元・願いを背負って
あまり得意でないながらも、何とかシュートを決められて3点分の得点を取れたことに胸をなで下ろした私。
そこへ七瀬ちゃんと世良ちゃんがハイタッチをしに来た。
「ナイスナイス!」
「未来先輩、ナイスです!!」
時間もほとんど無くなってきているから、簡単に1回ずつパチンパチンと手を合わせて済ませ、ふたりに状態の確認をする。
「ふたりとも、大丈夫?」
汗だくの彼女達は私の問いに、にっと笑って頷いた。
「問題ありません。あと少しですから」
「あと残り3分、3点リード。このまま押し切るよ!」
心配するまでもなかったかな。
その答えに同じように笑って頷く。
すると凛ちゃんが、また私のマークにつくためにこちらへとやって来て、前向きな会話を遮ってくる。
「そんなに簡単には終わらせないよ。ねぇ、未来?」
また意地悪そうな、だけど楽しそうな表情の凛ちゃんを見ながら私は額の汗を指で拭った。
「そうだね、凛ちゃんが簡単に勝ちを譲ってくれるはずが無いもんね」
変わらずギリギリの攻防である事をもう一度頭に入れ、スローインのために須田さんがエンドラインの方へと向かったのを見て、全員急いで広がって構える。
「がんばれーっ!」
「がんばってー!」
体育館の端から、夏帆ちゃんと加奈子の声が響く。
須田さんが一番パスを出しやすい位置なのは凛ちゃん。でも私がそばにいるせいかそちらにはボールを投げてくることはしない。
少し遠くにいる瀬戸さんへ向けてスローイン。
でも七瀬ちゃんが瀬戸さんの近くにいたから、ボールを受け取ろうと前に出た彼女の動きはシャットアウトされる。
瀬戸さんの動きを完全に把握しているかのよう。
右手のひら一枚でボールをカットし、ドリブルに繋げる。
「さすが!」
やられたと言わんばかりの表情で、捕られたボールを捕り返そうと前に回り込む瀬戸さん。
それをコートの中央付近にいる世良ちゃんへとパスをすることで躱す。
「世良!」
「はいっ!」
真っ直ぐに飛ばされたボールをキャッチしてすぐさまゴールへと全力で走る。
しかし既に須田さんがそちらへと向かっていて、ゴール近くで追いつかれてしまった。
ボールを奪われてしまわないように須田さんを軸にして、くるっと回って躱す。
畳み掛けるようにシュートを打つも、ゴンッと音を立てて惜しくも入らず跳ね返ってきてしまう。
「チッ」
珍しく舌打ちをした世良ちゃんの横で、返ってきたボールを捕らえた須田さん。妨害にあいながらも、ゴール下付近にいる瀬戸さんへとロングパスをする。
遮ろうと私も七瀬ちゃんも身を乗り出すけれど、私は凛ちゃんに抑え込まれるようにして前に立たれ、七瀬ちゃんはすんでのところで間に合わず、瀬戸さんのレイアップシュートでゴールを決められる。
「すみません!」
「大丈夫! 切り替え!」
間髪入れずに七瀬ちゃんがそう叫ぶ。
大丈夫。まだ、大丈夫。
こちら側からのスローインで私がコート外に出る。
凛ちゃんから少しでも逃れる為だ。
それでも彼女は私にすぐ引っつけるよう近くで待機しているけれど、とりあえずはそれでいい。
少しだけでも距離があれば、格段に動きやすくなるのだから。
何度か細かく投げるフリをして、どこに出してくるのかと迷わせた直後、勢いよく七瀬ちゃんへ。
受け取った彼女は自軍のゴールへと一気に走る。
誰も追いつけそうにない事に気付いた凛ちゃんは止めようとして全力で走る。
七瀬ちゃんはそれを右へ左へと小さくステップを踏み、更に行く先と反対方向に顔を向けることで凛ちゃんのガードを上手く切り抜けた。
「まじか!」
驚く凛ちゃんの真後ろの、ゴールから斜め45度付近。シュートを打つが世良ちゃん同様決まらず跳ね返ってくる。しかし先程とは違い、その落ちてくる位置に瞬時に移動する世良ちゃんの姿。
「未来先輩!」
この試合中、初めての完全にフリーな状態での私へのパス。バシッと音を鳴らして掴み、瞬時に床へと突いて、もう少しゴールへ近付こうと走る。
それを全力で止めに来た瀬戸さんと須田さんの2人から、同時に行く手を阻まれてしまう。
だけど、止まりはしない。
「締めが甘いよ」
ボールは須田さんの足の間にドリブルで通して、2人の間をすり抜けるように体を斜めに捻らせて滑り込む。
躱したそのすぐ目の前には自軍のゴールがある。
そのままシュートをしようと跳び上がったときだった。
「させないっ!」
急に目に映る、瀬戸さんの必死な顔。
避けたはずの彼女は、すぐさま私の目の前へとまた回り込んで来て、腕を大きく上げてジャンプしていたのだ。
そのことに私は気付かなかった。
勢いそのまま打ち込もうとしていた私の体は跳びながらも前方へと向かっていて、彼女の顔を認識した瞬間、そのまま勢いよく衝突した。
ガンッという音と共に突然頭に広がる痛みと、ドサッという2人分の尻もちをつく音を聞く。
ジンジンする頭を手で押さえた瞬間、誰かがコート外に出ていきそうになったボールを拾い、私たちが復活する間もなく走ってゴールを決めた。
後ろからその音が聞こえたので、恐らく相手側の得点なのだと思う。
「ごめんっ! 大丈夫? 瀬戸さん」
結構な勢いだったので怪我をしていないだろうかと慌てて振り返ると、彼女は私の顔を少しの間じっと見て、何故か、泣きそうな顔になった。
どうしよう、かなり痛かったのかな。
「大丈夫。ありがとう」
そんな顔から一転して、ゆっくりと、優しく笑って答えてくれる瀬戸さんを見て、少し安心した。何ともなくて良かったと。
見た目にも特に怪我らしきものはなかったので、立ち上がって手を差し伸べる。
今、得点が動いたことによって33対32、ここに来て逆転されてしまったことを考えながら。
「茜ーっ! 須田ーっ! そんなやつに負けんじゃないよー!!」
瀬戸さんも立ち上がった直後、コート外の中央、つまり世紀末先生が審判するために立っている真向かいになる所から、伊崎さんが大きな声で彼女たちを応援し始めた。
その必死な形相に、負けなんてありえないぞと言っているように見える。
「わかってるよね長谷川も! 絶対だよ! 勝ってよ絶対に! 負けるなんて絶対許さな」
「うるさい」
まだ叫んでいる最中だった彼女の声を遮ったのは、凛ちゃんではなく、意外にも瀬戸さんの一言だった。
えっと言うような顔をした伊崎さんに、瀬戸さんは睨むようにして目を向け、そしてもう一言。
「黙って」
ふたりの間に亀裂が入っていくようなその様子を見て、どうしたのだろうと疑問を抱いたけれど、試合の時間は刻一刻と過ぎていく。もうあと僅かな時間で、それをしっかりと考える時間はなかった。
「相沢さん……ごめんね」
聞こえたのが不思議に思うほど小さな声でそう言われ、大丈夫だよとそれだけ返そうと思ったとき、ちょうど世良ちゃんのスローインがあって返事はできなかった。
七瀬ちゃんに渡されたボールは、すぐにコートに入った世良ちゃんと共に気持ちのいいパス連携を繰り出す。
コートの両端めいっぱい、全力で走りながら動きを撹乱させる。
「ならこっちを守るまでだね!」
奪えないことを悟った凛ちゃんが、レイアップシュートをしようという動きの七瀬ちゃんのブロックについて一緒に跳び上がり、それを阻害する。
「未来!」
すぐにゴール近くで踏み切った私もパスされたボールを受け取って、ダンクをする素振りをする。
「させない!」
それに気付いている瀬戸さんと須田さんも急いで私の前で跳ぶ。
やっぱり凛ちゃんたちのチームは、こちらの動きが良く見えてる。すごいなぁ。でも、だからこそね。
「世良ちゃん!」
ハッとするふたりの顔が見えたときには、私の持っていたボールは既にコートの中央にいる世良ちゃんの元へ。
七瀬ちゃんと私で相手チームの人達を引っ張って、世良ちゃんにいつもの安定したシュートを打たせる為の二重の罠。
しっかりと構えて打つことが出来る時の世良ちゃんのシュートは、ここにいる誰よりも美しい。
弧を描いたボールはネットをくぐり抜ける瞬間スパッと静かな音を鳴らし、33対35で逆転し返した。
残り、1分。
「いいねぇ! バスケ部さすがだよ」
「いや、いやいや。長谷川さんたちも凄いよ、マジで」
楽しそうに言う凛ちゃんの傍らで、七瀬ちゃんはしんどそうに息を乱しながらそれに答える。
「だけど、アタシらもね。負ける気はないよ」
そう自信を持って言う凛ちゃんは、私が動きを制限しているにも関わらず、右へ行くように見せかけて左へと瞬時に移動し躱してくる。
そして、全力で走る彼女の俊足には誰も追い付けず、こんなに簡単にやられてしまうのかと思うほど、そのまま真っ直ぐに跳んでダンクを決められてしまう。
ああ、もう……かっこいいなあ。すごいなあ。
そのズバ抜けたセンスも、努力も、心の底から尊敬してる。
「あと30秒〜!」
加奈子の声。35対35の同点、このままだと勝てない。
皆が焦っているのが手に取るようにわかる。
ボールがパスされていく中、その焦りのせいなのか、珍しく瀬戸さんがドリブルをミスした。ボールが手から離れ、私と凛ちゃんの方へと転がってくる。
絶好の機会だ。
ふたり同時にそれに手を伸ばす。
先に触らなければ。先に拾わなければ。
そう急くために、足がもつれそうなのがわかる。
重心が前に行き過ぎてるのがわかる。
もう、今すぐにでもこけてしまいそう。
だけどここだけは絶対に、今この瞬間だけはそうしてはならない。この機会を、絶対に逃してはならない。
転がりそうになりながら、バウンドするボールを先に私がキャッチする。
目の前に人の壁は無い。
今この場でゴールへと投げれば、決められるだろう。
私が苦手なロングシュートじゃないから。
周りにブロックができる人もいないから。
きっと、誰もが思う。
この絶好の機会、逆転の一手を打つのは私だと。
そしてその思考に陥った凛ちゃんは、それを防ぐために私の前へと来る。
そうだよね。
あなたの判断は、正しいよ。
でもね。
皆に願いを託され、責任を背負って、一心にゴールへと向かって跳ぶべきなのは
「七瀬ぇぇぇぇえッ!!」
私が指さす、その先へ。瞬時に私の意図に気付く七瀬ちゃんは、乳酸が溜まって疲れた重たい足に心からの命令をして、ゴールのすぐ下から全力で跳び上がる。
目の前にいる凛ちゃんの、目を見開いた顔が見えた。
名前を呼んで、指でさして。
どこに行って欲しいのか、誰に決めさせようとしているのか、きっとあなたはわかったよね。その瞳には、今から何が起きるのか、もう見えているのだろう。
だけど、あなたは動けない。
ボールを投げる。
私のブロックをするのに手を伸ばそうとしていた凛ちゃんの手は、それを掴めない。
だって、私がシュートを打つと思っていたところに、凛ちゃんは違う『可能性』を見つけてしまったから。
その瞬間の、瞬時の、刹那に行う判断というものを、苦手としているのだから。
私が決めるとタカをくくってしまった凛ちゃんは、七瀬ちゃんのところに瞬時に駆けて行くことは、絶対に出来ない。
「はぁあああっ!!」
投げられたボールがゴールの真上に到達した直後、勢いあまって前にこけてしまった私は、床に体がついたまま、声が聞こえる方を見上げた。
そこにいるのは、空気を切り裂いて、腕を大きく振りかぶって、皆の願いを背負って跳んでいる七瀬ちゃんの姿。
渾身の力をこめて腕を振り下ろした彼女の姿は、それはそれは大きな翼を持った、とても美しい鳥が羽ばたいたかのような錯覚をさせる。
「きれい……」
無意識に、そう呟いた。
自分の居場所は、自分で守るもの。
自分たちの居場所は、自分たちで守るもの。
どんなにあなたが苦しくても、それがどんなに危ない橋を渡る行為であっても、それを掴み取るのは、私であってはいけない。
私はあなたたちの命運を決めるべきではない。
あなたたちの結果を決めるべきではない。
それはみんなの努力の結晶であるから。
私はただ、みんなが未来へと繋がるための、ひとつの架け橋でありたいから。
ドゴォッン!!
一際、大きな音が鳴る。
この試合中、何度も何度も大きな音は鳴っていた。
ゴールに入るときも、入らないときも。何度もゴールを揺らしては音を立てた。
だけど今の彼女が立てた大きな音は、今までのどのシュートよりも気持ちがこもった、史上最強のダンクだろう。
ネットからすり抜けてきたボールがバウンドして、聞きなれたタンタンという音がする。
体育館には、誰の声も、動く音もしない。
視線だけが彼女へと向けられる中、ピーっと、試合終了を告げる笛が鳴らされた。
「わああああっ!!!」
唐突に体育館に沸き起こる大歓声に、私と凛ちゃんは揃って得点ボードに目を向ける。
「……かっ、た?」
七瀬ちゃんの小さな声。
「えぇ、キャプテン」
同じく小さな世良ちゃんの声。
彼女たちの方に振り向いて目に入ってきたのは、ボロボロと涙を流し始めたふたりの姿。
「勝った……うぁっ、勝ったよぉ!!」
ゆっくりと頷いて肯定する世良ちゃんに、七瀬ちゃんは、鼻声になりながらそう言った。
結果は、35対37。
祈りに祈って手に入れた、バスケ部の優勝を告げる数字だった。




