放課後の恐怖まだまだ (小川くん側 その6)
小川くんの恐怖は続きます。
モリヤと 日が暮れるまで公園で過ごして帰った昨日、この暑いのにマラソン大会でもあったのか、と母親に驚かれた。それほどに ぐったりしてしまっていた。
シャワーを浴びるのももどかしく、倒れるように寝てしまった。
朝になっても疲労感は抜けず、だらだら用意して ギリギリに登校した。
教室には もちろんモリヤがいる。俺が教室に入ると 周りのやつらがざわめいた。そして モリヤと目が合ってしまう。色っぽく にっこり笑って
「おはよう 小川。」
「…おう。」
又 どうして無視するの、とか言って 来られてはイヤなので、いい加減な返事をしておく。しかし… 昨日よりは少しマシか、色気? それとも俺が疲れすぎて 鈍感になってるのか? まあ なんでもいいや。少しでも色っぽく感じられない方が、ありがたい。
ぼんやり席に座っていたら、寒気がした。振り向くと、やっぱりモリヤ…。
「どうしたの? 朝から疲れてるね?」
おまえのせい。やっぱり今日も色っぽい。モリヤの動きに、取り巻きも付いてきている。
「そんなことない。」
俺は モリヤから視線をはずして答えた。むっつりと。
「うそばっかり。」
モリヤは笑っている。ああまだ高揚しているんだ。まだ制御できていないな。
「小川は うそばっかりつくから、信用できない。」
笑いながら そんなこと言ってくる。
「俺がいつ…」
「いつだって。」
俺はモリヤを見てしまった。艶然と微笑んでいる。
「いつだって。」
ともう一度言った。
「疲れてるのに 疲れてない。痛いのに 痛くない。怖いのに 怖くない。好きなのに 好きじゃない。手を握りたいのに… なかなか握らない。」
教室内が、またもや静かな騒然状態。騒ぐなら騒げよ。怖いから…。
「…なんで」
ぐったりが ひどくなる。何言うんだよモリヤ…。
「ポイント消えたんだろ? 今 0だよな?」
「うん?」
とモリヤは 色っぽくにっこりして
「又嫌がらせだと思ってるの? 小川ってば、被害妄想だよ。ぼくは事実を言っただけ。」
はいはい モリヤはウソをつきませんよ。そして俺はウソつきですよ。でも わざとだろ。わざとエッチな誤解をされるように 発言してるだろ。楽しそうに…。
「あ チャイム。」
モリヤは踊るような軽い足どりで 席に戻っていった。
まだ ダメみたいだな。制御不能のようだな。感情も色気も 垂れ流し。
ぐったりしたまま昼休み。隣へ行くか? でも 昨日モリヤと何を話したとか 聞かれるだろうしな。俺はウソつきとはいえ、喜んでウソをついているわけではないのだ。方便のウソだ。だから… めんどくさい。
もういいや と思って、昼休みも自分の席で ボーとしてた。さして腹もへらないが、弁当は食う。
あー 水本のおにぎりは うまかったな。 …俺と湧井がアレを食べたと聞いただけで、モリヤはきっと嫉妬したんだろう。
嫉妬かァ…。
────ごめん やきもちやいちゃった‥‥‥
そう水本が言ったと 言ってたな。それにてモリヤは超喜んだわけだけど‥‥水本… 妬いちゃったって? 俺に? 襟元を開けて どうぞ‥‥って、モリヤが俺に言ったから…? ん⁉ もしかして… "自分の時は" と思ったか? あの事件… 水本が、モリヤの肩口に顔を寄せて 匂いを確かめようとした時に 突き飛ばされて追い出された、アレ…。 自分は 突き飛ばして追い出したのに、なぜ小川くんは どうぞってモリヤの方から誘ったんだって…? ‥‥あり得るぞ。だって 水本にとって、あの事件は すごく大きかったはずなんだ。泣いて謝ったっていうんだから。
この前も泣いたかァ…。そんな簡単に涙を見せてはダメだぞ水本。特にモリヤにはダメ。
けど なんだってモリヤの顔やら首を触ったんだ? 泣いて謝るぐらいならなんで‥‥。…ひょっとして 知らず知らずにモリヤの色香にやられてんのか? 自覚なく惑わされて 思わず触ってしまったのか?? どうも よく分からないんだよな…。
‥‥‥なんか ぞっとする… と思って振り向いたら‥‥ モリヤ…
「小川。」
「なんだ。」
なるべく そっけなく答えるけど、そんなのモリヤには 何の気にもならないのだ。分かってるけど、絶対笑顔なんか見せるもんか。
「今日も一緒に帰ろう。」
「なにっ⁉」
平常心を保てない。
「なんでだよ?」
「小川と一緒にいたいから。」
やめろ~~。こぼすこぼす。色気をこぼしまくり。周り中がうっとりと 羨ましそうに、俺を見る。代わってやりたい いくらでも!
「いやだ。体調悪いし早く帰る。」
「疲れてないって言ったくせに。」
「どうせ俺はウソつきだよ。」
モリヤは にっこり笑って ふうんと言った。色気をばらまいてやがる。
「分かった。じゃあ水本を誘ってくる。」
と言って じっと俺を見る。ハイハイどうぞ、と 言えないだろう⁉
あああ 思うツボ。
「俺が一緒に帰るよ。」
「あ、ごめん。妬いちゃった?」
‥‥このやろう‥‥。 …いいようにやられてるな 俺…。
うん? …でもなんで? なんで水本より先に俺を誘う? 分からなくて、俺はモリヤの顔を見た。モリヤは何も言わず、ただにっこりするだけ‥‥‥。
あああ‥‥ 今日もかァ‥‥。心の疲労が、半端ない。
5、6時間目は英語と生物。いつもだいたい眠い。今日なんか ものすごく疲労感があるから、めちゃくちゃ眠いだろうと思ったのに これが眠くならない! なんで⁉ 分かってるんだ 怖いから…。授業終わってほしくないんだよ…。終わったら又 アレが待っている。俺、ウツボカズラにはまりこんで 養分取られて カスカスになってしまうんだろうか‥‥。
終礼もスグに終わってしまう。できるだけのろのろと帰り支度をしていると、音もなくモリヤがそばに来ていた。このウツボカズラは 動きまわるから余計に始末が悪い…。ああくそっ いい匂いがしてきた。
「行こうか。」
匂いとともに 声が降ってくる。観念して俺は立ち上がった。水本のところへ行かれるよりはマシだ。
「帰るんだよな。」
当然だろという態度で確認。
「帰るよ。話をしてからね。」
なにい?
「は、話があるのか。」
「あるよ。」
モリヤご機嫌…。ボロボロボロボロ色気を落としながら笑ってる。
「きょ今日は 藤棚にしないか…?」
「どうして?」
とモリヤはにっこり。あの公園は、帰りが嫌なんだ。又暗くなったら手を‥‥。
「だめなのか?」
「ぼくは構わないよ。小川が人目を気にしないのなら。」
そう言って ふふふと笑っている。
藤棚は 現在人気のない場所ではなくなっている。モリヤのウワサによって、デートスポットみたいになっているのだ。俺は唇を噛んで そして言った。
「人目を気にする。やっぱり 昨日の所で。」
「いいよ どこでも。」
楽しそうに言って、モリヤは歩き出した。俺も。
モリヤなら どんなに周りに人がいようと、平気で手を握ったりしてきそう。そんなところを人に見られるなんて とんでもない。絶対にイヤだ。暗闇帰宅の方がマシ。
もうすっかり慣れた道を登る。モリヤは ほんとに機嫌がいい。まるでピクニックにでも来てるように、ウキウキした足どりで登っていく。完全に いつものモリヤじゃない。一体 何の話をしようっていうんだろう。
公園にたどり着く。
「さあ 座って?」
上機嫌でモリヤがベンチを指し示す。仕方なく俺は腰を下ろす。いやだよー 怖いよ~。
座ってから しばらく沈黙。いい匂い‥‥。
珍しくハッキリ起きていた6時間目の生物の時間、ヒトは皮膚呼吸をしているという話になった。だから塗料なんかで 完全に皮膚表面を覆ってしまうと、危ないんだって。そして体内の匂いは、皮膚からも出てくる。ニンニクとか食べると、息だけじゃなく 皮膚からも匂いが出てくるそうな。へーえって話。
もしかして、と思う。モリヤ 何か匂いの元を飲んでるのか? そう思って ふとモリヤを見た。
こっちを見ていた。俺を見てモリヤはにっこり笑っている。たまらなくいい匂いが ただよっている。
「小川とは、結構喋ったねえ。」
バラバラッと色気がこぼれる。
「それでもまだ聞きたいことがありそうだね。」
存在自体がナゾめいているからなあ…。
「聞いてくれていいよ。ぼくはウソつきじゃないしね ハハハ。」
ご機嫌だなァ…。
もしかして 俺ってすごいんじゃないのか? この色気にフラフラッとならないって すごくない? だって ほんとに… 何これ? 何この色気?? いい匂いが 色気のパワーを、より増していくのだ。
「…モリヤ 何か飲んでんのか?」
「のむ?」
「家で… 何か…」
モリヤはクスクス笑った。ああでも 今日はやっぱり少しマシ。そうだそうだ。昨日はずっと手を握られていたからな。と思い出しただけで、カッと熱くなってしまった。もう 超嫌がらせ…。 嫌がらせだから やってんだよな? 水本には してないよな⁉
「何が言いたいの? はっきり言ってくれなきゃ分からない。ぼくは飲み物は、水しか飲まないよ。」
「く、薬みたいなものは…」
「どこも悪くない。」
スイッとモリヤが 俺に寄ってきた。
「何? どういう意味? 酒でも飲んで酔っ払ってると思ってるの? それとも クスリって、マヤクのこと?」
俺の腕を ギュッとつかんで、ナイショ話みたいに耳元で喋る。
「や、やめろ‼ 近付くな‼」
俺はもう やばいと思って、ホントに頭がおかしくなりそうと思って 立ち上がって言った。モリヤは 立ち上がりはしなかったけれど 手を、俺の腕から手首に 実に上手に滑らせて、離さずに手首をつかんでいた。俺は モリヤの顔を見て
「嫌がらせじゃないんだろ⁉」
モリヤはあくまでにっこり。
「違うよ。」
そして アハハと笑った。
「小川ってば 自覚ないのかなァ。客観的に今の会話を聞くと、小川の発言の方が嫌がらせだよ?」
「え⁉」
「クスリやってんのかなんて ひどくない?」
と スーパー上機嫌で言う。ひどいこと言われたやつの態度ではない。
「そっ そういう意味じゃないっ。酒とか麻薬とか そんなこと言ってない!」
モリヤは スイッと立ち上がって、又俺の腕を取った。なんで近寄ってくる⁉ やめてくれ‼
「じゃあ何?」
覗き込むように俺を見て笑う。
「そういう意味じゃないのなら どういう意味?」
「そっ それはっ にっ」
ふわあっと モリヤの匂いが舞っている。皮膚から? 口から? そんなこと、分かるわけもない。
「にっ 匂いが…」
「匂いが? 何?」
ほんとに嫌がらせじゃないのか?
「匂いがっ… す、すごいから 何か… 香りのサプリみたいなものを、飲んでるのかと…」
モリヤは ちょっと笑顔を止めて 目を見張った。強烈にドキドキしてしまう。
「サプリ‥‥」
呟いて そしてにっこり笑った。
「なるほど。」
だって。
「小川は いろんなことを考えるんだねぇ‥‥? 水本なんか、なんの疑いもなく "ぼくの匂い" と受け入れたよ。」
「う…? 疑ってるわけじゃ…」
「まあ、それが普通。水本が特別だから。」
なんか 腕を持つモリヤの指先に力が入った気がした。
「ケド 小川も普通ではないか。おもしろいもんねえ…。」
くすくすと笑う。何をおもしろがってるのか 俺にはよく分からない。
サプリ…じゃなかったのか? 食いもんか? そういえば 甘いもんは一切食わない、みたいなことを言ってたような…。
「モリヤって 普段、何食ってんだ?」
プ‥っと 小さくモリヤは ふきだした。ギャー‥‥ だめだ、これ…。ほんとに モリヤの色香に押し流されたがっている誰かに、この位置を譲ってやりたい。それこそ 天国に行けそう‥‥ …イヤイヤ 俺まで危ない発言。
「なんで こんな体勢で、質問ばっかりしてくるの? 座ろうよ。」
こんな体勢~~? 誰のせいだ 誰の! 俺は 意図的に大きく息を吸って、吐いた。
「手を離すんなら 座る。」
「あ、そうか。」
言ってモリヤは手を離した。そしてベンチに座って
「小川はぼくに、性的魅力を感じてるんだっけ。そんな相手に みだりに触ってはいけないね。誘惑してるみたいだから。」
そう言ってクスクス笑う。 性的魅力‥‥ 誘惑‥‥ 勘弁してほしいマジで…。
「さあ 手を離したよ。座って?」
俺は なるべく離れて座った。モリヤはまだクスクス笑っている。
「別に普通のものを食べていると思ってるけど。何か期待している答えがある?」
「…そんなものはないよ。事実を聞きたいだけ。」
「ふうん?」
…これ、まだ序盤なんだろうな‥‥ どれぐらい続くんだろう… 嫌いな授業よりキツイぞ…。
「ああ、食べ物が匂いの元と思っているの? サプリ発想から抜け出てないんだね。」
と おもしろそうにモリヤは言った。そして
「野菜が多いよ。」
と簡単に答えた。野菜…。野菜食ったからって 匂いはしないなァ。
そういや 水本に料理を作ったとか言ってたな。
「毎日、自分でごはん作ってんのか?」
「自分のためには そんなに作らないよ。だから野菜が多いんだ。生で食べられるだろ。家にも生えてるし。」
生野菜⁉ 毎日⁉
「や、野菜、好きなのか?」
「んー、まあね。」
と答えて モリヤはクククと笑った。
「なんだよ?」
「質問ばっかり。小川はぼくに興味があるの?」
「え」
「性的魅力を感じるから?」
「な…‼」
「アハハ。ウソウソ。ぼくが怪しいからだろ。水本のことが心配だから 詳しく知らなきゃってところかな。」
「‥‥‥」
水本のことはアル。確かに。でも単に好奇心の部分も…。
「水本と食べ物関係の話をしてあげる。水本は ぼくの家で、三度物を食べた。一度目は 何も用意してなかったので、野菜サラダ。二度目は 少し料理を作ってみた。三度目は 水本が恥ずかしいからと言って、自分でサンドイッチを用意してきたよ。」
「? 恥ずかしいって何?」
「さあ?」
と言ってモリヤは うっとりした目で俺を見て笑った。もちろん 思い出しうっとりだ。なんだ?一体? ‥‥‥そういや 水本が食べる様子が すごくいいんだとかなんとか 不思議なことを言ってたような…
そうだ 言ってた! でも水本と約束したから 詳細は言わないとかいう嫌がらせ。
なんだってんだ? 食べる様子がすごくいいって、美味しそうに食べるってこと? そんなの 言ったっていいしなァ。恥ずかしい…って どういう意味だ? 食べ物食べて恥ずかしいって… こぼしてしまうような食べ物なのか 大口を開けないと食べられない物なのか それとも 顔中ベタベタに‥‥?
「恥ずかしい食べ物って 何だよ?」
もう一度聞いてみた。考えたって分からない。
「食べ物が恥ずかしいんではなくて、食べ方かな。でも教えない。」
「なんでだよ⁉」
この寸止めは 完全に嫌がらせ。
「嫌がらせじゃないよ。」
モリヤは笑った。顔に出てたか。
「ぼくは教えたいんだけど、水本が言うなと言ったからね。嫌われたら困る。」
…何を隠したいんだ水本? 隠すと余計、心配になる。
モリヤは… 水本と秘密を持ってるっていうのが嬉しいんだろうな。そして "秘密を持っている" ことを俺に知らせて羨ましがらせたいんだ。いつだって俺は モリヤの思うつぼだな…。
「さあ 他に聞きたいことは?」
楽しそうにモリヤが言う。今のを聞きたいんだけど。あ! あった。もう一つ聞きたいこと。
「モリヤ、なんで今日俺を誘ったんだ?」
「小川といたかったから。」
「うそつけ。」
くすくすモリヤは笑う。
「やだなあ。だからぼくはウソはつかないってば。」
「だって俺に興味ないくせに。」
うふふとモリヤは笑う。
「ほんとは水本と帰りたかったんだろ? なんで俺?」
モリヤは笑ったまま じっと俺を見ている。
「あ⁉ もしかして 又水本を妬かせようとしてんのか?」
アハハハハとモリヤは笑った。
「違うよ。昨日気付いたんだ。」
「何に?」
「小川といると 放出が早い。」
「は?」
「一人でいると いくら高揚していても、そうそう外に向かっては出ないんだ。ところが小川と一緒にいると、話しているうちに ドンドン出すことができる。」
「…何を?」
「内にたまっているものをだよ。コントロール不能のね。」
「??」
「たくさん出した方が なくなるのが早まっていいんだ。」
「???」
「だから小川を誘った。ああ、もちろん水本といても きっと大いに出せるんだけど、水本だと それだけですまなくなってしまうから。ね?」
ね⁉ ってなんだよ?? 全然意味が分からん…。何を言ってるんだ? 何の放出? ‥‥‥匂い?? …色気、か??? それとも気持ち? 気持ちのはけ口にしてるって、言ってんのか??
「…モリヤ、意味が分からん。わざとの嫌がらせでないのなら、分かるように言ってくれ。」
「嫌がらせなんかではないけど。そのまんまを言ってるんだけどな。何が分からない?」
全部だ全部。
「…内にたまっている、たくさん出した方がいい物って何だ?」
「そこは、なんとなく感じてほしい。」
感じる? なんとなく?? …分からん…。 ハイな状態ってことか? どんどん喋って 発散して 出し切ったら落ち着くってこと???
「昨日 小川と話して帰ったら、今日は少しマシだった。きっと明日はもっとマシ。だから小川を誘ったんだよ。」
「‥‥‥」
…やっぱり ハイ状態の感情の垂れ流しをはかるってことか。俺が丁度いい はけ口なんだな。
‥‥‥たまらんなァ。なんで俺だよ。えらいもんに選ばれてしまった。
「小川」
にっこりモリヤが俺を呼ぶ。
「なんだ。」
もう何を言っても怖い。モリヤと俺の間に 穏やかな会話なんてない。
「明後日あたり 雨が降りそうだよ。」
セリフの最後に 音符マークが3つも4つも付きそうな、ウキウキした声。ほら… 怖い‥‥。明後日? 金曜?
「お、大雨…か?」
「結構降ると思うけど。梅雨なのに あんまり降ってなかったから。まとめて ドバッドバッと降るんだよ、きっと。」
「じゃ… じゃあ… 水本を又呼ぶのか…」
「もう敢えて呼ばなくても 水本は来てくれる。あんなに大ケガさせても あんなに泣かせてしまっても、水本は来てくれるんだよ。」
ドバッ ドバッ と降るのは、今は雨じゃなく モリヤの匂い。すごい。‥‥放出が早い? これのこと??
「ああ、小川、水本はね、」
超ハイテンションな声で、超嬉しそうな顔で、モリヤが俺を見て言った。
「雨の日にぼくの家に来ると、歌をうたってくれるんだよ。水本の好きな歌を。いいだろう?」
水本の好きな歌かァ…。いいなァ‥‥。
「水本の好きな歌って何だ?」
ふふふと やっぱり超嬉しそうにモリヤは笑って俺に言う。
「小川は知らないの?」
うわ 腹立つ。超絶に色っぽい挑発。
「知らん。教えろよ。」
やられるもんか。見ろ 大人の返し!
「もう何曲も歌ってもらった。水本は好きな歌が多いんだ。」
超うっとり。
「だから何の歌?」
「1曲目は題名を知らない。ウォーターメロンの歌。」
ウォーターメロン? そんな歌 知らんなァ…。
「どんな歌?」
「もったいないから教えない。」
このやろう…‼ 嫌がらせじゃないか!
けど なんていい匂い。ああ立ち込める。モリヤの嬉しそうなのに比例して いい匂いが強くなる。
「に、2曲目は⁉」
「雨音はショパンの調べ」
知らん!
「3曲目は⁉」
「初恋」
うっとり言うモリヤの色香。俺は思わず下を向いて、歯をくいしばった。
「これは教えてあげる。」
潤んだような瞳でモリヤは言った。つい…見てしまう。
「水本はこの歌を 湧井サンに教えてもらったんだって。」
「え‼」
うふふとモリヤは笑う。
「だから湧井サンに聞けば 歌ってくれるよ。」
「ふーん‥‥。」
モリヤはにっこりして じっと俺を見た。
「‥何だよ?」
「あの2人は ホントに仲が良いね。」
水本と湧井のこと?
「ああ。いいよ。」
「小川はどうして妬かないの? ぼくには妬くくせに。」
「え…?」
「普通 あんなに恋人が他の男と仲良くしていたら、妬くんじゃないの? ちなみにぼくは、湧井サンに妬いてるよ。」
え… だって‥‥
「水本のことも好きだから? 2人とも自分のものと思ってるの?」
「はあ⁉」
何言ってんの⁉
「小川は何の歌が好き?」
「?‼」
‥‥話の変わり方についてゆけない‥‥。
「小川の好きな歌を教えて?」
好きな歌?? 好きな歌なあ…?
「…よく聞くのは ビートルズかなあ…。」
歌ったりはしないが。
「へえ。」
「…モリヤは?」
「ないよ。」
「え」
「ぼくは歌を知らない。」
「‥‥‥」
歌なんて いたるところに流れている。知らないって何?
「知らないはずはないだろう?」
俺がそう言うとモリヤは ああ、と言って笑った。
「水本の歌が好き。水本が歌ってくれる歌は みんな好き。」
ぶわっと匂いがした。色気とともに こちらへ迫ってくるように。
「‥‥どうして‥‥」
思わず俺は口に出してしまった。雨の日に、なんだかモリヤが高揚してしまうという雨の日に、ショック療法なんていう危ない橋で水本を呼んで、大好きな水本に歌をうたってもらったりして… なんでそんな… ギリギリって‥‥
「うん? 何?」
色気が ぶわーっ。
「なんで歌をうたわせるんだ…?」
モリヤはキョトンとして そして笑った。
「歌ってほしいから。」
そうだろうけど!
「歌うたわれたら 余計に気持ちが高揚するんじゃないのか?」
モリヤはヒタッと俺を見た。俺は動けなくなってしまう。
「高揚するよ。歌は、いつも危ういね。」
危うい⁉
「何? 危ういって、どういう意味だ?」
「ぼくを とても危うくさせる。」
「…じゃあ 歌わせたらだめじゃないかよ?」
「だって 歌ってほしいんだもの。」
‥‥だめだ。だめだな…。もう この時点ですでにコントロール不能なんだ。歌ってほしい気持ちを制御できないんだ。
「また水本の選曲がいいんだ。最高。歌ってといったら 何度でも快く歌ってくれるし。」
…水本は‥‥ モリヤにベタボレだから。
「水本は… モリヤの思い通りなんだ…。」
モリヤが 驚いたような目で俺を見た。
「何言ってんの小川? 思い通りのわけがないだろう。」
「…え?」
「一番、一番思い通りにいかない。一番予測がつかない。ことごとく不意をついて 驚かせられる。」
ヒュ───っと音が聞こえた気がした。風みたいにモリヤの匂いが流れてきた。
「そしてそこが、最高に いい。」
モリヤの匂いは 俺の回りを渦巻いて 上の方へ昇っていく、感じがした。つむじ風みたいに。
モリヤが予想もつかない行動。モリヤの気持ちを知らないゆえの、天然の危うい行動。
水本はモリヤにベタボレだけど 水本の望むところは何だろう…。恋じゃないと ずっと否定している。惚れてるくせに 惚れていることに自分で気付いていないんだ。あんなに明らかなものを…。
水本は… モリヤに何されてもいいんだろうか。モリヤとなら どうなってもいいと 思ってるんだろうか‥‥?
ドキドキしてしまった。心臓が 恐ろしく激しく動いている。
────小学生みたいに 無邪気にモリヤのことが大好き
って 湧井が言った。
────水本、絶対泣くわ…!
とも。‥‥‥‥‥泣くかもなあ‥‥。その後 受け入れてしまうかどうかは、俺には分からない。ドキンドキンと心臓が…。自分で想像しておいて、心臓爆発しそうになるなんて…!
「小川」
コントのワンシーンみたいに ビクッとしてしまった。モリヤが 俺の肩に手をかけて、耳元で名を呼んだのだ。俺はその手を振り払った。
「なんだっ⁉」
「あれ? びっくりした?」
するさ‼ びっくり!
「なんだよ⁉」
「ああ…!」
と気付いたようにモリヤは言って、笑った。
「そうか! 近いからだな? 近いと、小川も驚くんだ? 水本だから驚くのかと思ってた。そうか。耳に近すぎると、声が大きくて驚くんだな。」
‥‥俺は 言葉もなく モリヤを見つめていた。なんだって? 近いと 俺でも驚く? 水本だから驚くと思ってたけど? つまり、水本の耳の近くで話して 驚かせてんのか??
俺は思わず知らず モリヤを睨みつけていたと思う。
「小川は、ぼくが驚かしたから そんなに怒っているの? 水本は いつも怒らないなァ。」
モリヤはなんだか おもしろそうに喋っている。色気と匂いを放出しまくりながら。
「振り払われたこともない。振り払ったのは ぼくの方だね。あ。」
楽しそう~~。色気がこぼれるこぼれる…。
「そうか、今の小川の反応は、水本を振り払った時のぼくと同じか。」
なにい⁉
「ち、ちが…」
「だって小川は ぼくに性的魅力を感じているんだろう? うん。そうか。だから水本は 振り払ったりしないんだな。驚くだけで。うーん そうか…。それはそれで 少し寂しいな。」
ふふふと笑いながら そんなことを言っている。匂いがすごいし、色気もすごい。今日は昨日よりマシと思ったが、なんだか 又激しくなっている気がする…。
なんか… 反論する気も失せてきた…。この心情… ヤバイのか…? ウツボカズラに溶かされて 思考力も停止してきてんのか? ああ… たまらんいい匂い…。たまらん色気…。
モリヤが ちらっと俺を見た。俺はハッとした。うわ~~っ バカ! 俺‼ しっかりするんだ‼ 正気をたもて‼
「小川」
モリヤの口から色気がこぼれる。いや違う、言葉だ! 言葉がこぼれただけ! 俺! しっかり‼
「小川は この前のピクニック、楽しかったの?」
急になんだ? ピクニック? 楽しかったかって??
「‥‥‥‥」
俺が答えられないでいると、モリヤはニヤリと笑った。
「やっぱり。だよね? だって小川は、湧井サンとも水本とも そんなに遊べなかったし、ぼくと砂山作ったってねえ?」
「‥‥‥」
「なのにどうして 又行こうなんて言うの?」
「…そ、それは…」
「湧井サンは 徹底的に邪魔する目的だけどね。ハハハ。」
湧井‥‥ 危ないぞ… ばれてるぞ…。
「小川はつまんないだろ? 湧井サンは 邪魔する目的まっしぐらで、水本のことばっかり気にしてるんだから。湧井サンとは まともに遊べないし、ぼくからは 嫌がらせされるしさ。」
「‥‥‥」
モリヤは 楽しそうだなァ…。色っぽいし。
「又 おんなじ結果になりそうだけど。」
ちらりと俺を見る。その色気をやめろ!
「朝も心配で、ばかみたいに早く来なきゃいけないし。」
俺はハッとする。
「一番に来てただろ。水本がぼくと2人になるのを阻止しようと思って?」
「…い、いや あれは 時間配分を間違えただけだ。」
クッと モリヤは笑った。
「ウソツキ。」
色気~~~。もう見ないでおこう。見ると余計にやられる。俺は下を向いて 自分の足先を見ていた。
「ぼくは 予想外に楽しかったなァ。」
「え⁉」
「あれ? ぼくが楽しんでないと思ってたの?」
しまった 又顔を見てしまった。俺は慌てて視線を戻す。
「だってモリヤこそ。せっかく水本と一緒に出かけたのに、俺と砂山作っただけだったし。」
「アハハ。2回もね。砂山なんて、いつぶりだったろう。それなりには おもしろかったよ。」
モリヤこそ うそつけ。さして興味はないって言ってたじゃないか。2回目なんて まるでやる気ナシだったし。嫌がらせはノリノリだったけど‥‥。
「それに 初体験もしたしね。ひと夏の経験ってやつ。」
違うだろ‼ 妙な言い方をするな! ソフトクリームとたい焼きの初食いだろ‼ 色気があるから、おそろしい言葉に聞こえる。
「ぼくが舐めたアイスを 水本が食べる。それはステキだが、ぼくはどちらかといえば逆が良くて ついクリームの付いた指を舐めてしまった。驚く水本は最高にかわいかったなァ。」
下を向いていられない…。俺はモリヤを凝視してしまう。最高級思い出しうっとりに浸っている。そんなこと考えてたのか…。呑気にソフトクリームも食べられない。
───もしも、 もしも モリヤと水本が2人で海に行っていたら、どうなっていたんだろう‥‥。想像つかない。怖すぎる…。
「───暗くなってきたね。」
ああ。日が落ちる。今日は曇っている。昨日ほどのキレイな夕日は見えない。雲に覆われてしまっていて。
「また暗くなるまで いてしまったなァ。」
俺はモリヤを凝視したまま。モリヤは俺をにっこり見ている。明後日は雨。─────どうしよう‥‥
「昔、夜はとても暗かったんだよ。」
は?
「それこそ 源氏物語の時代はね。小川」
「え?」
「源氏物語の 何が気になったの?」
「え… 何… って…」
「気になるところが無ければ、あんな質問は出ないよね?」
「‥‥‥」
「何? 何が気になった?」
「…お、俺は 読んでないし、知らない。湧井に知ってるかと聞かれたから、モリヤにも聞いてみただけのことだ…。」
「ふ、う~ん…?」
ウソツキ と言った時と同じ顔をしてる。同じ色気を出している。
「ぼくはね、」
色気を ぶわっとあふれさせながら モリヤが言った。薄暗くなってきた中、色気の色が見えるようだ。
「昨日も言ったように 全て源氏物語を読んだわけではないけれど、読んだ中では 六条御息所が好きだなあ。知ってる?」
キレイな流し目。急速に陽は落ちてゆく。なのに 色気がハッキリ見える。
「知らない。」
「じゃあ 読んでみて。読みやすい訳本が たくさんあるはず。‥‥湧井サンは、何が気になって 小川に言ったんだろうね?」
「‥‥さあ…」
紫の上。知ってるけど 言わない。
「なんにしろ、ぼくのことを いやらしいと言いたいんだろうね。」
「‥‥‥」
モリヤはふふふと笑った。
「光源氏だなんて 例えは素晴らしくステキだけどね。」
‥‥ステキときたか…。ああ、色気が夜の闇に溶けてゆく。外灯が、今日もやっぱり ぼんやりと灯った。どうやら時間がきた。やっと帰れる。
「さあ では、手をつないで帰ろうか。恋人つなぎで。」
華やかに笑って モリヤが立ち上がった。‥‥‥恋人つなぎ‥‥ 俺はモリヤを睨んだ。クククとモリヤは笑う。
「今のは冗談。恋人つなぎは人を支えるには不向きだ。」
そう言って 手を差し出した。俺は モリヤの顔から手に、視線を移した。今日も色っぽく 白く浮かぶモリヤの手。
────意外にも、水本はこの手をつかまないらしい。手を引かせてくれない、とモリヤは言っていた。送らせてもくれない、と。
俺は 色気を感じすぎて、怖じ気づいてつかめないのだが、水本は色気を感じないんだ。なのに つかまない。なんでだ? 大好きなモリヤの手を‥‥。
「ぼくの手をつかまないと 帰れないよ?」
楽しそうにモリヤが言う。確かに 今モリヤに置いて帰られたら、ものすごく帰るのに時間がかかるだろう。もしくは 転んで傷だらけ。往生際が悪いと思いつつも 色っぽすぎるモリヤの白い手を、つかみにいけない。
モリヤは ふふふと笑って 昨日と同じように俺の手を取って引っぱった。立ち上がった俺の手を握ったまま ついと耳元に口を寄せ
「手を握り合って帰ったことは 言わないでおいてやる。2人だけの秘密だね。」
ゴッ と音がするほど、血がおどる気がした。
もう 血が上ってるのか 逆に下がってるのか、わけが分からない。目の前が真っ白なのか 真っ暗なのか はたまた真っ赤なのか…。
わけの分からないまま手を引かれ、山をドンドン下りていった。一度大きくつまずいたが、モリヤがすごい力で 俺を支えた。血が ザッと移動する。もう どこへ行ってしまったのか、という感じ。血が… 激しくあちこちへ移動しすぎ。苦しくなってきた。
ああ 外灯が見えた。命の灯り…!
モリヤは 俺の手を離す前に、一瞬動きを止めて つかんだ俺の手をじっと見た。離して、
「不思議。」
一言 言った。俺は 茫然としながら、目をしばたたいた。目から 火花が散る気がした。
「…何が。」
ようやく それだけ言った。
「いろいろ。」
ふっと笑ってモリヤはそう答え、続けて
「例えば、ぼくはどうして 小川の手なら平気で握れるんだろう。同じ手であることに変わりはないのに。」
‥‥今さら何を…。好きでないからに決まっている。…あ、違う。そんなことを言えば 俺はモリヤを好きということになってしまう。‥‥性的魅力を感じてないからだ。そう。そういうこと。
「例えば、小川は 公園からここまで下りてくるだけで、どうしてそんなに疲れはてているんだろう。」
「‥‥‥」
「例えば、湧井サンは 水本にぼくが近付くのを、あんなにイヤがって邪魔するのに、どうして小川がぼくとこんなことするのを 止めないのだろう、とか。」
そこまで言って モリヤは俺をじっと見て、にっこり笑った。
「とても 不思議。」
ど────っと疲れを感じた。おそろしいほどの疲労感。俺、このままモリヤと付き合ってると 精気を全部吸い取られて、あっという間にじーさんになってしまいそう…。
外灯の下 俺はトボトボと歩いて行く。モリヤは今日も足どり軽やかに歩いて行く。別れ道、モリヤは昨日のようにすぐに じゃあねと言わなかった。少し立ち止まって 俺の顔を覗き込み、
「大丈夫?」
と言った。ちっとも心配そうじゃなく。俺はおざなりに頷いて 手を上げた。喋る気力もない。モリヤもそれ以上は聞かず、にっこり 色気たっぷりに笑ってみせて
「じゃあね。」
と言った。外灯の少なくなっていく道を、踊るように帰って行く。やっぱり俺の精気を吸い取ってるんじゃないのか?
俺は 大きくため息をついて帰路についた。生暖かい風が当たる。疲労困憊…。
なんとか家にたどり着き、汗まみれゆえに必死でシャワーを浴び、パンツをはいた時点で 力尽きた。
部屋に転がって 気が付くと朝になっていた。
「休む?」
そんなこと言ったことのない母親が、俺の顔を見て言った。俺は 力なく首を横に振り、朝ごはんも食べずに家を出る。あまりに驚いた様子で 母親が玄関の外まで追ってきて、これまた珍しく、というより多分初めて、500円玉を俺に渡した。何か買って食えと。弁当とは別に。
ほんとは休みたい。学校に行きたくない。モリヤに会いたくない。でも 俺が行かなきゃ、水本や湧井に矛先は向くだろう。矛先‥‥とは言わないか。しかしとにかく、俺が被れるものなら 全部被っとかなければ、と思う。こんなしんどい思いを、あの2人にさせてはいけない。
ただ…。ただ水本は 俺と同じではないかもしれない。根本的な気持ちが、モリヤに対する想いが、まるで違うから…。
体力だけには自信があったのに、学校にたどり着くまでに 息が切れてしまった。心臓もバクバク。心臓がバクバクすると、条件反射的にモリヤを思い出してしまう。そしてバクバクに拍車がかかる…。
教室にたどり着いた時には、気持ち悪くなっていた。くそう。負けるもんか。
俺が教室に入ると 教室内の空気が揺れた。まさか モリヤの色気のせいで、俺にまでこんなに影響があるとは…。
もう モリヤを確認する気もせず、俺は自分の席だけを見据えて進んだ。こんなにしんどいのは 入学してから初めてだ。倒れこむように椅子に座る。
ものすごくぼんやりしていた。疲れすぎて 思考力ゼロ。ふわっと目の前にモリヤの顔が現れて、俺は椅子からずり落ちそうになってしまった。
「今日も調子悪そうだね。大丈夫? おはよう。」
モリヤ。ザザザッと教室内がざわめいている。一昨日が やっぱり一番色気の頂点だったのかな。異様な緊張感が教室内に張りつめていたから。今日は だいぶ緩んでいるような気がする。ただ、モリヤが色っぽくなくなっているわけではない。度合いの問題。
俺はなんとか体勢を立て直し
「なんでもない。」
と言った。でも なんでもなくもない。ああ気持ち悪い。
「顔色悪いよ。保健室行ったら?」
全く心配そうじゃなく モリヤは言う。今日もご機嫌。でも不思議だ。なぜ俺に構う? モリヤの高揚感の為せる業か。まあ全部水本に向けず、俺にとどめてくれているのは ありがたいと思わねば。
モリヤにも分かっているんだきっと。俺に向かわせなければ、抑えきる自信もないんだろう。‥‥それを考えると モリヤは極悪人ではないのだ。決して いいやつなんかではないんだけどね。
くー と腹が鳴った。お? そうか 腹が減ってたのか。朝食わなかったからな、と思ってハッとした。朝どころか! 昨日の夜も食ってない。うわあ。オドロキ。メシを忘れるなんて 俺には考えられないことだ。そりゃ母親もびっくりするわな。
「おなか減ってるの?」
モリヤが俺を覗き込む。いいから。ほっといてくれ。早くチャイム鳴ってくれないかなー。
俺は返事もせずにぼんやりしていたら 不意に手をつかまれた。ギョッとして見ると、やっぱり モリヤ‥‥。ギャッと言うような声が周りから上がる。冷やかしではなく 悲鳴。
でも 嫌がらせで手を握ってきたのではないのか、つかんだ手に 冷たいものを当ててきた。ビンだ。水の入った瓶。俺は思わず その瓶を受け取る。
「水。飲んだ方がいい。倒れるよ?」
にっこり笑ってモリヤが言う。俺は言われるままに瓶に口をつけた。冷たい水。喉を勢いよく流れてゆく。とてもおいしい水だった。一気に飲んでしまった。
けれども 飲み終わると目の前にモリヤの姿はなく、直後チャイムが鳴った。水のおかげか 少し生き返った心地がした。
次の休み時間に飲み物を買って飲んだ。
その次の休み時間には早弁をした。
すっかり気分の悪さはなくなっていた3時間目終わりの休み時間に
「小川」
と呼ばれ、顔を上げたら 四、五人のクラスの男らが俺の机の周りにいる。少し空けて遠巻きに 何人か(女子もいた)、こっちを伺っている感じ。
「なんだ」
と言うと、一人が口を開いた。
「ウワサ、本当なのか?」
出た!ウワサ…。俺は頬杖をついて 視線をそらせた。
「ウワサとは?」
聞かないと 終わりそうにない。
「昨日も、一昨日も、裏山でモリヤと…!」
うわ…出た! ハイハイ 昨日も一昨日も 裏山でモリヤと喋ってましたよ。
俺が そっちを見もせずに黙っていると
「や、やりすぎて 精も根も尽き果てた…‼」
俺はちらっと そいつの顔を見た。真剣な顔。オイオイ。モリヤの色気がものすごくなってから、初めはおもしろがっていたのが マジになってきてるんだ。マジになるようなウワサじゃないだろうよ? 裏山で男2人が やりすぎるって何だよ? 精も根も尽き果てるほどって… バカバカしいにも程がある。
「そうなのか⁉」
「どうなんだよ⁉」
そうか。妬いてるのか。モリヤの俺への嫌がらせも、もしか こいつらがやられたとしたら、大喜びのメロメロなんだろうかな。あああ。だから代わってやりたいんだって。
「するわけない。」
きっぱり言っておく。今日のは おもしろがってんじゃないから 聞いてくれるかも。
「でも小川は フラフラじゃないか。」
「昨日2人で 裏山へ行ったんだろ?」
フラフラだけど。裏山へも行ったけど。
「変なことはしてない。」
あくまでキッパリ俺が言うと
「そうだよな。変なことではないんだろ。ステキなことなんだもんな。畜生!」
「なに⁉ ステキなこと⁉」
「小川‼」
ギャーッと悲鳴が上がる。
誰がステキだなんて言った⁉ バカヤロウ…! せっかく少し回復したのに。又ぐったりしそう…。
俺は便所へ逃げた。嫉妬に狂ったやつらを説得するなんて ムリ。便所から戻るとチャイムが鳴り、俺はホッとした。あああ 次は昼休みだ。もう… なんで俺が逃げ隠れしなくちゃいけないんだ。
あー腹が減った。よし。昼休みはパンを買って食う。その後、図書室だ! 逃げるんじゃない。源氏物語を、六条御息所を、読んでやろうじゃないか。…すごい。俺が図書室だって。天変地異の前触れか?? しかも、源氏物語だって。この俺が‼
チャイムがなると同時に 俺は教室を飛び出し、パンを買いに走った。5ツも買ってやった。ハハハ。貰った500円では足りん。体はすっかり回復だ。
中庭で みんなが出てくる前に、ペロリとパンを食ってしまう。そうして図書室へGOだ。
図書室にいるのは 古典の先生だった。俺を見て、少し驚いたような顔をした。そりゃそうだ。図書室なんて ほんと来ない。俺には無縁の世界だった。
独特の不思議な匂いがする。俺はウロウロして ようやく源氏物語のコーナーを探しあて、一番読みやすそうと思ったのを抜き取った。
隅の席に座って ページをめくってみたが …長い。長いし、"六条御息所"という文字を探して ページに視線をすべらせるけど、なかなか出てこない。やっと見つけて その部分を読もうとするけれど、現代文になっているものの やっぱり読みづらいし、だいたい 途中なのでわけが分からない。
うーん… と唸って本から目を上げると、古典の先生が傍に立っていた。
「小川くんが源氏物語とは珍しいね。」
「はあ…」
全くその通りです。
「読みあぐねているようだけど 何か知りたいのかな。」
当然の質問です。えーと…
「友人に、自分は六条御息所が好きだから 一度読んでみろと言われたので…。」
「ほう⁉」
驚いて、おもしろそうな顔をして、先生は言った。
「同級生? えらく渋いね。女子?」
「いえ 男子です。」
おやおや とか言いながら、先生はちょっと何か考え、本棚に近寄って本を抜き取り、俺の傍へ戻って来た。
「これの方が読みやすいよ。かなり短くまとめてあるし、光源氏の一人称で オレが…という語り口の口語体で書いてある。初心者にはおすすめ。」
美しい装丁の単行本だった。中にも絵がある。こんな絵は、湧井が好きかも。2、3行読んでみたが、確かに読みやすそう。文字がぎっしりでないし。
「六条御息所という章があるけれど、それより前から登場するから、やはり 最初から読むのがおすすめ。分かりやすいからね。」
「あ、ありがとうございます。」
こんなに親切に教えてくれるんだ。俺はちょっと感動した。でもいくら短いとはいえ、昼休み中に読み切るのはムリだろう。
「これ 借りられますか?」
俺が聞くと
「もちろん。」
と言って カードを書いてくれた。小学校の時と同じシステムだ。機械化してないところが 図書室ぽくていい。
「返却は一週間内。延長もできるからね。」
俺は 礼を言って図書室を出た。間もなく予鈴が鳴る。
今日の帰り、どうするかな…。終礼終わりで隣へ飛び込んで、湧井と水本をさらって とっとと帰るか。そしたらモリヤと帰らずにすむ。3日連続は 体がもたない。予鈴が鳴った。急ぎ足で廊下を歩いていると、ぐいと 腕をつかまれた。この力… ギョッとして振り向くと‥‥‥ やっぱりだ。モリヤ…。
「どこ行ってたの?」
歌うようなモリヤのセリフ。もういいかげん正気に戻ってくれ…。色気をこぼすな。ホラ 後ろから拾いに付いてきてるぞ…。
「おや? もしかして図書室行ってたの?」
俺の手につかまれた本を見て、モリヤが驚いてみせる。
「悪いか。」
「素敵だ。」
す~て~き~い? もう怖くて 変な顔でモリヤを見てしまう。しかめっ面のような 睨んでるような あやふやな…。
「六条御息所、読んでくれるんだね。やっぱり小川は ぼくのことが好きなの?」
俺はモリヤから目をそらせて 深く息をついた。
「手を、離せ。」
「ああ! ごめん! 又やってしまった。」
絶対分かってやってるのに モリヤは大げさにそう言って、そして クククと笑った。
「真っ昼間から 誘惑したりしないよ いやだな。」
ふう~っと 回りから羨みのため息がもれる。バカか! だから 代わってやるぞ! タッチしにきやがれ。ごめんと言いながら、モリヤは手を離さない。
「今日も一緒に帰ろうよ。」
ああ 逃げ切れたと思ったのに。捕まえにまでくるとは予想外だった。
「嫌だなあ。」
一応言ってみる。
「そうかァ。どうせ明日は雨だから 水本と過ごせるんだけど、まあいいか。では今日も水本を誘うよ。」
俺の腕をつかんだままの、モリヤの顔を見た。‥‥これは 本気だ…。昨日は 俺が一緒に帰ると言うのを見越しての発言のように見えたが、なんか今日は違う。ほんとは 水本といたいんだもの どうぞ断ってという、心の底の本心が 出てきてしまっている。
だめじゃないか! 昨日 あんなに俺をぐったりさせておいて マシになってないじゃないか!
「モリヤ」
「うん?」
色気も収まってない! うそつき‼
「俺と帰ってくれ。」
「あらら。小川ったら 又妬いたりして。ハハハ OK。では今日も 暗くなるまで一緒に過ごそう。」
ああ 声のないざわめきが聞こえる。周り中には こう聞こえているんだろうというのが分かる。"では今日も 暗くなるまでやりまくろう‥‥" もう、どう思われてもいいけど。ただ 暗くなるまで、実際一緒にいるのは 本当にイヤ。まじ、しんどすぎる。せっかく やっと回復したのに。
5、6時間目は、現国と日本史。これも いつもなら眠い授業なのに。ちっとも眠くならない。かと言って、全てが頭に入ってきてるわけでも もちろんない。モリヤが指されるとビクッとしてしまうし。
ああ 長引け! 授業! チャイム鳴っても、続けてくれないかな。
もちろん そんなわけもなし。流れるように 終わっていく。終礼まで一直線。
連絡事項が少し長引いた。よし! なんでもいい 暗くなるまでの時間、モリヤと2人で過ごす時間を、どうぞ少しでも減らしてくれ。前からまわってきた学級通信を わざとゆっくり後ろにまわしたりして‥‥ 悪あがき‥ ほとんど何の意味もナイ。
そして 終礼。部活なんかに急ぐやつらが、ガタガタ音を立てて教室を出てゆく。俺は 椅子に座ってボンヤリしてしまう。
と、異様なざわめきが教室内に起こった。又 モリヤが何か行動をおこしたか? と思ってモリヤの方を見やると─────
「わ‥‥」
くい…と 水本…‼
モリヤの机の所まで、2人は直進してきて止まった。俺は跳ね上がり、ダッシュ‼
「モリヤ」
と水本が口を開くのと
「水本!」
と俺が呼ぶのとは同時だった。水本が俺を見る。湧井も俺を見ている。そして湧井は
「小川くん、昨日と一昨日と、モリヤと2人で帰ったの?」
と聞いてきた。
「…ああ。帰ったよ。」
と俺は答える。湧井は 俺を睨んだ。
「え⁉ ほんとにそうなの?」
水本は単純に驚いて、モリヤを見た。モリヤはにっこり笑って 水本を見ている。うっとりと、いとおしそうに…。
「今日は一緒に帰ろう。」
と湧井が俺に言った。
「…いや、今日は…」
俺はモリヤを見た。水本が びっくりまなこ。
「え⁉ 今日も2人で帰る約束してるの?」
モリヤは嬉しそうに水本を見ている。
「みんなで帰ったらいいじゃない。ね⁉」
湧井が俺に言う。
「…いや。ちょっとモリヤに こ、個人的な話があって…。」
「個人的な話って何?」
湧井が恐い顔で聞く。まあ、聞くよな。うん。自分で思うもんな。なんだよ個人的な話って。
「ああ、ちょっと、な。大勢でするような話ではないので。」
「大事な話?」
と、これは水本。目を丸くして聞いてくる。
「昨日も一昨日も、大事な話してた? ‥‥どんな?」
「‥‥‥」
2人が来てしまうという展開を、予想していなかった。来てもおかしくないのに。昨日は2人の顔も見てないんだから…。
ふふふっ と不意にモリヤが笑った。驚いてモリヤの顔を見る。色っぽい、色っぽい笑い顔…。
「やだなァ水本。大勢でする話じゃないって、小川が言っただろう? つまり、ナイショの話だよ。これ以上は聞かないでね。」
うわ‥‥ それ、攻撃だろ。モリヤ、攻撃せずに納めてくれよ…。
「な、ないしょの話…? 小川くんとモリヤと?」
モリヤは 色気たっぷりに、にっこりと頷いた。水本は 驚いた目で俺を見た。俺は口を一文字に結んで、水本を見返した。
「へーえ?」
明るい声で、湧井が言った。俺はドキンとしてしまう。
「ショック! 2人は私と水本に言えない秘密を共有してるらしいよ!」
ちょっと笑って 水本を見る。水本も湧井を見て、こちらは笑わずに
「い、言えない秘密…なんだ…?」
「って 言ってるよ。やーね! よしっ じゃあ私たちも2人だけの秘密を作ろう! 行こ 水本。」
「ええ? ええと… みんなで帰らない…の?」
「だから2人は 秘密の会合するんだって! 帰ろう。」
そう言って 水本の腕を取った。わ、湧井… 危ないって…。俺は思わずモリヤを見た。モリヤは艶然と、微笑んでいた。湧井は水本を引っぱって歩き出し、俺の前を通る時、ちらっと俺を見た。
「大丈夫?」
ごく小声でそう言った。もちろん俺は頷く。湧井はそのまま、さあさあ と水本を引っぱって、教室を出ていってしまった。
俺が 茫然と2人の姿を見送っていると
「ふーん。」
とモリヤが言った。そして、教室にまだいる連中は 大騒ぎしていた。
「2人だけの秘密を作るんだって。小川」
俺はギョッとして モリヤを振り向く。
「アレはポイント高いよ?」
ポイント‼ うわあ… 嫌がらせがなくとも おそろしいモリヤとの時間。これでポイントを付けられては…
「でも まあ、ぼくの方から挑発したことではあるし、5ぐらいに抑えておいてやるよ。」
5⁉ 抑えて5⁉ だいたい、どんな規準だよ…? しかし耐えなくては。とにかく、湧井と水本は逃げ切れたんだから。─────‥‥取り合えず 今日は…。
「さあ ぼくたちも行こうか。あの2人に言えない秘密の話をしに。」
モリヤが立ち上がった。教室内のざわめきが止まる。色気がすごすぎる時、ざわめきさえも止まるということを、俺はもう発見している。モリヤは一瞬、誘うような流し目を俺にくれて そして歩き出した。…すでに ぐったりした心地で、俺も後に続く。俺たちが教室を出た途端、教室内で ぶわっと歓声が上がった。爆発するように‥‥。
もう何も言わず、モリヤは とっとと裏山に上がっていく。俺の方は、心を必死に保たなければ モリヤを追っていけない。油断すると 足が止まってしまう。帰りたくて…。
公園内は 相変わらずシンとしている。時々鳥の声がするぐらいのもので、後は何の物音もしない。この公園、俺たち以外に利用者がいるんだろうか。そりゃ外灯も暗くもなるわな、と思う。明るくする必要がないんだから。
もう定位置みたいにベンチに座って、俺はボンヤリしてしまっていた。ボンヤリできる自分に驚く。何この自分? 怖くてたまらないくせに ただボンヤリ。心が逃げてしまってんのか? 現実逃避?
「あの2人と一緒に帰りたかったなー。」
ドキン!として 俺は隣を振り向いた。モリヤは空を見ていたが、にっこりこっちを振り返った。
「…って、思ってるんだろ?」
シュワーッと モリヤから、色気があふれ出ている。
「なのに小川は 2人の誘いを断って、ぼくと来るんだね。」
ふふふとモリヤが笑う。香る。モリヤの匂い。
「モリヤこそ‼」
色香を振り払うように、俺は言った。言ってしまって、ハッとした。すごいな、と思って。俺は じっとモリヤを見てしまった。
だって あんなにうっとり水本を見ていたのに。水本が教室に来た時、嬉しくてたまらない顔をしていたのに。水本が怯んでしまうようなことを 言い放って帰らせるなんて。色っぽく笑っているモリヤを 俺はじろじろ見てしまう。
「そうだよ。」
笑いながらモリヤが言う。
「水本と帰りたかったなあ。水本と話したかったなあ。せっかく誘いに来てくれたのに。」
ほら、そうだろ? そりゃそうだよ…。今日も高揚しまくってんのに なんで?
「な、なんで 一緒に帰らなかったんだ?」
モリヤは ハッとしたように目を見開いて、おもしろそうに俺を見た。
「小川と約束してたから。」
クラっとしそうになった。うそに決まってんのに。
「うそつけ。」
もう必死で俺は言う。口に出して言っとかないと。色香にまかれてしまいそうだから。
「アハハ。小川のおかげで自制がきいたんだよ。どうもありがとう。」
「ええ⁉」
「それは なんのびっくり?」
「きいてんのか? 自制⁉」
ククッと笑いをもらしたかと思ったら、ワハハハハッとモリヤは大声で笑った。
「自制きいてなくて 水本を湧井サンと帰らせると思う? ぼくを誘いに来てくれてるんだよ? 水本の好きな匂いもしない このぼくを! わざわざ!」
ぶわっと 匂いが吹き出た気がした。そんなことあるわけないのに。まるでモリヤの高揚が 匂いを撒き散らしてるかのよう。
「はっきり言って 昨日来られてたら、水本と帰ったかもしれない。一昨日は論外。」
論外⁉ 俺は茫然とモリヤを見る。うそだろ⁉ これで 自制きいてんのか? 昨日よりも マシだってのか? だいたい マシって何? なにが?? 色気はマシとも思えんぞ? 高揚も‥‥。
俺は色気のあふれ出るモリヤから 目を離せずにいた。
「ほんとに危なかった。ふふふ。今日で良かった。小川が約束してくれてて助かった。」
モリヤは俺をじっと見て
「コトバが助けになるとは 知らなかった。」
と笑った。ご機嫌にもほどがある。水本と帰れなかったというのに。すごい ハイ状態。
「なんの助け…?」
「外に出す助け。」
「何を?」
モリヤは笑っている。色気をあふれさせて。
一昨日は論外…。もしも もしも一昨日、水本と帰ってたら 一体どうなってたというんだ? 誘いに来てたよな? 湧井が止めなければ 一緒に帰っていたよな? いや… 帰るってだけ…? 今日は断れたけど、昨日は断れなかったかも。そして一昨日は 一緒に帰っていた。うん。誘いに来たんだもんな? そうだろうよ。そ、そういう意味か…? 一緒に帰る帰らないっていう… ああ 超希望的観測…。そんなわけない。だって 一緒に帰るだけなら、自制する必要なんてない。帰ったら その先にいってしまうから、帰る時点で自制するんだ。‥‥‥。
「でもねえ」
ふふふと笑ってモリヤが言った。
「とっても がんばってはいるんだけど、未だにコレ。」
「え?」
「この状態。どうしようねえ 小川?」
ええ?? 何を??
「明日は雨が降ってしまう。」
雨…。水本が モリヤの家に行く。
すごい匂いが立ち込めた。とてつもなく いい匂い。くー。絡めとられるもんか。がんばれ俺。
「く、来るなと 水本に言ったら? 今回は中止、と。」
ふ、と 笑いを止めて モリヤが俺を見つめた。
うわ~。うん、よし! 俺、自分を褒めてよし! もう絶対 他のやつなら、いかれてるって。どうにかなってしまってるって。俺 エライぞ‼
「なるほどね。」
そう言ったモリヤは ものすごくうっとりした目で俺を見た。もちろん俺にうっとりしているわけではない。水本のことを考えているのだ。けれども 色気があふれ出ている凄まじさに変わりはない。
「そうしたら水本は 又泣くかな。約束を反故にするってことだもの。前回と同じ。泣くかな。泣くと思う?」
俺に聞いているわけでもない。歌うように 言葉を楽しんでいる。そんなことで泣くかどうかは 俺には分からない。ただ ものすごくガッカリはするんだろう。なぜと分からなければ、ショックを受けもするだろう。急にどうしてと。
ああ いい匂いが充満。何これ。外なのに。
「ただねえ小川」
なんだよ と言ったつもりが、声が出ていない。いよいよやばい。しっかりするんだ俺‼
「ぼくが水本に来るなと 言えるかどうかが問題。とりあえず 現時点では無理。言えない。絶対言わない。」
ああダメだ‥‥。本当にどうすればいいんだろう。このモリヤの状態を いつもの状態に、どうすれば戻すことができるんだろう…。
「モ、モリヤ…」
「うん?」
「内にたまっている たくさん出した方がいいものを出すには、どうすればいいんだ。」
「おや。」
とモリヤは目をみはって、そして艶に 笑った。
「こうしていればいい。小川とこうしていると たくさん出る。」
「出ているのか? 今?? そ、それを出してしまったら、出し切ったら、モリヤは いつものモリヤに戻るのか?」
「まあ 簡単に言えばそう。」
「まだまだ残ってんのか? 後どれくらい??」
「さあねえ」
楽しそうにモリヤが言う。俺は必死。
「もう なくなりそうとか 分からないのか?」
「なくなりそうってなったら それは分かるけど、後どれくらいかっていうのは分からないな。見えるもんじゃなし 量れるものでもないしね。」
見えるも量れるも それは何かってことすら、俺には分かってやしない。でも
「もっと… もっと大量に、一気に出してしまえないのか? そんな方法は何か…」
「さあ? やったことないから分からない。小川と喋ると出やすいということに気付いたのも つい最近だし。」
「喋るといいのか? 喋るほどいいのか?」
「さあそれも どうなんだかねえ。」
「分からないのか⁉」
ぎゃっと声が出そうになった。モリヤが俺の手を握ってきた。そうだった…‼ ポイント5だ‼
「そんなに興奮しないで。小川が興奮したって なんにも出ない。」
やめろ。近付いてくるな‼
モリヤは この状況が本当に分かっているのか? 異常な色気が出てるんだぞ‼ 近付いたりしたら どうなるか分からないじゃないか‼
「あれ? ふるえてるの?」
うわ… 屈辱…
俺は思いっきりモリヤを睨んだ。きくわけないけど。案の定モリヤは笑っている。そして
「ねえ小川 ひとつ聞くけれど」
「なんだよっ⁉」
「キライな相手にも、性的魅力を感じるものなの?」
「?‼」
なんの質問⁉ モリヤは俺にすり寄ってくる。すごい匂いが強くなる。
「小川以外のやつはさ、ぼくのことをキライではないんだよ多分。好きでもないけど。ハハハ。」
何笑ってんだよ⁉
「その上で 性的魅力を感じたら、ぼくが近付くと嬉しいわけだろ。」
当然だろ? 当たり前のことを聞くんじゃない‼ そして離れろ‼
「小川が ぼくに性的魅力を感じているのに、近付くと嫌がるのは ぼくのことがキライだからなのかな?」
俺は目を見開いて モリヤを凝視。動けない。声も出ない。
「ぼくには どうもよく分からなくて。」
キライな相手に性的魅力──── 俺は‥‥ 俺はモリヤが 嫌いなのか…?
「性的魅力を感じると 触りたいよね。キライだと、触りたくもないよね。とても相反する感情だけど、それって両立するの?」
「‥‥‥」
「ちなみに ぼくが小川に触るのは、性的魅力を感じているからじゃなくて 嫌がらせだけどね。」
ハハハ だって。分かってるよ‼
モリヤは俺にもたれてきている。離れてくれない。嫌がらせ続行中。
「水本は 明日雨が降るの、知ってるかなァ…。"今日は泊まってくる"って 家の人に言ってきてくれないかなァ…。ねえ?」
ど 同意を求めるな! 俺は同意しない! そんなこと言って モリヤの家に行ったら、泊まってしまうじゃないか! 言うなよ、水本!
本当は 今ここで、明日俺もモリヤの家に行かせてくれと 交渉しておくべきなんだろうが、今そんな交渉をして うまくいく自信がまるでない。皆無‼ 明日 勢いで水本に付いていって、頼み込むしかない。
ああいやだ。とてつもなく自信がない。自信がないし それに怖い。きっと怖いから余計に説得に力が入らない。だって モリヤの家に入りたくないんだから。
「水本がね」
モリヤが 俺にもたれた体勢のまま喋る。俺はもう ドキドキしてしまって、頭がしっかり働かない。
「モリヤは家にいる時 何してるのって聞くんだ。」
‥‥それは 聞くだろう。モリヤの私生活はナゾだからな。
「特に何もと答えたら 考えごととか?と、聞いてきたよ。考えごとだって。水本はぼくをなんだと思っているんだろう。ひどく誤解しているような気がして さすがに不安になるよ。」
不安そうじゃないなァ。嬉しそうだなァ。
俺の手を握って 俺にもたれて そんな話をしている。これ、人に見られたらヤバいなァ…。もう ウワサじゃなく、真実じゃないか。あやしすぎる。誰が 今の俺らを見て、ただのクラスメイトと思うだろう。思うわけがない。あやしくもラブラブの恋人同志だ。自分でそう思っておいて、ガーンと音がするような気がした。離れたい。逃げたい。帰りたい‥‼
「暑いの?」
モリヤが ひっついたまま言う。暑いに決まってる‼ ただでさえ暑いのに こんなくっついていたら‼ わけの分からんドキドキも加わって 俺は汗だくになっていた。
「暑い‼ 離れてくれ! 汗が付くぞ!」
もう必死。
モリヤは 手は握ったまま、ふいと体を離した。
「ほんとだ。びしょびしょだね。雨に降られたようだよ。そんなに暑かった?」
「て、手も汗だらけだ。離せよ。」
モリヤは 握ったまま俺の手をじっと見た。
「へえ。ほんとだね。触れてるだけで こんなに汗が出るんだ?」
そう言うモリヤは 汗をかいていないように見えた。
「そうか。悪かったね。汗を拭いてやろう。」
と言って手を離し、ハンカチをとり出した。ああ新手の嫌がらせ…。俺は シャツやズボンで、手の汗を拭いた。ほんとに必死。絶対モリヤに拭かれたくない。
「あらあら。湧井サンに 不潔って嫌われるぞ。」
なんて笑って言う。うるさい。
「そういえば水本がね。」
ようやくモリヤから体を離すことができて ほっとした俺にモリヤが言う。
「ぼくの匂いが変わったのに気付いた時、家に誰か来てるのかと聞いてきたよ。」
「うん? …どういう意味?」
モリヤはクスクスと笑った。クスクスに合わせて匂いが舞う。
「ね? 意味が分からないだろう? どうしてって聞いたら、残り香かって。」
クックックッとモリヤは笑う。合わせて匂いが舞い上がる。
「のこりが‥‥」
「なんか すごい発想だと思ったけれど、風流と言えないこともないね。」
「風流?」
「そう。それこそ 源氏物語の世界だよ。着物にお香を焚き染めて 恋人や愛人のもとへ通う。その人が帰っても、その人の香りが残る。ね? 風流だろう?」
「‥‥‥」
会話が浮き世離れしている。夫が帰って来た時に違う女の香水の匂いがしてて浮気がバレる、みたいな 下世話な話ではないんだな。お香を焚き染める だって。源氏物語だって。発想が高校生男子とも思えない。やっぱりモリヤはかなり変わっている。
「昔は 夜あんまり暗くて、恋人の顔もよく見えなかったらしいね。ケド 匂いで、ああ あの人だって分かるんだよ。」
ふーん。夜の ここからの帰り道ぐらい、暗いんだろうか。あれほど暗ければ、顔はよく見えない。俺は… 恋人の顔もよく見えないなんて 嫌だなあ。俺は風流とは 縁遠い。
────水本は… モリヤの匂いが死ぬほど好きだ。もしかして… 顔が見えなくても 匂いがすればいいんだろうか。水本だったら もしかして‥‥
「ロマンチックだなあ。」
ため息のように言ったのは モリヤ。色っぽい吐息のような言葉。
「ねえ小川。」
俺が何がと聞く前に モリヤが俺を呼ぶ。
「キャンプのテントの中って暗い?」
「え」
「山ん中とか 海辺とか 外だよね? 夜になると暗い? 寝る時は 灯りを消すだろ?」
‥‥‥何? 何聞いてんの?
「もしもテントが暗いなら、やっぱりキャンプ、泊まりがいいなあ。水本と2人テント。」
ザッと 音がしたような気がした。何? 風? …いや… 匂い…? モリヤの匂いが 風みたいに押し寄せる。
「水本が 先にテントで寝てるんだ。灯りを消して。」
匂いの風が‥‥ 俺は モリヤを凝視。動けもせず 匂いの風を受けながら、ただただ凝視…。
「そのテントへ ぼくが忍び入る。水本には、見えなくても すぐにぼくだと分かるんだ…。」
とろけそうにうっとり…。おそろしい色気の匂いが 俺にふいてくる…。怖くて泣きそう…。湧井の気持ちが分かってしまった。改めて決意。絶対、キャンプで泊まらない───‼
俺は そのまま口がきけず、モリヤは超うっとりの妄想タイム…。
─────気が付くと 汗ぐっしょり。そして 日はとっぷりと暮れていた。もう… 怖いよ。何この 目を開けたまま気絶していたような感覚‥‥。
もう、ずうっと匂いが立ち込めている。まるで ここら中に花が、香りの強い花が 咲いているよう…。モリヤの花。ウツボカズラの花‥‥。
「おや、いつの間にか 日が落ちている。」
モリヤが たった今気付いたような声で言った。
「あはは。小川、帰ろうって言わなかったね。どうして?」
固まってしまってたんだよ! もう… こんなの初めてだ… 怖すぎる体験…。
「ねえ、小川は ぼくの高揚や色気が、なくなってほしいんだろう?」
「…あ、ああ。」
なんか久しぶりに声を出した感覚… そんなことないのに…。
「じゃあ 今日はもう少し、付き合って。」
「‥‥え…」
まだ⁉ まだなんかあるのか?? 汗がどっと出た。モリヤがスイと立ち上がった。モリヤの体から 滝のように匂いが流れ落ちてくる気がする。そんなわけない。そんなわけないのに。
モリヤはもう 確認をとることもせず、黙って俺の手をとった。びくっとなってる俺を、ぐいと引いて立たせる。
「さあこっち。」
そう言って モリヤが俺の手を引っぱる。なんか足も体もガチガチ。おんなじ体勢で 固まってたからだ。モリヤに 引っぱられるまま、ヨロヨロと付いていく。曇っているからだろう、星もない。いつにもまして暗い。しかも───
「モ、モリヤ、どこへ‥‥」
山を下りず モリヤはいつもと逆に、上に登る道をとっている。く‥‥ら‥‥ まだ… まだ下りる方向には、先に光があるのが分かる。でも 上は… 何もない。何も。ただ闇だ。
「モ…」
何かに引っ掛かってつまずいた。転ぶかと思った。でも‥‥ 抱きとめられた───モリヤに‥‥ 転ぶより怖いかも。ザッと血が顔に集まるのを感じた。こんな暗闇で 抱き合うような体勢‥‥ すごい匂い。今までで一番強い。だって 俺の鼻のすぐ下にモリヤの肩。この匂いはどこから‥‥ 気が遠くなりそうに強い、いい匂い‥‥
「ラブシーンみたいだね。」
モリヤの声で 俺は我に返る。腕を突っ張ってモリヤの体を離す。うふふとモリヤは笑っている。でも表情さえ見えない。暗くて…。輪郭が見えるか見えないかという、すごい暗さ。お化け屋敷でも ここまで暗くない。でもすごい。この暗い中、モリヤは正確に 再び俺の手を握った。
「行くよ。」
と言って歩き出す。ボンヤリしていられない。又つまずいたら なんか終わりな気がする。何が終わりなのか分からないが。俺は すり足みたいにして、必死で歩いた。モリヤは何の躊躇もなく進む。ほんとに見えてるようだ。おそろしい視力。
モリヤの匂いが絶え間なくしている。もう鼻に付いてしまってるんじゃないかというぐらい 離れない。薄まらない。
どれくらい進んだころか、匂いが変わった‥‥ イヤ、足された? 加わった…? 何か別の もっと甘い、甘い香りが満ちた‥‥。
「ああ、やっぱり。すごい。」
とモリヤが言う。何が? 匂いが?
「小川、見えないかなあ。」
「見えん。」
何も見えん。モリヤは 握ってる俺の手を握り直して、手首を持った。そのまま 少し下の方へ持っていく。ひんやりするものが手に当たる。
「…何? 花?」
「そう。すごいよ。群生している。」
「何の花?」
全く見えないのだ。
「クチナシ。」
くちなし… イメージできない。聞いたことはあるが、どんな花か記憶はない。
「白い花だよ。三大芳香木。」
何? ほうこうぼく??
「なんで こんな人の来ない所に植わってるんだろう。見たことないくらいの すごい群生だよ。」
「そ、そうなのか…?」
見えないから。けど確かに 匂いがすごい。モリヤの匂いより甘い。ものすごく甘い香り。
「日のある内に来ればよかった。」
思わず ポツンと言ってしまった。そんなすごい群生、見たかった。
「ああ! ほんとだね。気が付かなくて。悪かったね。」
モリヤからも ふわっと香りが立つ。モリヤの匂い。とてもいい匂い。そして 周りからは、クチナシの匂い。悪かったね、だって。別に悪くないのに。匂いを嗅げただけでも 良かったと思ってしまう。それぐらい すごい匂い。
「みず‥‥」
「うん?」
とモリヤ。
「‥‥‥」
「何?」
‥‥水本が来たら喜ぶだろうと 言いかけてしまった。そんなこと、言ってはいけない。じゃあ今度一緒に来ようと、モリヤは言うに決まっている。もちろん2人きりで。もちろん夜に。そんな怖いこと、させられない。
「なんでもない。」
と俺は言ったが モリヤはちょっと笑った。又モリヤの匂いが立つ。
静かだ。見えない分、他の感覚が 鋭くなるよう。遠くで 風が揺らす木の葉の音が聞こえる。そして この匂い。これは 感覚が鋭くなくてもすごい。
「あ‼」
一瞬、ぼんやり周りが見えた。─────すごい‼ ほんとに花が… 白い花が 周り中にすごい数‥‥‼
でも一瞬で かき消えてしまった。また闇。
「雲が流れたんだね。」
モリヤが言った。ああ、一瞬 月が出たのか…。
‥‥あれ? 俺は モリヤの方を見た。もちろん見えないのだが。なんか、声が 落ち着いて聞こえた。
ギュッと手を握られた。危うく ぎゃっと声を出しそうになってしまう。こらえたぞ! くそ‼
「小川と一緒にクチナシの花畑を見たと 水本に言っていい?」
俺は 握られた手を、力を込めて握り返す。
「言うな‼」
「どうして?」
落ち着いた声に聞こえたの、気のせいか。
「水本が妬くからだ。俺は水本に恨まれたくない。」
モリヤの方から、ぶわっと匂いが押し寄せた。何これ‥‥ 匂いがきつすぎて 酔いそう。俺は 何も見えない中、ギュッと目をつぶった。きつい匂いにやられてしまわないように。
モリヤが ふいと俺の手を引っぱった。
「帰ろう。」
─────…落ち着いた声だった。
気のせいか、足どりも落ち着いているように思える。手の引き方も…。
それでも俺は、やっぱり必死で歩かなければならない。ほぼ見えないから。見えないことは、怖すぎる。何度も ひやっとした。下りるまでの距離が長い。もう二度と モリヤに抱きとめられたくない。
やっと灯りのあるところにたどり着いた時、又もや俺は汗だく。シャツなんか 絞れそう。放課後からこっちで俺、確実に痩せてると思う。
モリヤはここで ようやく手を離し、俺を見てにっこりした。ああ 嬉しい灯り。にっこりの表情も目で見える。良かった。脱力…。
もう、ハアハアいいながら ようやっと別れ道にたどり着いた。モリヤが立ち止まる。俺も立ち止まった。ここから家まで歩いて帰るのも嫌になるほど ぐったりしていた。しばらくモリヤは 立ち止まったまま俺を見ていた。
「‥‥‥なんだ?」
ぐったりして 口をきくのもイヤ。なんとかそれだけ言うと モリヤは
「小川」
と言った。そして
「ありがとう。」
え‥‥?
「じゃあね。」
と言ってモリヤは、外灯の少ない道を歩いて行った。振り返らずに。
ありがとう? 何が? 何のお礼?
俺はわけが分からず、しばらく茫然と モリヤの後ろ姿を見送っていた。
ザアッと風が吹いて 薄くモリヤの匂いがした気がした。気のせいかもしれない。だってモリヤはもういない。でもやっぱり 俺の鼻に付いてるのかな。モリヤの匂いがしている気がする。
俺はなんとか気力をふりしぼり、自分の家の方向に向かって歩き出した。
とにかく 帰らなければ。
次回は、小川くんがいよいよ。




