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〈ジークカリバス〉が放ったミドルキックが〈バスターアームズ〉の装甲を砕く。後退した〈バスターアームズ〉に追撃を加えようと〈ジークカリバス〉が迫り、それを遮るように〈ウィルオ・ウィスプ〉がマシンガンで足下を狙う。〈ジークカリバス〉は流麗な動きで銃弾をかわした。
「B・B! HPが危険です、アボートしてください!」
「そりゃお互い様だろう。こんな化物をレンと戦わせられるか」
タナトスなる男との戦いが始まって数一〇分。二人の攻撃は一撃たりとも〈ジークカリバス〉にヒットすることはなかった。こちらを嘲笑うかのような滑らかな動きで攻撃をかわされた上で一方的に拳打を見舞われ、二人の機体のHPはすでに危険水域の三割を切っていた。武器を用いない純粋な格闘だからまだ保っているが、なんらかの格闘兵装を装備していたならとっくにHPが底をついていてもおかしくはなかった。とはいえ、このまま戦い続ければどのみちHPは尽きるだろう。
勝てる可能性を全く見出せない。どころか傷一つつけるだけでも難儀するありさまだ。それだけ力の差が圧倒的であることを二人は自覚していた。
「こうなりゃできる限り時間を稼ぐしかない」
「レンがイヴ氏を助けるのが先か、僕達のHPが尽きるのが先か……」
「文字通り命懸けってわけだ。まったく、おれたちゃレンのことが好きすぎるな」
「本当ですよ。ロリコンとゲイの合併症となるといよいよ目も当てられない」
「お前さんだって愛玩用AIマニアとゲイの二重苦だから、似たようなもんだろう」
「言えてます。変態同士、この戦いが終わったあとも仲良くしましょう」
ああ、とB・Bは鷹揚に応えつつも、内心では『この戦いが終わったら』なんて科白はいかにも死亡フラグみたいで縁起でもないぜ、と考えていた。
無傷の〈ジークカリバス〉が戦いを愉しんでいるかのような悠然とした足取りで近づいてくる。B・Bは応戦の構えを取りながら、隣のウィスパーに聞こえないよう呟いた。
「急いでくれよ、レン。こっちはそろそろ限界だ……」
一方ミラーと交戦しているスミカも苦戦を強いられていた。空中で回転しての跳び蹴りは盾で防がれ、弾かれる。
「いい攻撃だ。だが、軽い」
「くっ……!」
距離を取ったところにビームライフルで追撃され、慌てて遮蔽物の陰に身を隠す。
「女にしてはよくやるようだが、これ以上は無駄だ。潔く負けを認めたまえ」
そういうわけにはいかないが、敗色濃厚なのは確かだ。やはりES社のエリート様は強敵だった。俊敏な動きと堅牢な防御でこちらの攻撃をよせつけず、うんざりするほど正確な反撃で着実にHPを削ってくる。なんとか7割くらいまで相手のHPを削ったものの、こちらのHPはすでに3割近くまで減っている。これ以上攻撃をもらったら私は……
「早くして、レン。私が私じゃなくなる前に……」
スミカは意味深な言葉を呟き、レンが無事イヴを助けられることを祈った。
博士の告白以後、研究室は重苦しい沈黙に包まれていた。レンは反射的に否定する。
「嘘だ! イヴがAIだなんて、そんなことありえない! あんた研究のしすぎで頭がおかしくなっちまってるんだ、そうだろ?」
「頭がおかしくなっているかもしれないのは否定できないけど」博士は笑い、「それがAIなのは事実だよ。なにせ私が創ったのだから。なんなら本人に訊ねてみればいい」
レンは隣でうつむくイヴにおそるおそる訊ねた。
「なあ、嘘だろ? イヴは俺達と同じ人間だよな」
イヴは首を振り、「……違う。パパの言うとおり、わたしは人間じゃない。パパによってプログラミングされたAI。単なる数値の集積物」
絶句するレンに博士はあくまで穏やかな口調で問う。
「君はそれと懇意にしていたのだろう? 共に過ごしていて違和感を抱くことはなかったのかね? それが人間であることに疑問を抱くことが」
レンの脳裏にいくつかの出来事が思い浮かぶ。そう、思い返してみればイヴの発言や周囲の環境にはおかしなところがたくさんあった。図書館のようなPT社のエリアから一度も外に出たことがないと言ったイヴ。アリーナにログイン記録が残っていなかったイヴ。ウィスパーがPT社のセキュリティにアクセスしてもアカウントが見つからなかったイヴ。
彼女がAIだとするなら、それらの疑問が一気に氷解する。人間が意識を転送しているアバターと違い、AIは単なるデータであって言ってしまえばそこらの電脳オブジェクトと変わらない。アカウントなど当然存在せず、ログイン記録が残らないのも当たり前だ。
しかし、だからといって。
「不気味の谷は。イヴの振る舞いにAIくささを感じたことなんて一度もないぞ。ちょっとでも不自然なところがあれば俺なら気づけたはずだ」
AI嫌いの俺なら、と口を突いて出そうになった続きを呑み込む。まだ信じていないとはいえ、イヴの前で口にすべきではないと思ったのだ。
レンがイヴを人間だと信じる根拠はその立ち振る舞いの自然さにある。無口で無表情なところはあるが、それ故細かな感情の機微がより鮮やかに感じられる。そのたたずまいの精巧さは人間の意識をそのまま投射しているアバターでしか実現不可能であり、AIでの再現は滑稽なパロディを生む結果しかもたらさない。少なくとも、それが現行のサザーランドユニットに対してのレン、ひいては社会全体の認識だ。
「不気味の谷」博士は懐かしい単語を聞いた、とばかりに破顔し、「そうか、まだ社会はそんな低レベルの問題を扱っているのか。イヴが12年も前に乗り越えた課題をいまだに克服できないとは、開発者として嬉しい反面一人のプログラマとして哀しくもある」
「乗り越えた……12年も前に? 不気味の谷の問題はすでに技術的にクリアしてるってのか? じゃあ逆になんでMk‐Vにはあんなつくりものっぽさが残ってるんだ?」
「簡単なことさ。あれには『心』が宿っていないからね」
レンはまたしても二の句が継げなくなる。心だって? この男は一体なにを言ってるんだ? AIに心がないのは当たり前ではないか。
「そこがイヴと、ほかのサザーランドユニットを分かつ絶対的な差なのだよ。イヴは世界ではじめて『心』を実装したAIなんだ」
「な……! 馬鹿なッ。AIが心を持つなんてありえない!」
「何故そう言い切れるのだね? 実際君自身が判別できなかったイヴを前にして」
「それは……だって、心ってのは肉体に宿るものだろう。俺達の脳の中で交わされる無数の電気信号と、それによって発生する思考のことを心と呼ぶんじゃないのか?」
「ふむ、君は意外と物質的に人間を捉えているようだね」博士は感心したふうに一つ頷き、「その通りだ。AI研究の世界では、私達の脳内で発生する思考のことを心と定義している。迷い、悩み、間違え、ときに非合理な決断を下してしまうままならなさこそが人間らしさなのだ、と。一方AIは全ての選択が合理性という基準に従って自明に選び取られる。プログラムによって人間らしく迷い、葛藤するよう設定することは可能だけれど、あくまでそれは見かけだけの話であって、内面で発生しているのはどう振る舞えばより人間らしく見えるかという別種の合理性に基づいた計算でしかない」
そうだ。そしてまさにその欺瞞こそがレンがAIを忌み嫌う最大の要因なのだ。
「それが今日サザーランドMk-Vが直面している壁なわけだ。『人間らしさ』がある種非合理で予測のつかない脳――あるいは心――のはたらきによってもたらされている以上、合理性に基づいた計算をいくら重ねたところで『人間らしさ』は再現できず、不気味の谷を越えることはできない。――そこで私はこう考えた。心、つまりは脳の仕組みを電脳でそのまま再現できれば、完全なる人間らしさを体得したAIが生み出せるのではないか、と。かれこれ13年も前の話になるが」
「脳の仕組みを電脳でそのまま再現……。いや、でも、それって」レンは根本的なことに気づく。「アバターの基本概念そのまんまじゃないか」
そう、ロイド博士の理論は、人間の脳を分子電脳変換機でソフトウェア化し電脳に没入する、レン達にとっておなじみの機構とコンセプトが酷似している。
「その通り。実際イヴの開発には分子電脳変換機を用いた既存のダイヴインシステムから多くの技術を流用させてもらった。まったく、先人の叡智には感謝しなくてはいけないね。……それはともかく、イヴとアバターの間には一つだけ大きな違いがある。ここで話は振出しに戻るわけだが」
「……! 肉体の有無、か……!」
博士はさながら教え子の正答を褒めるように頷き、「そう、要するに私は、現実での肉体を必要としないアバターを開発しようとしたわけだ。仮想生命体、とでも言えばいいのか」
「……でも、一体何のためにそんな研究を――」
と言いかけたところで、ロイド博士の背後、端末の上に飾られた写真が目に入る。写っているのはイヴとそっくりな、しかしレンが見たことのない眩しい笑顔を浮かべた少女だった。その少女の正体に察しがついたとき、レンの頭の中に天啓のような閃きが訪れた。
イヴ、サザーランドユニット、ES社の解雇、そして13年前に亡くなったというロイド博士の娘。全ての点が一本の線で繋がり、最大の謎だったイヴの正体が見えてくる。あまりにもおぞましい真相が明らかとなる。
「まさか……あんた、死んだ娘を……⁉」
博士はやつれた笑みの中に静かな威厳をたたえて言った。
「そう。私の研究の目的は娘を、死者の魂を電脳の中に甦らせることだ」
私は今じゃ稀代の天才なんて言われているけれど、もともとはこの見た目通り箸にも棒にもかからない無名のプログラマでしかなかった。
全ての種明かしは、そんな博士の身の上話からはじまった。
「上司からは無能の烙印を押され、部下からも軽んじられる、そんな毎日さ。趣味が高じて身を投じたプログラミングの世界だったけれど、仕事としてやっていくだけの情熱はなかったんだ。それでもまあ、家族を養わなくちゃいけなかったから機械的に働いていた」
「悪いがあんたの世間話に付き合っている暇はないぞ」
「そうだね、すまない」博士は素直に謝罪し、「そういうわけで、私は人生の比重を仕事よりも家庭のほうに傾けていたんだ。日毎大きく、賢くなっていく娘の成長を妻と共に見届けるのが無上の喜びで、唯一の生きがいだった。君みたいな活発そうな子は、そういう平凡な幸せを退屈だと嗤うかもしれないが」
「……いや、そんなことはないよ。いいじゃないか」
それは本心だった。一家離散を味わったレンにとって、家庭の温もりは失われた憧れの風景である。
「ありがとう。娘のメイヴェルは明るくてよく笑う天使のような女の子だった。この国には目の中に入れても痛くないなんて言葉があるみたいだけれど、私にとっては本当にそんな存在だったんだ」
確かに写真の少女はこぼれんばかりの笑顔を浮かべていて、イヴのような儚げな印象はなく、快活さを感じさせる。
「しかし」博士の口調にかげりがさす。「幸せは長くは続かなかった。もともとメイヴェルは生まれつき遺伝子に疾患を抱えていたんだ。免疫力が人より極端に低く、ちょっとしたことですぐに体調を崩してしまい入退院を繰り返す。学校にもまともに通えず、ほとんどの時間を家で過ごした」
そんな彼女が電脳に通うようになるのは時間の問題だった、と博士は語る。
「コンフィグによって現実でのハンディキャップを無効化できる電脳では、彼女は普通の子供達と同じように元気に走り回って遊ぶことができた。彼女にとって肉体はただの枷でしかなく、病の軛から解き放たれる電脳こそがよりよい世界なのだとそのとき私は思った。しかしながら、皮肉なことに電脳に没入する時間が増えれば増えるほど現実における肉体の衰弱には拍車がかかるわけで」
没入中は寝たきりの状態が続くわけだから、体力が低下しそれに伴って余計に免疫力が落ちるのは当然といえば当然だけれど、だからといって病弱な子供の唯一の楽しみを誰が奪えよう。当時博士が抱えていたジレンマを想像するとレンはやりきれなくなる。
「あとは本当にあっという間だった。高熱が出たかと思ったら、抵抗の余地もなく娘は旅立ってしまった。あのときの哀しみは、とても言葉では言い表せない。しばらくはなにも手につかないような日々が続いた。わずかに気力が回復してからも、私はどうしてもこの世界に娘がいないという現実を受け入れることができなかった。だって娘は、亡くなる前日まで電脳で私に微笑みかけてくれていたのだから。娘を否定した現実などいらない。娘を受け入れてくれた電脳こそが本物の世界なのだと私は思うようになった。信心深い死者の魂が天国に迎えられるというのなら、メイヴェルの魂は電脳の中になければならない。いや、メイヴェルは電脳の中で生きるために不要な現実の肉体を捨てたのだ、と」
博士の口調が熱を帯びる。あとから振り返ると、このあたりから博士の論理には突飛な飛躍が見られはじめていたように思う。
「そうして私は死んだ娘の魂をアバターとして電脳に再現することを試みはじめた。自分の身の丈に合わない高度な研究だ。実際、それまでの私では扱うことのできないような難解な障害がいくつもあったが、そのときの私には不思議と理解することができた。娘の魂に導かれているのだと思ったよ」
娘を失った絶望が、それを取り戻そうとする切実な願いが、皮肉にも博士に秘められていた才能を開花させたということか。そういうことは往々にしてある。レンの反射神経と操縦技術がエージェントの不在によってもたらされたように。なにかを失うことではじめて得られる才能というものがこの世にはあるのだ。というより、在るべきなにかの不在のことを才能と呼ぶのかもしれない。とはいえ、
「一人の人間をプログラムだけで再現するなんて俺には不可能としか思えないんだが」
「もちろんそうだ。魂を電脳に移植するということは、脳内の構造をそっくりそのままプログラムとして記述するということになる。そんなことは当然不可能だ。医学的に見てもまだ解明されていない謎の多い器官でもあるしね。ただし、あらかじめ詳細な設計図があって、それを模写するだけならばどうだろう、私はそう考えたんだ」
「設計図? どういうことだ」
「分子電脳変換機だよ。私達の脳情報をスキャンしソフトウェア化するナノマシンだ。それを脳内から取り出して解析すれば極めて正確な脳情報を取得できるというわけだ」
レンは戦慄する。確かに直接脳から情報を吸い出している分子電脳変換機なら、脳をプログラムで再現するに際しなにより精巧な設計図となりうるだろう。しかし、
「一度人体に定着した分子電脳変換機を体の外に取り出すのは不可能なはずだ」
「生きている人間からはね。あまり知られていない情報だけれど、死体からなら取り出すことが可能なんだよ。私の住んでいた地域が土葬が主流で助かったよ」
博士の言葉の意味を悟ったレンはあまりのグロテスクさに吐き気を覚え、激怒した。
「てめえ……娘の墓を暴きやがったのか!」
「罰当たりな行為だったとは思っているよ。しかし、目的のためには致し方なかった」
「そういうことじゃない! 娘の体を研究材料として扱うことに良心は痛まなかったのかって訊いてんだ!」
「私には君が怒る理由のほうが分からない。肉体など単なるインターフェースであって、娘の実存はそこではなく電脳のほうに在るのだから」
あくまで博士は淡々としていて、レンはこの男がすでに自分達とは異なる価値観の上に生きていることを知る。
「だとしても、あんたがやったのはれっきとした犯罪だ。刑法にも電脳法にも抵触する」
「そこは否定しないよ。ES社を解雇されたのはそのためだ。そもそも、少なくともその時点では全く社の利益に結びつかない研究をしていたわけだしね。そんな私を招き入れたのがここ、PT社というわけだ」
そうして私は分子電脳変換機から採取したデータをもとに研究を続けた、と博士。
「しかし開発は難航を極めた。当時のAIの水準を遥かに越えるものは作成できていたが、それはやはり単なるAIでしかなかった。自分で考え、悩み、葛藤する人間性とはかけ離れていたんだ。そんな試行錯誤の日々に偶発的に出来上がったのがそこにいるそれだ」
レンはちらりと隣のイヴを見やるが、彼女の瞳は空虚を見つめている。
「それは私の思惑通り自ら思考し判断する自主性と、人間と判別不可能なほど自然な所作を身につけていた。自我を持つAIの完成にPT社の人間達は色めき立ったよ。それは開発者である私の名を取ってサザーランド・オリジン、もしくはAIの概念をひっくり返す存在としてI∀と呼ばれ、即座に量産化が企画された」
「サザーランド・オリジン……。じゃあ、サザーランドユニットは……」
「すべてイヴをもとに量産化され、改良が重ねられたものだ」
「でも、サザーランドはいまだに不気味の谷を越えられていないぞ」
「そこが私やPT社の人間達の悩みの種というわけさ。イヴのデータをそっくりそのまま複製したのに、サザーランドユニット達にそれのような内省は生まれなかった。心は複製できないんだ、理由は分からないけどね。それでもサザーランドユニットの挙動は当時としては革新的に人間に近かったから、そのままロールアウトが敢行され、ご存知のように一大センセーションを起こすことになる。一方私の研究はというと、イヴ以降現在に至るまで心を有したAIを完成させることはできていない。さっきも言った通りイヴは偶発的に生まれたものだからね」
「だからPT社もES社も血眼になってイヴを追ってるってわけか。イヴが複製できない、唯一無二の存在だから」
「近いが、正確には違う。心の複製そのものは研究を重ねればいずれは可能になるだろう。技術によって生まれたものである以上、その問題点が技術によって解決されるのは時間の問題だよ。連中にとって重要なのはそれを誰が最初に行うかということだ」
「誰が最初に行うか……」
「ES社の当初の目的は君とイヴの保護だった。それはイヴのデータを解析して心を複製するメソッドを確立し、心を持ったAIの商品化をPT社よりも先に実現させるためさ。イヴの身柄が再びPT社に戻ったことで現在は方針を変更し、せめてイヴを抹消することでPT社の研究を頓挫させようとしているようだけど」
レンは想像する。サザーランドユニットが世に出た際ですらインフラを一新するだけのセンセーションを引き起こしたのだから、心を持つAIともなれば第二の、それもさらに大きなバブル経済を誘発するのは間違いない。最初の開発元として得られる資本は途方もない額にのぼるだろう。今回の一連の闘争は、その巨万の富を巡って繰り広げられていたのだ。なんのことはない、単なる企業同士の競合であり、レンの忌み嫌う資本主義経済そのままだ。
「ふざけんな! どいつもこいつもイヴを物みたいに扱いやがって!」
「事実そうだからね。データの集まりだから、厳密には物質ですらない。とはいえ、その価値は世界経済に大きな影響を与える。もっとも、私には興味のない話だけれど……」
「興味がない?」
「私の目的は13年前から一貫して一つさ。娘を、メイヴェルを復活させること。意志を持つAIも、巨万の富も私にとってはなんの価値もない。そこにいるイヴだって、肝心の人格がメイヴェルと似ても似つかないのだから、ほかのAI達と同じく失敗作に過ぎないのだよ」
失敗作、という言葉にイヴの肩が震える。
ロイド博士は端末を操作する。と、暗かった研究室の明かりが灯り、周囲の状況が目視できるようになる。
鳥肌が立った。最前までイヴが閉じ込められていたクリスタルが室内の内壁を埋め尽くすようにびっしりと並び、それら全ての中にイヴと全く同じ顔立ちをした少女が入っている。ある者は目を閉じ、ある者は正気を失ったような虚ろな表情を浮かべ、ある者は呆けたように笑っている、一糸纏わぬ少女達。ざっと数える限りでも、100や200ではきかないだろう。
少女達の顔が仮にもイヴを象っているにも拘らず、いや、だからこそレンはそのあまりにグロテスクな光景に恐怖を禁じえなかった。同時に、目の前の男の発狂を強く確信した。
「13年だ。それだけの間、これほどの挑戦と失敗を重ねてきたのに娘を再現することはついにできなかった。私はただ、もう一度あの子に逢いたかった。それだけだったんだ」
博士の呟きはまるで10代の子供のように純粋だ。伏せられた瞳には喪失の痛ましさだけがあって、狂気の陰は微塵も感じられない。そのことがレンの憂鬱に拍車をかける。純粋な願いの行きつく先が、誰の目から見ても狂気そのものでしかないという事実に。
「でも、それももう終わりだ」博士が力なく言う。「君がここに来たからにはPT社も方針を変え、雇った荒くれ者にイヴの抹殺を命ずるだろう。社外の人間に渡すぐらいなら、とね。イヴから取れるデータもあらかた取り尽くしたから、それはもう用済みでもあるし」
「あんたはこれからどうするつもりだ」
「遠からぬ未来にPT社から刺客を送られ、消されるだろうね。社はもう私の研究に先を感じてはいないし、違法な研究をしていたわけだから口を封じなくてはならない」
絶望的な展望を平然と語る。この男は本当に娘が全てで、ほかの一切は些事なのだ。己の命ですらも。
ログアウトしようとするロイド博士をレンは止めた。
「待て。その前に、ずっとほったらかしにしていたことをこの子に謝れ。偶然でもなんでも、あんたが生んだ命なら親はあんたのはずだ」
「私の娘はメイヴェルただ一人だよ。研究の途上で生まれたものは全て娘の紛い物に過ぎない。心が在ろうが在るまいが、ね」
「……ッ! あんたはくそったれだ。娘を亡くした自分を慰めたいだけのエゴイストだ。世間があんたを天才ともてはやそうが、自分の生み出した命に責任を持てないような奴のことを俺は認めない」
「君は確か孤児だったね。生い立ちを考えればそう思うのも無理はないけれど、君も親になれば私の気持ちが分かるさ。断言しよう、人の親で私と同じ技術を有していれば誰もが同じことをするさ。それが親というものだよ」
博士はそれだけ言ってログアウトしていった。
残されたレンはうつむいたまま顔を上げようとしないイヴと向き合う。こうして見ても、彼女がAIだなんてとても思えない。イヴに対する親愛の情とAIに対する嫌悪感がないまぜになった複雑な感情が一瞬レンの胸に去来するが、すぐに断ち切った。
「あんな奴は父親でもなんでもない。俺達と行こう、イヴ。一緒にここから脱出するんだ」
イヴの手を半ば強引に掴み、研究室から出ようとする。しかしレンの手は乱暴に降り払われた。驚いてイヴのほうを見ると、彼女は自分で自分のしたことが信じられない、といった表情で掴まれた手をもう一方の手で握り締めていた。
「イヴ……」
そのとき、轟音と共に研究室の扉が突き破られ、レン達の眼前に青い機体が吹っ飛んでくる。〈クラック・カスタム〉はボディの至るところから火花を散らし、今にもデリートする寸前だった。換装が自動的に解け、苦悶の表情を浮かべたメッセの姿が見える。レンは慌てて駆け寄りメッセを抱き起こした。
「メッセ! おい、大丈夫か?」
「レン……。すみません、最初は優勢だったのですが……。大見得を切っていたのに情けないです」
「そんなことはいい! お前はよくやってくれたよ、早くアボートするんだ」
「えへへ……仕事で褒められたのははじめてなので、嬉しいです」メッセは弱々しく微笑み、「レン、必ずイヴさんを助けてください。約束ですよ」
レンが請け負うとメッセは満足したように頷き、アボートしていった。
ヴァーチャロイドのゆったりとした足音が聞こえてきて顔を上げると、破れた壁の向こうから仇敵の姿が近づいてくる。
「なんだよ、女はアボートしやがったのか。ここからがお楽しみってところだったのにな」
シヴァ・イェーガーはレンとイヴを順繰りに見やり、
「まあいいさ、別の楽しみもできたからな」
「別の楽しみだと?」
「クライアントからの依頼が変わったんだよ。次の任務はそっちのお嬢さんの抹殺さ。せっかくだからお前の目の前で犯してから殺してやるよ。心を持ったAIとやらがどんな味なのか興味がある」
野卑な悪意を向けられイヴがたじろぐ。
〈グレイヴディッガー〉のHPはメッセの健闘のおかげで6割近くまで削られている。しかし、頼れる仲間はもういない。俺がやるしかないのだ。世界トップクラスの強者を、たった一人で。
レンの内心の怯えを察知し、脚が笑い出す。まったく、つくづく電脳は余計なところで芸が細かい。それでも、ここで逃げるわけにはいかない。ここまでの道を切り開いてくれた仲間達のためにも。
「換装!」
宣言と共にレンの体が慣れ親しんだ装甲に包まれ、恐怖が幾分やわらぐ。盾とマシンガンを同時にアップし、〈ブレイヴ・ゼロ〉は最後の戦いへと赴いた。




