9.光海コンプレックス
冷泉一志。
私の昔からの友人だ。
昔からの友人とは言うが、いつからの友人なのか覚えていない。けれどとにかく友人ではある。
こんなに五月蝿くて喧しい男だけれども。
ただ私のこの喋り方は確実にこいつの影響を受けている事は確実で、その辺を考えると何故か少しイラっとしてしまうが、まあ悪い男では無い。見ての通り。
「ただい……うっ……」
180超えの大男にお姫様抱っこをされ、恐らくかなり真っ青な顔をしながらの帰宅……とは言え、そうして目の前に広がるのは見覚えはあっても普段よりも綺麗で明るい部屋。
これ私の部屋じゃないな、隣の部屋だ。
杏の部屋だ。
「優っ!……大丈夫?」
「だいじょ、ばない……無理、無理だ……夕飯食べてたら絶対死んでた……」
「ちょっと、ほら、こっち寝てなさい。
デカいの、冷蔵庫からアイス枕持ってきて。
あとタオルも」
「承知した、5秒待っていろ!いざ!!」
「家の中で走んなっ!!」
ガララッ!
ガシャンッ!
ガッ!
バザバサッ!
ダダダダッ!!!
氷が床に落ちる音、調理器具が激しく揺れる音、その他諸々が踊る音が聞こえてくる。
膝の上から見上げる杏の顔が私並みに青くなっている様に見えるのは気のせいだろうか。
気のせいだと思いたい。
「ふむ、7秒もかかってしまったようだ」
「お前後で絶対ぶっ殺すからな……」
綺麗好きの毛のある彼女のことを考えると、私がこの状態で無かったら間違いなく包丁を取り出していたことだろう。
それでも私に枕と毛布を丁寧にかけてくれるのには少し嬉さを感じるというか、なんだか気恥ずかしい気もするというか。そんな事はもう今更なのだろうけれど。
「……んー、今日は泊まっていきなさい。わかった?」
「分かった……」
「承知した!!」
「お前じゃねーよ!お前はホテルにでも帰れ!」
「no money!too hungry!」
「なんか食わせろってかこの野郎……!」
そして相変わらず杏は彼に対して当たりが強い。
彼自身は身長が180を超え、高校生とモデルを同時にこなす将来有望なイケメンだ。普段の彼女なら粉をかけるくらいするかもしれないが、彼に限っては……
「優、なんか食べれる?お粥とかにしとく?」
「ん、ああ……喉は通ると思うんだが、そもそも立ち上げる気力がなさそうだ」
「そんな事気にしなくていいから、ちょっと待ってなさい。お前は余り物でいいな?」
「一昨日のカブトムシの丸焼きほどでなければ、どの様なゲテモノだろうと構わん!」
「お前マジで後でぶっ殺すからな……」
彼はナチュラルに人を傷付ける。
世に言う天才と言われる人間は必ずしも完璧ではなく、むしろ欠落者でもある事を彼は私に教えてくれる。素直な人間が必ずしも良い人間でない事を教えてくれる。
それでも誰もが彼を心底嫌いになれないのは、その愚直さ故だったりもするのだから面白いと思う。それは私も含めてそうだ。
「む?どうした。そう見つめられると悪い気はしないが……いくら欲しいんだ?」
「私を甘やかすな、別にお金にも困っていない。というか財布を持ってきていないと言っていたじゃないか。暫く会っていなかったが変わらないな、君は」
「それはそちらこそ、と言わせて貰おう。相変わらず無茶をしている様だ、彼女も気苦労を抱えている様に見える」
そうして忙しなく動いている彼女の方へと視線をやる。
その気苦労をついさっき1つ増やしたのは紛れもなくお前だと言う事を、良い頭を持っている癖にナチュラルに自覚できないのは何故なのだろうか。本当に残念な男だ。
「色々と理由をつけてはいるが、こればかりは習慣の様なものだからな。見つけてしまうと放っておけないし、見つけに行かないと落ち着かない」
「もちろんそれが君の特性……いや、代償という言葉が正しいか……ということも重々承知している。しかし私が言うのもなんだが、程々という言葉を覚えた方がいい。君もそろそろ自分の命の重みを覚える頃だ」
「本当に君が言える事ではないな。
しかし……命の重み、か」
正直ピンと来ない。
死にたくは無いし、死を目の前にしたあの苦しみは何にも代え難い。
けれど自分の命が消えた時に何が変わるのか、そんな事まったく想像できない。きっと悲しんでくれる人がいるのだろうけれど、誰がどんな風に悲しんでくれるのか分からない。
きっと私はまだ本質的な意味で人の心というものが理解できていないのだろう。だからこそ、彼もまた真剣な顔でこんな話をしてくれている。
「私が死んだら、どうなると思う?」
そんな思いからつい聞いてしまったけれど、まさかそんなに微妙な顔をされるとは思わなかった。そんなにおかしな質問をしたのだろうか、わからない。
「……そんなにおかしな質問をしたか、とでも言いたげな顔だな。嫌いではない」
「なぜバレたのか」
「今更君と私との間に誤魔化しなど通用するものか。私には誰よりも君の事を理解できているという自負がある!」
そう言ってしたり顔をする彼は非常にムカつくけれど、直後に台所からジャガイモが飛んで来た。
しかしそんな事に気にもとめず甘んじてジャガイモを頭部に受けた彼は、私が何かを言いかける前に表情を正した。
なぜこの状況でシリアスな話をしようとしているのだろうか、不思議で仕方がない。
「君は1つ大切なことを忘れている」
「大切なこと?命の重みを考えるうえでのか?」
「特に"自分の"命の重みについてだ。……そもそも、本来なら考える必要すらない事だがな」
何を言っているんだこいつは、全く意味が分からない。というか体調が悪いのにこんな難しい事を考えさせるなんて鬼畜かこいつは?
「分からない、というか頭がうまく働かない。」
「……それもそうか!ふむ、この話はまた次の機会だ!」
「それはそれでムカつくな……」
こんな雰囲気にしておいてお預けを食らった。
けれど本当に今は気分が悪い。
起き上がろうにも手を動かそうにも身体を動かす気になれないくらいに。
改めて自分の身体の弱さを痛感する。
「ほら、お粥出来たよ。優、立てる?」
「悪い、無理そうだ……」
作らせしてしまって申し訳ないけれど。
「俺の夕食はどこだ?」
「菓子パンでも食ってろハゲ」
(余り物ですら無いのか……)
それでも文句1つ言わずもさもさと食べ始める彼は流石だと思う、色々な意味で。
「ほら優、私の膝の間に座って、もたれていいけど少しは努力しなさいよ?」
「え、待って、なにこれ……」
彼女の膝の間に座らされ、後ろから抱きつかれる様に手を回される。
そうして私の肩の上から首を出して……
「食べさせてあげるから大人しくしてなさい。ちゃんと冷ましてあげるから……ふー、ふー……」
「い、いやまて、ここまでしてくれなくても私は別に……!」
「素晴らしいな!俺にもやらせろ時雨杏!」
「嫌ですー、これは私の特権ですー。
ほーら優?あ〜ん……」
「い、いや、流石にこれは私だって恥ずかし……」
「優?」
「………あ、あ〜ん……」
……うん、美味しい。
水っぽ過ぎず、卵の風味が一番生きる水分量で且つ食べやすい。流石、お粥であろうと彼女の料理は非常に出来がいい。
だからこそ、もっと落ち着いて食べたかった!
他人に食べさせて貰うなんて入院した時くらいだし、それでもこんな体勢でなんてあるものか!
互いの体の凹凸が分かるくらい密着して顔が直ぐ真横にある!
こんなのカップルでもそうそうしないぞ!
私は赤ん坊か!
「美味しくなかった?」
「い、いや……すごく美味しいが……」
「そう?よかった。口直しに梅干しの汁もあるから欲しかったら言って?丸ごとは好きじゃないもんね」
「い、いたせりつくせり助かる」
学校のクラスメイト達がこの光景を見たらどう思うのだろう。
彼女自身は普段は非常に威圧感のある性格をしている。
だがこうして今私の目の前……というより真後ろに密着している彼女は何処か母性?の様なものを醸し出している。
普段はそこまででもないのだが、こうなるのは決まって私の身体に何か異常がある時か、その危険性がある時だ。
私が月の大体をそんな状態で過ごしているので基本的にはこうだという事でもあるのだが、それはそれとしても彼女は私に対して異常に過保護だ。
どうしてこうなったのかは知らないし、覚えている限りでは個人的に話し始めた辺りからこんな感じだった様にも思えるのだが、実際何か問題があるわけでもない。
この事で不自由に感じる事どころか助けて貰う事ばかりだし、彼女が居なければ既に死んでいた事なんて両手で数え切れないくらいにはある。
けれど……なんというか、私ももう高校2年生という話であって、子供の様にあやされるのは非常に恥ずかしい。いつかこの流れで授乳でもさせられるのでは無いかという危機感すら感じている、流石にそれは無いだろうが。
「ん?どしたの?」
「い、いや……美味しいなぁと噛み締めていただけだ」
「そう?それならよかった」
そもそも体格差がアレなのだ。
身長170近くもある彼女に対して私は自称145(141)、スポーツ万能な彼女に対して私は体重が35kgも無い。
側から見れば完全にただの姉弟、どころか母子だ。
というか間違えられる事も多い。
いやぶっちゃけよく間違えられる。
だからまあ、年下の子供の様に扱いたくなる気持ちも理解できなくもないのだが……
「身長が欲しかった……」
「だめ」「拒否する」
「えぇ」
勝手に身長を伸ばすことは許可されていない。
こいつら私のことを小動物か何かだと思っている節があるのではないだろうか……
「それで?大方の事は聞いてたけれど、対策はあるの?」
食事もひと段落がつき、無理矢理風呂に入れられるという辱めを受けた後、ようやく話は本題に入った。
「正直私じゃ無理だ勝てない恥ずかしい死にたい……」
風呂場へ無理矢理連れ込まれ有無を言わさず素っ裸にされた私の気持ちたるや、毛布から出たくない出られない。顔も出したく無い。
「私に裸を晒すなんて今更でしょうが、昔は抵抗1つしなかったのに」
「そんな昔のこと覚えていない……」
「ほんの数年前の事でしょ」
数年もあれば人は変わるのだ。
というかここ3年が濃密過ぎたのだ。
3年も10年も変わらないだろうそうだろう。
そもそも本当に記憶に無いのだから仕方ない。
「ふむ、我が母校に置いてあった程度のナトリウムでは水塊を吹き飛ばせはしても、収まる頃には元通りだったな」
「とは言ってもあれ以上の爆発を起こしたら周囲に笑えない被害が出るだろ」
今日だけでも街中で打ち上げ花火が暴発した様なレベルで被害が出ていたのに……
「質量で押し潰せないの?電信柱くらいあれば多少の水塊くらい関係ないでしょ?」
「うぅん……隙が大きくなるのが怖いな。動きが鈍くなるのは困る」
「水の抵抗は凄まじいからな、拳銃程度ならば水槽1つ分あれば相殺できるほどだ」
「電気を流すとかどう?塩でもぶち込んでやれば綺麗に感電するんじゃない?」
「なるほど……スタンガンの取り寄せとかできるのか?」
「宅配状況によるけど長くて3日、早くて即日。ただ、人間想定で作られたスタンガンでどれくらいダメージあるかは分かんない」
「電線を引き千切ってだな!」
「怖過ぎるわ!」
そうして色々と高校生なりの頭を使ってみるも、やはり簡単に倒す策は思い付かない。
私も杏も決定打にも欠けているし、このお調子者から聞かされているだけの能力では物足りない。
複雑な作戦を考えなければならないのかもしれないが、それはそれで問題が……
「そういえば、あの後あの一帯はどうなったんだ?」
「打ち上げ花火を積んでいたトラックが爆発した、って片付けたみたい。かなり強引な結び付けだし、あの後も2人の人間が行方不明になってるみたいだから、いつも通りあっち系の掲示板では大騒ぎ」
「テレビは?」
「そっちもいつも通りニュースにもなってない」
「それでも大方の民衆は納得する……いや、せざるを得ないからな。不明なモノが現れた時、人はなんとか自分のモノサシで収めたいと思うものだ」
「そういうものか……」
もちろん違和感は感じている。
結局今最も核心に近づいているのがオカルト系の掲示板とオカルト系の専門家という現状、これだけ頻繁に起きる不可思議な事情に人々は疑問を抱かない。
オカルトに傾向し過ぎたテロ組織の仕業という見方から本格的なテロ対策が引かれ、各地に自衛隊が派遣されてはいるものの目立った動きは無い。
架空の予防報告と架空の人物の逮捕情報、それと後始末。
この程度の被害では簡単に握り潰されるのだ。
報道されなければ分からないから。
どんな写真を出しても作り物だと思われてしまう。
そういった報道戦略は間違いなく働いている。
「まあそっちは気にしても仕方ないし、むしろ犠牲が2人で済んだのは奇跡くらいでしょう」
「私も万全では無いし、どうしたものかな……」
そう頭を抱えていると隣のバカが目を輝かせる。
「ふ、ふふふ!仕方あるまい!今回は俺が主だって働くしかないようだな!」
バン!と机を叩いて立ち上がった彼にびっくりし、杏の服を摘んでしまったのが運の尽き。
そのまま軽々と彼女の膝に収納されてしまう。
「やっ、ちょ、腕の力がガチ過ぎる……!」
肩に首を乗せられて足以外全く動かせないくらい力を入れられている、完全な真顔でもうなんか怖い!
「主だって、って……何か勝算あるの?適当に言ってるんじゃないでしょうね?」
「馬鹿を言うな、和歌山市の平和を気分次第で守っている俺を誰だと思っている!勝算しかあるまい!」
気分次第というところがミソだ。
それにしても一体どうするつもりなのか……
「故に時雨杏!ネットショッピングの用意をしろ!早急にだ!!」
「請求はお前につけとくからな」
「んぐァァァァァァ!!」
「どんな悲鳴だ」
この後よく分からないものを大量に注文していたが、本当に請求を(どうやったかは知らないが)彼自身につけられていて、もう一度同じ悲鳴をあげて居たところまでは記憶にある。
その日どうやって眠ったかは分からないけれど、朝起きたら完全に杏の抱き枕と化していた。