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黒白の巫  作者: ねをんゆう
第1章 【圧異主】
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1.ボロボロの英雄


《圧異主》


町の外れ、大きな河に沿って作られた夜の公園から轟いた言葉のような重低音。そして同時に凄まじい爆発と衝撃波が周囲へと響き渡る。


体長およそ3m、高さだけでも1.0〜1.5mはあるであろう通常の猪と比べればそこそこに大きいこの身体が、この公園のメイン遊具である子供の塔を瞬き1つの間に粉々に粉砕した。


そんな一撃を勘と衝動に任せて間一髪で身体を動かしたものの、もちろん完全に避けることは叶わず脇腹辺りを深く抉られてしまう。

小さな影はその綺麗な顔立ちを酷く歪ませ、肩下まで伸ばした長い白髪から血液を垂らしながらもがき苦しむ。


「ああ、これはダメだな」


現状、どうあがいても勝てる相手では無かった。


物語でよくある様な奇跡的な出会いを経て、笑えない様な確率に打ち勝ち、大きな脅威に立ち向かえるだけの力を得た。

しかしその力は決して全てを打ち倒せる様な強力な物ではなく、本当に普通の人間の持つ力の延長の様な代物。

むしろ同類の彼等が持つ強大な力や常識を逸脱した絶技と比べた時、自身の力の長所を強いて答えるとするならば汎用性の高さくらいしかなかった。



"身体能力の向上"



それが彼に与えられた力であった。


もちろんそれだけでは無い。

それだけでは無いのだが、現状で最も顕著なものがそれしかなかった。


動体視力などの感覚系まで強化される一見便利そうな能力ではあるものの、つい先程の一撃を影や兆候さえ視認出来ていなかったのだからレベルの違いは言わずともわかる。

目を閉じて開く時間すら与えられず、ただ勘だけで身体を動かした瞬間に腹部を抉られていた。


そういう意味では汎用性の高さが長所とは言ったものの、大抵の場合は敵がその汎用性の高さごと強引に粉砕してくるという事実を考えると、こんな長所などゴミみたいなものなのかもしれない。


そして、もちろんそれは敵も分かっているのだろう。

敵は獣の姿を取りながらも悪辣に表情を歪め、苦しそうに息を吐く彼を見下していた。


『3ツ……ヒカリ……3ツ……ク、クカカッ…』


くぐもった声を発しながらニヤニヤと笑う猪。


単なる体技ではない。

単なる突破ではない。

過程を省き結果だけを残す、時間や空間にまで影響するほどに研ぎ澄まされた神業とも言える様な常識外れた偉業の突進。


これほどまで一途にただの突進を突き詰めるとは、伊達や酔狂で猪の神を名乗っている訳では無いということか、それこそが猪の性質なのか……


いずれにせよ必殺必中、加えて全く疲労が見えない事を考えると連発が可能という予想まで立てることができる。どんな人間がどう考えても絶望する様な、規格外の能力だ。



バキッ


「いっ……ぅぁ……」


瞬間、左腕が原型を失った。

同時に先程まで前方にいた大猪は遥か後方のベンチを粉砕していた。


予兆すらない。

タイミングを測っても始動が無ければ意味はなく、全速で動き回っても視覚で捕らえられていれば一瞬でお陀仏なのだろう。

『弾速が速過ぎて予測がいらない』という話はあるが、そもそもの弾速が無いというのは最早話にならない。


この異形な怪物達に物理など通用しない。

非常識ではあるが、それこそが彼等にとっての常識なのだ。


「あなたの目的はなんだ……?」


『壊ス、壊ス。人間モ、人間ノ作ッたモノモ、全テダ!全テヲ!!』


「それはなぜだ?」


『貴様等ガ先ニ壊シタノダロウ!!我等ノ里ヲ……我等ノ家族ヲ……!許サヌ、絶対二許サヌ!貴様等カラ全テヲ奪イ尽クスマデ!コノ怒リト絶望ハ決シテ終ワラヌ!!』


吠える様に叫ぶ巨体。

その鋭い双眼からは確かに憎しみと悲しみの様なものが感じ取れる。


猪の神、ということはそういう事だろう。

この周辺の地域には狩猟場も少なくなく、その上、田畑の多い北の地域が被害の最初の発生源となれば尚更だ。

単なる弱肉強食、しかしそれを良しとして飲み込めないのは人も動物も同じことなのだ。


「人間に憎悪を抱いているタイプか……3つも点灯している上にその能力だと、本当にどうしようもないな……」


どのようにして過程を省いているのかは所詮人間には分からない。しかし少なくともそれが時間を止める系統では無いのは確かだという確信があった。


もしその類ならば直撃以外にあり得ない、しかし今も自身のその小さな身体は残っている。


そう考えれば省いている間の意識は獣自身にも無い可能性は高いだろう。加えて通常時の速度を見ても単純な超高速の突進という訳でも無いだろうが、足跡が残っているので確かに突進自体はして来ている。


これらの情報をどう活かせるかが鍵だ、肝心の考える時間が無いのが問題だが。


「はぁ……」


とにもかくにも、

事前の姿勢に関係なく、視界に捉えてさえいれば走る始動さえも省いて無防備な体に自身の渾身の攻撃を確実に当てる能力など、彼でなくとも誰もが三者同様に揃えてこう言うだろう。


"やり過ぎだ"


と。


「とりあえずは、こうか」


底上げされた身体能力で軽快に電灯の上へと登る、運良く追い討ちをかけられる事はなかった。

敵の力はあくまでただの突進であって、射出ではない。つまり高さを使った戦法なら問題は無いと彼は考えた。


「問題はこの公園には高さを使えるモノがほぼ無いことと、遠距離攻撃の手段も無い事か……ふむ」


問題しかない。

完全にただの延命手段だ。

例えこの場から離れたとしても逃げ切るのは不可能で、高さを使う為に町に移動などすれば被害を増やすだけである。


倒すどころか逃げる事もできない。


一か八かで正面勝負か、置きカウンターを狙うか……そんな現実的に考えれば1も8も無い自殺行為しか手元には選択肢が無い。




ガシャン




ふと、乗っていた電灯が後方へ吹き飛んだ。

同時に周囲にあった残りの電灯もほぼ同時にへし折られる。

知能のある獣は考えさせる時間すら与えてくれない様だ。当然だ、彼だって敵の立場ならそうする。

当たり前か、と頷きながら落下する彼の様子は非常に情けない。それでも、僅かな時間の余裕は生まれた。


『グヒッ……ヒヒヒヒヒヒッヒヒッ……』


「気持ち悪いな……!」


落下していく彼を今か今かと笑みを浮かべてー見つめるこの獣は、所謂着地狩りというものを狙っているのだろう。恐らく着地した瞬間に吹き飛ばされ、全身を粉々にされたまま河底で魚の餌となるのだ。

そして恐ろしい程の血飛沫と肉片が飛び散る悲惨な事故が起きたとして、未来永劫誰も人が寄り付かない場所としてこの公園は残る、救いがない。

勿論そんな風に殺されてしまった自分にも。


「……ああ。そうか、河か」


地に足が付く寸前。

彼は今この瞬間では最善と思えるが、後々考えれば恐ろしいほどに愚かな策を一つ思いついた。

そしてそれを実行するかしないかを、考えて悩んでいる時間など今は全く存在していない。


『同胞ノ、仇ィィ"ィ"イ"イ"イ"……!』


肉が引き千切れ、骨が砕け散り、内臓が破裂する。明らかに人体が修復不可能な程に破壊された音が、獣の咆哮と共に空へと打ち上がる。


「かっ……ぁっ……」


柵を突き破り、酷く損傷した身体はまともな受け身も取ることも出来ず、無防備に水面へと叩きつけられる。

光を失った夜界でも分かるほどに赤黒い波紋が大きな川の一部分を染め上げて、ピクリとも動かない肉体は体内に残った少しの空気を頼りにゆっくりと表層へと浮かび上がる。


……しかし、そんな状態であっても彼は生きていた。


あの絶望的な状況であっても、攻撃してくるであろうタイミングが分かりやすかった故に、本当に最低限の対処はこなせていた。


全力で身体能力を向上させ、着地の瞬間に咄嗟に爪先でバックステップを踏む。形を失った左腕も含めて両手を胸の前でクロスさせ、なんとか生きるための努力をした。


バックステップはあまり役に立たなかったようだが、それでも彼は生きていた。

肋骨、足の骨もが粉々で、内臓もいくつか逝っている……それでも命があるだけマシで、人としての原型もまだある。


「かはっ、はっ……はっ、はっ……」


『……マダ生キテイルノカ』


「はっ、ぁあ……チィッ……」


一緒に吹き飛ばされた子供の塔の一部に強引に身体を動かして乗せるが、最早能力を使っても身体を転がすだけで限界だった。

河の水に浸かった所為で脇腹からの出血量が増え、割と洒落にならないレベルの貧血状態に陥っている。


身体強化の副作用で若干の治癒能力もあるとは言え、この状態では第三者からの治療行為が無ければ確実に数時間で死に至るだろう。


しかしそんな虫の息の人間に対してさえ、見下ろす獣の目からは未だ憎悪と怒りの炎は消えていなかった。


『仇……仇……同胞の仇……!』


「仇、仇と小粋なラップを刻むな……ああ、全く。本当に何故こんな作戦しか思い付かなかったのか、馬鹿か私は」


全ての推測が当たっているとは思えず、

思い当たった作戦に引っかかるとは思えず、

成功率なんて一桁もあるのか、

そんなことすらも信じられない。

もはやその作戦を実行した事に後悔していた。


……それでも、その確率に賭けるしかない。


自身の血に染まった長い白髪を水に流し、子供のようなその小さな身体に似つかわしくない不敵な笑みを浮かべて、彼は獣に言葉をかける。


その全てを馬鹿にするように。

その全てを蔑むように。


「最期に、一言だけいいだろうか」


『……ナンダ?』


「これでも私は一度だけ、とある田舎の集落へ行って猪の肉を鍋にして食べた事があるんだがな」


『………』




「猪の肉って滅茶苦茶不味いよな。思わず吐いたわ、残したし」





ブヂィッ!




『貴様、キサマ……キ"サ"マ"ア"ァ"ァ"ァ"ァァァ!!!』


両眼から真っ赤な火の様なモノを発現し全身の毛を逆立てる獣の神。

その視認を最後に、彼はゆっくりと目を閉じた。


それは決して自身を信じていたわけでも、余裕の構えでもなく、ほぼ諦めの様なモノ。

もはやどうにでもなれと、そういった類の。


それでもやはり、覚悟を決めてはいても、自分の命の終わりの近付くその瞬間には小さく身体が跳ねた。

やはり怖いのだ、死ぬという事は。


『ーーカ"ァ"ァ"ァ"ァ!!』


ザバァン


ーーー


ーー







そういえば、圧異主などという名前の神など本来は存在しない。それどころか、猪の神は名前がない事の方が多かった。


その名はある映画によって広まった猪神の名であって、例えば日本の神話の中であっても表現される大半の猪神に名前は存在しない。

あったとしても、記し残されていない。


ならば目の前の存在は何なのか。

存在しない神の力を使っているなどという事があるのだろうか。


そんなことは断じてない。


つまり、これは猪神の力だけではなく、人間の想像の力が主軸となっている。

核となる朧げな神力の断片に、自身の想像力で少しの補整を加えて再現した、擬似的な神としての姿。


恐らくその補整の最たる例がこの突進能力だとして、元ネタとなった猪神の身体よりも大分小さくなってしまっている事に関する補整は、変化前の人間の感覚に合わせるためのものだろう。

……ただ今回、この予想や推測だらけの理論の中でも。後者に関してだけは間違いだったと言い切られずには居られない。


なぜなら圧異主の由来する映画の中で彼等の種族は、『身体が小さくなる事』と『バカになる事』の二つが、同時に起きる弱化の現象として設定されてしまっていたからである。


それが3つも点灯数が増えて色が濃くなっていれば、その特徴はより顕著に現れてしまう筈で。




ーーーバシャバシャバシャバシャ



「冷っ、……冷たい……」


バシャバシャバシャバシャ


「いや、だから冷たいと……」


『……ゴッ……ゴボボボボボ……ゴボッ、グボッ……』


「…………」


前方3m、真っ黒な塊がその大きな巨体で必死にもがいている姿があった。

水が跳ね上がる。

普通に五月蝿い。

けれど必死な事だけはよく分かる。


『ダ、ダズッ、ダズゲッ……ゴボボボ……』


「いや、助けないが……」


『ゴボボボボ……』


次第にもがきが弱々しくなっていく巨体。

泳ぎの練習を怠っていたのか、単に質量が大き過ぎたのか……どちらにしても笑える冗談だろう。

物理法則すら容易に捻じ曲げる彼が、液体一つ搔きわけられないのだから。


「……能力に対して結末がショボすぎる」


完全に水中に沈んでいった巨体を傍目に、ドシャッと塔の残骸の上に寝転んだ。


突進という行為の過程を省くならば、もしその過程の中で水に落ちたらどうなるのか。

気になったからやってみた程度だった。


まさかこうも上手くいくとはそれこそ神様ですら想像していなかっただろう。

笑えない笑い話として今後最高のネタになる。


今後があれば、だが。


「視界がボヤけてきたな、あとは杏に任せるか……」


自分がこれから死ぬかもしれないというのにも関わらず、彼は満足気な表情で完全に意識を手放した。今日も生きて帰れる筈だと、大切な相方を信用していたから。

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