元・家族の団欒
すっかり日が沈んで暗くなってしまった夜道。未来が歩道側になるようにして並んで家に帰る俺に、彼女は可笑しそうに笑う。
「怒られちゃったね」
それすらも楽しかったと言うような反応に相槌を打ちながら、先程の情景を思い返す。
皆でうるさく喋りまくっていたあの後、見回りに来た木岡先生に酷く怒られたのだ。楽しすぎて気づかなかったがその時点で既に夜8時を回っていて、校内に居ていい時間から既に1時間もオーバーしていたらしかった。
すみませんと謝ってすぐに門を出ようとする俺たちだったけど、お前たちのせいでと木岡先生はくどくど文句を言い続けた。だけど急に現れる彼の頭をガシッと鷲掴みする手。
はっとして青い顔でその手の主を見上げた木岡先生が目に映すのは、笑っている世紀末先生の顔。笑顔という名の軽蔑の表情だった。
『彼らはちゃんと帰ろうとしているでしょう。一度注意をすればそれで良いのでは?』
そう言われてしまった木岡先生は、世紀末先生の冷たい視線を受けながら、『早く帰るように』とだけ言ってその場をそそくさと去っていった。
俺たちから見てもふたりの力関係がわかってしまうような、なんとも言えない光景だった。
まあそれもそうだろう。今日の一件で起きたことは、弱みを握られたと言っても過言では無い事態だったのだから。
いい気味だなんて思ってしまう俺は、若干性格が歪んでるのかもしれないな。
「バスケ部の件も良かったな」
木岡先生が立ち去った後、世紀末先生が教えてくれたバスケ部の存続のことも思い出される。気になるだろうからと先に聞いておいてくれたんだそうだ。
「まさか優勝してもしなくても、バスケ部がどれだけ本気なのかで決めようとしてたなんてね。どちらにせよ、あれだけ必死な皆を見たら廃部にしたりはできないよ」
「でも指導方針を変えるために顧問が変わるっていうのは驚いてたな。国生あいか先生だっけ、確か保健室の先生だろ? スポーツとか出来んのか?」
「ん、隆は知らない? あいか先生もマダーだよ」
まじかよ。
「去年保健室でお世話になったときに教えてくれた。戦術を考えるのが得意で、基本的に討伐には出てないみたいなんだけど、本部の名簿には戦闘要員の方に補欠で入れられてる。だから肉弾戦もできるだろうから、バスケも上手いんじゃないかなあ」
「へぇ。全然知らなかった。そもそも大人でもマダーっているんだな」
「少ないけどね。固定観念が強くなってくる大人よりも、発想が柔軟な子どもの方がキューブに好まれやすいんだって斎が前に話してくれたよ。
でも戦い方を練るのも戦闘もできるなら強そうだよね。ちょっと手合わせしてもらいたいな」
嬉しそうに話すなあ。
仲間が他に居ることとか、強そうな相手とか、色んな人との付き合いが増えることとか、きっと俺が思うよりもずっとずっと嬉しいんだろうな。
その後も溢れる感情を抑えられず、言葉だけで表現できないところは身振り手振りで伝えようとする未来の話を、時々相槌を打ちながら聞いてやる。
ときに驚かされながら。
ときに癒されながら。
ときに、愛おしいと思いながら。
思ってはいけないその感情だけは心にしまい込んで、見えてきた我が家の2階を見上げる。
その窓から零れる優しいオレンジ色の光は、食卓がある部屋。帰るの遅くなったし、もしかしたら心配されているかもしれない。
玄関前に着いてもまだ話し足りなさそうな未来に、家に入ってからにしようと少し制止してから鍵を開ける。
「おかえり我が子たちよーーー!!」
「うおぉ!?」
「ひゃあっ!」
鍵を開けた瞬間、目の前にいる人物によって勢いよくバンッと音を立てて自動的に開かれたドア。
その人物に、俺たちは為す術もなく頭をわしゃわしゃと撫でられ、すぐにぎゅっと抱きしめられる。
「か、母さん! びっくりすんだろ!」
「何を言うか不良息子よ。連絡も無しに、未来を連れたままこんな時間まで帰ってこない我が息子に罰を与えないでどうする。ねーー!! お父さん!」
「うっ」
それは、その……面目ない。
2階にいるらしい父さんに同意を求める母さんは、その返事を待つことなく俺たちに圧をかけながら言う。
「はい、言いたいことは?」
にっこりと。
「連絡もせず遅くなってごめんなさい」
「うん、よろしい」
俺に謝らせて満足気な母さんは、今度は微笑んで、優しい口調で俺たちに問う。
「ふたりとも、楽しかった?」
その質問に、俺は未来の方を見る。
未来も、俺の方を見る。
答えは同じなようで、満面の笑顔をこちらに向けてくる未来と、声を揃えて返事をした。
「「楽しかった!」」
「そう。それはなにより!!」
ニカッと笑う母さんは、もう一度俺たちの頭を力いっぱい撫でてからご飯の準備をするために早足で階段を駆け上がっていく。
「全く、相変わらずテンションたけーんだから……」
「ふふ、由香さんのいいところじゃない。何があっても笑って吹き飛ばしてくれそうだよ」
「まあ、ポジティブ人間だからなあ。俺もあの性格受け継ぎたかったわ」
「あーーーっ!!」
靴を脱ぎながら少し母さんの話をしていると、当本人の声が、というか叫び声が2階から聞こえた。
「な、なに!?」
「母さんどうした!?」
全力で上げられたその声にびっくりして、俺たちは靴を揃えることすら忘れ、階段を躓きそうになりながら駆け上がる。
上がりきったそのすぐそば、目に入った母さんの姿は、とんでもなく怒りの表情を浮かべていた。
「隆! 未来!!」
「ひっ!」
「ひゃいっ!」
普通の返事などできないその鬼の形相に変な声で答える俺たちに、母さんはその顔のまま大声を張り上げる。
「忘れもの!!」
な、なんのことだ。
忘れ物? 何か忘れたっけ。
買い物頼まれてた?
ポストの中身?
スーパーで水汲んでこなきゃいけなかったっけ?
ぐるぐると頭を回転させるも、全然思い浮かばない俺。未来に目を向けると、俺よりも更に困惑した表情を浮かべていた。
このままでは埒が明かないと思ったのか、母さんは大きく息を吸って、腰に両手を当てて言った。
「帰ってきたら!?」
……あ。
「た、ただいま」
先に気づいた未来は、キョドりながら言う。
「うんうん。おかえりなさい。隆は?」
満足そうに未来を見た母さんは、今度は俺の方を怒りの顔で見る。
「ただいま、です」
「はい、おかえりなさい」
挨拶を徹底させて笑う母さんは、今度こそ晩飯の用意に戻るかと思いきや、ふわりと俺と未来を包み込むように抱きしめた。
スレンダーではないが、特別肉付きが良いわけでもない母さんにされるハグは、適度な安心感と癒しの感覚を得る。
「ただいまだけは、必ず言いなさい。今日も無事に帰ってきたことをちゃんと口に出して伝えるの。今日も帰ってこられたことに、感謝を込めてね」
もう一度おかえりと言われながら、ふたりとも優しく頭を撫でられる。何度も何度もゆっくりと俺たちの頭を撫でる母さんの手は、既に俺の手よりも小さくてシワが増えているけど、そこから感じる愛情だけは、いつまで経っても変わらない。
「さあ! ちゃんとただいまも言えたことだし、今日はふたりのために頑張ったからたーんと食べてもらわなきゃ!」
そう言って俺たちを半ば突き放すようにして体を離した母さんは、父さんにご飯にしようと伝えて配膳の用意をする。
いい匂い。肉の焼ける音と食欲を掻き立てる香り。野菜が沢山盛られた白い皿に盛られる楕円形のそれは、もしかして今日の晩ご飯って。
「ほい。おふたりさんが大好きな、由香ちゃん特製ハンバーグでっせ!!」
「わああっ」
「よっしゃ!」
喜ぶ俺たちは急いで席に着こうとする。しかしそれをガシッと肩を掴んで強引に後ろへと引っ張ってくる男性。
「あ、明さん。ただいまです」
未来がそう呼ぶのは、俺の父、克明。
「ただいま父さん」
「おかえりふたりとも」
ニコニコと、口元のちょび髭がチャームポイントな父さんは、俺たちの体をくるんと一周させるようにして食卓の方に背を向けさせる。
ハンバーグが見えなくなっちまった。何すんだよ。
「ときに隆、未来。手は洗ったのかい?」
「「あ」」
帰宅後するべきの全てを忘れている俺たちは、楽しくはあったが疲れてもいるようだ。
歩いて3歩くらいの位置にある手洗い場に、我先にと飛び込む。早く手を洗って美味しそうな匂いの元へと急く。
だって母さんのハンバーグはマジで絶品なのだから。
その後急いで椅子に座った俺たちは、いただきますだけは忘れずに言ってほとんど掻き込むようにして飯を食う。
「おいひぃ……」
幸せそうに頬張る未来と違い、パクパクと一気に食べてしまう俺はときおり喉に詰まらせそうになって、家族を焦らせる。
落ち着かせる名目もあるのか、両親は今日の様子をこと細かに聞いてきた。
どんな試合になったのかとか、何が1番楽しかったかとか、悔いはなかったかとか。
「あと、凛ちゃんのふくれっ面も可愛かったね」
「あーあれはなかなかいい顔だったな」
「凛ちゃんって長谷川薬店さんのお孫さんかい?」
父さんが味噌汁を飲みながら言う。
「そう。今日未来が決勝で戦ったんだけどさ。それが強いのなんの」
「負けそうになっちゃって、最後の方は焦っちゃったよ」
「へぇ、未来を焦らせるとは。やはりマダーとしても強いのかい?」
「そうそう、そこ。今言ってたふくれっ面っていうのがさ、父さんが今言ったように、長谷川が強いことをあんまり皆理解してなくてさ」
思い出しながら父に説明をする。
未来が長谷川に遠距離を教えて欲しいと頼んで、代わりに長谷川は未来に瞬発的な判断をするコツを教えて欲しいと約束したときのことだ。
『長谷川って、遠距離攻撃得意なの?』
『秀は知らないかな。凛ちゃんの遠距離攻撃ってすごく正確でね。大会の試合なんか観てるともう圧巻なんだよ』
『へぇ。知らなかった』
『ていうかさ、皆アタシがマダーとしてはかなり強いんだってことちゃんと認識してる?』
長谷川のその問いに、うんと答えたのは未来と阿部だけで、俺も含め皆はしんとした。
『だと思った!! 見てなさいよ、絶対アタシが強いって分からせてやるんだから。そうだ、今度みんなでキューブの模擬大会やろうよ! そこでアタシが誰より強いってこと証明してやるから!!』
「ってわけ」
「ははは。可愛らしい子だな」
「凛ちゃんの落ち着くところはやっぱりそこなんだよねー」
「でもぶっちゃけ、皆よく知らないんじゃね? だって基本的にグループ作って毎夜戦ってるわけだから、そのグループが離れてる以上、普段どんな戦いしてるかなんてお互い知らねぇだろ?」
「そうだね。ちなみに今は加奈子とチームになってて、攻防両方特化のかなり強い組み合わせみたいだよ?」
まじか。阿部の優秀さは皆知っての通りだし、何も問題無く仕事できるんだろうなあ。
「そういえば未来さ、正式にバスケ部入らねぇかって誘われてんだよ」
ふと思い出した、吉田達が帰ろうとしたときに言われていたこと。
「ずっと居て欲しいってすんごい頼まれててさ」
「球技大会までの短期だったから出来たことで、ずっとってなると鍛錬の時間も減るし厳しいよ」
楽しいだろうけどねと少し残念そうな未来。
もう1つ言っておかなければならないことがあるし、そっちで少し気を紛らわせてやろうとニヤニヤしながら彼女の顔を見る。
「あぁ、それで思い出した。秀に、お前にもう少し勉強させろって言われた」
「うっ」
途端に箸の動きを止める未来。
「なんか補習入ってんだって? 言わないつもりだったみてぇじゃんか」
「うぅっ」
耳が痛いと目を瞑る未来。
「未来。勉強はきちんとしなさい」
「うううっ!」
母さんのお怒りで肩身が狭そうにする未来に、父は笑って言った。
「でも、毎日の鍛錬は皆のためだもんな。いつもありがとう」
不意に言われる感謝の言葉に照れる未来は、でも勉強はしなさいと念を押されてしまい、仕方なく頷いていた。




