50話 フィーリアの覚悟
「お父さん、お母さん! 急いでください!」
私は二人を急かしていた。
今頃ユーリさんは敵と戦っているはずだ。だけど、私はそこに向かうわけにはいかない。
ユーリさんの足手まといになってしまうから。
今私にできるのは、両親と一緒に逃げることだった。
「いや……リア。ここまでくればもう大丈夫のはずだ」
お父さんが息を切らしながら私にそう伝えてくる。たしかに十分離れることができたようだ。
社のような建物が目に留まる。ここは……私の能力を封印した場所だ。
当時の私は知らなかったが、何かあった時の避難場所としての役割も持っていたらしい。
「なんだったの、あのおぞましい魔力は?」
お母さんが自分の身を抱えながら独り言のように呟く。
「あれは多分罪徒です……」
多分、立ち寄った村の村長が言っていた『狂面』とかいう人だろう、と私は当たりをつける。
「なんだって!? リアはあんなおそろしいやつらに狙われてるってことか!?」
「そんな……なんでリアが!」
二人は実際にその恐怖を肌で感じて恐ろしさを理解したようだ。
私だって出来れば勘弁してほしいよ。
……でも、ユーリさんに同行するならそのくらいのことは乗り越えられるようにならなきゃ駄目なんだ。
改めて自分の気持ちを整理した私は、お父さんとお母さんの顔をじっと見つめる。
遠くでかすかに戦闘音が聞こえた。
「お父さん、私に能力を返してください」
私、行かなきゃ。ユーリさんのところに。
お父さんは私が能力を抜かれるところを見ていた。
その魔道具がどこに保存されているかだってきっと知っているはずだ。
「……リア、それはできないよ。お父さんはリアに幸せになってほしいんだ」
しかしお父さんは私を止めた。
「能力を取り上げることが、どうして幸せに繋がるんですか」
「それは……力を持つと危ないことに巻き込まれることが多いからだ。無駄に強い能力なんて無いほうがましだろう?」
お父さん、それは違うよ。
私はお父さんに言い返す。
「私はもう罪徒に目をつけられてしまってるかもしれないんです。そういう事態に陥った時、自分の身を守るための力が私には必要なんです!」
思えばお父さんに真っ向から反論したのは初めてかもしれない。
二人の心を覗いてみる。
……やっぱり駄目だ。
私の能力が『風神』だと分かった時からずっと、二人の心の中は見えない。
私の『読心』は、心を開いている人の心を読み取ることができる。
心が読めないということは、すなわち私に心を開いていないということだ。
私が村に帰ってきてからの二人の態度は終始優しかったけど……やっぱり心の底では私の事が嫌い、なのだろうか。
「エルギス……」
「フィーラは黙っていてくれ。……フィーリア、やはりお父さんはリアに能力を還元することには賛成できない」
お父さんが私のことを「フィーリア」と呼ぶのは昔から真剣な話の時だけだった。
久しぶりのその呼ばれ方に少し懐かしさを感じるが、それ以上に感じたのはお父さんへの不信感だ。
「……お父さん、それは本当に私を思って言ってくれてるの?」
私の為じゃなくて自分たちの為なんじゃないの?
自分たちが里からはぶられたくないから言ってるんじゃないの?
後に続く言葉はなんとか口の中に押し留めた。
「何を当然のことを……お父さんとお母さんの一番大事なものはいつでもフィーリアだ! 命を懸けてもいい!」
「そうよ、リア以上に大事なものなんてこの世には存在しないわ!」
二人は私の為と言うけれど、やっぱり私に能力を返すつもりはないようだった。
私の思いは伝わらない。
「私、能力を返してもらえないならそれでもいいよ」
「リア! やっとお父さんの言うことを分かってくれたか!」
お父さんは安心したような顔を見せるけど、私の話はまだ終わってない。
「それでも、私はあそこへ戻るから」
「な、何を言ってるんだリア! お前がいかにエルフの中では強いと言ったって、あそこにいるのは別次元の強さをもった人類ばかりなんだぞ? 考え直せ、リアが行っても無駄死にするだけだ!」
たしかにお父さんの言うとおりだ。でも、今日だけは私は引かない。
これから先ずっとユーリさんに守ってもらうなんて現実的に考えて無理だ。
私の為にユーリさんが傷つくことを想像しただけで胸が痛む。
私は強くならなきゃいけない。戦いの強さだけじゃなくて、精神的にもだ。
ここで言い返せなければ、私はそこまでのエルフなんだ。
思いついたことをそのまま口に出そう。下手に取り繕うぐらいなら、ありのままを。
「そうだね。その通りだと思う。……でもお父さんが私の能力を封じた魔道具の場所を教えてくれれば、私は死なないよ。私、もう十七歳だよ? 二人からしたら子供に見えるかもしれないけど、大人だよ。私は、自分で私の道を選びたい。ううん、選ぶんだ」
「リア……」
「お父さん、お母さん。……やっぱり私より信仰の方が大事、なの?」
言ってから、しまったと思う。
二人にとってはそんなの、信仰の方が大切に決まっているではないか。
また昔のように無視されてしまうかもしれない。息が荒くなっていくのが自分でも感じられた。
「エルギス、私はリアの選択を後押しするわ。私たちもそろそろ子離れの時期が来たんじゃないかしら」
永遠にも感じられる静寂を、お母さんが打ち破った。
優しく私に微笑む姿は、私が子供の頃から何一つ変わっていなかった。
「フィーラ……。リア、私たちが何を一番大切にしているかはさっき言った通りだ。リアの能力を封印した遺失物なら社の奥にしまってあるはずだ。ちょっとまってろ」
お父さんが真面目な顔でそう言って社へと入っていく。
今私に何が起きているのだろうか。頭の中がグルグルとかき乱される。
信仰よりも大事? 私が?
そんなはず……だって――。
「お父さんもお母さんも間違ってたわ。何を犠牲にしても、リアは自分たちが守らなきゃいけないと思ってた。でもいつの間にか、自分で道を切り開くようになってたのね。……大人になったわね、リア」
私を抱きしめたお母さんの言葉は、スウッと私の胸に入ってきた。
心の中にあった黒い何かが溶けていくのを感じる。
「とってきたぞ! これだ!」
お父さんが四角い箱を持って社から出てきた。
触れてみると、自然と使い方が分かった。
箱を開けると私の能力が光の粒子となって私の体に戻ってくる。どうでもいいことだけど、他人の能力は得られないらしい。
「なんだ、今の光は?」
私たちと同じように避難したエルフが今の光で異変に気付いたようだ。でも構っている暇はない。
「どうなったんだ? 成功したのか?」
お父さんが心配そうに恐る恐る聞いてくる。
お母さんはお父さんの少し後ろで胸に手を当てて私を見守っている。
私は二人をまっすぐと見つめた。
『透心』ならたとえ相手が私に心を開いていなくても、その胸の内を知ることができる。
私は今から、二人が私をどう思っているかを、二人の本心を知る。
私が、私の力で――私の意思で、前へと一歩を踏み出すために。
「……っ!」
「なんだ、どうした!」
「リア! 大丈夫!?」
目頭が熱くなり、思わず空を見上げる。
二人に見えたのは胸いっぱいの懺悔と、それを超える愛情。
お父さんとお母さんはずっと私を愛してくれていたんだ。
見上げた空はどこまでも澄み渡るように青く、青く広がっていた。
ふと吹いた風が優しく私を包む。
「うん。……大丈夫、大丈夫だから」
私は涙を堪えて前を向いた。
これから私は戦いに行く。もしかしたら死ぬかもしれない。
自分でも親不孝だと思うけれど、お父さんとお母さんは心配しながらも私を送り出してくれる。
「……リア。私たちが悪かった。お前に酷いことをしてしまった」
「……そうね。私たちは親失格だわ。謝っても済むことじゃないけれど、本当にごめんなさい」
お父さんとお母さんはそう言って私に深く頭を下げた。
二人に頭を下げられたのなんか初めてで驚いた。
それと同時に、二人の姿が小さく見えた。
悪い意味じゃなくて、なんというかこう……二人は神様でもなんでもなくて、二人のエルフだということがわかった気がした。
だから、私は二人に笑いかける。
「お父さん、お母さん。私を産んでくれてありがとう。私……お父さんとお母さんの子供に産まれて幸せだよ!」
私はそう言い残し、来た道を逆走し始めた。
後ろからお父さんとお母さんの声が聞こえる。
「グスッ……いつの間にか、立派になっちまいやがって」
お父さん、ありがとう。
恥ずかしくて言えなかっただけで、子供の頃はずっと「お父さんと結婚するんだ」って思ってた。
「私とエルギスの娘だもの……グスッ、それくらい当たり前でしょ?」
お母さん、ありがとう。
いつも気丈なお母さんが声を震わせるほど私のことを思ってくれていたなんて、露ほども思っていなかった親不孝な私を許して。
「……ユーリさん。今度は、私も一緒に戦います」
二人と別れた私は一心に戦闘音のする方へと走る。
急がなくちゃ。
私は、ユーリさんと一緒に戦いたい。ユーリさんの、隣にいたい。
今まで助けられてきた分、今度は私が助けるんだ。




