第一章 情景二
作戦会議は、ブリッジにて行われる。ブリッジは戦艦の最上階に位置しており、戦艦の居住区から向かうとやや時間がかかる。士官用の部屋からは、やや歩いたところにあるステップの無い平面エスカレーターに乗り、それに運ばれてエレベーターへ。エレベーターに乗れば、ブリッジへと直行できる。
エスカレーターに乗って暫く黙考していると、いつのまにか私の後ろから副官――シュヴァルツコプフ中佐が、滑る通路の上をつかつかと歩いて来たようだ。肩を軽く叩かれてから、顔に深く皺が刻まれた、黒い頭という意に反して白髪の老人に気づいた。被っている軍帽を取って会釈をする。
「やあ、提督。お疲れのようだね」
中佐は、同じく軍帽を脱ぎながら挨拶。好々爺のように陽気さの残る、しかしやはりしわがれた声をしたこの老軍人は、どうも私の調子を見抜いているらしい。肩をすくめて、頭を振った。
「どうにも、睡眠不足だ」
「それはいけませんな。……そうだな、寝る前にウィスキーでも一杯あおれば良い。ぐっすり眠れますよ」
「酒は苦手なんだ。それに、睡眠も浅くなるというだろう」
シュヴァルツコプフ中佐は、ふむ、そうでしたなぁ、と不服げに呟いて、軍帽を深く被り直した。同様にして私もそれを頭に戻す。
「まあ、本当に眠れなくなったら、タンクベッドもあるさ」
「タンクベッド。たしかに便利ですな」
タンクベッド。今や軍艦には不可欠の急眠装置。カプセル型のそれは、約一時間で八時間分の睡眠効果を得ることが出来るという。何度も使用したことはある。カプセルの中に入った後、睡眠導入剤のような専用の錠剤を服薬して、内部のコンソールで設定し、目を閉じると、たしかに一時間きっかり眠ることが出来るし、一時間にしては心なしか身体を軽く感じさせる。だが、実際はその程度だ。実際は八時間分寝床でぐっすり眠った方が間違いなく疲労が回復する。シュヴァルツコプフが言葉少なに同意したのは、逆説的にあまりタンクベッドに良い感情を抱いていないからだろう、と憶測する。このベテランが恐らく軍に入隊したころから、タンクベッドは実用化され始めた筈だ。シュヴァルツコプフも多く利用してきたのだろうが、だからこそ、その欠点も身に沁みているのだろうか。
尤も、そんな下らないことをわざわざ問い詰めようとも思わないが。
「マリア上級大将、シュヴァルツコプフ中佐、おはようございます」
「艦長のお出ましのようだ。おはよう」
「おはよう、フェリックス艦長」
やや固い、狼が唸るような低音の声。このグラディウス級高速戦艦の操舵指示を行う文字通り戦艦の長は、鋭い眼光で私たちを認めつつ、軽く軍帽を脱着した。
「さてさて、今日はどのような戦いになるものだろうか」
「いつも通り、だ。彼我の戦力差は歴然としている。赤子の――」
不意に、頭の奥底に針を押し当てたような、小さいながらも鋭い痛みが走ったような気がした。思わず手でこめかみの辺りを擦る。
「赤子の手をひねるようなものだ」
「大丈夫ですかな? 睡眠不足が余程応えているようだ」
「何、大丈夫だ」
中佐が、からかうような声音でこちらを横目見る。言葉こそ発さないが、艦長の冷たい視線――決して心配しているわけではないようだ――が刺さっているのを感じる。私は手を挙げて視線を制止させる。
……余程、夢ごときに応えさせられている。尤も、あの泣き声とも叫び声ともつかぬ、脳裏をつんざくような悲鳴が無いだけまだマシだ。あんなものが勤務中に襲いかかることを想像すると、思わず身震いが走る。
平面エスカレーターの長い道の先にはエレベーターホール。その中にある昇降機の一つに乗り、最上階の艦橋――司令室に入った。時計を見れば、まだ会議には時間があることが分かる。
私はふうと息を付いて、中央にある司令官専用の椅子に座る。それから無意識に官帽を膝の上に乗せて、黒く染められた絹の帽子の上面を擦っていた。