序章―或いはある人類の存在理由
苦難の日に
主があなたにお答えになりますように
詩篇20章1節
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私は光線銃を構えている。上級士官用に支給された、流線型の光線銃。威力は高く、防光線用の戦闘ジャケットも着用していない人間を屠るには十分に過ぎる代物。人を殺めるには余りに軽すぎ、余りに小さすぎる、たった数十グラムの殺人兵器。その銃口の向かう先には、小さな赤ん坊がいる。男とも女とも、或いはトランスジェンダーかもしれない、その自覚さえ無いであろう、ほんの小さな、小さな赤子が、それを殺そうとしているとも知らず私に助けを求めるとも、或いは何か殺意を感じて命乞いをしているとも判らない泣き声を挙げている。何かを主張しようとしているのだろうか、ぎゃあ、ぎゃあと泣きわめく声。耳をつんざくような一つの大声は、或いは大いなる帝国の中においては耳にもつかないような極めて小さな音かもしれない。人類が有史以来初めて作り上げた宇宙共同体は、今やこのように大きな存在となって個人を蹂躙している。人類の発展のために、それに反対の声を挙げる人類は反人類主義者―反乱軍として虐殺される。その生命は、人類の発展に比べれば遥かに意味のないものである。或いは、時代の逆行者として見れば、人類の発展を脅かすものである。
だから、ころす。
私は蹂躙の先頭に立つ。それが私の、人類の発展に寄与するための役割。それは、意識が芽生えたころから、文字通り植え付けられた私のドグマ(教条)。
反乱軍の拠点の中、その赤子は旧時代的な――本当に旧時代的なものだ。木製の――ゆりかごに乗せられている。その足下には、この赤子共々逃げ遅れたのであろう、成人女性が顔を伏せて倒れている。その身体は焼き貫かれていて、血塗れた背には大きな孔が空いている。一目で反乱軍であると分かる。彼女が反乱軍の支給している戦闘ジャケットを身につけているためだ
故に、この赤子も反乱分子の一部分。故に、その生命を刈り取る。反乱分子として育たないために。それは、赤子のためでもある。時代の逆行者として人類の汚点にならないためにも。
判っている。
だのに、何故、光線銃のトリガーに掛けた人差し指が動かないのだろうか。私はこの赤子に同情しているのだろうか、私は悲しいのだろうか、私はこの赤子に一体何を感じて、殺さないでいるのか。同情などとうに捨てた。悲しさを感じたのは、一体どれほど昔の話になるだろう。そして何よりこの赤子と、私には何の接点もない。ただ、不運にも戦場で出会ってしまっただけだ。なのに、私はこの泣き声によって、何かを感じていることを感じている。同情でもない、悲しみでもない、ましてや、慈しみなどでは決して無い。その何かが、私には判らない。
息が苦しい。胸が詰まっている感覚に陥っている。心拍数が上がったように錯覚している。確かに、光線兵器に焼き尽くされたために煙りは漂っているが、それだけのために苦しいのではない。だから、何かを感じていることが分かる。忌まわしい何かを。今まで生きてきた中で、考えたこともない、触れたこともない何かを感じている。やめてくれ、逃してくれ、私は完璧な軍人だ、なぜこんな何かに触れなければならない。
かんがえさせないでくれ、やめろ、たのむやめろ。やめろ!
光線銃の銃口が、ほんの僅かずつに、下がっているのを感じる。植民惑星で発見された新素材で出来ている、その軽量の光線銃は、今や重く私の右手にのしかかる。その重量に負けて、私は光線銃が下りるに任せている。下りるごとに、息苦しさが増す。何かに迫られている。思考がぎりと締め付けられる。これは私の与えられた役割ではない、その一点だけが私の意識を握りつぶそうとする。
私は瀕死の獣のように歯をむき出しにしてうめいた。どこから出たかも判らない声が、赤ん坊の泣き声に覆いかぶさる。全身が石になったように固い。頭蓋がやたらに私の身体を押し付けて、私をうつむかせようとする。まるで、何かから視線を逃がすようにする。顔にさえ、力が入っている。怒り狂った老婆のように皺を寄せている。自己から世界を締め出そうとするかのように、瞼が閉じられようとしている。私は自分が泣いていることに気づく。
いつも、そこでやっと人差し指が動くのだ。光線銃の銃口は赤ん坊からもはやその視線を外しているはずなのに、それから放たれた熱線は赤ん坊を一瞬で貫いた。私はそれを見ていないのに、その光景は脳裏に焼き付いている。まだ髪も生えそろっていない頭から、噴水のように鮮血が吹き出る。触れてもないのに、赤ん坊から生命の熱が失われたのがわかる。死んだ赤ん坊の丸い目は、私に視線を釘づけたまま離さない。私は声にならない叫びをあげる。
そして私は、目を覚ます。夜の静寂の中、赤ん坊の泣き声が頭のなかで鳴り響いている。