魔導学園の日常
遥か高く天空に或り、聖地と称され信仰を集めて来た【天空島カレア】
浮遊するこの巨大な島には有翼人が住んでいる。
カレアは平和な島だった。上空にあるにも関わらず気候は穏やかだ。決して豊かとは言えない土壌ではあったが有翼人には知恵と魔法があった。手足を動かし、知識を実践し、魔法を駆使し、植物を改良し木々を育て畑を耕し、自らの糧とするものを産み育んできた。先人達の努力により広大な森も生まれ、点在する村は活気に溢れていた。家畜は森へ還り、太り、時に住人を脅かすようになった。それらを狩る為に狩人が森を分け入り、光輝く泉を、魔石が眠る遺跡を、巨竜が眠る洞窟を拓いてきた。有翼人達の楽園であった。
天使たちが住む聖域。何時しか下界ではこのカレアが伝説となり、崇拝の対象にすらなった。
下界の者の中には、カレアを楽園と信じ目指した者も少なくはない。魔法を駆使し、技術を駆使し、飛行船を建造した国家もあった。しかし、歴史上辿り着いた者は今まで一人もいないとされている。少なくとも帰って来た者は居ない。
盆地の街を眼下に、迫る連峰を背に壮大な石造りの城。これと言って目立つ装飾は無いが、白と赤で統一された可憐な城。そしてそれを取り囲むように、多くの家々が軒並みを連ねている。
この島【カレア】のほぼ中心に位置し、経済基盤である首都ステイシア。城から伸びる六本の幹線道路と計画的に設計された広場と森。道を隔て完全に区画整理されており、金融街、医療街、食品街、というようにそれぞれの業種が集中して一括管理されている、統率された美しい街だ。
その一画、教育機関が集中する街があり、そこは今急激な拡大を余儀なくされている。新たに首相となったステイシアは魔導器の発展を掲げ選ばれたのだ。公約を守るべく都市部に魔導器を次々と導入している。巨鳥車が一般的なカレアで、魔導で動く車が開発され話題となっている。知らない所での技術浸透が激しいのだ。開発の中心街は若者で溢れかえり、集合住宅地の建設が相次いでいる。
住む有翼人達に自覚は無いが、カレアは民主主義国家だった。もっともまだ日の浅い国家だが、前文明の成功例に倣い政治的には安定していた。人口わずか二十万足らずの小さな国家だが、島国であり、隣接する国があるわけもない。
ステイシアには、四万人程の有翼人が住んでいる。首都としては実にこじんまりとしているが、それ故に豊かだった。
「まってー」
「…ん?」
少女がほんのり紅く染まった髪を靡かせて大通りの一本奥の道を走ってくる。颯爽と走るその姿は周囲の者を魅了する。そしてその先に、走る少女に瓜二つの少女。
紫を帯びたその髪と、瞳の色だけがその二人を区別する唯一の手段だった。
「おねーちゃん、さっさと帰らないでよー」
「貴女に付き合ってたら日が暮れちゃうでしょ?」
紫の髪の少女は後ろを振り向かずに歩く。
「少しは断ることを覚えたら?」
「だって…、あーいう風に言われちゃうと」
「相手は商売なんだから、お世辞言うに決まってるでしょー?」
「そこ行く可愛い双子さん! 実に綺麗な肌だね。この苺を見てくれよ。ビタミンたっぷりだ。一段と白く輝くような肌になるよ! これがまたちょい酸っぱ目で甘くてサイコーなんだよ、可愛い子にはサービスするよ。どうだい? 買っていかないかい?」
通りの果物店の店主が声を張り上げた。少女の足がぴたりと止まる。
「…それ…、下さい」
「おねーちゃんだって、立派にひっかかってるじゃない!」
彼女らは双子。妹のルヴィ・エルクウォールと、姉のリターツ・エルクウォール。 市内に住む彼女たちは魔導学園クァラでは有名な美しい双子姉妹である。
クァラはステイシアの中でも優秀な学校である。他には理屈先行の頭でっかちな学校も多数あるが、双子は叔母の奨めもありこの学校に在籍している。
ルヴィの専攻は魔法剣士科。このカレアでは極ありふれた学科である。首都ステイシアではさほど多くの魔物の出現は無い。どちらかというとスポーツとして剣術を習得する者が多い。剣術に限らず、武術一般はカレアでは人気がある【娯楽】の一つなのだ。
体を動かすことが好きなルヴィは、この学科に入ることに疑問は持たなかった。
だが残念なことに、彼女は魔法はからっきしダメだった。有翼人である以上、魔力のスキルは「常識的な力」であり、努力すればある程度までは習得できるものだ。
だが、彼女の場合、簡単な火の魔法も使うのは大変なのだ。不可能では無かったが、何せ制御が出来なかった。
ルヴィはこの学校に入学する際の試験で初めて、自分も全く知らなかった魔法の才能に気づいた。彼女の入学は周囲に懸念されるほど危うかったのだが、魔法の試験の時に試験官の指摘によって「特別な力」があることが判明し、文句なしに入学を許可されたのである。
魔法剣士科は文字通り、魔法と剣術を使いこなせることが最終的な目標となるが、その方向性は様々である。魔法によって速度を強化したり、風圧によって回避などを重視したりと多岐に渡るが、その中で最も困難とされるのが【攻撃力の強化】である。一般的には炎を剣に纏わせる、水を滴らせて鋭利さを強化する、剣を凍結させる、などが主流だが、彼女の場合には【雷光】の力があったのだ。
【雷光】の魔法と言えば、魔法剣術を志す者は誰しもが憧れる、いわば「英雄の力」である。その力があるだけで戦いは優位になる。雷光に対する特別な対抗手段が無いからだ。
魔法とは相性がある。火に対しては水が、水に対しては風が、風に対しては土が、それぞれの対抗手段となる。相手の弱点を見抜き、適した魔法を使う事が重要だ。【雷光】も風の力の一種なので対抗手段は土な筈なのだが、術者がいくら対抗しようにも魔法の発動から着弾までの時間が極端に短いため、最も発動が遅い土の魔法では相手にならないのだ。
故に、【対抗手段が無い】と恐れられているのである。
この【雷光】の魔法は、これまでの研究の見解だと「生まれ持った才能が全て」と言われている。努力の結果習得できる能力では無いのだ。
素質者自体も極端に少ない。魔導学園と名の付くクァラでも【雷光】の魔法の素質者は今まで一人も居なかった。もともと魔法の素質とはそれぞれの属性が「向いている」程度のもので、魔法理論と術式さえしっかりしていればある程度までは何とかなるものだ。ただ、その魔法理論も術式すら研究されていない【雷光魔法】は、英雄伝記の中でこそ有名だが、存在を確認できたというだけで学術的収穫がある、という水準のものなのである。
有翼人の間では有名な英雄がいる。彼女の名前は「フォーリア・エルクウォール」
この天空島に生まれ落ち、危機に陥った異世界を救うために旅立っていった英雄。
戻ってこれないとわかっていながらその身を正義のために投じた勇者として人々に尊敬されている。今でこそその名を知らない若者も多いが、剣術を志す者はその無を知らぬ者はいない。教科書に載っており試験にも出るからだ。
そのフォーリアも、実は他の魔法がからっきし駄目だったと伝えられている。しかし、そんな彼女も凄まじい雷光の魔法の才能があったと言われている。逸話として山のように巨大な龍が暴れた時、その龍を一撃で葬ったと伝えられている。その魔法はあまりのエネルギーに空間が歪む程の威力があったという。現在禁術管理委員会に厳重に管理されている魔法のトップを飾っている。尤も、その魔法を使える有翼人は現在一人も居ない。
生まれ持った才能が全て。その雷光の魔法の才能をルヴィは持っている。入学試験の時に、簡単な魔法の制御すら儘ならないルヴィに対し、試験官達は呆れかえった。後述するが、シーナの推薦での入学希望者だったルヴィ。だが子供でもできる魔法の制御が出来なかったのだ。嫌味よろしく試験官の一人が「英雄の娘だから仕方ない」などと冗談を飛ばした。ルヴィは恥ずかしくて真っ赤になり今にも泣きそうになったが、英雄研究の教授がその冗談に憤慨した。口論となり、もしやと考え、唯一記録に残されている【雷光魔法】の印と術式をその場で教えた。小さな火球ですら制御できなかったルヴィは、言われるがままに印を組み、全力で放ったその【雷光魔法】は、魔法試験会場として「絶対に壊れないように造られている」という頑強な魔石造りの建物の一部を派手に吹き飛ばした。その後の試験を後日に延期せざるを得ない程すさまじい魔法の才能を披露したのである。
ルヴィは覚えていないが、ルヴィはフォーリアの娘。魔法の才能は遺伝しないと言われているが、周囲は放って置かなかった。
ルヴィは母の顔を知らない。姉のリターつもフォーリアの顔を知らない。それもそのはずだ。双子を産んですぐにフォーリアは異世界へと旅立ったとされている。
双子はその後、フォーリアの双子の妹、叔母のシーナと父アスカに育てられた。アスカも双子が七歳の時に他界し、今はシーナが住むこのステイシアに住んでいるのである。
ルヴィたちは、シーナが実母だと思って育った。母親がフォーリアだと知ったのは物心ついてからだった。故にあまり実感が無い。母はシーナであり、父はアスカなのだ。
だが、ルヴィが雷光の魔法の素質を持つことが、周囲に「英雄の娘」を意識させるには十分な要因だった。本人の自覚はまるで無いが、一目置かれている理由はそんなところにもあった。
叔母シーナは、この魔導学園クァラで「法術医療科」で教鞭を取っている教授である。姉フォーリアとは似ても似つかない(負けずとも劣らない)ずば抜けた魔法の才能を持ち、太古に滅び忘れられていた「医療系魔法」を復活させた人物だ。
かつて姉フォーリアと過酷な旅をした際に目覚めた能力らしいが、シーナへの「過去の詮索」はこの学園ではタブーとされている。年齢が不詳だからだ。
英雄フォーリアの双子の妹として有名なシーナだが、計算が合わないのである。
フォーリアが異世界に旅立ってから、つまりルヴィ、リターツが生まれてからもう十七年が経過している筈なのだが、若々しく身長の低さも相俟ってまるで少女のような容姿を持つのだ。
クァラ設立にも携わったとされるシーナ。そのシーナに目をつけられるということは、この学園では平穏に過ごせないことを意味する。謎のままで放置されている話題だ。
文字通り親代わりのシーナは多忙の身であり、教授と生徒という立場以外ではあまり会えていない。それでも、愛情ある態度で接してくれる叔母シーナに、二人は日頃感謝していた。
「そうそ、おねーちゃん、今度の中間試験、どうよ?」
「え? どうよって?」
「ばっちり?」
「心配はしてないけど」
「わかんなとこあるから教えてよ」
「何で分らないところがあるの? あんなの授業聞いていれば簡単でしょー?」
「授業を聞いていれば、ね」
「…聞いてなかったのね?」
「はははは」
「笑い事じゃ無い! 少しはマジメにやったらどうなの?」
「マジメにやってるよー? そりゃ、おねーちゃんみたいにはいかないけどさ」
「…あなたが赤点なんか取ったら私が叔母さんに怒られるのよ?」
「そーいうこと、よろしくー。ほら、この前の試験の時作ってくれた、予想問題集。あれ、完璧だったよ。先生の机から盗んできたんじゃないか、ってくらい」
「…それを丸暗記したのに、満点じゃ無かったじゃない」
「…私が満点取ったら疑われるからね…」
勉強のことでは優秀なリターツだったが、体を動かす点ではルヴィに敵わなかった。共に群を抜く、優秀な二人だったのである。