48話 親の心
ドューン木もまだ声を上げていない早朝、俺は誰かが階段から降りてくるのを察知した。
他人を起こさないよう足音を忍ばせているその人物は少しずつ一階へと降りてくる。
「ユーリ君、起きていたのか」
「おう……じゃなくて、おはようございます。エルギス……さん」
降りてきたのはエルギスだった。
いつもギリギリまで寝ているフィーリアと違い、朝にも強いようだ。
「どうかしたんですか」
水を飲みに来たのかと思ったが、そんな様子もない。
……とすると、俺に用があるのだろうか。
「いや、こんなに朝早くに起こしてしまうのは礼を失するとは思ったのだが……今ぐらいしかリア抜きで話せそうな時が無かったのでね。……ユーリ君、フィーリアを救ってくれてありがとう」
エルギスは俺に向かって勢いよく頭を下げた。
突然のことに何がなんやらよくわからない。
「何の話か分かりません。俺がフィーリアに何かした記憶はないのですが」
「道に迷ったところを助けられたと聞いた。それに……リアを傷つけてしまった私たちが、もう一度リアと話す機会を得られるとは思っていなかった。本当に感謝しているよ」
傷つけてしまった……?
一時期のフィーリアに対する態度の変わり方の事か。
しかし分からない。
こんなに娘のことを愛していそうなエルギスが、風神という理由があるとはいえ娘に冷たくするものだろうか。
「何故フィーリアに冷たく接したんですか? 風神への信仰心が原因と聞きましたが、本当にそれだけなんですか?」
「私はそこまで信心深いわけではない。……私は唯、里に歯向かう勇気がなかったんだ」
エルギスは唇をかんで俯く。
「どういうことですか?」
「風神の信仰というのはすでにこの里では風化してきている。未だに深い信仰心を持っているのは里長様ぐらいのものだ。この里では代々、風神の血をひくとされるものが里長を務めている。その権限は絶大で、逆らったものは……この里では生きてはいけない」
なるほど、読めてきたな。
「つまり、その里長の命令だったわけだ。あんたはそれに逆らえずフィーリアを無視したと、こういうわけだな」
「その通りだ」
フィーリアがエルギスとフィーラの心を読めなくなったのはフィーリアを疎ましく思っていたからではなく、フィーリアに対する罪悪感で心を閉ざしていたからだったというわけか。
「そうか、あんたは娘より自分が大切なんだな」
まあ当然だけどな。
自分より他人を大事にするやつなんてのは頭のネジが外れてる。
普通に考えて優先順位の一番上は自分だろう。エルギスもそうだというだけの話だ。
しかし、俺の予想に反してエルギスは俺に異論を唱えてきた。
「違う! そんなことは――」
「違うのか? ならなんで里長に反抗しないんだ?」
「仕方がないだろう! 逆らったら家族もろとも殺されていたかもしれないんだぞ! これが悪いと言うなら、一体俺はどうすればよかったんだ!?」
エルギスは声を荒げた。
その白く細い腕には血管が浮き出ている。
「別に悪いとは言っちゃいない。ただ――俺に昔のトラウマを話してくれたとき、フィーリアは体を震わせて泣いていた。それだけだ」
俺の言葉を最後に場が静まり返る。
気分を損ねてしまっただろうか。だが事実なのだから仕方がない。
自らの選択の結果を知ることは大事なことだ。たとえそれが自分の望んだ結果でなかったとしても。
それに、エルギスにとってフィーリアは大事な娘なのかもしれないが、――俺にとっても大事なパートナーなのだ。
そのフィーリアが泣きながら語ったことに、思うところがないはずがなかった。
俺たちの間に沈黙が流れる。
そのまま数分が過ぎると、誰かが二階から降りてくる足音が聞こえてきた。
「おはようユーリ君。あら? エルギス、早いわね」
「おはようございます」
二階から降りてきたのはフィーラだった。
フィーラに挨拶した拍子に、いつの間にかエルギスに敬語を使うのを忘れていたことに気が付く。
覚えたばかりだからか、気を抜くと敬語を忘れてしまうな。
「……少し、散歩してくる」
「? わかったわ」
エルギスは思いつめた顔で外へ出ていった。
「……ユーリ君、うちの主人と何かあったの?」
「いえ、特には」
フィーラにそう返し、全員が食卓に集まるまでの間、俺は再び筋トレに精を出した。
「いただきます」
全員がそろったところで朝食をとる。
ちなみにエルフの食べるものは人間と変わらない。肉も川魚も普通に食べる。
「今日のご飯はどうかしら? 口に合うといいんだけど」
「おいしい、です」
「うまいです」
「あぁ、まあ……悪くない」
場の空気が悪い。木製の食器がカタカタとぶつかる音だけが家に響く。
エルギスが昨日と打って変わって物静かになってしまったのは俺の責任か?
しかしここで俺が何か言っても傷を広げるだけだ。
食卓はフィーラが何とか盛り上げようとするものの、結果として何となく重苦しいものになってしまっていた。
「お母さん、お父さん。お願いがあります」
「あら。なにかしら? 何でも言って! ねえあなた」
「あ、ああ。何でも言ってくれ」
フィーリアが初めて話題を振る。
フィーラは娘が雰囲気を変えてくれるのを嬉しそうにしている。
「私は先日誘拐されました」
「誘拐っ!? 大丈夫なのか!?」
声をあげたエルギスにフィーリアは頷きを返す。
「はい、今回は大丈夫でした。でもその危険はこれからもあります。もしかしたら罪徒に狙われることもあるかもしれません」
「罪徒? なんだそれは?」
「全世界で生死問わず指名手配されてる大犯罪者のことだ……です」
俺はフィーリアの話を補足する。
少し前まで同じように知らなかった俺が言うのもなんだが、罪徒を知らないなんて、この里はあまり外との交流はないようだ。
フィーラは事の大きさに対する驚きからか、目を見開いて口を手で押さえている。
「このままユーリさんのお荷物になるのは御免なんです。私がこの里に戻ってきたのは、そういう相手にも対抗できる力を得るためです」
「リア、まさか……」
「私は……私の能力を、『風神』と『透心』を返してもらいに来ました」
瞬間、エルギスの方から魔力が放たれる。
魔力によって形作られた風の刃はテーブルを一刀両断した。
「リア! それ以上は言ってはいけない!」
「そうよ、リア! 今ならまだ間に合うわ。今の発言を早く取り消すのよ!」
エルギスとフィーラがフィーリアを諌める。
しかし、その様子は普通に怒っているのとはどこか違う。まるで何かを恐れているように、声が細く震えていた。
俺はその原因が家の外にいる気の塊ではないかと当たりをつける。
「やあ、いい朝だな。エルギス、フィーラ、そしてフィーリア。団欒の最中にすまないね」
その気の塊は、エルフの見てくれをしていた。
他のエルフに比べて一際長い耳に、二十代中盤の整った容姿で、地面まで届きそうな白く長いローブを身にまとっている。
即座に俺以外の三人が立ち上がって首を垂れたところを見ると、相当な権力者のようだ。
となれば、こいつが里長だろうか。
「ど、どうかなさいましたか。エルフィート様」
「いや、なに。少し散歩に出てみたら、なにやら物騒な文言が聞こえてきたものだから驚いただけだ。まあ聞き間違いだとは思うんだが……。フィーリア、この老いぼれにもう一度、先ほどの言葉を言ってくれないか?」
そういってエルフィートはフィーリアに視線を移す。
その目は殺意に満ち溢れている。視線を合わせられたフィーリアは大きく肩をビクつかせた。
ちょっと常人には持ちえない殺気だな。
こんな殺気を持てるほど頭のネジが飛んだ奴が里長なんてやってるのか。この里大丈夫かよ。
「エルフィート様! 何かの間違いです! 私の娘が風神様を軽んじるような大それた発言をするはずが――」
「エルギス。私はフィーリアに訊いている」
フィーリアから目をそらさぬまま、エルフィートはエルギスの言葉を一蹴した。
フィーリアも目をそらさない。そのまま俺の手を握ってきた。
その手は小さく震えている。
いつにもまして冷たいその手を俺はギュッと握り返す。
大丈夫だ、フィーリアは俺と行動してから一回りも二回りも成長した。こんな若作り野郎の殺気がいかに凄まじかろうと、フィーリアは自分の思いを曲げたりしない。
フィーリアは銀の瞳でチラリと俺の顔を見て、そして再びエルフィートに視線を戻した。
「何度でも言います。私に、能力を返してください」
フィーリアの手はもう震えていなかった。
「リア!」
「リア! なんてことを!」
「そうか。……外の世界にかぶれた俗物めが。お前などはもうこの風神様の里の一員ではない。即刻この里から出ていってもらう。以後二度とこの地を踏むことは許さん」
エルフィートは吐き捨てるように言い、フィーリアから目をそらした。
もはやエルフィートはフィーリアを里の同胞とは見ていないことが声と行動で伝わってくる。
この里にとって、少なくともエルフィートにとっては風神というのはそれほどまでに重要なのか。
「エ、エルフィート様、そこを何とか! 私たちのたった一人の子なんです」
「なんだ? フィーラ、貴様も風神様を軽んじるのか?」
「い、いえ……」
エルフィートが眉間に皺を作る。
それだけでフィーラは反論できなくなった。
「さあ、早く出て――!? いったい何事だ!」
突然、エルフィートが家から飛び出す。
何事かと周囲を探ってみるが、特段変わったところは感じられない。
「何かあったのか?」
「わかりま――!? 何か来ます!」
「何か? ……なるほど、これは」
やっと俺にも感じられた。
ここから百メートル近く離れたところに異常なほど濃密な気――おそらくは魔力だろう――がある。
おまけにそれはこの里へと少しずつ近づいてきている。かなりの強者だ。
この前の魔人にも引けを取らない。これは……道中立ち寄った村の村長が言っていた罪徒で間違いなさそうだ。
「俺は行く。フィーリアは二人を避難させとけ」
そう言って俺は家を飛び出した。
「こっちに逃げろ! 急がないと敵が来るぞ!」
家の外ではエルフたちが避難を始めていた。
俺はその流れに逆らって人ごみの中を走る。
エルフィートに追いついた時には、気の塊は真正面に立っていた。
「初めまして、異教徒共」
仮面をつけた長身の人間はそう言った。
趣味の悪い仮面だ。
人間の苦痛の表情が描かれた仮面は真っ赤に染まっている。
漂ってくる匂いから考えて、その染料は血で間違いない。
「貴様はなんだ」
エルフィートが仮面の男に尋ねる。
「こんな辺鄙な場所を好き好んでいるエルフに俺が分かるとは思わんが、まあ一応自己紹介をしておこう。暗黒神様の信者が一人、ミジリーモジリー。巷では『狂面』ともよばれているようだ」
「知らんな。この里に何のようだ」
「うん? 決まっているだろう。異教徒を虐殺にきたんだよ。特にお前だ、里長エルフィート。邪教に染まりきったその穢らわしい血を浄化してやろう。そのあとは適当にエルフの虐殺大会だ。無意味で無価値な殺戮は暗黒教の教義だからな」
「ぬかせ、若造が。貴様は風神様を侮辱した。……その身、無事で済むとは思わないことだな。悔恨の間もなく貴様の命は絶たれることになる」
二人の鋭い眼光が交差しあい、空気が張りつめる。……おい、俺をのけ者にするな。




