アイシテル (小川くん側 その9)
お泊まり明けの朝の2人。
────完徹。
ほんとに 一睡もしなかった。眠くもならない。そしてモリヤの言った通り、全部は話しきれなかった。だいたい、終業式の日の話だって、あそこで終わったんだと思ってたのに、まだ続きがあった。
水本を帰したくないと思う気持ちと そんなこと言えないという気持ちとが 交錯していた、というような心情を、モリヤは話した。モリヤは自分で 文才が無いなどと言ったが、話力はすごくあると 俺は思った。モリヤの心の内が、手に取るように分かる話しぶり。
「"帰るな" とぼくが言わずに 水本から、"帰らないよ" と言ってくれるようにもっていこうと 画策してしまった。そんなことは ぼくには全く初めてのことで、大いに戸惑ったなァ。じれじれしながら自分の心と闘って 一生懸命言葉をくり出すのに、水本は気付きもしない。‥‥まあ 一生懸命出した言葉も、ずいぶんと間抜けだったけどね。」
「…なんて、言ったんだ?」
「ああ… ハハハ 参考にもならないよ? 小学生レベル。服が乾いてないとかね。外は寒いとかね。カゼを引いてしまうとかね。そんなことで、じゃあ帰れないね なんて言う水本では、もちろんない。ぼくは─── 濡れた制服を取りに 又ここへ来てくれと、次の約束をとりつけるのが 精一杯だった。けれど初めて。その時初めて人と 次の約束というものをしたよ。」
モリヤから 嬉しいため息が洩れた。そして又 匂いも。話は 水本が帰ってしまうところまで、なかなかたどり着かない。でも これは、モリヤ家訪問3回目だそうだ。モリヤの記憶力はすごい。会話の一部始終を覚えているようなのだ。怖い。そんなものは 適度に忘れてくれた方がありがたいのに、と俺なんかは思うがな。
水本がモリヤの家に来たのは、その後7回もあるそうだ。まだ3回目の話。あと7回‼ しかもその間々に、家には行ってなくても 水本と関わった出来事なんかを挟んでくるもんだから、話は終わるはずもない。おまけに俺だって いちいち気になって、その時部屋は真っ暗だったのか⁉とか、聞いてしまうもんだから いっそう話は進まない。
しかも、しかもモリヤは 一方的に話をただするわけでなく、随所で俺にもふってくる。これは一般的なのか とか、小川ならこんな時どうする とか、小川の経験を話せ とか。全く人付き合いをしてこなかったようなのに、会話術がすごいと思ってしまう。
けれども その会話はもちろん、楽しいとかいうもんではなく、基本的に怖い。時にモリヤの心情が切ない。切なく、切羽詰まっていて、やっぱり怖い‥‥。抜き差しならないところへ片足突っ込んだ という気がとてもして、俺の心はもがくけれども でもどうしようもないのだ。 こうするしか なかった。俺は。
モリヤは喋り続ける。ずっと モリヤの匂いが立ち込めている。扉も窓も 開けているけれど、正直俺は 少し酔いそうな心地がした。
ふと目を上げたモリヤが
「見てごらん。」
なんて 映画の1シーンみたいなセリフを吐く。
「明るくなってきたよ。夜明けだね。」
ほんとうに 家の中が薄明かるくなってきていた。この時俺は 本当に夜を明かしてしまったことに気付く。
「ね?」
モリヤがにっこりした。
「ああ。朝だな。」
俺が答えると、違うよと言って モリヤが笑う。
「全部話せなかっただろう?って意味。」
「あ… ああ。」
全然だった。全然進んでない。
「こんなに短い夜は 初めてだ。」
モリヤは笑っている。ええ?
「俺はめちゃくちゃ長かったぞ。」
「へえ? ほんとう? 感じ方だねえ。」
言ってモリヤは立ち上がり、伸びをした。
「ああ ずっと座っていたから、体が固まってしまった。足や腰が痛くない?」
俺も立ち上がった。痛い痛い。腰を伸ばして、体を少し動かした。
「寝転がって話せば良かったね。寝物語。」
ハハハハとモリヤは笑って言う。
良かった。明るくなってきている。葉っぱの爽やかな匂い。いやらしく聞こえない。俺はホッとする。
と、ここで気付いた。葉っぱの爽やかな匂い…? モリヤの匂いじゃない…‼ 俺は スーッと息を、鼻から吸った。─────匂わない。 グー と腹が鳴った。
「おや」
とモリヤが こっちを見る。
「お腹がすいたのか。」
「ああ…。」
ほんとだ。今気付いた。めちゃくちゃ腹が減っている。完徹だもんな。当然か。 ただ、モリヤの匂いが立ち込めている時は、少し酔いそうで 腹の減りも感じられなかった。やはり今、匂いは ない。
「…サラダ 食べる?」
「ああ。」
「ふうん。」
モリヤの返事は時々変だ と俺は思う。モリヤはちょっと不思議そうな表情をして、それから奥へ入って行った。
真っ暗じゃない。ほの明るい。俺は 大いに、大いにホッとする。ずっと暗かった。ボンヤリとした手元灯りだけ。ようやくモリヤの表情が見えるぐらいの、薄いアカリだ。暗いと落ち着く ということもあるそうだが、モリヤと2人っきりでは 落ち着くはずもない。絶対明るい方がいい。暗さは 怖さを増すのだ。
木漏れ日みたいに 家に光が入ってくる。どうやら今日は晴れだ。
奥からモリヤが現れた。暗くない。薄暗くもない。ほの明るい。"明るい" がつくのだ。嬉しい。モリヤの姿が見える。よく、見える。手に深皿を持っている。まっすぐ俺に向かって進んできたモリヤは、その皿を俺に差し出した。
「ハイ。」
「あ、ああ。ありがとう。‥‥モリヤは?」
「いらない。」
「…朝は 食べないのか?」
「だいたい ほしくない。」
「完徹したのに?」
「したから何?」
「いや…。俺は徹夜したら、寝て起きた時より 腹が減るから。」
「へえ? そうなの?」
「そういうもんだと思うけど…。」
「ぼくはそんなことないな。」
モリヤはここでにっこりした。
「どうぞ?」
「うん‥。いただきます。」
冷たい野菜。昨日よりよく見える。見えても 何の野菜か分からない。昨日と同じなのかどうかも分からないけど。レモンみたいな風味。俺は生野菜のサラダを 敢えて好んでは食べないのだが、モリヤのサラダは とてもおいしいと思う。
「水本も おんなじサラダを食べたのか?」
「全く同じではないけれど 野菜サラダなんて、みんな似たようなもんだよ。」
「そうか…。喜んだろうな…。」
水本は俺より、野菜が好きそうだ。
「さあ、どうかな。」
うん?
「大喜びしなかったか?」
「大喜びしてるようには 見えなかったな。」
「なんで⁉ 水本、野菜嫌い…じゃないよな?」
「嫌いとは言わなかったけど。」
クスクス モリヤは笑い出した。
「いいんだ。かわいかったから。」
はあ⁉ なんだよそれ?
「わざと変なもの入れたとか? 唐辛子とか…」
何しろ Sだからなあ。まさか こんなところで水本に嫌がらせして 楽しんだか?
「いやだな そんなことしないよ。なんでぼくが、水本が困ることをするのさ。」
「‥‥‥」
それもそうか…? いや 困る姿見たさに しないとも‥‥?
「何疑ってるんだよ。ぼくは水本に嫌がらせしたりしないよ。嫌がらせするのは 小川にだけ。」
はははと笑う。そんな 堂々と…。 けど、そうか。嫌がらせ、してないんだな? じゃあなぜ モリヤの、まあ手料理ってほどでもないが、モリヤの供した食べ物を 水本が喜ばないなんて…。考えられん。少々口に合わなかろうが、水本なら大喜びしそうなもんだ。
「‥‥モリヤ」
「うん?」
「サラダを水本に出した時も、水本は恥ずかしがったのか?」
あれ? モリヤの匂いが、した。シュワッと まるで霧吹きで吹いたように。モリヤは にっこり笑っている。
「とても、恥ずかしそうだったよ。」
モリヤの表情が うっとりとなった。
「とても、かわいいんだ。」
それからチラッと俺を見て、にやりと笑った。
「小川は かわいくないなあ。」
「かわいくなくて結構だ!」
かわいいなんて 言われたくもない。しかし… サラダを食って、なんでかわいい? 何が恥ずかしい? 全く分からん。
「あ! 葉っぱに何か書いたのか?」
「へ?」
「ドレッシングとかで。ケーキにのってるチョコみたいに。あいしてる、とか。」
おお! これは かなり恥ずかしいぞ‼
モリヤは本当に驚いた顔をして 俺を見た。目を丸くして。一瞬後、爆笑した。今度は俺が、驚いてしまう。
「な、なんだよ?」
聞いてもモリヤは まだ笑っている。止まらないみたいに。だいぶん笑って
「くるしい…」
と本当に苦しそうに 言葉を洩らしたが、それでもまだ笑っている。そんなにおかしいことを言った自覚はない。モリヤの笑いのツボは おかしい。
俺は バリバリ野菜を食った。こんな小さい葉っぱに 字が書けるわけないだろってことか? ん? あ‼
俺は ごっくんと口の中の野菜を飲み込んで、モリヤの顔を見た。そうか。字なんか書いたって、見えないんじゃないか。真っ暗なんだから。例え昨日みたいに 小さい灯りがあったって、字までは読めない。ましてや もしも真の闇なら…。
俺は ハッとする。だいたい、だいたい 何も見えない状態で、どうやって食べるんだ?? 手探りで食うのか? 皿と箸を持たせてもらって?? 俺は 思い巡らしながら、じいっとモリヤの顔を見ていた。闇鍋パーティーとかいうやつだな。…なんか怖い…。
「…ここから先は」
ようやく笑いを抑えて モリヤが口を開いた。
「小川の想像におまかせするよ。これ以上言ったら 水本に怒られてしまう。」
そして又 思い出したように、クックックッと笑った。
───なんだよ ここから先って…? ここからって…? 想像も何も 全く分からない。ただ、ただ、怖い…。
「愛してる」
「えっ⁉」
クッと笑いを洩らして モリヤがもう一度言った。
「愛してる、なんて言葉、今初めて口にした。」
クスクス笑う。
「小川は 何度目?」
はあ⁉
「俺だって 初めてだよっ」
「ほんとう? そのわりに自然だったよね? 愛してるかァ…。愛してるって言われたら、恥ずかしいの?」
愛してるという言葉の連発…。聞いてるだけで 恥ずかしい。
「意外に日常、使わない言葉だからな。言うのも言われるのも。俺は超恥ずかしい。」
「へーえ? 湧井サンに言わないんだ?」
「言うわけないっ‼」
「ふうん? 恥ずかしいのかなァ。湧井サンは 喜ぶんじゃないの?」
「えっ‥‥‥」
「小川が 愛してるって言ったら、嬉しんじゃないのかなァ。恥ずかしいの括りの言葉ではない気がするけど。」
「‥‥‥」
いや、恥ずかしいだろう??
「ぼくは言われたいなあ 水本に。水本の口が、アイシテルと動くのを見たい。」
ああ モリヤの、水本の好きなモリヤの匂いが ス───ッと流れてきた。匂い、消えたわけではなかったんだ。どこから出てくるんだか、結局のところは俺には 分からないのだが。
─────アイシテル なんて、言われたいのか‥‥。そんなの、映画か 小説の登場人物しか、絶対口にしない言葉だよ。ましてや高校生が言うわけない。期待してもムダだぞ モリヤ。
「いいなあ アイシテル。よし、一度言ってもらおう。」
「‥‥‥」
だから 言わないって。
「言ってくれるよ 水本はきっと。」
「は⁉ なんで…」
なに その自信。好きだけど、水本はモリヤのこと 好きだけど、でも アイシテルは 言わないって!
「水本に "アイシテルって言ってみて" とぼくが言ったら、きっと水本は "アイシテル? なんで?" って言うよ。」
「‥‥‥そ… そんなんでいいのか?」
「そのコトバを口にする水本が見たい。きっとぼくは ドキドキするだろう。」
「‥‥‥」
‥うわ‥‥ モリヤ、又高揚してしまった…。…でもない? 想像して うっとりしてるだけか?
‥‥モリヤこそ、水本を 超絶アイシテルなァ‥‥。
次回 水本の回、久々。




