93話 怒り
「……もう許さないわ。……エルフ、あなた自害しなさい」
ロゼッタは底冷えする声でそう命令を口にした。
「なっ!?」
おい、コイツは何を言ってやがる! 冗談じゃねえぞ!
「クフフ、他人の命さえ私の思い通りなのよ! 私を怒らせたこと、後悔しなさい」
フィーリアがロゼッタの命に従い風神を解いて、手に風魔法を纏わせ自らの首に当てる。
「ちぃっ!」
俺は慌ててフィーリアを止めに動く。
フィーリアの手が首を切り裂く寸前で、なんとかその腕を掴むことが出来た。
危ないところだった――――!?
「ぐふっ……!」
突如腹に痛烈な痛みが生じる。
見ると、俺の腹には大きな穴が開いていた。フィーリアがゼロ距離で風魔法を使ったのだ。
「フィーリアっ……」
フィーリアは依然何も言葉を発しない。
いつも輝いていた銀の両目は暗く淀んでいる。
淀んだその目に反射した俺は、ひどく情けない顔をしていた。
「……うふ、うふふふふ! あなた、馬鹿なのかしらぁ? せっかくの良質な手駒をこんなところでわざわざ失うわけないでしょう。本当にお馬鹿さんねぇ」
ロゼッタの高笑いが響く。
……こういう戦い方があることは分かっていた。
勝つために何だってするのは当然なはずだ。そのはずだ。
そのはずなのに、俺の心には感情の制御が効かないほどの怒りがふつふつと煮えたぎっている。
俺がさっさと勝負をつけていればこんなことにはならなかった。
ロゼッタに仲間がいるかどうかなんかに意識を向けず、速攻でケリをつけるべきだった。
今この状況になっても出てこないということは、仲間などいなかったのだろう。
最初から全力でぶちのめすべきだった。
「うんうん、いい顔ねぇ。じゃあ、死になさい? お馬鹿さんには私が直々にとどめを刺してあげるから」
そう言いながら、ロゼッタは俺に手の平を向けてくる。
「……駄目だ、お前は許せそうにない」
「ハッ、そんなにボロボロの姿で何を言ってるのかしら。さっさとあの世へ行きなさぁい!」
ロゼッタが手の平から炎を圧縮し、俺に放つ。
だが今の俺にはそんなことはどうでもいい。
一刻も早く、コイツを殺す。
俺はその一点だけを考えて行動に移った。
スーパーユーリさんモード――――発動。
世界が止まって見える。
フィーリアも、ロゼッタも、全ての動きが緩やかなものに変わる。
「……」
俺は腹の底から湧きあがってくるグツグツとした言いようのない不快感を、その全てを拳に乗せる。
「来ないで頂戴!」
ロゼッタは火魔法を撃ってくるが、無視。こんなもの、避ける価値もない。
俺はそれを正面から受けながら一瞬でロゼッタの目前に移動した。
そして万全の状態で一撃を撃ちこむために、時間をかけて構えをとる。
ロゼッタの魔法が至近距離から命中するが、もはやそんなことは関係なかった。
今の俺が考えるべき唯一のことは、この一撃を目の前にいる女の顔面に思いっきり撃ちこむことだけだ。
「なんなのよ、あなた! なんで死なないのよ! エルフ、コイツを殺しなさい!」
業を煮やしたロゼッタが、フィーリアにそう命令を出す。
フィーリアはフィーリアだ。エルフなんて呼び方で呼ぶんじゃねえよ。
「消えろ」
溜めに溜めたおかげで、今や俺の拳は甲高い音を発している。
フィーリアがロゼッタの命令に従う前に、俺は全力でロゼッタの顔面を殴りつけた。
全身全霊の拳だ、死んどけ。
ロゼッタは今度は声も出さずに飛んでいった。首から下を残したままで。
一拍遅れ、その場に残された身体から噴水のように赤い血が噴き出す。そしてその場に倒れこんだ。
ゴチャゴチャ考えず、最初からこうしてりゃよかったんだ。
罪徒を相手にしてるにもかかわらず力を温存させようとした俺が傲慢だった。
ロゼッタの体は俺の目の前で何度か細かく跳ね、やがて動きを止めた。
ロゼッタの生命反応が無いことを確かめた俺はその場に仰向けになる。
フィーリアの風魔法によって空いた腹の穴からは、血が勢いよく吹き出していた。
危なかったな、もう少し上にずれていたら致命傷だった。
だが、それでも重傷には変わりない。
スーパーユーリさんモードが切れた今、俺は倒れこんだまま動くことができなくなっていた。
「ユーリさん……勝ったんですよね?」
フィーリアがいつの間にか俺のそばに来ていた。
洗脳は解けており、なおかつこの様子だと、洗脳されていた間の記憶はないようだ。
回らなくなった頭で「おかげで気まずくならなくてすむな」なんて呑気なことを考える。
「ああ、お前のおかげだ」
フィーリアの助言がなければ間違いなく俺も洗脳されていた。
ロゼッタの能力頼りの戦い方から言って、俺が洗脳されなかった時点で勝負は決まったと言っても良いだろう。
今回の一番の功労者は俺ではない、フィーリアである。
「ユーリさんってば、またそんな大怪我しちゃって。治す方の身にもなってくださいよ……って、あれ?」
呆れたような顔をしながら俺の腹部の穴を見るフィーリアだが、回復魔法を使おうとしても魔法が発動しないことがわかると一転して表情が固まった。
俺はその原因に心当たりがあった。
「ああ、多分魔力切れだな。お前、洗脳されてからも魔法使ってたから」
「そんな……じゃあどうすれば! こんな傷、今すぐ治さないと手遅れに……!」
おいおい、何を泣きそうな顔してるんだ。
このくらいの怪我で俺が死ぬはずないだろう。
「大丈夫だフィーリア、ジッとしてればじきに治る」
「治るわけないじゃないですか! ふざけないでください!」
励まそうとしたら怒られてしまった。
瞳を潤ませながら怒るフィーリアに、思わず言葉がつまる。
と、その時。ついに国軍が部屋へと入って来た。
十人ほどの男たちだ。
「全員の記憶が抜け落ちているとは、奇妙なこともあったものだ。とにかく、今はボンチャッカ様のご無事を確かめねば――っ!? なんだ貴様らは!」
入って来た国軍の兵士たちは、部外者である俺たちを見て警戒する。
……あー、なんだか面倒なことになったような気がするぞ。
「国宮へと無断で入って、どういうつもりだ!」
「おい、そっちの女、エルフじゃないか? エルフなんてこの国にはいないはず……侵入者じゃないのか!?」
「なんだと!? 全員、戦闘態勢をとれ!」
兵士たちの間にものものしい雰囲気が流れ、戦闘態勢をとってくる。
どうやら俺とフィーリアへの警戒をより一層強くしたようだ。
「違います! 私たちはこの国を操っていた罪徒を倒すためにこの国に来たんです! あなたたちは洗脳されていて、ユーリさんが罪徒を殺したおかげで洗脳が解けたんです!」
フィーリアが声をあげる。
俺は言葉を発さない。どうも俺が喋ると物事がややこしくなってしまうみたいだからな。
こういうときはフィーリアに任せるが吉だ。
「……皆、どう思う?」
フィーリアの言い分を聞いた兵士たちは、鋭い視線を俺たちから逸らさないままで話し合う。
「信用できんな。エルフは魔法に精通していると聞く。この女の死体もエルフが見せている幻覚魔法かもしれん」
「侵入者が嘘を吐いているだけかもしれないしな」
まあ、それはそうなるだろうな。
一目見ただけの俺たちを信頼するわけがない。
「わ、わかりました、もうこの際侵入者でもいいです。そんなことよりユーリさんを治してあげてください! 重傷なんです!」
フィーリアが必死に声を荒げる。
しかし、兵士たちには届かない。
「その前に、拘束が先だ」
「馬鹿言わないでください、この怪我ですよ!? そんなことしたら死んでしまいます!」
「俺は死なないぞ。鍛えてるからな」
「ユーリさんは黙っててくださいっ!」
フィーリアに怒られてしまった。
そして喋るのも辛くなってきたな。正直少し休みたい。
まあ、今の状況ではそんなことも言っていられないのだが。
俺たちと国軍の間に一触即発の空気が漂い始める。
それを敏感に感じ取った俺は、気合いを入れてゆっくりと立ち上がった。
腹から流れる血は気合いで止めてはいるが、やはりじくじくと痛む。
だが、黙って捕まるなんてのは論外だ。
「ユーリさん、無理しないでください」
「大丈夫だ。……お前ら、俺を捕まえるってんなら捕まえてみろよ」
「なんで煽るんですか! 馬鹿ですか!」
「そんな風に言われた以上、国軍の威信にかけて逃がすわけにはいかないな……」
国軍の兵士たちが俺とフィーリアを取り囲む。
四方八方を囲まれたフィーリアは頭を抱えた。
「ああ、なんでこうなってしまうんでしょう……」
「どんまいどんまい」
「軽すぎますよ……」
まあ実際まずいところではあるな。
俺は重傷、フィーリアは魔力なし。
これではさすがにこの人数相手には勝てないだろう。
さて、どうしたものか……。
「やめんか、みっともない」
突如投げかけられたのは、男の声。
熟年の男が、良く通る低い声で兵士たちに制止を命じた。
「ボンチャッカ様!」
その声の主は、ロゼッタの靴を舐めていた男――ボンチャッカだった。




