9話 ペットがいなくなってしまいました
筋肉の朝は早い。
平均一時間という睡眠時間の俺は、起きて早々筋トレを始めていた。
森を出てから纏まったトレーニング時間が取れなくなった分、早朝のトレーニング時間は貴重である。
「おはようございます、ゆーりさん。ふわぁー」
数時間後、フィーリアが瞼を擦りながらベッドから体を起こす。
フィーリアは朝が弱いらしく、起きたばかりの時に限っては話し方が少し子供っぽくなる。
「おう、おはよう」
「何やってるんですかー?」
フィーリアは怪訝そうな顔で俺を見た。
「これか? 片足でつま先立ちしつつ、空気イスをしてるんだ」
俺は自慢するように宙に浮かした足をブラブラさせてフィーリアに答える。
「本当に何やってるんですか……」
怪訝そうな顔が呆れ顔へと変化した。
そんなに変なことはしていないと思うのだが、エルフにとっては奇妙に映るらしい。
「筋肉を鍛えられてお勧めだぞ。一緒にやるか?」
「おすすめ……。相変わらずの筋肉狂いですね。私は遠慮しときます」
「そうか、残念だ」
フィーリアが起きてきたということは、俺の冒険者活動が始まる時間だということだ。
俺とフィーリアは朝食をとり、宿を出てギルドへと向かうことにした。
ギルドにやってきた俺はいつものように薬草採取を受けようと、依頼が貼り付けてある掲示板から薬草採取の紙をとろうとする。
しかし、今日はフィーリアの鈴の音のような声が俺に待ったをかけた。
「ユーリさん、たまには薬草採取以外の依頼も受けてみましょうよ」
「普段俺の我儘を聞いてもらっているわけだし別にいいが、なんでだ?」
「冒険者は世間の役に立ってナンボですから!」
フィーリアはにこやかに笑ってグッと親指を立てる。
可愛いことは確かなのだが、あのフィーリアがそんなことを本心から言っているとは思えない。
「本音は?」
「最近魔物と戦ってばかりで飽きました」
「ふむ……」
俺は顎に手を置き考える。
俺としては毎日でも魔物と戯れていたいが、パートナーの意見を蔑ろにするのはよくない。
互いに信頼し合わなければ良いパートナーにはなれないからな。
「そういうことです」
パチンと指を鳴らしウィンクを決めるフィーリア。
「頭の中を覗くなよ」
フィーリアは桃色の舌を出し、「てへ」と頭を軽く叩く。
あざとい。あざとすぎる。
だが、たしかにたまにはフィーリアの好きなことに付き合ってやらねばいけないだろう。
「わかった。今日は薬草採取以外の依頼を受けよう」
「さっすがユーリさん! 話がわかる人は好きですよ」
「で、どれにするんだ?」
「一緒に決めましょう。……これって初めての共同作業ですよね。そう考えるとドキドキしません?」
そう言って上目遣いをしてくるフィーリア。
自分の可愛さを自覚しているやつほどたちの悪いやつはいない。
俺はからかわれないよう自分の筋肉に目を移した。
「意味が分からない。筋肉を見てる時の方がドキドキするぞ」
「私って筋肉に負けるんですか……!?」
バッサリと切り捨てられたフィーリアはへこんでいたが、俺の知ったことではない。
俺たちは迷いに迷い、結局「ペットがいなくなってしまいました」を選び、受けることにした。
……というか「ペットがいなくなってしまいました」って依頼になってなくないか?
普通探してくださいとか書くもんじゃないのだろうか、こういうのって。
依頼主の家の場所を聞いた俺たちはギルドを出て家に向かう。
「ここか?」
「ここですね」
何の変哲もない家だ。俺は扉をノックし、返事を待つ。
少ししてドタドタと扉に向かってくる足音が聞こえた。
「誰ですか?」
「俺はユーリ。こっちはフィーリア。依頼を受けてきたんだ」
俺をみて身構える少女にギルドの依頼受領書を見せる。
少女はそれを見て安心したようで俺達を家の中に入れてくれた。
「わあ! きれいなおねえちゃんだぁー!」
「ありがとぉー。お嬢ちゃんもカワイイねー!」
「えへへ、そうかなあ」
二人は何か盛り上がっているが俺は入り込めない。
そして少女は俺と一度も視線を合わせようとしない。どうやら怖がられてしまったようだ。
今の俺は筋肉を制限している関係上、一般人とほとんど変わらない体型なはずなのだが……そうか、あふれ出る筋肉のアトモスフィアを感じ取ったんだな?
この少女、幼げな見た目に反してなかなか出来るやつである。
「わざわざ依頼を受けてくださってありがとうございます」
少女のお母さんがでてきた。手持無沙汰な俺は彼女にペットの特徴を尋ねる。
彼女によると、ペットというのはギイヌと呼ばれる犬に似た魔物らしい。
魔物ではあるのだが、大人しい上に知能がそこそこあることもあり、ペットとして飼っている人も多いらしい。
たしかにここアスタートの街中でも、たまに人が魔物を連れているのを見かけるな。
あれはそういうことだったのか、と俺は一人納得する。
探しているギイヌは黒一色で大きさは四十センチほど、散歩中に急に大雨になり雷の音に驚いてどこかへ走って行ってしまったということだ。
「ねぇ……クロスケもうみつからないのかなぁ……クロスケぇ」
「大丈夫だよ。お姉さんとお兄さんが必ず見つけてあげるからね」
少女――シャロンというようだ――が悲しそうに聞いてくる。
魔物とはいえペットである、シャロンにとっては立派な家族なんだろう。
その割にはなかなか安易な名前だが。
俺には家族とかよくわからないが、見つけてあげたいという気持ちはある。
ずっと一緒にいた存在が突然消えるのが辛い、ということくらいは俺にも理解できた。
「奥さん、クロスケの匂いが残っているものはあるか? お気に入りの玩具とか。できれば汚しても問題ないものがいい」
「それなら……この骨のぬいぐるみがお気に入りで、いつも遊んでいました。最近は飽きてしまったようなので、別にどう扱ってもらっても構いません」
俺は母親からぬいぐるみを受け取り、それに鼻を押し付けた。
「……ユーリさん何やってるんですか」
フィーリアがドン引きした声で聞いてくるが無視し、においの解析を進める。
香水の匂い……これは奥さんだな。……獣の匂い、これか。
「クロスケのにおいをみつけた。これから街で探す。いくぞフィーリア」
「え、私もですか? 私必要なくないですか?」
「ついてこないなら依頼達成料やらないからな」
俺だけ働いて報酬二等分なんて許さないぞ。
「嫌ですね、私がユーリさんから離れるわけないじゃないですかもうー。……シャロンちゃん、ちょっと待っててね。すぐ戻ってくるからね?」
「うん!」
フィーリアはすぐさま態度を入れ替え、シャロンに手を振る。
なんて変わり身の速さだ……。
「何ですか?」
「いや、別に」
不思議そうな顔で俺を見てくるフィーリアにそう返し、俺達はクロスケを探して街に繰り出した。