元・三年一組
「んー、来たのそんなに遅くないはずなんだけど、皆結構いるね」
教室の入口から、ちらっと中を覗く私たち三人。
「そうだね。ちょっと緊張……」
「大丈夫? 未来ちゃん」
少し固くなる私に加奈子が声をかけてくれる。
緊張はするけど……でも、二人が一緒だから。
「うん、大丈夫。入ろう」
三年一組。新しい教室に私は先頭を切って入った。
新しい友達を作るのに必死なクラスの人達の、騒がしい声の一部が静かになった。その静かになったグループから、伝染していくように徐々にクラス全体が静かになっていく。
あぁ……。
よく知ってる。この空気。
ピリピリするこの感覚。
しばらく感じることのなかった、敵意も、恐怖も、困惑も、視線も……よく、知ってる。
できるだけ人の視線を避けて生活する癖がついていた私は、廊下を歩くとき下を向いていることが多いらしい。そのせいか、この学校に来てから半年以上経っても私の目の色が他クラスの人に気付かれることは無かった。
口の中が乾く感じがして、無理やり唾を出して飲み込むんだとき、後ろを歩く加奈子が、私のブレザーの袖を少し引っ張った。
振り返って見た彼女の顔は、笑顔だった。
「……ありがとう」
この空気に呑まれそうになる私を、その愛くるしい笑顔で救い出してくれる。その後ろに続く凛ちゃんも、笑って頷いてくれた。
「あっ! 相沢さんじゃん! 今年もクラス一緒だねー!!」
名前順に並ぶ席に着いた頃、クラスの真ん中で五人ほどのグループになって喋る女の子の一人が、叫ぶように声をかけてきた。
それを皮切りに少し教室の空気が戻る。
「瀬戸さん! 一緒だったんだね。今年もよろしくね」
瀬戸茜さん。ニ年の時同じクラスだった女の子。そして彼女の周りにいる子は、全員元同じクラスの女の子たちだった。
「相沢さーん今年もよろしくー」「よろしくね〜」「長谷川と阿部ちゃんもよろしくー」「よろしくー」
皆が挨拶してくれた。
こんな事、今まで無かったから本当に嬉しい。
「名前順だからとりあえず加奈子と席は前後だね」
「うん! 良かった〜未来ちゃんが近くにいてくれて」
「それ私のセリフだよ」
そう言ったあと、教室の真ん中より少し廊下側になる席に座った凛ちゃんを見た。
周りに座るクラスメイト達と瞬く間に打ち解けていく彼女は、やっぱり凄い。心の底から尊敬した。
「はーい席についてー。ホームルームだー」
少しして先生が教室に入ってきた。
世紀末先生だった。
「よっちゃんが担任ー? もっとカッコイイ先生が良かったー!」
誰かが不貞腐れたように言った。
「それは悪うございました。残念ながらこのクラスの担任になってしまった世紀末だ。教科は社会、可愛い奥さん募集中のぴっちぴち二十八歳だ」
周りの子たちがぶーぶーと文句を垂れる中、世紀末先生の顔が少しだけ私の方を向いた。そして、見てもあまりわからないぐらいのごく僅かな微笑を浮かべた。
もしかして、私の事を気にしてこのクラスに? 他の先生は未だに碧眼を怖がって授業中私を指すことすらないから……。いやまさか、そこまで先生に権力があるとは思えないな。あ、ごめんね先生。
どちらにしても、私としてはすごく心強い。
私のことをよく知ってくれてるから。
「さてと。この後始業式が始まるんだが、高等部が先に行う。中等部はその後だから、先に皆で自己紹介タイムだ」
そう言われた途端えーとか嫌だーとか不満の声が溢れかえる。まあ誰だってそう思うよね。一人一人席から立って自分の名前とか趣味とか……何を言えば分からないし何より緊張するだろうから。
「まあわかりやすく名前順で端っこから行こうか。相沢、いけるか」
少し気にした様子で聞いてくる先生。
きっと先生も、隆と一緒であの日を思い出してくれてるんだよね。
「はい」
短く返事をする。
大丈夫。どんな反応が返ってきたって、全部受けきってみせる。安心してよ先生。
座ったまま、目を閉じて少し大きく息を吸う。
『相沢』という名前が私だと気付いた人達から、声を出さなくなっていって、ワイワイしていた空気がまた静かになっていく。
「ふぅー……」
吸った息を、細く長く、吐く。
ゆっくりと、目を開ける。
何も見えなかった視界に自分の机が映る。そのまま視線を下に落としながら、椅子を引く小さな音を鳴らす。
よく知ってる。この空気。
ピリピリするこの感覚。
転校してきたあの日を……思い出す。
────────それがどうした。
笑え、私。
「相沢未来です」
過去なんてぶっ壊してしまえ。
顔を上げる。
体の正面をクラスの真ん中に向ける。
自分の目が、しっかり見えるように皆を見渡す。
敵意、恐怖、困惑。
それぞれの表情がよく見える。
「私は、生まれつき碧眼です」
笑顔で話す。
皆が、私が敵でないことを分かってもらうために。
「皆が恐れる死人と同じ色の目ですが、私は人間で、マダーです。去年の夏に大阪から転校してきました。ほとんど知らない人ばかりなので、良ければ、仲良くしていただけたらと思います」
手を伸ばしてもらうんじゃなくて、自分から手を伸ばしていくんだ。
「よろしくお願いします!」
深めにお辞儀をして、ゆっくり顔を上げた。
強ばっていたクラスが、ほんの少し和やかな雰囲気になったように感じた。
……良かった。
席に着こうとした時、廊下側に一番近い列の、一番後ろの席に座る長身の女の子がゆっくりと小さく手を挙げた。
「あのー。趣味、とかある?」
ドキドキしながら聞いてくるのが伝わってくるように思えた。
「えっと……鍛錬ばっかりしてるから、強いて言うなら運動、かな?」
「体育得意?」
その子の前に座るショートカットの女の子が続けて聞く。
「大概のことならできる!」
「バスケは!?」
「得意!」
「「是非バスケ部にどうぞ!!!」」
二人が口を揃って言った。きっとあの二人はバスケ部なんだな。
話の流れに乗ったのか、ちらほら他のクラスメイトからも声が上がる。
「バレーは?」
「好き!」
「卓球は?」
「すごく楽しい!」
「陸上部どう!?」
「長距離も短距離も大丈夫!」
間髪入れずに答えていく自分の声が、このクラスに対して少し希望を持っているのだと感じる。
受け入れてくれる。
最初こそ怖がっていたけど、説明したらわかってもらえる。
一歩こちらから踏み出したら、それに応えてくれる。
「ちなみに、勉強は?」
教壇に立つ世紀末先生の声。
「勉強は、苦手です……」
ドッと笑い声が聞こえた。バカにしたような声じゃなくて、楽しんでくれているような笑い声が。
なんて心地のいい。
気がつけば、笑おうなんてもう思っていなかった。自然と笑みが溢れてきた。自然に笑うことができた。目が細くなるぐらい、心の底から笑っていた。
「相沢未来さん!!」
「は、はいっ」
突如大きな声で名前を呼ばれ、反射的に返事をする。
その声の主は立ち上がった隣の席のガタイのいい男の子。体つきだけだと大学生にも見える。
その男の子が大きく息を吸った。
「一目惚れしましたッ!! ワシと付きおーてください!!」
「ひぇっ!?」
自分の変な声とクラスが騒ぎ出す瞬間はほぼ一緒だった。
「加藤ふぅーーっ!」「告ったぞーっ」「ひっとっめっぼっれ!」「男見せたなー!」
「あっお友達からで全然構わない!! でも気持ちだけは受け取っててください!!!」
「う、うん。ありがとう……」
ビシッと九十度のお辞儀をする彼にまた驚きながら、今までに無かった経験に私は困惑した。
一目惚れ。
そんなこと生涯絶対言われることなんてないと思っていた。だけどその言葉は、その後すぐに嫌悪感に変わる。
ふと私の後ろにいる加奈子と目が合った。
顔を真っ赤にして目を見開いて、何を思ったのか手をグーの形で握りしめてブンブンと腕ごと振り始めた。
ピンポンパンポーン
そこで校内放送が鳴る。
『高等部の始業式が終了しました。中等部の皆様は体育館にお集まりください。繰り返します──』
「よーしお前ら自己紹介の続きは後にしようか。とりあえず体育館移動しろー」
騒ぐ教室によく通る声で促す世紀末先生。
テンションが上がってしまっている皆は大声で喋りながらクラスを出ていく。隣にいる加藤と呼ばれた男の子も、また後でと笑顔で去っていく。
「あの、先生ごめんなさい。時間私ひとりで使っちゃって……」
少し申し訳なく思って、体育館に行く前に先生に声をかけた。
「何気にしてるんだ。寧ろそのつもりでいたから狙い通りさ。まあ加藤のあれはさすがに驚いたけどな?」
「はは……私もです」
「未来ちゃんは可愛いんだから自信持っていーんだよ〜」
「そうだよ未来ちー。アタシらが保証するぞっ」
後ろから声をかけてくる加奈子と抱きついてくる凛ちゃん。
そう言われるのはなんだか恥ずかしい。
三人揃って教室を出る。
体育館に向かわないと。
「あー、相沢」
私を呼び止める世紀末先生の声に、少しとととっとバックして顔を出した。
「大丈夫そうか?」
微笑を浮かべる先生に、私は笑顔で答えた。
「はいっ!」
心配してくれてありがとう先生。
「よーし遅刻しないようにすぐ行こう!」
「長谷川! キューブは使うなー」
「……Okay teacher……」
なんだか凄く良い発音でガックリと先生に答える凛ちゃん。
「そう言えば凛ちゃんって勉強は」
「成績表オール五! テストは学年三位キープ!!」
「……さすがです」
学年一位二位は間違いなく斎と秀。その次が凛ちゃん……。努力の塊、凛ちゃんに、私は他に何も言えなかった。




