 美味しいよ、小川くん!」
本気に見えるよ。ありがとう水本。
「全然上手くいかなかった。残してもいいぞ。ハンバーガーでも食いに行こうか。」
「なんで‼ これで充分! オレは とても嬉しい。」
水本はにっこり笑う。
俺も絶対、もしも彼女が料理を作ってくれた時、例え不味くても 嬉しいと言う! 作る側の気持ちが分かったからな! とても美味しいとは思えない朝食を、俺はモシャモシャ食べながら ふと気が付いた。こんな物でも水本は、美味しい 嬉しいと言って、上機嫌で食ってくれる。なのに何故モリヤが料理を出した時、大喜びしなかったのだろう。夕べは、この話も結局できていない。俺が寝てしまったからな。
俺にとっては失敗の朝食を 牛乳で流し込んでから俺は
「水本」
と言った。水本も最後の一口を ごっくんと飲み込むところだった。
「うん。ありがとう。ごちそうさまでした。」
と、笑顔で言う。
「水本」
俺がもう一度言うと、何と答えた。
「昨日したかった話をするぞ。」
「あ、うん。何?」
水本は笑顔。
「モリヤの家のメシのことだ。」
笑顔が止まる。
「モリヤは水本に料理をしてくれたんだろ? サラダと、あと もっとちゃんとした料理も。」
「‥‥‥」
水本は目線を落とした。
「モリヤは、水本が大喜びしていなかったと言った。」
「よ‥‥」
水本は目を上げて俺を見た。
「喜んだよ‥。と、とても おいしかったし…。」
俺は首を横に振った。
「喜んでいるようには見えなかったと、モリヤは はっきり言った。」
「そんな…。」
水本は困ったようにそう言ったが、反論にはならない。
「なんで?」
と俺は聞く。
「なんでモリヤにメシを出してもらって、水本は今みたいに喜ばなかったんだ? なんで───── 恥ずかしいんだ?」
ハッとした顔を、水本はした。そして見る間に赤くなった。水本は赤くなったのを隠すようにうつむいた。でも真っ赤なのは隠せない。耳の先まで赤くなっている。
「水本?」
食事と恥ずかしいは、俺には繋がらない。現に今も水本は、恥ずかしさのカケラもなく朝食を食ったのだ。
「りょ…」
うつむいたまま水本が口を開いた。でも言葉が上手く出ない様子。
「りょう、りょうりに、目覚めたって、モリヤが言うんだ…」
「…へえ? それで?」
「そ、それで 作ってくれてたから、びっくりしたし 嬉しかったからオレ、食べるって 言ってしまって…」「うん?」
「‥‥」
「なんだよ? そりゃ食べるだろ?」
「オレ、モリヤに何か出してもらったらいけないって、分かってたのに… つ、つい、モリヤの手作りの料理という意外さに とんでしまっていて‥‥」
「だからなんでいけないのかを言えよ。」
「‥‥‥」
水本は又ちょっと黙って、それから つばをゴクンとのみ込んだ。
「…その 料理作ってくれた日より前の時に、サラダを、出してくれたんだ。」
「うん。」
「そ‥その時に、オレ…」
「? なんだよ? 食べたんだろ?」
「た‥‥」
水本は絶句してうつむいている。赤くなったまま。
「うん? 何? サラダ食うことの何が恥ずかしい?」
「‥‥‥」
それでも水本はしばらく黙って、それからやっと
「‥‥赤ちゃんみたいだったから。」
と言った。
「??何が? 誰が?」
あかちゃん?? 意外なフレーズ。
「‥‥オレが。」
「なんでだよ?」
水本は 絞り出すように くぅ… という声を出した。そして
「く、く、くらいから…。全くオレには見えなくて‥‥ 手、手にのせてくれと たのんだんだけど モ、モリヤが、手が汚れるから く‥‥」
水本は手の甲で 額の汗をぬぐった。気付くと水本は、汗びっしょりになっている。
「く…くちに、入れてやるって言って…」
俺はドキンとした。
「たっ 食べさせてもらったのか‼ あーんして‼」
「あ‥‥」
水本は ますますうつむいて、しきりに汗を拭うけれど 手の甲では限界がある。俺は立って行って タオルを渡してやった。
聞こえないような声で水本は、ボショボショと礼を言って顔を拭いている。
俺はドキドキしながら、ため息をついた。
なるほど。ようやく納得。
そうだ。モリヤの家は暗い。水本が行った時は 小さなアカリすら無い。真の闇だ。サラダも料理も見えん。見えなくては、食べられない。
そりゃ 恥ずかしいわ。アーンして口に入れてもらうなんて。水本は恋人とも思ってないんだし。
ああ そうか。それでね。恥ずかしそうに口を開ける水本が、モリヤにはたまらなかったわけか。
あああ ドS。可哀想な水本…。 けど水本は いじめられてるとは思ってなくて、いたしかたないと思ってるんだろう。恥ずかしさは究極なんだろうが、モリヤが喜んでやってるとは思いもせず。
それで 恥ずかしくて内緒にしてたのか。
「で、でもっ」
水本は 必死な感じで顔を上げて俺を見た。
「料理は勘弁してほしいと、ちゃんとたのんだからっ。だから も、もう、大丈夫と思う…。」
どうも自信なさそうに そう言った。
さあどうかな。モリヤはうまいこと言って 食べさせようとしてくるんじゃないのかな。水本が逆らえないように、うまいこともっていきそう。モリヤは─── 水本は全く思い通りにはならないと、そう言っていたが、人を そうさせるよう〝しむける〞ことは、モリヤには全く造作ないことに 俺には思える。とても、そんな気がする。
「怖い目にあったら必ず言えと言っただろう。」
俺がため息をつきながらそう言うと、必死で下を向いて汗を拭いていた水本が、えっ? と顔を上げた。
「なんで そんな怖い体験を言わない。俺には恥ずかしいとか思う必要はない。湧井には黙っとくから、俺には言ってくれ。」
俺がそう言うと、水本はまだ少し赤い顔ながら、キョトンとした表情になった。
「怖い…ことないよ…? なんで?」
‼ なに⁉ おいおい水本…
「怖いじゃないか。」
またもや俺は、ため息をついてしまう。
「ん? んん?? は、恥ずかしかったけど、怖くは…。恥ずかしいと怖いは 違うよね‥?」
「ちょっとぐらい恥ずかしくても 怖いとは言わないが、今回の話みたいな 辱しめを受ける的なのは、怖いと言うぞ?」
「は‥ はずかしめ…??」
水本は目を ぱちぱちとしばたたいた。
どうしよう。他に何もされてないだろうな…? ホントに心配になってしまう…。もう、本当に、絶対泊まったりしたらダメだ。もしも泊まったりなんかしようものなら───
────水本とは、一緒に入ろうかなァ‥‥
モリヤの嬉しそうな顔が浮かんでしまった。ダメだ! 怖い‼ 怖すぎる…‼
でも… ここまで何の疑いもなく、純粋にモリヤのことが好きな水本に、モリヤの真理をどう伝えよう。どう言えば分かってくれるのか。危険なんだぞと。ほんとに 何されるか分からないんだぞと。
「小川くんも何か食べた?」
不意に水本が言った。必死で水本へ どう話すかを考えてた俺は、ハッとして水本を見た。
「うん? 何?」
「モリヤの家で、何か食べた?」
「あ? おお。サラダを出してくれた。」
「ふう~~~~ん‥‥」
水本は長くそう言って俺を見る。…妬いてるのかな。
「見えたんだ?」
「…ああ。もちろん。見て、自分で箸で食ったぞ。」
「ふう~~~~────ん‥‥」
「…なんだ? 何考えてんだ?」
「‥‥小川くんが」
「ん?」
「暗いから灯りを点けてって言ったの…?」
「いいや。」
「‥‥家、入った時に すでに灯りが?」
「‥‥いいや。…でも家に付いた時は 真の闇でもなかったような…。暗かったけど。だいたい 最初はあがるつもりもなかったんだ。雨のあたらない、人気のないところで話をするだけのつもりだったから。モリヤも家にあげるつもりは なかったんだよ。」
「え…? そうなの?」
「ああ。最初は家にあげないという条件付きで、家まで行ったんだ。」
「…家にはあげないのに 家に行くとは…?」
「うん、だから 雨宿り。かまちに座るぐらいは許すって言ってた。」
水本は びっくりまなこになっている。
「なんで…?」
「モリヤはな、」
「うん…?」
「モリヤは 水本以外は家にあげたくない、と 俺に言った。」
「ええ?? えええ??? だ… で、でも、だって…?? 小川くん、泊まったんだよね??」
「当初の予定ってこと。二人とも あげるつもりも、あがるつもりもなく行ってんだ。モリヤが俺を結局家にあげたのは、水本に嫌われたくなかったからだ。」
「はあ?」
水本はポカン。
「びしょ濡れの俺を放置したら、人でなしって言って 水本が怒ると思ったんだ。」
「‥‥なに それ…?」
「そう、モリヤが言ったんだよ。」
「うそだろう…?」
俺は笑ってしまった。
「ウソなんかつくもんか。」
つくけども。これは本当。水本は ちょっと考えて
「冗談かな。」
と一人言みたいに言った。
「うん、でも オレがどうとかじゃなく、つまりモリヤは 小川くんを帰せなくなったんだろうな。すごい雨だったもの。帰せなくて だからそしたら、ずっと入口に立ってるなんて、そんなことできないもんね。」
水本は考え考えそう言った。どこを納得して どこに引っかかっているのか、水本の考えも 俺には全部は分からないが。
「そしてモリヤは」
水本は考えながら
「灯りを 点けたんだ────。」
あかり? うん? 水本は灯りにこだわってんのか?
あかり。灯りにこだわりたいのは、むしろ俺の方だ。
「水本」
少し水本は ぼんやりして見えた。考えすぎてボーとしてんのか?
「水本、あかりと言えばさ」
「え」
「水本はなんでモリヤに灯りを点けてくれと言わなかったんだ?」
「え?」
「え?じゃないよ。あんな真っ暗闇なら、灯りをくれと言うのは当然だろう? ましてやおまえは、メシが食べられなくて 死ぬほど恥ずかしい思いをしたんだろうに。」
「う…」
水本は言葉をつまらせて 少しうつむいた。
「モリヤが、水本は灯りを求めたことがないと言ってたぞ。なんでだ?」
「‥‥‥」
「灯りをくれと言ったら、きっとモリヤは点けてくれる。そうは思わなかったのか?」
「‥‥‥」
「それとも、モリヤは意地が悪いから、灯りをくれないと思った?」
「モ! モリヤは意地悪じゃない! オレはっ」
「なんだ?」
「オレは… モリヤ… モリヤの、森の家が、好きなんだ…。」
「───ああ。」
「モリヤは、ずっと オレにとっては… 不思議な存在で… ウワサも、匂いも、あの家も…。そんなモリヤの存在自体にオレは、神秘を感じていて… だから、オレ、モリヤの生活を、乱したくなくて…。も、もちろん どうしようもなく邪魔したり、乱したりしてるとこはあるんだけど、せめてオレのできるだけのことは…と…」
〝ぼくの生活を乱すことはしない〞と、モリヤは言った。本当にそれだけの理由なのか。モリヤの生活を乱さないために 灯りも入れず、暗闇で過ごしているというのか────。~~~~ 変な、やつだ‥‥‥‥
‥‥神秘、かァ‥‥ 神秘的…ね。神秘的でステキ───。
───神秘的は 誉め言葉だよね
と言ったモリヤの嬉しそうな顔が、ちらついてしまう。
─────水本は ぼくを何だと思ってるんだろう。
と、言った時も、モリヤはとても嬉しそうだった。
─────ひどく誤解しているような気がして、さすがに不安になるよ。
と、全く不安そうじゃなく言った。
本当だよ。本当に水本は モリヤを何だと思ってるんだろう。絶対、ひどく誤解している。ものすんごく誤解している。
違うぞ。
自分の知らない未知の世界を神秘と言うのなら、まあ… 全くのハズレとも言えないか…。
水本には分からないんだろう きっと。水本の言うところの 超いい匂いを発するモリヤの頭の中が、ドスケベにまみれているなんて。ああ困った。もし俺がそんなこと言おうものなら、水本は怒るだろうな。そんなハズないって。だって、神秘の人なんだからな。
「水本、」
おもむろに、俺は口を開く。
「うん?」
「聞いておきたいんだがな、」
「何?」
「水本は、モリヤの家に、泊まりたいのか?」
「うん?」
「泊まりたい? 泊まりたくない?」
「と‥‥」
水本は口ごもって、ちょっと考えた。
「…泊まりたくなくはない…」
ややこしい言い方をするなあ‥。
「泊まりたいのか?」
「‥‥‥泊まってみたい…とは思うけど…」
「うん? けど?」
そうか。うん… やっぱり泊まりたいんだな。危ないなあ。
「けど‥‥ 泊まるとなると、いろいろ やらなくちゃならないことがあるし…」
❓!! ちょっと待て水本…
「や… やらなくちゃならないことって、何だよ?」
「え‥と‥ まず‥‥ ごはんだろ… それから、歯みがきとか お風呂とか‥‥」
うん?
「それが、嫌なのか?」
そりゃ確かに。俺は嫌だ。モリヤの家でのそれは。それはっていうか、もう全てが怖いからな。でも 水本もか? 水本も嫌なのか?
「うーん… 嫌…というわけじゃ、ないんだけど…」
水本は一瞬黙って、それから じっと俺を見た。
「見えないから…。オレ、モリヤの家で、一人では何もできなくて。だから、もし泊まったりしたら それこそものすごくモリヤの手をわずらわせてしまう。生活を乱すどころじゃないよね…。」
そこか‼ ─────もう‥‼
何に気を使ってんだよ? 生活を乱す?? 乱してほしいんだよモリヤは! 水本ができないことを してやりたくてたまんないんだよ!
でも、だから大丈夫だよ 気を使わずに泊まれよ、とかそういう話では もちろんない‼ もちろんだ‼
なんと言おう? 何と言ったものか‥‥。
「でもだから実は」
不意に水本が口を開いた。
「小川くんがモリヤの家に泊まって、しかも一晩中眠らずに喋ってたって聞いて、すごく、」
ふう‥と水本は一度大きくため息をついて
「すごく、うらやましかった…。」
いや、いやいやいや 水本…! うらやましいような、そんな一晩じゃ なかったんだぞ⁉
「ケド、オレは きっとダメ。」
「?? だ、だめって なんだ? 何が??」
「一晩中 話していたいけど、オレ、夜じゃなくても 寝こけたりしてしまうから…。きっと 早い段階で寝てしまうんだ。だから 小川くんみたいには、きっと過ごせない。」
残念そうに言うなよ。だからそんな いいもんじゃないんだって。昨日は俺が寝てしまったし。ホント、ごめんよ水本。
「正直に言おう。」
つとめて冷静に、俺はゆっくりと言った。水本は 俺を見る。
「俺がモリヤの家に泊まったのはね、」
「‥‥うん?」
「モリヤの家に 水本が泊まるのが、安全かどうかの確認だった。」
「⁉ …安全…? …確認…て…??」
「俺はな、」
水本が少し不安そうな目で俺を見る。俺は真面目にその目を見返して
「とても 心配している。」
「‥‥‥」
水本は目をそらさずに俺を見ている。その目が「何を?」と言っている。
「大前提から言うとな、」
俺も目をそらさずに言う。
「俺は水本が好きだよ。」
水本がびっくりまなこになった。
「なぜ驚く。知ってるだろ?」
「う、お、知っ、 知ってるけど‥‥ こ、こんな状況で言われると思わなかった…から…」
「うん。」
なるほど まあそうだな。二人きりの時に、真面目に 目を見て好きと言われた日にはな。オ。そうか。モリヤには家でこういうことは、できないんだ。だって見えないんだから。水本がモリヤの目を見つめている状態で、水本を好きだと言うことは できないのだ。ハハハ。俺は声に出さずに笑ってしまう。こんなことでモリヤに勝ったと思うなんて なかなか情けないぞ。
「ちゃんと分かってくれているか、念押ししときたかった。分かってるな? 俺は水本が好きだぞ?」
俺はもう一度言った。
「う、う、うん。し、知ってる。オレ… オレも 小川くん好きだよ…」
水本は、だんだん声が小さくなって、目線も下がっていってしまった。うっすら赤くなっている。
うん、確かに恥ずかしいか。あんまり正面きって言うのはな。こんなくそ真面目に 普通言わないしな。湧井がいたら、また違うんだけど。3人と2人きりは、やはり少し 感じが違う。
でも俺の方は、恥ずかしがってる場合ではないのだ。
「そうか、良かった。」
だから俺はサラリとそう言って、
「そこで水本に頼みがある。」
「え?」
と水本は顔を上げた。意外だったんだろう。
「頼みって、何…?」
と、当然の質問をした。俺はウン、と1つ頷いて
「とても真剣なお願いなんだ。きいてくれるだろうか。」
これ以上ない という真面目な顔を作って俺は言う。水本は意表をつかれたような顔をしていたが、次第に真面目な表情になって、そしてコックリ頷いた。
「オレにできることなら。」
と言う。
「できるよ。」
俺は請け合って、そして言った。
「モリヤの家に、泊まらないでほしい。」
「え」
と言ったきり 水本は絶句した。
「お願いだ。心からのお願いだ。どうかモリヤの家には泊まらないでくれ。」
史上最高の真剣な表情で、俺は言った。水本はそれでも しばらく驚いた顔で絶句していたが、ようやく
「‥‥‥どうして‥‥」
とかすれた声で言った。
「泊まってほしくないんだ。」
「‥‥ど‥どうして‥‥?」
「───多分、説明しても 水本には分からない。…どころか、説明したら不愉快になると思うよ。」
「…不愉快? そ、そんなの、してみなくちゃ分からない…。」
「分かるよ。きっと不愉快な思いをする。なら、何も聞かずに、俺のお願いをきいてはくれないだろうか。」
「‥‥‥」
「無理か?」
「‥‥‥小川くん‥‥」
「うん?」
「昨日、モリヤの家で何かあったの?」
何か‥‥。何か、かあ…。
「いろんなことが、あったぞ。」
「‥‥いろんな…こと…。」
「そう。いろんな、ことだ。」
「オレが、モリヤの家に泊まってはいけない理由になるできごとが、あった?」
できごと。
「できごと、というより…」
「いうより?」
モリヤの心情がなぁ。その心の内を本質を、知ってしまったら 止めないわけにはいかないのだ。
「‥‥もしかして、モリヤがそんな話をした? オレを泊めたくないんだって、言ってた? もしそうなら、もちろんオレは泊まらないよ。不愉快なんかにならない。むしろハッキリ言ってほしい。嫌がってるのに泊まりに行くなんて、論外だよね。」
水本も、とても真面目にそう言う。
違うんだよ。違うんだけどなぁ…。…そうだと頷きたい衝動にかられる。イヤイヤ、ダメ。それはダメ。ここでそんなウソをついてもしょうがない。水本がモリヤに確かめれば、バレバレのウソだ。水本が 俺とモリヤのどちらの言うことを信じるかってとこだしな。俺はそこの自信は皆無。実際ウソだしな。だから本当のことを
「モリヤは嫌がってないよ。」
俺がそう言うと、水本はじっと俺の目を見た。
「実際、誘われただろ? 何度も。」
「‥‥誘われたんじゃないよ。遅くなったから泊まるか、という親切な声をかけてもらっただけだ。」
親切心だって。バカな水本。
「モリヤは又 誘ってくるよ。それでも水本は泊まらないでほしいんだ。一生のお願いだ。」
水本は‥‥茫然と俺を見た。
“一生のお願い”だって。そんな言葉、小学生の時言って以来だ。
「…な、なんで…。オ、オレが、モリヤの家に泊まると、小川くんに何か困ることがあるの…?」
「…ああ。」
「何…?」
すごく真剣な二人。ここはすごく大事な局面と俺は自分に言い聞かせる。
「俺は、モリヤの家に泊まった。」
「…うん。」
「モリヤと一晩中話をした。」
「…うん…。」
「それで 確信したことがある。」
「…なに?」
「俺は、モリヤがキライではない。」
「うん。」
「けど、モリヤが怖い。」
「え…」
俺の中では ココは今さらだけど。もうずうっとモリヤが怖かったんだから。まあ 改めてってとこだ。ただ、モリヤがキライではないというのは今回、ホントに確信した。
「怖い…って、何が…?」
「モリヤが。」
「…モリヤの、何が?」
「内面。」
「‥‥」
水本は俺をじっと見ている。分からないんだろうな。俺の顔をじっと見て 黙っていた水本が、ふと目を見開いた。
「あ」
「ん? どうした?」
「…もしかして、小川くん… モリヤを怒らせてしまった? 家を追い出されてしまった…とか?」
「‥‥‥。‥水本は、やっぱり怖かったんだな? 追い出されたこと。」
「‥‥怖い‥ と言うのか‥‥」
水本は視線を俺から外して ちょっと考えた。そして、
「本気で怒ったみたいだったから…。」
と、言った。
「本当に、すごく怒ったんだと思った。もう二度と許してはくれないんじゃないかと。二度と口もきいてくれないかと、そ、そう、思ったから…。…モリヤが怖い というより、オレは しまったと思って… とても、後悔した…。」
‥‥モリヤも、俺たちも、よってたかって水本は悪くないと説明したのに、やっぱりまだ水本は 自分が悪いと思っているのか…。
「…今でも、か? 後悔してるのか?」
水本は黙って首を横に振った。
「そうか。水本が悪くないこと、納得したんだな?」
「ううん。」
と、今度は水本は口に出して否定した。
「やっぱりオレが悪かったんだろう。だってオレには、モリヤがどうしてオレを追い出したのかっていうことが、モリヤの説明を聞いても、小川くんの説明を聞いても、全然理解できない。分からないんだ。でもオレが何もしてないんだったら、モリヤは理由もなく振り払ったり追い出したり、するはずがない。オレが、無神経に気にさわることをしたに違いないんだ。でも」
ここで水本は 視線を俺の顔に戻した。
「後悔はしていない。だってあのことがなければオレは、きっと同じことをしただろう。一度はやらなきゃ気気付けないんだから、しょうがない。やってしまったからこそ、もう二度とやらないと心に誓えるんだから。」
そんな‥‥。このことに関しては、あの、事件に関しては俺は、モリヤの心情がとても理解できてしまうのだ。水本の行動の方が悪いとさえ、思えてしまったんだ。だけど、こんなに自分が悪いと思って、自分を責めて、理由も分からず もう二度と同じことはすまいと思い詰めている水本は、───────可哀想だ。
どうして水本には分からないんだろうと、結局又、俺の気持ちは そこに行き着いてしまうのだが。モリヤの気持ちが。男心が。どうして分からないんだろうと。自分だってモリヤが大好きなくせに。自分だって男のくせに。
「でも」
と水本は不思議そうにオレを見る。
「小川くんは、何をしてモリヤを怒らせたの? 小川くんはモリヤに近付いたって、モリヤは怒らないよね?」
「うん⁉ なんでだよ?」
「だって、襟元をひらいて どうぞって匂いを…。近付いて 匂っていいよって、モリヤが言ったんだろ? それで小川くんは近付いたんだよね?」
あ…! それか…。水本が妬いちゃったやつか…。
「え──‥と‥‥」
「他に何したら、モリヤは怒る? 教えてくれたらオレ、ありがたいなぁ。」
なるほど 水本の思考はそっちだよなァ。
「怒らせてないんだ。」
俺は言った。
「えっ?」
「追い出されてない。」
「ん? あれ? そうなのか? 怒らせたんじゃない?」
「ああ。怒らせてない。」
「あれ?」
思い込んで話を進めてたからな。悪い水本。否定が後になった。
「うん?? じゃあ… な、何が怖い‥‥‥」
「うーんと‥ なあ、」
俺も必死で言葉を探す。
「水本の中でのモリヤは、匂いありきだろ。」
「う…ん?」
「水本のモリヤ像は、匂いから形作られている。いい匂いがする→好き→森の家→ミステリアス、みたいな。」
「‥‥うん?」
水本はちょっと首をかしげている。
「ピンポイントで見ているから、なかなか全体像が見えないんじゃないかと思うんだ。」
「‥‥全体像‥‥」
「そう。うん、例えばホラ、水本にはモリヤの色気が分からないだろ?」
「…うん。」
水本は首をかしげたまま考えて
「モリヤの匂いが好きだと、色気に気付かないの?」
「匂いが好きだからじゃなくて、モリヤを見る角度が特殊っていうか、他のやつとは違うんだなァ。」
「うん?」
全然理解できてない顔をしている。でも俺は続けて言う。
「色気も分からないし、怖いことも分からない。」
「‥‥‥」
水本は眉を寄せて考えている。そして言った。
「色気…は、みんな… オレ以外のみんなに分かるんだよね…? でも 怖いっていうのは? 小川くんだけ? オレ、他の人がモリヤを怖そうにしてるの、見たことないけど…。」
「誰もモリヤと一晩分も 喋ったことがない。‥‥水本以外ね。」
「‥‥‥オレも一晩中は喋ったことないけど…。」
「でも、ずっと俺より長く一緒にいる。話した量も俺どころじゃないと思うよ。」
「…それは どうか分からないけど…」
「とにかくたくさん話して モリヤを知って、俺はモリヤが怖い。」
「‥‥‥」
水本はじいっと俺を見た。
「泊まった時、怖かったの?」
「怖かったよ。」
「…どう‥‥ どんな風に…?」
「───モリヤは、時々 自制がきかなくなる。」
「自制‥‥」
「そう自制。」
「…モリヤも そう言ってたよ…。言ってたけど… 自制がきかないと、どうなるの? 小川くんは、見た? 自制のきいてないモリヤ。」
「────ああ。」
「! ど、どうなった?」
すごく興味深そうに水本は聞いた。興味… というより、知りたくてたまらない感じか。
「感情が隠せない。思うままに全部出す。」
水本は目をいっぱいに見開く。
「…感情を… 全部出す…! ───‥‥何を、言った? どんなことを‥‥ 全部って… モリヤの… 全部…」
想像がつかない といった様子の水本。絶対、絶対、“ひどく誤解している”。
「怖くて言えない。」
「ええっ⁉ か、感情を出すと 怖いの? どんな風に? 怒るの? モリヤが‥‥」
「怒らない。」
「…じゃあ…?」
「だから、モリヤは内面が怖いんだよ。それを隠さず出してきたら 怖いに決まってる。水本、」
「え‥?」
「モリヤに限らず、本心を全て出してしまうと 人は怖いと思わないか?」
「‥‥‥どうかな‥?」
…そうか。水本は自分がキレイな生き物だからな。分からないかな。頭の中は性善説で できてそうだから。
「自制心のない人間と一緒にいられるもんじゃない。何を言い出すか、何をしだすか、分からないんだぞ。」
「‥‥‥。‥‥モリヤが‥‥?」
「そうだ。」
水本は又 首をかしげてしまう。どうしても想像できないんだな。
「俺が身をもって体験して話しているのに、水本は俺を信用しないのか?」
「う… そ、そんなこと、ないけど…」
水本は、ちょっとうつむいて ぎゅっと黙って それからもう一度顔を上げて 俺を見た。
「ないけど、怖いのがオレには想像つかない。モリヤ、何したの? 何を、言った?」
「‥‥まあ言うなれば」
水本は身をのり出す。
「煩悩のかたまりみたいなことだな。」
「‥‥ぼんのう‥‥?」
ますます分からない、という顔を水本はした。
「煩悩って、例えば…?」
う~~~ん‥‥ 全てを、話すべきなのか‥ しかし‥‥ ‥‥‥言えないぞ‥‥? これは‥‥
“いやらしいことをしよう”と言ってくるとか、いやらしく近付いてくるとか、触ってくるとか、水本にいやらしい気持ちをいだいていることを言ってくるとか‥‥。
うわあ‥‥ 全てがいやらしい。俺、セクハラされてんじゃないのか??
おそろしいことに、あの時のモリヤは 色気がおさまっていたのだ。それなのに、あの恐怖‼ あのドキドキ‼ 俺だとて、危ないったらない。この怖さを伝えたいのだが‥‥ さあ、どこを‥‥ どこを言ったものか‥‥
俺が必死で考えていると
「…そんなに… 怖いの…?」
少し不安そうに、水本が言った。
「ああ! 怖いぞ‼」
力を込めて俺は言う。
「聞かない方がいいぞ?」
「‥‥き、聞かなきゃ、分からない…。」
「聞いたら、もう怖くて モリヤと遊べないかもだぞ!」
「う‥‥‥」
けれども水本にはきっと、霞を見てるようなもので、何も具体的には分からないのだろう。
「せ、せめて1コ、教えて…。モリヤが何をしたのか…」
「‥‥‥」
一番、怖かったのは、なんだろう。と俺は考えた。‥‥‥やっぱり、アレかな。息が止まってしまったやつ。それと、止まりそうになったやつ。どっちもモリヤが至近距離に近付いてきた。───────でも‥‥
1発目は…あれは、──モリヤが不意にそばに寄ってきて 俺の襟元を掴む。さらに近付いて、目を見て言う。
“手を離したら、どこかに行ってしまうんだろう──どこにも行かないで”
思い出すだけで恐怖が体によみがえる。ザッと総毛立ってしまう。──────けれども、あの恐怖は きっと水本には説明できない。説明しても分からない。だってあの行動は、水本がモリヤにしたことなのだ。その再現をモリヤがしたのだ。それを 怖いと、水本が思うわけもない。
もちろん、俺だって あの行動があんなに怖かったのは、あの空間と、相手がモリヤ、だったからだ。水本にされたところで、あんな恐怖を感じるとは 到底思えない。
───2発目は──── これ又不意にモリヤが俺の鼻先にまで近付いた時だ。超どアップ。普通なら絶対よける距離なのに、俺は動けもしなかった。そんな俺に 初めての夜にサービスしてくれるのか、などと いやらしい質問を投げかけてきたのだ。
コレ、ありのままを言ったところで 水本に伝わるとは、思えない。どう、すればいいのだろう…。
「小川くん」
どれくらい考え込んでいただろう。俺は長く黙っていたと思う。ハッと我に返って顔を上げると、水本がとても真面目な目をして 俺を見ていた。
「あ、ああ、悪い…。…どれを どう言ったものか考えてた…。」
水本は俺をじっと見たまま
「小川くん あのね」
と言った。
「うん?」
「モリヤは、泊まると怖くなるの?」
「え‥‥」
「小川くんはオレに、モリヤの家に泊まるなと言った。泊まらなければ、怖くないの?」
「‥‥‥」
俺は‥‥ 首を横に振った。
「いいや。泊まらなくても怖いよ。自制のきいてないモリヤは、泊まろうが泊まるまいが、怖い。」
「でもオレ‥‥」
「モリヤと付き合いをやめろと言ってるんじゃないよ。」
「と、泊まらなければいいの?」
「そうだ。泊まってほしくない。」
「でも、…オレには分からないけど モリヤは怖いんだろ? 泊まらなくても…」
「怖いよ。」
水本は困った目になっている。
「縁を切ったりはできないだろ。それは俺にも分かってるよ。だから 譲歩して。せめて泊まってくれるなと、頼んでるんだ。」
「‥‥泊まることが 重要なの?」
「重要だな。」
「どうして…」
「モリヤは… とても水本に泊まってほしいと思っている。」
「‥‥‥。モリヤは… 人を泊めたくないと思うよ…。生活を乱されるのは 嫌なんじゃないのかな。…いや、小川くんはいいのか…。」
水本は考え込んだ。
「違うよ水本。ほんとはモリヤは 水本以外の誰も泊めたりしたくはない。モリヤ本人が そう言ったんだよ。言ったろ? 俺のこと、家にも上げたくなかったんだよ。」
「だって…」
「俺は一晩中、聞かされたんだぞ。水本が大好きだってことをだ。俺を泊めたのは、水本の関係者としてだ。」
水本はやっぱり 理解できてない顔をしている。
「話を戻すぞ。モリヤは水本を泊めたいんだ。とても、とてもだ。だからな、もし水本が 本当に実際に、モリヤの家に泊まるとなったら、モリヤは嬉しくて きっととてつもなく高揚してしまうだろう。そうなったらもう モリヤの自制は崩壊だ。」
…水本は、考え込むように目を閉じて 少しうつむいた。水本らしくもなく、眉間に皺をよせている。
その表情のまま 目を開けた。俺を見て
「…ごめんな、小川くん。」
一生懸命言葉を出してくるように そう言った。続けて
「オレ、やっぱり どうしてもよく分からない。でも もちろん小川くんをウソツキとは思わないし、信用してる。本当だ。ただ、モリヤが怖いっていうのと、オレのことをそんなに泊めたがってる というのは、オレ、今まで感じたことがないから…。もしかしたら、これから分かることがあるのかもしれないけど。」
「…そうだな。そう、思うよ…。」
ムリだな。怖いって言っても、死ぬほど水本のことが好きって言っても、モリヤが水本の前でそれを隠しているのなら、水本に分かるはずもない。なんで? どこが? と思うだけだ。
「でも オレ」
眉間の皺は なくなった。でもとても真剣な目で水本は俺を見て言う。
「小川くんが そんなに泊まるなと言うのなら、泊まらないでおく。」
「えっ‼」
まさかの発言だった。
「ホントか⁉」
「うん。そこまで言うのなら。オレには分からない強い理由があるんだろう。とても真剣に言ってるのが そこんとこは、すごく分かるから…。」
「そ… そうか…! うん、良かった。ありがとう水本。」
本当に良かった‼ 約束してくれるとは‼ ────でも‥‥
「もし…モリヤが 泊まってくれと言ったら…?」
俺は聞かずにいられない。
「泊まるか とは聞くかもだけど、泊まれとは言わないんじゃないかな。」
考え考え 水本が言う。
「いいや。」
俺は強く首を横に振った。
「絶対言う。例え 次回言わなかったとしても、近い内にはきっと言う。───そしたら?」
「‥‥泊まってくれって、モリヤが‥‥。」
水本は真剣に その場面を想像しているようだった。そうして 俺を見た。
「家には 行っていいんだよね?」
「…ああ。泊まらないんなら。」
本当は嫌だけど。本当はそれも怖いけど。でも そこまでは止められない。こういうの、なんて言うんだ? 痛み分け? 違うか。
「じゃあ、泊まらないって言う。そのかわり家に何度も行くからって。」
「なんでって、モリヤは聞くだろうな‥‥。」
俺が言うと
「約束したから泊まらないって言う。小川くんと約束したって、言っていい?」
「!!」
ああ…‼ 怖い‼ 怖すぎる‥‥ が、しかし!
「いいよ。本当のことだ。」
「うん。分かった。」
水本は ひとつ大きく頷いた。そして もう一度言った。
「分かった。そう言う。もしもモリヤが 泊まってくれって言った時には。それで、小川くんのたのみを、きいたことになる?」
「なるよ! 嬉しい! すごく嬉しい! すごく、だ!」
声は大きくないけれど、俺は力を込めてそう言った。水本は ふうんと言って、ちょっと笑った。妙なことをたのむなァと思っているんだろう。
でも─── 約束してくれた‼ 心の底から良かったと、俺は本当にホッとした。ああ良かった。今朝起きた時はどうなることかと思った。肝心なことを、なんにも話さずに寝てしまったんだからな。ホント、俺ってば最悪。でもなんとか、目的だけは果たせた。俺は大きく息をついた。
「のど渇いたな。」
俺が言うと、水本もうんと言った。水本の方が渇いてるかもしれない。さっきいっぱい汗をかいていた。
俺は立って 冷蔵庫を開けに行った。ジュースの類いは無い。
「コーヒー飲むか? 冷たいの。インスタントだけど。」
水本は嬉しそうにうなずく。
牛乳いっぱい足して 俺はコーヒーを入れた。氷もいっぱい。水本は大喜び。
こんな顔見れた方が 俺なんかはいいと思うがな。敢えて恥ずかしくてたまらない表情にさせるより。モリヤはやっぱり、ドSなんだな。
「昨日あんまり雨が降ったから」
コーヒーを飲みながら、水本がポツンと言った。
「うん?」
「あんまりひどいどしゃ降りだったから、オレ 少し心配してた モリヤのこと。」
「心配とは?」
「モリヤ、一人だと思ってたから。真っ暗な夜に、あんなに雨が降って。いくらモリヤが雨が好きでも、昨日のはさすがに少し怖いんじゃないかと思って。だから」
水本は にっこりと俺を見た。
「たから 小川くんがモリヤの家に泊まったって聞いて、とても羨ましかったけどでも、泊まってくれて良かったなとも思ったんだ。」
「‥‥‥‥」
闇の森の家。独りぼっちのモリヤ。モリヤの心にも闇がある。けれども
「モリヤは 怖がったりしないよ。大丈夫。」
「ほんと? あの雨でも 驚いてなかった?」
「全然。俺はちょっと怖かったけどな。」
「だよね? オレも怖いと思った。そうか…。モリヤは怖くないのか…。」
「そう…。」
雨なんか 怖くない。モリヤは。闇も怖くない。独りぼっちも怖くない。
それでも─────
それでも さみしくないわけはないのだ。モリヤだって───‥‥。
でも水本に そんなこと言っちゃいけない。そんな、モリヤ自身 自覚のないようなそんなことを 水本に教えてしまったら───── 水本は 泊まりに行ってしまうだろう。きっと 泊まってしまうだろう───。
次回、水本の章。小川くんは泣かせとくことにした。




