47話 つかぬ間の一家団欒with筋肉
「ウインディア」という家名が書かれた表札が立てかけてある家に上がった俺は、フィーリアの隣に座る。
テーブルの向かいにはフィーリアの父と母。
すさまじくアウェーだな。
「リア! 戻ってきてくれて本当によかったわ! お母さん心配で心配で……」
母親はフィーリアの姿を見た途端膝から崩れ落ち、フィーリアに抱き着いて泣き崩れた。
それほど心配だったのだろう。
「お母さん、ご心配かけました」
「良いのよ、こうして戻ってきてくれたんですもの……! ねえエルギス?」
「そうだな。よく戻ってきてくれた」
二人は自分の娘を本当に嬉しそうに眺める。
この両親がフィーリアに口も利かなかったなんて想像もできないが……。
しかしフィーリアが言うからにはそうだったのだろう。
今フィーリアはどんな気持ちで自分の両親と会話しているのだろうか。
俺は横目でフィーリアの顔を盗み見る。
フィーリアの顔は少し強張っていた。
白めな顔は元からだが、目は緊張を表す様にキョロキョロとせわしなく動いている。
どうやら両親に優しくされることが少しトラウマになってしまっているようだ。
「それで、こちらの方は?」
母親が俺の方を向く。
フィーリアによく似てるな。いや、この場合フィーリアが母親に良く似ているのか。
どちらにせよ、見た目上の年齢がほとんど同じだから家族というより姉妹だ。
「その男は……リアのパートナー、だそうだ」
「まあ!」
唸るように声を絞り出すエルギスに、「あらあらあらあら」とニヤニヤ笑う母親。
一体何がおかしいんだろうか。
「ちょ……二人とも! そういう意味じゃないですからっ!」
フィーリアが顔を赤くしながら否定する。
「えーなぁんだ。お母さんつまんない」
「そうか、そうだよな! リアが男と付き合うなんてまだまだ先だよな! お父さんドキドキしちゃったぞ!」
この反応は……伴侶だと思われていたのか。
斜め上の発想だった。
しかしこの勘違いのお蔭でフィーリアも少しは打ち解けたようだ。
相変わらず敬語だが、それはまあ癖みたいなものだろうし仕方ないだろう。
人の家族の在り方に文句をつけられるほど俺は家族というものを知っているわけではないしな。
こういうのもきっと一つの家族の在り方なのだ。
「いやー、すまんなユーリ君。私は勝手に早とちりして君に敵対心を燃やしていたよ」
「やーねーエルギスったら。ごめんなさいね、ユーリ君。うちの夫馬鹿だから」
「まあたしかにフィーラと比べたら私は馬鹿だな。なんてったってフィーラは里で一番賢いんだから」
「あなたったらほめすぎですよ!」
なんだこのラブラブ空間は……。
俺がここにいるのは場違いじゃないのか?
生肉を食べてももたれないはずの胃がムカムカするのは何故だ。
「それにしてもユーリ君、君は随分と……個性的な?体型をしているんだね」
「おお! やはりわかりますか。この体は俺の弛まぬ鍛錬の証なのです。存分に見てやってください」
なかなか見る目がある両親ではないか。
俺は上着を脱ぎ捨て筋肉を解放し、腕を折り曲げて力こぶを作る。
「おお……」
「まあ……」
続いて、腕を後ろに回し腰をひねって上腕三頭筋を強調する。
「うむ……」
「へえ……」
次は、手を頭の後ろに置いて腹筋を見せつける。
「ほう……」
「あら……」
さらに、腕を腰に置き――「いい加減にしてください!」
フィーリアが俺の行動を咎める。何かまずかったか?
「私の両親を変な道に引きずり込まないでください! 二人も興味深そうにユーリさんを見ないでください。馬鹿がうつりますよ」
馬鹿がうつるってなんだ。
俺は病原菌じゃないぞ。強いて言うならインテリマッスルだ。
「お、おう、そうだな。悪かったリア」
「お母さんもつい……ごめんなさいね」
俺はおとなしく服を着る。
少し興味を持ってもらえただけでも十分だ。
俺が蒔いた種はいずれ筋肉という大きな花を咲かしてくれるに違いない。
「フィーリアはどんな子だったんですか?」
気まずくなってしまった雰囲気を払しょくするために話題を提供する俺。
最近場の空気も読めるようになってきて、何でもできる自分が怖い。
「そうだなあ……」
エルギスが手で顎を撫でる。体毛が薄いようで、髭も生えていない。
「エルギス、あの時の話をしましょうよ。ほら、あの三歳の時の……」
フィーラがエルギスの顔を見てニヤニヤと笑う。
それをみてエルギスは何かを思い出したように言った。
「おお、そうだな! 聞いてくれユーリ君。3歳の頃、リアは『お父さんと結婚する』って言ってきかなくてなぁ!」
フィーラがエルギスの頭をペチッと叩く。
「リアはそんなこと一回も言ってないでしょう。エルギス、あなたボケちゃったの?」
「ちょっとした冗談だよ」
エルギスはゴホンッと咳払いをして再び話し始めた。
「聞いてもらいたいのはおねしょの話なんだよ」
「うぇ!?」
フィーリアが思わず声を上げる。
しかしエルギスとフィーラは笑顔だ。よっぽど娘との思い出を伝えたいらしい。
「まあ聞いてくれ。リアが三歳の頃におねしょをしたんだがな、その時の言い訳がかわいいのなんのって。『リ、リアのお布団にだけ雨が降ったの! リア、びっくりしたー』っつってな」
「お父さん!?」
「あのとき私は自分は天使を産んだんだと思ったねぇ」
「お母さん!?」
「フィーリア……おまえ、可愛いなぁ」
「ユ、ユーリさんまで!」
フィーリアにもそんな子供じみた言い訳する頃があったんだな。
フィーリアは顔を真っ赤にして恥ずかしがっているが、家族との思い出があるなんていいことだと思う。
最初から冷たくされていたわけじゃなかったんだな、良かった。
「ユーリ君? どうかしたかね」
「いや……フィーリアの顔が真っ赤だなと思って」
「わざわざ言わなくていいですから!」
家は一巻団欒の温かい笑い声で包まれた。
その後もエルギスとフィーラの娘自慢は続き、あっという間に夜になってしまった。
俺はリビングを貸してもらえたので、そこで寝ることにする。
もちろんフィーリアとは別の部屋だ。三人は二階で寝るらしい。
「体大きいわねぇ。ソファーで寝られるかしら?」
「いえ、立って寝ますので」
「そ、そうなの……」
フィーラの提案を断り、じっと立つ。
人の家にいるのに音の立つ鍛錬はできない。……とりあえず柔軟運動でもやるか。
俺は入念にストレッチをおこなうことにした。
腕の関節や脚の関節を一つ一つ動かして違和感がないかを確かめていく。
甘く見ているやつも世の中にはいるが、ストレッチというのは真面目にやるとそこそこきついし、時間がかかる。
体の調子を確かめ終わる頃には真夜中になっていた。
「次はどうするかな」
少し悩んだ後、開脚の角度を測ってみることにした。
俺は床に座り、股関節を広げていく。九十度……百八十度……二百七十度……。
「三百度が限界か」
森に住んでた時よりも十度ほど開くようになったな。
体の柔軟性は戦闘に影響を与えるし、柔らかくて困ることはない。
俺は少し上機嫌になった。
その時、誰かが下りてくる足音が聞こえてきた。水でも飲みに来たのだろうか。
俺は驚かさないようにじっとしておく。
「きゃあ! ……なにやってるんですかユーリさん」
「なにって柔軟だ。見ればわかるだろ」
降りてきたのはフィーリアだった。
五日ぶりにみるフィーリアのパジャマ姿だ。
ピンクの水玉模様で、なんだかいつもより幼く見える。昼間のおねしょの話が頭に残っているのもあるかもしれない。
それにしても、人を見て叫び声を上げるなんて失礼な奴だ。
「なんかグロテスクですね。およそ人のできる格好ではないのですが……」
俺の開脚姿を見てフィーリアが言う。
「修行の賜物だな」
「そうですか」
フィーリアはコップを用意してそこに水魔法で水を発生させた。
透明な水がフィーリアの唇に吸い込まれる。白く細い喉が上下に動く。
「久しぶりの家はどうだ?」
「思ったよりも平気でした。両親と打ち解けられて良かったです。まだちょっと敬語をやめられるかどうかはわからないですけど」
そう言いながらもフィーリアの顔はほころんでいる。
「無理せずやればいいさ」
「能力のことは……明日言い出します」
そうだ、元々の目的はフィーリアの能力を取り戻すことだった。
「わかった。まあ、今日の様子なら大丈夫そうだし、それに俺もいる。心配するな」
「頼りにしてますよ。おやすみなさい」
フィーリアはそう言って階段を上っていく。
「おやすみ」
俺は開脚しながらフィーリアの背に向けて言葉をかけた。
一話にしか出てきていないですが、フィーリアの苗字はウインディアです。




