元・手のひら
試合終盤の歓声が飛び交う男子コートの中、俺はその声がかなり遠いところから聞こえているような錯覚を抱く。無駄なものを感じていない自分の意識から、試合の中で、今が一番集中しているのがわかる。
ギリギリの状態でのボールの取り合い、ほんの少し奴から目を逸らせば簡単に得点を取られて追い抜かれてしまう必死の攻防戦。
加藤は、前半が終わったとき『そろそろ決めていこう』と言った。それを有言実行した現在の得点は、一応俺たちのチームがリードして23対18、それでも勝つか負けるかわからない戦況だ。
おちゃらけた感じに見えるのに、こいつ……マジで強い。
「杉本、三木、ちょっと耳かせ」
俺がシュートを決め、加藤がボールを拾いに行ってくれている数秒の間に、急いでチームのふたりに耳打ちをする。
「相手の得点源はほとんどが加藤だ。あいつにゴールを決めさせなければ勝機はある。で、その方法だけど」
ここまで彼らを見てきた中で気付いたことをふたりに告げ、ここから逆転されない為の秘策を話す。俺の話をこれでもかというほど前のめりになって聞く彼らは、コクコクと大きく首を縦に振って相槌を打っている。
加藤がボールを持って戻ってきて、コートの端のエンドラインに立ち、ふぅ……と短く息を吐いた。
「ただ、やり方がわかったからやってくれって言っても難しいと思う。だから、基本的には俺がそれを担当するから、ふたりはできるだけ得点稼いでくれ」
口早にそう言った俺は、加藤がボールを味方に投げた後、恐らく入ってくるであろうコートの位置に陣取る。
彼がチラッと見た先にいる1年生に、先程とは違ってやんわりとした投げ方でパスをする。それを確実に受け取ってドリブルを始めた彼の動きを制限するように、杉本が腕を大きく開いて行く手を阻む。
さっきから見ていると、この1年生、前に行けないと悟ったら誰かにすぐパスする傾向がある。だからこそ。
「こっちじゃ!」
わざと、加藤が呼ぶのを待つ。
1年生が声のする方へと振り向きざまにボールをパスをした。その軌道はゴールへと走る加藤へ一直線で良いコントロールではあるが、あの1年生は周りの事があまり見えていない。加藤へと飛ぶボールは、彼について回って近くにいた俺の手によって遮られる。
「このっ……!」
加藤の悔しそうな声を聞きながら、ゴール近くで待機している杉本へと力いっぱいボールを投げ飛ばす。空気が唸る程の結構な豪速球だが、あいつは取れる。
「ナイスパス!」
バシンッという音を鳴らして確実にボールを捕まえた杉本は、相手チームが止めにくる前に、そのまますぐゴールへとボールをふんわり投げ、ネットへ綺麗に通す。
「やったーー!!」
「ナイスです!」
喜ぶ杉本と三木を見て、すぐそばに居る加藤が俺に声をかけた。
「土屋」
俺は、その時のこいつの顔を、今後忘れることはできないだろう。
「次は無い」
怖い顔で言ったその宣言通り、ここからの加藤の追い上げは、これまでとは桁違いのものだった。
まず不審に思ったのは、加藤が今、コート内に既にいること。それは今までには無かったことだ。
敵にゴールを決められて味方ボールとなったとき、エンドラインから味方にボールを投げるのは、これまでずっと加藤がしていた。なのに、今回は1年生がその場所に立っているのだ。
1年生は、自分がいるところから2メートルほど離れた場所にいる加藤にボールを投げる。
それを受け取った加藤は、足を少し後ろに引いて回れ右をしたと思ったら、それ以上足を動かすことなく、ボールを、ただ投げた。そして、ガコンッ!! といういい音を鳴らしてゴールを決めてしまった。
「そ、そこから投げんのかよ……」
バスケットボールを行うときのコートの幅がどれくらいか知っているだろうか。28メートルだ、意味がわからない。
ほとんどコートの端っこから、ただ投げるだけで3点分のシュートを決めてしまった彼はその後も止まらない。
三木がエンドラインから杉本へとボールを投げる。ボールを一定のリズムで床に突きながらゴールの方へと走り、目の前にきた相手の1年生を躱すために俺へとパスをする。
しかし、待ってましたと言わんばかりに加藤がそこへ体を滑り込ませてそのボールを遮ってくる。
「っしゃ!」
床に転がりそうになったボールを器用に床に押してドリブルを始めた加藤は、そのままゴールへと一直線に走る。二度目の得点をさせないよう三木が走って近付くが、くるりと一回転されて避けられ、その流れのまま、いちに、さんのリズムのレイアップシュートを決められる。
「まだまだじゃ!!」
今度こそ止めようと奮闘する俺も、また加藤が遠くからシュートを打とうとするのに気付いて、ジャンプして止めようとした。しかし、俺のブロックを避けるために奴は体を後ろへと仰け反らせ、強引に斜め上へとボールを打ち出す。
安定しない体勢にも関わらず、それはまた綺麗にすっぽりとネットに入ってゆく。
「さ、3連続得点……!?」
逆転され、25対26という得点に驚愕する杉本は、やべーぞと青い顔で俺に指示を仰ぎに来る。確かに杉本の言う通り、このまま奴の思い通りにさせていると不味い。だけど不思議と今の俺に、焦りはなかった。
「大丈夫だ。絶対にミスしない奴なんていないから」
俺の落ち着いた声に、杉本も少し落ち着きを取り戻したようだ。
大丈夫。どこかで必ず、そのときが来る。
そう心に言い聞かせながら、暫く交互に点をもぎ取る状態が続く。
そして加藤が打ったシュートが、俺が邪魔したことで珍しく綺麗に入らずバックボードに当たって跳ね返ってきたとき。それを杉本が周りの相手チームの奴より先にジャンプしてボールを奪い、俺へと投げてくれる。
「流れ、止めるぞ」
続いていた、やってはやり返しの状態を打ち砕く、渾身の一手。相手チームのゴール近くにいる1年生は追いつけず、俺の一番近くにいる加藤が阻止しようと走ってくるが、俺の方が速かった。
俺はシュートを決められる位置まで一気に走り、バックボードの黒い枠線の角っこを狙ってボールを両手で投げる。狙ったそこに確実に当たったボールは、自分の理想通りの動きをしてボシュッという音とともにネットをくぐり抜けた。
「っし!!」
「カバーせぃやぁあああっっ!!」
俺のシュートで2点入って、現在の得点、33対31。
叫ぶ加藤に、すいませんとチームの人達が謝る。まあ、今のは杉本のファインプレーだ、しかたないだろう。だけど、『加藤のミス』からの『こちら側の逆転』は、みんなが思っているよりも、あいつを揺さぶる引き金となる。
時間が止まっているのではないかと思うほど、周りのことが気にならないぐらい集中した攻防の中、残り時間1分と知らされる。
「なんでじゃ、さっきまでワシらの方がバンバン決めとったのにっ! なんで決まらんくなってきたんじゃ……!?」
加藤が焦った声を出したのは、得点板の数字を見たから。
ガンっと鋭い音を出したボールは、バックボードに当たって跳ね返り、その後ゴールのリングに当たって更に跳ね返ってネットを通過し、俺は点を獲得する。
加藤チームのシュートは打っても打ってもゴールになかなか入ることが無くなってきて、あのミス以降、一度しかゴールを決めることが出来ず39対33の状況だ。
今度は目の前にいる加藤が、出すか出すまいかとほんの少し迷った末に打ったパスを、タイミングを合わせて手を伸ばし奪い取る。
加藤のしまったというような顔が、その瞬間俺の目に飛び込んできた。焦り始めた加藤に、未来へ見せた子どものような笑顔は無く、そしてその余裕のなさが周りの味方へと伝って、みんなが余裕を無くしていく。
「杉本っっ!!」
前半で硬い動きをしていた杉本。それでも、後半にも入ってもらったのには大きな理由があった。それは、自分で言った『中学最後の球技大会だから楽しんで欲しい』というのも嘘ではないが、それ以上に、『チームの得点源になり得る』と思ったから。
体育の時間でしていたバスケでは、割といい役をしてたのを俺は知っていた。だから、もったいないなと思った。『緊張』というそれだけの為に、点を決められず、楽しむこともできずに終わらせるなんて、嫌だと思う。
だから、俺はわざと自分がシュートを打つと思わせるように、ゴールから少し遠い位置でボールを構えた。それを阻止しようとする加藤のチームの奴らがこっちへ近付いて、杉本の周りに人がいなくなったら、そこが狙い目。
ボールはゴールへではなく、遠くにいる彼へと飛ぶ。誰もいないゴール近くから、杉本がゆっくりと狙ってシュートを打つ事ができるように。
「しゃぁあっっ!!」
「くそ……ッ!!」
俺の期待を裏切ることなく、シュートを決めて見せた杉本は、悔しがる加藤と重なって声を出す。
「杉本」
高揚した彼の元へと駆け寄る。動き回ることで、体温が上昇して熱を持っている自分の右の手のひらを、少し開いて顔の前へと近付ける。
「ナイスシュート」
落ち着いて言う俺の顔を見て、杉本は目をぱちくりとさせたが、すぐにニッと笑って俺の手のひらをバシッと叩いた。
ヒリヒリ感じるお互いの手が、更に熱く感じるような気がした。
「終わらせてたまるか」
俺たちの後ろから声が聞こえる。
「負けてたまるか」
小さく言う加藤は転がったボールをエンドラインから1年生に投げ、すぐに彼へとボールを戻させる。
「おるぁあああっっ!!!」
少しだけ前へ走り、今度は豪快に腕を振り上げて打ち出される加藤のシュートを、誰も止めることができなかった。勢いがありながらもきちんと弧を描くボールがネットへ入り、一気に3点が入る。
「逆転するんじゃ!!」
「お、押忍!!!」
加藤が畳み掛ける。素早い動きでこちらからボールを掻っ攫い、2点、さらに2点と得点を重ねた、41対40での残り数秒。
ここで決めると、コートの真ん中で加藤がボールを持って即座に飛び上がった。
「相沢さんが見てる前で、無様な姿見せられるかぁあああっっ!!!」
叫ぶ加藤の手から、ボールがゴールへと放たれた刹那。
バシィッッ!!!
ボールから聞こえたのは、その力強さで空を切る音ではなく、人の手に当たって軌道を意図的に変えられたときに発生する、跳ね返る音。
右の手のひらに広がる、ジンジンとした痛みを感じながら、ボールが飛ぶ方向へと合わせてジャンプしていた俺の足が床に着く。着地した音の数秒後、ボールはゴールに入るのではなく、床を跳ねるタンタンという音を鳴らす。
俺が杉本と三木に伝えた必勝法。それは、加藤を焦らせること。
あと2点。あと2点で勝利をもぎ取れる。目の前にある勝利という肉を食らうために、その得点を急ぐ。そうしてできる小さな焦りと綻びは、『柔軟性』というこいつの武器を奪うのだ。
「おぉおおお土屋ぁあああっ!!」
杉本が歓喜の声を上げて俺の元へとすっ飛んできて、押し倒されてしまうかのような勢いで抱きついてきた。
ぐえっという自分の声に重なって、試合終了の笛が鳴る。
ピッピーーッ! という音は歓声に掻き消されて聞こえにくいが、41対40という得点板の数字が、俺たちの勝利を告げる。
「……やられたのう」
加藤が目を細めて、ふっと笑い、試合終了後にする礼の位置へゆっくりと向かう。
汗だくの顔を手で拭いながら、少しでも涼しくするべくユニフォームをパタパタと前後に揺らして向かいに立つ俺に、加藤は優しい顔で言った。
「次は負けんよ」
「……今度は最初から本気でやれよ」
俺の言葉に、にひっと笑うこいつは、きっと前半から本気で動いていたら勝てたはずだ。敢えて厳しい状況からの逆転を狙って試合に臨んでいた彼は、もしかしたらこの試合を、誰よりも一番楽しんでいたのかもしれない。
そんなやり取りをしている大歓声の男子コートを、女子コートから唐突に聞こえた大きな音が沈黙させた。
何事かと思ってバッとその音の先を勢いよく見ると、吉田と吉住が血相を変えて、保井の近くによって声を掛けているところだった。




