元・怒り方
緊迫した女子コートを、変わらず阿部の【聴力解放】で会話を聞きながら体育館の端っこで座って見ている俺たちは、そこで繰り広げられる凄まじいやり合いに目が離せないでいた。
敵に捕られないよう高く長く飛ばされたボールを、すぐ隣にいる長谷川よりも少し早く踏み込んで跳んだ未来は、小さな手をいっぱいいっぱい広げてボールに添える。
ギリギリのタイミングで先にボールに手が届いたそのまま、バレーのトスのように体をのけぞらせ、ゴールに背を向けたまま後ろ向きに投げ入れてゴールを決めた未来。そんな光景を見て、加藤を挟んで俺の隣にいる阿部が大きな声を出した。
「未来ちゃんすごい〜!」
「本当、すごいしか言いようがないね」
彼女たちの耳にもその声が届いたらしく、長谷川が笑った。
実際俺も、未来の動きを見てすごいという言葉以外に何か言い表せるかと聞かれれば、まず無理だと答えると思う。
だけど、あんなセンスの塊みたいなやつだからこそ、いい意味でも悪い意味でも目を引いてしまうのかもしれない。きっとあの素晴らしさを目にして、割れる意見は恐らく2つ……嫉妬と羨望。
そして、長谷川は未来に対して、その両方の感情を持ち合わせているのだろう。
「それぐらい知ってるのは知ってるんだけどさあ、対応、ちょっと早すぎるんじゃない!?」
驚愕する長谷川に、未来は何を驚くことがあるのかと言うような顔で少し見上げて言う。
「前に言ったことがあるよね。キューブの大会観るのは勉強になるからよく行くって。力自慢の人達が集まる中で、ぶっちぎりの1位を取り続ける凛ちゃんの戦い方、研究してないわけないでしょ?」
少し驚いたような長谷川の様子を見た斎が、意外そうな表情でこちらを見た。相変わらず蹲っている秀の向こう側から覗いたその顔は、今の未来の答えについて不思議に思っているようだ。
「なあ土屋? 相沢でも研究とかってするのか?」
「あー、鍛錬ばっかりしてるイメージがあるか」
まあ、研究するのも戦いに活かすためだから、それもあながち間違いではないけど。
「未来はさ。強くなるためなら取り入れられるものは全部取り入れるんだよ。だから、体鍛えたり体力作りしたりの合間を縫って、めちゃくちゃ調べ物してたり実力者の動画見てたりしてんだ」
「ストイックじゃな」
会話に混じってくる加藤は、口だけ動かして未来をじっと見つめたままでいる。
「俺もここ1年くらい同じ生活するようにしてるけど、投げ出したくなるくらいキッツイぞ。特にゴミ箱巡回の当番に当たってる日なんか、0時から明け方まで戦って、少しだけ仮眠取って学校行くまでの間に鍛錬して、学校行って、帰ったら即鍛錬して、休憩しながら新しい知識付けて」
「待って待って土屋君。少しだけ仮眠ってどれくらい?」
俺が思い出しながらする説明を、焦ったように聞き返してくる阿部。
「大体1時間無いな」
「短い!! でもでも、学校で居眠りしてるところなんて見たことないよ?」
「それはさ、寝ると勉強追いつけなくなるからじゃない?」
「やめてやれ秀……相沢なりに頑張ってんだから」
ズバッと事実を述べてしまう秀に、斎が微妙な顔をして言った。
「それはわかってる。だけどこの間の勉強会、ちょっと先のことが心配になったんだもん」
「なあ、俺あんまり見てなかったけど、未来の勉強そんなにやばいのか?」
「あれっ土屋君聞いてないの? 未来ちゃん球技大会のあと補習入れられてるよ」
「は!? 聞いてねぇぞ!?」
「あー、言うの恥ずかしかったんじゃろなあ……。テスト返ってきたとき半泣きになっとったぞ」
なんだと……。
「授業も寝るようになったら、冗談じゃなくて相沢高校行けないと思うよ」
もう少し鍛錬の時間削って勉強させた方がいいと言う秀。
コイツ、本当に前と比べ物にならないぐらい表情豊かになったし、しかも言葉がくっそストレートになったなあ。
「死人と殺り合うようになったせいかも」
「え?」
唐突に話が変わった秀に、なんの事だと思って反射的に聞き返した俺へ、彼はニンマリと笑って答える。
「土屋いま、コイツ言うようになったなあ、みたいな事思ったでしょ」
「……思いました」
なぜばれた。
不思議に思う俺に、秀が少しだけ笑ってその理由を教えてくれた。
要約すると、最近相手の表情から何を思っているのかを当てる特訓をしているということらしい。人間相手に何考えてるかわかるようになったら、戦いの場でも活かすことができるだろうから、と。
「みんな頑張ってんだなあ」
「そういう土屋は? 弥重先輩との鍛錬頑張ってるし、大分成果が出てきてるんじゃないの?」
「まあ、実感はあるな。でもまだまだ出来ることありまくりって感じ。凪さんが遠征行ってる間の課題、全然クリア出来てないから」
「課題って?」
興味を示したらしい秀に、これこれと言いながら俺がポケットに入れていた4つ折りの薄いピンク色の紙を出したとき、少し焦ったような声が耳に入った。
「保井! ここに居たのか。良かった、心配したぞ」
阿部の横でじっと黙って試合を見ている保井の更に横。体育館の入口から、血相を変えて入ってきた男性は、彼女達のクラスの担任、世紀末先生だ。
「あっ先生ごめんなさいっ! 私なにも言わずに……」
阿部がハッとして、勝手に保井をノーマから移動させてしまったことを先生に謝った。
「いいんだいいんだ、特に問題が無いのならそれで。ただ、一応保護者に連絡を入れて来たから、その後に何かあったとなれば大変な事だと思っただけで」
慌てる阿部に片手をひらひらと振って肯定する先生は、後でちゃんとノーマで治療をすることを約束してから、何故かそのまま俺たちの近くで女子コートの試合を一緒に見始めた。
「いいねぇいいねぇ、若き者同士の一生懸命な姿! 先生も青春したかったなぁ」
未来たちに感化されてしまっているのか、ニコニコと満足気に笑いながら首を大きく縦に振る先生に、保井が気になったようで話を振る。
「よっちゃん先生、青春無かったんですか?」
「うん、聞いて驚け。小中高と勉強、勉強、勉強。昼夜問わず勉強だらけの毎日を過ごしたよ」
「もしかして小学校の頃から教員になりたかったんですか?」
「そうそう。なんと言うか、誰かの成長を見るのが昔から好きでな。将来は絶対教師になるって思ってたよ」
ふぅんと皆が感心している中、「だけどなぁ」と今度は顔を手で覆って泣き真似をし出す先生が本音を漏らす。
「あまりにも勉強に明け暮れすぎて、彼女が出来ないまま28歳になったという事実だけが残ったんだよ……」
「彼女欲しいの?」
「何なら嫁さんが欲しい。だから毎年言ってるだろう? 『可愛い奥さん募集中のぴっちぴち何歳だ』って……っておぉっ! 今のすごいな」
そのいつものノリに笑った俺たちに、先生はコート内を指さして驚きの声をあげる。
「でった!! 瞬間移動!! 練習のときに私がいつも抜かれてたやつ!!」
保井が騒ぎながら見ていたのは、瀬戸に進行方向を完全に遮られたにも関わらず、それをものともしない『瞬間移動』のような未来の動き。瀬戸の目の前にいた未来は、相手に認識させないくらいの動きで彼女の横に出た瞬間、ボールを捕まえた。
「ぶっちゃけ、よく見たら見えるんだけどな」
「いやそれ土屋だけだろ。俺何したのか全然わからなかったよ」
「僕も」
嘘だろと言うような顔で斎と秀がこちらを見るので、一応説明をしてみようかと思う。
「未来が言うには、タイミングと、スピードと、どうやって気配を消すかどうかって話なだけらしいから。だけど実際に目の前にしたら、まあ消えたように見えるのが普通だろうけどな」
ガァンッ!!
「おおおああああっ!?」
わああっという周りの歓声に引けを取らないぐらいの大きな声で驚いた世紀末先生は、「さすがによく跳ぶなぁ」と笑う。
未来側のゴールから長谷川達のゴールの位置までの強行突破、それに加え長谷川の目の前で跳んだ未来が高く高く跳んでグルっと体を一回転させてボールを叩きつけたその姿は、体操選手みたいだと思った。
感心している中、コートの端の方からピピッと短く笛が鳴らされる。どうしたのだろうと聞いていると、今の行為が反則だと審判は言っているようで、俺たち全員の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
「なんだ? 先生、今の何か悪かったか?」
「いや、別になにも問題なかったぞ」
ざわざわし出す観戦してるやつらに混じって、笛を鳴らした張本人、木岡先生は皆に聞こえるぐらいの若干張り上げたような大声でその理由を言った。
「今の相沢は、速さもジャンプ力も、全く普通ではなかった。お前がマダーである事は知っている。だがここは学校だ。相手は同級生だ。ちゃんと人間の動きをしなさい」
その言葉の直後、ビクッと体が硬直する未来の姿が俺の目に映って、同時ぐらいに俺の体も、まるで石にでもなったのではないかと思うほど未来と同様固まってしまう。
それでも、その言葉に怒りを覚えた俺は、体は動かぬまま自分の口だけは勝手に動いていく。
「やめろ」
「ちょっ土屋落ち着け!」
「未来がどれだけ努力してるかも、なにも知らないくせにっ!」
斎の宥める声も聞かず、持っていた課題が書かれた紙を無意識に投げ捨ててポケットの中にあるキューブを取り出してしまった俺に、隣に座る秀や加藤、焦った阿部に体を押さえられる。
「土屋、それはダメ」
「ダメだよ土屋君! 人間にキューブを使ったら刑罰、知ってるでしょう?」
「気持ちはよう分かる! ワシだって腸が煮えくり返りそうじゃ! 皆一緒じゃそれはしまっとけ!!」
知ってる。知ってるさ、それぐらい。
無意識とはいえ感情に身を委ねてキューブを手に取るなんて、言語道断だということも。今の言い方に、きっとみんな腹を立ててくれていることも。
だけど、あの言い方は。あの言い方は未来にしちゃダメなんだ。
思い出してしまう。昔からずっと、口癖のように言っていた、最近は口にしなかった人間でないものとして生きていかないといけないんだってことを。
「土屋、それをしまいなさい」
怒りと不安が入り交じったような、自分ではどうにもならない感情を、不意に聞こえる落ち着いた大人の声が強制的にぶった斬ってくる。それにハッとした俺は、やばいと思って世紀末先生の方を見たが、先生はそれに怒っている素振りはなく、どちらかというと俺たちと同じ対象に向けて怒っているように感じられた。
「お前がそれを使うことは許されないし、角が立つ。だから先生が代わりにやろう」
そう言ってスタスタと未来たちの元へと歩いていった世紀末先生は木岡先生の前へと立ち、俺みたいに怒りをぶつけるんじゃなくて、今見たままの事実だけを述べ、教育者のすることではないと木岡先生を黙らせる。それは、俺たち子供には出来ない大人の対応だった。
「よっちゃん、カッケー」
斎がボソッと言ったとき、木岡先生が未来に頭を下げた。だけど会釈をするぐらいの角度しか下げなかったその様子を見て、世紀末先生は無理やり木岡先生の頭を手でグシャッと下に押し込んで深深と謝罪をさせる。
「いいねぇ!!」
その光景に俺たちは揃って歓喜した。
しかし、頭から手を離して代わりに試合を再開させた世紀末先生に、木岡先生は恨めしそうな顔をして小声で言う。
「世紀末。こんなことをして、後悔するぞ。生徒の目の前で教師が教師に頭を下げさせるなど、訴えられてもいい案件だ。心構えはもう済んでいるのだろうな!」
それを聞いた俺たちはどうしようと慌ててしまったが、世紀末先生は変わらず落ち着いた表情で試合を見ながら返答した。
「どうぞご自由に。ですが、今の私の行動の是非と、あなたの教員あるまじき行為、言動については私がわざわざ口を添えなくても周りの生徒が証明してくれるでしょう。
どちらが誤ったことをしていたのか、それが分からないというのであれば、どうぞ校長にでもその上にでも掛け合ってください。
私は恥じるべきことはしていませんから」
「ぐっ……!」
「よっちゃんカッケェ!!!」
嫌味なことを言う木岡先生に淡々と対応する世紀末先生へ、カッケェ、スゲェ、と更に俺たちのテンションは上がり、皆でワイワイと盛り上がる。
前半の試合時間も残りあと少しのとき、ふと未来がさっき水を飲み切っていたのを思い出した。秀に買ってくることを伝えて俺はひとり外に出て、体育館のドアから少し歩いたところにある自販機へと、高揚しながら急ぎ向かった。




