95話 絶対に言ってはいけない言葉
咳払い一つで俺たちの視線を集めたボンチャッカは、落ち着いた口調で話し始める。
「ところでここにいる全員に話があるのだ。このマリエッタ国は人と物の出入りを厳しく取り締まることで、風紀を保ってきた。ゆえに、侵入者は誰であっても許すことは出来ん」
その口から告げられた思いもよらぬ内容に、フィーリアの肩がビクンと跳ねた。
表情にも緊張が走っているのがわかる。
俺たちは固唾を飲んでボンチャッカの次の言葉を待った。
ボンチャッカはゆっくりと、再び口を開く。
「……だから、見なかったことにする」
……ん?
「私は何も見ていない。君たちがこの場にいるのも、たとえ何者かが国庫から幾ばくかの金貨を持ち去ったとしても、私は何も見ていない。なあ、皆の者?」
そう言ってニヤリと不敵な笑みを浮かべたボンチャッカに、兵士たちの歓声が追随する。
「さすがボンチャッカ様! 国民から熱狂的に支持されるお方!」
「はっはっはっ、まあな!」
「国を数年で持ち直させた手腕の持ち主!」
「そう褒めるでない、照れるであろう!」
「カツラもオーダーメイドの高級品!」
「おい今髪のこと言ったの誰だ。斬首にするぞ」
なにやら楽しそうである。
「なあ、フィーリア。さっきのボンチャッカの言葉ってどういう意味だ? 金貨を持ち去ったら、普通に考えてバレバレだろ。それなのに見ていないって、この国の人間は皆眼が悪いのか?」
「……え、それ本気で言ってます?」
首を傾げた俺を見て、フィーリアの動きが停止する。
「いや、そんな驚かなくてもいいだろ……? ちょっとした冗談だよ。この人らの意図くらい、俺にだってわかるさ」
金は有り余っているからいらないが、感謝してくれているのは嬉しいことだ。
「いや、ユーリさんが言うと全く冗談に聞こえないのでやめてください」
酷い言い草だ。俺にだって冗談を言う権利はあると言うのに。
「フィーリア、もう大丈夫だ。ありがとうな」
「良かったです」
俺はそう言ってフィーリアに回復魔法を中断してもらう。
お蔭さまで俺の腹の傷はほとんど塞がった。これならもう問題なく走ったりできそうだ。
「では、国庫に向かうとするか。私に案内させもらおう」
ボンチャッカがそう言ったと同時に、再び国軍の兵士たちが部屋に入ってきた。
部屋の惨状を目にした彼らは次々と疑問を口に出す。
「一体どうなってる!」
「なんで国宮がこんなにボロボロなんだ!?」
「なんだあの二人は。見覚えがないぞ?」
「おい、あの美しさに尖った耳、……エルフじゃないか?」
「確かに……。ということは、侵入者か!?」
また誤解しているようだ。まあ、この状況を見ていきなり全てを理解しろという方が無理か。
「お前たち、違うのだ。彼らはこの国を救って――」
「ボンチャッカ様、彼らから離れてください! 危険です!」
「だからな、お前たち――」
と、さらにまた新たな兵士たちが国宮へとなだれ込んでくる。
「なんだこの惨状は!?」
「一体何がどうなってるんだ!」
「おお、お前たち。ちょうどいい、お前たちにも説明をしてやろう。彼らはこの国を救った――」
「おい、あの尖った耳と美しさ、エルフでは?」
「あんな筋肉の男も初めて見たぞ。……さては、侵入者!?」
「おい、なんで誰も私の話を聞かない! この国で一番偉いの私なんだが!? 私なんだが!?」
靴は舐めさせられるしカツラは暴露されるし話は聞いてもらえない。これ以上ないほど散々だな。
にしても……。
「面倒くせえ……」
ボンチャッカと兵士たちのやり取りを聞いていた俺は心の底からのため息を吐く。
この調子ではいつまでかかるかわかったものではない。
「フィーリア、もう帰ろう」
面倒くさいことに興味はない。
さっさとこの国を出るとしよう。
「えー。折角この国のお金ありったけ持って行ってやろうと思ってたところだったのにぃ……」
「恐ろしいことを言うなよな……」
「冗談ですよ、冗談」
「お前が言うと冗談に聞こえないからやめてくれ」
冗談とは思えないほど残念そうな顔をするフィーリアをなだめる。
フィーリアは納得した後俯き、何か思いついたかのように顔を上げた。
「ならせめて……ボンチャッカさん!」
「なんだ、どうかしたのか?」
ボンチャッカがこちらを振り返る。
「一つお願いがあるんですが……私たちはこの国にいる間に家屋を傷つけたり、兵士の方たちに怪我をさせたりしてしまいました。なので、その補償分や医療費を私たちの報酬ということにして、国庫からお金を出してあげるのは無理でしょうか。私たちは一銭もいただきませんので」
「なんと……! 私は一向に構わないが……あなたたちは聖人か何かか?」
胸に手を当て、まるで聖女のような立ち振る舞いのフィーリアにボンチャッカは大層感激した様子だ。
「ありがとうございます。では、私たちは帰ります」
「承知した。おい、すぐに見送りの準備を!」
「いえ、皆さんは今後の国のことだけを考えていてください。私たちのためにお手を煩わせるのは、私の良心が許しません。その場でささやかにお見送りしてくだされば、それだけで私たちは幸せなのです。ね、ユーリさん?」
「……ああ、そうだな」
俺は呆れを隠しながらフィーリアに同意する。
コイツどんだけ猫被るんだよ……。
「め、女神だ! ここに女神が降臨なされたぞ!」
「なんて清廉な心をお持ちなのだ……」
「女神って本当にいるんだなぁ」
「ありがとうございます、女神様!」
「ばんざーい!」
「女神様、ばんざーい!」
ボンチャッカと兵士たちは思い思いの言葉を発しながらその場で俺たちを見送ってくれた。
「くっくっく、計画通りですよ……! どうせ貰って帰れないなら、それを利用して好感度を上げる。さすが私です!」
うわあ、悪い顔してやがる。
「……お前って意外と腹黒いよな」
「何言ってるんですかユーリさん、私が腹黒いわけないじゃないですか。女神ですよ、私」
「自分で言うな」
俺たちは賑やかなボンチャッカと兵士たちを残して国宮をでた。
国宮から少し離れた場所を、門の方角に向かって歩く。
ここまでくれば事情を知らない兵士たちに掴まる心配もほとんどないだろう。
「……あれ?」
と、フィーリアが突如その場にへなへなと倒れこんでしまった。
「おい、大丈夫かよ」
「正直ちょっと疲れました……」
顔色が若干悪い。俺の為にかなりの無理をしたのだろう。
ただでさえ一旦魔力がほぼ枯渇状態だったのに、魔力を譲渡してもらってすぐにその魔力を俺のために使ってくれたんだもんな。
今回はフィーリアに大分無理をさせてしまった。
座り込んでしまったフィーリアを見る。
疲れた顔をするフィーリアの、何か力になってやれることはないだろうか。
……そうだ!
「ほっ、と」
俺はぐったりと座り込むフィーリアを背負いこんだ。
結構衝撃が腹に響くな。治りかけで治療も中断しちまったし。
だが、これなら俺も少しはフィーリアの役に立つことができるはずだ。
「ユーリさん、止めてください。……傷、開いちゃいますって」
フィーリアが制止するが、もちろん俺は止めない。
「そんなヤワな鍛え方はしてねえよ。それにフィーリアに治してもらったんだからもう大丈夫だ」
「……そうですか。…………じゃあ、少しの間ご迷惑おかけします」
フィーリアが体重をかけてくる。いつもと変わらない、花の匂いがした。
「遠慮すんな。今回の殊勲者はお前だからな――――って、寝ちまったか」
フィーリアは俺の背中でスースーと寝息を立てている。
そう言えば、魔力を枯渇直前まで使うと眠くなると前にフィーリアが言ってたな。
俺の治療に全霊をかけるあまりに自分のことが疎かになったら元も子もないだろうに。フィーリアも大概無茶をする。
俺はフィーリアを担いで門へと向かうのだった。




