元・意地
それが起きたのは一瞬だった。長谷川が未来の目の前から消えて、気がついたらもう、ボールはゴールのネットを通過していた。彼女たちは、俺たちが見たその光景の後から数秒経った今でもまだ、お互いの顔を無言で見つめ合っている。
「なに? 今、なにが起きたの?」
阿部がきょろきょろと周りを見ながら聞いてくる。
「吸収、したんだよ。未来の動きを」
驚きと尊敬が混じったような俺の返答に、どういうことだと皆がこちらを見るあたり、恐らく今の状況を誰も理解出来ていないのだろう。だけど、それもそのはずだと思う。何せいま長谷川がやって見せたのは、疑いようのない瞬間移動だ。秀も斎も見えなかったって言っていた、『未来と同じ瞬間移動の動き』だったから。
「今の、長谷川がドリブルしてたのを急にやめて手に持っただろ。あれは、ボールを突いたまま普通に走り回ってると、そっちに意識がいって速く動けないからだ。
だけどボールを持ったままドリブルせずに移動するのはトラベリングで反則になる。だから、長谷川は未来がさっきしてきた瞬間移動の動きを瞬時に自分のものにして、同じように使って一歩で未来の横に出て、そこで跳ぶことでシュートに繋げたんだ。
持ったままでも3歩までは動けるっていう反則を取られないルールの範囲の中で、未来を出し抜くために。更に言えば」
「相沢の恐怖心を煽るため……だな」
勘のいい斎が、こちらを見ながらそう言葉を繋ぐ。
「そういうことだ」
自分がしてきた動きを、長谷川も同じように出来るようになる。それは、勝利をもぎ取るためにしてきたはずの未来の動きも力も、それらが全て長谷川達の力になるということ。つまり、未来が頑張って動けば動くほど、未来たちのチームは不利になるという事実を、長谷川は見せつけようとしているんだ。
「ちょっとマズいね。長谷川さんまであの動きができるようになるんなら、未来はともかく、吉田も世良も、私と同じであの動きにはついていけないよ」
それを分かっているようで、保井が心底不安そうな顔をするので、俺は自信を持って言ってやる。
「大丈夫だ。未来は、強いから」
バスケも、もちろん、それ以外も。
目を丸くした保井は数秒こちらを見てから、「そうだね」と笑ってコートの方に顔を向ける。
そこでは既に激しいやり合いが再開されていて、調子を上げている長谷川はもちろんだが、焦ったような様子だった未来はもう落ち着きを取り戻していた。いや、どちらかと言うと先程よりも更に落ち着いているように見えた。
長谷川が未来から離れようと。シュートに繋げようとして瞬間移動を何度も試しているけど、一度それを見てしまった未来は二度目なんて絶対に許さない。長谷川が消えたように見えたときには既に未来も消えていて、次にそこにいるであろうその位置に正確にくっついていくのだ。
「未来、邪魔ぁあ!!」
「凛ちゃんこそ鬱陶しいよ!!」
そんな暴言を吐き合う彼女達は超人的な動きをしているが、お互いがお互いを牽制し合うために長谷川の思惑通りにはいかず、他のチームメイトは彼女らと接触しないで済んでいる。
だけど、気のせいだろうか? 特に変わりなく試合を進められているにも関わらず、少しずつ、吉田と吉住のコンビネーションが乱れてきているのは。噛み合っていたはずの歯車が、ごく微妙なタイミングのズレを生み始めているように見えるのは。
「キャプテン!」
ボールを吉田へと送る吉住のパスも。
「世良っ!」
吉田から吉住へと投げるボールも。
「無駄無駄!」
それらが瀬戸によって阻まれる回数が増えてきたように見える。
「そう何度も打たせないよ」
長谷川と対峙していた未来は、彼女が他のメンバーの元に行ってしまわないよう目を離さない。なおかつ、シュートをするため瀬戸からボールをもらっていた須田の懐に入って強引にボールを奪い去る。
だけどその動きを予想していたらしい長谷川も瞬時に未来の近くへと体を寄せて動けないようにさせられる。
「七瀬ちゃん!」
未来は苦し紛れに背中をそらして長谷川のブロックを避け、自軍のゴールの方へとなんとかボールを投げた。
ゴールの位置からは少し乱れてそのままでは入らないが、ほとんどネットの真上に来たボール。その近くにはさっきまで自軍のゴールへと向かって走っていた吉田がいる。だから、彼女はそれをキャッチしてそのままゴールを決めるはずだと、未来は思っていたのだろう。
だけど、その予想は外れることとなる。
吉田に延々とマークし続けていた瀬戸が、ここぞとばかりにそのボールを奪いに来るのだ。彼女らのいる位置から少し先にあるボールを、ゴールに入れるために、入れさせないために、必死に走るふたり。ボールのある位置まで近付いて、少し跳び上がれば手が届く距離。
そんな競り合いの中、吉田の体が、いや、足だろうか。その場で跳ぼうとした瞬間彼女はガクンっと急激に床と近くなって、こけかけて体勢が崩れた為にジャンプができず、ボールに手が届かない。
先に手が触れた瀬戸に捕られてしまい、彼女はそのままぐるんと方向転換してもう一度須田へと放り投げる。
未来はそれを防ごうとするが、長谷川がそばにいるために進行方向を遮られてしまい、すぐ近くで須田がシュートを決めるその光景を見ているだけに終わる。
「いぇーーー!!」
歓喜の声を上げる須田と対照的に、はぁはぁと細かく呼吸をする吉田は悔しそうに顔をしかめた。そしてその様子を未来が心配そうな表情を浮かべて見ていて、すぐ近くにいる吉住は彼女に声をかけに行く。
「キャプテン、大丈」
「大丈夫。いけるよ」
言葉を最後まで聞かないで自分に言い聞かせるように言った吉田は、次に未来の方を向いて大きく頷く。
「未来。大丈夫だから、そのまま続けて」
その吉田の言葉に、未来は少し考えるようにしてから同じように頷くことで彼女の願いに応える。
「疲れてきてるんだね、みんな」
隣にいる秀が、試合を見ながら十中八九間違いないその理由を口にする。
「世良はまだなんとかって感じだけど、パスが乱れてきてるし、余裕ではなさそうね」
保井も同意して心配そうにコートを見続ける。
ただでさえ第一試合から一切交代しないで全力で試合をし続けている彼女たち。
特に吉田は、決勝戦が始まってからずっと運動神経抜群な瀬戸にマークされていて、そこから離れたいがために常に短距離走でもしているかのような走り方をしている。
頼みの綱の未来は長谷川の味方への接触を防ぐために、吉田とは反対にそこから離れないでいるから、いつも通りの連携プレイなどはなかなか出来ない。
それでも、やはりここぞというときにボールを託されるのはキャプテンである彼女であり、それを決めなければならない義務がある。
そうやって地味に地味に溜まってくる疲れとストレスは、じわじわと動きに支障をきたしてしまうんだ。
「まぁ、相当キツいポジションだろうよ」
それでも、吉田はきちんと自分の役割を果たすのだ。滴る汗を拭って、整わない呼吸を必死に落ち着けて、疲れで動きにくくなってきた足に鞭を打って。
自分たちの勝利を掴み取るために。
幾らか取って取られての攻防が続き、吉住が須田に邪魔されながらも下から上に投げるようにして、ゴールにボールが近付いた。そのまま入るかと思いきや、バックボードに当たって小さく跳ね返ってきてしまったそのボールを、真下で待ち構える瀬戸。
このままだと捕られると俺が思った刹那、瀬戸の真横から吉田がぐっと床を踏み込んで跳び、右腕を伸ばした。
ハッとした顔の瀬戸の横で、ゴールに打ち直す余裕は無い吉田はそのまま片手で打ち返して、後ろにいる誰かへとパスを出す。
それに気付く未来と長谷川が、前方に飛んで来るボールを見据えふたり同時に駆けた。ゆっくりふんわりと落ちてくるのと対照的な全速力で走る彼女らのうち、落ちてきたボールを先に捕らえたのは……未来。
そして掴んだそのボールを、誰の名も呼ばず、誰かがいることすら確認せず、彼女は一直線にゴール上へと投げる。
後ろは見ない。前も見ない。悩みなどしない。
だってそこに、いるはずなのだから。
「あぁぁぁぁっ!!」
大声で叫ぶ吉田のフルスイング。
確認しないで投げたその先に、既に跳び上がって待ち構えていた彼女はボールを叩き付ける。久しく、ドゴッ! とボールが激しくネットを通過する音が響いて、そのまま床にも勢いよく接触して高く跳ねた。
「きたぁああああっ!!!」
体育館中に湧き上がる大きな歓声を受けた吉田は着地して、肩で息をする。ボールがひとりでに跳ねるタンッタンッという音が響く中、彼女はそのまま何度か呼吸をして天井を見上げ、「未来」と小さく呼びかけた。
「それでいい」
試合残り時間、5分。29対29の同点。
今度はハッキリと言い切る彼女に、未来は大きく頷いた。そんな彼女の横にいる長谷川に、瀬戸が怒号を放った。
「長谷川! 本気でやれ!!」
「はぁっ!? 本気じゃないように見えんの!?」
眉間に皺を寄せて間髪入れずに叫び返す長谷川は、それだけ言ってから足元に目を向けた。
「やってるよ。そういう約束なんだから」
すぐそばにいる未来には聞こえないぐらい小さな、俺たちの耳でも辛うじて聞こえる程度の小さな声で、彼女はボソッと呟いていた。




