VS in紫陽花公園 (小川くん側 その2)
モリヤと歩くと野次馬がすごい。まじに、やかましい。隣の教室を出てから、まだ何人かヤイヤイ言いながらついてくる。「小川ー、水本はどうすんだー?」とか「モリヤ、いいのか? 又小川にやられるぞ」とか。ほんとにヒマなやつら。絶対彼女いないな。こんなことしてるから できないんだぞ。
「又 人気のない所がいいの?」
モリヤがちらりと俺の顔を見て言った。
「その方がいい。」
一言 言葉を交わしただけで、野次馬どもはギャーッと大騒ぎ。‥‥‥まあ、分からんでもない。モリヤの "ちらり" が色っぽいのだ。ほんとに、なんなんだこいつは。
藤棚に行こうとしたが、先客があった。あの一件以来、名所になってしまったようだ。もう人気のない場所ではなくなってしまった。
「…学校の外でもいい?」
モリヤが言う。いかん この段階でクラクラしていては。
「かまわない。」
冷静に努める。
俺たちが門へ向かうと カバンを持ってなかった野次馬どもは、ようやくついてくるのを諦めた。立ち止まって、ひとしきりギャーギャー言ってから。
モリヤについて行くと、学校の裏側に歩いていった。裏山になっている。よく こんな道を知ってるな、というような裏山への登り道をとって モリヤは少し登って行った。俺も後に続く。
ほんの小さな公園に出た。公園といっても、ほぼ何もない。低い鉄棒が "公園" と呼ばせているようなもんで。あと木のベンチ。ベンチの横に、盛大にアジサイが咲いていた。又 花の美しい所だ。今年初めてアジサイを見た。まだ他の所で咲いているのを見ていない。大きな 見事な花だった。美しい紫色。モリヤはどうして こんな所を知っているんだろう。
────小川は花にみとれるんだ?
前回モリヤと話した時、モリヤがそう言った。そう言えば、普段花にみとれることなんて ないな。なのに、今日もみとれてしまった。
ハッとして 俺は隣を見た。ベンチに並んで腰かけているモリヤが じっと俺の顔を見ていた。俺と目が合うと にっこりした。しまった。又人気のない場所を指定してしまった。けど、水本とのことを話すのに 人のいる所では、ちゃんと話せない。やむを得ない。
大丈夫。俺がしっかりしてれば すむことだ。
「水本とピクニックへ行くんだって?」
モリヤは少し目を見開いて、後、嬉しそうに にっこりした。
「そう。水本が行きたいと言うから。」
「…絶対行く と断言してた。」
クスクスとモリヤが笑った。
「どうして断言? ああ、小川が行くなって言ったの。」
「いや まだ言ってない。今日の話次第と言っておいた。」
モリヤは口元に笑みをうかべたまま
「今日の話。何かな。水本が昨日、どんなに可愛かったかを聞きたい?」
うわ‥‥。いきなり攻撃的。しかし好奇心も頭をもたげる。いかんいかん。今日はそんなことを聞きにきたんではないのだ。
「そうじゃない。」
俺は わざと恐い顔をつくっている。自分のために。今日は負けるわけには いかないのだ。
「では なんだろう。…昨日水本は寝なかったし、倒れなかったよ。」
それは 良かったんだ。本当に。しかし。
「それ、キスマークじゃないんだろ?」
俺は、ちらりと見えている、モリヤの鎖骨辺りのアザを指して言った。モリヤは笑いをうかべている。
「キスマークって何なの? 口でつけたアザはキスマークと言うの? そういう定義なら、これはキスマークだよ。」
…この話題は あまりしたくないな。すでにドキドキしてきた。しかし、今日は避けては通れない。
「違うだろ。キスしてついたアザがキスマークだ。それは、単にぶつかったアザだろ。」
ふふふとモリヤが笑う。
「じゃあ キスマークじゃない。それが何?」
‥‥ あー クラクラする。色っぽいその顔で、その口で、"キスマーク" を連呼するな!
「…なんで、キスもしてないのに そんなとこに口がぶつかるんだ。」
「水本が転んでぼくの上に倒れてきたからだよ。」
「だから その状況が想像できない。ぼくの上って何。寝転んでる上に倒れてきたってこと?」
ふうっと モリヤが笑顔で大きなため息をついた。
「小川はいつもそうなの?」
「? そうって何。」
「友人が自分以外と遊んだら いちいち、逐一 何をしてたか 何があったか 調書をとるの。」
調書? なんだか嫌な言い方だな。
「そういうわけではない。」
「状況から何から全て説明していたら いくら時間があっても足りない。泊まりに来るかい? ぼくの家に。一晩中かけて事細かに話してあげようか?」
絶対。絶対行くと言わないのを分かっていて、そんな言い方をしてくる。人が悪い。意地が悪い。
「俺は水本のプライベートを、全て何もかも知りたいってんじゃない。聞きたいのは、どうして水本がキズだらけになってるかってことだ。」
「キズたらけ… って 手首のアザのこと?」
「そうだ。プラス、口のキズだ。あの口を見たら そりゃ普通にキスマークだとは思いやしないよ。」
「キズ⁉」
俺は驚いた。モリヤが、本当に一瞬 恐い顔をした。
「水本の口にキズがあったのか?」
「マスクをしていたろう。あの下は えらく腫れていた。」
「なんで言わない!」
これは 俺に言ったというより、水本に言ったようだった。
「水本は言わないでと 必死で俺にたのんでいたよ。口のキズも手首のアザも、モリヤに言ってくれるなと。モリヤのせいじゃない むしろモリヤが被害者だ、なんてね。」
「‥‥手首のアザも、ひどかったの?」
「アザがあることは 知ってたんだ?」
「小川はウワサを聞いてないの?」
「アザがウワサになってんのか?」
「水本はモリヤに手首を縛られて‥‥ってやつ。」
「‼」
「手首ってところが気になって。アザになってるって思ってなかった。ひどかったんだ? そんなに…」
「‥‥‥」
俺はギュッと目をつぶって ため息をついた。開けて
「とても、つかんで付いたアザとは思えないほどのね。でも水本がウソをついてるとは思えない。どう、つかんだら、あんなアザになるんだ?」
「───ああ、そう。それを聞きたいんだね‥‥。小川は、ぼくが水本に乱暴をはたらいていると思っているのかな。」
乱暴… ああ… やはりこうなったか。俺もだんだん信用をなくしていきそうだな。悪い水本。許せよ。
「違うのか?」
モリヤは俺から目をそらした。向こうを向いて言った。
「やっぱり テープをはがして見ればよかった。湧井サンをたててしまった。」
「なに⁉」
「───もちろん、わざと傷付けたのではないよ。結果、乱暴したことになったことは認めるよ。傷が 今日に残るほどとは、正直思っていなかった。ぼくが甘かったよ。水本が何も言わないのをうのみにしてしまうなんてね‥。」
「‥‥‥その時は痛くなかったみたいに言ってた…。痛かったのかどうかすら、覚えてもいないらしい。一体、どういう状況なのか、説明してくれるんだろう?」
「そりゃ してもいいけどね。」
なんだか 少し上の空みたいにモリヤは言った。
「じゃあしてくれよ。」
ここはしっかり言わないと。俺はじっとモリヤの横顔を見ていた。モリヤはしばらく そのまま黙っていたが、やがて ポツンと言った。
「昨日も 水本は本当にかわいくてね。」
「え?」
だから そんなこと聞いてるんじゃないんだが。
「ちょっと、もうどうしようっていうくらい。心を抑えるのに必死。まさに自分とのたたかい。」
ええ??
「小川には分かるかなあ。」
そう言ってモリヤは 俺を見た。
「人の心をわしづかみにとらえておいて、そのくせ 人の気も知らず 可愛らしい言動や仕草のあれこれで 心臓ごと、激しく揺さぶってくる。なんとか 耐えて耐えて、がんばっていたんだ これで。なのに。」
モリヤは 怖いほどの色っぽい目で、俺をじいっと見た。
「なっ なのに??」
おじけづいてしまう。なのになんだってんだ。
「水本はいきなり ぼくの方へ寄ってきて こう、手をのばした。」
モリヤは俺に手をのばし、肩をつかんだ。
「そうして こう。」
言いながら 顔を、首の辺りに近よせた。
「‼ っなにすんだ‼」
俺はモリヤを突き飛ばした。でもモリヤは まるで予測していたように 軽く身を引いて受け流した。
「ぼくも 小川と同じ反応をしたよ。」
「なに⁉」
プチパニック。心臓が早鐘を打つ。
「水本を振り払った。」
「…え…」
「そして もう帰ってくれと言って、家から追い出した。」
「…ええ⁉」
ちょ、ちょっと なにそれ‥‥
「どういうことだよ? そ‥‥ ええ?? み、水本がモリヤにせまったってこと…なのか??」
モリヤは声を立てずに 艶に笑った。
「水本がそんなこと すると思うの?」
「え‥でも 今の…」
「水本は ぼくの匂いが好きなんだ。」
「そ、それは知ってるが…?」
「その時 まだぼくの匂いが戻っていなくてね。水本はそれを… ほんとにまだ匂いが戻っていないかを、確かめたかったらしい。で、近付いたんだよ。でも」
モリヤはそこで ふうっと息を吐いた。
「でも そんなこと されてごらんよ、ねえ?」
ねえって言われても… 頭がおかしくなりそう…
「そ、それで、追い出して… それで…? 水本は帰ったのか? キズはいつ付くんだよ?」
モリヤは まあ待てと手で俺を制して、
「堪えられなくて 帰れと言うと、水本はすごく謝って もうしないからと一生懸命。でも もうそれこそ、ぼくが限界で。聞く耳も持てなかった。玄関で水本が振り返ってぼくを見た時、涙が───」
「え…‼」
「どうにかなりそうだった。無理やり心に蓋をして 追い出したよ。やっとの思いで追い出して 緊張の糸が切れた。その場に倒れ込んでしまったんだ。」
「モ、モリヤが、倒れたのか‥‥」
「気を失ったわけじゃないよ。床にバタンとね。一人になってホッとしたので。」
「‥‥‥」
「ところが、」
ハ──ッと 大きなため息。
「戻って来るんだもの…」
「も、戻って‥‥」
「倒れた音に驚いて戻って来た。慌ててつまずいて ぼくの上に倒れ込んできた。その時に口がぶつかったんだよ。おもいっきり突っ込んできたからね。それで水本は、倒れてるぼくを押し潰したと思ったんだろう パニック状態になって、救急車を呼びに行く、と、飛び出しそうになった。それを手首をつかんで止めたんだ。」
「‥‥‥」
「ただ ぼくだって、通常の精神状態ではなかった。決死の思いで追い出した水本が、戻ってきて ぼくの上に倒れ込んできたんだ、平常心でいられるわけがないだろう。」
‥‥いられるわけがないな…そりゃあ‥‥
「つかんだ手に力が入ってしまったのも、力の調節がきかなかったのも、もう不可抗力だよね…。」
‥‥‥不可抗力だよ‥‥
「…そ、それで… どうした? 又 追い出したのか…?」
「いいや。救急車を呼びに飛び出さないように、手を握ってた。水本は、自分がぼくを怒らせたんだと思っていて、その上ケガまでさせたんじゃないかと思っていて、ぼくが 怒ってない、ケガもしてないって 何度言っても、なかなか信じてくれなくて…。」
言いながら モリヤが嬉しそうに、笑っていた。
「それで とうとう‥‥ 泣いてしまって…」
「… ええ…?‼」
「今度はぼくが "まだいて" と言っても、水本が "帰る" と言って────また 泣くんだ…」
モリヤはうっとりと そう言った。
「モ… モリヤ‥‥」
「ああ 小川との約束を破ったわけじゃない。決して 泣かせようとしたわけではないんだ。どうして泣くのかも 分からなくて。本人に聞いても 水本自身分からないと言うし‥‥‥。」
ああどうしよう。水本ダメだ。深みにどっぷりだ…。モリヤの前で泣くなんて‥‥ 何度も涙を見せるなんて…
「なんとか説得して ぼくが怒ってないことを分かってもらって… 怒ってるどころか、ぼくが悪いのだと謝って…。お詫びに何でもすると言うと、水本は一緒にピクニックに行ってと言った。」
「ピクニック‥‥」
ここで出てくるのか… もう…そりゃやばいって…。まずいって…。ピクニックだなんて 水本可愛すぎ…。
「今日の話次第」
「え?」
「今日の話次第って小川は言ったんだろ、水本に?」
「あ? ああ…。」
「話を聞いて どう? 行くなって 言う?」
「‥‥‥」
言えないなあ‥‥。むしろ、よく耐えたよモリヤ…。水本も悪いよ。客観的に見たら 完全に水本の方がモリヤにせまってる。
‥‥かわいらしい言動や仕草のあれこれ‥‥だって。しかも顔を近寄せてくるわ、倒れ込んでキスマーク付けるわ、涙を見せるわ…。それも、見たいと めちゃめちゃ強く願っていたモリヤに‥‥。
あぁあ。水本が悪いとさえ思えてきてしまった。
モリヤが ふっと笑った。
「小川が行くなと言ったところで ぼくは行くけどね。」
「‥‥‥ 行くなとは言わないよ。」
「ん? そうなの? 結局ぼくは 水本を傷付けた上に泣かせてしまっているのに?」
モリヤがおもしろそうに言う。
「‥‥ああ。だってそれは… 水本が悪いかも。」
モリヤは えっ?っと俺を見て そして声をあげて笑い出した。笑いながら
「何言ってんの 小川? もう…。小川もたいがいだねえ…。」
「…たいがい?」
「アハハハハ。水本が悪いわけないじゃないか。ぼくが話したのは 自分に都合がいいだけの言い訳だよ。純でかわいい水本と 煩悩のかたまりのぼくとでは、どちらが悪いかなんて 火を見るよりも明らかじゃない。」
モリヤはクスクスと笑いを引きずりながら
「そうか。でもじゃあつまり 小川もぼくと同じ行動を取るかもと、思ってしまったってことだね。」
そうだ。いや むしろ… 俺なら 我慢できなかったかも。心に蓋をして 追い出すことなんて、できなかったかも。救急車を呼びに行こうとしたところを 止めた後だって…。とてつもなく 自信がない。
ふふふとモリヤは まだ笑っている。
「小川は ぼくに話をつけにくる役として不適任だよ。次は湧井サンにたのむといい。」
絶対イヤだ。
「水本が悪い だなんて、絶対言ってはいけないワード1位だよ。湧井サンに言おうものなら 絶交されるかもね。」
モリヤはおかしそうに そう言った。
そうかなあ。
だいたい水本は モリヤにベタボレのくせに なんでモリヤの心情が分からないんだ? 分かってたら そんな挑発的な行動はとれないだろうに。自分だって男のくせに なんで男心が分からんのだ?
「水本がね、」
ちょっと ないしょ話するような調子でモリヤが言った。
「ピクニックの時に おにぎりを作ってきてくれるんだ。」
「えっ⁉ なんで⁉」
「なんでって…」
モリヤはハハハと笑った。
「泣いてしまった後、なかなか水本は気持ちが回復しないようで 自分で少し持て余していたようだった。なんとか気分を高めようと考えているのが 手に取るように分かったよ。───一生懸命考えてるのが分かる。気持ちを戻そうと。涙から脱却しようと。それで ピクニックとおにぎりに、たどり着いたんだろうね。ぼくの好きな具を入れて、握ってくれるんだって。そんなことを、ようやく笑顔になって話してきた。────かわいいだろう?」
ほんとにいとおしそうにモリヤは言った。
ああ、かわいいよ。そりゃ 最高だよ。水本に対して 恋愛感情なんて全くない俺ですら なんだかモリヤに妬いてしまいそうなほど。
俺は水本の涙すら 見たことはない。‥‥泣くんだ。帰れと言われて。怒ってると思って。そんなことで 涙を見せるんだ‥‥。
水本は女っぽいことはない。気弱なわけでも 涙もろいわけでもない。と、思う。なのに‥‥。‥‥よっぽど、よっぽど モリヤに惚れてるんだ。
でも、その気持ちと行動が、どうも合ってない気がするけど…。匂いの確認のためだけに 急接近してみたり…。
残念なことに俺は モリヤの気持ちと行動の方が理解できてしまう。‥‥怖いやつなのに。思いの外 いってしまってるやつなのに…。
「かわいい水本の体に傷を付けてしまったことは、本当に悔やまれる。…明日 見せてもらおう。」
モリヤが一人言のように言った。
「水本は嫌がると思うよ。放っておいてやった方が いいんじゃないか?」
そういや 水本が膝をケガしてた時、モリヤは薬をぬってやったんだったな。おかげですぐ治ったと、水本が言っていた。
…………こわい 発想に、至ってしまった…。薬、又 ぬろうとしてるんじゃないだろうな…? 口、に‥‥?
「モリヤ…!」
「うん?」
ああ色っぽい。いやになってきた…。
「水本のキズ、心配しなくても大丈夫だと思う…」
「…ひどいって さっき言ってたよね?」
「…でも すぐ治りそうな傷だ。多分平気。」
「────小川? 何考えてんの?」
「いや… 別‥に…」
「ああ──…。」
もう 色っぽいのは分かったから…。
「ぼくを水本に近づけたくないんだろう? 妬いてるの?」
「‥な…っ。誰がそんなこと言ったよ!」
「そうじゃないの?」
ふふふと笑って モリヤがオレを見る。色っぽく…。
「そんなわけあるか! そ そうじゃなくて キズ…なんて見てどうしようってんだ?」
「え? どうって…。見たいじゃない? どうなってるか。」
「‥‥本人が隠したがってるんだから 見ないでおいてやれよ…」
「いやだ。」
ええ~~~‥‥?
どれだけのやつが、このモリヤの本性を知ってるんだろう。おとなしいなんて とんでもない。
「小川はなんでそんなに見せたくないの? 妬いてるんでないのなら。キズを見たからって、水本の心は傷ついたりしないだろう?」
「…いやがるのをムリヤリってのは 俺はよくないと思う。」
「手当てできるものなら 早くした方がよくない? 治るのも早い。痛くなくなるのも早いよ。」
「…手当て できるようなキズじゃない。手首のはアザだし放っておいたら治るよ。口のキズは…内側だから、それも手当ての仕様がない。」
「そんなの 見てみなきゃ分からないよ。」
「俺は見たよ。」
「小川は 薬を持ってないだろう。」
引かないな。全然引いてくれない。
「薬はいらない。」
「どうして?」
少し驚いたようにモリヤが言った。
「小川は 水本が痛い思いをするのがイヤなんだろう? どうして治そうとしているのを止めるの? …もしかして まだ、ぼくが盛るんじゃないかって 疑ってる?」
「疑ってない。」
「じゃあ どうして。」
「‥‥‥薬を、水本に渡すだけならいいよ。」
「───なるほど。ぬってやるのが良くないと。ふーん。そうか。水本に触れさせたくないんだ。」
「‥‥‥。‥‥ぬってやらなくても 自分でやれるだろう。」
「ぼくの方が 上手いよ。」
「自分でやらせろ。‥‥触れさせたくないんだろうと言ったが、モリヤは触りたいだけだろう。」
モリヤは笑った。
「乱暴なことを言うねえ。結婚したら 奥方を産婦人科医に診せないタイプだな。」
なんてことを! 乱暴なこと言うのは おまえだろ。
「診せるさ。相手は医者だ。でもモリヤは医者じゃない。水本が好きだから触れたいんだ。」
「医者じゃないけど、純粋に ケガが治って痛みが取れればいいなと思っている気持ちを、いやらしい気持ちととられるとは 心外だ。」
怒ったか? かまうもんか。ヤキモチととられても、もういい。事実ヤキモチかもしれない。いやだ。モリヤが水本の口に触れるなんて 想像するだにいやだ。絶対にイヤ。
俺はモリヤをにらんでいた。負けるもんかと思って。しばし沈黙。
ふいにモリヤが笑った。ドキッとするからやめてくれ。その意外性のある攻撃。
「うそだけど。純粋な気持ちだなんて。ハハハ。小川の言う通りだよ。ただ単に触れたいんだ。」
もう…。だから怖いって モリヤ…。
「好きだから触れたいっていうのは だめなのか? 小川だって 湧井サンに触れてんじゃないの?」
攻撃力 すごいな…。
「く…口はやめてやってくれ。水本もびびると思う…。」
泣くかも と思ってしまう。でもそれは言わない。よけい やると言われたら困る。モリヤは涙が見たいんだから。
「そうかなあ?」
「そうだよ! 誰だって 口ん中触られんのなんて絶対イヤだ! 歯医者もみんなに嫌われている‼」
うそ。歯医者さんゴメン。
「歯医者…。そうか? 痛くしない自信あるけどなァ。」
「痛くなくても イヤなもんなんだ! たのむからやめてくれ。」
「ふうん…。まあぼくも 水本に嫌われたくはないからなあ。」
「だろう⁉ 口ん中ムリヤリ触って薬なんかぬったら嫌われる! 絶対だ‼」
「ほんとかなあ。」
「本当に決まってるだろ! 俺だって湧井の口ん中なんか、絶対触らん‼」
モリヤはチラリと俺を見た。
「ほんとう?」
色っぽく笑って言う。やめろ!
「本当だってば!」
「そうか。…うん 分かったよ。」
───やった‼ 良かった まじか! よくぞ納得してくれた‼
「もう おにぎり作らないって言われたら いやだしなァ。死ぬほど楽しみなのに。」
意外な正直さ。イメージと全く違うモリヤがどんどん出てくる。よく笑うし よくしゃべるし。
「薬は諦めてくれるんだな?」
念押しは忘れない。確約してもらわねば。
「うん。見るぐらいは いいんだろ? 小川も見たんだしな。それで どうしても酷かったら、薬を渡すよ。」
「そ、そうしてくれ。」
良かった~~~。ひと安心だ。よし! 今日は完敗は免れた。完勝ではないけど。… しかし 今日の当初の目的は "どうしてあんなにひどく アザがつくほど水本の手首を握ったか" だったよな。そこは… 俺は 納得してしまったけど、これ、二人に というか湧井に説明できるのか…? ‥‥難しいな‥‥
「どうした? もう話は終わり?」
う~~~ん… なんと言ったものか…。
「…モリヤって ほんとに力が強いのか?」
「え?」
「水本がそう言ってた。思いの外 力が強いんだ、だからアザになったんだ、って。本当? それとも 火事場のくそ力みたいなもんだったのか?」
「多分 普通よりは強いんだと思うよ。腕力じゃなくて指先の力がね。これまでは 人に触れる機会も個人的にはなかったから、加減の能力も足らなかったんだと思うけど。」
「そうか。‥‥ちょっと俺の手首をつかんでみてくれないか。」
「いいけど?」
ぐい、とモリヤがつかんだ。躊躇がない。そして確かに強い。力一杯はつかんでないと思われるのに、それでもすでに痛い。…でも こんなもんじゃアザにはならないだろう。
「アザができるほど 強く握ってみてくれ。」
「なんで?」
力をこめずにモリヤが聞き返した。
「小川に酷いことをしたと 水本に思われるのは嫌だなあ。次は湧井サンも文句言いにくるだろうし。」
「水本のアザを説明しなくちゃいけない。モリヤは力が強くて ちょっと力を入れただけでこうなる、と 証拠を示したい。」
「ちょっとぐらいでは アザにならないよ、さすがに。正直に報告すればいいのに。やらしい気持ちの暴走を止めようとする力の集結が アザを作ってしまったって。」
「そんなこと 湧井に言えるか! いいから 力を入れろよ。」
「水本が怒らないかなぁ。」
「大丈夫だから。ちゃんと俺が説明する。痛かったって言わないし。」
「痛いよ?」
「いいから。」
モリヤはちらっと俺を見て
「じゃあ」
と言ったかと思うと ギリッと手首を締めた。くそ痛い‼‼
「こ、これぐらいの強さで握った?」
うめき声みたいになってしまう。モリヤは涼しい顔をして
「いや もっとだ。」
と言う。
「‥‥なら もっと力を入れろ。」
「大丈夫かなぁ。」
「水本が大丈夫だったんなら 大丈夫だ。」
モリヤはもう一度 チラリと俺を見た。直後─
まさか手首を締められて 目から火が出る思いをするとは! 声も出ない。ギブだギブ。ギブアップを伝えなければ…と頭をかすめた時 もう一段階上の痛みが走った。そして 次の瞬間、モリヤの力がゆるんだ。俺はしばらく声もない。折れると思った。
モリヤは力をゆるめた手で つかんでいる俺の手首を俺の膝の上にのせた。そして下を向いている俺の顔を覗き込んで
「ね?」
と言った。
「痛いだろう?」
痛いわ‼ ほんとに水本の手をこんなに… 俺は つかまれた手首を見た。くっきりとモリヤの手の形が付いている。赤く。これが明日になったら紫色になるんだろうか。
「これ‥‥」
俺は手首を見ながらつぶやいた。
「これを、水本は覚えてないんだ… 痛かったかどうかさえ‥‥。まじに とんでもなくパニくってたんだな…。」
「‥‥そうだね…。」
しかも両手‥‥。 ‥‥‥やらしい気持ちの暴走を止めようとする力の集結? 怖い‥‥ 怖いよモリヤ…
「モリヤ‥」
「うん?」
「次、水本に会った時、大丈夫なのか…?」
「大丈夫とは」
「又 同じことにならないのかってこと…。水本は どうせ又 人の気も知らず、かわいらしい言動や仕草のあれこれを してくるわけだろう…?」
「…。実際を知って怖くなった?」
「‥‥」
「多分 水本はもう、あんな風に近づいては来ないんじゃないかな。ぼくが怒ってないと分かった、とは言ってたけど きっとどこかで、帰れと言われたのはあれのせいだと思ってるだろうから…。ぼくもそういう不意打ちがなければ、今回みたいな事態は避けられるよ。」
「もう水本にキズが付くことはないと?」
「多分ね。ぼくだって けだものではない。」
‥‥。信用するしかないか。次回はピクニックだし。健康的。青空の下だ。どしゃ降りに閉じ込められた、夜の森の家ではない。
「OK。ではそろそろ帰るか。」
俺は言って立ち上がった。手首がズキズキする。
「あぁあ。」
モリヤも立ち上がりながら 大げさにため息をついた。
「なんだ?」
「又 ウワサが立つと思ってさ。今度は小川の手首を縛ったって。」
「…立つだろうな。むしろ そんなもんですめばいい方だ。どんどんカゲキになってきてる。」
「誰かが 考えてんだろうね。下品なウワサほど 喜ぶやつは多いから。まあ どんなウワサを考え出すか お楽しみってことで。」
「お楽しみ、ねえ…。」




