94話 壁に耳あり障子に目あり
奥の部屋からでてきたボンチャッカは、先ほどまで靴を舐めていたとは思えないような深沈たる雰囲気を纏っていた。
「ボンチャッカ様、よくぞご無事で!」
国軍の兵士たちは俺たちと対峙しているのも忘れたのか、一瞬顔を綻ばせる。
しかし、すぐに再び臨戦態勢へと戻った。
「それより、その者たちへ圧を飛ばすのをやめんか。彼らはこの国を救ってくれたのだぞ」
その言葉に違和感を感じた俺は、ボンチャッカに問いかけた。
「あんた、記憶があるのか?」
「うむ、いかにも。あのロゼッタとかいう女は中々腐りきった性根をしていてな。為政者である私だけは、洗脳させずにそのままの状態で従わせていたのだ。『その方が面白いでしょう?』とか言っていたが、何が楽しいのか私にはまったくわからん」
「うわあ……」
これに関しては完璧にフィーリアと同意見である。
あの女、悪趣味すぎんだろ。
……ってことは、ロゼッタの靴を舐めていた時も意識があったってことか。なんというか、本当にご愁傷様だな……。
「国民の命をチラつかされては、逆らう訳にもいかんからな。私はただ粛々とやつの命令に従っていたという訳だ。そういう訳で、君たち二人とあの罪徒との戦いもしっかりと確認させてもらっていた。澄ました耳と、凝らした目でな」
そう言ってボンチャッカは俺たちに頭を下げた。
それに国軍たちは一瞬ざわめくが、ボンチャッカはピタリと静止したまま頭を下げ続ける。
「我が国を救ってくれたことに、感謝を」
長い礼の後、頭を上げたボンチャッカはそう謝辞を述べた。
「いや、俺は別に約束を守っただけだしな」
別に国を救おうとしてロゼッタと戦ったわけじゃない。
最初は単に強いやつと戦いたかったからで、最終的にはエレクと約束したからだ。
「約束?」
「ああ。なんつーのかな……」
改めて言葉にしようとすると難しいな。
エレクと俺の関係性はなんと表現したらいいものか。
「……弟子。そうだな、弟子との約束だよ」
「エレク君が知らない間に勝手に弟子入りさせられてる……」
「弟子みたいなもんだろ。実際鍛えてやったしな」
「よくわからないが……まあ、そういうことだ。彼らにこの国を害する意思はない。腕を下ろせ」
ボンチャッカは国軍に再度命を出す。
すると、兵士たちは各々上げていた腕や持っていた武器を下ろした。
「も、申し訳ありません! 国を救ってくれた方たちに対して、なんと失礼な振る舞いを……!」
「いや、あんたたちは仕事をしようとしただけだからな。別に責めるつもりはない。なあフィーリア?」
「まあ、こんなに重傷なのに拘束が優先なのはどうかと思いますけど……」
フィーリアは不服そうな顔をしながら渋々頷く。
「いや、もし俺が悪人だったら、回復魔法かけてもらった時点ですぐに反旗を翻すだろ? そうなったら危険だから、ああいう対処になってもおかしくはない。あの時点ではボンチャッカ……さんの安否も未確認の状態だったからな」
危ない危ない、呼び捨てにするところだった。
詳しい地位とかはよくわからないが、偉いやつなのは間違いなさそうだからな。呼び捨てにしたら怒られそうだ。
フィーリアに敬語を教えてもらっていた成果がこんなところで発揮されたぜ。
俺の言葉を聞いたフィーリアはポンッと手を叩く。
「あ、そうか。国軍の方たちから見れば、ユーリさんはパートナーじゃなくて、謎の筋肉だるまですもんね。なるほど……というか、傷! すみません皆さん、ユーリさんに回復魔法をお願いします!」
「そうだ、あまりに普通にしているから思わず忘れていたが、凄い傷ではないかっ! 皆すぐに回復魔法を!」
警戒を解いた兵士たちがフィーリアの合図で俺に近づき、回復魔法をかけ始める。
体中が白い光に包まれて、なんだか不思議な気持ちだ。
「回復魔法が使えない方は私に魔力をください」
フィーリアは周りですることがなさそうに立ち尽くしている兵士たちにそう告げる。
「魔力の譲渡は超高難度技術なはずだが……。魔力紋を合わせるのは並大抵のことではないぞ。まして我々とあなたは今日が初対面だ。到底成功するとは思えんが……」
「大丈夫です、魔力の扱いに関しては自信がありますから」
そう言うと、フィーリアは長い睫毛の乗った瞼を閉じる。
すると、それぞれの兵士が纏っている気が兵士たちの体からフィーリアへと流れ込んでいくのがわかった。
それを見た兵士の一人が驚きの声をあげる。
「複数人と魔力紋を同時に同期するだと!? え、エルフというのはここまで凄いものなのか……」
「エルフだからじゃなくて、フィーリアだからだ」
門外漢の俺には何が凄いのか全く分からんが、ここだけは言っておかないとな。
「どうしたんですか突然。ツンデレですか?」
「努力は正当に認められるべきだと思っただけだ」
というかツンデレって何だ。
「そうだな、申し訳ない。一重にあなたの鍛錬に寄るものであろうに、それを軽んじるような発言をしてしまった」
「いえいえ、エルフが魔力の扱いに長けているのは事実ですからね……っと、ありがとうございました。魔力、いただきました」
そう言うと、フィーリアは俺に近づき、軽く触れながら回復魔法をかける。
一際眩い白光が俺の体を包んだ。
さきほどまでの倍速近い速度で腹の穴が塞がっていく。その光景に、兵士たちは驚きの声をあげた。
「すごいな……。こんなに練度が高い回復魔法は見たことがない」
「それを言ったら、あんな傷で生きている人間も見たことがないぞ。意識を保っていられるのが不思議なくらい深刻な損傷だ。というかこの傷なら普通即死だよ。魔人は首を切られてもしばらく生きていられると聞いたことがあるが、それに匹敵する生命力だ」
「褒めんなよ、照れるぜ」
「なんで腹に穴が開いているのにそんなに余裕なんだ……」
何でと言われても、余裕なものは余裕だからな。
それに今着々と穴が塞がれていっている最中でもあるし。
「お蔭でだいぶ楽になって来たぞ」
「皆さん、ありがとうございました。あとは私一人で大丈夫です」
フィーリアの声で、兵士たちは俺の傍から離れる。
俺の無事がわかったことを契機にしたのか、ボンチャッカが「ゴホン」と一つ咳ばらいをした。
奥深い響きのそれは、部屋にいる人間の視線を自然と集める。
「ところでここにいる全員に話があるのだ。このマリエッタ国は人と物の出入りを厳しく取り締まることで、風紀を保ってきた。ゆえに、侵入者は誰であっても許すことは出来ん」
その口から告げられた思いもよらぬ内容に、フィーリアの肩がビクンと跳ねた。




