52話 エルフィート・ミストラル、その生涯
私、エルフィート・ミストラルは六百五十年前にこの世に生を受けた。
生まれた当初は大層落胆されたものだ。
なにせ里長の家系にも関わらず、大した能力も持っていない。おまけに男である。
風神様が女性ということもあり、風神教の敬虔な信徒は男より女を上にみる傾向があるのだ。
もっとも、敬虔な信者などこの里ではもう私だけかもしれないが……。嘆かわしいことだ。
何にせよ、『水中呼吸』などという森で生きるのには凡そ全く必要のない能力を授かった私は幼い頃から心の奥に小さなわだかまりを抱えていた。
「風神様は私のことを嫌っておられるのではないか?」ということだ。
風神様が一介のエルフである私に感情を持っていると思うことさえ傲慢かもしれないが、能力も弱く、男に生まれた私はそう思わざるを得なかったのだ。
そして、フィーリアが生まれた。
フィーリアは風神様の愛を一心に受けている、一目見た瞬間にそれがわかった。
暫く経ち、フィーリアの能力が発現した。聞けば、『風神』と『透心』の双能持ちだという。
――私は初めて風神様に怒りを覚えた。
なぜ長として里の為に尽力している私ではなく、フィーリアに風神様の化身とも呼ばれる『風神』を与えるのか。
半ばやけになった私は里のものたちにフィーリアを無視するよう、命をだした。
醜い嫉妬心とズレた自愛心から生まれた、おぞましい命令だ。
フィーリアの両親が何とかならないかと懇願してきたが、命令を覆しはしなかった。
その日私は風神様の教えを踏み外し、一人の少女に消えない傷をつけた。
「エルフィート様!? すぐに治療します!」
耳触りの良い高い声で私は意識を取り戻す。
今のは……走馬灯というやつであろうか。腹部がジンジンと熱を持ち、私を痛みつける。
そういえば風神様の教えに従って子供たちを助けたのだったか。
風神様を信仰しているものは誰であろうと助ける、それが風神教の教えだ。
それは私の命などより遙かに重い、絶対遵守の掟。もっとも、私にはもうそんなことを語る資格もないのだが。
フィーリアと二、三言葉を交わすと、仮面の男が攻撃を仕掛けてきた。
その時私は奇跡に遭遇した。
――風の巨人を纏ったフィーリア、その姿はまごうことなき風神様そのものだった。
風を受けた白銀の髪は煌びやかにたなびき、その美しい容貌は見るものすべてを容易く魅了する。
風神様は仮面の男に天誅を下した。
その光景を見て、私は自分のしたことの重さに改めて気づいた。
――ああ、風神様。私のしたことはあなたを封印するという、最もしてはならない行為だったのですね。
「なんで……止まらないのっ!?」
能力を解き、いつもの姿になったフィーリアが私を治療している。
しかし無駄なことだ。この傷は確実に致命傷だし、そもそも私にはもう生きる意志はない。
あるのはただ、フィーリアと風神様への贖罪の気持ちだけだ。
私は決して赦されないことをした。
しかし風神教では死ぬ直前の行動が重要視される。
子供を命がけで救った私は、このままだと風神様の元に召されることになるだろう。
……許されない。私が赦されることなど、たとえ神が許しても、私が許さない。
「小僧。私と……戦え。殺し合いだ」
消えゆく命の灯を必死に手繰り寄せ、私は喉から声を絞り出した。
「殺し合いだと?」
エルフィートの言葉を聞いた俺は一瞬聞き違いかと思うが、しかしその顔は俺の認識が間違っていないと伝えてくる。
殺し合い……なぜそうなる。
俺としては構わないが、エルフィートの状態はとてもそんなことを言ってられるものではない。
よろよろと立ちあがるエルフィートを、フィーリアも当然止めに入る。
「エルフィート様!? そんなお体では無理です。それに、自分から殺し合いを仕掛けるのは風神教の教えに反するのでは……」
「だからこそだ。私は誰より風神様のことを思っていると自負している。だからこそ……風神様の元に逝くわけにはいかぬのだ」
どこから力が湧いてくるのだかは分からないが、エルフィートは一歩一歩ゆっくりと俺の方へと近づいてくる。
ボタボタと流れ出る血はすでに致死量を超えているように見受けられるが、それでもエルフィートは立ち止まらない。
「小僧……いや、ユーリといったか。ユーリ、頼む。私の申し出を……受けてくれ」
「ああ、わかった」
受ける以外の選択肢などハナからありはしない。
俺にはエルフィートの事情は全く分からん。
それにエルフィートはフィーリアにひどい振る舞いをした。絶対に許すことはできない。
だがそれでも、意思だけで立っているエルフィートの頼みを無下にすることはできなかった。
「ユーリさん!?」
「命を懸けた願いだ。俺には止められないし、止める気もない」
それに、腹を掻っ切られているはずなのにこの鬼気迫る気迫。さっきから毛が逆立ってやがんだ。
こんな相手と手合せできる機会をみすみす逃すなんてあり得ない。
俺はエルフィートが十メートルほどの距離に近づいたところで拳を構える。
「やるぞ、エルフィート」
「恩に着るぞ、ユーリ」
エルフィートもまた構えを取った。
ミジリーモジリーの死によって一度は弛緩した空気が再度張りつめたものに変わる。
俺の疲労も軽いものではないが、エルフィートは瀕死だ。負けるわけにはいかない。
「ふぅっ」
エルフィートが軽く息を吐き、俺の足元の土地を軟化させて足を取りにくる。
俺は咄嗟に上空へと跳んだ。
肋骨が痛みを発するが無視する。痛みにのた打ち回ってる場合じゃない。
「いくぜ」
俺は空中を歩いてエルフィートに近づく。
上空から何発か雷魔法が落ちてくるが、左右に跳んで避ける。
雷が止んだ一瞬の隙を突いては前進する。
それを何度か繰り返した時にはエルフィートはもう目前に迫っていた。
「終わりだ」
「……まだだ」
俺が接近した途端エルフィートは構えを変えた。
少し前傾姿勢でどこにも力を入れない、いわゆる魔術師の構えから、右腕を俺の方に突き出した接近戦の構えに。
見たことのない構えだが、中々様になっている。
俺と拳で勝負とは、面白え。
俺は駄目になってしまった右腕の代わりに左腕を振るう。掛け値なしの全力で。
「いくぞオラァ!」
「……」
俺とエルフィートの拳が交わり――――エルフィートが吹き飛んだ。
木々をブチ折り、エルフィートの体は数十メートル飛んだところで地に落ちる。
フィーリアがエルフィートのところに駆け寄り、しばらくしてから俺のところに寄ってきた。
「亡くなっていました」
「……そうか」
俺はじっとエルフィートの方を見つめる。
拳が交わった刹那、俺の耳はエルフィートの最期の言葉を聞き取っていた。
『フィーリアを頼んだぞ』
あの言葉は一体どういうことなのだろう。
エルフィートはフィーリアを嫌っていたのではなかったのだろうか。
事実、家に上がりこんできた時のエルフィートはフィーリアに憎しみさえ抱いているような様子だった。
この短時間で心を入れ替えたとは考えにくいが……。
「どうかしましたか?」
「いや……」
俺はエルフィートの亡骸へと近づいた。
その顔は仏頂面であったが、どこか満足げな顔にも見えた。
まあ、エルフィートの言葉の意図がどうであれ――――
「あんたに言われるまでもねえ」
フィーリアは俺が守る。
相手が罪徒だろうがなんだろうが関係ない。
そのために、もっと強くならなければならない。
俺は強くなる。もっと、強く。
エルフィートの亡骸に。そしてなにより自分自身に、そう誓った。




