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黒白の巫  作者: ねをんゆう
第3章 【夕暮娘】
15/25

15.私のヒーロー


「……」


私、夕暮こなみは助手席からミラー越しに後部座席の様子を伺っていた。

時雨杏と言えば学内で、取り立てて言えば女生徒の間でその名を知らぬ者などいない、それほどに(悪い意味で)有名な人だった。


"魔女"というあだ名は彼女に男を奪われた女生徒達が嫌悪と畏怖を込めて発した言葉だ。


今まで誰の物にもならなかったイケメンも、公然で相手が居ると公言しているスポーツマンでも、何の苦もなくほんの数日で陥落させ、ものの数日で捨てる。それだけならまだしも、彼女に捨てられた男達は悉く彼女を忘れる事ができないのだ。

彼女が男に求める要求は酷く理不尽で、気まぐれで、大半が喧嘩別れであったとしても、男達は彼女を失った事を強く引きずる。後悔する。それこそ呪いの様に、男達は壊れていく。

……あくまで噂話ではあるが、それほどに彼女は男達にとって魅力的で、自分の側に置いておく事が強烈なアドバンテージになるのだという。そしてそんな彼女だからこそ、当然敵も多い。

というか学内の女生徒の大半が敵と言っても過言では無い。

それでも彼女に楯突く女生徒はいない。


それは彼女が全生徒の弱みを握っているからだとか、バックに怪しい組織と繋がっているからだとか、それこそ悪魔めいた噂は色々あったが、その中でも一つだけ不思議な噂があった。


『彼女が唯一仲の良い生徒のせいで手を出しにくい』


ツラツラと並べたてたが、何度も言った様にここまで全ての話は私が野球部員やクラスの女生徒から聞いただけの噂であり、その全てが事実だということではないだろう。

しかし最後のこの理由だけは事実だと断言できる。


……確かにこれは手を出し難い。

それはその、光海先輩の容姿の淡麗さだとか、か弱い身体と話し方のギャップに母性をくすぐられるとか、もちろんそういう理由もあるのだが……それよりなにより……


「……よかった、何事もなくて……」


(…………)


噂で聞いていた悪魔めいた姿はそこには無く、すっかり眠ってしまった光海先輩を膝に乗せて頭を撫でる、母親の様な彼女が居た。


「あの、時雨先輩……でいいんですよね?」


「……夕暮ちゃんだっけ、色々噂は聞いてる。」


「それは多分お互い様かと……」


どこか棘のあるその言葉は彼をこんなにしてしまった私を恨んでいるのか、はたまたその噂のせいなのか……


「それで?聞きたいことがあるんでしょ?」


「え……あ、まあ、一応。」


「できるだけ簡潔にして。」


冷たい、というよりかは相手にされていないという方が正しいかもしれない。噂がどうこうはどうやら私の自惚れだったようで、結局のところ彼女にとって私は所詮その他大勢だったのだ。

少しの興味もない、というのがこの少しのやり取りで有り有りと感じられた。


「じゃあ……えっと、どうしてあんなタイミングでお店に来れたんですか?先輩の様子がおかしくなって直ぐでしたよね……?」


「盗聴器とGPS付けてるから」


「…………」


さらっととんでもない事を言った。


「えっと……」


「許可は取ってるし、盗聴器もこの子のプライバシーは侵さない範囲でしか使ってない。色々巻き込まれやすいから付けさせてるだけよ、今日みたいにね」


「トラブルに巻き込まれやすい……ですか……」


「この前はそこの河を300mくらい流されてたわね」


「何してるんですか先輩……」


本当に何してたらこの時期に河を流されることがあるんですか先輩。

正直、予想はつくけれど。


「ほんと、病院のベッドに居る時が一番安心できるのはどうにかして欲しいんだけどなぁ……うりうり」


「あぅ……」


人差し指で頬を突かれて喘ぐ先輩……ちょっと可愛い。

こんな風に自分の身を任せて眠れる程にこの2人は信頼し合っているのだと思うと、数日の仲とは言え少しだけジェラシーを感じてしまう。

正直羨ましい、私もこんな風に心から信頼のできる人が側にいれば少しは良い方向に人生が変わっていたのだろうか。


「そういえば……」


そうだ、こんな人が居るのにどうして先輩は記憶障害を起こすほどの何かを抱える事になったのか。

……そもそも私は彼について、彼の周囲について何も知らないではないか。出会って数日とは言え、彼の口から出るのは私のことばかり。彼自身のことで話した事と言えばスポーツが苦手ということ……彼がどんな生活をしているのか、彼の両親がどのような人なのか、私は何も知らない。

信用されていなかったのか、そこまで話すほど深い仲では無いと思われていたのか……身勝手であると自分では分かっているが、気付かなかった自分にも問題があると分かっているが、それでも少しだけ……悔しい。


「……先輩は、大丈夫なんですか?」


「今は大丈夫。でも、根本的な解決はできない。多分過去のトラウマが精神的に不安定なのと重なって起こってると思うけど、そのトラウマの内容が分からないからどうしようもないのよ。」


「時雨先輩にもそういうお話ってしてくれないんですか?」


「……あんまり自分のこと話さないでしょ、この子。私も聞き出すのに苦労したもの。それでもトラウマ部分は本当に思い出せないということしか分からなかったけどね。」


「……そうですか。」


本当は彼のことをもう少し聞こうと思ったが……やめた。

私もその苦労をしたいと思ったからだ。


私自身現在進行形でこの身を狙われている立場ではあるのだが、それでも出来ることなら彼を助けてあげたいと思ってしまった。

そうだ、私は彼の特別になりたいのだ。

それは恋愛関係の様な簡単に壊れてしまうガラス細工のような代物ではなく、彼と彼女の様な強固な繋がりが欲しい。

他の誰とでもなく、この人と。


「あの……時雨先輩、私……」


『運転手さん止めて!!』


ガシャァァン!!


突然、目の前を火花が舞った。




-----




気付けば、私は何か柔らかいものの上に横たわっていた。

布団?いや、毛布でできたハンモックの様な感覚……それに、妙に風が強い。


「っ!」


勢いよく顔を上げた私の目前に広がっていたのは上空からの夜景だった。

ここは鉄塔の最頂部、鉄筋で作られた四辺に真っ白な布を貼られ、私はそこに横たわっていた。


『気ヅイタカ……』


「だ、誰ですか!?」


掠れた様な絞り出す様な濁った声色、同時にカッカッと金属同士をぶつける様な音が登ってくる。

誰かと尋ねなくても分かる、"ヤツ"だ。

1週間ほど前、夜道を歩いていた私を襲ってきたアイツ……多分、蜘蛛男。


『アンガイ、冷静ダナ……』


「……先輩達はどこ?」


チラリと目線を向けたソレに釣られて下を向けば、鉄塔に何か真っ白で大きな球体が吊るされていた。

それは丁度……車一台は入っていそうな大きさの。


『殺セテハイナイ……ガ、モウ出ラレナイ。オレノ糸ハ鉄ヨリ硬イ。』


「……先輩達を出して。」


『ソレハ出来ナイ。特二白髪ノ男、ヤツハ俺ノ邪魔ヲシタ前科ガ有ル。今マデハ奴ノセイデ手出シ出来ナカッタガ、モウ限界ダ。』


「…………」


やっぱりあの時私を助けてくれたのは先輩だったのだ。……正直分かってはいたけれど。

あの人は嘘をつくのが下手過ぎる、確かに運動神経の説明がつかないとか色々あったけれど、あんなに綺麗な髪を見間違える訳が無いのだ。


……けれど、私を助けてくれたのがあの人だと改めて明確な事実として受け取ってみれば、こんな状態であっても嬉しさを隠し切れない。


『……奴ハ助ケニ来ナイ』


「来なくてもいいです、あんな体調なのに無理して欲しくないですから。」


心からの本音だ。

私はもう、あの人が苦しむ姿を見たくない。

私の為に苦しむあの人の姿を見るくらいならば、いっそ死んだ方がマシだ。


……自分から助けを求めたのに、酷く身勝手なことを言っているということは分かっているけれど。


「野球部の人ですよね?どうしてこんな事するんですか?」


『……オ前ヲ手二入レル為ダ。俺ノモノ二スルニハ、コウスルシカナカッタ。』


「身勝手ですね、私の気持ちは考えてくれないんですか?あんな気持ち悪い事までして、普通の手段では無理だったんですか?」


『無理ダ、無理ダ!無理ダ無理ダ無理ダ!!オ前ハ絶対二俺ヲ拒絶スル!必ズ拒絶スル!絶対ダ!絶対ニダ!』


「そんな事、やってみなきゃ分からないじゃないですか。」


『俺ハ!俺ハ何度モ気持チヲ伝エタ!!手紙!手紙ヲ毎日書イタ!ダガオ前ハ返事ヲシナカッタジャナイカ!毎晩見送リマデシテイタノニ!!』


「……頭、おかしいんですか?」


彼が一体誰なのか、未だに全く分からないが、それでも一つだけ言える事がある。

それは彼がもう正常な頭を持っていないと言う事だ。

先天的なものなのか、後天的なものなのかは分からないが、思い込みが強過ぎる。そして何より強烈に自己中心的だ。この自己中心的というのは主に自分の視点でしか物事を考えられないという意味で。

好きだ好きだと言いながら、私のことなど微塵も考えていない。本当に、先輩があの時言ったように、殺すしか手が無い様な有り様だった。


……正直怖いです、先輩。


『オ前ハ俺ノモノダ……モウ逃サナイ……コレカラ毎日愛シテヤル。1秒モ、一瞬モ離サナイ……必ズ俺ノ子ヲ孕マセル……』


「今はそう言ってるだけで、あなたみたいな奴はどうせ私の事も直ぐに飽きて捨てるに決まってます!近付かないでください!このケダモノ!」


『俺ノ子ヲ産メ……俺ノ事ヲ愛セ……!」


「……蜘蛛の母親なんて、絶対に嫌……!」


ジリジリと端へと追い詰められて行く。

死ぬ覚悟はできている、けれどこんな奴に陵辱されて殺されるくらいなら落下して死んだ方がマシだ!こんな奴と交わるなんて考えられない!


「それ以上近付くなら落ちるから……!」


『俺ハ蜘蛛ダ、捕マエラレル。』


「じゃあ舌を噛み切って死ぬ!」


『口二糸ヲ詰メレバ満足カ……?」


「……っ!」


噛め!舌を噛め私!死ぬなら今しかない!今死なないと……こいつに、犯される……!嫌だ、そんなことは絶対に嫌だ!なのに……!






怖い……






死ぬのが、怖い……



『サァ……サァ!諦メロ諦メロ諦メロ諦メロ!俺ノモノ二ナレ!オ前の髪モ!肌モ!骨モ!全テ俺様ノモノダ!誰ニモ渡サナイ!誰ニモ触レサセナイ!俺ダケノ、俺ダケノ女ダ!ヒ、ヒハッ、ヒハハハハハッ!!!』


「やだ!やだァ!触るな触るな触るな!私に触るなァ!いや、嫌ァ!誰か、誰かたすっ……」


たす……け……


言えない、それ以上は。

それ以上言ってしまったら、彼が来てしまう気がするから。これ以上言ってしまったら、あのフラフラな身体を引きずってでも、彼はここに来てしまう。


……でも、


嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ…!


こんな奴に服を引き裂かれるのは、こんな奴に肌を見られるのは、こんな奴に、脚ヲ開かれるなんて……嫌だ……!


「いやッ!いやぁっ!そんなの、そんなの近付けるなぁぁぁ!!」


『ヒッ、ヒハッ、ヒャハハハハハッ!!』





グジャッ



『ヒッ、ヒハハッ、ハッ、ハッ……ハ?』


ボトン、とソレが落ちた。

断面が見える程に綺麗に切り落とされて。



『カッ、カッ、グガ、ガァァァァァ!!!』



痛みにのたうちまわる化け物、そしてそんな様子を呆然として見ていた私だったが、次の瞬間には突如として足場が切り崩れ、何の心の準備もなく私の身体は落下を始めた。


「えっ、いっいやぁっ!助けてっ……」


ボスンッ


「ふえっ……?」


まだ5mも落ちていないはず、にも関わらず私は誰かに抱きとめられていた。

しっかりと、優しく……私の身体を傷付けない様に、本当に優しく。


ああ、分かってしまう。

目を瞑っていても分かってしまう。

目の前にいるのが誰なのか、私を抱きとめてくれたのが誰なのか。

匂いで、感触で、抱き寄せ方で。


「こなみ……大丈夫か?」


「先輩……先輩っ!!」


「おっと、よしよし……」


嬉しい、嬉しい……

彼に無理をして欲しくなかった、彼の辛そうな顔を見たくなかった、それは紛れも無い本音だった。

けれど、けれどやっぱり、こうして彼に助けられた事が心の底から嬉しい。彼が助けに来てくれた事が本当に嬉しい。


「先輩……先輩……」


「……悪かった、衝撃で車に足が挟まってな。団子詰めにされていたんで処理するのに時間がかかってしまった。」


「いいんです……いいんです、私こそごめんなさい……」


「謝るな、よく頑張った。もう怖い思いはさせない、あとは私が責任を持って処理してやる。」


「先輩……」


ああ、本当に……この人は綺麗だ。

夜の月を背に真っ白な長髪をなびかせて、その真っ赤な瞳を細めて優しく微笑む。

この人に恋愛感情なんて勿体無い、側に居たい、見ていたい。

やっぱりこの人は……人じゃない、

醜い人間なんかと一緒にしたくない。


「ありがとう、ございます……!」


きっと私はその時、今までの人生でもしたことが無いような、最高の笑顔をしていたに違いない。


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