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第9話【不殺のグローブ】

 酒場に入ると俺は周囲を見渡す。


 そう言えば、哲のアバターがどんな物か聞いてなかったな。

 まあ、それについては明日にでも聞いて見よう。


 まずは実戦だ。

 俺は恐らく、酒場にいるだろうある人物を探す。

 その人物はすぐに見付かった。


 ーーマシュマロさんである。


「マシュマロさん」


 俺が声を掛けるとカウンターに座っていたマシュマロさんが此方に顔を向ける。

 そして、マジマジと俺を見詰めた。


「私に声を掛けたと言う事は準備が出来たと見ていいな?」

「はい。お願いします」


 俺が頭を下げるとマシュマロさんはゆっくりと立ち上がり、外へと出る。

 俺もその後について行き、酒場から出るとロングソードを引き抜くマシュマロさんと対峙した。


「対人戦は初めてだった筈だったかな?」


 マシュマロさんの問いに俺は頷くとマシュマロさんは「決闘デュエル!」と叫ぶ。


 すると周囲に野次馬が集まり、俺達を囲った。

 野次馬は恐らく、プレイヤー達だ。

 これが本来の対人戦の流儀なのだろう。

 俺は深呼吸するとゆっくりとオーソドックススタイルでステップを踏んでマシュマロさんに対して身構える。


 マシュマロさんと対戦する理由は1ヶ月前の約束があるからだけではない。

 彼は俺が此処まで成長するまで一切、手を出して来なかった。

 初心者狩りが不本意と呟いたりする事や律儀に此方が万全になるのを待つ辺り、彼には彼なりの誇りや思想があるのだろう。

 それはマシュマロさんと初めて会った時から抱いていた。


 だからこそ、万全のコンディションの状態でマシュマロさんに決闘を挑むのが、俺が彼に出来る敬意である。


 周囲の野次馬達が賭け事を始める中、俺は精神を集中させ、マシュマロさんだけを見据えた。

 そして、一気に間合いを詰め、まずは小手調べにジャブを繰り出す。

 俺の瞬発力にマシュマロさんを含む周囲のプレイヤーは驚きを隠せない。

 この時の為にひたすら、素早さのみに極振りした俺の姿を捉えられたのは何人いるだろうか?


 マシュマロさんはジャブで割れた眼鏡を捨てるとロングソードを横薙ぎに振るう。

 俺はそんなマシュマロさんの攻撃をダッキングーー上体を屈めつつ、マシュマロさんが振るう向きに踏み込み、がら空きの脇腹にカウンターで左ボディーブローを見舞う。


 鉄の鎧で守られているとは言え、限界まで曲げられた脇腹にボディーブローを喰らったマシュマロさんが呻く。

 そんなマシュマロのテンプルに右フックで追撃した後、俺はバックステップを踏んで距離を取る。


「い、今の見えたか?」

「わ、解らねえ!何したんだ、あいつ!」


 野次馬からどよめきが起こる中、マシュマロさんだけは頭を振って口元から出る疑似的な血を拭い、ゆっくりと俺を睨む。


「クレハだったな?」

「はい」

「認めよう!君も立派な私の好敵手ライバルだ!」


 そう叫ぶとマシュマロさんは剣を此方に向かって投げて付け来る。

 俺はそれを上体を右に反らして避けると背中に背負う槍を構え直すマシュマロさんを見据えた。

 恐らく、あれが本来のマシュマロさんの扱う獲物なのだろう。


 その証拠に今度はマシュマロさんから攻めて来た。

 しかも、槍はただの槍ではないのか、残像が矛先から広がる。

 俺はそれを左にステップを踏んで避けた。

 残像の一つが胸を浅く掠めた。


 だが、槍はリーチが長い分、引くのに一瞬、隙が出来る。

 俺はそんなマシュマロさんに再びジャブを喰らわせーー


 マシュマロさんが此方に顔を向ける前に渾身の右ストレートを顔面に叩き込む。

 マシュマロさんは身体を仰け反らせ、仰向けに倒れ込んだ。


 歓声が上がったの次の瞬間である。


 俺は槍から手を放し、呻きながら倒れるマシュマロさんを見下ろす。


「トドメを刺せ!」

「殺せ!殺せ!」


 そんな叫びが野次馬から上がる中、俺は倒れたマシュマロさんに手を差し伸べた。

 周囲からブーイングが飛んだが、気にはしない。

 元より俺はマシュマロさんと手合わせしたかっただけで殺し合いをしたかった訳ではないのだから。


 そんな俺に対して、マシュマロさんも息も絶え絶えになりながら俺が差し伸べる手を取る。


 だが、次の瞬間、マシュマロさんは力任せに俺を引っ張って倒し、左手に隠し持っていたナイフを俺の首筋に押し当てた。


「此処では情けを掛けるな。でなければ、こうなるぞ?」


 そう言うとマシュマロさんは俺の首筋をナイフで引き裂くーー


 ーー事はせず、ナイフを俺の首筋から引き離す。


「勝負は私の勝ちだ。今ので君はゲームオーバーになってたろうからな。

 まあ、チキンな君を殺す必要もあるまい」


 そう言うと小さな歓声とそれを掻き消す様なブーイングが上がる。

 此処ではやはりと言うか、どんな事をしてでも相手を殺さねば、評価がされないのだろう。

 それはゲームのシステムやプレイヤー同士のルールでも当たり前の事の様だ。

 だが、今回の勝負に対して、俺の中にわだかまりはない。

 勝負には確かに負けたが、得た物は多いからだ。


 俺は改めて、マシュマロさんを助け起こすと頭を下げた。


「お手合わせ、ありがとうございました」

「……勘違いするな。寧ろ、私は君に失望した位だ。

 それだけの実力があるなら、ランキングトップを目指す事も可能だろう。

 なのに何故、そうしないんだ?」

「俺の目的は友達を助ける事で誰かを蹴落として上を目指すのが目的ではないからです」

「……綺麗事だな。そんな事ではまた同じ目に合うぞ。

 とことん、チキンだな。君と言うプレイヤーは?」


 マシュマロさんは残念そうな顔をして、そう告げるとショルダーバッグから一対の皮のグローブを取り出し、俺に手渡す。


「これは?」

「ただのゴミアイテムさ。

 相手に致命的な一撃を与えても殺すのではなく、気絶状態にさせる事しか出来ない拳闘士用の装備だ。

 チキンな君にはお似合いだろう?」

「……まさか、俺の為に?」

「そんな訳ないだろうが。

 たまたま、手に入っただけだ。

 まあ、相手を殺害せねば、ポイントにならないこのH.E.A.V.E.N.では先程も言った様にゴミアイテムだ。

 そんなゴミアイテムを使うかどうかは好きにすれば良い」


 マシュマロさんはそう言うと此方に背を向けて立ち去る。

 俺はグローブを手に、マシュマロさんが見えなくなるまで頭を下げ続けた。

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