元・罪滅ぼし
球技大会が始まる数日前のある日、未来はいつも通り放課後バスケの練習をするために体育館へ向かっていた。アタシと加奈は、毎日ワクワクしてそこへと向かうあの子と一緒についていって、体育館まで送り届けてから解散するようにしていた。
『凛ちゃん、加奈子。わざわざ毎日ここまで来てくれなくてもいいんだよ? 靴履き替えたらそのまま帰っても……』
あなたは不思議そうな顔をしてアタシたちに言ったね。
確かに、事情を知らないあなたからすれば、いちいちそんな面倒な事はせず、『がんばって』でも『また明日ね』でも、別れの挨拶があればその場でバイバイしたらいいのにって思っていたのかもしれない。
だけど、アタシたちはどうしても、あなたがひとりになる時間を作りたくなかったのよ。前のクラスの事があるから、前の学校の事があるから。
アタシたちがいないところで、もしもまた何かあったら。つっちーが見ていないのをいいことに、アタシたちが知らないのをいいことに、何か事が起きてしまうのではないかと。それだけがどうしても、アタシも加奈も心配でならなかった。
そしてこの日も、いつも通り未来を体育館へと送り届けて、吉田さんたちが来たのを確認してからお開きにした。
今日こそは、秋月に避けられないようにココアを置くんだと、いつもの愛らしい笑顔で急いで研究所へと向かう加奈を見送って、自分も帰ろうと思ったとき。体育館前の渡り廊下をつっちーがこちらに向かって歩いて来ているのが見えた。
『つっちーおそーい』
そう言いつつも、毎日未来が練習終わるまでちゃんと待っていて、一緒に帰ってくれているつっちーには感謝してる。言ってあげないけどね。
『おー。携帯忘れて取りに行ってたんだよ』
手に持った黒色の平たい小さな携帯を、こちらの方にひらひらと見せるその様子を見て、アタシはハッとした。
『まって、アタシも忘れたわ』
『なにやってんだよ……』
おいおいと言うような顔をしたつっちーに、うるさいと鞄を殴り付けてからアタシはその場を離れて教室へと戻った。
ただ携帯を取ってそのまま帰るつもりでいたアタシは、特に何を気にするでもなくその扉を開けようとしたその時に、教室内から不審な笑い声を聞いた。
『きゃはははっ! ほら、みんなもやっちゃいなよ』
それは、去年も同じクラスだったクラスメイトの瀬戸茜の声。そして、その取り巻きの須田と伊崎、他にも何人かいるみたいだった。
『ちょっと、やり過ぎじゃない? あっでも見てよこれ、傑作でしょー!』
『いいねいいね! 次はこれでどう? あはははっ!』
ああ、きっとしょうもないことしてるんだ。
そう思いつつ、何をしているんだろうと気になって、携帯を取ったらその様子を見ようかなとも思ったそのとき。
『茜、本当に相沢さんのことキライだよねー』
その聞き捨てならない言葉が聞こえた瞬間、扉を開けようとしていたアタシの手はピタッと止まる。
『嫌いっていうかさ、単純に調子にのんなって話なんだよねー。加藤の一目惚れの件もそうだけどさぁ、土屋君といい、谷川や秋月。しかもウワサじゃ、高等部の弥重先輩まであいつのこと大事にしてるって言うじゃない。
完全にビッチじゃん? 目が青くて皆から酷い扱いを受けやすいって事を逆手にとって、男に媚びてるだけじゃないの! あははっ!』
何を言ってるの。
そんなこと、あの子がするわけない。つっちーや加藤はともかく、谷川たちはただ友だちとして近くにいるだけじゃない。
その目が青いっていうそれだけで、あの子がどれだけ苦労してると思ってんの。
そのとき多分、自分で思ってるよりも腹が立っていたようで、握った手に自分の爪がくい込んで痛かった。
だからだと思う。彼女らが話す次の内容に、アタシがここぞとばかりに顔を突っ込んでしまったのは。
『そういえば、もうすぐ球技大会じゃん? なんかバスケ部の応援で出るんだってね』
『あーそうそう。でも絶対何かしらでズルするよねー。キューブ使ったりしてさ、皆にいいところ見せようとしてまた張り切るんじゃない?』
『えーウザー』
『でもさぁ、相沢が出るんなら、ウチら負けると思わない?』
『えー、ビッチと弱小バスケ部には負けたくなーい』
『あはははっ』
『ねぇー瀬戸さん』
半ば勢いで開けてしまった教室の扉。その先にいる瀬戸と須田と伊崎に向かって、アタシはある提案をした。
『そんなに未来に負けたくないんなら、アタシが入ってあげようか』
ヤバいと焦る彼女らの顔と、ガキがやるようなマジックでラクガキをされている未来の机を見たアタシは、多分ね、ニコニコして言ったと思う。
『その代わりに、もし未来のチームに負けたら……』
「長谷川! フォロー!」
彼女らとした約束を思い返したのち、自分の背中側から瀬戸の声が聞こえた。
試合を始める前と、現在の今の彼女では、明らかに顔つきが変わっていた。
そうだよ。未来の事を悪く言うのはお門違いだってことに気付け。
周りにいる人があの子のことを大事に思うのも、好意を寄せるのも、それは媚びるからじゃなくて、あの子の凄さに魅せられるからなんだって。相手に何かを求めることも無く、褒められたいわけでもなく、ただただ、いつだって誰かのためを思っているだけなんだってことを。
あの子の周りに人が集まってくるのは当たり前のことで、寧ろ、今までどうして非難され続けているのかが不思議になるくらいなのだから。
瀬戸の声を聞きながら、アタシは周りの状況をいち早く確認する。
目の前にはアタシが大好きな未来がいて、真剣な顔でこちらの動きを遮ってくる。背中側から瀬戸に弾かれたボールが飛んできているらしく、それを未来に捕られないよう必死で走る。
でも、そう簡単にこの子がそうさせてくれるはずもなく、アタシの横を全力で追いかけてくる未来はアタシと一緒に手を伸ばす。あと数センチ。あと数センチで届くボールは、未来がまたあの俊敏な動きを使ってアタシの視界からボールを瞬時にかっさらっていく。
だけどそう簡単には渡さない。
逃げるなら追いかけるのみ。
彼女が次に現れるであろうその位置まで、自分もすぐさま移動する。だけどやっぱり、それすら考えて動く未来はアタシの一歩前を行く。そこにいるはずなのに、気が付けば、アタシの背中側に彼女は既にいる。
ああ本当に強い。強いなあ!
驚きと、興奮とが入り交じった変な感情を抱きながら、アタシを出し抜いた未来は自分の苦手要素とわかっていながらも、ゴールから比較的離れた位置であるにもかかわらずシュートを決めて見せた。
そんな光景を見て、アタシの心の中では、考えるべきではない色んなことが渦巻いていた。
ずっとこうやって、普通の中学生として、一緒に過ごせていけたらいいのにと。
死人なんて存在しない世界で。
マダーなんていう役割がない平和な世界であったら良いのにと。
そうしたら、もっと普通に出会えてた。
そうしたら、あんな事することも無かった。
そうしたら、あなたを傷付けなくて済んだ。
そうしたら、もしかしたら
アタシたちは、親友に……なれたのかな。
『ねぇー瀬戸さん。そんなに未来に負けたくないんなら、アタシが入ってあげようか』
『え?』
不審そうな顔をする瀬戸に、アタシは更に話をもちかけた。
『その代わりに、もし未来のチームに負けたら……謝ってよ。今言ったこと、全員』
『うわ、盗み聞きしてたの? 最悪。キモー。大体なにその駆け引き。長谷川が手ぇ抜く可能性大じゃん』
『そんな事しない』
『そんなの、わっかんないじゃん。無理無理、信用ならないよ。ねぇみんな』
『そうそう。絶対相沢に謝らせるために手加減するって!』
『わざとウチらが負けるように仕向けるつもりでしょー?』
『ねー。目に見えてるじゃんね』
まぁ、信じられないのも無理はないよね。だけど、本当にその可能性は皆無だよ。
『確かに、アタシはいつだって未来の味方でいるつもりだけどね。同じぐらい、戦いにおいて手は抜かないって決めてるんだよ。だから』
『だーから、信用出来ねぇっつってんの』
そう言われた瞬間、バシャッと液体がかかる感触を味わった。
『うわっきったなーい! 綺麗な顔が台無しだね? まぁ、派手な格好から一転して地味になった時点で、その見た目の良さも既に半減しちゃってたけどねぇ』
不愉快そうな顔をした瀬戸が手に持っていたジュースを、勢いよく頭から掛けられたらしかった。お砂糖まみれのあまーい液体は、アタシの髪と顔をベトつかせながら流れて床へと滴っていった。
だけどそんな事はどうでもよかった。それ以上に許せなかったのは、彼女達の言葉だったから。
『本気でやり合えば、あの子のことがよく分かるよ』
相沢未来という存在を、のっけから否定していく彼女達の言葉が許せなかった。
だって、アタシがそうだったから。
『知ったような口振りで悪口言う前に、あの子のこと正面から見てみなよ。その為に、ちゃんと平等な試合ができるようにアタシが未来にベッタリくっついとくからさ』
今思えば、あの時のアタシがあんな風に提案したのは、アタシの中での一種の罪滅ぼしだったのかもしれない。
初めて出会ったあの日あなたを傷付けたことに、アタシはアタシの事が許せないでいるからかもしれない。
だけど、例えそうであったとしてもそうでなかったとしても、やることは変わらない。
守るよ、どんな悪意からでも。
例えそのせいでアタシがどうかなるとしても、そんなの振り払って守りきってみせるって決めたから。
あなたはまだ、右腕の傷跡のことをアタシには話さない。過去の話は、一切してこない。
でもそれでもいい。
未来が話したくなければアタシは聞かない。話したいと思うなら、全力で聞こう。あなたがその心の傷を、誰かに打ち明けたいと思うときが来るのなら、アタシはそのとき話したいと思ってもらえるような友達でありたい。
あなたと、これから先ずっと、対等で居続けたい。
アタシはあなたのとなりを、自信を持って歩いていきたい。
だからお願い。
その為に今、全力でやらせてほしい。




