19.変革のきっかけ
杏先輩にされるがままになっていれば、いつの間にか私はサイレンを鳴らさない救急車に乗っていた。
現場は酷い状態になっていた。
一帯が血の海で、コンクリートの構造物が真っ二つになっていたり、果てにはドロドロに溶けた大きな肉塊や腐り落ちた蜘蛛の巣の様なものまでもが異様な腐臭を出して存在していた。
そしてその近くには……
「先……輩……?」
一瞬分からなかった。
なぜ分からないのかって、そんなの決まってる。
あの綺麗で真っ白な髪が今では無残に真っ黒に染まっていたからだ。
黒いのは血が空気に触れて固まったからだ。
彼の全身が黒いのは彼が血塗れだからだ。
そして彼の周囲が未だに濡れているのは……未だ彼の出血が止まっていないからだ。
「優!!」
救急車に乗ってきた女医さんと共に杏先輩が駆け寄る。
私は駆け寄れなかった、目の前の光景が受け入れられなかったから。
「先生!どうしたら!?」
「落ち着け!とりあえずこの二ヶ所を今すぐ閉じろ!止血しないと話にならない!輸血の用意!担架早く!遅い!!」
ただ呆然と立ち尽くす私に、運転をしていた男性が助手席へ乗る様に促す。
今私にできる事など何一つないということだ。
それはどうしようもない事実で、行動をするどころかこの惨状にこれっぽっちも頭と心が付いてこない。
この全ての原因が自分であると考えると重過ぎる責任に押し潰されそうになる。
「先生!周囲に怪我人は見当たりません!しかし自衛隊が向かっていると報告がありましたので急いだ方が良いかと!」
「そんな事は分かってる!お前もこっちを手伝え!死なせたいのか!」
「す、すいません!」
そうして詰め込む様に車内に雪崩れ込んだと同時に車はその場を後にする。
慣れているかの様な対応の早さ、いや実際に慣れているのだろう。
こういうことが一度や二度目ではないと言うことだ。
的確な指示と行動で車内でありながら処置は進まれていく。
杏先輩を中心に進められ、そんな彼女とこうしてただ座っているだけの自分をどうしても比較してしまい情けなくなる。
本当にこの場に居場所のない自分はただ下を向いているしかなかった。
「……よくあることなんです。」
そんな私を見かねてか、運転席の隊員さんが言葉をかける。
「1月から2月に1度くらいですが、こうして大怪我をした光海さんを治療する。私達チームはその為に結成されています。」
「先輩の……為に……?」
にわかには信じられない話だった。
彼1人のためにこんな医療班が結成されたというのは……
「先生と彼女、そして他3人の5人チームで基本的に私達は構成されていますが、その全員が光海さんが戦っているものについて知っています。そして、皆同様に光海さんに助けられた経験のある人達でもあるんです。」
「え、先輩に助けられた事があるんですか!?」
「ええ、私は2年くらい前でしたか。それでも、どんなお礼をしようとも受け取って下さる方ではないでしょう?あの方は。
それならばと、杏さんが提案したのがこのチームなのです。私は喜んでお引き受けしました。」
「……そうなんですか。」
聞けば聞くほど杏先輩が影でどれだけ光海先輩のために骨を折ってきたのかが分かる。そして、私がのうのうと生きていた裏でどれだけ彼が自分を犠牲にしていたのかが染みてくる。
「……皆さん、お医者様なんですか?」
「いえ、先生ともう1人以外は違います。私はしがないバスの運転手で、もう1人は理系大学の研究員。杏さんは医師を志してはいるものの、まだ高校生ですからね。
ちなみに5人チームとは言いましたが、外部に他職業の協力者もいます。例えば警察官の山崎さんなどがそうですね。」
「警察の人まで……」
「大半は光海さん自身とは関わりを持っていませんが、杏さんが情報や連絡を完全に管理しておられる様で。警察内での情報から女子高生の噂話まで収集しているそうですよ?本当に凄い方です、彼女は。」
全生徒の弱みを握っているからだとか、バックに怪しい組織と繋がっているだとか、彼女について不思議な噂はいくつもあったが、よもやこういう事だったとは思わなかった。
考えれば考えるほど、この2人は不思議で底が知れない。中途半端に踏み入ってしまったからなのか、余りに現実から離れてしまった現状のせいで彼等についても少しだけ恐怖心があるのは事実だ。
けれど、
「優、もう少し我慢して。きっと大丈夫だから……」
これだけ強い信頼関係を見せつけられてしまうと、それも全部吹き飛んでしまう。
彼等2人がおかしな力を持っていたり、世の中にはあんな意味の分からない化け物が存在していたり、それが私達一般人には何も知らされていなかったり、今日1日で私は知るべきでなかった事を多く知ってしまったのだろう。
それならば私は……
これ以上、どこまで踏み込んでいいのだろう?