元・トレース
腑に落ちない微妙な気持ちのまま未来へと渡す飲み物を見つめ、その後体育館へと戻った俺に秀が声をかけてきた。
「土屋、飲み物買いに行っただけにしては遅かったね。どうしたの?」
何かあったのかと疑う秀に、俺は瀬戸や伊崎の話を言おうか迷ったが、すぐ近くに未来がいることと、何より事情を全部知らないままそれを話そうという気にはなれなかった。
「いや、水とお茶で迷ってただけ」
「相沢なら大抵水飲んでるでしょ。何を迷う必要があるのさ」
やっぱり秀も水だと思ったか。
「そのときの体の状態に合わせてんだよ。ほら、未来」
俺も最初はそうしようと思ったのだが、お茶、水と並んでその横にもうひとつ、いいものを見つけたのでそっちを買うことにした。
皆が水分補給している時間、長谷川と阿部と3人で会話を弾ませている未来に俺が手渡したのは、水でも茶でもなく、塩分と糖分が入ったスポーツドリンクだ。
こちらを振り返った未来は、キンキンに冷えたそれに視線を向けた後、素直に受け取って今度は俺に笑顔を向けてくれる。
「ありがとう」
「……おう」
感想こそ何も言わないが、蓋を開けて勢いよくごくごくと飲んでいく姿を見る限り、選択は間違いではなかったのだろうと思う。
水分は勿論摂るべきだが、頭を使っていて糖分補給が必要だと思ったことと、何よりも未来はこの暑い中長袖で走り回っていた。だから、塩分も絶対に補給しててもらわないと倒れちまうだろうと想像がついたのだ。
「なるほどね」
秀が小さく笑って親指を立てたのを見てから、周りを見渡す。
ちらほらと試合メンバーがまたコートの方に向かっていて、世紀末先生も自分の腕時計を見ていたりするから、恐らくもうそろそろ後半の試合が始まるのだろう。
「長谷川」
試合が始まる前にと思い、お茶を飲んでいる長谷川に声をかける。
「んー」
「事情、何となくわかった」
唐突に告げる俺の言葉に、長谷川は喉からごくんっと音を鳴らして口の中のお茶を流し込む。
「……まじ?」
「うん。さっき、断片だけ知った」
未来たちは何のことか分かっていないだろうからキョトンとしているけど、長谷川は少し苦い顔をして俺に答える。
「えー。アタシ思いっきりヤバいやつ気取りでやってたのにぃ。なに? もしかしてアタシ悪役とか向いてない感じ?」
「いや、最初は嵌められたよ。若干だけど疑っちまった。だからごめん」
ぐぐぐっと手を組んでストレッチをし始める長谷川に謝って、彼女がその体勢のまま俺を見たとき、世紀末先生が皆を呼ぶ笛の音を鳴らす。
「じゃ、そういう事だから。アタシの応援もよろしくー」
「長谷川」
軽く俺の肩に手を乗せてから小走りでコートへと向かった長谷川を呼び止めて、その背中に、ありったけの気持ちを乗せて言葉を投げる。
「信じてるからな」
ぴくっと肩を一度揺らした彼女は、少ししてからゆっくりとこちらに顔を向ける。
「いえっさー」
照れたように笑う長谷川は、すぐに前を向いてコートの真ん中へと走っていった。
そんな変な会話をしていた俺を、未来は一目見てから彼女を追いかけるようにして走っていく。
阿部の【聴力解放】はまだこの空間では有効なままのようで、俺が元いた秀と加藤の間に座って自分も水を飲んだとき、未来たちの会話が耳に入る。
「何の話?」
「んー、そうね。つっちーは未来ちーにゾッコンだーって話」
「ブフォッ!!」
「ちょっと、土屋きたない……」
くそっ!! 変な風に言わないよう口止めしとけばよかった!!
口に入れていた水を吐き出しそうになった俺に、大丈夫かと心配してくれる斎と、きたないの一言で終わらせてしまう秀の対応の違いが悲しい。
なんとか水を胃の中に押し込んだ俺は安心して一息つくと、丁度試合開始のピッという笛の音が聞こえて、すぐにそちらへ目を向ける。
世紀末先生が投げ上げるボールを、ジャンプボールで吉田と長谷川がともに跳び上がる。ボールが最高到達点に達した瞬間、一番高い位置でボールに触れるようその瞬間に合わせてタイミングよくジャンプしたふたり。リーチの長い吉田の方が先にボールに手が届く。
「たっかいねぇ!」
悔しそうな長谷川の顔が吉田に向けられたそのとき、飛ばされたボールを未来がダッシュしてキャッチする。
床に足が着く前から体を空中で未来の方へと向けていた長谷川は、着地した瞬間に彼女へとすぐにマークにつく。
「世良ちゃん!」
コートの左端に既に移動していた吉住へと、マークを避けながら未来は勢いよくパスをする。
「キャプテン!」
吉住が受け取って自軍のゴールへ走りながら、吉田へとボールを投げる。ジャンプボールの位置からコートの右端へ移動して吉住と同じようにゴールへと走っていた吉田も、それを確実にキャッチする。
更に彼女たちはコートを目一杯使い、右端から左端へと交互に投げて長谷川のチームの2人を翻弄する。そして未来も、先ほど瀬戸に見せた『瞬間移動』のような動きで長谷川の横に出る。
「甘いよ!」
ゴールへの侵食を抑えたい長谷川はその動きを見切って更に未来の進行方向を遮ったが、次の瞬間また彼女は消えたように見えた。
「こっち」
一言告げた未来は、その瞬間に2度目の瞬間移動をして長谷川の更に横へ出て、床を押し上げるように蹴って走る。
「このッ!!」
長谷川が未来の方へと振り返った直後、端から端へとボールが繋がれてどこに行ったらいいか迷わせたところからのドセンター。誰もいない、ゴールに近いコートの真ん中から、その驚異的な脚力で跳び上がった未来の目の前、ゴールの真上へと吉田がボールを飛ばす。
「らぁっ!!」
声を張り上げた未来は、そのボールに向かって全力で手を振り下ろす。
風を切った彼女の小さな手は、ボールのド真ん中を射止め、ドゴンッ! と強引にネットへと押し込み点をもぎ取った。
「ナイスナイス!」
ゴールから飛び降りた未来はそのまま吉田と片手でハイタッチをして、すぐに長谷川のマークについた。
「すっげ、さっきの、長谷川見えてたのか?」
斎が目を見開いて言うので、俺はうんうんと頻りに頷いて肯定する。
今の未来の動き、2回目こそ躱されたものの、1回目の瞬間移動は長谷川は確実に見えていたようだ。だとすれば、次はもう完全に掴まえられるかもしれない。
「ふふっ。やっぱり未来ちーは凄いね」
未来のすぐ近くで笑う長谷川は、「でもね」と不敵な笑みを浮かべる。
「未来が出来ることは、きっとアタシも出来るよ?」
「え?」
その言葉に驚いた未来が長谷川を見たとき、須田が瀬戸に向けてスローイン。その直後、パスをさせない為に長谷川の前で動きを制限していた未来の意表を突く彼女は、前ではなく後ろへと走る。
それに気付く未来は必死に走って追いかけたが、長谷川の俊足には敵わない。ゴールへと何も持たずに一直線に駆け抜け跳び上がった彼女へと、瀬戸は周りのブロックを掻い潜ってボールを投げた。
その瞬間、恐らく誰もが度肝を抜かれただろう。
ボールを持たずに跳んで、そこに迷いなく、しかも極めて正確な位置にボールを送った瀬戸。そして、それを信じて手をゴールへと打ち下ろした長谷川の姿は、さっきの未来と吉田のコンビネーションを思わせる。
ドガッシャン!
長谷川がボールをネットに押し込んだ際に鳴った、ボールが擦れてゴールが揺れる音は、この場にいる全員を驚愕させ、未来たちを恐怖へと陥れる。
「……マジ、か」
無意識に出る俺の声に重なって、体育館に大歓声が沸き起こる。
「うおおぉぉおお!!」「すっげぇ!!」「何なんだあいつらヤベェ!!」「かっこいいっ!」
彼女たちに華があるからか、どちらかというと男が多いらしいその歓声の中、未来が少し狼狽えたような顔をした。
「言ったでしょ? アタシも出来るって」
そんな未来に、降りてきた長谷川はニヤリと笑って言った。
「次次!!」
パンパンと両手のひらを叩いて切り替えを促す吉田を見てから、加藤が俺や秀の方を見て首を傾げる。
「のう、お主ら。ワンオンワンのときの相沢さんもそうじゃったけど、マダーっちゅうんは相手の動きを真似たり、何かあった時の最善の対応をする事に長けてたりするんか?」
「いや、確かに戦いの場において最善が何かを判断する力は一般人よりは備わってるだろうけど、今見た動きをトレースするなんて技量は、全員にあるわけじゃねぇよ」
俺が答える横で、秀も首を縦に振る。
「多分だけど、そういう相手を見る力みたいなものと、凄まじい身体能力の2つをあのふたりは持ち合わせてるからじゃないかな」
しかも、それだけじゃない。長谷川が未来の動きを同じように使ったとしても、そこにボールを置いてくれる『相手』がいないと今のは成立しないシュートの仕方だ。
つまり、長谷川だけじゃない、瀬戸もその能力を持っているということ。
「どうなってんだ、これは」
話している間に、彼女たちの試合はどんどん進んでいく。
何度かゴールとボールが当たる音と、絶え間なく響くドリブルの音。そして、スパイクの鳴るキュッキュッという音。
それらが暫く続いた23対24のある時、珍しく吉田が相手の1人にぶつかりそうになってドリブルしていたボールを弾いてしまった。勢いよくバウンドして転がるボールはこのままだとコート外に出てしまう。
それを必死に追いかけた未来は何とかボールを捕え足を踏ん張り、苦し紛れにくるっと体を回転させながら跳び、ゴールの方へと投げる。しかしそのボールはギリギリゴールの向こう側へと落ちて、シュートは入らない。
「だめかっ!」
少し早まったか、そのままボールは瀬戸の元へと飛んでしまって相手ボールとなる。
未来はすぐに長谷川の元へとマークしに戻るが、それよりも先に長谷川にボールが回される。タンタンとドリブルの音を鳴らしながら彼女は未来と向かい合い、お互い出方を疑う。
そして、何故か長谷川は、急にボールを突くのをやめて両手に持った。
その行為に、全員が不審に思った瞬間だった。
未来の目の前にいた彼女が消えて、誰かが未来の横を通って、そこにいる全員の反応を許さないまま、ゴールのバックボードにボールが当たる軽いトンッという音が鳴った。
未来がハッとして後ろを振り向いた姿。空中に浮かぶ長谷川と、ボールがネットをくぐり抜けて落ちてくる様子は、俺にはスローモーションのように見えた。
小さくトンッと着地する長谷川の音と、その後遅れてボールが落ちてきて、タンタンと小さく床を跳ねた。
「……最悪だ」
俺はつい、そう言葉を漏らす。
嫌な逆転の仕方をされてしまった25対24の数字。
焦ったような、そしてやられたというような顔をした未来と、真剣な顔の長谷川は、お互いに何も言わなかった。




