元・前日④
街の音が聞こえない雲の上の静かな空間に、ムシャムシャと食われる音だけが広がる。その音とともに形を失っていく元死人は、バスケットボールの死人の口から体内へと入っていく。
ミシッと音が響くたび、心を抉られるような気がした。
ありえない…ありえない、ありえない。
死人が死人を食う?そんなの今まで見たことがない、聞いたこともない。今までに報告された事例だって無いはずだ。
無意識に寄ってくる眉間のシワと強ばった自分の体から、私は今、緊張しているのだと認識する。見たことの無い光景に、そして感じたことの無い不安に。
「どうして…」
全てを食らい尽くした死人の一つ目がこちらを見た。下を向く視線が、ゆっくりと上へ。足先から太ももへ、腰を伝って胸元、首、そして顔。私の体を舐めるように見るその目が…ニタァと笑った。
その顔に、行為に、ぞわりと身の毛がよだつ感覚を覚え、ほんの少しだけ後ずさりをして身構える。
「食べるために、死人を作ったの?」
自分の声が、震えているのがわかる。
「捕食するためだけに、哀しい気持ちを利用したの?」
だけど、それが恐れではないことは、私が一番よく知っている。
自分の足元に目を落とす。両手に改の木刀を生成してギュッと音が鳴るほど握りしめる。そうしないと耐えられなかった。残酷な情景に、気持ち悪さに、そして…自分の奥底から溢れ出てくる、怒りの感情に。
歯を食いしばる。頬の筋肉が震えるのを感じながら、掴んでいる木刀が更にギリギリと音を立てる。
戻って来ることが出来るはずの、哀しみに溢れた命を奪った死人に、そして、それを守ることができなかった自分に、激怒していた。
「許さない」
例え死人になった理由がどれだけ哀しく辛いものであったとしても、その哀しい存在を殺す権利など、本来誰にも無いのだから。
目を見開き、空を切る音を立てて一瞬で敵へと飛んで右に持つ木刀を左から、左の木刀は右から横へ切り付ける。すんでのところで上へ跳ねて躱す死人の口が開いた。
「【種皮】」
盾が奴の口から勢いよく吐き出されるマテリアルから身を守る。
強さに押し負けて割れそうな盾は気にせず、死人の真下から追いかけるように飛び無防備に開いた口へと木刀を突き刺す。
しかしそれを死人は瞬時に躱してきた。突いた刃先を中心に、自身の体を輪のような形に変形させて。
「らぁ!」
突き付けた刃を横に振り内側から切り付ける。だが、奴の体が変化した。
輪の内側からの攻撃を受け止めるように、そこに『手』が生えたのだ。青白い、人間のものとは全く違う関節のおかしなその手は、死人を食ったことでパワーアップをしたのか、刃を受け止めた刹那、刀身を握りつぶして砕かれ柄の部分だけが私の手に残る。
それを見て気付く。マテリアルが飛ばされてくる理由…この変化と同じように、奴は吸い取ったものを自分のものに変えてしまう能力を持っているのだということを。
砕いたそのまま手がこちらへと殴りかかってくる。頭目掛けて振るわれるそれを柄を使って受け流し、右へ下へと体をねじりながら躱す。
メキッと音をたてて割れた盾の奥からマテリアルが飛んでくるが、それも体を反らして全て避けてすぐに体勢を整える。
奴の関節が全く正しい向きに生えていないから拳の来る位置は分かり辛いものの、繋ぎ目は死人本体だ。飛んでくる物体も同様。そこを見れば、避けられないわけが無い。
「【木刀・改】」
できるだけ殺したくはない。あなたたちの哀しみを知って、怒りを知って、元に戻すことができるなら…どんな残虐な死人だってその哀しみから解放してあげるよ。だけどね。
拳を避け切って柄を死人本体に叩きつけ、ほんの少し奴が怯んだ一瞬の隙。手に残っている柄の先に新たに木刀を作り出す。
「【葉脈】アクセルモード」
生まれた哀しい命をあんな風に虐げる行為だけは、どんな理由があったとしても許さない。
手に持つ木刀が赤く光る。
自分の体のエネルギーをキューブ自体に移行することができる【葉脈】。植物の葉が維管束と結合して水分や栄養を届けていることからのインスピレーション。
自身が鍛え上げた素体の力を、キューブに捧げろ。
「無駄だよ」
体を小さく丸い形に戻して腕を体の前に交差し防御に入る死人の真ん中、よりほんの少し左。腕の一部とバスケットボールの黒い筋に沿うような斬撃。
あれほど硬く全く刃の通らなかった死人の体を、いとも簡単に斬り裂く鋼鉄のような木刀。切り付けたそこから体液が吹き出し、青い心臓が顕になる。
「大丈夫。あなたは殺さないから」
自分の怒りの感情に任せてしまわないよう一呼吸おいてから、奇怪な声で絶叫する死人に伝える。だけどその殺さないという言葉が彼らにとって救いであるか、恐怖であるかはわからない。だって殺さない理由は…生け捕りにする為なのだから。
「どうかその命を、私たちの糧にさせてください」
今までに見たことの無いタイプの死人。もしかしたら、あなたを皮切りに死人について新しいことが分かるかもしれないから。
死人の一つ目に小さな涙が浮かぶ。
自身の哀しみを伝えられないもどかしさ。怒りを知ってもらえない苦しさ。理解してもらえない絶望。
わかるよ。よくわかるよ、その気持ち。
だって私も…同じだったから。
赤い木刀を振るう。心臓の真ん中を避けて、上下左右を真っ直ぐ切り落として四角い形へと姿を変える青い玉。そうする事で、命を奪うことは無くても力の牽制をする事ができる。
「【アサガオ】」
アサガオの蔓をその心臓へと巻き付ける。そこから再生されることのないように、アサガオに死人の力を拘束させる。これでもうマテリアルを吸い取って吐き出すことも死人を新たに作り出すことも出来ない。
これ以上戦う必要は無い。裂けた体の修復をしてやろうとするも、ほとんど半分になってしまったバスケットボールの死人は、それでもまだ私を殺そうとする。斬られていない方の残っている手がこちらへと殴り掛かり、私が躱す度に、傷口からどろりとした透明の体液を散らしていく。
「やめて」
死人の背中側から新たに腕が二本生える。きっと、さっき捕食した死人たちのエネルギーをアサガオで拘束された自分の力の代わりに使っているんだろう。
その腕の先にある手が私の胴体を掴む。斬られた青白い手とは真逆の大きく太く頑丈そうな手。その手が私の体を押し潰さんとばかりに異常な強さで握りしめてくる。
「やめて」
あばら骨とその下の内蔵がミシミシと音を立てる。
アサガオに抑えられている中で、よくもまあこんなにも力が出せるものだ。私の体をギリギリと締め上げるその力のせいで、また死人の体液を吹き出させる。
『ア゛ア゛アア゛ァアッ!!!』
痛みか怒りか哀しみか、叫ぶ死人の手に更に力が込められる。
「────やめなさい」
絶叫する死人に、一言、静かに言う。
ビクッと体が跳ねる死人は、突然の静かな命令に恐れを感じたのか、私の体を締め上げる手の力はそのままに動かなくなる。
そんな死人の顔を無言で見上げた。
こちらから目を離すことが出来ない死人は、青い瞳を大きく見開いて私の顔を見続ける。
視線が交わり、少したじろぐ死人は少しずつ、本当に少しずつ私の体から手を離し始める。
自分はそんなに怖い顔をしているんだろうか?
形が変わってしまいそうな程の剛力で掴まれていた胴体が解放されていき、それと同時に骨と内蔵の位置が元の場所へと戻っていく。
アクセルモードでの自身の強化がなければ、いくらキューブの展開中とはいえ影響が無いとは言いきれない。それぐらい、強靭な力で襲ってきていたのだ。
恐る恐る、という表現が一番しっくりくるだろうか。大きく太い腕と手がかすかに震えながら私の体から離れるが、そうしている間にも死人の傷口からは体液がゆっくりと流れ出ていく。
これ以上相手を刺激しないように、人間で言うところの瘡蓋の役割と同じ【カルス】を形成し、傷を覆って形を球状に戻してやる。
私がするその行動に意味がわからないと言わんばかりに、見開き続ける死人の青い一つ目が左右に細かく揺れる。
自分の体を痛めつけないで。あなたの体が悲鳴をあげていることに気付いて。私を殺そうとすればするほど自分が死に近づいていること、そしてあなたが消えていくことに気付いて。
そんな悲しい死に方をして欲しくないと、心の中だけで言う。
…討伐する側の私が、それを口に出して伝えることはできないから。
死人の揺れていた瞳が、今度は私の顔をじっと見た。
実際は体液が無くなったら死人が消滅してしまうのかどうかは確信を持っている訳では無い。時々、体液の出ない死人と戦う事もある。一概にそう言うことはできないけど、体液を完全に無くしてしまうことで倒している人がいるだけに、全く関係が無いということはないだろうから。
無言のまま見つめ合い、何もしない私に死人の手が差し出される。チカラの抜けたその大きな手を見て、再度死人の顔を見る。
そこにある青い瞳が真っ直ぐこちらを向いていて、話すことが出来ない代わりにその目が伝えてくる。『降参』だと。
「…ありがとう」
心からの感謝を述べ、伸ばされた手を取る。とてつもなく大きなその手は私の手だと指しか掴めないが。
「一緒に行こう」
この死人は…『意思』を持っている。
感情に任せて動いていない。自分のしたいように動いているんだ。
それが何を意味するのか。理由は何なのか。
これから明らかになる事を願うばかり。
ただ、この子を研究対象にするという事は、希望である反面、絶対に元の姿に戻してあげられないという事実であることが、とても心苦しかった。




