20.幸福な空間
「優!大丈夫!?動かない場所とかない!?」
「杏……?」
目を覚ませば見慣れた病室、見慣れた彼女とお医者様。
それを見ただけで今回も上手く収まったのだと安心する。
彼女達を傷付ける事が無かったのだと。
「……大丈夫そうだ。ありがとう、杏。」
「ありがとうじゃない!……よかったぁ。」
そうして私の方へと珍しく身体を預けるようにしてくる彼女を抱き抱える。
まだ若干身体に痛みや軋み、怠さを感じるが傷はほとんど無くなっている。
この様子では一晩中、どころか二晩は私の様子を見ていたのかもしれない。
申し訳なさと感謝、それと少しの愛おしさを兼ねて彼女の頭を撫でる。
いつもとは逆の立場だと自覚して少しだけ笑みも溢れる。
「まったく、毎回騒がしてくれる。杏が居なかったら私はとうに投げ出しているところだ。」
そう言ってパシパシとカルテを叩きながら近付いて来るのは、氷川先生という自称天才女医さんだ。
昔から怪我をすると決まって彼女が私の担当医になる。
なんでも昔彼女を助けた事があるそうだが、私にその記憶は無い。
故にこうして毎回毎回彼女にお世話になっているのは少し申し訳なく感じる所もある。
……いや、そんな事を言えば毎回治療を手伝い治療代まで支払って、その上で私の為に(本人は認めないが)医者になると言う杏には、頭が上げられないどころか最早彼女に何を返せば釣り合いが取れるのか分からないレベルなのだが。
いや、ほんとに、この恩を返すにはどうすればいいのだろう。
「ふむ、見たところ特に異常もなさそうだな。我ながら完璧な出来だ。」
「……えっと、今回はどんな感じでした?」
「大小合わせて二桁の裂き傷に、筋繊維の断裂と骨折が複数。まあ見つけた時には既に4〜5割再生していたんだが、発見が遅れた故に出血の方がかなり酷かった。」
「……我ながらよく生きてましたね。」
「今回は戦闘範囲が広かったからな、お前の小さな身体を瓦礫と糸と体液に塗れた町から見つけ出すのは至難の技だった。そこは最初に見つけた夕暮とかいう少女の手柄だな。
流石に今回ばかりは死んだと思っていたが……」
「………?」
珍しく彼女が口ごもった。
口ごもる、というよりは言葉にしたくないと言った感じだろうか。この自信家の女医が言葉にしたくない事なのか……
「……優、もしかして点灯数増えてたりしてない?」
「え?」
私に抱きついていた杏が顔を上げて心配そうな顔をする。
点灯数が増える、それは私にとってもかなり大きな出来事だ。
故にもし増えていたら気付かない筈は無いのだが……
カシャン
「……増えていない、3つのままだ。」
何の変化も無かった。
自分自身にもこれっぽっちの違和感も感じない。
違和感と言えば何かおかしな夢を見ていた気がするくらいで。
「ぶっちゃけた話、お前の身体の再生能力が発見時には通常時の4〜5倍の性能、速度、正確さで働いていた。発見が遅れてあれだけの大量出血になっていても生きていたのはそれが理由だ。
その後、再生力は急激に低下して通常の水準に戻ったんだが、今回被害の割に治療がスムーズに進んだのはそのおかげでもある。」
「……見つけた時は本当にもう駄目かと思った。」
そう言ってまた強く腕に力を入れて私を締め付ける杏。
私の華奢な身体では彼女の力で締め付けられると若干苦しいのだが今は黙っておこうと思う。
それにしても4〜5倍とはまた異常な数字だ、それも点灯数が増えていないにもかかわらずこれでは確かにおかしい。
全く原因に検討がつかないし、今回はプラスに働いたがその突発性には少しの不安も感じる。
自信家の彼女が口籠ったのは彼女にすら原因に心当たりも予想もなかったからなのだろう。
「……えっと、退院はいつくらいになりそうですか?」
「あん?せめて5日くらいは泊まってけよ?いくら私が天才でも直ぐに動けば支障が出る。それに杏が居るから特に心配はしていないが、世間体もある。学校側には既に連絡が行っているし、大人しくしていろ。」
そう言って何かを私に投げつけて、そのまま眠そうに彼女は病室を出て行った。日頃の業務に加えてこうして対応してくれたのだ、いくら彼女と言えども疲れが溜まっているのだろう。
ちなみに渡されたのはテレビカードだった。
「……先生テレビカード集めるの趣味だから。」
「また訳の分からない趣味をしているな。」
テレビカードにはスペードの3が描かれていた。
「テレビカードで何してるんだあの人……」
目覚めてから1日が経ち、比較的身体の感覚も戻ってきた頃、私は窓の外を眺めながら杏の作ったリンゴジュースを飲んでいた。
杏の手作りリンゴジュースは果肉や蜂蜜などが入っており、とても飲みやすい。
飲んでいるだけで身体が温まり喉が楽になる。
手に取れる一口サイズのアップルパイも固過ぎず甘過ぎず、食べる人……というか食べる私の好みを考えて作ってあった。
きっとまたリンゴをサービスして貰ったのだろう、見事なリンゴづくしだ。
「……美味しい。」
アップルパイに手が止まらない私を他所に、彼女はノートパソコンに向かってキーを叩いていた。
けれど定期的に私の方に目をやって私の反応を伺っているのは分かっていたので、こうして口に出して感想を述べる。
ほら、また少しだけ口角が上がった。
「んっん……えーと、食べ終わった?」
「ああ、あまりの美味しさに手が止まらなかった位には満足した。」
「そ、そう?それはよかった。じゃあ少し話してもいい?」
「もちろんだ、聞かせて欲しい。」
きっとアップルパイというものを初めて作ったのだろう、出来に少し不安になっていたのかもしれない。
少しだけスッキリとした顔持ちで彼女は話し始める。
「えっと、とりあえずあの現場の事後処理についてね。流石にあれだけの広範囲の被害を隠せないと踏んだのか、一度一帯を焼き払って今は立ち入り禁止にしてるみたい。あの鉄塔の周辺に民家が少なかったのは幸いね。
カバーストーリーはガス管を積んだトラックの横転による連鎖爆発事故及び火災。現在は異常破損した構造物の隠蔽と肉塊の処理、目撃者の捜索を進行中だそうよ。」
「……死傷者は?」
「2人、けどどちらも軽傷で済んでる。民家が少ないとは言え少しはあったからね、あいつが飛ばしてた刃物型の糸がいくつか家を貫通してたみたい。こっちは爆発の影響で割れた窓ガラスのせいにした様ね……かなり強引だけど。」
「目撃者も?」
「……0よ。人通りが少ない場所だからってのもあるけど不自然と言えば不自然よね。どうやって隠蔽してるのか未だによく分かんないのが現状。」
つまりなんだかんだ丸く処理されたということか。
別に私自身が望んでそうなった訳では無いので複雑な気分だが、実際にこうして全てが隠蔽された方が民間人の為になっていると考えれば良い事なのかもしれない。
けれど未だにこうして私に何の接触も無いのは何故なのだろう。
こちらは特に隠蔽工作をしているわけでも無いのだが……
「そういえば、学校の方はどうなった?」
「何にも変わんない。花田先生と連絡がつかなくなった、って騒いでるくらい。今回の件は誰も知らないし、残った死体も変な肉塊になってるだけだからね。DNAでも調べれば分かるかもだけど、そんなことする訳ないし。」
「誰にも悲しまれる訳でもなく失踪扱いでこの件は終わり、か……まあ人気のあった先生だ、突然亡くなった事を宣告されるよりはマシかもしれないがな。」
結局、花田先生がどういった経緯でああなったのか知ることは無かった。
彼が言った様に本当に何の過程もなくあの姿になったと言うのなら大問題だが、精神を侵された影響で一時的に記憶を失っていた可能性もある。
その原因がまだ処分していない奴だとしたら……ここ最近の出現ラッシュの説明もつく。
そしてそれを放置していたら確実に私がもたない。
それにあれだけ生徒との活動に熱心だった花田先生でもあんな風になってしまうというのは、こなみの事もしかり、本人だけでは無く周囲の人間も悲しむ出来事だ。
そんなことが止まらなくなる前に何としてでも止めなければならない。
「今は休むのが最優先。」
「っ」
私の考えている事くらいお見通しとばかりに私の顔を見て杏は言う。
その目は強く、有無を言わせない。
「今月だけで3体、特に最初の時の怪我はかなり無理矢理治したの忘れてない?もう寿命が10年以上縮んでてもおかしくないの。
これ以上は私が許さない。」
作業を止めてまで私を説得する彼女。
本当に私の事を思って言ってくれているという事は私でも分かる。
けれど私がこうして夜な夜な徘徊するのは、彼女を含めた大切な人間が傷付かない様にするという理由もあるので、私としては引きたくないのが本音なのだが……
「……分かった、今月は出来る限り大人しくしておこう。」
今回は引くべきだと思った。
「ただその代わり、戦闘行為が発生しそうな案件は絶対に隠さないでくれ。ましてや杏1人で解決しようとするのはご法度だ。私のためとは言え、もしそんな事があったら二度と君の力を借りない。約束だ。」
「……分かってる、そこは信頼だから。」
他人が1000人死ぬより杏1人が傷つく方がよっぽど辛い。それは隠すつもりもない事実だ。
「すまないな、おんぶに抱っこの分際でこんな事を言ってしまって。けれど、」
「それも分かってる、優が私の事を心配してくれてるのも。そもそもこれだって私が自己満足でやってるだけだもの、1人でやってた優を私がただ見過ごせなかっただけ。」
どちらも自己満足。
そんな事はどちらも分かっているけれど、時々こうして声に出して確かめ合わなければ忘れてしまいそうになる。
自己満足だと理解していても互いに恩を返さなければと思ってしまう私達なら尚更だ。
「とりあえず、今回の元凶の事だけでも情報収集はしておくから気にしないで。何かあれば必ず教えるって約束するから。」
「分かった。じゃあ私は大人しくこうして引きこもっていよう。流石に疲れが溜まって眠気も酷い。」
「膝枕してあげよっか」
「……本物の枕があるのに必要ないだろう」
「膝枕してあげよっか」
「出来の悪いNPCか君は……わかった、拒否権はないんだな。ほら、もう杏の好きにしてくれ。」
「は〜い、いらっしゃーい」
そう言って身体を預けると彼女は本当に嬉しそうに私の頭を膝に乗せる。
外見から見れば私が甘えている様にも見えるが、実際には彼女の方が私に甘えていると言って良い。
正直私も悪い気はしないので、これくらいの事であれば他人に見られるのが恥ずかしいくらいで他に特に抵抗も無いのだが……
「あの、先輩達って裏ではいつもそんな感じなんですか……?」
「「…………」」
……バッチリ見られていた。
「なんかもう、あれですよね。ブラコンの姉とシスコンの弟みたいな。」
何だその例えは。
「ま、まあ、実際姉弟みたいな関係ではあるからな?」
「一線踏み越えて近親相姦とかしてしまいそうな……」
「危う過ぎる!」
何度も言うがそんな関係になった事はないし、互いにそんな意識をした事もない!
そんな感じで、少し怪訝な目をしながら病室に入ってきた彼女はいくつかの果物を持って来てくれた。
そんな彼女の反応にも少しも物怖じせず、相も変わらず私の頭を撫で続ける杏もどうなのか。
けれどまあ、あの一件以来顔を見ていなかったが、そんなに顔色が悪い訳でもなく、以前の彼女とあまり変わりがない様で少しだけ安心した。
……本当に何も変わっていないとは思わないが。
「久しぶりだな、こなみ。」
「そうでもないですよ?先輩が気を失ってる間は頻繁に来てましたし、起きてからも来る度にタイミング悪く寝てましたからね。リンゴの差し入れ、私ですからね?」
「それは……悪かったな。」
「別に責めてませんよ。それにお元気そうでなによりです。あの日は色々とあり過ぎましたから、私もこうして先輩と話すのを緊張してました。……まあ、それも今の光景で全部吹き飛びましたけど。」
「あ、あはは……こんな姿勢で悪いな……」
膝枕だけではなくいつの間にか耳掻きまでされている始末だ。
というか人前で何してんだ杏は、私ん家かここは。
いや、私の部屋ではあるけれども。
「それにしてもこなみ、少し落ち着いた……というか、大人しくなったか?」
「いや、あんな事があったら誰だって少しは大人しくなりますよ。アレの後にハイテンションで来られても逆に困るでしょう。」
「いや、まあそれはそうなんだけどな。」
けれど何というか、元気が無いという訳でもなく。確かに大人しくはなったのだがそれはマイナスな顔持ちなのではなく、むしろどこかスッキリしたかの様な……
「あー……あと私、野球部辞めました。」
「は!?」
今朝の朝食を話すかのごとくサラリととんでもない情報を突き付けられる。
今回の頼みはそもそも野球部を辞めたくないって理由だったはずで。
「……良かったのか?」
「私が決めたんです、良いに決まってるじゃないですか。それに私が辞めた直後に雪崩れる様に他の女生徒がマネ候補になってましたから、野球部員達はむしろウハウハでしたよ。みんなハッピーでこの話はおしまいです。」
飄々とそう言いながら花瓶を仕立てる彼女の顔はやはり晴れやかだった。
ならば本当に問題は無いのだろう。
「……理由を聞くのは流石に野暮そうだな。」
「んー?まあなんというか、自分の無力さを思い知ってしまったというか。自分の力の無さに失望したと言いますか……」
「……?マイナスな感じか?」
「いえ、むしろプラスです。
自分の無力さを知ったからこそ、何かもっと力というか、知識とか、技術とか?付けたいと思ったんです。具体的に何をするかまではまだ決まってないですけど。」
「なるほど。」
「それに、あんなとんでもない体験をしてしまったら今更普通の人間からの視線とか陰口とかがとても下らないものに感じてしまいまして……その辺りが吹っ切れた原因でもあると思います。」
そう言って花瓶を完成させこちらへ向き直して笑った彼女は、憑き物が落ちた様に晴れ晴れとしていた。
少女だった顔付きも少しだけ大人びて、けれどその瞳には以前よりも強い火が灯っている様にも感じる。
やはりこの子は強い女性だった、あんな事があっても心が折れず、むしろ成長して帰ってきた。
……私が彼女に言う事はもう何も無かった。
「とりあえず、暫くは杏先輩の下で情報収集と情報管理のお手伝いをさせて頂くことにしました。今日もほら、纏めてきたんですよ?」
「……杏、聞いてないんだが?」
「言ってないもん。これは私の側の話だし、わざわざ伝える必要もないでしょ?」
「えぇ……」
「それに、やる気があるから多少厳しくしても大丈夫そうだし。私の作業量は減るし、自頭が良いから飲み込みも早いし、なによりあんたを慕ってるのが分かってるから採用したの。一部でも抜けてたら断ってたけどね。」
「杏さんスパルタですけど、情報管理の技術とか教え方とか半端ないですから。大変ですけど、やりがいあります。」
いつの間にか私の知らない所でちょっとした師弟関係が築かれていた。けれどまあ、どちらも同性の友人を作りやすい人間では無いので、これはこれで良かったのかもしれない。
それに杏の負担が減るのなら私も嬉しい。
「はい優、反対向いて?」
「……後じゃ駄目か……?」
「だめ、ほらこっち向く。」
「人前で他人の腹部に顔を埋める光景を見せる屈辱むぐっ……」
「うわぁ……」
背後から聞こえる嘲笑う様なそんな声に酷く心が傷付いた。
それでも、こうして信頼できる人間が増えることは本当に幸せなことだと思う。