元・陽炎
体育館から外に出て、ジリジリと熱い日差しが照りつけてくるものの、熱気がこもった中みんなの大きな歓声や応援の声で更に暑く感じた館内よりは、風がある外の方が涼しいなと感じる。
自販機まで少し早歩きになりながら鼻歌を歌っては、さっきの世紀末先生の対応を思い出していた。未来をきちんと庇いながらも、それが個人的な気持ちからではなく客観視した際に思ったことを話した先生は、さすがだった。本当にありがたい。
未来も、あの後の試合最中、ちゃんと笑えてたな。良かった、あれ以上辛い思いをしなくて。
俺もあんな大人になりたいなと呑気に思いながら、自販機前に到着した俺はそこに並んだ沢山の種類の飲み物を凝視する。
未来は基本的に、水かお茶どちらかしか飲まない。糖分を必要以上に摂ると、動きが鈍くなってしまうんだそうだ。だけど現時点では、長谷川とのマッチアップが多すぎて恐らく頭の疲れも出始めている頃だろうから、少しぐらいの糖分補給はいいかもしれない。
どうするべきか悩んでいると、どこからか、誰かがこそこそと話している声が聞こえた。それだけなら、何か話しているのだろうと思って別に気にしたりしないのだが、その会話の中に『木岡』という名前が聞こえたため、俺は気付かれないようにその声が聞こえる方を少し覗いた。
自販機の丁度後ろぐらいに、体育館の正面の入口じゃなくて横から入れるドアがあるのだが、そこの前にある階段に座って話しているらしい。それは、今未来の試合相手になっている瀬戸の取り巻きで、球技大会直前に長谷川とチェンジをしていた元メンバー、伊崎とその友だちのようだ。
「本当、参っちゃうよねー。あんな言い方されたら、相沢さんじゃなくてウチでも参っちゃうよー」
「ねー。可哀想だったね」
なんだ、さっきの木岡先生の言動についての非難か。
どうやら俺も、さっきのせいで疑心暗鬼になっているようで、もしかしたら未来の事を悪く言われているのではないかと思ってしまい、少し申し訳なく思う。
そうではないなら別にいいやと、小さな小銭入れから金を出して払ってやっとの思いで選んだ自販機の1つのボタンを押す。
「今回は、よっちゃんが上手く纏めてくれたけどさぁ」
ピッ
「もっと上手くやってくれないと、私らが嗾けたってバレちゃうじゃんねぇ」
ガコンッ!
自販機から1本のボトルが落ちてくる音の後、カランッカランッとお釣りが返ってくる音がする。
自分の後ろのグラウンドで、何かの試合をしている音と声が聞こえる。
だけど、先程まで小声でペラペラと話していた自販機の奥にいる同級生の女たちは、今のガコンという音の直後から一切喋らなくなっていた。
目の前にはボトルが手に取れる位置に落ちてきていて、お釣りも取らないといけない。だけど俺は、そのボトルを取り出すことも、体育館に直ぐに戻ることも出来ず、今の会話の言葉が頭を駆け巡る。
一瞬の間に何度も何度も考えた。冷静に、さっきみたいにその場の感情に任せないように。だけどどう考えても、どんなに思考を巡らせても、つまりそういう事なのだとしか俺には考えつかなかった。
「なぁ。今の、どういうこと?」
少しの間を置いて、俺はゆっくりとお釣りを取って小銭入れに入れ、買ったボトルを取り出す。
「やばっ、行こ!」
焦った声で言った彼女たちは、ガバッと立ち上がって急ぎその場を離れようとする。だけどもう遅い。
俺は今の話を聞いてしまったから。話の内容を知った上で、その全容を知らないまま逃がすことなどするはずがないのだ。
「ひぃっ!?」
彼女たちの進行方向である俺から背を向ける形で走ったそのすぐ前に、キューブを瞬時に展開させた俺は【陽炎】を作り出す。
これはよくある気象現象で、よく晴れていて日射が強く、風があんまり強くない日に見られるもやもやとしたゆらめきのこと。 実際今も、俺の足元にも自然に出来た陽炎が揺らめいてはいるのだが、漢字に炎が入っているからこそ連想できてキューブで作ったものは、その比ではない。
彼女たちの目の前に作った陽炎は、強く強く揺れて、奥の景色が全く見えないほど強く立ち昇っていて、半ば自然現象で出来た壁のようなものなのだ。
「ちょっと、土屋君さ、さっき阿部さんに言われてなかった? キューブを人間に使うのは刑罰だって」
「あぁ、言われたよ。でもこれは、刑罰には値しない範囲の使い方だから問題ない」
この陽炎というものは、先にも言ったが自然現象からだって起こることが出来るものだ。だから、例えそれがどれだけ強く作られたところで、そこに手を触れようと身を乗り出そうと、一切害はないのだ。
だけどそれを知らない彼女たちは、その先に行こうとは決してしないだろう。
「一般人は詳しくは知らないだろうから、教えてやる。キューブを使うに当たっての決まり事は3つ。
ひとつ、使用は夜に限ること
ひとつ、使用は基本的に対死人に留め、必要であればその他にも使うこと
ひとつ、人間に対し傷つける意図で使用する場合は、重い罰を受けること
夜に限るってのは、守らなくても別に罰せられるもんじゃねーからいいとして、最後のやつだな。俺は傷つける意図では使用していない。だからその点については安心しろよ」
俺はこちらを睨むようにして見ている女子3人を睨み返して、ゆっくりと言う。すると伊崎は安心したのか、それとも俺が甘いことをしているように感じたのか、ハッと笑って俺に言う。
「土屋君ってさぁ、さっきもそうだけど、いつも相沢さんの肩持つよね。相沢さんに非があるんじゃないかとか、思ったことないの?」
「あいつは、今まで誰よりも傷ついてきてんだよ。傷つけられて傷つけられて、それでもいつだって必死に耐えて、誰かのせいにしたり陥れようなんて一切してこなかった」
未来は悪いことなんてしてないんだ。ただ、自分の役目を果たす為に毎日努力して頑張ってるにも関わらず、周りの人間が碧眼だ化け物だなんて誇張するせいで、必要無いぐらい辛い思いをしてきてるだけなんだ。
「俺は、俺が見てきた未来を疑う事はしない」
「へぇ。それって幼なじみだから? それとも、好きだから?」
伊崎、下の名前はなんていうんだったかな。それぐらいほとんど話したことは無いはずなんだけど、やたらとグイグイくる奴だな。
「関係ねぇだろ。それより答えてくれないか。今言ってた、私たちがけしかけたって話について」
そう話を持ちかける俺に、彼女たちはピクリと体を1回だけ少し上下に揺らす。
「あいつが傷つくように仕向けたのは、お前らだってことか? 木岡先生に未来がルールを破りそうだからしっかり見といてくれとかなんとか言って、無駄に粗探しでもさせてたんじゃないのか。もし何かあれば、ちゃんとそれを教えてやれって」
なんとか落ち着いて話を進められているが、俺が考えたその内容が当たっていたのかそうではないのか、彼女たちは黙りを続けている。
「未来の何がそんなに気に入らねぇんだよ」
彼女らの奥に立ち昇る陽炎が、俺の心の状態に合わせてゆらゆらと揺れる。ゆっくりと揺れていたはずのそれらは、時間が経つとともに大きく大きく揺らいでいく。
いつまで経っても問いかけに答えない彼女たちに、次第にイライラしてきて、ボトルを持っていないキューブが張り付いた手を力いっぱい握り締めて耐える。ギリギリと左手が音を立てたそのとき、俺の後ろから「やめなよ、みんな」という声がした。
振り向いたときに目の前にいるのは、瀬戸だった。
「瀬戸、お前も何か知ってるのか」
瀬戸もグルだということかと思ったが、どこから聞いていたかによっては話をしてくれるかもしれないと思い、その考えを一度改める。
「ごめん、詳しくは話したくない。だけど安心して、長谷川と約束してるから」
「長谷川?」
「うん。だから、今回の事は一旦大目に見て欲しい。ちゃんと……この試合が終わったら、ちゃんとするから」
それだけ言った瀬戸は、ごめんねと俺に頭を下げた。その様子に驚いた俺は、伊崎たちがそそくさと位置を移動して、瀬戸に声をかけ体育館へと戻っていくのを、ただ呆然と見送ってしまっていた。




