54話 なぞなぞ解けるかな?
ここは絶壁の崖。
傾斜は九十度を優に超え、滑りやすいその土の手触りもあいまって風魔法使いでない限り登れない鉄壁と化している。
しかし今日は様子が違った。人が崖を登っているのだ。
崖を登っていくのは人間の男。
その筋肉はもはや人間という生物の範疇を軽く超えており、胴体に丸太が四本生えていると描写してもまだ足りないほどだ。
その男が登った後の崖にはくっきりと五本の穴が開いており、異常な指の力でむりやり崖を登っていることがわかる。
しかも驚くことに、その背にはエルフの女を乗せていた。
美しい銀髪の髪と誰もが見惚れる美貌、それに加えて細く締まった腰とスラリと長く伸びた白い四肢を併せ持ったこのエルフに艶やかさを感じない男はいないだろう。
容姿からして不釣り合いな二人、しかし人気のないこの崖でそれを指摘するものは一人としていなかった。
「またあったぞ」
「あ、本当ですね」
背に乗ったフィーリアが慎重に手を伸ばし、崖の中途の生えた花を摘み取る。
白い花弁に赤いまだら模様の入った小さい花だ。
フィーリアはそれを慎重に腰の次元袋に入れた。
「これで十本目ですね」
「一応あと二、三本くらい摘んでからおりるぞ」
ものの五分ほどで新たに三本摘み取った俺達は崖を下り始める。
「それにしても、何が楽しくてこんな辺鄙な場所に花を咲かすんでしょうね」
「そうだな。こんなに綺麗な見た目をしてるのに」
「あれ? いつの間に私の話になったんですか?」
「全くなってない。花の話だ」
そうこうしているうちに壁を下りきる。
背に乗せたフィーリアを下ろし、手をパンパンと払う。
「フィーリア、一応花弁が無事かもう一度確認してみてくれ」
エルフの里を出てから十数日、俺は結局フィーリアをフィーリアと呼んでいた。
俺にとって自然な呼び方がリアではなくフィーリアだったのだ。
決して、決してリアと呼ぶのが恥ずかしいからではない。
「一本枯れちゃってましたけど他は大丈夫です」
そういってフィーリアは枯れた花を俺に見せる。
瑞々しく咲いていた花は黒くしなびていた。
「強い衝撃が加わるとすぐ枯れるなんて軟弱な植物だ」
フィーリアが風魔法で浮いて近づいただけでも風で枯れてしまうほどだからな。
俺がフィーリアを背負うしか選択肢がなかった。
「ユーリさん、摘もうとして全部枯らしてましたもんね」
フィーリアが口に手を当ててプークスクスと笑う。
あれは力の入れ方が悪かったのではない。俺の圧に花が恐怖したんだ。
まあ、崖を片手で登るのはいい鍛錬になったから良しとしよう。
「なんにせよ、これで依頼完了だな。ジープップに帰るぞ。」
あの後ムッセンモルゲスに帰った俺達は、罪徒の亡骸と、ついでに使いどころのない能力を吸い取る機能を持った魔道具をゴーシュに渡した。
魔道具という望外のものを貰ったゴーシュは目を丸くして喜び、俺たちは重ね重ね感謝された。
強力な魔道具は悪用されることも多いため、騎士団は罪徒の手に渡らない様回収に勤しんでいるらしい。
そしてムッセンモルゲスでの用事も終えたところで、俺たちはムッセンモルゲスを出た。
Aランクになったことで行ける範囲も増えたし、もっといろいろな街を回って自分を鍛えることにしたのだ。
ゴーシュやババンドンガスには別れの挨拶をしたが、彼らも国を飛び回っているみたいなのでいつかまた会うこともあるだろう。
俺たちは新たな街、ジープップのギルドへと花を持ち帰った。
ギルドで依頼達成を報告した俺たちは宿へとたどり着く。
宿なんて基本的にどこでも大して変わりはしないが、やはりまだなんとなく慣れない。
俺は横に二つ並んだベッドをチラリとみる。
まだ慣れないことの大きな要因は、ベッドが二つになったことだ。
金には余裕があるから宿の料金をケチる必要もなくなったからなのだが、並んで寝るというのは一朝一夕で慣れられるものでもない。
もっとも、フィーリアは「これで私だけベッドを使っているという負い目を感じずにすみますね!」とご機嫌だったが。
フィーリアに「隣で寝るのとか恥ずかしくないのか?」と聞こうかとも思ったが、「恥ずかしいんですかぁ~?」とか言われそうだからやめた。
非常にうざったい顔でからかってくる頭の中のフィーリアを消し去り、俺は床に腰を下ろしてあぐらをかく。
「あ~、今日も疲れましたぁー」
フィーリアは流れるように脱衣所に行き、生活魔法で一瞬でパジャマに着替えて出てくる。
そしてそのままベッドにぼふん、と体を預けた。
「今日もお疲れ様でしたー」
ピンクのパジャマの間から白い素肌の腹部が覗く。
くびれのついたウエストの曲線美はそれだけで世界中の男を誘惑できるような代物であるのだが、当のフィーリアは気にした様子もない。
コイツは時々ガードが甘すぎるんだよなぁ……。
「お疲れだったな。なんか飲むか?」
ジェントルマッスルな俺はそれから目を逸らし、飲み物を入れてやることにした。
「珍しく気が利きますね。じゃあミルクティーでお願いします」
「珍しくは余計だぞ。俺はジェントルマッスルだからな」
そう言いながらキッチンに向かい、ミルクティーの茶葉を取り出す。
……そういやどのくらいの濃さが好きなのかわからんな。
「なあフィーリア」
「何ですかー?」
「濃いのと薄いの、どっちが好きだ?」
「恋より愛が好きです」
「何言ってんだお前」
話にならないので適当に入れた。
ついでに自分の分も飲み物もいれ、俺はリビングに戻る。
「ほらよ」
「ありがとうございまーす」
フィーリアはぺこりと軽く頭を下げ、俺からカップを受け取る。
俺は隣のベッドに腰掛けて自分の分の飲み物に口を付ける。
うん、不味い。
一息ついて視線をあげると、フィーリアは俺のコップをジッと見つめていた。
「……なんだ?」
「ユーリさんってちょくちょくその紫色の気味悪い液体飲んでますよね」
そう言ってフィーリアは俺のコップに顔を近づけてくる。
せっかくなので俺の方からもコップを近づけてやった。
顔の近くにコップを迎えたフィーリアはすんすんと匂いを嗅ぎ、「うげぇ」と顔を顰める。
「す、凄い臭いですね。よく見たらシューシュー変な泡出てますし……。これって何飲んでるんですか……?」
「ん、これか? これは毒だ」
「本当に何飲んでるんですか!」
フィーリアが急に語気を強める。
? 何だ? 何を怒ってるんだ?
「何って、だから毒だって。あ、安心しろフィーリア。さすがに致死量の三倍くらいしか飲んでないから」
「さすがにの意味が全く分かりませんし、何でそんなの飲んでるんですかって聞いてるんですよ! ……ハァ。ユーリさん、まさか毒を飲んで内臓を鍛えるとか言いださないですよね?」
ほぅ……。
俺はパジャマ姿のフィーリアに感心する。
「正解だ、一ポイントやろう」
「何のポイントですか?」
「マッスルポイントだ。一ポイントごとに筋肉が肥大化していく」
俺は右腕だけ筋肉を解放し、鍛え抜かれた筋肉を披露した。
見よ、この素晴らしい筋肉を。
俺は感嘆の息を吐く。筋肉というのはなぜかくも美しいのか。
このポイントが欲しくないやつなど――
「そんなのいりませんよ!」
――目の前にいた。
マジか、正気を疑うぞ。
「というかユーリさん、自殺するつもりですか?」
フィーリアはベッドから降り、俺のベッドとの間に立つ。
そして身をかがめ、俺と目線を合わせて問いかけてきた。
その表情は真剣で、銀の瞳に俺の顔が反射している。
だがそんなことを言われても、俺の答えは一つしかない。
「死にたくないから飲んでるんだぞ」
命を懸けた戦いに卑怯も何もないからな。
毒を使われることだってあるだろう。
実際にべゼガモスとの戦いでも毒を使われたしな。
そういう時に死なないために、日ごろから毒に慣れておくことが必要なのだ。
俺の返答に、フィーリアは納得できないかのごとくヒクヒクと頬を痙攣させる。
「……『死にたくないから毒を飲む』って言葉を聞いて、おかしいと思いません?」
「んん? 別に何も……あ、なぞなぞか? フッフッフッ……インテリマッスルの俺に挑むとは、その意気やよし!」
俺はなぞなぞは得意なんだ。なんたってインテリマッスルだからな!
「言葉は通じてるはずなのに意思の疎通がまるでできません……」
フィーリアが盛大なため息とともに大きく首を振ったが、その意図はよくわからなかった。




