第15話【約束とゾンビ】
明朝、なんとか寝付けた俺は目を覚ますとスマホを手にした。
五分ほど寝過ぎたが、まあ、走れば問題なく、間に合うだろう。
俺は起き上がると買い置きしたカロリーバーを口に含みながら寝間着からスーツへと着替え、駆け足気味に家を出ようとする。
「待ちなさい、糀」
そんな俺に父さんが声を掛けて止める。
「折角だ。たまには父さんと一緒に途中まで行かないか?」
「え?でも、父さんの会社って俺と反対にあるんじゃ……」
「まあ、そうなんだが、少し気になる事があってな?」
父さんが気になる事って何だろうか?
俺は疑問に思いつつ、父さんと家を出る支度をする。
「いってきます」
「行ってくる」
「はい。行ってらっしゃい」
俺と父さんは母さんに声を掛けると家を後にして会社へと向かう。
「それで気になる事って何?
H.E.A.V.E.N.の事なら父さんも納得してくれただろう?」
「それについては不本意だが、納得はしている。
それとは別にお前がボクシングジムに通っているのが気になってな?」
そう言えば、ボクシングジムについては父さんに話さなかったな。
現実でも仮想でもトレーニングばかりしていて、そう言う話をする暇もなかった。
ーーん?そうなるとなんで、父さんがボクシングに通っているのを知っているんだ?
父さんにはそんな話をする事も出来なかったのに?
「えっと……なんで、父さんがボクシングジムの事を?」
「お前が昨日、家の電話に鳴っているのに気付かなかった様だから電話に出たら、ボクシングジムの会長さんからだった」
「あっと、ごめん。隠す訳じゃなかったんだけど、つい言いそびれて」
「いや、それについては薄々感付いていたから構わんさ。
そもそも、この1ヶ月以上帰りが遅く、身体付きが逞しくなっていく息子に気付けん程、鈍感ではない」
それもそうか……。
でも、そうなると何が気になるんだろう?
ますます、解らない。
それについて問う前に父さんが口を開いて、ある事を告げる。
「それでそのボクシングジムの会長さんからの連絡だが、『貴方の息子さんを婿に欲しい』との内容だった」
「は?」
「そんな事はないと思うが、お前、その会長さんの娘が目的でボクシングジムに入ったんじゃないだろうな?」
「ち、違う!違う!」
流石の俺も父さんの邪推にテンパりそうになる。
とりあえず、落ち着け、俺。
やましい事はしていないんだ。
父さんならきちんと話せば、理解してくれるだろう。
「えっと、何処から説明すれば良いかな?
話は俺がH.E.A.V.E.N.でのトレーニングの復習で会社の休み時間にシャドーボクシングをやっていたのを彩菜ちゃんーーいや、会長の娘さんに注目されてね。
そこから今のボクシングジムに行く様になったんだ」
「ふむ。成る程な。それで?」
「一度はH.E.A.V.E.N.が理由でボクシングジムから破門されたんだけど、会長の娘さんが俺を追い掛けてH.E.A.V.E.N.に入ったらしくてね。
それで色々あって破門が取り消しになって、会長の娘さんとH.E.A.V.E.N.を通してトレーニングする様になったんだ」
父さんはそれを聞いて溜め息を吐く。
なんで、溜め息を吐くんだ?
俺、今、何か変な事を言ったかな?
「もしかしなくとも、その会長さんの娘って言うのの気持ちに気付いたのは、つい最近じゃないか?」
「え?なんで、そう思うの?」
「そりゃあ、父さんの息子だからだ。
私もそんな感じだったからな」
父さんは苦笑しながら懐かしむ様に空を見上げて、俺の横を歩く。
「私も母さんの親父さんから連絡を貰うまで、その気持ちに気付かんかった。
それで母さんの親父さんにぶん殴られて今に至ったんだ」
「父さんにも、そんな時があったの?」
「ああ。お前は恐らく、そんな事にはならんだろうが、両想いならちゃんとしなさい。
でないと、父さんみたいに親父さんからぶん殴られるぞ」
父さんはそう告げると急に立ち止まった。
「父さんからは言えるのは、それだけだ。それじゃあな」
そう言うと父さんは元来た道を歩き出す。
父さんは俺の事を疑ってたんじゃなくて、俺と彩菜ちゃんの事を祝福してくれていたのかな?
だから、母さんとの馴れ初めの事を引き合いに出したのか?
……気が早いよ、父さん。
俺はそんな事を思いながら、スマホで時間を確認してから鞄を脇に挟んで会社へ向かって走る。
ーーー
ーー
ー
「先輩。ちょっと良いですか?」
会社に無事に到着して昼休みまで仕事していると彩菜ちゃんが声を掛けて来る。
周りの男性社員から嫉妬とかの念を感じつつ、俺は頷いて彩菜ちゃんと一緒に屋上へと向かう。
「昨日はすみません。途中でいなくなったりして……」
「気にしてないよ。それよりも話って?」
俺は内心では解っていつつ、此方に背中を向けて屋上から見える景色を眺める。
「……解ってて聞いているんですから、先輩って意外と意地悪ですね?」
彩菜ちゃんはそう告げると空を見上げた。
しばらく、お互いに話さず、時間だけが過ぎ去る。
「先輩は約束を守る人じゃないですか。
例え、それが周りから見て、どんなに小さな事でも……」
そう言うと彩菜ちゃんは此方にゆっくりと振り返る。
その顔は耳まで真っ赤になっていた。
「だから、私と約束しませんか?
もうH.E.A.V.E.N.なんて辞めて、私と付き合うって言う約束を?」
「え?」
「マシュマロさんって人も言ってたじゃないですか?
先輩だって私の気持ちに気付いてますよね?」
その言葉に俺は鼻の頭を掻きながら頷く。
「それに先輩があの人との約束を守る理由だって、何処にもないんですよ?
ですから、もう全部忘れちゃいましょうよ?」
「……」
彩菜ちゃんの真剣な瞳を見て、俺はなんと返すべきか悩む。
いや、思考出来ないと言っていい。
そんな俺に彩菜ちゃんが顔を近付ける。
そして、俺の小指に自分の小指を絡めた。
「先輩」
「え?あ?なに?」
「指切りしましょう?」
「指切りって、あの子供が約束する時のあれ?」
「そうです」
彼女はそう言うと俺と指切りをする。
「ゆ~びきりげんまん♪
うそついたら、はりせんぼんの~ます♪
ゆびきった♪」
彩菜ちゃんはそう歌いきると俺の事を悪戯っぽく笑いながら見詰めた。
「約束しましたよ、先輩?どうします?」
そう言われて俺は返す言葉もない。
しばらく、固まった後、俺はゆっくりと呟く。
「こんな俺で良ければーー」
「「「ぎゃあああぁぁぁーーっっ!!」」」
その叫びに振り返ると彩菜ちゃんファンクラブの面子が絶叫して悶える。
さながら、それはある種のゾンビ映画に近い。
流石の彩菜ちゃんもそれにドン引きして俺の後ろに隠れる。
「チクショー!彩菜ちゃーん!
何故、そんな奴をー!」
「やめろ!彩菜ちゃんが自分からコクったんだ!俺達はそれを受け入れなきゃならん!」
「糀!テメー、彩菜ちゃんを幸せにするんだぞ!」
なんのかんの彩菜ちゃんファンクラブの面子は涙を流しながら祝福してくれる。
しかし、こんなにいたのか、彩菜ちゃんファンクラブの面子って……。
そんな一人が俺達に向かって叫ぶ。
「彩菜ちゃーん!俺達の未練を断ち切る為に此処でキスして見せてくれー!」
おーい!ちょっと待て!
いきなり、なんか怨念じみた声が此方のハードルを上げて来た!
ムードもへったくれもない。
俺達はゾンビが群がる中でキスを迫られると言う罰ゲームに近いモノをさせられる。
「……彩菜ちゃん」
「先輩。約束を増やして良いですか?」
「一応、聞くけど、なんだい?」
「その、幸せにして下さいね?」
俺達はゾンビ化したファンクラブの目の前でお互いに抱き締め合ったまま、キスをする。
それを見て、ファンクラブが吐血と血涙しながら一人、また一人と倒れた。
ファンクラブって、こんな怖いもんだったのか……。
俺はファンクラブ達に合掌するとそそくさと彩菜ちゃんと共にその場を後にするのだった。




