66話 大人になると虫が駄目になる人は多い
フィーリアの風邪が治ったので、俺たちは二人でギルドの依頼を受けていた。
病み上がりということもあり、Cランクの軽い依頼である。
依頼内容は、ペットにする魔物の確保。
そのために俺とフィーリアは森の中で息をひそめて魔物を待っているのだった。
「おいフィーリア、動くな。草になりきるんだ」
俺は傍らのフィーリアにそう指示を出す。
目的の魔物はまだ姿を見せないが、水辺を好むということだ。
だから水辺近くの茂みに隠れていればそのうちやってくるはず。
「ゆ、ユーリさん。くすぐったいんですけど……」
フィーリアが不満を漏らす。
どうやらフィーリアの敏感な白肌には草が擦れるのが我慢しがたいらしい。
「我慢だ。勘づかれたら近寄ってこないぞ」
「うぅ……。かゆいです……」
フィーリアは身悶えしながらなんとか我慢している。
フィーリアが我慢できているうちに、俺は目標の魔物を探すことにした。
しかしそう都合よく見つかるわけもなく、茂みに隠れたままでただただ時間が過ぎていく。
「うあぁ……!」
と、突如フィーリアが声をあげる。
見ると、フィーリアの体に小型の虫の魔物が何匹かくっついていた。
「あ、あがってきてるぅ!? ゆ、ユーリさん、虫が私の体をまさぐりながら上がってきてます……!」
「いかがわしい言い方をするな。頑張れフィーリア」
「もうやだぁ……」
フィーリアはふるふると力なく首を振る。
「おっ」
その瞬間、目的の魔物が水辺へと赴いてきた。
そのトカゲのような魔物の名はニゲトカン。
特に強いわけでもないが、身の危険を感じると自分の意思とは無関係に風魔法を使って高速で空に逃げるという習性のせいで、えらく捕まえにくい魔物だということだ。
しかし、俺にかかれば捕まえることなどわけもない。
「うおおおぉ!」
俺は大声を上げながらニゲトカンに接近する。
ニゲトカンは風魔法で空へと逃げるが、俺は空中を歩いてそれを追いかけ、無事に捕獲することに成功した。
森からの帰り道、フィーリアは意気消沈といった様子でトボトボと俺の後をついてくる。
「汚されました……」
「服がな」
フィーリアの体に纏わりついていた魔物はマーキングのために体液をまき散らす習性があったらしく、フィーリアの服は部分部分が緑のまだら模様になってしまっていた。
「ショックです……」
「そんな落ち込まなくても、元通りに直せるだろ?」
破れたりしたならともかく、体液やらで汚れただけなら生活魔法で充分綺麗にできるはずだ。
それを聞いたフィーリアは俯いていた顔を上げる。
「あ、そうでした。綺麗にします。……なりました!」
「そうか、良かったな」
服と一緒にフィーリアの機嫌も直ったみたいだし、何よりである。
「でももう二度とこんな依頼は受けません。あんな思いをするのは一度で充分です。服も汚れましたし」
フィーリアは硬い表情で言い放つ。
どうやら虫に纏わりつかれたのが相当に嫌な体験だったらしい。
でも俺は中々楽しかったけどな。普段はあまり隠密行動をしないから、なんか新鮮だったし。
偶にくらいならこんな依頼もいいと思うのだが。
俺はそんな思いで口を開く。
「そうか? 俺は楽しかっ――」
「服も汚れましたしっ!」
「そ、そうだな。わかった、もう受けない」
フィーリアの気迫に押された俺は、以後この依頼を受けることを諦めた。
「お疲れ様でした。依頼完了です」
「どうも」
ギルドへ依頼を終えたことを報告した俺達は宿へと帰ろうとする。
とその時、新たな冒険者がギルドにやってきた。
ルビーのように赤いなめらかなツインテールの髪に、勝気な印象のツリ目、そしてハーフパンツ。
そんな冒険者は俺の知る限り一人しかいない。アシュリーである。
アシュリーはフィーリアを見るとパァと顔を輝かせ大声を上げる。
「フィーリア姉! 来てたんだね!」
「アシュリーちゃん。今帰るところです」
トテトテとフィーリアに走り寄るアシュリー。
「来てたなら言ってよー。知ってればあたし飛んできたのに」
「ごめんなさい」
フィーリアはアシュリーの頭をなでる。
アシュリーは目をつぶって気持ちよさそうにそれを受け入れた。
「フィーリア姉があたしと組んでくれれば最強なのになー」
「あはは」
「最強は俺だ」
「二人なら筋肉ユーリになんて絶対負けないし!」
何? また戦ってくれるのか? しかも今度は二人一緒だと……?
「早速日時と場所を決めよう! 俺の希望は今、ここでだ!」
「ユーリさん、ウズウズしないでください。戦いませんから」
なんだ、戦わないのか。ガッカリだ。
「じゃあ、私たちはもう帰りますね」
「えー、残念。また会えるよね?」
「もちろんです、また」
俺たちはアシュリーと別れてギルドを出る。
「アシュリーちゃん、可愛いですよね」
「そうか?」
悪いやつではないと思うが、可愛いというよりむしろ生意気だと思うのだが。
「可愛いじゃないですか。最初は友達になりたかったんですけど、なんだか本当に妹みたいに思えてきました」
「そうなのか」
まあ、慕われているフィーリアがそう思っているなら別に良い。
別に俺に害はないしな。
宿に帰った俺は二階の窓から街を眺める。
ムッセンモルゲスに比べて人々はせわしなく動いている。ジープップはこの辺りにおける経済の中心地らしい。
「明日はどうしましょうか?」
柔らかそうなベッドに腰掛けながらフィーリアが俺に尋ねてきた。
「明日からしばらくの間、依頼は受けずに修行をしたい。フィーリアはどうだ?」
「そうですねー……。風神の使い勝手ももう大分掴めたので、私は街をブラブラしようと思います」
最初は探り探りだったフィーリアも、近頃は風神の扱いを覚えてきた。
やはりアシュリーとの特訓の成果は大きかったようだ。
フィーリアについて言えば、『風神』も申し分ない能力だが、俺がそれ以上に強力だと思ったのは『透心』の方だ。
相手の目を視るだけで相手の持っている能力や魔法の適性、それに加えて思っていることが分かるらしい。
強すぎて笑えるな。こんな能力をただでさえ強い双能持ちが持っていていいのか。
フィーリアに負けないためにも、俺はもっと鍛えなければならない。
「じゃあ明日は別行動だな」
「そうですね」
会話を終え、俺は筋トレを開始する。
フィーリアはベッドから机に移動して何かを書き始めた。
エルフの里を出てから、フィーリアは自分が扱う魔法の理論をもう一度構築し直しているらしい。
筋肉魔法には理論など必要ないので俺には良くわからないが、近ごろ地味に魔法の威力が上がっているところを見ると成果は表れているようだ。
俺も負けてはいられない。
まだ日も出ていないうち、俺はフィーリアが起きてくるのを待たずに宿を出る。
最近思いついた新しい技を実用段階に持っていきたいのだ。
「そのために必要なのは、心肺機能だ。とことん鍛えるぞ」
街を抜け、外に出る。
街周辺は整備されているので魔物の心配はない。
俺はさらに足を進めた。段々と地面は凹凸を増し、人通りは少なくなってくる。
「この辺りからでいいか」
俺は辺りに人が居ないことを確認し、全力疾走を始めた。最低目標は一日千キロだ。
「うおおおぉ!」
実に三日間、俺は砂煙を巻き起こしながら目にもとまらぬ速度でひたすらに走り続けた。




