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黒白の巫  作者: ねをんゆう
第3章 【夕暮娘】
18/25

18.教師の願い



【"煉獄王"- Heartless】



「!?」


走り出して直ぐに後方から悍ましい威圧感と重々しく心臓を揺らす様な声が響いた。

ただそれだけで冷や汗が止まらず、動悸が荒くなる。走っていても足が少し震えているのが分かる。

あんな大きな蜘蛛なんかよりも、よっぽど恐ろしい何かが現れたのだ。


そしてもう1つ。


これは……誰かの、悲鳴……?


「あ、杏先輩!?今のって……!」


「黙って走って!300mは離れないと……!

もし何かあっても私を見捨てて逃げなさい!あんただけは助かるから!分かった!?」


「え!?そ、そんな事言われても……!」


「いいから走って!」


その300mが何を示しているのかは分からないけれど、あの冷静な彼女がここまで必死になるほどのモノなのだアレは。

そしてきっとその正体は……


「先輩……」


--


『ァア?』


考えるまでもなく目の前の人間は自分と同種だと考えていた。いや、正しくは人間ではなく、自分と同じバケモノだと分かっていた。そもそも自分が何なのか、どういう存在なのか、それすら分かってはいなかったが、それでも自身が蜘蛛へと姿を変える際には【大蜘蛛】とこの身体が答えるので、神か妖怪の力を得ているのだと推測はしていた。


……しかし、今目の前の"異物"から放たれた自身のよりも悍ましく、凶悪な威圧感を孕んだ声は何と応えた?


【"煉獄王"- Heartless】


どういうことだ?

私達は神や妖怪から力を与えられているのでは無いのか?

Heartless(薄情)?

意味が分からない、何の話だ、

そもそもこいつはなんなんだ、私と何が違う、なぜ人間を守る。

この強烈な空腹も、人間の美味な香りも、堪え難い破壊衝動も、こいつは何一つ感じていないというのか。

……ああ、見れば見るほど気持ちが悪い。

嫌悪感だけが募っていく、自分のこの姿なんかよりも何倍も悍ましい。

これはそうだ、人間だった頃にゴキブリを見た時の感覚に似ている。

目につくだけで気持ちが悪く、殺さなければ安心できず、それでいて近付く事すらしたくない。

気分が悪い、醜い、吐き気がする。


紅い雷を纏う雲の様な黒煙、異形な形をした黒い鎧、対照的に漏れる真っ白な髪は赤く染まっていき、欠損だらけの鎧から漏れ出す液体は地面を黒く染めていく。


『ア"ァ"ァ"ァ"ア"ァ"ァ!!』


中折れした大剣を地面に突き刺し、蹲り、ただひたすらに、叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。止む事はない。


そうしてその悲痛な叫び声とは対照的に、恐ろしく俊敏な動きでソレは動き始めた。


『ア"ァ"ァ"ァ"ア"ァ"ァ!!』


『ヌァッ!?』


気が付けば、視界はコンクリートの塊で覆われていた。






『ヌァァ!!』


尾の白刃で豆腐の様にコンクリートを引き裂き、体当たりで粉砕する。

しなし次の瞬間、粉砕されたコンクリート片の一つを影にして中折れした大剣が飛翔してくる。

避けられないと判断し脚の一本を犠牲に躱せば、突然何者かに後頭部を掴まれ軽々とその巨体ごと地面に叩き付けられた。

一心不乱に白刃を振り回し敵を払おうとするも刃の部分を避けて大剣を当て止められ、顔面を蹴り飛ばされる。

建物に叩き付けられたと同時に再び何かの飛翔音、無理矢理首を動かせば次の瞬間元の場所にまたもや大剣が突き刺さっており……


グヂィッ


『ア"ァ"ァ"!!」


その手で直接、尾の白刃を引き千切られた。


『コノ……バケモノガァァ!!!』


分からない、分からない、分からない。

何も分からない。

次から次へと変わる戦況に頭は付いてこない、息をつく暇も無い、敵の位置すら掴めない。


咄嗟に距離を取るも、自分より遥かに速い速度で回り込まれる。

この速度の中で射出した巣は悉くがその大剣に巻き取られ、糸針に至っては素手で掴み投げ返してくる。

叩き付けた大剣は直後にコンクリート片ごと飛翔してくる。

常に発している叫び声は距離感を示してはいても、近過ぎ、早過ぎる敵の挙動でむしろ方向感覚を狂わせる。

そうして30秒も経たず、その身体は幾本もの自前の針が突き刺さり、4本もの脚を失っていた。


『ウ、グ……ナゼダ、ナゼコレホドノチカラガ……』


剣を剣として扱わない、誇りの欠片もない使い方。

的確に急所を狙って来る容赦のなさ。

機械的でありながら柔軟性と意外性の強過ぎる戦法。

対策を考える暇すら与えてくれない。


だが負けられない、まだ死ねない。

あの女を自分のモノにするまでは、手に入れたいと願ったモノを手に入れるまでは。

負けるわけにはいかないのだ。


……それなのに、圧倒的な力の差は心の力などで埋める事はできない。


『ウ"ァ"ァ"ァ"ァ!!』


だが、外聞もプライドも、全てを捨てて勝ち取る。

その為ならばどれだけ醜いことでもすると誓った。

その為ならば何でも犠牲にすると決意した。


(マダ戦エル……マダ勝テル……!)


(勝タナケレバナラナイ!!)


(ココデ負ケル訳ニハイカナイ!!)


最早自分がどこに居るのか把握する余裕も無ければ、身体へのダメージが徐々に深刻なものになっているのは自覚できている。

故に、反撃するならば今この瞬間しか無い事も明白に分かりきっていた。


白刃を引き千切られ、尾からは夥しいほどの体液が流れ出ているが、それでも最後の力を振り絞って広範囲に糸を射出する。

体液で真っ赤に染まった糸は周囲に大きな蜘蛛の巣をいくつも展開し、一帯を赤く染めあげる。


この場を完全に自分のテリトリーにした。

糸の上を歩けるのは自分だけ、敵の機動力を奪う。


月明かりに照らされ異界な雰囲気を演出する一帯で、2匹の獣は睨み合う。

いや、睨んでいるのは片方だけだ。

もう一方は叫ぶだけ、ひたすらに叫ぶだけ、獣にすら劣る狂った化け物。


白刃は既になく、もう一度作り出す余力も無い。

脚を犠牲にし続けた故に機動力もかなり低下している。

糸を出す尾も限界が近く、あと一発が限度だろう。

故に自分が勝つにはこの一発と自身に有利なこのフィールドを用いて、奴の動きを完全に止めるしか無い。


敵は獣だ、罠を貼れば確実にハマる。

ならば……


グジュリと尾を切り落とす。

もちろん痛みは尋常では無いし、そもそもそれは切り落とす事は構造上想定されてはいない。

それでも既にすべき事はプログラムした。

代償は大きい、けれど彼女の為ならばこの程度の欠損は軽過ぎる……


(ソウダ、例エ身体ヲ失ッテデモ、掴ミタイモノガアルノダ……!)


それが愛なのか、独占欲なのか、そんな事はもうどうでもいい。

重要なことはこの感情が本物であるという事だ。

この感情に対して自分が本気であるという事。

なればこそ、それを手に入れる為の最後の試練がこの獣だと言うのならば……!




『望ム"ト"コ"ロ"タ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ!!』






『ア"ァ"ア"ァ"ァ!!』







気付けば、鎧の腕が自分の腹部に突き刺さっていた。

自身が突き出した脚部は片手でへし折られており、傷の一つすら付けることが叶わなかった。


『ナ……ゼ……』


(何故だ。私は確かに切り落とした尾に奴と自分の間に巣を展開するようプログラムしたはずだ。その為のスペースも確実に開けていた。そして射出した感覚も確かにある。ならば何故、この場に巣が展開されていない……?)


大量の出血と腹部で臓物が握り潰される感覚に朦朧としながらも周囲を見渡す。


『アァ……ソウか……」


読まれていたのだ。

尾の数メートル先に蜘蛛の巣巻きになっているあの忌々しい大剣が落ちていた。何度も何度も同じ手を食らっていたのに、最後の最後まで対策を怠り警戒しなかった結果がこれだ。

敵を褒めたい気持ちもあるが、我ながら本当に愚かしいと溜息をつきたくなる。


こんな頭で教師という職に就き、監督などという立場にいたのだ。

それは毎年地区大会敗退する訳だ、自分がこんな頭では勝てるものも勝てない。後半に弱いという我が部の弱点は生徒だけの問題ではなく自分にもあったのだ。


引き抜かれた拳が再び振り抜かれる。

軽々と吹き飛んだ身体に奴は容易に追いつき、3発目の拳で顔面から地面へと叩き付けられ、あまりの勢いに無様に跳ね上がった身体へは今度は蹴りが撃ち込まれた。瓦礫の山へと打ち込まれた瀕死の自分を容赦なく乱暴に引き上げ、今度はその恐ろしい怪力で首を絞める。

再生能力など既にこれっぽっちも機能していない。再生能力どころか身体の殆どが機能を停止していくのが分かる。


『カン、とく……きょう、し……」


ああ、そういえば私はそうだった。

私はそんな職業に就いていたのだった。


かつてお世話になった恩師に憧れて教師になり、ただ野球が好きだからと生徒達と一緒にひたすらに野球に打ち込んだ。

授業中に眠っている生徒に悪戯をしたり、体育祭には生徒全員で円陣を組んだり……私は確かにこの職に誇りと楽しさを持っていたはずだった。


……ならばこの結末は当然だ。

生徒全員を愛さなければならない立場でありながら、たった1人の生徒に愛を向けてしまった教師など……





違う






なぜだ。

なぜこうなった!どうしてこうなった!私は自分の気持ちを押し殺す様に努力したはずだ!自分の気持ちが間違っていると自覚していたはずだ!どこで間違えた!?どこでこんな判断した!?私はなぜ!!こんな姿になっている……?


私は人間で、監督で、教師だったはずなのに……


「みつ……み……」


『ア"ァ"ァ!!』


「ぐっ……」


腕を更に深く突き込まれる。

もはや痛みすら遠い。

それでもこの身体は強く、いまだ私を楽にはしてくれない。恐らくこのまま彼の腕が心の臓まで辿り着くまで苦しみは続くのだろう。


……だが、目の前にいるのは紛れもなく私の生徒で、こんな姿になってまで私の生徒を守ってくれた、愛すべき存在なのだ。

こんな理性のない獣の様な姿になってまで、私が愛してしまった1人を守ってくれた。

ならば教師として、男として、私にできる事はあるはずだ。


まだ私は教師として、死ぬことができるはずだ……!


ガッと頭部を掴み、訴えかける。

自身にできる限りの、大きな声で。


「みつ、み……!私は、今でも分からない……!どうして自分がこうなったのか、どうしてこんな姿になったのか!そして、だからこそ!私以外にもこうなる人間は、きっと……現れるはずだ……!」


根拠は無い、勘に近い。

けれど、学校とその近くのマンションを日々往復していただけの平凡な自分が、突然こうなるとは思えない。

問題があるとすれば確実に……学校にある。


「学校に、気をつけろ……!全ての元凶は、恐らくそこにある…!」


まだ、まだだ!まだ伝えたい事はある!これが本当に伝わっているのかは分からなくても、言いたい事はたくさんある!だから気合いを入れろ!もう目の前は殆ど見えないが、それでもまだ死ぬ訳にはいかない…!


「いいか!お前のしている事は、間違いではない!お前のやっている事を誰も責める事はできない!だから……だから……!!」


卑怯だ、最低だ、やっぱり教師として最悪の行動をしてしまう自分を恨めしく思う。やはり教師に向いていない人間だったと今頃になって実感してしまう。

……けれど、それでも。


「私の生徒達を……頼む……」





それが私の、私としての、最後の"願い"。


ああ、もっと早く自分を取り戻せていれば、この力を使って生徒達を守る事ができただろうに。


ああ、もっと早く自分を取り戻せていれば、こんな姿になってまで戦う彼等の手助けを出来ただろうに。



そんな世界も……あった……の、だろう……か……

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