81話 突然の来訪者
ある日。
いつものように依頼を受けに宿を出ようとした俺たちを、ゴーシュが訪ねてきた。
「やあ、今大丈夫かな?」
ゴーシュは優男特有の柔らかな微笑で俺に尋ねる。
茶色の髪と虹彩も相まって、ゴーシュはいつも落ち着いた印象だ。
「ああ、大丈夫だぜ。どうしたんだ?」
部屋の中へと案内した俺は、椅子に座るよう勧めながらゴーシュに尋ねる。
「というか、ゴーシュさんにはジープップにいることも伝えてなかったはずですけど……」
そう言いながら、フィーリアはゴーシュに飲み物を差し出した。
ゴーシュは「ありがとう」と言い、湯気が立ち上るコップに何度か息を吹きかけてから口を付ける。
そして「美味しいね」と言ってゆっくりコップを机に置いた。
前々から思ってはいたが、ゴーシュは一つ一つの動作が洗練されてるな。
戦闘における動作とは全く種類が異なるが、洗練された動きには美が宿るのは同じことだ。
きっとこういう人間は異性に大層モテるのだろう。同性にモテるかは知らん。
「王都でアシュリーさんに聞いたんだよ。フィーリアさんのことを随分と楽しそうに話していたからね。もしかしたら君たちの居場所を知ってるんじゃないかと思って聞いてみたんだ」
「そうだったんですかっ」
心なしかフィーリアの顔が綻んでいる。
……ああ、アシュリーが自分のことを話していたのが嬉しいのか。突然上機嫌になったから何かと思った。
「ここに来たのは、少し用があってね。ああ、用と言っても世間話程度さ」
そう言ってゴーシュは俺の顔を見た。
「ユーリ君は強い相手を探しているんだろう? しかも訓練とかじゃなく、出来れば命がけの戦いを望んでる。この前の魔道具のお礼を兼ねて、その心当たりを教えてあげようと思ってね」
「本当か! ありがてえ!」
俺は思わず立ち上がり、身を乗り出す。
「そ、そんなに喜ばれるとは思わなかったよ」
「ゴーシュさん、ユーリさんを甘く見ては駄目です。嘘偽りなく、戦闘のことしか考えてませんから」
「強いやつってのは誰だ? どこにいるんだ!? ……ハッ、まさか!」
俺は玄関を振り返る。
玄関は物音一つせず、誰かがいる気配もない。
「いや、ここには来てないよ……?」
ゴーシュが戸惑った口調で言う。
どうやら俺の早とちりだったようだ。てっきりここに来てるのかと思ったぜ。
「悪い、慌てちまった。で、ソイツは誰で、どこにいるんだ?」
「彼女の名前はロゼッタ・スー。『女王』と呼ばれる罪徒の一人さ。居場所はここからはるか北、マリエッタ国だよ」
興奮する俺に、ゴーシュは落ち着いた声で情報を開示した。
罪徒……か。
これは最高な予感がプンプンするぜぇ……!
ゴーシュが俺とフィーリアに詳しい情報を話してくれる。
それによると、なんでもロゼッタというやつは非常に独占欲が強い女で、以前にも国を一つ潰そうとした前科があるらしい。
そして厄介なことに、マリエッタ国というのは閉鎖的な国だということだ。
ほとんど人の出入りもなく、情報の流出入も少ない国らしい。
そのマリエッタ国が今、『女王』ロゼッタ・スーに支配されている可能性が極めて高いという。
今俺たちが聞かされている情報もだいぶ前から入ってはいたのだが、マリエッタ国の秘匿性の高さゆえ、確証が得られたのはごく最近の話だとゴーシュは語った。
「本当は僕も力になりたいんだけど……現状では国外には中々手を出しづらいんだ。僕たちが国内の治安を守るので精一杯だということもあるし、他国の騎士に入られるのはマリエッタ国側のメンツも立たないからね」
「騎士団の方々も色々大変なんですね」
フィーリアの言葉に俺も同感だ。
色々としがらみがあるのかもしれないな。
心労も多そうで、やはり俺には騎士は向いていないと改めて思う。
「それと、もちろんこれは命令でもなんでもないから、行く行かないは君たちの自由だよ。ただ二人には色々と借りがあるから、このくらいの情報は渡しておこうと思ってね」
「ありがとな、ゴーシュ」
「ありがとうございます、ゴーシュさん」
「いやいや」とゴーシュは首を横に振る。
「ロゼッタの特徴は色香を煮詰めたような声と、薔薇色の髪だ。見ればすぐにわかると思うよ。……こんなことはわかっているとは思うけど、仲間がいる可能性もあるから単独だと決めつけてかかるのは危険だからね。特に罪徒なんて危険すぎるほど危険なんだ」
「おう、わかってる」
「ごめんごめん、僕の心配性な部分がでちゃったみたいだ。……あ、そうだ。これを渡しておくよ」
粗方の話を聞き終えたところで、ゴーシュが俺に白紙の紙を数枚渡してきた。
「これは何だ?」
軽く触れてみる。
一見ただの薄い紙にも見えるが、普通の紙とは何か違うな。
……紙が魔力を纏ってるのか?
興味深く観察する俺に、ゴーシュは言う。
「連絡用の魔道具さ。用件を書くと鳥に変形して、魔力の持ち主の元まで飛ぶんだ。君たちは『リンリン』を持っていないみたいだから、何か用がある時はこれを飛ばしてくれれば読ませてもらうよ。でも届くかどうかは確かじゃないから、送る時は同じ内容で全部送ってほしい」
「なるほどな」
そんなもんまであるのか。知らなかったぜ。
そういやリンリンってやつ、前にアシュリーが持ってたな。
たしか……遠く離れた相手にも文面を送れる魔道具だったか。
「リンリンってのは便利そうなのに、周りでほとんど見かけないのはなんでなんだ?」
「開発されて間もないし、何より高価だからね。もう少し数が増えれば値段も安定してくるとは思うけど、今の段階で手を出せるのは相当生活に余裕がある人だけなんじゃないかな。王都ではそこそこ持っている人もいるけど、地方ではまだあまり見ないね。でも便利だからそのうち普通になると思うよ」
なるほどなぁ。わかりやすい説明だ。
俺が納得していると、ゴーシュは椅子から体を持ち上げた。
「じゃあ、僕はこれから仕事だから」
「なんだ、もういくのか? 相変わらず大変そうだな」
俺の言葉にゴーシュは柔和な笑みを浮かべる。
「いや、今日は楽な方だよ。凶悪な事件も起きていないから、各地を回って騎士たちの能力向上のための訓練を指揮すればいいだけ――」
とその時、ゴーシュが着ている隊服の右ポケットから「リンリンリンリンッ!」とけたたましい音が聞こえてくる。
ゴーシュは掌に収まる大きさの魔道具を取り出し、目線を下げてそれを見た。
そしてその瞬間、思わず息を呑んでしまうほど急転直下で目が死んでいった。
「……事件が起きたみたいだから、僕はこれで」
「おう。……その、なんだ……頑張れよ」
「お、応援してます」
ゴーシュのやつ、眼から完全に光が消え去りやがった……。
一瞬で死人のような表情になったゴーシュ。
だが、すぅ、と深呼吸を一度すると、その目には鮮やかな光が戻った。
上手く気持ちを切り替えたようだ。
「突然訪れた僕を温かく迎え入れてくれて、二人ともありがとう。僕も騎士として、自分の務めを果たしてくるよ。じゃあ、またどこかで」
ゴーシュは白い隊服をはためかせ、最後に俺たちに軽く手を挙げて宿を出て行った。
「なんというか、尊敬できるやつだな」
「そうですね。『滅私』と言う言葉があれほど似合う人もいないと思います」
たしかにアイツは自分よりも他人を優先してるよな。
俺には到底真似できん。
「ところでユーリさん。ゴーシュさんがくれた情報について、どうするか聞いてもいいですか?」
そう尋ねてくるフィーリア。
「そうだな、いつ行くか決めないとな」
「……やっぱり行くのは決定事項なんですね」
「敵、強い。俺、戦う」
「言語を理解したゴリラみたいな話し方しないでください」
そんな話し方をしたつもりはない。ただちょっと興奮で呂律が回らないだけだ。
「それにしても、罪徒ですか……」
フィーリアの顔が曇る。
「楽しみだよな」
「ユーリさんの笑顔を見ると、嫌な予感しかしないんですが……。前のミジリーモジリーみたいに強くないといいんですけど……」
「なんでだ? 強い方が楽しいぞ?」
「……ただただ不安です」
フィーリアがハァ、とため息をつく。
嘆く姿も絵になるが、心労を貯めすぎるのは良くないな。
「フィーリア、心配ばっかりしてると老けるぞ」
「……私はユーリさんに怒ってもいいと思うんですよねぇ」
親切心で言ったのに、なぜかこめかみをピクピクとさせるフィーリア。
「せっかく可愛いんだから笑った方がいいぜ。ほら、笑顔笑顔」
俺は指で口角を上げてフィーリアの顔を見る。
フィーリアは少し不機嫌なまま、上目遣いで口を開いた。
「……じゃあ、面白いことしてくださいよ」
「面白いこと……」
面白いこと、面白いこと……。あ、あれがあった。
「フンッ!」
俺は胸に力を入れた。
上着がはじけ飛び、ひらひらと舞う。
ロリロリにも受けた鉄板の芸だ。
喜んでもらえるという確信を持ちながら、俺はフィーリアと視線を合わせる。
「……ハァ」
フィーリアは恐ろしく冷たい氷のような目をしていた。怖い。
一瞬気圧されてしまった俺は、おとなしく散らばった布を拾い集めるのだった。




