38話 足の裏、舐めてもいいですよ?
目を開けた俺の視界に飛び込んできたのはまっさらな天井だった。
寝ぼけまなこを擦ろうとして、腕の感覚がないのに気づく。
……思い出した。
たしかべゼガモスとかいうやつと戦って左腕失くなったんだったか。
……フィーリアってこれ治せたりしねえかな。
べゼガモスと戦っている時にフィーリアの顔を思い出して、「あいつなら治せるかもしれない」と思って片腕を捨てたのだが、治せなかったときのことを考えていなかった。
……まあ、治せなかったら治せなかったで片腕でも戦えるか。
「おう、やっと起きたかよ」
左側から野太い声が聞こえ、俺はそちらを向く。
そこには足を包帯で固定した状態で寝転がったババンドンガスの姿があった。
相変わらず頭髪は親のかたきのように尖っている。まるで角が何本も生えてるようだ。
ちなみに魔闘大会の前回優勝者であるババンドンガスは街中でもよく目にするので、いつの間にか世間話をする仲になっていた。フィーリアの次に仲がいいかもしれない。
そしてベッドの横の椅子にはババンドンガスの妹であるウォルテミアが座っていた。
こちらは大きな怪我はしていないようだ。そして相変わらず似ていない。
「ここは……病院か? お前も魔物と戦ってたのか」
「ああ、まあな。つっても後から参加してウォルテミアと二人がかりでグールデック一匹殺っただけだ。何の自慢にもなりゃしねえよ」
あの戦場の中に二人がいたとは気付かなかったな。
「お兄ちゃんは最前線じゃなくて、傷ついた人たちを戦場から助け出すのが仕事だったから。それに、グールデックに襲われた私のことを庇ってくれたんです。……それで自分がこんなになっちゃったけど……」
「兄貴が妹を守るのなんざ当たり前だ。ウォルテミアが気にすることじゃねえ。それに俺が怪我してからはお前が俺のフォローをしてくれただろ? お互い様だよ」
「……うん」
ババンドンガスの言葉にウォルテミアはコクンと頷く。
そのクリアブルーの髪をババンドンガスは優しく撫でた。
兄妹仲が良いようで羨ましい限りだ。
「じゃあ、私は帰る。またね、お兄ちゃん。……ユーリさんも、また」
「帰り道には気を付けるんだぞ!」
「じゃーな」
ウォルテミアはそう言い残し帰って行った。
ババンドンガスはしばらく寂しそうにした後、俺の体をじろじろと見て言う。
「お前、魔人と戦ったんだろ?」
「ああ、そうだ」
「よくそんな怪我で生きてたよな」
「そうだな」
それには俺も同意だ。正直死んでいてもおかしくなかった。
血を全体の七割くらい流しちまってたからな。
人は血液量の半分を失うと失血死すると聞いたことがあるが、それでも生きていたのは心臓を鍛えていたからだろうか。
「お前も俺も、フィーリアちゃんに感謝せにゃならんな」
「どういうことだ?」
「そうか、お前は起きたばっかりだから知らねえか。フィーリアちゃんはあの戦場で三十人以上の命を救ったんだ。お前も俺もフィーリアちゃんがいなけりゃ死んでたかもしれないって話だ。あれほどの回復魔法に長けた魔法使いは滅多にいねえぞ」
フィーリア、あいつそんなにすごかったのか。
命は奪うより救う方がはるかに難しいからな。
壊すことしかできない俺からしたら尊敬するしかない。
「ユーリさん! 目を覚ましたんですか!」
噂をすればというやつか、フィーリアが病室に入ってきた。その顔には疲労が色濃く表れている。
フィーリアの戦いもおそらく相当なものだったのだろうことは想像に難くない。
「心配かけたな」
「本当ですよ! 魔人に向かっていったときは完全に死んじゃったと思ったんですからね! でも乱入できるほどの実力もなくて、何が起きてるかも全然目で追えないし……私、本当に心配で……」
フィーリアは俺のベットに近づき寝ている俺の腹に手をかぶせ、その上に頭を乗せてくる。柔らかい。
血の匂いに混ざって、かすかに花の匂いがする。そして少し痛い。
フィーリア、おまえが頭を乗せているそこは傷口だ。
……まあ、これもまた修行か。
「ババンドンガスから聞いたよ、お前に助けられたんだってな。……ありがとよ」
俺はフィーリアに礼を言う。何かしらんが猛烈に照れくさい。
フィーリアは俺の言葉でババンドンガスが同じ部屋にいることに気づき、俺の体から離れた。
「あ、ばっ、ババンドンガスさん。いらっしゃったんですね」
「邪魔して悪いなぁ。俺なんか気にせず存分にイチャついてくれていいんだぜ?」
ババンドンガスはニタニタと意地の悪い笑みを浮かべる。
コイツが笑うと盗賊かなにかにしか見えねえな。
「ば、馬鹿言わないでください! ねえユーリさん!」
「そうだ、馬鹿言うな寝癖野郎」
ふざけた頭しやがって。
「これはこういう髪型なんだ! そんなこと言ったらお前だって筋肉もりもり野郎じゃねえか!」
「……それほどでもない」
ババンドンガス、筋肉の良さがわかるやつだったか。
唐突に筋肉を褒められ、思わず口元が緩む。
そんな俺を見て、ババンドンガスは何故かおぞましいものでも見たかのように自分の体を抱きしめた。
「馬鹿な……なんで照れてやがる!?」
「ユーリさんはおよそ人には理解できない思考回路をお持ちなので」
それは褒め言葉ととっていいんだよな?
「あ、フィーリア。腕を治してもらうことってできるか?」
フィーリアは顎に人差し指を当て、一瞬思案してから答えた。
「魔力が満タンならできます。今日は無理なので明日なら。あまり遅くなると体がその状態になれてしまって、回復魔法でも治せなくなってしまいますからね」
「わかった」
回復魔法ってすげえ。
軽く言ってるけど失くした腕が生えてくるって相当なことだぞ。
詳しく話を聞くと、回復魔法というのは正確には『対象者にとってニュートラルである』状態に戻す魔法らしい。
だから時間が経って俺が左腕のない身体に慣れてしまうと、もう治すことができないというカラクリのようだ。
ニュートラルの意味はインテリな俺にはよくわからんが、まあ俺の腕も再生できるみたいでよかった。
「そういや俺はどのくらい寝てたんだ?」
なんだか体がだるい。もしかして八時間くらい寝てたのか?
「丸一日ですね」
「……は?」
思わず間抜けな声を出してしまった。
丸一日だと? 一時間寝れば十分な俺がそんなに寝てたとは……。
「死んでもおかしくなかったですから。……というか死んでなきゃおかしいくらいでしたけど。私に感謝してくださいね」
フィーリアがエヘンと言った様子で胸を張る。
どうやら俺は知らぬ間に相当危険な橋を渡りきったようだった。
「感謝してもしきれねえな」
「そうでしょうそうでしょう。感謝のあまり私にかしずきたくなってくるでしょう。ふふん、足の裏、舐めてもいいですよ?」
フィーリアは妖艶な笑みを浮かべ靴を脱ぐ。
あらためてみると……脚、なげえなぁ。
すらりと伸びた白い脚はまるで陶磁器のようで、見るものを虜にするような力を備えていた。
「どうしました? ……あ、わかりましたよぉ? 私があまりに可愛いから言葉が出てこないんですね?」
「いや、お前……。足舐めろとか、普通に引くわ」
ニマニマするフィーリアに図星を突かれたのが癪で、俺は演技をすることにした。
俺の言葉にフィーリアの顔がピキリと固まる。
「……え?」
「いや、フィーリアにそういう性癖があっても否定はしない。否定はしないが、俺を変な世界に引き込もうとしないでくれ」
冷静に、あくまで本気で受け取ったような反応に見えるように努力する。
フィーリアは慌てて首と掌をブンブンと横に振った。
「ち、違いますよ! 私はちょっとした悪ふざけで……」
「ああそうだな。そういうことにしておこう。そのほうがお互いにとっていいと思う。俺も今回は聞かなかったことにするから」
笑っちゃだめだ。堪えろ俺。
「違うんです。本当に嘘ですって」
フィーリアはオロオロし始めた。
そろそろ終わりにしてやろうか。そう思ったとき、ババンドンガスが会話に入ってくる。
ババンドンガスは鼻の穴を広げ、鼻息を荒くして言った。
「ふぃ、フィーリアちゃん、お、おお、俺が足舐めてあげようか」
「だから冗談ですって!」
「ぶはっ!」
俺は大笑いした。
ババンドンガス、お前……駄目だ、笑い死ぬっ!
フィーリアは大笑いする俺と苦笑いするババンドンガスを見て、自分がからかわれたことに気付いたようだ。
「……ユーリさん、ババンドンガスさん。二人して私をからかいましたね……! 許さないです!」
見た目はぷんぷんといった感じで怖そうに見えないが、発する圧がすごい。
本気で怒らせてしまったことに気付いた俺は素直に謝る。
流石に悪ふざけが過ぎたかもしれない。
「悪かったよ。お前に見とれちまったのを隠そうとしてちょっと演技しちまった」
「……! もう帰りましゅ! ……す! す!」
フィーリアは踵を返して早足で帰っていってしまった。
怒らせてしまっただろうか?
「お前は天性の女ったらしかよ」
「? 意味が分からん」
ババンドンガスが呆れ顔で言った言葉の意味を理解できない俺だった。




