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天使の丘  作者: 荒芳樹
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ルヴィ・エルクゥオール

 十七歳になったばかりの双子の妹、ルヴィ・エルクゥオールは、有翼人の少女にしては背の高い方だった。背中にかかるくらいの髪を、普段は垂らしている。髪型などはあまり気にしたことがない。

 ルヴィ自身、自覚は殆ど無いが、前述の通り母親の境遇と入学試験の華々しいデビューによって、学園中で話題の人となった。たとえ歴史の浅い学園と言えど、魔法障壁と魔石で物理的に強化された試験会場を吹き飛ばした入学志願者など、いるわけもない。


 そんなルヴィを、入学当初から疎く思っていた同級生も少なく無かった。しかしルヴィはそんなこと気にも留めなかった。というか、「気づいていなかった」と言うべきだ。ルヴィはよく笑い、嘘をつかず、真っ直ぐな性格である。美少女であり、いつしか誰からも好かれる存在に成長していた。

 そんなルヴィが入学前からずっと続けてきたのが「剣道」である。このカレアにおいて「剣道」はさほど珍しくもない遊戯だが、ルヴィの場合特に最も格式高いと言われる古流剣術「天羽光皇流」を幼い頃から励んでいる。

 田舎町ミシルの小さな道場…、というよりは「自分の家」といっても良いほど通いつめた道場がある。道場主のラナトは、叔母シーナと親友であり、剣術の達人でもあった。そのラナトが教えてくれたのが「天羽光皇流」だったのである。

 そして、そのラナトの師匠であり、このカレアで【剣聖】と呼ばれるロコモに現在指導を受けている。このロコモも、かつて母であるフォーリアに剣術を教えたことがあるらしい、ということはわかっている。

 習いたての頃はロコモによく尻を撫でられた。このカレアで女の尻を撫でる趣味を持つ者も珍しいが、ロコモの背中には羽が無い。種が違うのだ。

 それを気に留める者もおらず、ロコモの道場には百名以上の弟子が通う。その大半は女性であり、「尻撫で」は儀式のようなものだ。

 …が、今ではそれも無くなり、一番弟子といわれているほどの優秀ぶりである。


「おはようございます、師匠」

「おう、ルヴィよくぞ来た、今日も頼むぞ」

「はい」

 剣聖ロコモはルヴィに対して免許皆伝こそ与えていなかったが、師範代としてよく使っていた。長い髪を振り乱し、剣を振るう美しい少女に稽古をつけてもらえるとあっては、男性を含め女性にすら、もはや娯楽の域に達している。

 ステイシア内に四つある道場で、ルヴィは忙しく走り回る。


 ルヴィは、剣術の先生になるつもりはない。だが、稽古が終わった後に、特別に手合わせをさせてもらう、というのが条件で師範代を引き受けていた。一度たりとも勝てたことが無かったが、それ故に楽しかった。


 ルヴィは強かった。見た目からは想像も出来ない気迫と剣気。キレ、早さ、正確さ、どれをとっても一目置かれる存在だった。腕力に訴える大きな体の男の先輩方には負けることはあったが、もし竹刀でなく真剣での実戦であったなら、確実にルヴィの方が強いであろう。

 ルヴィの強さの真髄はその脚力にある。通常、この有翼人の世界では「飛ぶ」という行為の方が走るよりも楽な事がある。

 有翼人の羽は「機能」としては大分退化している。大空を自由に飛び回るには相当な鍛錬を必要とする。自分の体を長時間空中に留めることは極めて体力を消耗する。

 だが、そんな翼でも山道を登ったりする場合は重宝し、下る時には翼の方が断然速い。それ故「脚」を鍛えるという発想に乏しい。

 だがルヴィの場合は違う。翼を広げて飛べるようになったのがごく最近のことで、それまで走っていた。

 有翼人は、五歳程度で飛翔することができる。体重の軽さも相俟って大人よりも飛べる。山で迷ったとき、魔物に襲われた時、「飛んで逃げる」のは田舎に住むルヴィにとって不可欠な能力だったのだが、これがどうも苦手であり、走って逃げた方が早かった。

 さすがに今では飛翔することに違和感は無いが、「走った方が速い」という感覚は今でも残っている。そしてそれこそが、ルヴィの剣の強さを支えている要因となっているのである。

 真剣での勝負は俊敏性が鍵を握る。彼女の素早さについて来れる者はいないのだ。


 師匠以外は。



「ご苦労だった、ルヴィ」

「師匠、お疲れさまです」

 稽古から上り、弟子たちの木刀を拭いていると、道場にロコモがひょっこりと顔を出した。降りは長い髪を後ろで結い束ねている。ロコモ自身は見慣れているが、剣術少女はポニテに限る、などとよく漏らしている。


 片付けまで楽しそうにやるルヴィをロコモは眺めていた。

「ルヴィは、剣術の師になるつもりはないと言っておったな?」

「え?」

 ルヴィは手を止めて小柄な老人に向き直る。

「はい」

「それは、もうこれ以上強くならずとも良い、ということか?」

「違います」

「ほほ、即答したのう。では何を目指す?」

「師匠を」

「愚か者。儂は剣術の師じゃ。目指すものが儂ではないという事じゃろが」

「師匠の強さを目指します」

「ほほっ、強くなって、どうするか、までは考えておらんということか?」

 ルヴィは考えた事も無かった。強くなってどうするか?

 確かに弟子たちに剣術を教えるのは楽しいし面白い。それを職として生きるのもいいかもしれない。だが…

「考えた事もありません」

「…つまり、ただ強くなりたいわけか。そこに明確な理由は無い、と」

「どちらかと言えば…、勝てない相手がいる、というのが楽しい感じです」

「ん? 勝てぬ相手?」

「師匠ですよぉ」

「儂か? 儂に勝つ? お前がか?」

 ロコモは笑った。はてさてこの娘は本当に面白い。私に勝つ、とは。

「そんなに笑わなくたって」

「いやいやすまんすまん。そういう意味ではないのじゃ。もうお前の方が強かろうに」

「嘘ばっかり。一度だって勝てていません」

 いやはや困った娘だ。【私】を目指すのか。しかしそれは決して超えられぬ壁があるということだ。この娘の為にも少しそれを見せた方が良いかもしれん。


「どれ、ではその目指す師匠が、少し変わった技を見せてやろう」

「は、はい!」


 誰もいない道場の真ん中で対峙する老人と少女。

 年老いてもはや小人のようにしか見えないその老人の体から、不思議と力がみなぎるのを感じる。ロコモが竹刀を構えると、びりびりと皮膚が焼けるような感覚を覚えた。

「…!」

 鋭い眼光。今まで見たことも感じたこともない剣気。ロコモが、そのまますうっと動き、壁に向かって突きを軽く放った。


 どごおおおおおおおおん


「!」


 爆音。竹刀から放たれた一撃が爆音を発した。濛々と煙がたちこる。暫くすると消えはじめ、そこにあった光景にルヴィが唖然とする。

 道場の壁。板と土塀で作られた頑強な壁。その壁にルヴィの背丈ほどの巨大な穴が空いたのである。しかもその穴の先には、砕かれた壁が文字通り粉砕され撒き散らされていた。

 美しい異国情緒ある庭が、一瞬にして土色に染まった。

 ロコモが珍しく情けない顔をする。

「あやや、こりゃいかん…、ちとやりすぎてしもうたか」

「し、し、師匠! 今のは、魔法ですか?」

「いいや、儂は魔法は使えぬ」

「じゃ…、じゃ、何だというんです? こんな、こんな破壊力のある突き、見たことないですよ」

「そうじゃろうのう」

 この力を見せたのは、そう、お前の母フォーリア以来だからな


 ルヴィが崩れた壁を観察する。なんという威力。今のルヴィの力なら、後先考えない一撃なら「貫通させる」ことは出来るかもしれない。でもそれは真剣での話であり、直径が背丈ほどの穴など開けられるわけもない。解体工事現場で見かける銅球などでもこれほど綺麗に壊れることは無いだろう。

 しかもそれを、ロコモは竹刀でやってのけたのである。

「…どうやったんです?」

「どうやったと思う?」

 ロコモは意地悪だな、とちょっと自覚した。

「えーと……こう、竹刀に力を集中…」

「いいや、力ではない、【ソウル】だ」

「…そ、うる?」


「そうじゃ、よいかルヴィ。

 この世界は、意思の力が何よりも勝るのじゃ。

 それは、魔法だけに限ったことではない。

 この竹刀にお前の意思力を集中させ、

 お前の体の中にある【ソウル】に直接働きかけるのだ。

 そしてそれらの力が一点に集中した時、

 およそ人とは思えぬ爆発的な力を得ることが出来る。

 しかし、それゆえに、ほれ、見てのとおり儂でも制御は難しい。

 集中力と意思力は違うぞルヴィ。

 もちろん集中力も大事じゃが、

 それを超えた自分の中にある【ソウル】を操れるようになれば

 お前に敵うものはおるまい」


「ソウル…」


「【ソウル】とは本来、人が自覚できる力ではない。一般的には【生命力】と呼ばれたりもするが…、自分が生きようとする力、生物として存在しようとする力。生きようとする意思。それらが混在する、生き物が持つ小宇宙のようなものじゃ。それは、どちらかというと心理的、かつ宗教観などに近いだろう」

「小宇宙…?」

「『意思の力』じゃ。呪文の詠唱と術者の精神力を代償として引き起こされる超自然現象が【魔法】と呼ばれるのに対し、【ソウル】は詠唱も無く精神力も必要としない代わりに【生命力】を使う」

「…それはつまり…、命を削るってことですか?」

「ふむ…、まぁ、極端なことを言えばそうとも言えるじゃろうが、それは魔法とて同じ事。お前に使用を禁じた技があったな?」

「四龍剣、ですか?」

「そう、四龍剣は太刀振る舞いの危険さもあるが、現段階では技の強さに体が耐えられん。だが、その無理な技を可能にするのは、お前の意志力の強さの証明じゃ。お前はその力を無意識に使っておる。それをもう少し制御出来るようになるべきじゃ」

「…意志力…」

「…とは言ってみたものの、儂にすらその制御は難しいのがな…」

「みたいですね…。綺麗にしていたお庭が…」

「…う…うむ…。【ソウル】の制御は、今後お前が剣術をより強くあろうとする際に不可欠な修行じゃ。何せ、制御を間違えば寿命が縮まりかねん。無意識に使うのと意識的に使うのではわけが違うからのう。お前が自分の中の【ソウル】に気付いた時、お前に免許皆伝を与える」

「ほ、本当ですか師匠!」

「本当だ。教えることはもはや何も無いからのう」


 ソウル

 ソウル

 何だろう

 超能力、でもない

 魔法、でもない

 意思の力?

 うーん…


「ほっほ、そう簡単には見つからぬよ。お前は勘が良い。わしの一撃を見て何かを感じとれたかもしれんしな」

「はい。とても勉強になりました。…でも正直怖くなりました…」

「…ほう」

(フォーリアと同じ事を言うか…さすがは親子だな…)

「怖い、とは?」

「はい。魔法は、反射や中和、という対処方法があります。剣技にも返し技や受け身技があります。相手の出方を見て適切に対処すれば、腕力や魔力で勝る相手にも勝機を見出す事は出来る。でも今見た力に、何か対処しうる方法があるでしょうか?」


 この娘、わかってはいたが頭が良い。


「ほほほ? じゃから言ったろう、本来誰も使えぬ力じゃ、と。魔法が使えぬ儂にとっては、魔法も十分に奇跡じゃが、【ソウル】を使いこなす、という事は【意図的に奇跡を起こせる】という事に他ならぬ。人の概念の外の力。それが【ソウル】じゃ」

「…私にも、使いこなせるでしょうか?」

「だからこそ、修行が必要じゃ。まずは、生命力を万全に備えること。そのために大切なことは何かわかるか?」

「学ぶ事、動く事、食べる事、寝る事ですね?」

「学動食寝、これが天羽光皇流の基本。今日はこれまで。帰って体を癒せ」

「はい、ありがとうございました!」


 ロコモは道場にルヴィを置いたまま、奥の母屋に戻っていった。

 さて、あの庭をどうしてくれようか。やってしまったのが自分とはいえ、あれは酷い状態だ。早速庭師を呼ばなくては…、いや、庭師よりも先に建築業者を呼ばなくてはならないか?


 日はすっかり陰り、ロコモが夕餉の支度を済ませた頃だった。道場にまだ人の気配が残っているのを感じたのだ。


「おーいルヴィ、まだ道場におるのか? 一日や二日では無理じゃ、何年もかかって習得するものじゃて。今日はそろそろ帰ったらどうじゃ? お前も疲れて…」


 どごおおおおおおおおおおおおおおおん


「む!」


 地面が揺らいだ。大地を劈くような破壊音、禁じられた魔法でも放ったかのような衝撃。道場の方からだった。


 もしや先ほどの壁が崩れたか? ルヴィは、ルヴィは大丈夫か?


 剣聖と呼ばれるロコモもさすがに焦った。このような怒号聞いた事が無かったのだ。駆けつけた道場は濛々と煙が立ち込め、ルヴィが倒れていた。


「お、おい、ルヴィ、しっかりせんか、ルヴィ! ルヴィ……」


 ルヴィを揺り動かしていたロコモの動きはハタと止まった。

 自分が大穴を開けた壁。 しかし、煙が消え始めるとそのすぐ側にもう一つ、巨大な穴が空いていた。


「…なっ …なん…」


 それだけではない。庭には苔生した巨石などを配置して、それは美しい庭園だったのだが、それが無い。池に水も無い。巨石が粉砕され、池の水は押し出され、生かされていた鯉が地面でビチビチと跳ねている。樹木はなぎ倒され、根っこを晒している。それに留まらず、なんと路地に面したレンガ壁すら崩れている。通りかかった人がその壁を物珍しそうに見ていた。

 そして、ルヴィの手に握られていたであろう竹刀は、黒こげの炭となり転がっていた。


「こっ…こんな事が…?」


 気を失い、無防備にその体を預けているこの少女が、たった一度見ただけの【ソウル】を放ったというのか?

 しかも、この【ソウル】の強さは、尋常ではない。


 それから道場は大騒ぎとなった。

 近所の住人が「爆音がした」と通報したため、魔法警察がやってきたのだ。警察はその爆音に対して「魔法使用の痕跡が見当たらない」として首を傾げるばかり。ロコモも「巨石が転がった」と嘘をつく始末。そうとでも言わなければ説明できない爆音だったのである。

 魔法事故はよくある話のステイシアではさほどの騒ぎにもならなかったものの、夕餉はすっかり冷めてしまい、いくら揺り動かしてもルヴィは一向に正気に戻らず寝ていた。


 ロコモは気を失ったルヴィを背負い、家まで送っていった。

 帰りが遅いと心配していたリターツが、玄関先で出迎えた。


「あ? ロコモ先生…、ルヴィ? どうしたんです?」

「いや何な、ちょいと稽古をつけようと思ったら、こやつ伸びてしまってな」

「それでわざわざ担いで…、すみません先生。ほらルヴィ、起きなさい、ルヴィ!」

「あ、いや、おそらく起きないだろう、ヘタすると二、三日寝込むやもしれぬ」

「え…?」

「心配はいらぬが、無理に起こさず、寝せてやってくれ。何かあったらすぐに儂に連絡してくれよ」

「は、はぁ」

「では、な」

「あ、ありがとうございました…」

 リターツは、眠り続けるルヴィに何が起こったのか、わからなかった。

 そして、ルヴィ本人も、自分に何が起こったのか、わかっていなかった。


 まさか、お前の娘が適正者とはな…

 ルヴィは、お前が目指したあの剣の持ち主となるかもしれんぞ

 …ふふふ…

 それとも、これはお前の【演出】なのか?

 運命とは、おもしろいものだな…


 ルヴィは二日後の夕方に目を覚ました。自分の身に何が起こったか、よりもまず経験したことが無い猛烈な空腹感に襲われた。食事を作れないりたーつはルヴィを連れて近所の食堂に行ったが、その食堂の店員が唖然とするほど、ルヴィは食べた。

 いったい何人前を食べたのか…。パンを四つ、ステーキを三枚、サラダは山盛り、スープを四回おかわりし、それでも足りないと芋揚げをペロリと平らげた挙句、煮込み料理を頼み、締めにケーキを二つ。

 元々ルヴィは、細身の身体からは想像が付かない程食べる。同世代の子の三倍もの量を平気で平らげる。甘いもの、辛いものが大好きで好き嫌いは殆ど無い。にしても、いったいどこをどうすればそれほど入るのか。流石の姉もその時ばかりは我が目を疑った。

 そしてまたコロッと寝てしまった。リターツは「新しい技を教えて貰った」ということまでは聞き出せていたが、その技はそんなに極端に体力を消耗する技なのか?


 リターツはロコモに相談しに行ったが、ロコモはただ何も言わず腹を抱えて笑った。

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