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ウワサのモリヤ  作者: コトサワ
23/48

トラウマ

パフェを食べに行こう。

美しい青空。夏空! 

昨日のどしゃ降りが ウソみたいだ。雨に洗われて 外の世界は何やらキレイ。ただ 地面は、まだ全然乾いていなくって、学校に着くころには 靴が泥まみれになっていた。

───昨日はとても、残念だった。モリヤの家に行く予定だったのに。せっかく大雨が降ったのに。行けなかった。大雨すぎた。怖いほどの雨だった。それでも俺は行こうと思ったんだけど…。モリヤが 今日は帰れと言った。家の人が心配するからって。確かにそうだった。オレが帰ると とても心配していて、帰ったことをとても喜んだ。オレが帰ってすぐに、電車も止まってしまったらしい。良かった、と思った。モリヤに感謝した。モリヤと小川くんに。

だけど ゴーゴーと音を立てて降る雨。家の中でその雨音を聞きながら、オレはモリヤを思った。モリヤは今ごろ あの暗い家で、どうしているのだろうと。こんな、怖いほどの雨でも それでもモリヤは 怖くなくて、気持ちが浮わついてしまうのだろうか。昨日のモリヤは 全然浮わついてなんかいなかった。と、オレには見えた。

オレには、この雨は少し怖かった。全てを押し流してしまいそうな強い雨。歌をうたっても かき消されてしまうほどの、強烈な雨音。こんな夜こそ、一緒にいられたら…。

モリヤがあの家で一人ぼっちでいることを考えると、オレは行きたくてたまらなくなった。大丈夫だと思うけど。だって雨が大好きだから。モリヤは 雨にキョーフしたりはしないに違いない。だけど───。

とにかく、昨日行けなかったから まずモリヤに会いに行こう。又歌をうたえなかった。

ただ もしかすると モリヤは学校に来ていないかもしれない。すごいどしゃ降りだったもの。大雨の次の日も、モリヤは休むことが多い、と小川くんが言っていた。今日は昼までだしな。来ないかも。もし来ていなかったら 家に行ってみよう。

そう考えながら、校舎の階段を上っていった。何人かオレの周りで モリヤは?とか、あんな雨でも泊まりに行くのか?とか、激しい夜だったのか?とか、聞いてきたけれど 知らんふりだ。きりがないから。けど、これにも波がある。今日はとてもおとなしい。おとなしいし、声をかけてくる奴の精神状態の安定を感じる。2、3日前までは 少し怖いものがあった。興奮しすぎているというか…。今日のは単なる冷やかしというか おもしろがってるだけな感じ。これで落ち着いてると思うなんて、へんてこな日常になってしまった。小川くんが言うには、モリヤの色気に、みんな変になってしまうらしいんだ。それが… オレには全く分からなくて。モリヤの色気というのが 全く感じられなくて、オレだけがどうして感じられないのか本当に分からない。残念な感じがして仕方がない。

自分の教室に行く前に、隣の教室を覗いてみた。周りの奴が一斉に ヒューと口笛を鳴らして冷やかす。ヒューだって。古い… あ‼ 小川くんだ。今日は来るの早い。でも、机に突っ伏していた。どうしたんだろう。視線を走らせると、いた! モリヤ。 モリヤは キチンと座って、こっちを見ていた。にっこりしている。オレは ヒューやのギャーやの言ってる奴らを無視して、教室に入って行った。

「モリヤ」

なんだかモリヤが、ピカピカして見える。なんだろう。今朝 大雨に洗われた木々を見て美しいと思ったのに似ている。モリヤはその美しい笑顔で

「おはよう水本。」

と言った。

「…おはよう。昨日、行けなくてごめん。」

「水本のせいじゃない。無事帰れて良かった。」

「うん…」

モリヤはとても美しいが とても落ち着いて見える。あんな大雨の次の日なのに、浮わついてはいないよう。浮わつくと戸惑う、と、モリヤは言う。ということは、今日は戸惑ってはいないんだろう。多分、だけど。よかった。あ‥‥。

オレはモリヤをじっと見た。

「どうした?」

とモリヤが言う。久しぶりだ。モリヤの匂いが戻っている。オレはそっと鼻から息を吸った。そんなに強くはない。でもする。モリヤの匂い。オレの好きな方の、モリヤのいい匂い。

「水本?」

オレは 固まったように動けず、モリヤをじいっと見ていた。目が‥‥‥

「水本‥‥」

モリヤがもう一度そう言った時、ふわっとモリヤの匂いが強く立った。と思ったら 小川くんがぶっ飛んで来ていた。

「水本‼」

オレは驚いて小川くんを見る。

「小川くん どうしたの?」

小川くんは ぐいっとオレの腕をつかんでいる。あれ? ‥‥‥ オレは 小川くんの胸元に鼻を近付けた。‥‥‥なんで? 小川くんの顔を見る。

「何? 何してんだ?」

今度は小川くんが驚いたように オレに言った。

「なんで?」

オレはもう一度鼻を近付けて、そしてもう一度小川くんの顔を見た。

「モリヤの匂いがする…」

「えっ⁉」

小川くんはびっくりしたように自分のシャツをつかんで 匂いを確かめる。

「ほんとか? 匂いする?」

「してるよ、すごく。なんで?」

オレはそう言って、それからモリヤを振り向いた。モリヤは薄く笑顔だった。

「小川は昨夜(うち)にいた。」

「えっっ⁉」

オレは小川くんを振り向く。小川くんは否定しなかった。もう一度モリヤを向いて

「ほんと? モリヤの(うち)に小川くん来たの?」

「ひどい雨だったからね。」

「‥‥‥」

駅からは… モリヤの家の方が近いだろうか…? 小川くんの家、そんなに遠いのかな。行ったことはないけれど。ああ、じゃあその時にモリヤの匂いが戻って、濡れて掛けていたシャツに モリヤの匂いが染み込んだんだ。オレは小川くんを振り返り、シャツをつかんで鼻を近付けた。モリヤの匂い。

「いい匂い。いいなあ。オレも行きたかった。」

ぐっと肩を持って小川くんがオレを自分から離した。強い力で。あれ‥‥? 少し、怖い顔…。近付いては、いけなかったか…? オレは‥‥

「ご、ごめん、又 後で…」

オレは下を向いて 足早に教室を出た。


「水本⁉」

席に着いたオレに近寄って来て オハヨーと言った湧井さんが、驚いたようにオレの名を呼ぶ。

「ちょっと どうしたの⁉」

「なんでもない。」

「なんでもない高校生男子は涙を流したりしない。」

オレは カーッと真っ赤になってしまった。

「何があったの? ─────モリヤね。」

湧井さんが走って行きかけるのを、オレは腕をつかんで必死でひき止めた。

「違うよ! 違う‼」

「又そんなこと! 水本を泣かすなんて‼ 許せない。」

「ほんとに違う! ごめん!」

「昨日 行ったんでしょ、モリヤの家?」

「行ってない。」

「え?」

湧井さんが力をゆるめて オレを見つめた。

「行かなかったの?」

「うん。モリヤが帰れって。大雨で電車止まるといけないからって。」

「…そうなの?」

「うん。…小川くんが モリヤんち行ったって。」

「ええ⁉」

「今、そう言ってた。」

「それで なんで水本が泣いてるの?」

湧井さんは わけが分からない、といった顔で聞く。そうだよな。分からないよ。オレだってなんだか。

チャイムが鳴った。涙はもう止まっている。湧井さんは

「後でちゃんと聞かせてね。」

と言って 席に戻っていった。

そう言われても 困ってしまう。オレ、どうしたんだろう。涙が出るなんて なんで…。何を言われたわけでもない。何があったわけでもない。ただ。モリヤの匂いが戻ったと分かった時、嬉しいのに すごく、すごく嬉しいのに、固まってしまって動けもしなかった。動けないし 動いてはいけない気もしていた。待ち望んだ匂いなのに。そして目が熱くなった。その時 小川くんが来て、モリヤの匂いがシャツに付いていて 羨ましくて。モリヤの家に行ったって。そのことも、シャツに付いた匂いも、羨ましかった。でももちろん 泣く理由ではない。涙が出たのは‥‥ その後か… 

小川くんがオレを引き離した。自分から。オレが近付くと いけなかったのか。嫌なのか。それはモリヤも、そう。振り払われる。小川くんは 振り払うまではしなかったけれど、オレを引きはがした。…オレが おかしいのか。距離感か? パーソナルゾーンを侵しすぎたからか。2人の反応が当たり前で、オレはこんなことで ドキリとすることはないのか‥‥?

ぐるぐる考えていると、先生に指されてしまった。もちろん聞いてないから答えられない。課題を出されてしまった。踏んだり蹴ったり。朝から落ち込んでしまう。

休み時間になると すぐに湧井さんが、オレの席までやって来た。

「で?」

と聞く。

「誰に泣かされたのかな?」

「泣かされたんじゃないよ。」

オレは湧井さんをじっと見た。例えば、オレが湧井さんのシャツをつかんで匂いをかいだら 突き飛ばされても文句はない。当たり前の反応だと思うからだ。女子にそんなことをしてはいけない。オレは… 常識あると思っていたんだけどなあ…。もうよく分からなくなってきた。

それにしても。引き剥がされたぐらいで、何も泣くことはない。なんだろうオレ。情緒不安定なのか?

「話してごらん。」

と湧井さんが優しく言う。

「きょ」

「ん?」

「距離感の大切さを、身をもって知らされたということかなあ。」

「何 それ?」

「…えーと… た、例えば オレが、湧井さんの肩とか鎖骨の辺りに 鼻を近付けたら、どうする?」

「うん?」

湧井さんは首をかしげた。

「どうする?」

オレがもう一度聞くと

「やってみて。」

と言う。

「女の子にそんなことできないよ。」

「あ。」

「何?」

「分かった。匂いをかぎにいくやつね。この前モリヤにやったんでしょ。小川くんが言ってた。体育の着替えの時。」

「あ? う?うん、そう言えば。そうだ。そう言えばあの時は モリヤ何も…。」

「何? 又匂いをかぎにいったの? そしたら なんかされたの?」

「殴られたりはしてないよ。振り払われた。」

「ええ??」

「それは だいぶん前の話。で 今日小川くんがモリヤの匂いしてたから、顔近付けたら肩をぐいと押し返された。」

「どうして? びっくりしたのかな?」

「嫌なことをしてる自覚がなかった。多分してはいけないことなんだよね。もうしない。…モリヤには 二度としてはいけないと思ってたんだけど、小川くんもだった。普通の人は嫌なんだな。オレは そう思ってなかった。あ、女子は別だよ。女の子には むやみに近付いたりしたらいけないって、オレにも分かってる。」

「水本…」

「うん?」

「私は そんなに悪いこととは思わないよ。2人は何かびっくりして思わず、だったんじゃない?」

「…そうかなあ… 急にじゃなかったんだけど…。小川くんの時は… 何度か匂いがするのを確かめて… 3回目ぐらいの時に バッと。しつこかったから? やっぱり嫌だったんだと思う。」

「そんなこと 小川くんは嫌がらないよきっと。…ところで なんで小川くんがモリヤの匂いさせてんの?」

「昨日 モリヤの家に行った時に付いたんだよ。オレも モリヤの家で服掛けてたら、モリヤの匂い染み込んでるよ。」

「…それが 後ろめたかったんじゃない?」

「後ろめたい? なんで? 何が?」

「水本がいないのに モリヤの家に行って。それが匂いでバレちゃったから。水本妬いたでしょ?」

「や… 妬いてない…! と、思う…し… そんなことで後ろめたく思うことなんて、全然ないし…。」

「なんで引き剥がしたのか 聞きにいこうか。」

「‥‥いや、いい。」

「どうして?」

「多分オレには 分からない。前にモリヤにも聞いたんだ。でも 聞いてもよく分からなかった。オレがおかしんだ。女子だけじゃない。男子にも そんなに近付いてはいけないと、覚えとくよ。それで問題はない。」

「でも そんなに強く拒否することではないと、私は思う。強い拒絶で 水本が泣くほど傷ついたのなら、あっちの2人こそ、そんな行動が人を傷つけるんだと 覚えておくべきじゃないの。」

「ん? ‥‥‥? …い、いや、‥?」

「小川くんだろうと 水本を泣かせるなんて、私は許さないわよ。」

「‥‥湧井さん…」

「放課後、2人で抗議に行こうぜ。」

乱暴に言って 湧井さんは笑った。へへへと オレも笑ってしまった。でも

「行かないよ。」

とオレは言った。

「泣いたのは オレがおかしい。きっと普通の人は そんなことで泣かない。少し情緒が不安定。でももう大丈夫。ありがとう 湧井さん。」

「‥‥うん。分かった。」

と言って 湧井さんは不敵に笑った。私は許さないけどねって 聞こえる気がした。優しい人だ。オレ、しっかりしなきゃ。湧井さんが あの2人と揉める必要なんてないんだから。オレがしっかりしてたら 迷惑かけずにすむ話だ。

次の授業中も、やっぱりぐるぐる考えてしまっていた。そして ああそうかと思った。やっぱり、オレがいけないんだ。モリヤの匂いをかぎたくても、もうオレは近付くことができない。で、今日小川くんからモリヤの匂いがした時、小川くんなら近付いても振り払わないだろうと、勝手に思って匂いをかいだ。勝手に嫌がらないだろうと決めつけて。モリヤの代わりにしたんだ。失礼な話だ。オレが悪い。

オレは フーッと息を吐いた。

"小川は 昨夜うちにいた。"

さくや。夜か。小川くん、夜の森の家に行ったんだ。あの真っ暗な家で モリヤと過ごしたんだ…。

"水本 妬いたでしょ。"

妬いてない。…と、思う…。いや…? ちょっと妬いてるかな…? オレは少し、自分がモリヤの特別と思ってしまっていたからな。でも違った。小川くんも 家に上げた。雨の森の家に。もしかしたら オレより小川くんの方が、モリヤと仲がいいのかもしれない。だってなにしろ 襟元を開いてどうぞ だものな。オレは‥‥‥。

おっと いけない。又 目が熱くなってしまった。やっぱり オレってば情緒不安定。あああ。こんなんじゃ、2人に会えない。胸がドキドキしてきた。─────今日は おとなしく、さっさと帰ろう。一人で。

今日は雨じゃない。そして明日は日曜。一日家にいたら、情緒も安定するだろう。なんか 分からないけど。モリヤは、気持ちが浮わついてしまった時に 水を飲む。水を飲むと、それが抑えられるんだって。モリヤを浮わつかせるもの、それは春や雨。大量の水を飲んで、モリヤはそれを抑え込む。…らしい。オレも こんなに情緒が不安定ではいけない。モリヤみたいに、それを治すすべを 自分で分かっていなくては。けど、こんなの初めてだものな。どうやったら落ち着けるかなんて、皆目分からない。水飲んだくらいじゃ、収まりそうにもないし。オレの場合、入れるより出す方がいいのかな。めちゃめちゃ走り回って 汗だくになるとか、声がかれるまで 大声で歌をうたいまくるとか。しかし試すにしても どこで? それで試して 治りもしなかったら、ただの危ない奴になってしまう…。


そんなことを 授業の間中考えていた。3時間目も4時間目も。やっぱりオレは どんどんバカになっていきそう。でも おかげでいい場所を思い付いた。裏山。ずうっと上まで走っていってみるっていうのはどうだろうと。公園でも止まらず、行けるところまで。上りだから、そんなに長くはもたないとは思うけど。短い距離でも 全力で走ったら、何かが解消されるかも。

HR終わりで オレがカバンを持って立ち上がると、教室がざわめいた。ドッキリして扉の方向を振り向くと‥‥やっぱりモリヤ…。小川くんも。オレは思わず 少し後ずさった。

「水本」

モリヤはすぐに オレの目の前までやって来た。にっこりして

「一緒に帰ろう。」

少し、モリヤの匂いがした。小川くんもオレのそばに来た。又、モリヤの匂いがした。小川くんにもモリヤの匂いが付いてるから。本当なら こんなに幸せなことはない。はず、なんだけど。だってWだ。けど。オレは 知らず知らずに歯をくいしばっていた。

「2人して よくも平気な顔で誘いに来たもんだ。」

ギョッとして振り向くと 湧井さん。不敵な笑みを浮かべて。

「な、なんだよ?」

と小川くん。モリヤはにっこり笑って 湧井さんを見ている。

「まずは 謝るべきではないの?」

「湧井さん!」

「何を?」

とにっこり聞くのはモリヤ。

「何も‼ 何も謝ることなんてない!」

オレは必死で言って

「湧井さん、違うから。散々考えて、やっぱりオレが悪かった。オレが悪くて しかもおかしい。だから…」

「何が悪いの?」

と言ったのは 湧井さんじゃなくてモリヤだった。

「あ‥う」

目がおよぐ。説明、できない…。と、湧井さんが

「水本が悪いわけないよね。2人とも そんなこと、分かってるよね?」

「水本はなんにも悪くないよ。ぼくは何を謝ればいいの?」

「だか だから 謝ることなんてないっ オレっ…」

どうしよう。どうしたらいいか 分からなくなった。胸がつまる。

「分からないのなら教えてあげるわ。」

湧井さん…。止めなくちゃ、と思うのに 喋れない。胸がつまってしまって…。

「水本を泣かしたからよ。当たり前でしょ。」

「えっ」

小川くんが驚く。そしてオレを見る。

「泣いたのか⁉ あの時⁉」

ばれてなかった。2人の前では こらえてたもんな。でも今ばれてしまった。ああ…。

「なんで…!」

小川くんが オレの肩をつかんで言う。

「なんで泣くんだよ?」

「‥‥‥」

「水本⁉」

真剣に聞いてくる。

「‥‥じょーちょ」

「は?」

「情緒が不安定。オレの問題。2人が何したわけでもないよ。ないだろ? なんにもしてない。悪いわけない。」

「水本の情緒を不安定にした原因が 自分で分からないの?」

湧井さんは引いてくれない。

「な、なに…」

小川くんはたじろぐ。そりゃそう。分かるわけない。ホントに何もしてないんだから。

「湧井さん、もう…」

とオレが言いかけたけど、湧井さんの言葉がそれを遮った。

「水本が近付いたのを キョヒったでしょ、2人とも。」

ひー。湧井さん…‼

「キョヒった? 水本が近付いた…の、を…」

小川くんが 言いながらオレを見た。オレはもう必死に首を横に振る。

「…んあっ‼」

突然小川くんが 何かに気付いたように叫んだ。

「うわっ 違う! あれは水本を拒否したんじゃない‼ そっそうか‼ 悪い水本! トラウマになってんだもんな? 悪かった。」

トラウマ?

「トラウマってどういうこと?」

口に出して聞いたのは湧井さん。

「ん? あ? いや…」

小川くんが口ごもる。トラウマ…?

「そう… トラウマなのか…。水本」

と言って、モリヤがオレに一歩近付いた。

「本当だ。湧井サンの言う通り。ぼくが悪い。ごめん。水本はどうしたら許してくれるんだろう。」

モリヤは にっこりともせず、真面目な顔でそう言った。胸がつまる。

「‥‥‥‥悪くない。」

絞り出すように オレは言った。

「悪くない。小川くんもモリヤも 全然悪くない。謝らないで オレが変なんだから。湧井さん ごめんね 変な心配をかけてしまって。…オレ 帰るよ。」

「じゃあ一緒に帰ろう。」

真面目な顔のままのモリヤが言った。

「用があるから。」

オレが言うと

「付き合うよ。」

って言う。

「一人じゃないといけないんだ。ごめんね。又明日…じゃない明後日。じゃあ。」

オレは歩き出した。のに、小川くんが立ちはだかった。

「水本」

小川くんも真面目な顔。

「水本のことが嫌で押し退けたんじゃない。」

「‥‥‥」

「ほんとに悪かった。」

オレは下を向いてしまった。声も小さくなってしまう。

「悪くない…。」

「悪いよ。」

と言ったのは 湧井さんだった。

「嫌でなかったのなら どうして水本が傷付くほど強く押し退けたのか、説明しなさいよ。」

小川くんは ちょっと黙って、そしてため息をついた。

「───モリヤが見てたからだよ。」

オレは顔を上げた。

「モリヤが妬くと思った。オレは モリヤに恨まれたくなかったから、保身を考えて水本を押してしまった。」

保身? モリヤが妬く??

「なるほど。」

と湧井さんが言った。なるほど?? 納得???

「やっぱり小川くんが悪かった。水本、謝ってるから そろそろ許してあげる?」

「‥‥‥」

「だめだって。小川くん、水本にパフェ奢ってあげたら?」

「おっ? おう! 奢ってやる! 水本、食いにいこう!」

「‥‥‥」

さあ、と言って小川くんが オレの腕を引っぱった。

「ほ、ほしんてなに?」

オレは 踏ん張って動かずにそう言った。

「うん? 保身は保身。身の安全を保つ。」

「…モリヤから?」

「そうだ。」

「分からない。モリヤは妬いたりしない。」

「妬くさ。妬いてたよ。なあ、モリヤ?」

と、モリヤを見る。オレも振り返ってモリヤを見た。モリヤはにっこり笑って言った。

「とても、妬いてしまった。小川が水本を離さなかったら、ぼくは小川を恨んでいたよ。」

「‥‥‥」

オレはモリヤをじっと見た。冗談言ってるのか…? よく、分からない…。

「水本行こう。用事、今日じゃないとダメ?」

湧井さんが 優しく笑って言う。

「う‥‥」

「だいたい用事ってなんだよ?」

小川くんがオレの腕をつかんだまま聞いた。

「う…そ、それは…」

裏山を走る。走って 情緒の安定をはかる。そう、考えていた。いい考えと思った。でも───── ‥‥ムリかも。走ったぐらいで オレの情緒の安定が戻るとも、思えなくなってる。でも。このまま みんなで一緒にいることも、又 ガンとして一人で帰ってしまうことも、オレにはできそうにない。じゃあ どうする。一体どうすればいいのか。

「水本?」

心配そうに 湧井さんがオレの顔を覗き込んだ。

「‥オ、オレ、じゃあ、用事、すませてくる。」

「うん? すぐすむの? 一緒に行こうか?」

湧井さん優しい。

「ううん。一人じゃないとダメなんだ。悪いけど、15分ぐらい、ここで待っててくれる? オレ、戻って来るから。」

湧井さんと小川くんは顔を見合わせた。小川くんが

「戻ってきたら 一緒に帰るんだな? パフェ食いに行くんだな?」

「…うん。一緒に帰る。食べに行く。」

オレは 小さい声で答えた。自信はない。でも これしかない。

「なら 待ってるよ。行ってこい。」

「うん。ごめん。」

オレは カバンを机の上に置いて、教室を出た。全然意識してなかったが、いっぱいまだ人がいて 入口に群がってオレたちを見てた。…大騒ぎしてたもんな。注目を集めてしまってたか…。

でもオレは立ち止まらず、ズンズン人の間をすり抜けて 学校の門まで突き進んだ。誰も付いてきてない。オレは迷わず裏山の方へ向かう。そして、───ダッシュ‼

坂道を無心にダッシュした。思いの外 早く息が切れてしまう。公園までも もたなかった。はあはあ言いながらスピードを落として、それでも必死で走る。なんとか公園までたどり着き、着いた途端そのまま来た方へ走りおりる。下りは スピードが出てしまう。はあはあ言ってるのに足が止まらない。怖い。ドドドドっと足が進んでしまう。こけるこける 思いながら必死で足を出して下って行った。

もう ぜーぜーしながらなんとか転ばず門までたどり着く。フラフラ水道の所まで歩いていって 立ち止まったらドッと汗が出た。暑い。止まらない。オレは ばしゃばしゃ顔や手を洗った。ハンカチを忘れた。なんにも拭くものがない。仕方がないから 犬みたいに顔を振って、両手も振り回した。

‥‥‥。いけるかも。

何も考えないことだ、とオレは自分に言って そのまま校舎に飛び込んだ。走って教室に戻ると、3人は立ったまま そこにいた。

「ごめん! 終わった。」

とオレが言うと

「何してきたの⁉」

と湧井さんが言って タオルを貸してくれた。

「いいよ。汗が付くよ。」

「そんなの構わない。タオルは汗を拭くものよ。」

と言って、オレの顔にタオルを押しつけた。オレは お礼を言って、顔や手を拭いた。湧井さんのタオル、石鹸みたいないい匂いがする。

「どこ行ってきたの?」

湧井さんが聞いた。汗がまだ止まらない。次から次へ吹き出してくる。

「内証。」

とオレは言った。そして笑うことができた。

「なにー?」

と湧井さんは グーでオレの肩を軽くパンチした。湧井さんも笑顔を見せて

「じゃあ行こうか。」

と言ってカバンを持った。オレもカバンをつかんで そしてモリヤの顔を見た。モリヤは真顔でオレを見ていた。

「ごめんな。待たせて。」

とオレが言うと、モリヤは黙って真面目な顔のまま 首を横に振った。

「モリヤもパフェ食べる?」

笑って聞くことができた。でも モリヤは笑わずに

「水本」

と言った。

「うん?」

「何してた。」

「‥‥‥」

答えようと笑顔で口を開けて 一瞬黙ってしまった。モリヤがあんまり真面目な顔をしているので。オレはもう一度、意識的に笑顔を作った。

「内証。」

「どうして。」

「モリヤ」

と小川くんが言った。

「内緒にしたいこともあるさ。聞かないでおいてやれよ。行こうぜ。」

モリヤはちらっと小川くんを見て、もう一度オレを見た。

「水本が大量に流した涙と汗の代償を、何で払えばいいのか分からない。教えてほしい。」

「…だい、しょう…?」

モリヤは真剣な顔でオレを見ている。

「‥な、なにを… どういうこと…?」

オレはモリヤが何を言っているのか分からない。

「モリヤ」

と 小川くんが割って入った。

「水本が必死で平常心を取り戻したんだ。ここは、‥‥今は、このまま流してやるのがいいと思うぞ。」

モリヤは今度は正面から小川くんを見た。それから一度視線を落として、オレに視線を戻した。

「聞いては、いけない?」

「‥‥こたえ…られない…。」

モリヤはしばらく黙ってオレの顔を見ていたが、とても真剣な顔のまま やがて言った。

「では 聞かないでおく。でもそれとは別に、どうしても答えてほしいことがある。いい返事でなくとも構わないから、答えてほしい。」

「‥‥なに?」

「水本は、次に雨が降っても、ぼくの(うち)に来てはくれないだろうか?」

オレは 目をいっぱいに見開いてしまった。どうしてそんなことを聞くのかと思って。

「行くよ。‥‥‥モリヤが嫌でなければ…。」

「嫌なはずがない。」

オレの語尾をかき消す勢いでモリヤが言った。珍しい、とても。

「なら、絶対に行く。」

オレも とても真面目に言った。

「ありがとう。」

モリヤは言って、そしてようやくにこりと笑った。

「それが聞ければいい。ぼくは先に帰るよ。これ以上、水本を困らせたくはない。では あさって学校でね。」

言ってモリヤは歩き出した。オレが何も言えずに立ち尽くしていると

「モリヤ!」

と小川くんが モリヤの肩をつかんだ。モリヤが止まって振り返る。

「もちろん 水本は悪くないが、モリヤも悪くない。今日のは 水本の傷を思い出させた俺の失態だ。悪かった。」

モリヤは驚いた顔で 小川くんを見た。そして

「おや。」

と言って、ニヤリと笑った。

「小川が悪いだなんて、心をかすめもしなかったけれど ふうん。そんな風に思っているのなら、コトバでなく カラダで詫びてもらおうかなァ。」

「えっっ⁉」

小川くんが びっくりしてモリヤの肩をつかんだ手を離す。

「何してもらうか考えとこう。明日は休みだし。」

モリヤは そう言ってにっこりと笑い、振り向いて教室を出て行った。オレは 言葉もなく見送る。オレだけじゃなく、3人ともしばらく口もきかず 茫然としていた。最初に口を開いたのは 湧井さんだった。

「さっきの 何?」

小川くんが 湧井さんを振り向く。

「…さっきの とは…?」

「モリヤの言ったこと。体で詫びるって何?」

湧井さんは 恐い顔をしている。

「冗談だよ モリヤの…」

思わずオレが言うと

「そうかな。」

湧井さんは納得してない。

「そ、そうだよね、小川くん。」

オレは小川くんに同意を求めた。

「冗談…ね。というより」

「と、いうより?」

オレと湧井さんは、小川くんの顔を見て次の言葉を待った。

「あれはモリヤの嫌がらせ。」

「嫌がらせ⁉」

又もや オレはびっくりしてしまう。

「嫌がらせだなんて…なんで? ただの冗談だろう?」

小川くんは笑ってない顔でオレを見て、いいやと首を振った。

「あれは モリヤ流の嫌がらせ。俺が嫌がるの分かってて、わざとあんなことを言う。もちろん本気じゃないと思うよ。多分だけど。」

モリヤ流の嫌がらせ??

「なんでモリヤが小川くんに嫌がらせするのさ? だいたい、小川くんが謝ったのも よく分からない。なんで? なんで小川くんが悪いの?」

小川くんは 困ったなァという顔をした。

「取り合えず学校出よう。腹も減ったし。パフェも奢るから。」

「そうだね。」

と湧井さんが言った。

「行こう水本。お腹すいてる状態でギロンしても ろくなことないよ。」

「…うん。」

確かにそうだ。湧井さんは正しい。オレたちは教室を出て歩いて行った。


前に 湧井さんとクリームソーダを食べた店に入った。4人掛けの席で、まず小川くんが座って、湧井さんがオレと隣に座ろうとするから、いやいやとオレは言った。湧井さんは小川くんの隣だろうと。当然だよね。

「なんでよ?」

と湧井さんが言う。なんでも何も。ハハハとオレは笑ってしまった。照れてるんだな。かわいい。

「そうか。」

と 小川くんが言った。

「モリヤがいたら、モリヤは水本の隣だもんな。」

「ん? なん…」

で と言いかけたが、小川くんと湧井さんが並べば 当然そういうことになる。だから

「そうだね。」

とオレが言うと、やっと湧井さんは小川くんの隣に座った。こんなことで今さら照れなくてもいいのに。オレは微笑ってしまう。しっかりしているのに、なんて可愛らしい。

「まずはメシだな。」

と言って小川くんはメニューを広げた。喫茶店メニューで定食はなくて ピラフとかカレーとかサンドイッチとか。

「む。」

小川くんはちらりと湧井さんを見た。そして小さい声で

「悪い湧井、今日そんなに金持ってない。月曜に返すから貸しといて。」

「おっと そうか。まかせなさい 私は今日は持っている。」

湧井さんはにっこり笑った。

「オレも持ってるよ。」

オレが言うと、

「水本は今日は奢られとけ。俺が湧井にちゃんと返すから。」

「別に奢らなくていいよ。オレ、小川くんの彼女でもないし。」

小川くんはハハハと笑った。

「当たり前だ。でも奢られろ。いや、奢られてくれ。そうしないと、俺の気がすまない。」

「水本、こういう時は 素直に奢られとくんだよ。その方が小川くんも喜ぶんだから。」

「そうだ。」

なんて2人で言うものだから、オレも そうかと言って頷いた。

小川くんはカレー。湧井さんはエビピラフ。オレはナポリタンにした。それぞれ運ばれてくる。この店は 何を食べても飲んでもおいしいね、と湧井さんが言った。同感。

「んで、なんで小川くんが オレに奢ってくれるほど悪いの? モリヤに対しても謝ったよね、なんで?」

食べながらオレは 改めて聞いた。小川くんは口に入れたカレーをのみ込んで

「湧井も言ったろ? 水本を泣かせたからだ。」

「オレ 泣かされたんじゃないってば。」

「高校生男子が 自発的に泣くわけない。」

「う… だから… 情緒が…」

「水本」

小川くんがスプーンを置いて、真面目な様子で言った。

「泣いてもいいよ。泣いてもいいけど、自分の気持ちは知っとくべき、とオレは思う。」

「…自分の、気持ち?」

「水本は、とても 傷ついている。」

「えっ⁉」

なんか ものすごく恥ずかしい。思わず赤くなってしまう。

「きっ 傷つくだなんて なんで? 何に??」

恥ずかしいから口調が激しめになってしまった。

「モリヤに振り払われたことに。」

「ええっ⁉」

胸がドキドキしてきた。そうだ、小川くんは知っている。湧井さんには 今日言ったとこだけど、小川くんは 前にモリヤに聞いているんだ。モリヤに近付いて オレがモリヤに振り払われて、そしてその後 泣いたことも‥‥。

ますます胸がドキドキして ますます顔が赤くなるのを感じた。スパゲティ食べられなくなった。少しまだ残っている。全部食べてから 話をきり出せばよかった。パニック状態の頭は つい、どうでもいいバカなことを考える。

「その時水本は とても激しく傷ついたんだ。だから それが強いトラウマになっている。‥‥あれから、モリヤの匂いをかぎにいったか?」

オレは下を向いて 首を横に振った。こんなに赤くなっていることも恥ずかしくて、余計に赤くなってしまう。

「いきたくても いけないんだろう?」

‥‥確かに、そう。オレはもう 自分からモリヤに近付けない。…いや、ついモリヤに触れたりしてしまった時はあったけど、意識的にはさわれない。近寄れない。とても、ガマンしている。

「それは 傷ついているからだよ。それで 俺が水本を押しのけた時、モリヤに振り払われたことと重なったんだ。だから悲しくなって 泣いてしまった。」

そんな…

「そ、それこそ、高校生男子が、そんなことぐらいで…」

「そんなこと()()()じゃ、なかったんだ、水本にとっては。そんなことで泣いてしまうほどの、深い傷つき方だったってことだ。」

そんな説明を されればされるほど、恥ずかしさは増す。それが 合ってるのかどうかも、オレには分からないが、そんな分析をされていることが、すでにとても恥ずかしい。

「小川くんは モリヤに妬かれて恨まれるのが嫌だから、水本を押しのけた。」

不意に湧井さんが口を開いた。

「ではまず モリヤはなぜ、水本を振り払ったの? 水本のことが大好きなんでしょ? ピクニックの時だって、わざと水本にぶつかりにいったり お尻に触ったり あげくに指を舐めたりまでしてたじゃない。それでどうして 水本が鼻を近付けたぐらいで振り払うの?」

湧井さんは 小川くんに向かって言った。

この答えは オレはモリヤに聞いた。匂いの戻りの激しさで オレが倒れたりするのを防ぐため、みたいなことを モリヤは言ってた。オレには よく分かっていない。そんなことで倒れたりしない。あんないい匂いで 倒れるわけがない。ただ、モリヤは何かそんな風なことを考えて振り払ったんだって、そう言った。ウソとは思わない。でも ちゃんと意味の分からないオレには、次又同じことにならない という確信が持てない。今度近付いたら 又振り払われるかもしれないと思ってしまう。そして 次回振り払われたら、今度こそオレはもう 立ち直れない気がする。モリヤと過ごすことすら できなくなってしまうような気がして、とても、怖い。

「それは…」

小川くんは 少し言葉を探すように黙った。

「それは、…いわゆる男心だ。」

「はあ? どういうこと?」

湧井さんは 大きな目で小川くんを見て言った。小川くんは 又少し黙って それから、

「つまり 大好きだから。好きすぎて、みたいなこと。」

「好きだったら 振り払ったりしないんじゃないの?」

「‥‥あ! ほら、湧井が俺をクッションで押したろ? 覚えてるか?」

「…覚えてるわよ。」

「湧井は俺のことキライじゃないけど、でもびっくりして よけたろう。」

「‥‥‥振り払ったりしなかったわ。」

「モリヤの方が、より激しく驚いたんだろう。──俺だってあの時、湧井に殴られるかも、と思ったよ。殴ったって おかしくはない。」

「‥‥‥」

湧井さんが小川くんをクッションで押した? クッションで押す… 振り払うとは全然違うけど‥‥。いやそれより、なに? 男心?? 好きすぎて??? スキスギ‥‥ スキスギル‥‥って… 何????

「水本はな、」

急に小川くんがオレを見た。なんだか ボンヤリしてしまってたオレは びっくりする。

「水本は、自分の気持ちも分かってないといけないし、モリヤの気持ちも 少しは理解してた方がいい。」

「‥‥‥」

…モリヤの、気持ち??

「水本」

小川くんが なんだかとても真面目な顔で、オレの顔をじっと見た。

「う、うん?」

「大事な話をする。ちゃんと聞けよ? "そんなことない" とすぐに否定せずに、一回話を受け入れてみろ、いいな?」

「…う?」

「まず、水本はモリヤが好き。だろ?」

「う? す、すきはすき。」

いい匂いのモリヤ。キライなわけもない。オレは頷いた。そんなオレを見て 小川くんも頷いて、

「だから モリヤに振り払われたことが、とても辛かった。そうだろ?」

好きだから?

「…えーと…」

好きだからなのかどうか…。でも 辛いのは確かにとても辛かった。

「と、とても、辛かったよ…。」

「うん、だろう? ‥‥モリヤが、水本を振り払ったことを、どう説明したかは知らないが、モリヤは水本に近づかれることがイヤで振り払ったのではない。」

「‥‥‥」

モリヤも、そうは言った。自分が悪いのだと、そう言っていた。

「あのな、」

小川くんは とても真面目な顔。湧井さんも 真面目に小川くんの話すのを聞いている。

「モリヤは水本のことが好きだから、水本が近付いてくると 嬉しいんだよ。とても、とても嬉しい。」

「‥‥‥」

「嬉しいのに振り払うのは おかしいと思うだろ? でもな、よく考えてみろ。好きで好きでたまらない相手が、目の前にいるとする。好きで好きでたまらないから、抱きしめたいと思っている。でも まだ恋人じゃない。そんなことをしたら嫌われるかもしれないと思って、すごうく我慢している。それなのに、何の気なしに 向こうから不意に近付いてきたら、どうなる? ───振り払うだろう。驚いて 焦って 突き飛ばすよな。」

「‥‥‥‥」

小川くんは、らしくなく、とても静かな口調で 真面目に真面目に話す。オレも 一生懸命に、ちゃんと聞いた。でも‥‥‥‥

「そういうシチュエーションなら そうだよ。でも、それは モリヤとオレのことではないよね。モリヤは…」

オレは 下を向いて続けた。

「…オレのことを 好きで好きでたまらなくはないし、ましてや抱きしめたいなんて 思うはずもない。その話には、当てはまらない…。」

「水本‥」

小川くんは ふう、とため息をついて顔を横に向け、

「湧井は どう思う?」

と聞いた。

「モリヤは水本のことが好きで好きでたまらないし、抱きしめたいと常に思っていると 私は思うわ。」

「ええ…?」

湧井さんは真面目にそう言うのだ。オレは小川くんの顔を見た。小川くんも相変わらず真面目な顔で

「ほらな。」

と言う。

「う…」

なんで、と思う。納得いかない。

「2対1だぞ。」

「多数決じゃない。」

「受け入れてみろと言っただろ。」

「ほんとじゃないことを受け入れたりできない。」

「わからずや。」

そんな言葉すらも、小川くんは真面目に静かに言った。オレはうろたえてしまう。

「水本 冷静に聞いてね。」

湧井さんが言った。

「水本は当人だから 分かりにくいのかもしれない。私たちは外から、それもそばで見てるから よく分かるよ。モリヤは水本のことが とても好き。きっと抱きしめたいぐらいは思ってるよ。エッチだしね。」

思ってるわけない。エッチだなんて考えられない。

「さっきの小川くんの説明は、私も納得。だから、水本がモリヤに嫌がられたと思って 傷つくことはないのよ。むしろ とんでもなく好かれているんだから。でもね。」

湧井さんは 大きな大きな目で オレの目をじいっと見た。

「水本がモリヤに近付かないようにしているのは 正しいのよ。大正解よ。嫌がられてないからって、安心して近付いちゃダメ。」

「‥‥‥」

「突き飛ばされるより、もっと怖いことが待ってるんだから。」

「‥‥‥」

突き飛ばされるより 怖いこと‥‥

「殴られたり…?」

湧井さんは 困ったように笑った。

「水本 私の話聞いてる?」

「き、聞いてる… 真面目に聞いてるけど‥‥」

「んー、よし! パフェ注文するか。ちょっと休憩だ。」

小川くんが 明るい調子でそう言った。休憩ってなんだ?

「うん! そうだね! パフェ注文しよう!」

湧井さんもそう言って、メニューを取って開いた。オレの方に向けてくれる。

「ホラホラ 色々あるよ。プリンアラモードもある。アイスのったワッフルもある! よりどりみどり。水本どれにする?」

「う…」

頭がすぐに回らない。2人は オレのために、とても、とても真剣に話をしてくれている。それはとてもよく分かる。でも残念なことに、その言ってる内容が オレには理解できないのだ。こんなに一生懸命に話してくれているのだから、理解して 分かったと頷きたいのに、どうしても分からないのだ。モリヤのこと。モリヤに対する認識。

「私はやっぱりフルーツパフェにしよう。小川くんは?」

「食いごたえのあるもんがいいな。俺はこの、積み重なったパンケーキにしよう。」

オレは目に メニューの文字を映しながら 2人のやりとりをボンヤリ聞いていた。メニューも 目に映ってるだけで、頭には入ってきていない。

「水本は?」

と湧井さんの声がする。

「うん? どうする? 水本もパフェにする?」

オレはメニューから顔を上げて 湧井さんを見た。

「湧井さんみたいなこと言ってた。」

「うん?」

「モリヤ、湧井さんみたいなこと言ってた。振り払った理由。」

「理由? 何て? 自分がエッチだからって?」

「ち、ちがうっ」

オレは 又もや真っ赤になってしまって 頭を横に振る。

「わ、湧井さん、前に オレが倒れたりした時、お香焚いてるかもって言ってただろ。」

「言ったよ。モリヤ、自分で焚いてるって言ったの? 認めた?」

「いいや、焚いてないよ。でも自分の匂いが 自分で制御できなくて、それでオレが倒れたのかも、みたいに…」

「お香を焚きすぎたって?」

「焚いてない。お香じゃない。モリヤから匂いがするんだ。モリヤは その匂いのせいかと考えて、匂いが激しく立ちそうになったから オレを遠ざけたって…。」

「あのね水本、匂いが人間からブシュッと出てくるなんて あり得ないのよ。そう思わない?」

「‥‥‥」

そりゃ… そうなんだけど‥‥。でも出てくるんだ。あのモリヤの匂いは、モリヤから立つ。モリヤの内から立つ匂いだ。

「匂いのことを色と言うわね。色は色気の色? モリヤから色気が立って エッチな気持ちが吹き出して 危ないから水本を遠ざけた、っていうんなら正解。」

「ええ??」

「湧井、なんか難しすぎ。水本が余計こんがらがるよ。」

ほんとに よく分からなくなってしまう。分からなくて オレはしかめっ面になってたと思う。

「そんな難しい顔してないで、とにかくデザートを選べ。」

と小川くんが 指でメニューをたたいた。思わず小川くんの顔を見たオレを 小川くんも見て

「似合わないよ、水本にそんな難しい顔は。」

そう言って、ハハハと笑った。

「さあさあ 選ばないと、俺が勝手に決めちゃうぞ。」

「う…」

「私が決めてあげようか。そんな顔してる時は、チョコパがいいんじゃない? チョコはストレスを軽減するらしいよ。」

「ストレス! こりゃ又 水本に似合わねえ。」

「し、しつれいなっ。オレだって笑ってばっかりじゃないぞ。」

オレはメニューを引き寄せて見た。ほんとにいろいろある。悩むなあ…。ああ 優柔不断。───モリヤなら、こんな時でも即決なんだろうなあ。モリヤだけじゃない。小川くんも湧井さんも即決だったな。ぼやぼやしてんのは オレだけだ。

「えーと…」

早く決めなくちゃ。オレは必死でメニューを見た。みんな 美味しそう。

「ほんとだ。」

と呟く小川くんの声が聞こえた。オレが顔を上げると、湧井さんが 何が?と聞いている。

「うん。水本、決まったか?」

「う、えーと」

湧井さんと目が合った。

「う、うん、チョコパフェにする…」

うんうんと 湧井さんが頷いている。

「よし」

と小川くんが言って、店員さんを呼んだ。全部注文してくれる。

「で 何がホントなの?」

湧井さんが小川くんに聞く。

「ああ。モリヤの言う通りだと思ってさ。」

「モリヤが何て言ったの?」

湧井さんは いくぶん恐い顔。モリヤは湧井さんの中で 悪者になっているようだ。まずいまずい。オレのせいだ。オレが寝たり倒れたり あげく泣いたり 変なことばっかりするから、みんなモリヤのせいにされてしまう。違うのに。なんとか誤解を解かねば。

「昨日喋ってる時、モリヤは何度も言った。水本がかわいいって。」

「はあ⁉」

オレは大きい声を出してしまった。かわいい?? 何だそれ⁉

「ほんとにかわいいやと思ってな。デザートを必死で選んだりして。」

デザートを選ぶとかわいいのか⁉ かわいくないだろう‼ いや、湧井さんなら かわいいけど。湧井さんなら何したってかわいいんだから。けどオレが何したって、かわいいわけがない。オレにかわいい要素なんてない。ところが 湧井さんが言った。

「そんなのとっくに知ってるもん。」

はあ???

「ふ‥‥」

オレは目を白黒させてしまう。

「2人とも、何言ってんの…」

「なにて、事実を。」

平然と小川くんが言う。何、言ってんの??

「ま、まじめな顔で冗談言わないでよ、びっくりするよ。」

オレが必死で言うのに

「冗談なんかじゃない。」

又も真面目な顔で小川くんは言うのだ。

「…じゃ‥じゃあ、日本語間違ってる。その形容詞はオレに当てはまらない。かわいいというのは 湧井さんみたいな人に使う言葉だよ。」

ふ、と小川くんが笑った。

「バカだな水本は。」

「なっ なんで! 今のは オレが正解だよ!」

「湧井はかわいいよ。」

「あらら。」

湧井さんは おどけたようにそう言ったが、照れているのが分かった。これ! これをかわいいと言うんだよ‼ ところが小川くんは続けてこう言った。

「でも 水本もかわいい。」

「かわいくなんかないってば‼」

「分かってないなァ水本は。なあ、湧井。」

「うん、分かってない。水本は超かわいい。」

「‥‥‥」

ほんとうに何言ってんだ この2人は…。そしてモリヤが そんなこと言うはずがない。

「…でも モリヤって」

湧井さんが ふと気付いたように言った。

「小川くんに そんなこと言うの?」

「うん?」

と小川くんが湧井さんを見る。

「水本がかわいいと思ってるってことを 何度も? そんな話をするんだ、2人で?」

「ん、ああ。まあな…。」

「だいたい、なんで小川くんはモリヤの家に行ったの? 水本は帰ったのに どうして?」

「…ちょっと 話しときたいことがあってな。」

「話しときたいことって何?」

「うん、まあ、そういう話だよ。」

そういう話って何?って聞こうとした時、デザートが運ばれてきた。

「うわあ」

湧井さんの表情が変わる。

「すごい! 美味しそう‼」

だから小川くん 見ろよこれ! これだよ、これをかわいいと言うんだってば! そう思ってオレが小川くんの顔を見ると、小川くんは湧井さんの方を見ていて、うん、これは絶対 かわいい‼と思ってる! オレはホッとした。大丈夫。小川くんの本心は、かわいいと思っている本当は、絶対湧井さん。湧井さんだけ! 分かったから もう黙っとこう。オレはそう思って いただきますと言って食べ始めた。

なんて美しい食べ物! なんて美味しいんだろう。頭をぐるぐるしてた わけの分からないものが、スッと下に落ちていくような気がした。

「ほら ほら!」

湧井さんが言った。食べかけのスプーンを持ってオレを見てる。オレが うん?と言うと

「ほらね! かわいい‼ ね、小川くん!」

「ああ。とても。」

「‥‥湧井さん」

オレは小さく深呼吸した。

「もう その話は終わろう。」

オレが真面目にそう言うと、小川くんがパンケーキをほおばったまま

「やめてもいいけど、自覚したか?」

もぐもぐいいながら そう言った。

「なんの自覚だよ?」

「自分がかわいいという。」

「ばか!」

「ばかは おまえ。認めとかなきゃ、怖い目に遭うぞ。」

「何言ってんだ。そんなばかばかしいこと、認められるもんか。怖い目になんか 遭わないよーだ。」

「うーん」

湧井さんが唸った。

「水本には無理かもねえ…。」

「何がだよ?」

「自分を知ること。客観性を持つということ。」

ああ なんて言われよう。オレも小川くんのこと、バカって言っちゃったけど。自分を知るとか 客観性とか 難しい言葉で言われる方が、よりオレがバカみたい。反撃が "バカ"っていうのも、超頭悪い。バカって言う方がバカってやつだ。オレが しゅんとなって下を向くと

「わあ 水本、ごめん‼」

慌てた様子で湧井さんが言った。

「水本を責めてるんじゃないの。むしろ誉めてるの。かわいいって、誉め言葉よ。でしょう?」

オレは目を上げて湧井さんの顔を見る。

「女の子にとってはね。男には誉め言葉じゃない。」

「あら偏見。」

「ち、違う!」

「あのね水本、顔じゃないよ。姿じゃないよ。人間的な部分を言ってるの。人間がかわいらしい。性質がかわいらしい。分かるかな。これは男女を問わず、老若を問わず、誉め言葉だよ。」

「‥‥‥」

やっぱり オレはバカなようだ。

「へ、偏見だというのは分かった。オレが間違ってた。女の子はかわいく 男はかっこよく あらねばならないっていうのは、確かに偏見。でも‥ でもね、湧井さん、性質がかわいいっていうのも やっぱりオレには当てはまらないと思うよ‥」

「それは 水本が決めることではないのだ。」

湧井さん…

「はたから見て可愛かったら その人はかわいい人。分かった?」

「う…」

「おっと 食べよう水本、パフェがとけちゃう。」

うう それはもったいなすぎる。アイスに負けて オレは思考停止。ガラスの器が空になるころには オレのもやもやは消えていた。やっぱりオレってバカすぎる。

「おいしかったねえ…」

湧井さんが ため息とともに言った。

「うん。」

とオレも頷く。本当においしかった。とける前に食べて良かった。

「ところでさ」

満足そうに 椅子の背もたれにもたれている小川くんに、湧井さんがいくぶん乗り出して切り出した。

「モリヤの家はどうだったの?」

「…どう、って?」

オレも思わず乗り出した。聞きたい。

「楽しかったの?」

と湧井さん。小川くんは 一拍置いて、

「楽しいわけがない。」

なんて言う。

「…なんで行ったのよ?」

「だから話をしに、だよ。遊びに行ったわけじゃない。水本は」

湧井さんが口を開くのを阻止するように、小川くんは続けて言った。

「いつも楽しいのか、モリヤの家?」

「お? オレ??」

急にこっちに振られるとは思わなかったもんだから たじろいでしまった。───そう言えば…前にも小川くんに同じこと聞かれた気がする。いつだったか…

「う、うん。楽しいよ。いつも、とても。」

「‥‥‥」

小川くんが ちょっと変な顔をした。湧井さんは

「水本 モリヤを匂いにいって振り払われたって言ったよね。あれは モリヤの家でのことなの?」

「‥‥‥‥うん…。そ…う…。」

そう。モリヤの家で。近付いて よろけるほど振り払われた。暗くて美しいモリの家で───。

「いつも楽しくないじゃない。」

「あ…」

なんか焦って オレは何度も唾をのみ込んだ。

「う、ううん、そ、その日も つつつ つらかったのは、その一瞬だけ。そのことの前は すごく楽しかったし、あ、あとも、後も、楽しかった…。ピクニックの約束もしたし…。」

あの時のことを思い出すと ドキドキしてしまう。ドキドキしてしまって 上手く喋れない。

「ふう~ん‥‥」

納得していないような ふうんだった。湧井さんは。

「それで、」

湧井さんは 又小川くんを振り向いた。

「モリヤと何を話したの?」

小川くんも湧井さんを見て、

「モリヤが話すことといったら 水本のこと以外にはない。」

と真面目な顔で言うのだ。何を言うんだ。何を真面目な顔して言ってるんだ?

「水本が かわいいって話?」

湧井さんっ!!

「そうだ。その話オンリー。」

小川くんっ!!

オレは声もなく 2人をキョロキョロと見てしまう。オレが聞きたかったのは そんなことじゃない。オレじゃない人が あの森の家でどんな風に過ごすのか。モリヤと2人で 何をして過ごすのか。そこにとても興味があった。小川くんが どんな感想を持つのかも。あのいい匂いが 又も充満したようなのだ。だって小川くんの服に匂いが着いていたもの。モリヤはきっと 機嫌が良かったんだ。‥‥‥そうだ‥‥昨日は大雨だった…。モリヤは──── 浮わついていたんだろうか。高揚していたんだろうか─────。

「なんだよ、本当のことだぞ?」

「え?」

思わずオレは じいっと小川くんの顔を見ていたようだ。

「本当に 水本がかわいいという話を、モリヤは延々していたぞ。」

「そんなの するわけない。なんでそんなこと言うんだよ。」

あくまで小川くんが笑わずに言うから、オレも真面目に抗議してみた。

「だから本当だって言ってるだろ。水本、俺のこと信用しないのか?」

「う…? だ… だって…」

「だいたい、モリヤに聞いてないだろ? 聞いてみろよ。きっと同じことを言う。モリヤはウソはつかないぞ。」

「‥‥‥」

ウソはつかないのかもしれない。でも 冗談は言う。オレには冗談か本気なのか 分からないことも多い。さっきだって、小川くんに妬いてただなんて。冗談に決まってる。モリヤが妬くわけない。オレのことを かわいいなんて言うわけない。もちろん オレも聞いたことない。

「ホントに モリヤと仲いいのね。」

と言った湧井さんは、小川くんの方を見ていた。

「あ? 俺??」

「モリヤは学校では、ほとんど口をきかないでしょ? 小川くんには そんなに喋るんだ?」

「‥‥ああ。喋りたいんだろうな、水本のことは…。」

「なるほど その気持ちは分かる。そうそう、と分かってくれる人に話したいんだよね。でも よっぽど気を許してないと、そんな話はできないと思う。」

「気を許しては ないと思うよ。モリヤは本気で 俺に妬いてるから。」

「妬いてるというのも 納得だけどね。」

オレはクラクラしてきた。違うって。2人に オレとモリヤが一緒に過ごしてるところを 見せてやりたい。そんな、好きとか かわいいとか やきもちをやくとか、そんな関係ではないのだ。ただ 気持ちよく2人で同じ空間にいるだけ。貴い香りに包まれて。

「匂いは していたんだ?」

湧井さんが聞く。

「ああ。話の途中ぐらいから すごくしてたな…。」

「お香じゃない?」

「違うと思う。俺も モリヤの手元とか見たんだけど、スプレーでふったみたいでもなかったしな。」

「で、小川くんは 寝たり倒れたりしなかったのね?」

「ああ。してないよ。」

‥‥‥あれ?

匂い、モリヤの匂い、一昨日はしなかった。その前は違う方の匂いがしていて。それでモリヤの家で 小川くんといる時に、モリヤの匂いが戻ったんだ。小川くんと話している時に。

「小川くん」

オレは思わず声をかけた。

「なんだ?」

「その、モリヤの匂いがした時… 急にした?」

「そうだな。急にしたな。少し、驚いた。」

言って 小川くんは、なんだか複雑な顔をした。

「そ、その時、その時、モリヤ、近くに…いた?」

「うん? 近くって…。喋ってる時だったから、このぐらいのキョリかな。」

小川くんはそう言って、自分とオレを手で指した。

「…そ、その時…」

「ん?」

「モリヤ、ちょっと、離れた?」

「離れる?」

小川くんは思い出すような顔をした。そしてちょっと顔色が変わった…気がした。

「い、いや… 別に…。」

モゴモゴ答える。

「何よ? 何かあったの?」

と湧井さんが言う。

「いや。何でもない。離れてない。」

離れてない。‥‥"匂いの戻りが激しい時に 制御がきかなくて"────── 危ないと思った… ってモリヤは言ったよな。じゃあどうして… どうして小川くんは‥‥‥

「水本… どうしたの?」

湧井さんが 心配そうな顔をしている。

「ん…?」

何がどう…

「悲しい顔に なってるよ?」

悲しい顔?

「…そんなことない。何でもない。」

オレは下を向いた悲しい顔してるつもりはないけど 又そう言われたらかなわない。

「言っとくけど」

と小川くんが言った。

「水本が妬くようなことではないぞ?」

「や、やいてないよ…。」

オレは下を向いたまま言った。

「もう…! ほら! 小川くんがモリヤの家に行ったりするから…。話するだけなら 家まで行かなくていいのに。」

「雨が… すごかったからな‥。外ではちょっと。」

「雨宿りなんだ? 水本 雨宿りだよ。心配しなくても大丈夫だよ。」

‥‥心配なんて…。湧井さんこそ、オレのこと、心配し過ぎだよ‥。オレは…。

「雨がやんだら 帰ったんでしょ?」

念を押すような口調で 湧井さんは小川くんに言った。ところが小川くんは、黙ったまま頬杖をついた。湧井さんが 驚いたように小川くんを見る。

「雨がやんでも帰らなかったの?」

小川くんは無言で 湧井さんを見た。

「帰らなかったんだ…? ───いつまでいたの? 何時に帰ったの?」

小川くんは無言。

「‥‥‥まさか 帰らなかったって言うんじゃないでしょうね?」

小川くんは─────無言‥‥。 湧井さんの顔色が変わった。

「うそでしょ? 泊まったって言うの?」

オレも驚いて 小川くんの顔を凝視してしまった。小川くんは しばらく視線を逸らせて黙っていたが、やがて大きくため息をつくと

「泊まった。」

と言った。

「‼ ふけつ‼」

湧井さんの口から そんな言葉が飛び出た。間髪入れず小川くんが

「不潔じゃない。不潔と言われるようなことは、何もない。」

「…そうか。そうよね。ごめん、なんか思わず。」

「いい。分かる。俺も そう思われる自覚があったから、自分から言えなかった。けど お前らなら分かってくれるだろ。当然だが、何もないからな。」

「うん。もちろん。ふけつは取り消し。」

2人はそんなやりとりをしていた。オレはポカンと小川くんを見てた。

「水本 黙ってて悪かったな。」

小川くんが 真面目な顔でオレに言う。

「‥‥泊まったの? モリヤの家に?」

「ああ。」

「へえ…?」

考えもしてなかった。ポカンが やまない。

「念のために もう一度言うけど、おまえが妬くようなことは何もないからな?」

「へえ…?」

「水本…」

「へえ… 泊まったんだ? モリヤが泊まれって?」

「んー… 最終的には俺が泊めてくれと言った。」

「じゃあ 泊まっていいって?」

「どうぞってな。」

「へえ‥‥‥‥?」

「妬くんじゃないぞ?」

「うん。」

そうか、と思っていた。やっぱりそうか、と。

モリヤは小川くんと仲がいい。モリヤは小川くんが好き。ああ もちろん、とオレは自分に つっこんでおく。ホレタハレタではないんだろうが、と。けど多分、オレとより、小川くんとの方が仲良し。

────そんなの、しょうがない。

オレは 自分がモリヤの匂いが好きなもんだから、自分からモリヤに近付いていってた。呼ばれもしないのに、家に行ったり。でも小川くんは、そんなにモリヤのことが好きには見えなかった。でもモリヤは小川くんとずっと過ごしたり、家に泊めたりするんだ‥‥ ものな…。‥‥どうぞ、だ。又、どうぞ、なんだ…。それは、しょうがない。

「モリヤは他人と寝るのは御免て言ってたじゃない。別々の部屋ならいいってこと?」

湧井さんが言った。

「寝てない。」

「え?」

オレと湧井さんは同時に声を出していた。

「寝てないって‥‥」

「完徹だ。」

湧井さんの呟きに 小川くんが答えた。

「徹夜したの? 何してたの?」

本当に驚いた顔で 湧井さんが聞く。

「話を。」

す…ご‥‥。一晩中喋ってたのか、モリヤと。2人で。夜が明けるまで。あの 雨の日の森の家で‥‥‥。貴い香りの充満する森の家で───。ずっと、話を─────。

「いいなあ‥‥‥。」

ため息のような声が出た。

「水本」

小川くんが 少し乗り出すような体勢をとった。

「今日 俺ん家に来い。泊まっていけ。」

「泊まる⁉」

小川くんは あくまで真面目な顔。

「なんで⁉」

「明日休みだから。」

「え⁉ い、いや…」

そういうことじゃなくて…。休みだって 今まで泊まったことなんかない。

「なんだよ水本、俺ん家に泊まるのは嫌か?」

「い、いやとか そういうことじゃないけど でも…」

「でも?」

でも… えーと‥‥

「い、家の人に何も…」

「電話すりゃいい。モリヤの家じゃあるまいし 電話ぐらいあるよ。」

「そ… え、と、泊まりの用意が…」

「おまえは女子か。なんもいらんだろ。何の用意がいる? 言ってみろ。」

‥‥強引…。どうしたんだ 急に?

「と、泊まる時は… 歯ブラシとか 着替え…」

「みんな貸してやるよ。それならいいか?」

「‥‥‥」

強引…。なんで?

「泊まるの、嫌か?」

もう一度 小川くんが聞いた。

「い、いやじゃないよ…。」

「じゃあ来い。」

「う」

「素直に頷けってば。」

ハハハと湧井さんが笑い出した。

「なんだ?」

小川くんが湧井さんを振り返る。

「小川くんたら、そんな風に女子をくどいたら絶対来ないよ。失敗例のパターンだよ。」

女子⁉

「うん? くどいてんじゃないし。」

「くどいてるみたいに見える。くどいて逃げられるやつ。」

湧井さんは笑ってる。

「オレ 女子じゃないし! くどかれてない! きゅ、急に泊まれなんて言うから びっくりしただけ。脈絡がないんだもの。」

「友だち誘うのに 脈絡いるかなァ。」

小川くんが ぶつくさ言うと、湧井さんは笑いながら

「なんで急にそんなこと言い出したのか、理由を言ってあげなさいよ。」

「理由? 理由は‥‥ 俺がな、」

言って小川くんは オレをじっと見た。

「水本と ゆっくり話したいから。」

「うん?」

「なんだよ? 拍子抜けしたみたいな顔して?」

「すごく強引な誘いのわりに 理由が普通だから。話したいから? なら今でもいいのに?」

「ゆっくりって言ってるだろ。たまにはいいじゃないか。」

「‥‥う‥」

「水本、行ってあげなよ。」

湧井さんがくすくす笑って言った。

「熱烈ラブコールだよ? これでふっちゃ、かわいそうだよ。小川くん泣いちゃうよ。」

「ええ? 小川くんが泣くわけないよ。」

「いいや 泣くね。来てくれないと。」

小川くんまで そんなこと言う。

「そうよ。ここで断ったら、小川くんは水本に嫌われてると思っちゃうんだから。」

「えええ⁉ 嫌いなわけないし‼」

「じゃあ泊まってくれるか?」

「いいよ。泊まるよ。」

「よしっ‼ では今晩は語り明かそうな!」

「‥‥いいけど‥。」

湧井さんは笑ってる。

「ハハハ。押しきられちゃったね。」

そして ふと、笑いやめて

「いいなあ。男同志ってだけで そんなに躊躇なく誘えて。私も一緒に泊まりに行きたいなあ。」

「ばっ、ばかなことを!」

これには小川くんが焦って言った。

オレは もちろん常識があるから、湧井さんは泊まりに来たらダメって思うけど、だけど そうだなあとも思う。湧井さんだけダメなんて、なんかさみしい。

「まあなあ…」

小川くんがポツンと言った。湧井さんが「うん?」と小川くんの顔を見ると、

「男とか女とかいう理由で 泊まることを()い悪い言うのは、ナンセンスではある。」

ナンセンス⁉ ナンセンスだって。会話の中で初めて聞いたぞ。オレがその言葉に注視していたら 湧井さんが

「どういうこと?」

と聞いた。もちろん ナンセンスの意味を聞いたのではない。

「うん、例えば… そう、俺がモリヤの家に泊まるって言っても、親は何も言わないわけだ。男の家だからな。」

「そうね。」

「でも 湧井がモリヤの家に泊まるなんて言ったら、大問題だろ?」

「まあね。」

「男だから女だからでいくと うん、つまり親の立場から見ると、水本がモリヤの家に泊まるって言っても OKを出す。」

「…出すよね。」

「でも実際は 誰よりOKを出しちゃいけないわけだろ。男とか女とかじゃあないよな。」

湧井さんは 大きくため息をついた。

「ないわね。」

「ぇぇぇぇぇ〰〰〰」

なんか細い変な声が出た。

「オレの親、モリヤの家に泊まっていいって言うよ、きっと‥‥。」

「だから そう言ってる。」

「なん‥‥」

「水本の親は モリヤを知らないからな。」

「‥‥知ってても 泊まっていいって言うよ。」

「顔ぐらい知ってても、泊まっていいって言うだろうな。ケド、モリヤの本質を知ったら 絶対言わないね。そして」

オレに口をはさませず、小川くんは続けた。

「親が 本質を知るなんて、難しすぎる。」

「ほ‥‥ほんしつって何?? モ モモリヤは…」

「ゆっとくけど」

オレの言葉を切るように 小川くんが言う。

「いいやつとか悪いやつって話じゃないぞ。」

ぇぇぇぇぇ〰〰? 今度は心の中に細い声が響く。じゃあ何?? 本質って何???

「まあ、そんな話も 家でしようぜ。」

小川くんが この話は終わりとばかりに、笑って言った。

‥‥‥‥小川くんの(うち)‥かあ…。そういえば高校入ってから 友だちの(うち)遊びに行くの、モリヤのところを除いたら 初めてだ。

「エヘヘ」

と湧井さんが笑った。

「どした 湧井?」

「だって水本が にやにやしてる。」

「えっ⁉」

オレは驚いてしまった。

「オレ、にやにやしてた⁉」

「ハハハ! してたよ! 良かった! 水本はそっちの方が似合う。」

似合う? にやにやが⁉

「なんで にやにやしてたんだ?」

と小川くんが聞く。

「えっ… にやにやしてた自覚がないよ…」

「何考えてたのか言えばいい。」

「今? んー‥と、高校入ってから モリヤの(うち)以外の友だちの(うち)は、初めてだなあって思ってた‥‥」

「うん? なんのにやにやだ? モリヤの(うち)ばっかり行ってんなーってか?」

「いや… 小川くんの(うち) どんなだろうと思って…」

小川くんと湧井さんは 顔を見合わせた。2人でにっこりしてる。


今度は、泊める側の小川くん。

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