森の家泊 (小川くん側 その8)
小川くんは森の家で…
あああ。とうとう。とうとう来てしまった。とうとう泊まってしまう。あり得ない現実。
暗い…。頼りは足元の ボンヤリした灯りだけ。よくもこんな暗い所で暮らしてるもんだ。こんな暗いと なんにもできないだろうに。
ぐしょぐしょの靴を脱いで 家に上がろうとしたら、かまちでけつまずいた。
「うわっ」
思わず声を出してしまった。倒れる前に ドンッと何かにぶつかった。─────モリヤだ…‼ 俺の顔が モリヤの‥‥胸に…?
「大丈夫?」
笑った声のモリヤ。
「あ、ああ。悪い。」
「口を打った?」
「いや。口じゃない‥‥‥」
あ‥‥ 水本は、こういう状況で‥‥ いや、もっと激しくぶち当たったはず。床に仰向けでいるモリヤの上に倒れていって、口をぶち当てたんだから。
「ほんと? 切れてない? 水本みたいに。」
心配してない。モリヤは笑っている。
「切れてない。口を打ってない。」
ふふふと声に出してモリヤは笑った。
「ならいいけど。小川は重いなァ。」
‥‥‥。重い? 水本よりもってこと??
「あ! モリヤ!」
思い出した。
「うん?」
「アイスを買ってきた。食おう。とける前に!」
「アイス?」
ちょっと驚いたようにモリヤは言った。俺はアイスのカップを取り出して、モリヤの方に押し付けた。
「それはどうもありがとう。」
コンビニで付けてくれたスプーンも モリヤに渡す。床に座って 2人で食べ始めた。豪華。こんなの普段は買わないから、俺も新鮮だった。
「多いね。」
とモリヤが言った。
「豪華だろ。」
と俺は答える。
「こんな食べ物があるんだね。驚いた。」
それでもモリヤは、残さず食べきった。水本じゃないが、普段野菜ばっかり食べてるモリヤが、急にこんな量のアイスを食べたら 腹をこわすんじゃないかと、ちょっと不安になってしまう。俺でも 多いと思う量だ。
「体が冷たくなった。」
とモリヤが言った。俺は口が冷たい。
でも不思議。食べ物を腹に入れると、少し落ち着いた。なんとも言えん不安で、心がフワフワしてしまっていたのが。‥‥今、何時だろう。コンビニで見てくるんだった。俺は周りを見回した。壁なんか暗くて ほとんど見えないが、この家は時計もないのか?
「何か探してるの?」
とモリヤが聞いた。モリヤは俺の前に、床に座っている。
「ああ、今何時だろうと思って。」
「8時スギ。」
「‥‥もう8時か…。」
…時計 あるのか…。
「時間が気になる?」
うふふとモリヤは笑う。
「泊まるんだから 気にしなくていいじゃない?」
「う‥‥ いや…」
この状態が いつまで続くか考えると怖いから…。
「何かしたいことがあるのか?」
笑い声のモリヤ。
8時。泊まりでする事といえば 風呂、歯を磨く、寝る、だな。どれも早すぎるか。それでは一番大事なことを。
「エッチなことか。」
「は⁉」
「ちょっと考えていたんだけど、ぼくも大切な水本に対する前に 試していた方がいいかなと思ったんだ。小川に協力してもらおうかなあ。」
「‥‥‥‥」
落ち着け俺! 嫌がらせだから‼
「だからそんなことしないって! 俺は目的があって泊まるんだから!」
「目的? エッチなこと以外に 目的なんかある?」
モリヤはクスクス笑い出した。くそう…。俺が嫌がるから おもしろがるんだよな。分かってはいるんだが…。だけど、だって 怖いもんは怖いんだ。
「───教えてくれるんだろ?」
「エッチ…」
「違うってば‼ 俺が水本と同じ状況で泊まれない理由をだ!」
モリヤは笑い続けている。あー腹が立つ。いいように遊ばれている。
「まあね」
モリヤは 少し笑いをおさめて言った。
「そこまで知りたいんだったら 教えるけれど。」
「早く教えろ。」
モリヤは少し 膝を進めてきた。思わず俺は後ろへ下がる。モリヤは俺の下がった分 さらに寄ってきて
「まだ8時スギだけど 聞きたい?」
「‥‥‥何か時間が関係あるのか?」
「いいや? ただ こんなに早く聞いてしまうと、後の時間がイヤじゃないかと思ってね。聞いてしまっても、泊まるんだろ。」
「‥‥‥‥‥そ… そういう約束だろ。」
泊まらない選択ありなのか?
「そうだよ。帰しはしない。」
俺は目をつぶった。怖すぎ…。
でも 今聞こうが、もう少し後で聞こうが、結果は同じだよな。どっちにしろ、泊まる。早く聞いてしまった方が楽かも、とも思える。注射の前の時間みたいのは キライだ。
「今、聞きたい。」
「───そう。」
と言ってモリヤは黙った。視線を落としている。だから怖い怖い怖い。早く口を開け。
ふいとモリヤが顔を上げて 俺を見た。ひー。いよいよか⁉
「トイレ行っとく?」
おい! 心くじくの、上手いよなあ…。 ところが そんなこと言われると行きたくなってきてしまうのだから 俺は小学生か! …しょうがない。
「行っとく。」
俺は立ち上がった。
「そうそう。話聞いたら 怖くて行けなくなるかもだもんね。」
ハハハと笑いながら、モリヤも立ち上がった。
「灯りを持って付いてきて。」
「あ、ああ。」
俺は 灯りのぼんやりともるビンを持ち上げた。コレ、中身はなんなんだろう…。
奥へ向かうモリヤに 俺は付いて行った。‥‥‥進むほどに暗くなっていくようだ…。モリヤの前方に灯りはない。ほんと、よく見えるよな…。まあ 自分の家だから、慣れてんのか…?
モリヤが立ち止まって どうぞと言った。俺は 戸を開けてトイレに入る。トイレ内には、これ又ぼんやりではあるけれど 灯りがともっている。俺は こないだ湧井と行った、おばけ屋敷を思い出していた。この家、そのまんま おばけ屋敷に使えそう。おばけさえ用意すれば、お金が取れるなァ。おばけがいなくても、湧井なら泣いてしまうかも。モリヤに怖がりの彼女はできない。‥‥もとより、怖がりでなくとも 水本以外の恋人など、つくる気もないのだろうが。
用を足してトイレを出ると モリヤが待っていた。なんだよ この親切…。全てが怖い。
灯りを持って さっきの部屋に戻る。
「この家の」
座りながら モリヤが言った。
「トイレを使ったのは 小川が2人目。」
「‥‥」
俺も、又床にあぐらをかいて座りながら
「1人目は水本だろ?」
と言った。
「そう。それがさ。」
モリヤは おかしそうに話す。
「その時、急に帰ると言い出したんだ。それまで機嫌よくいたのに。なんでと聞いたら、トイレに行きたいと言うんだよ。」
くすくすとモリヤは笑い出した。
「うちのトイレを使えと、当然言うよね。そしたら水本はなんて言ったと思う?」
「…なんて言ったんだ?」
トイレに行きたいから帰る? その発想はないだろう? 水本、やっぱり変…。
「外でする。」
「はあ⁉」
モリヤは大声で笑った。
「雨が降ってんのに! 家にトイレがあるのに! 外でする、だって‼ おもしろいだろう?」
おもしろい?? おかしいよ‼ なんだよそれ?
「で、トイレに連れて行って戸を開けたら 驚いてんの。」
又くすくす笑い。
「…なんでトイレを見て驚くんだ…? …暗いから?」
モリヤは 笑いを止めた。
「逆。」
「逆? 何が?」
「暗いから驚いたんじゃない。アカリがあったから 驚いたんだ。───水本は トイレ内が、真っ暗だと思ってたんだよ。」
「はい? ‥‥トイレが真っ暗だったら、できないじゃないか。」
「そう。だから、帰るとか外でするとか言ったんだね。」
「??? …そもそも なんで真っ暗だなんて思うんだよ…?」
「さあ そこだよ。」
どこだよ?
「あの時も 水本はかわいかったなあ。少々驚かされたけど。ほんとに突然なんだもの。帰るだなんて。でも トイレに行きたくなって、焦ったんだね。真っ暗なトイレを想像してさ。真っ暗ではできない と思ったんだよ。ふふふ。きっとね」
嬉しそうに、おかしそうに、モリヤは俺を見て話す。
「真っ暗なトイレに連れて行かれて できないと水本が言ったら、ぼくに手伝われると思ったんだ。」
「‥‥‥‼」
絶句───。なんて おそろしいことを!‼
「さすがにそんなこと、ねえ?」
言って クスクス笑う。
「水本がいいんなら いくらでも手伝ってあげるけどさ。」
クスクスクスクス。
「怖いこと言わないでくれ! 本気か? 嫌がらせか?」
思わず 俺が言うと、モリヤは笑いを止めた。
「本題だよ。」
「本題??」
「この家は 暗い。」
「‥‥知ってるよ。」
「いいや。小川は知らない。」
「…何? どういう… あ⁉」
ふっと、灯りが消えた。闇。真っ暗闇。何も見えない。
「モ、モリヤ‼ なんだよ⁉」
「‥‥‥」
「モリヤ‼ 灯りをつけろよ!」
必死で叫ぶと、又ふっと灯りが戻った。心からホッとする。闇は、怖すぎる。
「ね。」
ね⁉ 何が??? 俺がモリヤを見ていると
「あの状態では 小川は居られないだろ?」
「え‥‥‥」
「灯りがない闇の家に、今から泊まれと言われたら 小川はどうする?」
「‥‥な…」
‥‥‥‥‥‥‥‥なに? ─────ちょっと待て。
「───まさか 水本が来ている時、この家に灯りはないとでも…?」
「灯りなど 点けたことがないねえ。」
にっこりした声でモリヤは言いはなった。
「まてよ‥。そんな… こ、この程度の灯りもないと?」
「ないよ。」
「────なんで‼」
俺は、なんだか分からないが泣きそうな心地がした。
「最初からだ。水本は どんなに暗くても、灯りを求めたことがない。だからだ。」
「…だから?? そんな… そんなばかな…!」
ふふふとモリヤが笑う。
「ぼくは この家でありのままにいる。水本は、ぼくの心はかき乱してくるけれども、故意に、意識的にぼくの生活を乱すことはしない。全てそのままに合わせてくれている。」
「‥‥‥‥‥‥」
─────なんで…‼ 水本は、そんな…闇の家に、自ら望んで嬉しそうに遊びに来るのか?? 何度も…‼
「‥‥何を… 何をしているんだ そんな真っ暗の中で‥‥ 何もできないだろう‼」
「小川」
モリヤはやっぱりにっこりしている。灯りがあるから 俺には分かる。
「だから特に何もしていないと言っている。前にも言ったね? 話をしたり ただ黙っていたり 水本が歌をうたってくれたり。」
闇の中で⁉ それは、明るい中でそうするのと 何も見えない闇の中でそうするのとでは 全く違う。
「い、いつも、いつもこの家は 真っ暗なのか?な、何も見えないのか…⁉」
「もちろん 日がある内は見えるよ。ただあまりに雲が厚かったり、夕方になったりすると、もう 闇だね。」
「…じゃあ 水本が来た時は…」
「雨の日が多いから。すぐ日も暮れるしね。だいたい暗いよ。」
だいたい暗い‥‥
「ぼくは見えるけどね。」
「は⁉」
「これも前に言ったが、ぼくは夜目がきく。」
───────確かに。確かに、信じられないくらい夜目がきくようだ。どれぐらい見えているのかは、もちろん定かではないけれど、とにかく常人の見え方ではない。
「だから どんなに真っ暗でも、ぼくには水本が見える。────とても、ありがたいことにね。」
モリヤはそう言って とても嬉しそうに、にっこりと笑った。
‥‥そりゃ、大好きなんだから 見たいだろう。見えててほしいだろう…。見えないなんて、残念すぎる。
いや、ああ違う。そこじゃない。考えるべきは そこじゃなくて、闇だという事実。そして モリヤには見えるということ。モリヤが一方的に水本を見ているということ。ザッと 俺は総毛立った。恐怖。とてつもない恐怖‥‥。
‥‥‥どれくらい経っただろう。俺はしばらく恐怖で 動けもせず、声も出せなかった。床に置かれた小さい灯りを見つめ、ただただ じっとしていた。
「小川」
というモリヤの声に 俺の心臓は飛び上がった。
「な…」
俺がモリヤを見ると、モリヤがビンを差し出した。まだ俺が動けずにいると、そのビンを手に持たせてきた。冷たい。
「水だよ。飲んで。」
俺はビンに口をつけた。手が震えている。ごくんごくんと 水を喉に落としていった。一息に飲んでしまう。飲んでしまって 俺は荒い息をついていた。
「少しは 落ち着いた?」
モリヤが 俺を覗き込むように見て言った。
「あ…ああ‥‥。」
「…ふうん…。」
ふうん… て何?
「小川にはムリとは思っていたけど、そんなに驚くんだ? やっぱり水本って、かなり変わってるんだね。」
変わってるよ! 水本は‥‥ 水本… なんで平気なんだよ?
「あ‥あの… モリヤ…」
「うん? 何?」
「み、水本は、知ってんの、か?」
「ん? 何を?」
「モリヤには 見えているということ。」
ああ、とモリヤは笑った。
「もちろん知ってるよ。隠してもないしね。」
‥‥そりゃそうか。2人ともが見えてなかったら、それこそ身動きもとれない。
でも──── 怖くはないのか…? 自分は全く見えないのに 相手からはずっと見られているなんて‥‥。俺なら、耐えられない。
ついと モリヤが俺に寄ってきた。よけるひまもなく 俺の背中に触れる。座った姿勢から ひっくり返りそうになるほどビックリしてしまった。いろんな心の恐怖から。モリヤは 声を出さずに少し笑って
「そんなに驚かなくても。」
と言った。
「小川、汗だくだよ。風呂は入らないといけないね。」
風呂⁉ ああそうだな。そうだよ。変な汗をかきすぎて気持ち悪い。でも。いろんな気持ちが押し寄せる。ガスも電気もきていないこの家で、風呂をどうやって焚くのか。一回聞いたけど モリヤは答えていない。水風呂なのか? それに 風呂の中に灯りはあるのか? ─── 一緒に入ってやるよ…とか 言わないだろうな⁉
ザワッと 恐怖が押し寄せる。ふいにモリヤが立ち上がった。ドキンドキンしてしまう。モリヤは何も言わず、家の奥へ消えていった。
モリヤの姿が見えなくなったら ドッと力が抜けた。どれだけ緊張してたか気付かされる。────なんて おそろしい…。本当に知らなかった。なんで。なんで水本は 何も言わなかったんだ。モリヤの家は真っ暗だと。なんにも見えないのだと。‥‥‥そうか。キスマーク… あれ付けた時、この暗い家で 振り払われて 追い出されて 戻ってきたけど、闇だからけつまずいて なんにも見えないから思いっきり転んで モリヤの上に倒れ込んで、自分の傷も モリヤに付いただろう傷も 全く見えなくて‥‥‥。そりゃ。 そりゃ 不安で、泣きもするだろうよ。モリヤには 分からんのだろうな。見えてるモリヤには 暗闇の恐怖と不安が…。
────────帰りたい。 俺は 後悔というものは、したくない。それはそれで なんらかの意味があると考え、前へ進みたいと思うのだ。けど これ… 後悔…しそう‥‥。泊まらなきゃよかったか‥‥‥‥? 選択肢は2つあった。────もしも 今日泊まらずに、水本が泊まる時に一緒に行く方を選んでいたら──── 俺は 想像力を駆使して考えてみた。
──────大雨が降る。モリヤが休む。俺は水本に付いてモリヤの家に行く。水本はモリヤに歓迎される。俺は無視されるけど 家に入る。この時俺は 初めてモリヤの家の中が、何も見えない真っ暗闇だと知る。なんとか家に入り込むが、何も見えないから 何もできない。歩き回ることすらできない。水本は見えないけど、それこそそれは モリヤが至れり尽くせり世話をして ‥‥慣れてることもあるし、楽しくいつものように 過ごせるんだろう。俺は どうすることもできず、ただ2人のやりとりを ボンヤリ聞いて立ちすくんでいる‥‥‥‥‥。‥‥‥‥だいたい、もしも 黙って静かに2人が奥へ移動していったとしても、俺には分からないのだ。2人が何をしていても と、ここまで考えて、俺は又しても 恐怖で総毛立った。怖すぎる。何の物音もしなくても 怖い。何か物音がしても、やっぱり 怖い──────。
今日で、よかったか? モリヤは 俺一人なら灯りをつけてくれている。ほんとは真っ暗であることも 知った。考える時間もある。水本に注意する時間も、ある。 聞きは しないかな‥‥‥。注意などしても…。ただ‥‥ 湧井が泊まってはダメと言った時は、泊まらないと宣言して ほんとに泊まらずに帰ってきた。いつまで 止められるかは、皆目分からない。それでも できうる限り、止める努力をするしかない────。
前方の闇が揺れて モリヤが現れた。途端、心臓がバクバクし出す。静まれ静まれ! 俺はモリヤの動きから目が離せない。モリヤはまっすぐ 俺の方へ歩いてきた。そしてにっこりして言うのだ。
「風呂どうぞ。」
「‥‥‥」
黙ってちゃダメだ。何か言わなきゃ。
「み、みず…」
「ミミズ? 風呂にミミズなんかいないよ? 大丈夫。」
笑ってやがる。
「‥‥違う。水風呂なのか?」
「案内しよう。」
答えない。なんでだよ? でも 水風呂でもいいや。とにかく汗だらけで気持ち悪い。あ! しまった‼ パンツが無い‼ ‥‥‥‥‥これは 借りるのは嫌だぞ。なんか、すごく嫌だ。でも 今穿いてるのを又穿くのは もっとイヤ。さあどうする‥‥⁉
「小川? 立って。」
服だって。制服は ずぶ濡れ。モリヤに借りたコレだって 汗まみれ。
「‥‥ふ、風呂、いいや。」
「そんな汗だくで何言ってるの?」
モリヤは笑う。
「…着替えがないんだ。」
「貸すよ。」
それが嫌なんだって。シャツとかはいいけど‥‥。俺が黙っていると
「ああ、そうか。」
笑いながら モリヤが言った。
「下着がイヤなんだろ。水泳パンツでも穿けば?」
‼ なるほど‼ 確かに持ってる! 今日穿かなかった海パン‼ 今ばかりは モリヤに大感謝だ! 俺はカバンを持って立ち上がった。
「アハハハハ 小川って分かりやすいなァ。こっちだよ。」
モリヤが奥へ歩いていく。俺も慌てて灯りをつかんで 付いていった。
トイレよりも まだ向こう。扉を開けてモリヤが入った。脱衣場のようだ。いくつかビンが置いてあって、ボンヤリと辺りを照らしている。俺はホッとした。見える。
「着替えは、これ。シャワーはないよ。石鹸は中にある。石鹸以外は無いけど いいだろ。」
「ああ いいよ。ありがとう。」
「中も暗いから 気を付けて。…一緒に入ってやろうか?」
「いらん‼」
モリヤは くすくす笑って戸を閉めた。うわあ。やっぱり言った…。なんでいちいち嫌がらせ言うんだよ。
薄暗い中、俺は服を脱いだ。ほんとにビショ濡れ。そっと風呂の戸を開ける。────湯気が立っている。湯だ。どうやって沸かしたんだろう‥‥?
ぬるめの風呂だった。湯船も小さい。でもとても気持ちがよかった。全身石鹸で洗って 湯をかぶり、湯船に浸かる。四隅に灯りのビン。湯に浸かっていて この暗さは不思議に落ち着く。ほんとにとても、気持ちがいい。モリヤがそばにいなければ 落ち着けるんだがなァ…。…なんて。モリヤの家に泊まりにきておいて それはないな。はァ… と俺はため息をついた。
この風呂、草っぽい 森っぽい匂いがする。いい空間だ。ああ… 出たくない‥‥‥。ケド、もちろん 出ないわけには、いかない。それでも いつもの倍ぐらいの時間は風呂にいたと思う。いつもは カラスの行水だからな。風呂上がってからも ちょっとでもここで時間をつぶしたくて のろのろ着替えていた。‥‥だって。だって風呂上がったら、あと何すんだ? 恐怖の答えは もう聞いてしまった。想像をはるかに越えた、恐怖の答えだった‥‥。もう 話すことなんかない。あとは… きっと、起きてる間中 嫌がらせされるだけだ。もう死ぬほど眠いと言って スグ寝てしまおうか…。‥‥‥‥‥怖いの思い出した。"小川には嫌がらせポイントがたまっているから、寝たらなんかされると思っていてね"──────── …いや! いやいやいや。ポイント消化したんだよな?? 死んじゃったら困るからって、笑ってたよな?? ‥‥‥‥‥そんな、保証はナイ。現に、あの後だって 嫌がらせは続いている。…と思う。
パン! と、戸が開いた。俺は息をのんでしまう。もうすっかり、着替えも終わっていた。
「ここで朝までいるつもり?」
「う… いや。」
俺はモリヤに付いて又 元の部屋に戻る。俺は… 思わず知らず 灯りのビンを握りしめていた。なんだか これをモリヤが いつ取りあげてしまうか分からないという、恐怖があって。そんなことされたら おしまいだ、という気がする…。
モリヤの言う通りだ。俺は 真っ暗なモリヤの家にはいられない。闇の中で過ごすことなんて、できない。
「さて 何をする?」
モリヤが言う。俺はギクリとしてしまう。
「もう何もすることがないね。それとも小川は知っている? 人が泊まりに来た時の過ごし方。お決まりのコースなんてのが あるのかな?」
「‥‥‥」
そんなの 知らん。だいたい 友人宅に泊まるなんていう時は 相手がとても仲良しの時だ。仲いい同志は 何するも何も、すぐに何かどちらかが思い付くんだ。ただ喋っているだけで楽しいし。お決まりのコースなんてない。こんな仲良くもないのに 泊まるなんてパターンは珍しいのだ。
「水本が泊まりにきた時の参考にしようと思ったのに。なんにもしなきゃ 参考にならないなァ。」
う…。何かすることはないか…。健全なコースを教えておいたら 水本が安全なのかも…? ‥‥思い付かん…。なんだよ 健全なコースって‥‥⁉ 自分で自分につっこんでしまう。
「モ、モリヤは風呂入らないのか? 入ってこいよ。」
そうだ これだよ! その間 ホッとできるじゃないか!
「風呂ねえ…?」
なんだ その反応…。
「じゃあ行ってこよう。」
よし! 行け! ゆっくり入ってこい‼
「ゆっくりしてきていい?」
「いいとも!‼ 存分に‼」
ふふふとモリヤが笑う。
「うん。じゃあそうさせてもらう。───水本とは 一緒に入ろうかなァ。シミュレーションしてこよう。」
「な…‼」
恐怖で声が出た。声は出たが 言葉にならない。モリヤはそんな俺の反応を見て ハハハと笑って奥へ消えた。 〰〰〰〰嫌がらせなのか??? もう 嫌だ…! 分からん。本気か 嫌がらせか、判別がつかない。
「小川」
ひー 戻ってくるなよ やっとホッとしたのにっ‼
「脱いだ服はどうした?」
「ん? あ、カバンに…。」
モリヤは 驚いた顔をして、俺に寄ってきた。
「あんなビショビショなのをカバンに入れたの? バカだな 出せよ?」
「え⁉ なんで⁉ どうすんだよ?」
モリヤは一瞬ポカンと俺を見て、その直後 アハハハハと爆笑した。
「どうするって 洗うに決まってるじゃないか! 他にどうするんだよ?」
「う? だ、だって‥ 俺が着た物を…」
「ぼくの服だよ。どうせ又返すんだろ? そんな手間とることないよ。」
モリヤは笑って言って手を出した。さあ、と。
「い、いいのか?」
「いいから。」
モリヤは 汗でぐっしょり濡れた服を持って、又奥へと消えた。本当に、驚きの親切‥‥。こんなに親切なところがあるとは、全く知らなかった。─────水本は、知ってるんだろうか。そんなとこも知ってるから、余計にモリヤが好きなのか? …関係ないか。親切にされたからって、好きになるってもんでもない。
この家は… 奥は 風呂とトイレと、水場があるだけなのかな。それとも寝室があるのか…。もしも 寝室があるって言っても、俺はここで寝させてもらおう。蒲団もいらないし。ここにゴロンでいいや。一晩くらい平気だし。モリヤが風呂からあがってきたら じゃあ後は好きにしろよって、自分は寝室にでも引き上げてくれないかな。もう 嫌がらせに心がもたない。
‥‥‥シミュレーション、てなんだよ‥。もしかして… 水本には風呂にも灯りを入れないつもりなのか…。もし、そうなら‥‥ さっきのモリヤの、"水本とは一緒に入ろうか"って言ったのも、本気…。 暗闇で… ─────絶対ダメだ、そんなの‼ 怖すぎるだろ‥‥‼ やめさせる手はないかな。───前に、口に薬をぬるってモリヤが言った時は、口に手を突っ込んだら水本に嫌われるぞって俺が言うと モリヤは引いた。それか? 一緒に風呂に入ったりしたら嫌われるって そう言ったら、引いてくれるだろうか…? ‥‥‥なんか自信ないなァ…。ふうん?とか言って、試してみようとか言い出しそう…。本気で、嫌われると思わせない限りは…。
────水本は‥‥‥ モリヤと一緒に風呂入るの、平気か…? …トイレ手伝われるのは メチャメチャ嫌だったに違いないが トイレと風呂は、違うよな…? …どうなんだろう…。 ホレてない。ホレてないと言い切る水本は モリヤの家に泊まることに、抵抗はないんだろうが では風呂も? う~ん… 俺も 今いち、水本のことを分かってないからなァ…。 ‥‥例えば、もし俺の家に水本が泊まりに来たとして、あんまりそんなことはないが例えばだ、例えば一緒に風呂に入るとしても 別に大きくイヤではない。多分お互いに。それは ホントに、単なる友だちだからだ。俺が、モリヤと一緒に風呂に入りたくないのは モリヤが変なこと言うからというのと、あと 異様に色っぽいモリヤを 知ってしまったからだ。今日はそうでもないとはいえ、もう前のように 普通には見られない。水本は、なぜか みんなが感じる時に、モリヤの色気を感じない。全く感じない。でもとても、とてもモリヤが好き。水本のモリヤに対する態度と行動は、到底単なる友情とは思えない。絶対恋愛感情が入っていると思う。水本は絶対認めないけど。
‥‥‥風呂、水本はどうなんだろうなァ…。案外あっさり 入ってしまうかも分からない。だって。だって水本は モリヤがどんな目で水本を見ているか、どんな気持ちで水本に接しているか、どんなにガマンしているのか、知らないのだ。全く、チリほども気付いては いない。知ってたら、絶対一緒に風呂なんか入れない。絶対モリヤの家に泊まったりできない。絶対だ。 ─────それを、教えてやればいいのか…? 問題は 信じるか、だ。
う───ん‥‥‥。信じないか…。モリヤを悪く言われた時の水本は、頑固なほど否定する。モリヤの善良性を信じ切っているのだ。なんでなんだかな。結構色々ひどい目に合ってると思うのに。───水本が、心とうらはらに なぜか寝てしまう訳も、結局は分からなかった。(暗いから…だけでは、やはり ない気がする。) そしてもちろん 気を失う訳も…。でも、モリヤといる時なんだ。モリヤといる時にしか 起こらないんだ。モリヤは水本を眠らせようとは思ってないし、ましてや気絶させようだなんて 思ってやしない。だから モリヤがわざと起こしていることでは、ないはずなんだ。ただ、絶対にモリヤが原因ではない とは、俺は思っていない。そして、もしかしてモリヤには 本当は原因が分かってるのではないか、と 俺は思い出している。もし そうだとすると… 水本はモリヤに、眠らされ 気絶させられ 訳も分からず振り払われ 家から追い出され 手首にアザを付けられ 口にケガをさせられ 変なウワサにまきこまれ‥‥‥‥て、いる。‥‥ひどい‥‥! ひどいじゃないか、モリヤ…‼ 水本が可哀想すぎる…。もうなんで水本は それでもモリヤが好きなんだ…⁉
──────匂いが好き。
って、なんだよ⁉ 匂いが好きだからって、全て許せるわけ ないだろうよ⁉
ぶわっ と匂いがした。驚いて俺は顔を上げる。え⁉ モリヤの姿は無い。なんで匂いだけが、と思った途端 モリヤの姿が現れた。家の奥の闇の方から 黒い影のようなモリヤの姿…。そして、さらに強い匂いが立ち込めた。 ─────水本の好きな、モリヤの匂い‥‥。
俺はモリヤの黒い姿をじっと見ていた。…良かった、と思って。もう一つの方の匂いじゃなくて良かった。俺にとっては、こっちの匂いの方が 正気を保てる気がする。もう一つの方の匂いは、なんかやばい。色気の匂いがするようで。心を惑わされそうで。
モリヤは頭を拭きながら、トンと俺の前に座った。そして
「良かったよ。」
とにっこりした。
「何が?」
「シミュレーション。」
「‥‥‥」
「水本はとってもかわいかった。」
言って、ハハハと笑う。
「そんなに 恐い顔するなよ。」
だって。怖いのは お前だよ。
「モリヤ。」
「んー?」
「一緒に風呂はダメだ。」
「なんで?」
「水本が嫌がるからだ。」
「なんで?」
「高校生男子は 男同志で風呂に入ったりしない。」
「ふうん? でも見えにくいと危ないだろ。」
モリヤはあくまで にっこりと言う。
「灯りをつけてやればいいだろう。」
「水本は それを望まないよ。」
「だから望むって。闇の風呂は危ないって、モリヤが言ったんだ。」
「だから。」
モリヤはにっこり。
「だから一緒に入るんだ。」
「それが嫌だと言ってるんだ。」
…何? この堂々巡り…
「なんでイヤなんだよ? プールは一緒に入るじゃないか。」
「プールと風呂は違う。」
「似たようなもんだ。水本はプールが好きだよ。授業で一緒に入るよ。」
「プールは裸じゃない。」
「ほぼ裸だよ。」
「ほぼと全裸は違う。」
「小川は細かいな。」
細かい⁉ こんなの細かいって言わねえよ。
「絶対嫌がる。一方的に裸を見られて喜ぶやつはいない!」
「うん?」
モリヤが首をかしげた。お? ここか? 虚をつくポイントに当たったか?
「一方的に裸を見られる? そんな発想はなかったな。水本がそんなこと考えるかな?」
「誰でも考える。モリヤにだけ見えるんだろ? 絶対嫌だぞ それは!」
「うーん? そうかなあ?」
「そうでないわけがない!」
「ふうん? お互い見えてたら、嫌じゃないの?」
「まだまし! でも見えるんなら 一緒に入る必要がない!」
「それはそうだけど。一方的に見られるなんて考えて 水本が嫌がるかどうか、だよね。」
「だから嫌がるよ! すごく当たり前の反応だよ。」
「まあ 常識的なのは、ぼくよりも小川の方だとは思うけど。それは常識なのか? 本当に?」
「本当だよ‼」
「小川はウソつきだからなァ。」
モリヤは笑わずにそう言った。全く信用がないな。…イヤ。全くでもないのか。どっちか図りかねて モリヤは悩んでるのか?
「も、もしも強引にそんなことしたら、水本は飛んで逃げて 帰ってしまうと思うぞ!」
「ええ? それは嫌だな。」
「だろ⁉ だからやめとけよ。」
「んー…。楽しかったのに。シミュレーション。水本、たまらなくかわいかったのに。」
どんなシミュレーションしたんだよ⁉ 怖いよ。
「ふーん…。小川って時々 ホントのことも言うからなあ。じゃあ水本に聞いてみるか。」
「ちゃんと、ちゃんと聞かなきゃだぞ! 一方的にモリヤから裸を見られる、暗闇の風呂に入れるかって!」
「ずるいなァ小川は。そんな聞き方したら、入るって言えないよ。」
「だって そういうことだ。」
「小川、嫌がらせ返ししてるの?」
「違う! むしろ親切! 水本に、逃げられたり 嫌われたり したくないだろ⁉」
「もちろんだけど。親切かどうかはなァ…?」
やっぱり信用ない。モリヤの嫌がることばっかりしてるからな、俺も。決して嫌がらせではないんだけど。でも… モリヤに対する親切心でも、ない。そこが バレてるんだろうな…。
「小川が 物事をエッチにとらえすぎてんじゃないの?」
「そっ そんなことない! 俺の考え方は ごく普通!」
「そうかなァ…?」
「そうだってば! ここは俺を信じた方がいいぞ。水本に嫌われちゃうぞ。」
「ふうん。じゃあまあ聞いてみるよ。水本がイヤだって言うんなら、やめとく。風呂が一番の目的じゃないし。」
一番の目的…って、何⁉
「…な…なんで モリヤは… そんなに水本を 泊めたいんだ?」
「小川 前にも聞いたろう。だから小川は 湧井サンを泊めたくないのかって。」
泊めたいけど! そりゃ泊めたいけど、つまり やっぱりそれって‥
「小川は夜が好き?」
「え」
「夜が、好き?」
夜が? 又 何の質問なんだ? 夜が好きかどうかなんて、考えたこともない。日が落ちれば夜になる。そして又 日が昇ると朝になる。
「別に 好きも嫌いもない。モリヤは好きなのか?」
「いいや。」
? なんなんだ?
「夜は好きではない。別にキライでもないけどね。」
「なんだよ? じゃあなんで そんなこと聞くんだ?」
「ぼくは夜が好きでも嫌いでもない。毎日変わらず当たり前に夜が来る。ただ 夜は長い。───たまに 眠れない夜があると この夜は、本当に明けるのかと思うことがある。」
「────────」
夜が長い───‥‥。俺は 少し… 胸がしめつけられるような気がした。モリヤは毎日 一人きりなのだ。灯りもないこの森の家で 電化製品もないこの家で。テレビもラジオも パソコンもない。音楽も何もない。何の物音もない この家で。真っ暗になってから 朝日が差すまで、一体何時間あるんだろう。
「眠れないのは たいてい雨の夜。気持ちが高ぶってしまうからなんだかね。」
─────なるほど…。つくづく不思議な生態だ…。‥‥なるほどね…。雨が降って 気持ちが高ぶり 眠れない長い夜、水本がいてくれたら どんなに嬉しいか、と、そりゃ思うわな。いてほしいと、切に願うよな。泊まって、ほしいと…。
そして だからこそ、そんな時に水本がこの家に来るのは とても危険なことだと、俺は思ってしまうのだ。会いたくて 会いたくて 会いたくてたまらない 雨の日の長い夜──── 気持ちが高ぶって眠れない 真っ暗な夜に───── 大好きで 大好きで どうしようもない水本が‥‥
俺は じいっと、モリヤを見ていた。
「ああ!」
不意にモリヤが声をあげた。俺は驚いて 思わず腰を浮かせた。
「ど、どうした?」
モリヤは 目をいっぱいに開けて俺を見て、言った。
「一人じゃない夜は初めてだと、今気付いた。」
そうして ハハハハと、笑った。
俺は… 笑えない。怖いからじゃない。モリヤの心が… この家どころじゃない。モリヤの心には闇がある。ずっと 闇があったんだ。そこに初めてともった光が────
「そうかァ。初めての夜は 小川となんだな。まさかの展開だね。人生、何が起こるか分からない。」
なんて言って にっこり笑った。
「ごめん」
思わず謝ってしまった。
「は?」
モリヤはほんとに驚いたように 俺を見た。
「どうした? 何謝ってんの?」
「初めてが 俺で…」
ものすごく驚いた目で モリヤが見た。同じ表情のまま しばらく俺を見ていたが、不意に俺の鼻先にまで近付いた。あまりに急で、しかもその動作のあまりの無駄のなさに、俺は全く 動けなかった。ページをめくったら 真ん前に顔の絵がドアップであった みたいな感じ。
「水本を 初めてにしてやれば良かったって、思ってくれてるってこと?」
めちゃくちゃ近いところにある、モリヤの口がそう言った。
「え‥‥い… なん…」
あまりの近さに 思考が止まってしまった。
「それとも、申し訳ないから その分、うんとステキな夜にしてやろうと 思ってるの?」
顔が 近すぎる… 言葉が 頭に入ってこない。
「おっと。」
言ってモリヤは スイッと離れた。
「又 息が止まりそうな顔してる。」
ふふふと笑った。
「深呼吸して、小川。」
言われるままに 俺は必死で息を吐いて、そして吸った。もう… いやだ。怖すぎるから…!
「で?」
モリヤがにっこり聞く。
「え? …何が…」
「あんなに近くで言ったのに 聞いてなかったの?」
モリヤは笑いながら
「ぼくの初めての夜は 水本の方が良かったと思ってる? それとも小川が、それを越えるサービスをしてくれようと思ってる?」
サービス⁉ なんか いやらしい… 言葉の選択が…
「そ、そんなことは…」
「どちらでもないと?」
「う… ああ…。」
ふと モリヤは真顔になった。
「どちらでもないのなら」
じいっと俺を見る。
「謝るのは、無意味だ。」
─────確かに。
確かに 謝ったってしょうがない。水本が初めてじゃなくて 俺で申し訳ないと思ってるのは確かなんだけど、だからって 初めてを 水本に譲るべきだったとは思えないし、もちろん サービスなんてする気もない。
「ほんとに無意味だ。悪い。」
モリヤは、不思議なものを見るような目で 俺を見て
「謝るほどのことでもない。」
と言った。
「ケド そうかァ サービスしてくれないのかァ…。じゃあどうする?」
「え…?」
「これから。何する? もう寝る?」
「‥‥‥」
モリヤが 自室に(あればだけど) 引きとってくれて、俺はここに放っておいてくれて 寝てしまえるんなら、そんなありがたいことはない。‥‥けど‥‥ いいのか? 俺は目的を果たせたのか? するべきことを できたのか??
結局 モリヤの家のおそろしい真実を知ってしまって、モリヤの心の内も垣間見て、それもやっぱり 予想通り怖いもので‥‥。せめて、せめて 高揚した状態を少しでも収められたら、モリヤ自身の自制がきく。高揚状態のモリヤは、何をするか分からないという おそろしさがある。
高揚… 収まったのか? 俺はモリヤをじろじろと見た。モリヤは そんな俺に気付いて、にっこり笑う。キレイな笑顔で
「そんなにエッチな目で ぼくを見るなよ。」
なんて言う。
「だっ 誰がエッチな目だ! 俺は…」
「そうだ! 一緒に寝る?」
─────収まってない…。モリヤ 未だ高揚状態…。俺は心を落ち着けるために、ギュッと目をつぶった。目を開けて、言う。
「モリヤは、そんなこと したくないだろ!」
「なんで?」
笑ってる。
「他人と一緒に寝るなんて 御免なんだろ?」
「うん。でも 水本とは一緒に寝たいんだ。」
「水本だけだろ。」
「もちろんだよ。」
「じゃあなんで 俺を誘うんだよ。‥‥ああ… 嫌がらせか。」
俺はため息をついた。又かかってしまった。
「嫌がらせじゃないよ。」
モリヤはクククと笑った。
「ほんとに小川は被害妄想。ぼくは嫌がらせしかしないと思ってるね。」
「…だって…」
「小川と一緒に寝ようかって言ったのは」
モリヤは俺をじっと見た。
「予行演習してもいいかなと思ったので。」
俺はザザザッと座ったまま後ずさった。これ以上下がったら玄関に落ちる。ギリギリ…
「イヤ?」
にっこりモリヤが聞く。当たり前のことを聞くな‼
「絶対に嫌だ!‼」
「なるほど。」
なるほど~⁉ どういう反応だよ⁉
「色気を感じてないんだね。それじゃあムリかァ。」
「‥‥‥‥‥」
「だよね。小川はぼくが嫌いなんだから。色気を感じてる時だったら もしかして欲望が勝って、一緒に寝るかもだけど。」
そう言って にっこり。
欲望が勝つ? ─────‥‥あの、一番色気が出まくってる時にもしも もしもモリヤに同じことを言われたら俺は───── ‥‥‥怖すぎる。俺は自分が、怖い。絶対にそんなことしないと 断言してしまえない自分が‥‥‥ たのむよ俺。俺こそ自制心を発揮してくれ‼
‥‥まあしかし。今日は大丈夫。とにかく今日は。モリヤの言う通り、色気を感じない‥‥ 全くではないが、キョーレツな色気は感じないから 一緒に寝てどうこうということにはならない。‥‥と思う…。
でも‥‥ ただそれは、モリヤがキライだから、では ない気がしている。モリヤは 俺がモリヤを嫌っていると思っているが、俺は‥‥
「小川」
ギョエ と口から声が出そうになった。モリヤの声のタイミングって、ほんとに人を驚かせる。
「小川は水本のためなら、嫌なことでもするよね?」
「…え?」
「ぼくと2人きりで話をしたり、一緒にピクニックに行ったり、あげくの果てに 泊まったりさ。」
「‥‥‥」
「すごく嫌なのに。水本を守るためなら、やっちゃうんだ。じゃあ、もしそうすれば、水本とは当分一緒に寝ないって約束したら、小川は予行演習させてくれるの。」
「‼」
声は 出そうにもならなかった。衝撃が強すぎて。
長いこと 沈黙が続いた。モリヤも何も言わずに 俺の答えを待ってるんだ。‥‥本気なのか??
「‥‥‥‥‥モリヤ」
ようやく声を出せた。かすれた声。
「うん。」
「それは してはいけないことだ。」
かすれてはいるけど、俺はきっぱりと言った。
「どうして?」
「‥‥‥水本が…」
「うん?」
俺は 言葉を探した。何が一番ピッタリな言葉だろう。
「…水本が、とても…」
「とても?」
「傷つくだろう。」
モリヤは キョトンとした。とても意外なことを言われたみたいに。
「どうして?」
さっきと同じ言葉を モリヤは言った。本当に分からないんだろうか…。
「…水本は そんなことをするモリヤを見たくないよ。」
「見せないよ?」
「〰〰〰。じっ 実際に、ではなくだよ。そんなことをモリヤにしてほしくないよ。」
「そんなことって…。予行演習? 慎重な行動はキライってこと? 大胆じゃないといけないのか?」
「‥‥‥」
ずれてるよモリヤ。そういうことじゃないよ…。
「…モリヤが、水本にしたいことを 先に俺にしてしまったりしたら嫌だってこと…。」
「‥‥どうして?」
モリヤは笑っていない。本当に分からないんだ‥‥。
「嫉妬するからだ。」
「しっと⁉ やきもち⁉ そんなことに??」
そんなことって‥‥ モリヤ 完全に感覚がおかしい。
「そりゃ妬くよ。…水本はモリヤが好きだって、モリヤだって分かってるんだろう。」
「‥‥水本の好意は知っているよ、もちろん。最初に水本が 好意的な興味をぼくに持ってくれなかったら、まず仲良くなどなれなかった。」
「じゃあ分かるだろう?」
「‥‥よく、分からないな。」
なんで⁉
「じゃあ、じゃあな、モリヤが水本にしたいことを、俺が水本にしたらどうだよ?」
「小川はしたいの?」
「したくないよ‼ 例えばだよ‼」
「したくなくても する可能性はある?」
「! ないってば‼」
しまった。モリヤに 例え話は通用しない。前もそうだった。
「俺は絶対に 水本とはそんなことにならない。モリヤがしたいと思うことを、俺は水本にしたいとは全く思わないからだ!」
断固きっぱり言い切らねば!
モリヤはじいっと俺を見た。どうだ? 信じてくれたか? 分かってくれたか??
「ぼくには分からない。どうして?」
「‥‥‥」
「どうして小川は そう言い切れるのさ。水本のことが大好きなくせに。」
「だから…」
だから好きの意味が違うと。好きの種類が違うと…。────そうだな。モリヤには分からない。モリヤに種類などない。"好き" か、"どうでもいい" か。100か、0か。どちらかしかないのだから。でも 違うんだよモリヤ…。みんながそうでは、ないんだよ…。
「…こう言ったら分かるかな。俺は水本が好きだが、性的魅力は感じない。」
「─────。」
「モリヤは 水本に感じるんだろ。」
オイ俺! 怖い質問してるぞ!
モリヤは じいっと俺を見ていたが、ふいっと首をかしげた。
「ぼくは小川のことは好きではないし、小川に性的魅力を感じないけど、それこそ何が起こるか分からないと思ってるよ。」
思うな〰〰! 起こらん‼ ‥‥なんだか 上手く会話にならない。
「とにかく 俺と予行演習はダメ‼ 水本が好きなら 絶対にしてはいけないことだ!」
「…小川の言うことは よく分からない。」
「なんで‥‥」
「じゃあ 予行演習なしで 直、水本にしろと?」
「‥‥‥」
「それならそれでいいんだけど。ただ。」
モリヤはそう言って黙った。沈黙が怖くなって俺は促した。
「…ただ?」
「ただ、初めて水本が泊まってくれた時に、その嬉しさの気持ちの高ぶりのまま水本に接して それこそ水本を傷つけるような行動をしてしまわないかなあ、と思って。小川で試しとけば 学習できるじゃないか。」
にっこりするなよ…。言ってること 超怖いんだから…。気持ちのまま行動したら 水本を傷つけそうなわけね? そして俺なら 傷つけても構わないと。ひどいやつだ。ひどいやつだよ〰〰。もうどうすりゃいいんだ…。
「小川がダメだって言うんなら しょうがないな。別々に寝るか。小川はここで寝ろよ。布団なんてものはないよ。掛けるものぐらいはあるけどね。」
言ってモリヤは立ち上がった。
「ま、待てよ。モリヤは?」
「ん?」
「モリヤはどこで寝るんだ?」
「あっち。」
モリヤは 奥を指した。やっぱり部屋があるのか? けど
「も、もう寝るのか? 今何時だよ?」
「10時半ぐらいだよ。早すぎる?」
「そ、そうだな、早すぎる。」
「そうは言っても、もうすることもないよね。」
「ま、まだ話を…」
クッとモリヤは笑った。
「そんなゼーゼー言って。ほんとに小川は矛盾人間だなァ。」
言いながらも モリヤは又座った。
「で、何の話を?」
〰何の… 何の話… う〰
「…あ、明日は学校行くのか?」
「行くよ。どうして?」
「モリヤは 雨の日の次の日、よく休んでただろ?」
ふふふとモリヤは笑った。ス──ッと水本が好きな、モリヤの匂いがする。
「休んでたよ。」
「それは 高揚してしまって、めんどくさいからだって言ってたよな?」
「まあ そんなとこだよ。」
「今、まだ 高揚、収まってないように思えるけど…」
「ええ? ほんとう? そんな風に見える??」
「‥‥‥」
ほら‥! その言い方が…。わざと大ゲサに驚いて笑ってる。高揚状態じゃないか。
「収まってるよ。」
にっこり笑ってモリヤは言った。
「そうは見えない。」
と俺は言う。
「だからさ、」
あくまでにっこり、モリヤは言う。
「もとより 高揚状態ならぼくは、水本を家に帰せなかったよ。」
「あ、あの時は確かに 少し収まってたさ。けどその後、ここへ来て… どれくらいか経ったころから キョーレツにぶり返したよな?」
「小川が誘発するからだよ。」
誘発⁉ 俺が⁉
「俺は何も…‼」
「してたよ。それは小川の目的だったんだろ。」
「えっ⁉」
「外に出すということは そういうことじゃないか。」
言ってモリヤは ケラケラ笑った。
「小川って ホントにおもしろい。分かってんだか分かってないんだか。」
分かってねーよ なんにも‼
でもそうか。内にたまったものを外に出すということは、高揚状態になるということか。なら 今の状態はOKなのか? 俺の望んでる状態ってことか? 出せてるんだな? なんとか出せてはいるんだな?? けど…
「…収まっては、ないよな…?」
「収まってるよ。」
「‥‥‥」
ハハハハとモリヤは笑った。
「少しはね。」
付けたしのように言う。
「ピ、ピークは、越えたと…?」
「多分ね。」
‥‥あやふやだなァ…。‥‥モリヤにもはっきりとは 分からないってことなのか?
「でも、そうだなあ。小川、もう少し がんばっとかないと。中途半端にしとくと 余計にまずいことになるよ、小川にとっては。」
「え? 何? どういうことだ?」
「小川も知ってる通り、ぼくの状態には 波がある。」
「‥‥うん…?」
「小川に分かりやすく言うと、小川がぼくに すごく性的魅力を感じる時と そうでない時。あるだろう?」
「あ、ああ。」
確かに。それは ものすごく感じる。激しい。
「直近のそれは、ぼくの高揚状態がかぶっていたけれど、」
と モリヤは続けた。
「いつもは、小川や他の誰それが ぼくに性的魅力を感じる時に、ぼくが高揚しているわけではない。」
「…へえ… そうなのか…」
「そう。それは 関係がなく むしろ、そういうものを 小川らが感じない時に、ぼくの高揚がやってくる。今みたいなね。」
「‥‥‥」
今…。やっぱり 高揚してるんだ‥‥。
「ただ、ピークではないのは本当。収まってきてるのは 収まってきてるんだよ。」
ぼくはウソつきじゃないからね、とモリヤは笑った。
「で、でも」
俺は考えながら、
「俺がそれを、モ、モリヤに性的魅力を、感じていない時に、常にモリヤが高揚しているわけではないだろ?」
むしろ 高揚状態は、特殊な時な気がするけど。
「‥‥‥雨、か…?」
ふふふとモリヤは笑った。
「そう。昔からね。雨は どうも、気持ちが高ぶってしまって 少し自分でもて余すことがあった。けど」
にっこり嬉しそうに笑う。
「水本に出会ってからのそれは、今までの比ではない。」
「‥‥‥‥」
シュワー と匂いが立つ。モリヤの幸福が感じられるような匂いだ。と 俺は思った。
「眠って起きたぐらいでは 収まらない。…と思うね。それもまあ、絶対とも言えないけど。」
ハハハと笑ってモリヤは言った。
「だから ほんと言うと、さっきの小川の行動は正解。あそこで寝てしまっては 明日にさしさわる。」
「‥‥‥」
「予行させてくれれば さっと収まるかもしれないのにねえ。」
笑いながら言うけれど、だからそれは無理だって…。
「こ、こ、これから もっと高揚させていけば もっと収まってきて、モリヤに自制心が戻るんだな…?」
「うん。」
とモリヤは にーっこり。
「そう。小川がもっとぼくを高揚させてくれれば。」
「‥‥‥‥‥」
────なんか いやらしいんだよ、モリヤの言い方…。モリヤはきっと違うと言うだろうが、絶対嫌がらせだよな。‥‥‥‥水本、ほんとに嫌がらせされてないんだろうな‥‥‥? いや。嫌がらせは されてない、多分。されてるとしたら 嫌がらせじゃなくて エッチな‥‥
「小川?」
びくぅ としてしまう。心を読んでるんじゃなかろうな…。いつも ドキッとするタイミングで、声をかけてくる。
「何を考えているの? 声にして言って。ぼくを高揚させてくれるんだろう?」
「く‥‥」
そうだよ。声に、言葉に、していかないと。俺がドンドン追いつめられてしまう。心が閉塞してしまって。
「ちょ… っと聞くけど‥‥」
あああ。せっかく風呂に入ったのに、又変な汗をかいてしまった。
「どうぞ。」
モリヤは余裕。
「水本といる時も モリヤは高揚するんだろう?」
「するよ。小川といる時よりも もっと。」
モリヤの匂いが‥‥ シュワーッと俺に向かってくる。
「‥‥喋ると?」
モリヤが笑う。
「いいや。」
と首を振った。わずかな風がおこって それがモリヤの匂いをまとって 俺に触れてくる。
「喋っても。喋らなくても。そこにいるだけで。」
「‥‥‥」
黙っちゃダメだってば俺! でもヤバ。水本が何かをしたら高揚する、ってんなら それをするなと水本に言えるけど、いるだけで高揚してしまうんなら 行くなと言うしかないじゃないか、モリヤの家へ。ああでもそれはきっと 止めてもムダ…。
「け、けどな、モリヤ。俺といる時より 水本といると高揚するっていうんなら、出し切れてしまうのも早いってことじゃないのか? それなら ドバッと出して、すぐ自制がきくようになるってことはないのか?」
「水本といる時に?」
言ってモリヤは ニヤッとしたまま俺をしばらく見つめた。そして
「────そういうことになるね。ただし 出し切る前に何事もなければ、ね。」
「え」
モリヤはここで 豪快に笑った。
「高揚がきわまって 何かあってから自制がきいても、しょうがないとぼくは思うけど。違う?」
‥‥‥‥‥‥。俺は思わず目をつぶった。…違わない…。
モリヤの言う通りだよ。そういうことだ。やっぱり、やっぱり超高揚状態で 水本を呼んではダメだ。せめて 少しでも収まってる時に呼ぶべき。呼ぶのを止められないのなら せめてもだ。それしかない。自制のきいている時ならば、泊まらせるのも 思いとどまれるかもしれないし…。‥‥そこは… なんとも言えないけれど‥‥‥。
なんとか、俺といて、手っとり早く出してしまう方法は ないんだろうか。 ──────よし! 今晩は、それを探す! もう 寝なくてもよい。いやむしろ、寝ない方が 怖さはマシかもしれないじゃないか!
「モリヤ!」
「なんだよ。」
「俺と喋ってて、高揚した!と思う時って どういう時? どんな時に、より出たって思う?」
「さあなあ。いちいち気にしてないから。」
「思い出せよ〰〰。」
「ほとほと」
「え?」
「ほとほと、面倒くさいやつだな 小川って。」
「〰〰〰」
それでも モリヤは、ちょっと斜め上を見て
「小川といてねえ…。」
と考えているようだった。
「そりゃ アイス食べてる時よりかは、水本の話をしてる時だけどさ。」
「…うん。」
そうだな。野菜食べてる時や アイス食べてる時には、別に高揚は感じられなかった。水本がかわいい、という話をしてる時だな…。音立てて高揚してる、みたいな時は。あと、嫌がらせしてる時も そうかもって思う…。嫌がらせは俺の精神が持たん。水本の話をさせよう。それだ。
「モリヤが 水本を好きになったのは いつだ。」
「は?」
唐突すぎたか。
「モリヤは いつから水本が好きなんだ? きっかけとかあるのか?」
「ふーん。」
ふーん⁉ なんだよその返事は? モリヤは ニヤリと笑っている。
「ぼくの全てが知りたくなった?」
「はあ?」
「いいよ 教えてやっても。でもだからその代わり、小川も教えなきゃ。小川はいつ?」
「え‥‥‥」
「水本を好きになったのは、いつ?」
俺の… 俺の質問は極めて単純なのに、なんでモリヤは そう話を変な方向へもっていくんだ‥‥。
くそう 惑わされんぞ。
「よし、教えてやるとも! その代わりモリヤも言えよ⁉」
モリヤは笑って
「いいよ。」
と けろっと言った。
しかしそういえば、そんなこと ちゃんと考えたこともなかったな。いつだ? 知ったのは、水本のことを認識したのは‥‥
「で、出会ったのは 入学式だよ。クラス分けで同じクラスになった。」
「そんなことは知ってるよ。好きになったのは?」
「ま、まあそう急くな。────夜は長い。ゆっくり話そうぜ。」
「ふうん。夜は長い、かあ。小川は眠らないつもり?」
「…それはまあ… なりゆき…?」
クククッと モリヤが笑う。
「なるほどね。寝るのが 怖いのかな。いいよ、ゆっくりで。ゆっくり教えて。水本とのなれそめを。」
なれそめ…⁉ だから… 恋じゃないってのに…。
「同じクラスになって 2、3日は特に気にもならなかったな。水本の存在を認識したのは‥‥ あ!」
「思い出した?」
思い出した。
「何日か経って 帰りしなのことだ。最初のころだから席順が 出席番号順だった。水本の後ろの席が湧井の席だったんだ。2人の席は 後ろの扉の近くだった。で、俺が帰ろうとして扉に近付いた時、湧井が "何か用" と言った。」
モリヤは にっこりして俺の話を聞いている。
「俺に言われたかと思って立ち止まると 違った。湧井は 水本に言ったんだ。でも水本は 首を横に振っていた。何もないと。そしたら湧井が だってこっちを見てたから、と言う。女子をじっと見たりしてはいけない。こんな風に言われてしまうからな。バカだなこいつ と俺は思って、水本の反応を見てた。」
「水本は どうした?」
モリヤは楽しそうに聞いた。
「ちょっと驚いたような顔をして ゴメンと謝った。そして "キレイだからみとれてた" と笑顔で言った。」
「水本らしいね。」
「うん。そんなセリフが キザでもいやらしくもない。まあ、そう。いつもの水本の感じ。思わずといった感じで、湧井も笑顔になった。そうでしたか、ありがとう みたいなことを言って、2人で笑ってたよ。」
「それは 2人のなれそめじゃないの? 小川は?」
「俺は そんな水本を、すごいなと思ったんだよ。俺は 湧井と中学も同じだった。もちろん 湧井のことは知っていた。ずっと俺だって キレイだと思ってたけど、そんなこと言えるわけもなかった。なのに、ほぼ初めて口をきいた水本が あんまりあっさり言ってのけたから。」
「水本に先を越されちゃったんだね。小川は そこでスゴイと思うんだ? 悔しくなかったの?」
「ん? 単純にスゴイなと思ったな。でも確か 次の日水本に、アレはくどいてたのか と聞いたんだ。」
「そしたら?」
「驚いてた。違うって言った。思ったことを言っただけだって。それから なんとなく口をきくようになったんだと思う。」
「ふーん。いいなァ。」
「え? 何が?」
「初めての会話が、湧井サンのも 小川のも 色っぽいね。」
「ええ? 色っぽい??」
「うん。まさしくなれそめ。ぼくなんか プールを休まないのか、だもんな。色っぽくないよね。 …だいたい、一度も口をきいたこともなかったのに、どうして水本はあの時 休まないのか なんて、言ってきたんだろう。」
その時のことを思い返してか モリヤは不思議そうに言った。
俺は すぐ分かった。この前 この話を聞いた時に。水本は モリヤのあのウワサを、心配していたに違いない。色っぽくはないかもしれないが、すでにその最初の会話で 水本の愛を感じる。‥‥‥よし これは教えてやらない。悔しいからな。
「水本のことは とても分からない。」
モリヤは言った。そんなこと言っても 教えてやらないぞ。
「でも そこも又好き。謎めいていて とてもいい。」
モリヤは俺を見て にっこり笑った。やっぱりなんだか 心を読まれているような気がする。
「それで モリヤは?」
ふりきるように、俺は言った。
「その 初めての会話で、好きになったのではないだろう?」
「水本のことは その前から知っていた。」
「隣のクラスだからな。」
「隣だからって 知ってるとは限らない。ぼくは他人に興味がないしね。」
「‥‥‥」
なるほど。そりゃそうか。入学して2ヶ月。体育が一緒とはいっても、人に無関心なモリヤが、全員を知ってるわけもないか…。
「でも水本のことは知っていた。そりゃそうだよね。」
「‥‥なんで?」
「水本はぼくに近寄ってくることが 多かった。偶然ではないと、ぼくには思えたからね。なんでだろうと思って 気になった。」
‥‥そうか。そうだよな。水本は あからさまだからな…。
「今まで そんな風に近付いてくるやつは いなかった。でも スッと近くに寄ってくるだけで、顔を見るでもなく 話しかけるでもなく。又すぐに スッと離れていく。」
ここでモリヤは ふっと笑った。
「今なら分かる。匂いを感じに近付いてたんだな。」
その通り。そう聞くと、ホント水本って変なやつ…。
「水本からは 悪意はまるで感じられなかったので、ぼくはそのままにしておいた。迷惑もかけられてないしね。だから この辺りはまだぼくは、水本のことを好きではない。存在を認識していただけ。」
「うん…。」
「でも二度目の… ぼくの名前を叫んで握手してきたのは、衝撃だったな。」
ふふふとモリヤは笑った。サーッと匂いが流れてきた。
「他人に あんなに目をしっかりと見て触れられたのは、まさしく初めてだったから。」
‥‥そこは。そこは モリヤでなくとも、なかなかない経験だと思うぞ。水本がおかしい。確か、感動したから とか言ってたっけな。感動? 何に? ‥‥モリヤの名前にか? 〰〰〰変なやつだ…
「そして その時ぼくは、強く水本の好意を感じた。」
「‥‥‼」
‥‥‥‥‥そりゃそうか…。‥‥だよな。
「好かれたから好きになったわけでもないと思うけれど、きっかけとしては とても大きかった。だいたい、ぼくに好意を持つなんて とっても特異なことだから、当然興味もわくよね。そうしたら 三度目。水本は ぼくが休んでいる日に、家に来た。テスト範囲を教えに来たと言う。さらに、変なウワサがたっているので お詫び方々、と。ぼくに詫びて ウワサは消すと言いながら、水本はそのウワサが嬉しかったなんて言ったんだ。」
────ああ。知ってるさ。言ってた。モリヤのウワサに加われるのが 嬉しいなんて。…まあ 今にして思えば、あの頃のウワサは かわいいもんだったがな。
「その時は もう好きだったんだろうな。自覚なんてものはなかったけれど。ぼくは普段は 人が家に来ても、戸を開けない。滅多には来もしないけれどね。」
「あ」
「うん?」
「いや。」
そうだった。俺が中学の時、プリント持っていった時も 出てこなかったもんな。モリヤの主義か。変わってる。
「ただ水本は 一度呼んで出なくても、又呼ぶんだ。モリヤくんモリヤくんって。あれも実は驚いた。何事かと思ってね。それでも出てゆかないと、もっと大きな声で モリヤコウキくん モリヤコウキくん、って。それが‥‥ とても楽しそうなんだ。誰も出てこないのに。いくら呼んでも 出てこないかもしれないのに。つい 顔を出してしまった。」
さすがだよ水本。普通、出てこなきゃ帰るよ。
「あの日、水本が帰った後、ぼくはあることに気付いて とても驚いた。」
「あること?」
モリヤは とてもにっこり。とても匂いが立つ。
「楽しかったと感じたことに 気付いた。」
「‥‥‥‥」
「水本が来て、少しだけ話をして、別れた。ただそれだけだったのに、ぼくは とても 気持ちが良かったんだ。人と会って 気持ちが良かったと感じたことなど、初めてだった。つまりぼくは 水本が好きだったんだろう。と、今考えると そう思うよ。その時は 深くそんなことを推考していなかったけれどね。」
ふ──────ん‥‥‥。 ‥‥‥なんだか… モリヤが水本を好きになるのは 当然… 必然なのかもしれない。俺も湧井も 後押しした形にはなるが、例え俺らが何もしなくとも、仕方がなかったのかもしれない。
─────けど!
だけど それと 水本が泊まってどうのってのは又別‼ 別問題‼ しょうがないで片付けられない。
ふと気が付くと、モリヤの匂いが 部屋に充満していた。もし水本がここにいたら、とても幸せと 感じるんだろうなァ‥‥。これぞ天国!なんて バカなこと、思っちゃうんだろうなァ‥‥‥。
「次に水本がここへ来た時のこと、聞きたい?」
嬉しそうに笑って、モリヤが聞く。俺は頷いた。とても、聞きたい。
「それは台風の時。警報で、全員下校になった。今日みたいにね。すごい雨だった。ぼくは 気持ちが浮わっついてしまってねえ。早く帰らなければと 歩いていた。家に着いて ふと振り向くと、なんとどしゃ降りの中、水本が立っている。だいぶ 向こうの方。後ろ向きに 傘を差して立っている。だけどぼくには すぐに水本だと分かった。そしてぼくには、全く意味が分からなかった。こんなどしゃ降りの中、水本はこんなところで 何をしているんだろう…。」
…何を してたんだ、水本? まさか つけて行ったのか?
「ぼくが名前を呼ぶと、水本は驚いたように振り返った。何してるのと聞くと、帰るところだと言って ほんとに帰ろうとする。ぼくはつい、雨宿りしてゆくかと聞いてしまった。」
ふうっと モリヤのため息とともに、匂いが強くなる。
「そ、それで水本は この家に…?」
「そう。あの日が水本がこの家に入った初めての日。あの日は すごい雨だったけど、家の中は真の闇ではなかった。真っ昼間だったからね。それに 警報が出たってのに その時の雨は、すぐにあがってしまったんだ。ぼくはね。」
ここでモリヤは少し黙った。俺をじっと見る。
「…なんだ?」
たまらず俺は催促。
「あの時、もしも雨が降り続いたなら、今日は帰るのは無理だよと 言っただろう。」
「えっ‼」
「でも雨はやんでしまった。とても残念に思ったけれど、引き止めておく理由がなくなってしまったので ぼくは水本を帰した。」
「‥‥‥‥‥」
「もうこの時点では ぼくは水本のことが好きだと、自覚していたよ。」
台風の時、というと 去年の…9月ごろか…? もう だいぶん早い段階から、モリヤは水本のことが好きじゃないか…。
「その次は 終業式の日だよ。聞く? それとも もうやめておく?」
「聞くとも。話せよ。」
ああ 冬のあの日か…。モリヤのことを 何も知らなかった俺たち。水本が家に行くのを 止めなかった。
「終業式のあの日、不意に扉が叩かれて 水本の声がした。────ぼくは出なかった。少しおかしな雲行きではあったけれど、雨は降っていなかったので 高揚していたわけではない。…冬だったしね。だけど 水本の不意の訪問に、ぼくは扉を開けることができなかった。普段 開ける気がなく開けないのとは違う。開けたいと思うのに、開けられないんだ。戸惑っている自分に、とても戸惑っていた。────ぼくが扉を開けないのに、やっぱり水本は帰らず ぼくの名前を呼ぶ。それでもぼくは扉を開けられない。ちょうどその時、突然雨が降ってきた。突然のどしゃ降り…!」
「み、水本はどうした? 引き返そうとしたか? それとも 扉を開けようと試みたとか?」
モリヤは首を横に振った。
「どちらでもない。水本は黙って 茫然と扉の前に立ち尽くしているんだ。」
「‥‥なんで…」
「なんでだろう…。ぼくにも分からない。ぼくは─── この日も 負けてしまった。何に、とは聞かないでくれ。何かに、負けてしまったんだよ。だから扉を開けてしまった。‥‥水本は、実に自然に入ってきた。なぜすぐに扉を開けないのか などと、責めもしない。責めないどころか、聞きもしない。元気か、とか 冬は苦手なのか、とか、ぼくを気遣うようなことしか 聞かなかった。そしてその後は、ただ黙って座っていた。雨音しか聞こえない 薄暗い家の中で、真っ暗になるまで ただ座っているんだ。それがちっとも居心地悪そうでなく。むしろぼくには ご機嫌に見えた。‥‥ぼくの方は なかなかに戸惑っていたんだけれどね。」
「‥‥‥‥」
…そんな謎の お家訪問だったのか‥‥。全然知らなかった。家の形こそ、森のようで変わってはいるけれど 普通に家に訪ねて行って、普通に明るい家の中で、普通に同級生の会話をして過ごしているとばかり‥‥。なんで…。なんで水本は そんな中で、ご機嫌なんだ? 真っ暗になるまで黙ってじっと座って‥‥。俺は全く なんて普通の人間なんだ…! 水本もモリヤも、全然理解できない。いや… 怖いことに、どちらかというと モリヤの心情の方が理解できてしまう。共感点を、見いだせてしまう…。
「…そ、それで…?」
「雨が小さくなって 真っ暗になって ずいぶんと冷えてきた。それでも水本は 黙って座っている。黙って自然体で 機嫌よく座っている。ぼくは "どうしよう" と思って、"どうしたらいいか" と思ってしまって、水本に声をかけた。水本は くしゃみをして」
ここでモリヤは ハハハと笑った。
「自分のくしゃみに驚いてるんだ。ぼくはそんな水本を見て、いつまでも一緒にいたいと思ってしまった。」
匂いが 立ち込めている。
「…モリヤ」
「うん?」
「窓を、開けてもいいか?」
「ああ、暑い? 少し開いてはいるんだけど。クーラーも扇風機もないからなァ。」
「いや。暑くはないんだが 匂いが…」
「そうか! 変な匂いだもんな。」
そう言って モリヤはにっこり。
「嫌な匂いではないんだ。ただ、強すぎる。」
「うん。分かった。戸を開けるよ。」
言ってモリヤは立ち上がり、扉を開けに行った。モリヤか扉を全開にすると 薄く光がさした。振り向いて モリヤが笑う。
「月光だよ。」
げっこうだよ。そんなセリフ、日常あまり聞かないよな。なんだか不思議な空間に思える。ふわっと 少しぬるい風が入ってきた。匂いが風にまかれる。薄まる気がする。俺はホッとした。嫌な匂いではなくとも、匂いは強すぎると息がつまる。床にさした月光の道を モリヤは進んできてそして、にっこりと言った。
「話をやめて、もう寝るかい?」
「やめるもんか 寝るもんか。」
俺がそう言うと モリヤはアハハハと笑った。
「いいけど。長くなるよ。ほんとに朝まで寝ないつもりなの?」
「お‥‥ おお! 朝まで話せるもんなら 話してみろ!」
「そんなこと言っていいの? 話せるもんならなんて、むしろぼくは 全部話しきれる自信がないね。」
「そ そんなにあるのか…」
「水本の話だろう? あるよ。ぼくの心情をいちいち挟んでいったら 果てしなく喋れるよ。言えないことを 省いたとしてもね。」
「…‼ い、言えないこと⁉って、なんだよ⁉」
「それを言えないから "言えないこと" なんじゃないか。」
ハハハハ とモリヤは笑って、バカだな と言った。そうだよ 俺はバカだよっ。
「それでは "言えること" を話してやろう。」
言ってモリヤは、じいっと俺の顔を見た。それが、今まで見たこともない 優しいモリヤの表情だった。
「な‥ なに‥‥」
怯んでしまう。モリヤは優しい顔を微笑ませて
「水本の話をするのは とても」
少し そこで止まって、モリヤは言葉を探しているようだった。そして、
「とても、幸せ。」
うふふと笑う。
「なんて 陳腐なんだ。でも これしか思い付かない。ぼくには 文才はないな。」
幸せそうに 幸せそうに笑う。
文才はないだなんて。今のは 一番、大正解の言葉だよ モリヤ。
次回、その翌朝…




