第10話【カエデ】
俺はマシュマロさんから貰ったグローブをはめると先程の彼との決闘を見て、いいカモだと思って襲い掛かって来た連中を次々と倒す。
様々な武器を扱う連中を相手にしたが、なんとか全員、K.O.する事が出来た。
ある程度、連戦を繰り返して呼吸が乱れ始めたところで俺はログアウトして現実に戻るとその場にへたり込み、一息吐く。
通常のボクシングでならラウンド毎に休憩を挟めるが、H.E.A.V.E.N.では奇襲や多勢で息も尽かせぬ連戦なる。
加えて、判定勝ちと言うものがない。
つまり、相手をK.O.するしかないのだ。
俺は呼吸を整えたところで立ち上がると再びH.E.A.V.E.N.へとログインする。
相手を殺す事をしないのでレベルアップはしないが、実際に戦う事で俺自身の戦闘経験が積める。
つまり、如何なる相手にも状況に応じて対処する事が出来る様になる訳だ。
そして、今の所、俺の様に素早さを極振りする者がいないのが幸運な事だろうか。
恐らく、極振りしてもその速度に身体がついて来ないのが原因の一つだろう。
無論、素早さを活かした盗賊や暗殺者とも戦ったが、素早さに極振りした俺の前では天と地ほどの差がある。
結果から言ってしまえば、素早さに特化した相手にも俺はK.O.勝ちする事が出来た訳だ。
俺は一通り、襲い来る猛者達を倒すと訓練所に戻ってレベルアップする為にトレーニングを続ける。
「そこのお前さん」
そんな俺に黒いローブを羽織る女性が声を掛けて来た。
その後ろには数人の取り巻きが佇んでいる。
「なんでしょうか?」
「あんたの戦いは見せて貰っているよ。
連戦連勝……でも、ポイントが加算されないから最低ランクで燻っているんだろ?」
そう言うとローブを羽織る女性が近付き、俺の胸元を撫でる。
「どうだい?不殺プレイなんて辞めて私達の仲間にならないかい?」
「申し訳ないのですが、自分は徒党を組む気はありません」
「そう言うと思ったよ。だから、他の連中が誘う前に唾を付けに来たって訳さ」
女性はそう言うと俺から離れ、指を鳴らす。
ーー次の瞬間、取り巻きの男達が襲い掛かって来る。
俺は男達に身構えると間合いを取ろうとバックステップをしようとする。
しかし、俺の足は何かに引っ張られる様に動かなかった。
視線を落とすと足元から泥で出来た手が伸び、俺の足を掴んでいた。
「幾ら素早いって言っても、その状態じゃあ、動けないだろう?」
そう呟いたのは後方に下がった女性である。
どうやら、彼女は魔術師の類いらしい。
俺は身動き出来ない状態で上体を反らせたり、拳で捌いたりしながら好機を探る。
「なかなかやるね。なら、これはどうだい?」
そう言うと同時に男達が離れ、女性が本を片手に此方に空いている手を伸ばす。
「ファイヤーボール」
次の瞬間、拳大の炎の塊が放たれ、ガードした俺の左腕を焼く。
「ーー痛っ!」
俺が顔をしかめると女性はそれを楽しむかの様に笑い、その黒いローブを脱ぐ。
その下から現れたのは黒の下着姿ーー後から調べたが、それはボンデージって奴らしいーーでその後ろから取り出した鞭を俺に向かって振るう。
さながら、その姿は漫画なんかに出てくる夜の女王様って、ところだ。
俺は振るわれる鞭に耐え、なんとかならないか、必死に隙を探る。
「フフッ。ほ~ら、女王様とお呼び!」
「……ぐあっ!?」
先程、彼女のファイヤーボールで火傷したところに鞭を喰らい、俺は思わず、手を押さえる。
「どうだい?私の元に来る気になったかい?」
「女王様!俺にもご褒美を!」
「いや、俺に!」
「私が喋っているのに邪魔するんじゃないよ、この豚共!」
彼女はそう言うと鞭を振るって叩き、四つん這いになった取り巻きを黒いハイヒールで踏む。
「ひぎぃっ!ありがとうございます!」
「今度、邪魔したら私とのプレイは出来ないものだと思いなさい」
「ーーっ!?そんな!?」
「嫌なら黙ってなさい、豚」
そう言うと女性は再び俺に鞭を振るおうと手を振り上げーー
ーーそこで固まった。
女性が振り返るとそこには武道着に身を包む赤毛の女の子が彼女の鞭を掴んでいた。
「なんだい、あんたは?」
その言葉に女の子は無言を貫く。
しかも、その足は恐怖の為か震えている。
「邪魔するのなら、痛い目に合って貰うわよ、子猫ちゃん」
そう言うと女性が再び、本を取り出す。
次の瞬間、赤毛の女の子が間合いを詰めた。
その動きは俺と同じボクシングスタイルである。
その素早さは極振りした俺よりも劣るが、その身のこなしは洗練されている。
あれは一朝一夕の物ではない。
恐らく、何年も鍛練したプロのボクサーだろう。
彼女は流れる様な動きで取り巻きの男達を避けつつ前進し、呪文を唱える女王様を気取った女性に突き刺す様なボディーブローを喰らわせた。
「ーーげほっ!」
女性の精神が乱れると俺の足を拘束していた泥の腕が消え、俺はすぐに体勢を整えると助けてくれた赤毛の女の子を守る様にして回り込み、取り巻きの一人をリバーブローで倒す。
そして、赤毛の女の子と共に攻めに転じた。
彼女の助力もあって、取り巻きを倒すのに十秒も掛からなかった。
取り巻き達を倒された女性は圧倒的な戦力差に戦意を失い、腰が抜けた様にへたり込む。
俺はそんな女性に背を向けると振り向き直しながら彼女のテンプルに右フックを繰り出して気絶させた。
その手にはマシュマロさん同様にナイフが握られている。
案の定、不意討ちを狙おうとしたのだろう。
それを見届けた瞬間、赤毛の女の子が疲れた様子で膝をつく。
「大丈夫?」
俺は彼女に近付くと女の子は返り血で濡れた自身の手を見詰めていた。
その姿からして実戦で拳を振るうのは初めてだったのだろうと思う。
俺はそんな彼女の目線まで腰を下ろすとその肩を掴む。
「しっかりして!皆、気絶しているだけだから!」
そんな俺の言葉を聞いて赤毛の女の子は此方を見詰める。
「……大丈夫です、先輩」
「え?」
そう言われた瞬間、彼女はログアウトしたのか消え、しばらくするとスマホに通知が来ているとのメッセージを来る。
俺もログアウトして、その履歴を見ると彩菜ちゃんからだった。
そこで俺は彼女が助けてくれた事に気付く。
あのプロボクサーの様な動きにH.E.A.V.E.N.で実戦するのが初めての様な素振り、そして、自分を先輩と呼んだ事。
それらから察するに十中八九、あの赤毛の女の子は彩菜ちゃんで間違いないだろう。
俺は確信を持ちつつ、彼女のメッセージを見る。
『今の人、ボクシングスタイルや動作からして先輩ですよね?』
やっぱり、彼女だった。
俺はスマホを操作して彼女に返事を書く。
『そうだよ。H.E.A.V.E.N.ではクレハって名前でやっているんだ。
言いそびれちゃったけど、さっきはありがとう』
『どういたしまして。
因みに私はカエデって名前でやってます』
『彩菜ちゃん、大丈夫なの?
気持ち的に?』
『正直、まだ怖いです。
でも、先輩がいなくなる方がずっと怖いです。
さっきみたいに危険な目に会うとなれば、尚更です』
『ありがとうね。彩菜ちゃんがいるなら百人力だよ。でも、会長が心配しない?』
『パパにはちゃんとお願いしました。
そうしたら、ちゃんと先輩をサポートしなさいって言ってましたよww』
『そう言われたら、流石に何も言い返せないな。
なら、ちゃんと彩菜ちゃんを守らないとね?』
『わかりませんよ?
さっきみたいに私が助ける側になるかも知れませんよ?』
『そうかもね。改めて、今後とも宜しく、彩菜ちゃんーーいや、カエデちゃんって呼んだ方が良い?』
『はい。こちらこそ宜しくお願いしますね、クレハ先輩』
俺達はお互いにメッセージのやり取りをすると寝るまでH.E.A.V.E.N.について語った。
そして、翌日、H.E.A.V.E.N.で彩菜ちゃんことカエデちゃんからフレンド登録を貰い、俺達は改めて絆を深め合いながら訓練所でトレーニングを行ってレベルアップに励む。




